2009年10月31日土曜日

諸田玲子『仇花』(2)、大江健三郎『二百年の子供』

 先週来引いていた風邪がようやく治りかけてきた。少し咳は残っているが、比較的楽になった。ただ、回復力も落ちているので、何をするにも、余計に面倒くささを感じている。夜中に何度も目が覚めて困る。空気清浄機と加湿器と少しの暖房をつけて毛布にくるまって眠った。午前中、穏やかで老貴婦人の相貌をもたれているSさんがオルガンの相談に見えた時も、寝間着のままでボーとしていた。もっとも、家にいる時は、いつも、浴衣の寝間着かバスローブのままではある。

 昨夜、諸田玲子『仇花』の残り十数ページを読む。家康の側室「お六」の結末は、一説による日光参詣での頓死ではなく、「神隠し」を装って、一切を捨てて、慕い続けてきた千之助と共に世俗へ帰る計画が進行されているところでおわる。他方、江戸末期の「お六」の方は、桜田門外の変などの世相が混乱する中で、「自分は臆病者ゆえお六一人を守るのが精一杯だ」という亭主の千之助の言葉を受けて、「世の中なんかどうなろうと知ったことか。男は天下を取りたがる。山を崩して、海を埋め立て、お城を建てて・・・。あたしはいらない。高望みなんかするもんか。うだつのあがらぬ臆病者の亭主でたくさん。何度生まれ変わっても、やっぱりこの、ろくでもない裏店暮らしがいい」(389ページ)と思う。

 この江戸末期のお六の思いこそが、この作品の主題であり、そして、それこそが人間が生きることの大きな意味に違いないと、諸田玲子は語ろうとするのではないか。それこそが大事だ、とわたしは思う。

 諸田玲子は、人間が、欲望と絶望をもち、願いと諦めをもち、どうすることもできない状況に生きなければならない姿を赤裸々にする。それが、この作者の優れたところだとあらためて思う。

 昨夜、眠れぬままに大江健三郎『二百年の子供』(2003年 中央公論新社)を一気に読む。大江健三郎は、1994年にノーベル文学賞を受賞し、1995年に『燃え上がる緑の木』が最後の小説として完結したが、1999年に、1995年に地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教の事件を受けて、『宙返り』を出し、以後の作品を自ら「後期の仕事(レイト・ワーク)と呼んでいるので、この作品は、その「後期の仕事」の中に位置づけられる作品である。この作品には、「2003年1月4日~10月25日読売新聞土曜日朝刊連載」の旨の奥付があるし、また、「永い間、それもかつてなく楽しみに準備しての,私の唯一のファンタジーです」というカバー書きがある。しかし、だからと言ってこれが「子ども向けのファンタジー」というわけでは決してないし、ある意味では、大江健三郎の作品はすべて、深い思想の施策をもったファンタジーであるに違いない、とわたしは思っている。

 物語は、作家で精神的な不安定さを抱える父親が母親と共にアメリカの大学に行くことになり、残された三人の子どもたちが、夏休みに、父親の故郷である四国の「森の家」で、故郷の伝承に従って、「童子」として時空を越えて冒険をするという話である。三人の子どもたちは、それぞれ、個性的で、長男の「真木」は、重い精神障害を抱えた、しかし、実直で、音楽に深い関心を示し、絶対音階をもつ子どもであり、長女の「あかり」は思いやりの深い、しかし、しっかりと三人をまとめていく子どもであり、中学校2年生として設定されている。次男の「朔(さく)」は聡明で、思慮深い子どもであり、一つ人との事柄をきちんと理解しようとする。

 初めに、この三人の子どもたちの特徴が、大江健三郎らしい仕方で、それぞれに紹介されている。それは、四国の「おばあちゃん」が2年前に最後に訪ねてきた時のお土産のお返しとして「いま好きな言葉」を言ってもらうという仕方で、長女の「あかり」は空色の6本の色鉛筆のお返しとして、「あんぜん」と言い、次男の「朔」は、植物図鑑のお返しとして、「むいみ」と言う。また、長男の「真木」は、おばあちゃんの描いた水彩画の入った紙箱のお返しとして「ながもち」と言う。

 こうした展開が大江健三郎らしいというのは、「言葉」が「実存」であるということ、また、人は実存の言葉を使うべきだということが明瞭に示されるからである。三人の子どもたちの言葉は、「実存そのもの」を表すものとなっている。これは、大江健三郎の作品すべての特徴でもあるし、それが「読みにくい」との印象も与えるものではあるが。

 物語は、おばあちゃんが「真木」にくれた水彩画を基に、おばあちゃんが亡くなった後で、三人の子どもたちが四国の「森の家」で、水彩画に描かれた所と人に時空を越えて会いに行くことで展開されていくが、ある意味で、この作品には大江健三郎がこれまで考えてきたことが見事に凝縮されていると言っても過言ではないような気がする。

 物語の一つ一つの場面は、それぞれ深い意味をもっているし、また、教育的でもある。初めに「真木」が、伝説が残されている「シイの木のうろ(「夢見る人」のタイムマシンと呼ぶ)」の中で眠り、亡くなったおばあちゃんに会いに行く。それは、おばあちゃんが亡くなる前にした「あいさつ」の言葉、「元気を出して死んでください!」と言う言葉を、おばあちゃんが亡くなる前にもう一度言ってくださいと言われた時に言うことができなかったので、その言葉を言うためである。

 言葉が深い意味をもつことがある。否、言葉は深い意味をもつべきで、「元気を出して死んでください」と言うのは、本当に深い意味をもつ言葉である。大江健三郎は、まず、そのことを語るのである。

 三人の子どもたちは、次に、「助けあって」(これもおばあちゃんが残した大事な言葉として使われる)、故郷の伝説の始まりとなったメイスケさんの事件に歴史を遡って行く。1864(元治1)年にメイスケさんを中心にして起こった「一揆」の場面に行くのである。「メイスケさんの伝説」は、大江健三郎の作品のいたるところで登場する。

 その場面に始まりのところで、国民学校の三年生だったパパが描いた「じつにひどい絵」が紹介される。それが「谷間と森」を描き、村を作った「大女」とメイスケさんの絵で、「世界の絵」と題されている。

「-「世界の絵」は日本列島を描いて・・・朝鮮半島も、台湾もカラフトの半分も入れて・・・そこから世界じゅうに「日の丸」が広がっている。当時はそれで正解だったんだ。
 パパは、谷間と森の言い伝えを描いて、先生を怒らせたのね。」(57ページ)

 それは、「世界とは何か」という問題への実存的な解答である。世界とは、地理上の広がりや物理的な宇宙を指すのではない。世界とは、常に、自分が生きている環境とその環境を作って来た歴史にほかならない。大江健三郎は、若い頃、サルトルの影響を受けているが、世界を実存的にとらえるという視点は、彼の全作品に通じている。人にとって、世界とは決して抽象ではなく、自分の周りの具体的な時間と空間の広がり、そこにある存在との関わりにほかならない。

 「シイの木のうろ(「夢見る人」のタイムマシン)は、そこで眠る子どもたちが「心から願う」ことで、子どもたちが見たかった世界へと連れていく(134ページなど)。そして、子どもは、「心から願う」ことにかけて、大人とは比べものにならない力をもっている。「心から願う」と言うことは、大江健三郎が使う「祈り」である。大江健三郎は「祈りの力」を大事にする。それがこの物語を構成している。

 146ページに、「父が、古い言葉に出会ったら、新しい言葉でどういうか、また外国語ではどうか確かめるのがいい、といった。朔はそれを守っているわけなのだ」という言葉がある。それは、言葉による経験を自己の存在の確証として自らのものにしていく精神的作業にほかならない。大江健三郎は、そういう精神的作業を大事にする作家でもある。おそらく、大江健三郎自身がそうした作業を繰り返してきたのだろうと思う。言葉には、過去と未来と広がりがある。それらを自分のものとして、自己の存在を確証していくのには、そうした作業が必要なのだ。大江健三郎は、そのことを、さりげなく、しかも教育的に語るのだろう。

 163-164ページには「復元力」という言葉が使われる。「人間にもさ、「復元力」の大きい、小さいがあると思う」という「朔」の言葉が記されている(164ページ)。これもまた、大江健三郎が自らの主題として考え続けてきた「恢復・回復」ということのひとつではないかと思う。172ページには「新しい人」という言葉も使われる。「新しい人」は、『燃え上がる緑の木』や『宙返り』で重要な意味をもつ概念である。「『新しい人』は、『新しい言葉』から作られる」という。それは、三人組が日本で最初に留学した八歳の女の子(三人組の先祖のひとり)に会いに行こうとする場面で用いられる。「新しい人」は、ここでは明らかに「未来を切り開く人」である。その「新しい人」については、273ページでも、ヴァレリーが引用されて、「ひとり自立しているが協力し合いもする、本当の『新しい人』になってほしい」と父親が朔にファックスで伝える。

 大江健三郎が、もし、この作品を子ども向けに、つまり、教育的に、あるいは啓蒙的に書いたのだとしたら、それは、お互いに助け合い、協力しながら、心から願いをもち、「自立しているが協力もしあう」新しい人として生きること、つまり、未来を自分で切り開いていく、そういう人間として生きるようになってほしいという願いを伝えるためだろう。

 「私らの大切な仕事(傍点)は、未来を作るということだ。私らが呼吸をしたり、栄養をとったり、動きまわったりするのも、未来を作るための働き(傍点)なんだ。ヴァレリーは、そういうんだ。私らはいま(傍点)を生きているようでも、いわばさ、いま(傍点)に溶け込んでいる未来を生きている。過去だって、いま(傍点)に生きる私らが未来にも足をかけているから、意味がある。思い出も、後悔すらも・・・
私が「ピンチ」だったのは、自分のいま(傍点)に未来を見つけないでさ、閉じてしまった扉のこちら側で、思いだしたり後悔したりするだけだったからじゃないか?もう残されているいま(傍点)は短いが、そこにふくまれる未来を見ようと思い立ってね。
それが「ピンチ」を脱け出すきっかけになった。」(276-267ページ)

とも言う。この作品は、そうした意味で、短いファンタジー仕立ての物語ではあるが、大江健三郎の集大成のひとつではないかと思ったりもする。大江健三郎は、自分の歩みを一つ一つ深く検証しながら作品を書くので、いつも、彼の作品はその時点での集大成であるとも言えるが。

 これを書いている途中で、近所に住まわれているI夫人が、わたしが体調を壊しているのを聞きつけて、夕食を差し入れに来てくださった。わたしは、大江健三郎の『二百年の子供』に没頭していて、目の前の窓越しに立たれるまで気がつかなかったが、好物の「梅干し」を時折持って来てくださったり、分別ゴミを処理してくださったりする74歳の夫人である。ここに転居してきた時からお世話になっている。いつも毅然とされているが、そういえば、わたしのまわりの老婦人は、どなたも毅然とされている方が多い。時折、その中で、わたしは自分の人生が愚か者の人生であったことを感じたりもする。

 今日は天気も良いので、外を少し歩き、青葉台まで出て、スターバックスでコーヒーでも飲もうかと思う。

2009年10月30日金曜日

諸田玲子『からくり乱れ蝶』、『仇花』(1)

 秋晴れのよい天気が続いている。朝から洗濯をしたりして仕事にかかり、電話や来客や郵便物の整理をはさみながら、あっという間に時が流れてしまった。昨夜は、そろそろお鍋の季節になったなぁ、と思いながら、ビールを飲み、新しい首相の国会答弁のニュースを聞きながら、諸田玲子『からくり乱れ蝶』(1997 徳間書店、2005年 講談社文庫)を読だ。

 諸田玲子『からくり乱れ蝶』は、幕末期に生きた侠客清水の次郎長(山本長五郎 1820(文政3)-1893(明治26))の二番目の妻となった「お蝶」を主人公にした物語で、清水の次郎長は生涯に3人の妻をめとるが、いずれも名前は「お蝶」と呼ばれた。

 次郎長の評伝では、明治の初期に養子であった天田五郎の『東海遊侠伝』が著名であるが、次郎長は、最初の「お蝶」と最後の「お蝶」について語ることが多くても、二番目の「お蝶」については、ほとんど触れることがなかったと言われている。諸田玲子自身が、清水の次郎長の家系につながる末裔で、彼女には、他にも次郎長の第一の子分であり、明治期に富士の裾野の開墾に当たった「大政」を主人公にした『笠雲』(2001年 講談社)小政を描いた『空っ風』(1998年 講談社)がある。

 諸田玲子は、詳細が知れない「第二のお蝶」を「竹居の吃安」(中村安五郎 1811(文化8)-1862(文久2))の娘で、「黒駒の勝蔵」(小池勝蔵-池田勝馬 1832(天保3)-1871(明治4))に恋焦がれる女性として設定し、侠客の陰謀と策略が渦巻く中で翻弄されながらも、ひとりのどうしようもない男に恋焦がれ、ついに報われずに殺された女性として描き出す。

 作品の中で、「第二のお蝶」(お冴-お駒-お蝶と名を変えていく)が恋焦がれる「黒駒の勝蔵」は、荒々しい狂気をたたえて、自分勝手で、賭場破りと殺戮、強盗と強姦を重ね、極悪非道な人間として描かれ、そして、結局は矮小な人間となっていく人物であるが、この救いがたい男に、美貌だが気の強い「第二のお蝶」は恋焦がれるのである。次郎長と勝蔵は仇敵の間柄であるが、次郎長の妻となったのも、勝蔵への愛ゆえのこととされ、勝蔵の所業を知りつつも、結局は勝蔵を捨てきれない女の悲しさが全編を貫いている。

 諸田玲子は、歴史の中で実在した人間とその状況の中に、ひどい男と知りつつもその男への愛を捨てきれずに一途に思いつつける女の姿を置いて、彼女を創り上げていく。文体も、構成も、そして展開の仕方も、よく考え抜かれて見事である。

 しかし、余談ながら、たいていの美貌の女性は、その美貌ゆえに気丈に生きていかなければならない宿命を背負っているが、「こういうきつい女は、御免こうむりたい」という思いがあったりもする。だが、ひとりの人を思い続ける一途さは、涙が出るほど心を打つのも事実である。諸田玲子の実像はあまり知らないが、彼女の作品には、こういう女性が多く登場する。縁をもちたくない女性ではあるが。

 続いて、諸田玲子『仇花』(2003年)光文社)を読み始めた。この作品は、徳川家康の側室「お六」生涯を取り扱ったもので、史実的には、寛永2(1626)年、日光御宮に参詣して、神前で頓死したともいわれ、「家康御他界後も俗塵を離れず」にいたとも言われるが、詳細は、諸説があって不明。諸田玲子は、その「お六」を上昇志向の強い野心家で、その野心ゆえに様々なものを失っていく女性として描く。

 この作品は、なかなかこった作りになっており、物語は江戸初期の話であるが、各章の始まりと最後に、登場人物と同名の人物を幕末期の江戸に登場させ、こちらは市井に生きる女性として描き出すことで、いわば、江戸初期と幕末に生きる二人の「お六」の姿を対比させるようになっている。江戸初期の家康の側室「お六」と幕末期の市井で生きる「お六」は、その姿が対照的である。

 諸田玲子がこういう手法を使ったのは、本書が女性の生き方をテーマにしていることを明瞭にするためだろう。また、そのために無欲な人間を何人も登場させる。特に、同じ家康の側室「お勝」や父の「五左衛門」や父の友人の江戸與兵衛とその晩年の妻「真佐女」夫婦、「お六」が恋い慕う兄の「千之助」やその妻の「小夜」、これらの「お六」の周りを取り囲む人々は、「お六」に振り回させられつつも、無欲な人間として描かれる。

