2013年10月31日木曜日

西條奈加『芥子の花 金春屋ゴメス』

 碧空が広がる秋の好天になった。こういう日が訪れてくれると、なんだかほっとする。立て込んだスケジュールで気を使うことも多かった神無月がようやく過ぎようとし、晩秋の季節を迎えようとしている。今年は冬が案外と早く来そうな気もするし、例年よりも寒いとの予報も出ている。この冬はあまりいいことがないような気がするので、ゆっくりと温泉にでも行きたい気分がある。

 それはともかく、西條奈加『芥子の花 金春屋ゴメス』(2006年 新潮社)を面白く読んだ。これは、西條奈加の作品の中でも少し異色で、設定も、21世紀の日本の中に江戸国という独立した国家ができているという奇抜な設定になっている。江戸国は科学技術的な進歩を拒絶して近世の江戸をそのまま再現した国家で、あらゆる事柄が江戸時代の江戸と同じように持たれている国であるが、幕府や行政においては経済的合理的な方法が取られている。日本の大富豪たちが集まってこれを建国したという。

 この江戸国に外事を担当する長崎奉行というのが置かれ、その奉行として巨漢で豪胆な、しかも卓越した女性が就任しており、人はこの女性を「金春屋ゴメス」と呼んで恐れているのである。長崎奉行所は金春屋という料理屋の裏に置かれ、「裏金春」と呼ばれていた。

 物語は、江戸国にアヘンが大量に出まわり、ゴメスの長崎奉行所がアヘンの出元を探索していくという展開になっていくのだが、ゴメスの下で働く長崎奉行所の手下たちが一風変わっているし、そこに新人として入った辰次郎を中心にして、美貌の女剣士への恋などが盛り込まれていく。物語の大筋はアヘンの原料である芥子の栽培を巡っての政争とそれを使って私腹を肥やす者たちと、ゴメスや手下たちの活躍であるが、利用される側の人間の悲哀が盛り込まれつつも、豪快なゴメスの姿や奇想天外な発想が盛り込まれている。

 読み始めは少し戸惑いを覚えるのだが、半ばから後半にかけての緊張感ある展開は読む者を引き込んでいく力がある。

 全面的に面白い作品だが、一点だけ欲を言えば、せっかく日本の中の江戸国で、しかも外事を担当する長崎奉行という設定だから、そのあたりのことが政治的駆け引きであってもいいから盛り込まれているとさらに面白いだろうと思う。もちろん、物語の後半で、日本が江戸国の消滅を図るという思惑があることや、世界が日本そのものの消滅を図るという線が引かれてはいるが、本書ではそれはまだ見えていない。もっぱら、アヘンを巡る国内の争いが中心になっている。

 それにしても、巨漢で豪胆、日常生活ではわがままを押し通し、腹が減れば即座に機嫌が悪くなるという「金春屋ゴメス」という女性の設定は、本当に面白いし、彼女が外見や噂とは異なって、情に厚い人間であることが本書の大きな魅力だろうと思う。


2013年10月28日月曜日

内田康夫『怪談の道』

 このところ少し仕事が立て混んでいた事もあって、時代小説ではないが、軽いミステリーが読みたいと思って、内田康夫『怪談の道』(1994年 角川書店)を読んだ。読んでいて、あっ、これは前に一度読んだ記憶があると思ったが、そのまま読み進めた。まだ読書記録を残す前に内田康夫の推理小説(探偵小説)は随分読んで、名探偵浅見光彦を主人公にしたシリーズはほとんど読んでいたのだから、これも読んでいたわけで、この作品は浅見光彦シリーズの89番目の作品となっている。

 内田康夫の作品には、探偵小説の形を借りて社会問題を真正面から取り上げた作品が多く、どの問題に対しても軽い保守リベラルで中道という姿勢が貫かれているが、古典から近代文学までの文学の香りが豊かで、各地に残る伝説なども取り入れられ、それらが殺人事件という殺伐とした題材を取り扱いながらも全体の柔らかさを醸し出しているから、わたしの好きな作家のひとりである。