 「お六」について、彼女を家康と引き合わせた無欲な側室の「お勝」の心情が次のように描写されている。

 「お勝にはお六の飢えた心が理解できた。あの、失意と怨みと野望がうずまく長屋、生き延びよう這い上がろうと目をぎらつかせる残党(北条家の残党)の群れの中で生まれ育ったのだ。母の優しい胸もなければ、満ち足りた食糧、十分に寒さをしのぐ着物もない。お六が富や力を自らの手でもぎとろうとするのは生い立ちのせいだろう。その姿が痛々しく思えたからこそ、家康の歓心をお六に向け、お六が這い上がる後押しをしてやったのである。」(206ページ)

 もちろん、様々なことを出生と環境のせいにする心理学的な理解に基づくものではあるが、「お六」の生き方を示す上では明瞭で、その生涯を要約するのにわかりやすいし、諸田玲子もその視点で、「お六」を冷静に取り扱う。

 作品には、江戸期に遊郭吉原を作った庄司甚右衛門が重要な役割を果たした人物として登場するが、この作品の中では、凄腕の戦忍びで、強盗団の首領でもあり、残忍性を備えながら、財に飽くことなき欲望を抱いて策略を重ねる人物として描かれている。「お六」は、彼を後見として、彼の財によって贅を尽くし、徳川家の女たちの中で地位を得ていく。甚右衛門が彼の父を殺した人物とも知らず、また、彼の操り道具として使われていく。

 「お六」は、北条家の残党としての貧しい暮らしの中で、築城されていく富と力の象徴である江戸城を仰ぎ、それを目指して生きる。そして、それは成功する。しかし、家康後、比丘尼屋敷に暮らさなければならなかった「お六」が、何とかしてそこを出ようとして、古川公方家との縁談を受けた時、次のような素晴らしい描写が書かれている。

 「そびえ立っていた天守閣が、泣き笑いの目の中で紙細工のようにかしいでいた。」(334ページ)

 それは、「お六」の心情といより、野心を抱き、上りつめようともがいて生きる一人の女性を見る諸田玲子の目である。「紙細工のような人生」、それが野心を抱き、出世を望み、何とか這い上がろうともがいて生きる人間の人生だ、と言いたいのではないだろうか。しかし、その紙細工の人生でも、人の生には簡単に批判できない重みがある。そのことを諸田玲子は知っているように思われる。それが、この作品を面白いものにしているような気がする。

 気がつけば、もう2時になってしまっていた。『愛することと信じること』のパソコン入力も進めなければならないし、日曜日の準備もしなければならないが、なんとなく、体の痛みから来るだるさもある。怠け心もある。続きはまた明日にでもしよう。「明日できることは明日せよ」である。

2009年10月29日木曜日

北原亞以子『恋忘れ草』(2)、諸田玲子『恋ほおずき』

 昨日は、関係している仙台の保育園で法人の理事会があり、仙台にまで出かけていた。仙台のけやき通りは、四季を通じて心を和ませるものがあり、春から夏にかけては青葉茂れる森の都の風情を楽しませてくれるし、秋と冬は紅葉や落葉が美しく、その下を歩くのが本当に気持ちがいい。

 ただ、このところ仙台の地下鉄工事で伐採されたものが多く、淋しくなっている。けやき通りは、もちろん人工的なものに違いないが、便利さを求めるがゆえに切り取られるのは、やはり、淋しい。「自然」というのは、けっしてありのままではなく、常に人工的に手を入れられたものではあり、それが常に文化的風情を創っていくものではあるのだから、仙台の「自然」も、また、こうして変わっていくのだろう。

 ただ、日本の風情というものは、可能な限りのありのままを切り取って、それを保持しようとするところから生まれてきたものが多く、枯山水に代表される庭園作りにしても、そうした意匠が凝らされており、できる限り人間に無理を生じないような配慮がなされてきた。そうした配慮が、新しい都市計画に生かされることを望むだけである。

 今日は、なんだか疲れ切ってしまい、一日中、掃除もせずにグダグダして過ごそうと思ったが、そうもいかず、なんだかんだと仕事をしてしまった。

 さて、北原亞以子『恋忘れ草』の続きであるが、第3話「後姿」の主人公「おえん」は、竹本七之助の名前で女浄瑠璃を語る女性であり、三歳の時に貧しさのために実の親から捨てられ、六歳で浄瑠璃の師匠に売られたのがもとで、この世界で生きるようになった。彼女は自分の経済的な後ろ盾として化粧水問屋の淡路屋長右衛門をもち、それは当然、長右衛門の愛妾であることを意味する。そして、「しんかたり(真打ち)になるためには、長右衛門の財力が必要であると思っている。もちろん、長右衛門の目を盗んで浮気もする。長右衛門も、前作で出てきた筆耕の香奈江に懸想している。そんな中で、彼女は、いわば、したたかに生きる女性である。

 その彼女の前に、風采のあがらない野暮な江戸僅番の田舎侍が登場する。「おえん」は鼻もひっかけないが、その田舎侍が彼女を訪ねてきて、深々と頭を下げ、礼を述べ、「わしは七百石の家に生まれたが、が番目の倅でね。三十俵の家に養子に出された。・・・三十俵の家は、どこまでいっても三十俵だ。わしの子も三十俵なら、孫も三十俵。今でさえ食えぬのに、これから先、物の値が上がったらどうせよというのか。誰も答えを出してくれず、わしらは、世の中の捨子も同然だと思っていた」と言う。そして、「江戸へ来てわかったよ。わしらだけが捨子ではない。・・みな同じだ。子々孫々、貧乏暮しをつづけねばならぬ。武士がおぬしにむらがるのは、寄席の木戸銭がやすいからではない。おぬしのように、自分の力を頼りに出世してゆきたいからだ」という(文庫版121-122ページ)。

 「おえん」は、そう言って去る田舎侍の後姿を見送りながら、初めて、人と向かい合って話をしたような心あたたまるものを感じていく。捨子で、生きるために斜めに構えて生きなければならなかった「おえん」と言う女性が、気丈に生きていても、まっすぐ向かい合って生きる者が必要だと感じるのである。

 第4話「恋知らず」は、小間物問屋の娘で、父と兄を亡くした後に店を切り盛りしながら、簪の意匠を考え、それが「お紺簪」として評判を取っている女性である。彼女もまた、ひとりで何とか自分の力で生き抜こうとしている女性である。その彼女が幼馴染で蝋燭問屋に婿入りした秀三郎と再会し、妻子あると知りつつ秀三郎に抱かれる。しかし、秀三郎が彼女を抱いたのは、幼い頃から優れていた「お紺」にたいして商売上の嫉妬からであることを、同じ幼馴染の平太から聞かされ、「お紺」は激しく泣いてしまう。そして、新しい簪の意匠で商売を盛りたてることを再び決意するのである。この作品で、前作の七之助(おえん)は、「お紺」の簪を贔屓にする客として登場する。

 第5話「恋忘れ草」は、歌川国芳を師匠にもつ女絵師で、歌川芳花という号をもつ「おいち」というのが主人公で、瓦職人だった父を亡くし、ひとり暮らしをしている。かつて彫り師の才次郎と恋仲だったが、才次郎は他の女と夫婦になった。才次郎がその女を身ごもらせたからである。「おいち」は才次郎に捨てられたのだが、どうしてもあきらめきれないで、ぐずぐずと関係をもっている。

 そういう中で、「おいち」は、地本問屋から百枚つづりの「江戸名所百景」の絵の制作を依頼される。「おいち」は、その彫りをぜひ腕のある才次郎に任せたいと思い、依頼する。才次郎もそれを引き受けるが、なかなか連絡がない。そこで、「おいち」は才次郎の家を訪ねる。しかし、そこで見たものは、恋した才次郎が妻と子と仲むつまじく暮らしている姿だった。「おいち」は悔しい思いをする。そして、江戸で二人といない絵師になる、と改めて思う。

 しかし、北原亞以子は、この物語を次の言葉で締めくくる。
 「強く締め過ぎたたすきが腕に痛い。
 が、ゆるめれば、寒念仏の鉦(かね)の音が軀にしみてくる。
 机の上の『三河町』がぼやけてきた。
 おいちは、涙で板下絵を汚さぬよう、机に背を向けた。」(文庫版 194ページ)

 この詩のような短い言葉に、ひとりで生きていかなければならない女性のすべての姿が凝縮されている。「ばかやろう!」と言って、自分を励まさざるを得ない人間の深い悲しみが「寒念仏の鉦の音」として軀にしみる。

 第6話の「萌えいずる時」は、料理屋「もえぎ」を営む女主人の「お梶」の話である。彼女は夫と別れた。夫は「山水亭」という大きな料亭の主だが、遊び人で、外に女を作り、その女と子どもを引き取り、さんざん散在した。「お梶」は、舅女の「おりく」もその女と遊び暮らしているのに嫌気がさして、山水亭を出て、自分で料理や「もえぎ」を立ち上げて暮らしてきた。そして十年が過ぎた。

 その頃になって、傾きかけた山水亭のために前夫の粂蔵が借金を申し出に来た。天保の飢饉で飢えて出てきた雇い人「おはつ」の親族の「おげん」の一家が転がり込んできて、人助けと思って雇った「おげん」が食べ物を盗んで行くようになり、前夫の粂蔵は「お梶」の名を使って借金をしてしまうという事態が起こってしまった。そして、借金取りに彼女の料理屋は見る影もなく壊されてしまう。料理屋をすることがもう嫌になる。

 しかし、すべてを失った後、思いを寄せいていた板前の新七が「その、何だ。枝を切り払われて、丸太ん棒のようになっちまった木からも、芽が出てきやす」(文庫版 246ページ)と言い、食べ物を盗んでいた「おげん」が、店を壊した人々に盗られていた銭箱を取り返してくる。「お梶」は、新七の言葉のとおり、「枝を切り払われて丸太のようになった木に、新しい芽が吹いたのかもしれない」(文庫版 247ページ)と思うのである。

 これらの6話に登場する6人の女性は、いずれも、恋に破れたり、叶わぬ恋を心に抱いていたりしながら一人で自立して生きようとする女性であり、そこには言い寄る者も、脅す者もあるし、また一人で生きなければならないがゆえに抱え込む淋しさも悲しみも辛さもある。そして、それらは単に女性だけではなく、ひとりで生きなければならない男も抱える辛さでもある。新しく生きようと決意することにも悲哀が伴う。北原亞以子は、そうした姿を描き出すのである。

 この作品は直木賞の受賞作だそうだが、そんな賞とは別にしても、短編でありながらも読みごたえのある作品である。取り扱われている時代は、文政から天保(1850年より少し前)で、第11代家斉の頃である。この頃から武家社会が揺らぎ始め、商人の力が大きくなり、物価が上昇し、下級武士は貧困を極め初め、農村では相次ぐ大飢饉に見舞われた。一揆や打ちこわしも頻発した。第6話「萌えいずる時」には、天保の大飢饉によって泥水を啜って生きて生きた農民の姿が描かれているが、その惨状にはすさまじいものがあった。しかし一方では、商人の財力が増して、江戸の文化は爛熟をみせはじめ、絵草子や錦絵、歌舞伎、浄瑠璃などが盛んになった。生活が苦しければ苦しいほど、人は享楽を求めたがる。「東海道四谷怪談」が上演され、柳亭種彦作、歌川国貞絵『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』が売れ、広重の『東海道五拾三次』が飛ぶように売れた。

 北原亞以子は、このような時代背景を駆使し、物語の中に織り込みながら、作中にもそうしたことを取り込んで、ひとりひとりの自立して生きなければならない女性の姿を描き出すのである。彼女は、1938(昭和13)年生まれだそうだから、戦後の混乱期とその後の成長、そして没落を経験してきた人であるし、その時代の女性の社会進出も見てきた人である。しかし、改めて思うまでもなく、いつの時代でも、ひとりで、しかも自分の力だけで生きなければならない人間が抱える悲哀と辛さは変わらない。時代小説は、そうしたことをさりげなく語ってくれるから、本当にいい。

 続いて、一気に読み終えたのは、諸田玲子『恋ほおずき』(2003年 中央公論社)である。

 諸田玲子は、他の作品でも非常に鋭い切り口をもち、重いテーマを扱ったり、女性とは思えぬ描写もしたりする優れた作家だと思う。本書もまた、堕胎がテーマとなっており、表題の「ほおずき」は、その根を乾燥させて煎じ、堕胎薬として用いられたものである。しかし、本書は、話の展開にもリズムがあり、描かれている人物も生き生きとして、いわゆる「おもしろく」て、一気に読める本である。

 本書の主人公江与(えよ)は、父の町医者六左衛門とともに中篠流(婦人科、堕胎専門)の看板を掲げる女医者である。彼女が中篠流の女医者となったのには理由があるが、その理由は、ほのめかされるだけで、ずっと後まで告げられない。また、彼女には真弓という年の離れた妹がいるが、その真弓には出生の秘密があり、これも後になって分かる仕組みになっている。

 父の六左衛門は土浦藩の藩医であったが、隠居し、浅草田原町に医者の看板を掲げるおおような人物で、娘たちを温かく見守っている。彼は、「凍鶴(いてづる)」と号して俳句を作り、その浅草田原町一丁目界隈を仕切る岡っ引きの梅蔵が俳句仲間として出入りしている。梅蔵の俳号は「孤鶴(こづる)で、この二人の俳句が、それぞれの章の扉に記されている。この家には、また、女中の「おとき」とその亭主で下働きをしている弥助もいるが、その夫婦の姿も温かく描かれている。そして、蛇骨長屋と呼ばれる貧乏長屋に住んで手癖が悪い悪たれの平吉も江与と知り合うことによって、やがて、医院の手伝いをして、梅蔵の手引きになる平吉という子どもも出入りしている。

 六左衛門の家は、だれもが、身分の区別なく、言いたいことを言い、それを温かく包む雰囲気で満ちている。

 また、江与は、ふとしたことで北町奉行所同心の津田清之助と知り合い、岡っ引きの梅蔵が、この津田清之助から手札をもらっていることも知る。津田清之助は妻子があるが、江与は彼に思いを寄せ、彼もまた江与に思いを寄せ、その恋の展開も面白く描かれている。

 江戸幕府は堕胎を禁じたが、産婦人科と小児科を建前としていた中篠流は黙認されてきた。しかし、時代は天保の改革の頃(1841-1843年)で、一切の贅沢が禁じられ、中篠流も禁じられる気配があった。奉行所同心の津田清之助も「命を殺すこと」に反対している。そういう中でも、江与は、やむをえず子どもを堕さなければならない現実の女性のために、中篠流の看板を掲げ続ける。

 彼女のもとを様々な女性が訪れる。それらの女性は、それぞれの事情の中で、子どもを産み育てることができずに彼女に堕胎を願うのである。

 老舗の蝋燭屋肥後蝋の女中「おきく」は、手代の新吉と恋仲になり、子どもを身ごもる。しかし、手代が妻子を持てるようになるまでには、まだ数十年かかる。新吉は、何年も辛い仕事に耐えて手代になった。今、子どもを産めば、その新吉の苦労も未来も水の泡となる。悩んだ「おきく」は江与のもとを訪れる。江与は、新吉ともう少し話をするように勧めるが、「おきく」はついに自害する。

 宿下がりの際に幼馴染のやくざ者に手込めにされ(強姦され)子を孕み、江与に堕胎薬をもらった武家の奥女中の勝代は、自分の上役の奥女中「蔦江」が役者にいれあげて子を孕んだと相談に来る。役者は女たらしのどうしようもない男である。江与はやむをえず堕胎薬を調合するが、役者のいいかげんさに腹を立てて、これを懲らしめる。

 吉原の遊女「喜蝶」は、妊娠しやすい体質なのか四度目の子を孕む。出産で休めば年季が長引くだけでなく、借金ともなり、生まれた子はすぐに余所にやられてしまう。江与は彼女にも堕胎薬を調合する。そして、「喜蝶」の同僚「綾瀬川」は、蛇骨長屋に住む飾り職人安次郎といい仲になり、彼の子を孕む。安次郎は妻子があり、幼い子どもたちがいて、女房はさらに子を孕み、貧しく、身受けもできない。しかし、「綾瀬川」は安次郎に会いたい一心で自分の妊娠を隠し、ついには安次郎と心中してしまう。

 子さらい(誘拐)事件が頻発する。平吉の機転で、それが、かつて子どもを堕ろし、その良心の呵責に耐えかねて気がふれた紙屑拾いの「おひさ」の仕業だとわかる。

 産んでも地獄、堕ろしても地獄の中を人は生きていく。それらの事件を津田清之助とともに関わりながら、二人の中が深まっていく。そして、清之助の友人井関彦十郎の妻志津が江与を訪ねてくる。志津は夫の出世を種に御小人目付の中沢兵庫という男から高位の者への取りなしとして不義を強要され、子を孕んでしまったのである。江与は何とかしようとするが、志津は兵庫に殺される。そして、その事実を清之助に話し、清之助は、思い悩む井関彦十郎に打ち明け、彦十郎は兵庫と果し合いをすることになる。その場に江与も立ち会う。

 彦十郎は兵庫に殺され、兵庫もまた高位の者が放った手で殺され、清之助も矢傷を負う。その清之助を看病する中で、ついに、江与は、清之助に妻子があることを十分承知しながら、彼に抱かれる。父親の六左衛門はそのことを知っていながらも黙って見守る。

 その間に、中篠流を使って武家と暴利をむさぼっていた事件が起こったりもする。

 江与の妹真弓は、自分が本当は六左衛門の子ではなく、飢饉で死に絶えた村の中で泣いていた赤ん坊を六左衛門が拾ってきた子どもであることを知り、悩む。しかし、六左衛門や江与や周囲の人々の温かさの中で自分を取り戻し、江与は、かつて駆け落ちまでしようとした男の中を引き裂かれて、無理やり、腹の中にいた子をさせられてしまった過去をきちんと整理していくようになる。そして、江与は中篠流の看板を下ろすことにする。

 江与は言う。「たとえ答えが出なくても、迷いが迷いのままに終わったとしても、真摯に心にとうてみなければなりません」と。

清 之助は言う。「尻餅をつこうが泥まみれになろうが、肝を据えれば怖るるに足らず」と。(284ページ)

 どうにもならない状態で生きなければならない人々を描きながらも、その基調は、それらを包む温かさである。「くさい」科白も、時代小説ならではのさわやかなゆるされるものである。状況の掛け合いが絶妙で、この作品は、重いテーマをさわやかに扱う絶品のひとつである。

2009年10月27日火曜日

北原亞以子『恋忘れ草』(1)

 今朝は4時に起きてしまい、そのまま本を読んだり、新聞を読んだりしていた。昨夜の雨も上がり、今日はよく晴れている。「秋晴れ」という言葉がふさわしい天気になった。

 プロテスタント教会の牧師をしている友人のT師から毎週メールで送られてくる『風のように』と題されたニュースレターをじっくり読んだりした。M.ルターの言葉がいつも触れられている。わたしは、M.ルターの神学の深さと彼の人格が別物であることを感じて、どうもそこまでM.ルターを敬服する気はないのだが、T師が毎週記している「牧師のぐち」はおもしろい。今日、牧師であることは己の身を削るようにしてしか成り立たない。頼りにできるのは、ただ、不確かに思えるような「神の言葉」だけだから。

 昨日の北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』について考えていた。北原亞以子は、この作品の中で、貧しくその日暮らしをしながらも、何のこだわりもなく生きている笑兵衛とお捨ての木戸番夫婦を描くことによって、「こんな人がいてくれたらなあ」と存在するだけで深い慰めとなる人間を描こうとしているのだろう、と思った。「笑兵衛」という名前も、お捨てが少し肥ってよく笑う女であるのも、「存在するだけで深い慰めと励ましになる存在」の姿なのだろう。

 昨夜、北原亞以子『恋忘れ草』(1993年 文藝春秋社 文庫版文春文庫(1995年)を読んだ。文庫版に収められている藤田昌司の解説で、彼女がこの作品で直木賞を取ったことを知り、また、デビュー作の『ママは知らなかったのよ』(1969年)以後20年ほどあまり認められずに、1989年の『深川澪通り木戸番小屋』で泉鏡花賞を受けるまで不遇に耐えたことを知り、『深川澪通り燈ともし頃』で描かれた政吉が、あまり文字を知らない時から一流の狂歌師になっていく過程で、周りに気を使い、その地位を確保しようと焦っていく姿に、彼女自身の苦労が重なっているのかもしれないと思ったりした。「認められてなんぼ」の人生を歩むつらさが、そこにある。

 さて、『恋忘れ草』であるが、この作品は6人の自立する女性を主題にした6編の作品からなる短編集であるが、それぞれが独立した短編でありつつも、それぞれの6人が、同時代に同じように近隣で生活し、それぞれに繋がりをもって登場する連作になっている。

 登場する6人の女性は、いずれも一人で自活して生きていく道を選んだ女性であり、作者の言葉を借りて言えば、「江戸のキャリアウーマン」である。

 最初の「恋風」に登場するのは、父親が開いた手跡指南(学習塾)を受け継いで、子どもたちに読み書き算盤を教えている女性(萩乃)である。父親は、仇討の敵の相手を最後まで看取ったことで評判を取り、手跡指南所を繁盛させた。しかし、それが虚偽であることが発覚し、彼女は質の悪い岡っ引きから強請られる。以前の婚約者も、そのことで彼女から去ってしまった。女一人で生きていかなければならない苦難が襲ってくる。

 その時、大人になって文字を習いたいといってやって来た傘問屋の手代(栄次郎)が、最初は鬱陶しいと思っていたが、すべてを承知して彼女の問題を解決してくれる。

 話はそこで終わるが、一つ一つの展開が、実に巧みで、女性が一人で自立しなければならない時に揺れ動く心情が細やかに描かれている。

 「男の八分」は、地本問屋(江戸時代の出版社)の筆耕で身を立てている香奈江で、長谷川香果という名で柳亭種彦(実在の人物-歌川国貞の画で『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』などを出す-)の作品の浄書なども引き受けている。一度結婚したこともあるが、別れた過去をもつ。その元亭主が、再び言い寄って来たりする。ある時、種彦の弟子と称する御家人崩れの井口東夷の『草枕』の浄書を頼まれる。しかし、それは種彦の『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』と似た部分があるということで出版できなくなりそうになる。井口東夷を憎からず思い、その作品も面白いと思った彼女は、その似通った部分を書き直してしまう。怒った井口東夷は彼女に詰め寄る。しかし、彼女の真実の思いが伝わって、東夷も納得するようになる。前作の萩乃は、ここで主人公香奈江の友人として登場する。

 ここまで書いて、なんだかとてつもない睡魔が襲って来たようで、続きは、また明日にする。

2009年10月26日月曜日

北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』

 低気圧と前線の影響で、昨夜から雨が降り、今も冷たい雨が降っている。あざみ野の山内図書館に先の6冊を返却し、新しい6冊を借りてきた。一人2週間6冊というのが貸し出しの規則になっている。ついでに、神戸珈琲物語でコーヒー豆を購入。セールで少し安くなっていた。

 昨夜、北原亞以子『深川澪通り燈ともし頃』(1994年 講談社 文庫版(1997))を一息に読んだ。文庫版は、「第一話 藁」と「第二話 たそがれ」の二部構成になっているが、いずれも、江戸深川の「澪通り」に住む木戸番笑兵衛と妻お捨ての夫婦を心のよりどころ、人生の要とする話で、「第一話 藁」は、捨子でかっぱらいなどをして暮らし、やがて塩売りとなった政吉が喧嘩をし、木戸番に運び込まれてから、この夫婦に触れ、笑兵衛から文字を習い、狂歌を作るようになって、やがて狂歌師として成功し、そして、妻に裏切られ、労咳を病んでいる場末の娼婦を愛するようになり、すべてを失っていくという話である。「第二話 たそがれ」は、幼い頃に親を失い、ひとりで腕の良い仕立屋となり、妻子ある男の、いわゆる「江戸女」でもあり、何人かのお針子も使っている気丈な「お若」とその長屋に住む人々の人生の変転の姿を織り込みながら、ひとりの心細さと寂しさ、やりきれなさが募る時に、ふとしたことで知り合った笑兵衛夫妻の元へ向かい、そこで生きることを恢復していく話である。第一話の政吉も、第二話で、すべてを失い塩売りに戻って同じ長屋で暮らす人物として登場する。

 いずれも、武家の出だとか由緒ある家の生まれだとか噂されながら、その日暮らしの貧しい暮らしをしている木戸番の笑兵衛とふっくらと肥って笑うと笑窪ができ、よく笑い転げる妻お捨ての夫婦を拠り所とする話で、辛い者や淋しい者、人生を捨てなければならない者に、無条件に、何も問わず、ただお茶を飲ませ、一緒の食事をし、必要なら四畳半の狭い家に泊めもする木戸番夫婦の温かさが、政吉やお若のそれぞれの人生の苦しみの中でにじみ出てくる。

 この作品には前作『深川澪通り木戸番小屋』があるが、まだ読んでいない。北原亞以子には『慶次郎縁側日記』というシリーズ物もあり、娘を失い隠居した元同心の慶次郎も、「仏の慶次郎」と呼ばれ、同じような役割を果たすが、『深川澪通り燈ともし頃』は、江戸市井物小説の中でも珠玉の傑作だろうと思う。構成も展開もまことにすばらしい。

 もう少し内容を詳しく書くと、第一話は、塩売りというその日暮らしの生活をしながら詠んだ狂歌二首が認められ、本に掲載されることになった政吉のことを一緒に心底から喜び祝う笑兵衛とお捨ての姿から始まっているが、そのことを真っ先に木戸番夫婦に知らせようとする政吉とそれを心底喜ぶ木戸番夫婦が、道路と二階の物干し場で会話する場面は、真に心憎いほど心を打つ。

 政吉は、それから結婚し、煙草屋の主となり、狂歌師としても成功していくが、狂歌にのめり込んでいくあまり妻を失う。妻は雇い人と駆け落ちして逃げていくのである。一流の狂歌師として体面を繕おうとするが、うまくいかずに、そのうちに岡場所の労咳を病んでいる女「おうた」にのめり込み、彼女のためにすべてを失う決心を固め、元の塩売りに戻る。

 こうした展開の中で、どうすることもできなくなった時に、政吉は木戸番夫婦のもとへ行き、何気ない二人のまっすぐな温かい振る舞いに慰めと励ましを受けていくのである。

 第二話も、腕の良い仕立屋となったお若が、まだ若い頃に、薬売りをしていた妻子ある男と知りあう場面から始まる。お若は男に妻子があるとは知らなかった。いわば、男に騙されたのだが、男を捨てることもできず、しかし、仕立屋を気丈に切り盛りしていくのである。

 そして、同じ長屋に住む人々やお針子たちのそれぞれの人生の変転にかかわりながら、一人ぼっちの淋しさと心細さにうめきながら、どうすることもできなくなった気持ちを抱えた時に、木戸番夫婦を訪ねていくのである。

 辛く悲しい人生を送らなければならない市井の人々、そして、それを受けとめていく木戸番夫婦、その日常を描く筆は、何とも言えないほど深い味を持つ。

 第一話の中の「燈ともし頃」に描かれている一場面。

 「何もできやしないんですよ、私達には。おきくさんにご飯を食べてもらって、政吉さんを探しただけ。それも、弥太右衛門さんやおくらさんの手をお借りしちまって」
 「それだけで、もう充分」
 と、おきくが言った。
 「それより嬉しいことなんざ、ありゃしません。勝手なことをして飛び出して行ったのに、あそこなら帰れると思えるところがあるだけでも幸せなのに、何しに帰ってきたと言われずにご飯を食べさせてもらえるなんて・・・・」
 おきくの声がくぐもる前に、政吉の目がうるんだ。
 政吉も今日、中島町澪通りへ行こうと思った。澪通りの木戸番小屋なら、なぜ空腹で目がまわるまで裾継の女にいれあげたとなじる前に、黙ってご飯を食べさせてくれると考えたからだった。」(文庫版 241-242ページ)

  「おきく」というのは、雇い人と駆け落ちして逃げた政吉の前の女房で、うらぶれて、政吉に謝罪するだけのために帰ってきた女であり、裾継というのは最下級の岡場所の女(売春婦)。

 もう一か所、最後の場面。うらぶれた政吉が帰って行くのを財布を持って走って追いかけてきた笑兵衛と政吉の会話。笑兵衛は、お捨ての財布を政吉に渡しながら、

 「ま、時々は、うちの婆さんにも顔を見せてやってくな。けたたましい声で笑うんで、少々うるさいかもしれねえが」
 「とんでもねえ」
 政吉はかろうじて涙を抑え、かぶりを振った。
 「俺あ、あの笑い声を聞きたかったんだ」
 「物好きだねえ」
 笑兵衛は、目尻の皺を深くして笑った。
 「あの声で笑われても、昼間は眠っている芸当を身につけるのには、ずいぶんと苦労したんだぜ」
 「そんなことを言っていいのかえ、親爺さん。あの笑い声が聞こえなくなったら、夜も眠れなくなるくせに」
 笑兵衛は、黙って笑顔の皺を深くした。
 「おきくも言っていたが、俺あ、深川へ流れてきてよかったよ」
 「住めば都さ」
 「違う。都にゃ、お捨てさんも親爺さんもいねえ」
 「どこにでもいらあな、こんな親爺と女房は」
 「でも、俺が出会えたのは、お捨てさんと親爺さんだった」
 お捨て夫婦に出会えて文字を習い、狂歌の会へ入ってみる気になった。自分の狂歌がはじめて本にのることになったのを喜んでもらったのもお捨て夫婦なら、おきくの失踪を隠すため力を借りたのも、この木戸番夫婦だった。
 気分が晴れぬ時に思い浮かぶのも澪通りの木戸番小屋であり、空腹で目がまわりそうになった時、すがりつきたくなったのも、二つの川の音が聞こえ、笑いころげるお捨てを笑兵衛が見守っている木戸番小屋であった。(文庫版 246-248ページ)

 第二話から、やるせなくなったお若が、自分の気持ちをもてあまして、木戸番小屋を訪ねる場面。

 木戸番小屋は、きっと、表の木戸を一枚だけ開けて、暗くなった澪通りを家の中の明かりで照らしているだろう。笑兵衛とお捨ては、焼芋の壺や、商売物をのせた台に占領されている土間の奥の狭い部屋にいて、「お帰り」と、お若に言ってくれるかも知れなかった。
 お若の足は、次第に速くなった。(文庫版 327ページ)

 この文章の「暗くなった澪通りを家の中からの明かりで照らしている」というのが、この木戸番夫婦とこれを取り巻く人々の姿を描いた本作の主題だろう。時代小説の良さは、この温かさを、思想や論理をこねまわしたり、饒舌に語ったりするのではなく、人間の姿として正面から描ける所にある。この作品は、その意味で、まことに胸を打つ傑作である。

2009年10月24日土曜日

大江健三郎『宙返り』(7)

 昨日、いつものようにサンダル履きで出かけたはいいが、どうしたことかバランスを失って花屋の店先で転倒してしまった。もっていた傘が使い物にならないくらい歪んだので、ドスンという相当の転倒だったのだろう。周りにいた人が驚いて振り向かれたのを覚えている。大人の転倒は、どこかおかしげで悲哀があると客観的に思う。左半身を打撲し、擦り傷の後もある。また、おそらく、無意識のうちに強制的に筋肉が収縮したのだろう筋肉痛も打撲痛とあわさって、どうしてこうも左半身ばかりを痛めるのだろうかとさえ思う。

 さて、『宙返り』の下巻を一気に読んでしまった。それは、下巻に入っての新しい展開が急速に進んでいるからでもある。

 新しい活動の舞台が、愛媛県喜多郡真木町に移る。かつての信者である関西支部(建設会社の曾田氏が中心メンバーで、曾田氏は古賀医師と友人)が「燃え上がる緑の木教団」の跡地を買い取っていたので、そこを中心に新しい活動が展開されるという設定である。

 この設定によって、師匠(パトロン)の活動が、「燃え上がる緑の木教団」に続くものであると同時に、この地は、『万延元年のフットボール』やそのほかの大江健三郎のほとんどの作品の舞台となった地であり、万延元年の一揆、明治期の一揆、戦後の反乱(「先のギー兄さん」と呼ばれる人の指導で行われた農村改革の一つ)、『燃え上がる緑の木』のギー兄さんらの歴史を継ぐものとなる。

 この地は、もちろん実際に大江健三郎の故郷でもあるが、「テン窪」と呼ばれる森に囲まれた閉鎖された社会が小説の主要舞台となるのである。

 『宙返り』では、『燃え上がる緑の木』の「サッチャン」や「ギー兄さんの息子(「ギー」と呼ばれる)が重要な役割を果たしていく者として登場し、これが『燃えあがる緑の木』の続編(もちろん、独立した物語であるが)であることが意識されている。

 「第17章 場所には力がある」は、新しい活動の拠点となる「テン窪」がそうした歴史を有し、その歴史を継承するものとなることが語られる。

 「第18章」と「第19章」は、「受容と拒否」と題された二つの章であるが、その主題は、新しく移動してくる師匠(パトロン)の教会に対する町の人々の反応を描いたものである。この設定は、当然のことながら必要な設定で、それが社会における「新しい活動」の位置づけともなっていく。

 「第18章」で、まず、「燃え上がる緑の木」の「サッチャン」と師匠(パトロン)が対話する場面が描かれ、「サッチャン」がどのようにこれを受けとっていくかが語られているが、その中で、師匠(パトロン)が「救い」について述べる内容が興味深い。師匠(パトロン)は、救いについて次のように言う。

 「私自身の救いへの考え方というか、救いのイメージというか、それは「宙返り」して十年間考えているうちに、しだいに単純化されたと思います。数学の易しい公式のようなものになったとさえ思います。人間が死について考える際に、あるいは死に臨んで、自分の生と死がこれでいいのだと確信を持つことができる。「すべてよし」(傍点)と、自分の生および死についていいうるようになる。つまりそれが、救われるということではないか?
 私の新しい教会では、信者たちがおのおの死を考えて、また実際にそれを前にして、確信を持って「すべてよし」(傍点)という。ハレルヤ!というのでもいい。それが無理なくできる方向へと導く。これが教会運動の基本的な方向づけです。そのために、真に悔い改めるのです。世界の終わり、時の終わりを本当に認識することから、それが達成されると思います。」(44ページ)

 これは、また、大江健三郎の正直な心情かもしれないと思ったりする。救いは、確かに、存在の肯定そのものにほかならない。人間がその確信を得ていこうとする所に救いへの道も、また、ある。

 物語としては、「サッチャン」は、この師匠(パトロン)の「救い」を受け入れ、また、師匠(パトロン)も「燃えがある緑の木」の活動を理解し、こうして、協力と継承が行われていく。「第19章」は、新しい活動が、たとえ急進派が加わったものであれ、実際のオウム真理教とは異なっいぇいることが詳細に論理づけられていく章でもある。

 「第20章 『静かな女たち』」は、新しい活動の構成メンバーとなった「静かな女たち」と呼ばれる女性グループについて述べられることを中心に、教会の新しい活動が地域の中で展開されていく実際を語ったものである。「燃え上がる緑の木」の農場が受け継がれ、古賀医師は町の診療所の医師を引き受ける。ただ、「静かな女たち」のグループは、独自の雰囲気を持つグループとなり、それによって、アメリカのファンダメンタリズムや多くの原理主義の一つの類型ともなっていく。

 こういう視点は、やはり、大江健三郎が、宗教教団というものをしっかり捕えている所から出てくるのだろう。ファンダメンタリズムや原理主義は、一つの矮小な現実によって壊れていくことも大江健三郎は知っている。

 「第21章 童子の蛍」は、「燃え上がる緑の木」の「ギー兄さん(救い主と呼ばれた)」の息子である「ギー」を中心にした訓練された中学生のグループで、やがてこれが、新しい活動の重要な役割を果たしていくこととなることが示される章である。「童子の蛍」のグループは、やがてはこの土地に残るか、この土地に帰ってくるか、この土地を根拠として生きるかを決意したグループで、いわば、これは「未来」を表すグループにほかならない。「育雄」は、このグループと接触し、このグループとともに「未来」に向かう者となっていく。

 大江健三郎の子どもの描き方は、どの作品にも共通の特徴があり、それは「子どもらしさ」ということからは縁遠い存在であり、ただ「未来を切り開く者」の象徴として扱われる。これは、重要なことでもある。

 この章の中で、「ギー」と師匠(パトロン)が語りあう場面が描かれ、そこで、「ギー」が「神を信じるとはどういうことか」と問うのに対して、師匠(パトロン)は次のように答える。

  「私にとってみれば、神を(傍点)ということと、信じる(傍点)ということを、ひと続きで口にすることができなくなっているということですね。しかし、これまでの永い経験からいうのですが、神を(傍点)から切り離しても、信じる(傍点)ということは言えると思います。難しくなりますが、信じる(傍点)、ということは、自分自身を垂直的にとらえるようになることです。水平軸にそってだけ考えを進めなくなる、ということなんですよ」(129ページ)

 これもまた、大江健三郎自身の、宗教に対するというより、生き方全体に対するひとつの姿勢でもあるように思われる。この点では、大江健三郎は極めて実存的である。

 「第22章 よな(傍点)」は、育雄が「童子の蛍」のグループから、「ヨナ」ではなく「よな」と呼ばれることが示される章であり、ここで再び、『ヨナ書』の主題が展開される。

 結局、ニネベの町の破滅を伝えたヨナが、ニネベの町の人々の悔い改めによって、その言葉通りにはならず、苦しむ。聖書は、そのヨナに「とうごまの木」によって神の憐れみが伝えられて終わるが、育雄は神に抗議するヨナを考え続ける。それは、「宙返り」によって宣べ伝えてきた神を裏切った師匠(パトロン)と先の案内人(ガイド)の問題でもある。『ヨナ書』が、本書の基調である。木津は、新しい活動の拠点となる礼拝堂の壁面を飾る絵に、師匠(ぱとろん)と「よな」の姿を描くようになる。木津の癌は進行する。

  「第23章 技師団」は、かつての急進派のグループであった「技師団」(実際的行動グループ)がどのようにこの新しい事態を受け止めて参与しているのかが述べられる章である。彼らは新しい活動の農場運営と建築などの具体的な面を担当する。しかし、彼らが求めるのは、知識人として、どこまでも理性の一貫性である。

 だが、理性(知識)の一貫性は、現実の矛盾の中で敗れざるを得ない。現実の矛盾を貫く一貫性を、かれらはもたない。ただ、古賀医師と曾田氏は、年齢のこともあるだろうが、この矛盾を許容する理性をもつとも言えるだろう。

 「第24章 聖痕(傍点)はいかに受けとめられたか」は、師匠(パトロン)にある脇腹の傷(聖痕)が悪化したことによって、それが知られ、それがそれぞれのグループでどのように「聖痕」として受けとめられていったかを述べた章である。

 この章の中で、先の「燃え上がる緑の木」にも関与したもと中学校長夫人の「アサさん」が、「師匠(パトロン)と「案内人(ガイド)」について次のように述べるくだりがある。それは、大江健三郎が、おそらく、『ヨナ書』とともに、もう一つの隠れた基調としているダンテの『神曲』を明白に示す場面でもある。

 『ヴィルジリオ(ダンテが地獄に行ってすぐに現れて、煉獄の一番高い所まで同行し、そこからさらに高く天国へと昇っていく弟子と別れて、自分は永遠にある者として、ひとり地獄へ帰る)は、初対面のダンテが叫んだ通り、詩を作るすべての人の師匠(傍点)であるし、また地獄から上昇する旅の案内人(ガイド)でした。ヴィルジリオが単独で受け持った役割を、あなたたちの指導者たちは、ふたりひと組で担われたのではないだろうか?』(192ページ)

 この言葉は、師匠(パトロン)がどういう人間であり、また、これからの彼の歩みがどういうものであるかを示唆する点で面白い。大江健三郎は、師匠(パトロン)を『神曲』のヴィルジリオとして描いていることを自ら明白にしている。(もしかしたら、これは大江健三郎のずるさとサーヴィスかもしれないが、こういう所は本書の最終章でも現れているような気がする)。

 師匠(パトロン)の傷は、「聖なる者の苦しみのしるし」としての「聖痕」として受けとめられていく。そして、そう受けとめられることによって、「静かな女たち」のグループも「技師団」のグループも、ひとつになっていく。まことに「人々はしるしを求める」なのである。集団が一つになるのにもっとも効果的な方法は、「犠牲の羊」をもつことである。師匠(パトロン)の傷は、その「犠牲の羊」となり、やがて、師匠(パトロン)自身が、「燃え上がる緑の木」の「ギー兄さん」と同様、「犠牲の羊」となる。

 「第25章 テン窪を舞台とする芝居」は、木津の癌が進行・悪化し、それに関連し、育雄の過去が語られる。育雄は、かつて、自分を同性愛に弾きいれた家庭教師を、神の「ヤレ!」という声を聞いて殺害したと木津に告白する。これを、どうして大江健三郎が「芝居」と題したのか、今のわたしにはわからないが、おそらく、やがては活動の中心になっていく育雄について、ここでその姿が明瞭にされたことと「宙返り」前のことを冗談として神をコケにしたこととの関連かもしれない。木津は、これらの活動を示す者として、「よな」としての育雄と聖痕をもつ師匠(パトロン)の両者が並んでいる図を描く。

 「第26章 未編集ヴィデオのような人間」は、「立花さん」の友人で、この活動にヴィデオ記録者として参加していた「飛鳥さん」(風俗で働いていたという設定になっているが、その設定はあまり掘り下げられない)が倒れた木津の世話を一手に引き受け、その過程で、彼女自身のことが述べられると同時に、ヴィデオのような客観的な記録媒体というものを通しての、という形で、事柄の客観性を再度位置づけようとした章である。

 「飛鳥さん」は、徹底して「仕える人」である。木津を心から配慮する。その意味では極めて魅力的な女性として大江健三郎は描いているような気がする。

 「第27章 『新しい人』の教会」は、彼らが「燃え上がる緑の木」教団が起こったテン窪で始めた新しい活動が、「新しい人の教会」として命名されるくだりである。この名前自体が、この活動の思想と今後の展開を示唆するものとなる。「新しい人」は、言うまでもなく、古い師匠(パトロン)や木津や古賀医師やこれまでのもろもろの過去を引きずった人々ではなく、文字通り、「未来を生きていく人」である。

 この「新しい人」というのが聖書から取られた言葉であることが師匠(パトロン)自身によって告げられる。引用される聖書の箇所は2か所。いずれも『エフェソの信徒への手紙』からである。

 「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を破棄されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(新共同訳 エフェソの信徒への手2章14-16節)

 「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(新共同訳 エフェソの信徒への手紙 4章22-24節)

 大江健三郎がここから「新しい人」の概念を導きだしたことは明白であるが、彼の概念は聖書から離れた独特の意味をもっている。ただ、この物語では、「苦難の十字架による和解」と「隔ての壁を壊す」ということが、実際の「新しい人の教会」の置かれている現状を打ち砕くものとして強調されていく。
大江健三郎の「新しい人」については、『新しい人よ目覚めよ』(1983年 講談社)にもその表題として使われているが、こちらは、ウィリアム・ブレイク(17-18世紀イギリスの詩人)の後期の詩『ミルトン』の序の一節「Rouse up, O, Young men of the New Age !」から取られていると言われている。しかし、大江健三郎が「新しい人」という概念を大事にしていることは間違いない。

 「第28章 奇跡」は、「聖痕」をもつ師匠(パトロン)を描いていた木津の癌が消え去るということが起こったことが述べられている。ここでは、「癒し」の問題も大きい。

 この章の最後のところで、師匠(パトロン)が木津に向かって次のように語ることが、大江健三郎自身の在り方を知る上でも興味深い。

  「超越的なものには、・・・想像力はないのです。その点、スピノザはつくづく正しい。神という言葉を使うとすれば、神に想像力はない。キリストが十字架にかかるくだりを福音書で読むたびに、神の子にも想像力はない、と思います。キリストには、神の作りたもうた、また神そのものであるこの世界と、その進み行きがあるだけです。<わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか>。こう叫んで、しかもすべてを受け入れます。
 しかし、反キリストには想像力がある。むしろ想像力しかない、といってもいいほどです。私は反キリストの作法で「新しい人」の教会を建てようとしています。」(309ページ)

  「第29章 教育」は、「新しい人の教会」という概念のもので展開されるそれぞれのグループの姿が描かれていく章である。

 この章で、木津が描いて礼拝堂に掲げられた師匠(パトロン)と「よな(育雄)」の絵が、ワッツの「予言者ヨナ」と似ていることが述べられる。大江健三郎は、むしろ、ワッツの「予言者ヨナ」からインスピレーションを受けることが大きかったのだろうと思われる。

 ワッツとは、G.F.ワッツ(George Frederic Watts-1817-1904-)のことで、わたしは、まだ、彼の「予言者ヨナ」という絵を見たことがないので、何とも言えない。

ま た、預言者ヨナの最後について、グレゴリウスの説が紹介され、大江健三郎が、ここからも索引のインスピレーションを受けていることが明かされている。グレゴリウスは、「ヨナがイスラエルの滅亡を予見し、預言者の祝福は次第に異教徒達へ移りゆくことを予覚するにつれて、・・・ヨナは布教よりその身を退き、彼の教団の事情を疑問視し、古き高位と高職の法悦の塔を捨てて、自らその身を悲嘆の海へ投じた」と語る、というのである(336ページ)

 わたしはここで引用されている「グレゴリウスのヨナ書の解説」を知らない。初代教父のニッサのグレグリウスかグレゴリウス1世なのか、それともグレゴリウス13世なのかもわからない。ただ、いずれにしても、大江健三郎が『ヨナ書』に関してかなり綿密に注解を調べただろうことは想像できる。もちろん、この「グレゴリウスのヨナ理解」は、それ自体あまりにも我田引水的で、聖書学的に見ても聖書の注解とも言えないが、物語の中では意味をもつ引用ではある。

  「第30章 案内人(ガイド)の思い出」は、「新しい人の教会」の記者会見という形で、これが客観的に検証される場面であるが、この中で、もと中学校長の妻「アサさん」が「テン窪」の歴史と「新しい人の教会」について次のように語るくだりがある。これは、大江健三郎の連続する作品について自らが語ることでもあると思われるので下記に記しておく。

 「小説家の私の兄(こういうことで大江健三郎の作品の連続性を示唆するのだろう)は、人間のやることはたいていのものが、わずかにズレをふくんだ繰り返しだ、と書いたことがあります。単なる繰り返しじゃない、ということです。
 どちらもメイスケさん(万延元年の一揆の指導者)と繋がりのある二度の一揆に始まって、先のギー兄さんの根拠地(傍点)、新しいギー兄さんの「燃え上がる緑の木」の教会に到るまで、それぞれがわずかにズレをふくんだ繰り返しでした。ズレが生産的なんです。
 そこで、ということですが、師匠(パトロン)と皆さんの新しい教会も、これからはこの土地に建てられてゆきます。そうですからね、これまでここで起こった出来事の繰り返しに見えることもあるでしょう。あるいはあなた方が別の所でなさろうとしたことの、繰り返しのようかもしれません。しかし、ズレをふくんだ繰り返しであるはずだと思います。」

  「ズレ」が生産的である、という視点は、思想的にも重要だろう。人は、少しずつズレながら生きていく。それが生産いうことかもしれないから。

 「第31章 夏の集会」は、いよいよこれまでの歩みが集約されて「新しい人の教会」の出発点ともなる「夏の集会」についてであるが、物語はここから一気に加速していく。集会は企画する育雄を中心に成功裡に始まっていく。しかし、その終わり近く、集会の中心ともなる師匠(パトロン)の説教の前に、師匠(パトロン)は錯乱状態に陥り、死滅の恐怖に襲われる。そして、それによって、「静かな女たち」や「技師団」の信頼も、育雄の信頼も、失うのである。

 「第32章 師匠(パトロン)のために」は、第31章に続いて、師匠(パトロン)への信頼を失った「静かな女たち」が、自分たちの信仰を一気に成就するために集団自決を決意し、「技師団」もまたそれに手を貸すことを決意する動きに出たことから始まる。新しい出発となり、集会の中心となるはずであった師匠(パトロン)の説教も、中途半端な色あせたものとなる。

 それは、たとえばファンダメンタリズムや原理主義、知性の一貫性を求めることは、結局は、師匠(パトロン)が下っていったような地獄のままであることを認めることができずに、言いかえれば、結局は人間が罪深いものであることを認めることができずに理想主義に走るということでもあるだろう。

 育雄は、古賀医師と図って、「静かな女たち」が自決用に用意した毒を強烈な下剤とすり替えて、この事態を現実的に回避する。しかし、そのフィナーレを飾るはずであった檜(かつて「燃えあがる緑の木」の「ギー兄さん」が最後に燃やしかけた檜)を燃え上がらせるという場面で、師匠(パトロン)は案内人(ガイド)の張りぼてをかぶって自ら焼死する。「宙返り」後の師匠(パトロン)によって救われ、師匠(パトロン)の世話をしてきた「立花さん」と「森生さん」も師匠(パトロン)と死を共にする。

 大江健三郎は、おそらく、こうして「悔い改め」を語る師匠(パトロン)の苦難が成就することを語るものであろう。それは、「苦界に身を投じたヨナ」であり、「地獄に留まるヴィルジリオ」であり、また「犠牲の羊」の姿でもある。

 こうして、「新しい人の教会」は、先の「燃え上がる緑の木教団」と同様、終結を迎えたかに見える。しかし、大江健三郎は、「ズレ」を「終章 永遠の一年」で語る。これがなければ『宙返り』の意味はない。

 この章の中で、この活動の歴史を「荻」青年が記すことになり、「新しい人の教会」が育雄(もはや「よな」とは呼ばれない)と「踊り子」(ダンサー)を中心にして、残った「静かな女たち」(激しい下痢をすることでもはやファンダメンタリズムをもたなくなっている)と「技師団」の残り(他の者は去ってしまう)、そして、次の「救い主」となると考えられているギー(童子の蛍-土地に根づく者)によって継承され、発展していく姿が描かれる。

 ただしこの章の中で、「第5章 モースブルッガー委員会」で示された「荻」青年と津金夫人との性交場面について、「荻」青年が自らそれを描く必要がないのではないかと語ったということが、462ページに記されているが、こういう書き方はずるくて、これもまた不要ではないかと思ったりする。

 しかし、より重要なことは、最後に、木津の最後の場面が描かれ、そこで育雄に残された言葉である。
木津は、最後に、「育雄、ヤハリ、神ノ声ガ聞コエナクテハ、イケナイカネ?神の声は、イラナイノジャナイカ?人間は、自由デアル方ガ、イイヨ」と語る。「オレハ、神ナシデモ、rejoiceトイウヨ」と言う。

 カタカナで表記されていることも特別な意味をもつが、これは、「神なき時代」に生きなければならない現代人の一つの声でもある。「神の死」の概念は、現代の人間の在り方に重要な意味をもつ。「神なし」で人間が本当に自由でありうるのかの問題は別にして。

そ して、育雄は、「神なしの教会」ということに対して、「教会という言葉は、私らの定義で、魂のこと(傍点)をする場所のことです」と答える。

 この言葉で本書が終わっているのは、重要な意味をもっているだろう。

 いずれにしても、少し時間がかかったが『宙返り』を読み終わった。読みごたえのある内容であり、決して『燃え上がる緑の木』の続編としては簡単に言えない重みのあるものである。

2009年10月23日金曜日

大江健三郎『宙返り』(6)

 天気予報では秋晴れだが、目覚めた時は雲が広がっていた。昨夜、ビールを飲んでそのまま眠ってしまい、1時半ごろに目覚めた。昨夜は、それから明け方まで、ずっと『宙返り』を読んでいた。昨日、今日と、いくつかの委員会があったり、実務的なことが多かったりして、どうも集中できないでいるし、時間も足りない。こういう日常的な実務は、仕事上処理していかなければならないにしても、なんと意味のないことだろうと思ったりもする。しかし、人生はまた雑務の連続でできているのだから、手を抜くこともしないでいる。

 さて、『宙返り』の「第13章 追悼集会のハレルヤ」の続きであるが、この集会の中で、「宙返り」後も信仰を保っていた女性グループのリーダーである重野夫人が、師匠(パトロン)の説教に答える場面が描かれている。これも師匠(パトロン)の「宙返り」と第二次世界大戦後の天皇の「人間宣言」とを並べて、意味を持つものと思われるので、抜粋しておく。

 「(師匠-パトロン-の「宙返り」は、)神の子から人間に戻ったというよりも、もともと普通の人間だったのだということですが、それこそ師匠(パトロン)の「人間宣言」ということではなかったでしょうか?ラジオのかわりにテレヴィで、滑稽なほど愛嬌のある身ぶり手ぶりでしっかり「人間宣言」されましたよ。
 そこで私は、師匠(パトロン)の「宙返り」を理解したいという一心で、あらためて天皇様の「人間宣言」を見直してみようとしたのです。「宙返り」の後、若い方はみなさんエモーショナルになられたけれども、私はそういう年でもございませんでしたしね。そしていろいろ考えて私の辿りつきました結論は、こういうことです。
 天皇様は確かにあの時「人間宣言」をなされたけれども、この国で、この国の人間の心で、天皇様のことはなにも変わりはしなかったのじゃないか?長くなりますから詳しいことははしょりますが、そこで私は師匠(パトロン)のことも次のように考えたのです。師匠(パトロン)はいま、自分は神に直接繋がる者ではない、といわれた。そうであれば、これはどうにも仕方ないのではないか?これから師匠(パトロン)は、神から切り離された師匠(パトロン)として生きられるのだ。私は仲間の人たちと、神と直接繋がっていない師匠(パトロン)を信仰し続ける者となろう。そのように覚悟いたしたのです。」(368-369ページ)

 「今日の説教で、あらためて自分は神と直接繋がる師匠(パトロン)に戻ったと軽々にはいわれなくて、本当によかった、と思います。苦しみに苦しまれた師匠(パトロン)が、私たちのところに戻って来てくださって、活動の再開を呼びかけていられるのです。私たちがやはり苦しい十年の後でお迎えするのに、これ以上ふさわしい教会のあるじはいられないと思います。いまあられるままの師匠(パトロン)でいいのです。」(369ページ)

 こうして、「宙返り」後の師匠(パトロン)の新しい出発は受け入れられていくのであるが、天皇の「人間宣言」がいったいどんな意味を持つのか、それは、この国の形を考える上では極めて重要な問題でもあるので、この女性リーダーの発言として記されていることは、その後の「新しい教会」の展開が述べられる上でも重要な意味をもつだろう。

 「第14章 まぜ、いま師匠(パトロン)は帰って来たか?」は、追悼集会後の記者会見をとおして、かつての急進派のひとりである古賀医師の見解を述べることによって、案内人(ガイド)を死にやった側としての急進派もまた、この「新しい教会」の出発に参与していくことが述べられ、「宙返り」後に、新しく仲間となった「立花さんと知的障害をもつ弟(森生さん-この弟が後で重要な役割を果たしていくことになる)」の受容が述べられる。

 この「立花さん」の言葉で、「世界の終わりということも、イエスが十字架につけられて復活されたことと同じに、歴史の時間のある一点で行われたことであると同時に、私たちがつねにそれとともにある出来事だと思います」ということが述べられている。これが、終末思想の基本的視点であるということも興味深い。

 「第15章 積年の疲労」は、新しい案内人(ガイド)となった木津の抱えていた癌が進展し、一年ほどの余命となったことが語られ、それは、ある意味では、個人的終末を迎えた時の一つの展開であろう。「第16章 臨床家」は、かつての急進派に属していた古賀医師のこれまでの歩みが語られたもので、自閉的症状に陥り、そのことによって母親を死に追いやった経験を持つ古賀医師が、いかにして、かつての師匠(パトロン)と案内人(ガイド)の信仰に入り、また、その「宙返り」を経験したのかが述べられる。

 ここで引用されている二つの詩

 「はかなしとまさしく見つる夢の世界をおどろかで寝るわれは人かは」と
 「おのが身のおのが心にかなはぬを思はば物を思ひ知りなむ」

は、両方とも和泉式部の歌である。両方ともおそらくは恋歌であるが、大江健三郎は、これを自閉的になった古賀医師へのどうにもならない悔しい思いをもつ母親の心情として用いている。

 この古賀医師が「宙返り」前に師匠(パトロン)が語ったこととして次のように述べている。

 「この堕ちた世界で決着をつけないかぎり、どこに逃れても魂にとって窮境は続く。ここから逃げだすことが救いであることはありえない。そのように、きみの魂は、肉体を備えたきみに声をかけているのだ。・・・
 魂の声を聞きとる者がやらねばならないのは、この世界が堕ちた世界であり、人間は汚れた存在だと目覚めて、つまり悔い改めて、この堕ちた世界の終わり、時の終わりを迎えるよう務めることだ。既にその魂の声を聞く者らが多数現れて来ている以上、世界の終わり、時の終わりが遠いはずはない。むしろ、それはごく間近に迫っている。悔い改めた者としてその到来を準備し、率先してそれを迎え入れることが、すでに魂の声を聞いている者の役割なのだ。そのように覚醒している人間は、きみひとりではない。きみのように大きく痛ましい苦しみをへてきた人間こそ稀であるにしても、私はそのように目覚めた人間の教会を組織している。」

 おそらく、この思想は『燃え上がる緑の木』でも展開された思想で、終末論とそれを生きる人間の姿の一つの類型として大江健三郎が描き出すものであろう。その意味では、「宙返り」と「終末の遅遠」は、決して無関係ではない。

 物語は、いずれにしろ、こうして「新しい教会」の構成メンバーがそろい、いよいよ新しい出発の段階に入る。上巻がここで終わっているというのは、上巻が「新しい教会」の準備の書であるということだろう。これは、心憎いまでの演出でもある。

2009年10月22日木曜日

大江健三郎『宙返り』(5)

 今日は午後から委員会で早稲田に出かけなければならないが、少し早く目覚めたので、掃除と洗濯をして、これを書き始めている。相変わらず、秋の過ごしやすい気候だが、騒音にみちている。何通かのメールを読み返事を出すが、あまりにも依存度の高いメールにはどこか腹立たしささえ感じる。

 さて、『宙返り』であるが、319ページに、新しい案内人(ガイド)となった木津の思いとして、ここまでの『宙返り』全体の筋が簡略に述べられている。

 「救い主という呼び名から想起もする、いかがわしさがその属性の一部をなしていた人物と、同じく預言者と呼ばれていた男の二人組が、自分らの信者たちを放棄する「宙返り」を行い、十年間、かれらのいう地獄に降りていた。いま悔い改めのための運動を再開しようとしている。世界の終わり、時の終わりを人々に深く認識させ、備えるために。」

 大江健三郎は、このことを、繰り返し、繰り返し、それぞれの登場人物の立場で述べ、「悔い改め」と「回復」が何なのかを述べようとするのである。「終末(世界の終わり」、「人間の罪性」、「悔い改め」、「回復」それらがキーワードなのである。

 「第12章 新しい信者のイニシエーション」は、「宙返り」後もなお信仰を持ち続けて共同生活を行っている女性のグループについての物語である。彼女たちは、静かに祈りの生活を行っている。そして、このグループが、新しく再生される「教会」の中心メンバーのひとつにもなっていく。

 大江健三郎が、ここで「イニシエーション」という言葉を使っているのは、明らかにオウム真理教がこの言葉を使って信者の訓練を行っていたことを意識してのことであろう。initiationは、元々は、開始、入会、手続きなどを意味する言葉であるが、オウム真理教は、この言葉で、信仰の儀式を意味させていた。だから、大江健三郎は、ここでは、ただ静かに祈りをささげること以外のことを語らないのかもしれない。

 「第13章 追悼集会のハレルヤ」は、亡くなった案内人(ガイド)の追悼集会で、12章で語られた女性グループや案内人(ガイド)を死に追いやった急進派のグループとの新しい和解が成立していく過程を述べた章である。

 ここで、師匠(パトロン)の長い説教という形で、この新しい「教会」の思想が述べられる。それは、『宙返り』が語る、ある意味で、「悔い改め」と「恢復」のヴィジョンでもある。少し長くなるが、以下に抜粋する。ただし、物語から離れて、それを神学として見るならば、それは、汎神論的でもあり、スピノザの汎神論に近いものといえるかもしれない。あるいは、K.バルト(K. Barth)の言う「啓示神学」も混入されていると見られないこともない。物語の本質からいえば、神がどうであるかということはあまり問題にならないからである。大江健三郎には、元々、そのような視点はない。「神」が問題ではなく、「神を信じて生きるということがどういうことか」という人間の姿が問題であり、その意味では、大江健三郎は、徹底して実存的であるとも言えるであろう。

 「神はこの世界を作り上げている自然の総体だ、というのが根本です。私たちが信仰を抱いて生きることは、正確にかつ豊かにその総体を認識していくことであって、それをよく成し遂げた時、私たちのお認識そのものが、そもそもの初めから神による認識であったことがわかる。神から私たちに流入しているものの働きによって、私たちはその認識に到り、それを言葉にすることもできるのだ。
 「宙返り」の際、自分らの神学を冗談だといった私の胸のうちには、それをひねくうたもうひとつの悲惨な神学が芽ばえていました。この惑星の総体をなす自然は、いまや人間の環境として破壊され続けている。それがすでに後戻り不可能であることも見えている。神としての自然の総体が-それは人間をもふくんでいるが-破壊され続けているのである。自然の総体である神が、回復不能の病におかされていることになる。
 しかも、その破壊された神、不治の病を病む神という、ただいまの私たちの認識は、そもそもの初めから神の認識のうちにあった。いま私たちは、もう遅すぎる認識を、破壊される神、病む神から、赤ん坊への母親の口移しの言葉のように、導かれているにすぎない。破壊され、恢復しえぬ病に死のうとする母親が、彼女とともに滅びるほかない赤ん坊に、初めからわかっていた成り行きを口移しに話している。そういうことなのだ。
 私はいま、「宙返り」の際に自分の新しい神学としたものに根ざしながら、次のようにいいたい。私ら赤ん坊の側からいえば、母親の死と相前後して死ぬほかない自分らが、このように破壊され、恢復しえぬ病におかされている。それがそもそもの初めの神の認識のうちにあった、というのは正しくない。赤ん坊の私らにそう言いたてる権利はある。その熱を出した赤ん坊のウワゴトが瀕死の母親に聞きとられ、まともな文脈にのせられて子供の口に戻される。その母と子の対話にこそ、人類の心からの悔い改めがあるはずだ。世界としての自然、すなわち神を破壊し、恢復しえぬ病にした、その実行者は人類なのだから。神へ抗議するやり方によって、悔い改めを導く者、反キリストの教会は、そのようにして建てられるのではないか?
 これが案内人(ガイド)を喪い、瞑想のヴィジョンを読みとくすべを失った、そしてなお「宙返り」を引きずっている私の、いま辿りついている地点です。私はこのような悔い改めに向けて、活動を再開することを決意したのです。
 キリストの、辱められた死の意味が疑えないように、反キリストの地獄に足を踏み入れた後の、死にものぐるいの奮闘にも、意味はあるはずです。そうでなければ、神は世界を造り出したその最初の認識において、どうして世の終わりに向けた反キリストの、多数の出現を構想されたでしょう?神こそが、その造り出したすべてのもののうち唯一冗談に解消されない、つまり「宙返り」をする理由を絶対に持たない存在なのです。」(362-364ページ) 

 この師匠(パトロン)の説教の中には、ここでもっとも深い問題となっているのが、「宙返り」をして、人間、つまり、裏切り、罪を犯し、徹底的なまでに恢復不可能となった存在の、その深みにおける意味である。「悔い改め」は、その意味を知ることである、ということが明瞭に示されている。

 案内人(ガイド)の追悼集会において、木津もまた、こう祈る。それは、神を信じることができない者の、言い換えれば、非信仰者の祈りである。

「私はあなたに呼びかけていながら、じつはあなたについて確信を持たぬ者です。しかし私はこの若者を通じて、自分のすべてをあなたに託します。」(366ページ)

 大江健三郎は、東京女子大学の講演で『信仰なき者の祈りについて』語っているが、この木津の祈りは、おそらく、大江健三郎そのものの「祈り」ということに対する姿勢でもあるだろう。

2009年10月21日水曜日

大江健三郎『宙返り』(4)

 秋風の中で、晴れたり曇ったりの天気が続く。コスモスが優しげに風に揺られている姿を思い起こさせるような天気である。いつものように、少しあわただしい日々が過ぎていく。

 昨日、『宙返り』上巻を読み終わった。「第10章」と「第11章」は「通夜躁病は果てしなく続く」と題される二つの章であるが、共に、ついに案内人(ガイド)が死に、その追悼集会とその案内人(ガイド)について述べられたものである。

 第11章で、亡くなった案内人(ガイド)の父親について師匠(パトロン)が次のように語っている所が興味深い。(307-309ページ)

(長崎での被爆後)「赤ん坊の案内人(ガイド)を、母親の遺体の収容先で発見して、引き取ってくれた伯父の医師は、信仰の厚い人だった。・・・・
 長崎の原爆の際、父親は中国の戦場にいた。復員して来たかれは、まだ五島列島の疎開先に暮らしていた義兄の家を一度だけ訪ねて来た。しかし息子を引き取っていかなかったばかりか、医院を再建して伯父一家が長崎市内に戻ってからも、まったく連絡がなかった。一度だけ義兄を五島列島に訪ねた際も、福音将校は普通でなかったのである。酒を大量に飲んで、かれはこういう話をした。
 中国で日本人将校が言語につくせぬ残虐行為をするのを自分は見た。もし自分にも同じ残虐さで農民を殺戮し、婦女を強姦することをもとめられるならば、抵抗したいと考えていた。一方で、自分が同じことをやらないというだけではだめなのではないか、とも考えた。
 あわせて、軍医として戦線にあることにも気がかりを感じることになった。魯迅が次のように書いているのを読んだから。要上戦場、莫如做軍医、・・・既英雄、又穏当。戦場に出るなら、軍医になるがいい。・・・英雄であって、しかも安全だ。自分は試されることをまぬがれていた。それが神のおはからいだったのか?案内人(ガイド)が、子供の時から、神のおはからいということを頭に浮かべることがあったのは、育ての親から聞いた父親の話が記憶に残って、ということであったかも知れない。
 ところが復員して見た長崎は、広島に続いて原爆で潰滅させられていた。日本列島においてカトリック信仰がもっとも色濃い市においてそうだった。どんな残虐行為も行わなかった自分の、信仰厚い妻も、娘のような身空で赤ん坊を残して殺されていた。自分は、これこそが神のおはからい、神のみ業だと思う。ある場所で罪が行われる。罪に参加しなかった者も、その場所にいたということのみで、同じ罪のある者ではないか?さらに言えば、神が人間に大きい罰を与える時、それは罪ある人間、罪のない人間を問わないのではないのか?何より人間であることこそが罰せられるのであるから。
 自分はそれを経験によって理解した。自分が生きているのは、人間としてこの苦しみを生き続けるためであり、それを介して悔い改めるためである。自分と同じく、経験によってそれを理解した人間は長崎にみちているはず。自分はそれらの人々とともに、この市を悔い改めた者らの場所として日本列島に輝かせたいと思う。現にそのために働き始めているのでもある。これは大事業で、自分にはいくら時間があってもたりない。しばしば子供に会いに来ることもできないだろうが、このような次第であるから、信仰をひとしくする者として許してもらいたい。」

 ここには、『宙返り』の主題としての「悔い改め」とそこから起こることが、この案内人(ガイド)の父の姿として述べられているようにも思われる。案内人(ガイド)は、結局、この父と同じ道を進んだとも言えるのではないだろうか。

 それに対する現実の対応として、案内人(ガイド)の伯父の判断が、次のように記されているが、それがまた、師匠(パトロン)と案内人(ガイド)の「宙返り」で起こったことでもあるということであろう。

 「しかし、義兄の医師は、リアリストだった。かれは、義弟が正気になり地道な生き方に戻ることはあるまい、と断念するようであった。医師は、原爆直後に妹と甥を探して生なましい放射能の廃墟をうろついた時から、これだけの悲惨が行われても悔い改めに向かう者は少数だと知っていた。大村天主堂の廃墟に立って、集まってくる被爆者たちに焼けただれた母子像を示しながら、悔い改めよ、と叫ぶ者がいれば、人々の投石に殺されるだろう、と考えていた。」(309ページ)

 この記述は、師匠(パトロン)と案内人(ガイド)の「宙返り」後が、その投石にさらされたものでもあることを示すものでもあるだろう。

 ここまで書いて、今日はひどく疲れてしまった。残りは、また明日にしよう。

2009年10月20日火曜日

大江健三郎『宙返り』(3)

 秋の風が吹く気持ちのいい日々とはいえ、相変わらず、車の騒音とビルの改修工事の音、加えて今日はその作業員の大声での会話もあって、まことに黙考にはふさわしくない環境に包まれている。しかし、それが今のところわたしの環境なのであり、この中で小さい秋を見つけることにしよう。

 さて、大江健三郎の『宙返り』をゆっくり読み進めているが、なかなか時間がとれずに停滞気味である。

「第5章 モースブルッガー委員会」は、「荻」青年を中心にした新しい師匠(パトロン)の活動の始まりを述べたものであるが、「荻」青年は、「宙返り」後の師匠(パトロン)に連絡をくれた人々に新しい始まりを伝える活動を開始する。そこで、偶然、兄嫁の友人であった「津金夫人」と再開し、彼女と性交渉をもつ。その性交の場面がかなり濃密に描かれる。

しかし、一概に、大江健三郎が性交の場面を描く際、ホモ行為や肛門性交、あるいは異常な傾向においてもであるが、その行為が詳細に描き出されれば出されるほど、どの場面も個性がない。大江健三郎の初期の作品(『個人的な体験』以前)は、人間の存在の根拠としての「性」の問題に集約されていく所があったが、それは、そこに人間存在のアイデンティティを見出そうとしたからであり、それなりの意味もあった。すべての者が、自分の存在の確かさを求めて性交する。性交は存在の確認行為である。

しかし、『宙返り』において、「荻」青年と「津金夫人」の性交渉の場面を描くことにどれほどの意味があるかのか、今のところよくわからないというのが、正直な感想である。

「第6章 案内人(ガイド)」は、脳の動脈瘤破裂から回復の兆しを見せた「案内人(ガイド)」が、彼の立場からの「宙返り」後の再出発を志そうとする。物語は、神の声を再び聞きたいと願う「育雄」への案内人(ガイド)の対応を語り、それによって、案内人(ガイド)が師匠(パトロン)とは異なった立場から、新しい事態を受け止めようとすることを示すものである。

ただ、この「第一の案内人(ガイド)」は、第8章で、再び動脈瘤が破裂し、回復が困難となり、第二の「新しい案内人(ガイド)」-それは、『宙返り』の観察者であり、「育雄」とのホモ関係を結んだ木津である-が選び出されることになる。運動の継承がこうして起こるのである。

「第7章 聖痕」は、師匠(パトロン)の脇腹に大きな傷があることを述べるものである。もちろん、これは十字架刑の後のイエス・キリストの脇腹にあった刺し傷(聖痕)のことが意図されている。弟子のトマスが、「この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハネによる福音書 20章25節)と語ったのは有名な話である。

師匠(パトロン)の傷は、傷跡ではなく生々しい傷である。その傷が、十年前に「宙返り」をした時も開いたままだったのか、あるいは、その後の十年に傷ついたのか、あるいはまた、新しい活動を開始しようとする時に開いたのか、不明である(189ページ)。しかし、師匠(パトロン)の脇腹の傷は、キリストの十字架を暗示するものであり、人間の罪と過ちを背負い、それにゆるしと救いをもたらすキリストの十字架が、師匠(パトロン)の「宙返り」とその後の出発に当たることを示唆する象徴的な物語である。「宙返り」が、人間の罪や過ちを負うことと無関係ではないことを示すのである。

 こうした視点は、たとえば、遠藤周作の『沈黙』(1966年 新潮社)での「ころびバテレン」などの主題にも見られるものであるが、人間の罪がどこでゆるされていくのかは大きな問題であり、大江健三郎にとっても、これは大きな問題で、言ってみれば、『宙返り』の主題でもあるだろう。この短い章は、その意味でも、本書の重要な章であるに違いない。

 「第8章 新しい案内人(ガイド)が選ばれる」は、先述したように、かつての教団の急進派の残りに襲われた案内人(ガイド)が、再び回復不可能な脳の動脈瘤の破裂に陥り、新しい案内人(ガイド)として、木津が選出される過程を描いたものである。木津は、自分が描いた水彩画と師匠(パトロン)が語ることの一致によって、新しい案内人(ガイド)としての歩みを確かなものにしていくが、こうした木津と師匠(パトロン)との想念の一致という想定は不要かもしれない。

また、師匠(パトロン)が語る「神」との関係の内容は、古典的な古代ギリシャ思想における人間観(人間は神のエートスをもつ)やグノーシスの神理解に近いものがある。あるいは、スピノザの神観に近いと言えるかもしれない。もっとも、師匠(パトロン)の思想は一種の神秘主義であるのだから、新しい活動がある種の神秘主義に基づくものであることを示す上では、こうしたことは必要があったのかもしれない。

 「第9章 そのなかにすべてが書かれていながら、生きることはそれを書き続けることである本」は、その師匠(パトロン)の神秘思想を述べたものである。ここで述べられている思想自体は、文学者の我田引水的な陳腐なものである。ただ、「人生は一冊の本ごとし」でもあるということではあるだろう。

 今日のところは、ここまでとしよう。今日は、5月に召天されたHさんのことを思い浮かべた。Hさんは、小さい頃に結核や数々の病に冒されておられたが克服され、小学校の教員を長く勤めあげ、わたしがここで出会った人であるが、最後まで、信頼をもって接してくださった方でもある。わたしは、彼女の手術の間中、ずっと病院で彼女の側に立っていたこともある。一日がかりの、癌を摘出する大手術だった。その後少し回復されたが、手術が彼女の寿命を縮める医療行為ともなったかもしれない。Hさんは誠実なキリスト教徒で、短い回復期からお亡くなりになる前まで、「自分がキリストに包まれていることを感じる」とずっと語っておられた。それは、彼女のある種の幸せな神秘体験であるだろう。享年79歳であった。

2009年10月19日月曜日

大江健三郎『宙返り』(2)

 昨夜、どうにもつらいと思って熱を測ったら37度5分あった。空気清浄機と加湿器をつけて休んだので、今朝は、少しは気分がいい。年々、風邪を引くとその「しんどさ」がこたえるようになっている。もっとも、年中風邪気味で、風邪薬を手放したことはないのだから、発熱は別にして、通常といえば通常であろう。手足の筋肉は、相変わらず落ち続けている。だが、季節は「ヴィヨロンのため息」と謳われた哀しい秋の本番であり、体調が悪くても気分が悪いわけではない。「秋は夕暮れ」ではなく、午後の弱々しく、しかし柔らかい日差しの中にいることが「いとあわれ」である。

 大江健三郎の『宙返り』を読み続ける。
 師匠(パトロン)と案内人(ガイド)が「宙返り」(棄教・転向)に至るこれまでの過程が、「第三章 宙返り」の項で、ニューヨーク・タイムズの特派員の記事として語られている。これが物語の展開を抜粋的に知る上で有効なものとなっている。それによれば、

 「教団は二人の中年男によって創立された。ひとりは神秘体験を通じて根本の教義を作って来た。それを、繰り返し確かめなおしもしている。第二の男は、第一の男の神秘体験を言葉にする手助けをする。教団の現実的な世話も、かれがやっていた。特派員は一年ほども取材を続けた。そこで親しくなった指導者ふたりを、Patron, Guideと名付けるようになったらしい。救い主、預言者そのままでは、アメリカの読者の反発をかうということで、そう書いたのかもしれない。・・・
 特派員は教団の取材の終わりがたに「宙返り」の出来事に出会った。外部から見てどういう行動だったかというと、指導者のふたりが警察、公安と取引して、教団内の急進派の反社会的な行動計画を通報した、ということだね。
 オウム真理教にくらべれば小規模なものだが、伊豆にあった研究所が活動の拠点で、原発を占拠する計画が中心だった。研究所には原子物理学のドクターもいた。原発の爆破をひけらかして、指導者の教義を民衆に押しつける、少なくとも世界の終りに向けて、悔い改めよ、と説教するつもりだった。あるいは二、三箇所の原発を実際に爆破して世界の終りの接近を実感させようとしていた。その上での、悔い改めをという計画だった。まずこの国の状況を危機的に流動化させる、というのならば、政治的な過激派もそれをもくろむんじゃないか?しかしこちらのターゲットは原発だからね。もともと黙示録的な教義でもあるわけだ。
 教団の指導者にしてみれば、内部の急進派を抑えきれなくなって、警察、公安に泣きついた、ということだろう。それがありうると見てとってというか、急進派は全国に散開する作戦に出ていた。それらの行動隊が、いつ、どこで原発占拠に出るかわからない。そこで指導者たちはマスコミに記者会見を申し込んだ。とくにテレヴィには、どういうことをやるかをあらかじめ示して、集中的な取材をもとめた。もちろん当局の援助があっただろう。
 そして全国に実況中継するテレヴィカメラの前で、第一の指導者が、今の言い方でなら師匠(パトロン)が、声明したわけだ。いま全国に散っている教団の急進派に告げる、原発占拠の作戦を放棄せよ。自分らは人類の救い主でもなければ預言者でもない。これまで説いてきた教義は、まるっきり冗談だった。自分らは教団を放棄する。これまでいったりしてきたことは、単なる悪ふざけであった。それをわれわれが告白したのである以上、いまただちに信じ続けることを止めよ。
 とくに急進派の諸君は、われわれの教団が、冗談の上に築かれた砂の城であることに気付いてもらいたい。自分らは人類の救い主を演じ、世界の終わりへの預言者を演じることを楽しんで、壮大な言葉やら厳粛な振る舞いやらを撒きちらした。おかげで存分楽しめたし、二年前には宗教法人となって、冗談の空騒ぎには潤沢な資金が与えられた。しかし、もうこのあたりでおしまいにする。あれらはすべて冗談だったのだ。テレヴィに映る私を見よ。いったいどうして、この私が人類の救い主たりうるか?どうしてここにいる憂い顔のパートナーが、世界の終わりへの預言者でありうるだろう?
 テレヴィが全国中継したこのパフォーマンスで、特派員が使った言葉だとSomersault、つまり「宙返り」が宣伝された。」(97-99ページ)

 こうした事情が明らかにされることによって、この書物が「宙返り」後の救い主(師匠-パトロン-)と預言者(案内人-ガイド-)の物語であることが明瞭に示されていくという構成になっているわけだ。

 それについて、それ以前の「第二章 再開」で、「序章」で語られた少年(育雄)と、最初は出来事の観察者として、やがて自らの癌の末期症状が現れる時に第二の案内人(ガイド)となるアメリカの大学で美術を教える美術家の木津が、アスレティッククラブで偶然再会する場面が述べられているが、そこで二人の間での最初の会話が、旧約聖書の『ヨナ書』をめぐってのものだったことが記されている。

 『ヨナ書』は、その成立年代を特定することにはある種の困難を伴うが、だいたい、紀元前4-5世紀ごろには知られていた4章からなる短い書物で、預言者ヨナの活動を描いたものであるが、旧約聖書の中でも独特の思想をもっている。取り扱われているニネベの町そのものが、紀元前8-7世紀ごろにチグリス川流域に商業都市として栄えた町で、人口12万人以上の大都市である。ニネベは、紀元前724年に北イスラエルを滅ぼしたアッシリアの中心都市で、アッシリア軍はその残虐性を恐れられるイスラエルの強敵だった。

したがって、ニネベは、単に異邦人の町というだけでなく、イスラエルにとってはゆるしがたい敵の町にほかならない。預言者ヨナが、最初にニネベに行けという神の言葉を拒絶したのは、そういう理由があるのである。

しかし、そのニネベは、歴史的には紀元前612年に滅ぼされているので、物語そのものは、その頃のことを語ったものであるだろう。『ナホム書』2章2節―3章19節では、ニネベは滅亡しているが、『ヨナ書』では、ニネベは悔い改めて救われている。

 しかし、『ヨナ書』は、歴史的出来事を語ったものではなく、神の救いの意志を語ったものであり、預言者ヨナが神の救いの意志(悔い改め)を伝えることを否んで魚に飲まれる最初の出来事は、その思想の象徴にほかならない。

この書が旧約聖書の中で独特の思想を展開することのひとつは、ヨナが「悔い改め」を語った町がニネベという異邦人の町であり、敵であり、神に選ばれた神の民としてのユダヤ人以外の者に神の恵みが与えられることが信じられなかった時代に、ニネベの町の人々がヨナの言葉を受け入れ、悔い改め、救われていったことが語られているからである。ゆるしがたい敵であるニネベが救われるということ自体、イスラエルの人々には考えられないことであっただろう。

もうひとつは、「ニネベを滅ぼす」という最初の神の意志が、ニネベの人々の悔い改めによって変えられるということである。神の御心が変わるということ自体、旧約思想の大変な変革を意味している。

 さて、『宙返り』の第二章でこのヨナのことが語られているが(大江健三郎は、J.M.マイヤースの注解を参照し、この点でも、大江健三郎は、厳密に聖書を読んでいる。J.M.マイヤースは、わたしの記憶では、イギリス国教会の神学者で、確か彼の聖書講解説の訳書として日本基督教団出版局の『聖書講解全書』第14巻があったように思う。大江健三郎は、原書でか、あるいはこの訳書でか、これを読んでいる)、悔い改めたニネベの町を見渡して、「とうごま(ひょうたん)の木の下」にひとり座し、自分が語ったニネベの滅亡が実現せずに、ニネベの人々が救われたことについてのヨナの心情について、「ヨナは、自分が失敗し、人々の笑いものになったと考えた」というJ.M.マイヤースの言葉が引用され、「育雄」は、このヨナ書にはまだ続きがあったのではないか、自分はそれを読みたい、と木津に語る。続きは、もちろん存在しないが、もしあったとしたら、それは、人々の笑いものになったヨナのその後の物語となるだろう。それは、「宙返り」によって人々の笑いものになった師匠(パトロン)と案内人(ガイド)の、その後の物語が、本書に当たることを示唆するものである。

 こういう大江健三郎の集中力には、まことに敬服するものがある。彼は、やはり、よく練って書くのである。一つ一つの挿話が、全体の中できちんと位置づけられていくのは、彼が並々ならぬ作家であることを示している。

 「第4章 R.S.トーマス講読」は、師匠(パトロン)が、案内人(ガイド)の回復につれて、知りあった木津によってR.S.トーマスの詩の講読をすることで物語が展開していくが、師匠(パトロン)がR.S.トーマスの詩の言葉に従って自分の思想を再構築していく過程は、少し師匠(パトロン)を陳腐なものにしているように思われ、いただけない。

R.S.トーマス(Thomas)(1913-2000年)は、20世紀を代表する詩人であり、イギリス国教会の牧師でもある。彼は、常に、自分の信仰を問い、現代社会の中で神を探し続けた。ノーベル文学賞の候補にもなったので、大江健三郎が、いかにトーマスの詩が感動的に深遠な神を捜すものであり、テーマに沿ったものであったとしても、彼を引用することに少しのいやらしさを感じるのである。

 しかし、ここでもR.S.トーマスの詩の理解は、厳密にされている。大江健三郎の作品が優れたものになっていくのも、その誠実さにあるだろう。ただ、この詩の引用によって、案内人(ガイド)のゆっくりとした回復に向けて、師匠(パトロン)自身がゆっくりと回復していく姿を示す点では優れている。大江健三郎の主要なテーマは、この「回復」にほかならないから、この部分は重要な部分でもある。
その回復の過程が、師匠(パトロン)による新しい活動の開始となっていく。「第5章 モースブルッガー委員会」は、その活動が再開される過程を描いたものである。

 さて、今日のところはこれまでとしよう。山積みし始めた仕事を少し片付けなければならない。さしあたって、新設された墓地のこととと日曜日の準備である。墓地について思う。墓が天国の入り口であると告げられる人は、なんと幸いなことか。それは、生きている者が知ることはない無の有への転換を意味するだろう。「すべては風に吹き去るもみ殻のようだ」なのだから。

個人的な体調も、変わらず良いとは言えない。肩の張りは、やがて痛みになるだろう。腸も弱くなっているので下痢も続く。痛みの中で目覚めなければならないことは、やはりつらいこと。

 しかし、風は思いのままに吹くし、雲はただ流れ、木々は梢を揺らす。秋の花は、やさしく咲く。今日も、一日がゆっくりと回転していく。まあ、こうして人生が終わっていけばよいと思ったりもする。少し秋の陽の中を散歩しよう。

2009年10月17日土曜日

大江健三郎 『宙返り』(1)

 肌寒い日になった。風邪が少しひどくなったかもしれない。今日は煙草を買いに出る以外には外には出るまいと思う。肉体が養生を強いている。おまけに、竹トンボのように空を舞うヘリコプターと地上を走る車、人工的な騒音が今日も満ちて五月蠅い。

 このところ体が重くて「だるさ」を感じているが、すべてのことが「面倒」と思えるようになって久しいのだから、これはいつものことだろう。何かをするというのは、この面倒くささを乗り切って行われるのだろうが、今のところ、面倒くささが勝っている。とは言え、今日も『愛することと信じること』のデジタル化の作業をし、日曜日の話のために考えた「後の先」ということを考える。

 さて、大江健三郎『宙返り 上下』(1999年 講談社)をゆっくり読み始めた。これは『燃え上がる緑の木』の後、新興宗教教団である「オウム真理教」事件が実際に起こったために、『燃え上がる緑の木』で語られている宗教教団の形成と崩壊を補完する形で、急遽、その続編として発行されたものである。もちろん、『宙返り』は、それ自体独自の物語となってはいる。大江健三郎は、彼の故郷である四国の愛媛県喜多郡大瀬村を下敷きにした閉鎖社会での共同体の、いわば「神話」を物語って来たのだから、その共同体の姿を「宗教教団」として描き、そこでの社会と人間の問題を語るのは、ある意味で、もっとも彼らしい設定だと言えるかもしれない。

 ただ、彼はいつも「知識人」を取り上げる。それは饒舌な論理を展開する上で必然的なことではあるが、物語の構成と視点と言うことからいえば、同じような宗教教団(実際は大本教)の形成と崩壊を物語った高橋和巳の『邪宗門』(1966年 河出書房新社)や東北地方で独立国家を形成しようとした井上ひさしの『吉里吉里人』(1981年 新潮社)の物語性は大江健三郎の『燃え上がる緑の木』にも『宙返り』にもないと言えるかもしれない。

  『宙返り』は、「犬のような顔の美しい眼」と題する一つのエピソードから始まる。それは、アメリカの学習機材会社と日本の文具輸入会社が共催したプラスチック片で造る未来風景の公募展での出来事であり、審査を勝ち抜いてきた少年の未来の都市模型の作品が、不幸にも舞台で踊っていた少女の股間に挟まり、どうにもならなくなった状態の時、その少年が長い間かけて制作してきた自分の作品を叩きつけて壊す、という出来事である。

この少年と少女が、やがて物語の重要な役割を果たしていくが、この序章のエピソードが、これから展開される宗教教団(共同体)の崩壊を象徴するものとなっている。未来は壊されるのである。

 最初に全体の構成を示すとも思われるエピソードを入れるというこの文学手法は、日本の小説では珍しいと言えるかもしれない。ただ、欧米文の文章構成は、最初に重要なことを述べるのだから、大江健三郎は、そうした文章構成を意識して、この長い物語を描いたとは言えるのではないだろうか。

 「無邪気な青年」と呼ばれる「「荻」という青年は、ある国際文化交流財団で働く青年であるが、仕事上、かつて宗教教団の指導者であった「師匠(パトロン)」と「案内人(ガイド)」と知りあう。そこには、成長した少女(ダンサー)がいて、その「案内人(ガイド)」が脳梗塞で倒れる所から物語が始まる。言うまでもなく、「パトロン」と「ガイド」というのは世界と人類の魂のパトロンでありガイドであることが意味されている。

 こうした設定によって、大江健三郎が描く『燃え上がる緑の木』と『宙返り』が世界の未来と魂の救済を問題にした作品であることが明瞭に示されているのである。彼の主眼は、高橋和巳や井上ひさしとは異なって、共同体の問題であるよりも、むしろ人間の魂の救済の問題である。それが、彼の作品を複雑に、そして饒舌にするのだと言えるだろう。

ともあれ、ゆっくり読み進めてみよう。

2009年10月16日金曜日

佐伯泰英『花芒ノ海』、宇江佐真理『恋いちもんめ』

 曇りから秋空が広がる天気になって来た

 昨日、佐伯泰英『居眠り磐音 江戸双紙 花芒ノ海』(2002年 双葉社文庫)と宇江左真理『恋いちもんめ』(2006年 幻冬舎)を読んだ。

 佐伯泰英の『花芒ノ海』は、このシリーズの3作目で、現在の所、確かもう20作目近い物が出されているように思うが、1作目から順に読んでいるのではなく、飛行機や新幹線に乗って少し遠方に行く時に、空港や駅で購入してランダムに読んでいる。この作品は、浪人となった剣の達人坂崎磐音を主人公にした、いわば、痛快時代劇である。

 このシリーズの3作目『花芒ノ海』は、主人公坂崎磐音が、江戸僅番(留学)を終えて、藩政改革を志して豊後関前藩に戻った折、親友で許嫁の奈緒の兄を上意打ちにしなければならなくなって死闘を繰り広げ、やがて愛する許嫁も家族も、すべてを捨てて江戸へ戻り、浪人となった事件が、実は、藩政改革を阻止しようとする権力者の家老の陰謀であったことが分かり、豊後関前藩に戻って、家老の陰謀によって殺されかけようとした中老の父を助け、藩の権力争いによる内紛を解決し、自らが背負った重荷を解決し、藩政を正常に戻していくという話である。許嫁の奈緒は、貧しさゆえに身売りし、やがて吉原に売られていくことになる。また、磐音は、その後、藩に戻るのではなく、再び江戸へ出て浪人生活をすることになる。

 このシリーズは、出来事が起伏に富んで面白いし、佐伯泰英は『密命』や『伊那衆異聞』など多作で、いつも書店には新刊本が並んでいるが、どれも似たような感じがする。主人公坂崎磐音を描くのに、「春風のように」という言葉が使われ、彼の剣法は「居眠り剣法」と呼ばれているが、会話や振る舞いなどにあまりそのリアリティが感じられない。その点では、同じ浪人者で剣の達人の活躍を描いた藤沢周平の『用心棒日月妙』の方が優れているし、読みごたえがある。もう少しきちんと突っ込んだ人物描写が欲しいといつも思う。

 さて、宇江佐真理の『恋いちもんめ』であるが、この人の作品は、ほとんどどれをとっても優れた絶品である。

 宇江佐真理という作家を、「お父さん、この人の作品はいいよ」と言って、最初に教えてくれたのは娘であるが、娘がこの人の作品を「いい」と言って勧めてくれたこと自体に嬉しさを感じる。勧められて最初に読んだ『あやめ横町の人々』や『玄治店の女』など、どこか深い感動を覚えて読み終わったことを覚えている。それから続けてこの人の作品を読み続けて、『きられ権三』など、自分の心情もあって涙をぽろぽろこぼしながら読んだ。言葉と文章が洗練され、テンポがあって、しかも心情の深さがにじみ出てくるような作品を、この人は書く。

 『恋いちもんめ』は、両国広小路の茶屋「明石屋」の娘「お初」の一徹な恋を描いた作品である。彼女の周りの家族との関係、友人との関係、そして、思い人の「栄蔵」との関係、どれをとっても温かい。

 「お初」に惚れた栄蔵は、自分の青物屋(野菜屋)と母を火事で失い、自失して、品川で借金をこしらえて落ちぶれてしまうが、その借金を払ってくれたのは、お初の父親源蔵の幼友達であり、お初を励ましてきた佐平次であり、栄蔵の再出発のために労を負うのはお初の父親の源蔵である。

 お初の兄政吉は、体が弱く、喘息持ちであるが、女たらしの遊び人である。しかし、彼は、店の茶汲み女で二度も離婚歴を持つ「おせん」とつきあい、外聞ではなく、自らの思いをもって結婚する。お初はその二人を励まして結びつける。

 お初が雇った茶汲み女「おきん」は、どうしようのない亭主と別れた女であるが、金をせびりに来た亭主への思いを捨てきれず、身売りされるとわかっていながらも亭主の後を負い、やがて心中する。「おきん」もまた、自らの愛を貫いた女である。

 お初の父源蔵が、普段はお茶らけているが、すべてを失い、自失してどうしようもないと思っている栄蔵に語る言葉。

 「わっちは女房を養っていけるなら、道端で筵を拡げて商売ェしようが、紙屑拾いだろうが頓着しねェわな。だが、お前ェは、まだ決心を固めていねェのがいけねェ。青物屋に未練を残しながら、その実、材木屋の小間使いをしている様だ。この先、材木屋をするなら、青物のことは口にするんじゃねェ」(278ページ)

 ここには、この作品が語る自らの決断とその決断の責任を自らが負っていく、いや、負っていかなければならないというテーマが見事に語られているように思われる。どうしようもない中で生きていかなければならない人間の自由も、ここにある。

 ともかく、この人の作品には、どれも読後感がたまらない。人間の琴線に触れるような、言語に絶する「味」がある。

 昨日、掃除をし、今日、洗濯をした。気持ちよい秋風が吹いてきた。花屋の店先で並んでいたコスモスも風に揺れていることだろう。以前、よくコスモス畑に花を見に行ったことを、ふと、思い起こす。今日は、『愛することと信じること』のデジタル化を少し進めよう。午後は、切れかけているコーヒー豆を買いに出かけよう。いよいよ、大江健三郎の『宙返り』を読み始めた。

2009年10月15日木曜日

諸田玲子『犬吉』

昨夜、母から実家の愛犬「リク」が、山ダニがもたらす病気で死んだという連絡をもらった。散歩の途中で山ダニが体内に侵入し、血管を食い破ったのかもしれない。「リク」は、父が死んだ年に弟がどこからかもらってきた純血種のビーグル犬である。子犬の頃から聞きわけがよく、賢い犬であった。食卓のそばでお座りをして、待つことを覚えていた。ついこの間の8月末に帰省した折も、よくなついて散歩に連れて行ったりした。母が一番可愛がっていたので、母の姿が見えないと悲しげに鳴いたりもした。死は、いつも悲しくさびしく、やりきれないものである。

 昨夜、ちょうど、諸田玲子『犬吉』(2003年 文藝春秋社)を読んだ所だった。『犬吉』は、徳川の五代将軍綱吉(1860-1709年)の時代の「生類憐みの令」によって「お犬様狂騒劇」が起こった時代が設定されている。時は、ちょうど赤穂浪士の討ち入りがあった前後である。

 この作品の扉に、シェークスピアの『マクベス』第5幕第5場からの引用が小田島雄志訳(白水社)で掲載されている。

「明日、また明日、また明日と、時は
小きざみな足どりで一日一日を歩み、
ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、
昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す
死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、
つかの間の燈火!人生は歩きまわる影法師、
憐れな役者だ。舞台の上で大げさにみえをきっても
出場が終われば消えてしまう」

 『マクベス』第5幕は、前王を殺して王位に就いたマクベスが次第に不安に駆られ、滅亡していく場面である。引用の1節は、人の生の空しさを「人生は歩きまわる影法師」と歌ったものであるが、この引用は作品構成で大きな意味を持っている。

 さて、物語は、大久保と中野に設けられた大規模な犬囲いで、犬の世話役として働く「犬吉」(本名「吉」)と呼ばれる娘(廓で生まれ育ち、旗本に囲われてさんざんな目にあい、可愛がっていた「雷光」という犬を殺され、この犬囲いに来て、夜は売女として生きる)が、赤穂浪士の討ち入りで狂騒状態にあった男たちになぶりものにされ、そこで依田峯三郎という侍と出会い、犬囲いで行われていた米の横流し事件に絡み、それを暴いていくという過程で起こる出来事を山場として進められていく。

 侍の依田は、障害をもっていたが犬を可愛がっていた彼の妹と重ね合わせて、犬吉を守り、犬吉は依田に恋心を熱く抱く。依田は、事件終結後に、自分の所に来るように誘うが、犬吉は、自分を恥じて、ただ一人あてもなく、しかししっかりと江戸へ向かうところで物語が終わる。

 時代考証もしっかりしているが、何より、自らを恥じて生きなければならない女の姿がしっかりと描かれていて、短い小説であるにもかかわらず、恋あり、事件あり、剣さばきもあり、時代小説としての娯楽性もあって、読みがいのあるものではないかと思う。

 しかし、諸田玲子は、長編に力量を発揮する作家だろうとは思う。女性が女性を描くことができる作家ではないだろうか。ただ、この作品には、彼女にしては珍しい心理描写があり、虐げられて生きなければならない女性の姿が行間にあふれている。

 快晴の秋空が広がっている。いつもの朝の儀式のようなものとして、先ず、起きてコーヒーを入れ、これを飲みながら新聞を1時間ほど丹念に読む。こうしてようやく目が覚めてくる。それからシャワーを浴びて、一杯の果汁ジュースを飲み、仕事のしたくにかかる。この朝も、こうして過ごした。「リク」の死は重いが、日常はいつものように流れていく。
 
 「すべては、高度な遊びのようなものじゃあ」と、ふと、思う。「浮き世」とはよく言ったもの。「遊び」に目くじらを立てる必要もないし、拘泥する必要もない。飲み、食べ、眠り、少しの仕事、本を読み、言ってみれば、好きなように暮らして行け。精神の作業も、肉体の作業も、すべては「遊びのようなもの」、秋雲のように流れていけばよい。しかし、夜は、近くのスーパーマーケットに買い出しにいかねければならない。大根を買って、鯛と一緒に煮付けでも作ろう。

 先日、実習生のTくんとM.ルターの人格について少し話をする。M.ルターは真に強烈な個性の持ち主である。彼はそれを遠慮会釈なくさらけ出すことができた。それがゆるされる人生を歩んだということだろう。

2009年10月14日水曜日

諸田玲子『あくじゃれ瓢六』(2)

 ここから約1000キロメートルも南に離れた所にある小笠原諸島の側を台風が通過する影響を受けて、重い雲が広がっている。自然はこうして相互に影響しながら巡り、やがて、次第に寒さを覚えていくのだろう。北海道の大雪山系では雪渓の中で紅葉が進んでいるニュースが伝えられた。

 昨夜、諸田玲子の『あくじゃれ瓢六』を読み終えた。時代小説として、これはなかなか情緒のある筋立てをもつ作品だと思う。人間の一つの究極を描く事件があり、恋があり、切なさがある。いくつか気に入った表現があった。

「虫の声」という話の中での一節。(185ページ)

「労咳の病人はひっきりなしに咳き込む。そのたびにやせ細った背をさすり、あふれた涙を拭いてやる。雷蔵(瓢六が入れられている大牢の牢名主で、元相撲取り。常に悠然と座して瞑想しており、瓢六を認め、客分として扱う)に抱かれたおちか(雷蔵の幼馴染で、「あの人を悪の道に引き込んだのは、あたいなんですよ。あの人は、ちょっとは名の知れた力士だったんです。けどあたいを悪所から請けだすために人さまの銭に手を出した。そんなあの人をあたいは踏みつけにしました。騙し、裏切り、弄んだ。あげく、別の男と逃げちまった」と瓢六に語る。労咳を病み、死にかけている)は童女のように見えた。
「ほんに、あのとき死なんでようござんした」
 それが、最後の言葉になった。
九月下旬、いつにも増して虫の声が切々と胸に迫る夜、おちかはひっそりと息をひきとった。」

「紅絹の蹴出し」の一節(223ページ)

 「瓢六は目を上げられなかった。友が牢番に小突かれながら去ってゆく姿など見たくない。両手をつき、首を垂れて、黒光りする床を眺める。
 眼前にあるのは、囚人どもが毎朝せっせと磨き込んだ床だった。汗や涙、血の匂いがしみ込んだ床だ。新たな涙が床をぬらし、またひとつ、悲しみというしみが加わる。」

紅絹の蹴出し」の一節(241ページ)

 「…瓢六とは話し合わなければならないことが山ほどある。だが―――。
 今は止めておこうと、弥左衛門は思った。
 なぜかわからないが、今はこうして、ただ肩を並べて歩いていたい。」

 いずれも、時代小説らしい情景が情感をもって描かれている。この描き方は藤沢周平の作品を感じさせる。しかし、独特の鋭い感性で人間を見なければ、こうした情景は描けないだろう。諸田玲子は1954年生まれだそうだが、こうした言葉では表現されない情景が奥にあるのを、リアリティをもって感じさせる作家である。

 昨夜、あまりよく寝なかったせいで、体が少し重い。肉体は次第に老醜の域へと向かいつつあるのを感じる。夜は、同じ諸田玲子の『犬吉』を読むつもり。

 政権を取った民主党の政策が細かに報道され始めた。肩肘を張った姿がそこにはあるように思われる。無理をすると人は折れる。折れなければよいが、と思ったりする。

2009年10月12日月曜日

諸田玲子『あくじゃれ瓢六』

 大江健三郎の作品は、次に、『燃え上がる緑の木』の続編でもある『宙返り』を再読して見ることにするが、精読するにはちょっと「しんどい」ので、昨日、図書館から借りてきた諸田玲子の『あくじゃれ瓢六』(2001年 文藝春秋社)を読み始めた。以前、この作品の続編を読んでいたので、面白く読み進めている。小説は、面白くなければならないと、わたしは思う。諸田玲子は、なかなか感覚が鋭いし、描写も巧みである。登場人物の設定も嬉しくなるような設定である。

 この作品の最初に収められている「地獄の目利き」は、登場人物を自然に紹介する設定にもなっているが、かつて岡っ引きをしていた伊助の娘「おみち」が殺され、賭場で捕縛されて大牢に入れられていた「瓢六」(元は、本名六兵衛、長崎で古物商「綺羅屋」をし、唐絵目利きで、阿蘭陀通詞見習いもした地役人、蘭医学、天文学、本草学の心得もあり、本物と偽物を見分ける、芸者の「お袖」が瓢六にベタ惚れ)を与力菅野一之助(この人物もまた特徴があって、飄々とした中で核心をつく指示を与える人物として面白い)の命によって、同心篠崎弥左衛門(この人物は、この作品の主人公の一人で、瓢六とは対照的にいかつい顔をし、真面目で、不器用であるが、瓢六からは本物の人間として見られている)が獄から出し、事件を解決していくというものである。

 事件が決着を見た後、この「地獄の目利き」の最後で、篠崎弥左衛門の心情が述べられる。「瓢六もお袖も、何があってもへこたれぬところは、とうてい自分の相手ではない。いや、一番の上手はその二人を利用した菅野さまかもしれぬ。・・・・・吐息をもらし、粕谷にうながされて門をくぐる。詰所へ急ぐ弥左衛門の肩に、在りし日のおみちの幻か、白梅の花びらが舞い落ちた。」と結ばれている。

 この結末の描写は、真に心情に訴える描写であるように思われる。こういう所が時代小説の良さではないだろうか。諸田玲子は、大仰に構えることなく、市囲で生きなければならない人々の悲しみを描く。

 ところで、わたしが住むこの場所は、多摩丘陵を東急電鉄が開発した新興(といってもすでに半世紀ぐらいたつが)の都市で、人工的な匂いが強い街並みをもった所で、周囲の騒音も激しく、洗濯物もすぐに黒くなるほどの空気の汚れがあって、読書や思索には全く不向きな場所であるが、どちらかと言えば仕事上やむをえず住んでいるのであり、それが幾ばくかの鬱々とした精神状況に影響を与えているだろうとは思う。今日も隣でビルの改修工事が喧しく行われている。

 ただ、読書のための書物は、ここから電車で10分ほどの「あざみ野」という所にある横浜市立の山内図書館が利用できて便利である。一度の借り出し冊数が6冊で2週間という限定はあるが、少なくとも2週間に一度は散歩がてらに出かけることができるので、その点では立地条件を有効に利用していると言えるかもしれない。「あざみ野」には、好みのコーヒー豆を販売している「神戸珈琲物語」というお店が駅構内にあって、それも便利である。この店は従業員の対応が丁寧であって、気に入っている。

今日は、曇りがちな空の下で、洗濯をし、日曜日のための準備を午前中ずっとしていた。階下では「アルコール依存症」の人々のための集まりが行われていた。夜、また、ビールを飲みながら『あくじゃれ瓢六』の続きを読むつもり。今飲んでいるビールはキリンの「秋味」という銘柄。

はじめに

 暇々にまかせて、正直なことを言えば、眠りに入る前の軽い準備運動のようにして、司馬遼太郎、藤沢周平などから始まった時代小説の乱読もかなり多くなり、秋風が吹き始めた日、少し読書日記なるものをつけてみようかと思い立って、パソコンを開くことにした。

 もう一つの理由を強いて挙げるとすれば、この晩秋に「大江健三郎とキリスト教」というテーマで少し話をしなければならなくなり、改めて大江健三郎の小説を読み返しつつノートを取っていたのだが、それがかなりの量になって、これはやはり記録にとどめておきたいことだと思ったし、パソコンで処理した方が早いことに気がついて、それならいっそのこと、結局、毎日何かを読んでいるわけなのだし、精神的な影響もあるわけだから、自分の精神作業の軌跡を知る上でも、記録にとどめた方がよいと思った次第である。

 ここに掲載しているのは、もちろん、そのすべてではないが、この世の生を終えた時に、その不在をほんの少しでも淋しく思ってくれるごく親しい友人たちと、「へぇ、彼はこんな本を読んで、こんなことを考えていたんだ」ということが分かち合えればいいと願ったからである。

 それは、言ってみれば、わたしのささやかなナルシズムであり、自己顕示欲であり、自己満足ではあるが、度を越したそれらの心情は醜悪であるとしても、ひとが生きる上ではゆるされてもよいことではないかと思っている。

 大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967年 講談社)は、昨日読了し、ある程度のノートも取った。彼らしい独特の表現と心理描写に満ちているし、一つの「神話」のようなものに近いものではあるが、妙にリアリティをもった作品でもある。「人間の回復がどこで行われるのか」という重いテーマのゆえかもしれない。しかし、主人公の「根所蜜三郎」(「根所」という名前には、文中の言葉で言えば、「魂の根が集まる所」という意味が、やはり、あるだろう)の回復自体は成し遂げられないのではないかと思ったりする。結末は、和解と許容であるにしても。