 本書も、原子力開発という、現在再び焦点が当てられている問題を、日本の原子力開発の草分けとなった人形峠のウラン鉱山の問題から取り上げると同時に、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)という非常に優れた日本文化の理解者であり文学者であった人物の足跡を絡ませて、人間が抱える哀しみを描き出している。

 ちなみに、小泉八雲は、その文学性の高さだけでなく、その日本文化の理解が、太平洋戦争終了後の占領軍政策の要となったボナー・フェラーズに大きな影響を与え、それが日本の国体を守るということに繋がっていったことはよく知られている。

 本書の物語の発端は、一つは、フリーライターとして糊口を凌いでいる浅見光彦が日本の原子力開発を行う動燃(動力炉・核燃料開発事業団 現:日本原子力研究開発機構)から日本のウラン鉱山である人形峠のウラン鉱山の様子をレポートして欲しいという依頼を受けたことである。もう一つは、脇本優美という女性が、幼い頃に自分を捨てた母親が亡くなって母親がコツコツと貯めた遺産があるという知らせを、尾羽打ち枯らしたような父親の脇本伸夫から知らされたことである。父と娘は疎遠で、優美は父の伸夫のことを嫌っていたが、父の伸夫はその遺産を自分にくれるように言ってきたのである。

 優美の生母は、伸夫と別れたあと、島根県の倉吉で再婚し、そこで生涯を終えていた。脇本優美は、幼い頃に自分を捨てた母親についての記憶はなく、愛着もわかなかったが、母親の遺族の求めに応じて、島根県の倉吉に向かう。

 倉吉で優美を待っていたのは異父妹の大島翼であった。翼は、松江の大学で小泉八雲に関心を持つ美しい女性で、優美を姉として心から歓待するが、父親の大島昭雄を亡くしたばかりだった。大島昭雄は倉吉で醤油の醸造元をしていたが、蔵の中で心臓発作で亡くなっていたという。だが、翼は父親の死因については疑問を持ち、しかも、「カイダンのみちは忘れろ」という不思議な脅迫電話の録音が残されていたという。彼女は父親の死因の真相を探っていた。

 この翼の友人で地方紙の記者をしている正義感あふれる青年と浅見光彦が知り合いで、動燃の依頼で島根県に向かった浅見光彦が優美と翼と出会い、彼女たちが浅見光彦を信頼して父親の死因の究明を依頼するのである。他方、動燃の取材で、人形峠のウラン鉱山から出る廃土から高濃度の放射線が出ていることが問題となっていることが分かり、地元で大きな問題視されている現状があることを知る。動燃は、露出した廃土を掘り起こして袋詰めにしてその処置に当たるという。

 そうしているうちに、優美の養父であった脇本伸夫が何者かに殺されるという事件が関東で起こる。浅見光彦は丹念に過去を調べて、脇本伸夫も大島昭雄も、そして優美と翼の母親である大島佳代も、ともどもに人形峠でウラン鉱山が開発され始めた頃の反対運動に関係したことがわかっていく。大島昭雄と佳代はそこで知り合い、互いに恋仲であったが、佳代が何者かに乱暴され、その乱暴した側に脇本伸夫がいたのである。そして、佳代は優美を身ごもり、やむなく脇本伸夫と結婚したのである。ところが、佳代に乱暴して優美を身ごもらせた男が脇本伸夫でないことがわかり、佳代は大島昭雄のもとに帰ったのである。脇本伸夫は不能者であった。昭雄と佳代は長い間、二人の愛情を保ち続けていたのである。

 そして、実は佳代が乱暴された時に、殺人が行われていた。その死体をウラン鉱山の廃土の中に秘匿していたのだが、それが今度の騒動で掘り返されることになって、次々と殺人が行われていたのである。

 殺人者は誰か。そして、佳代に乱暴したのは誰か。浅見光彦の推理が冴えていく。そして、それが誰かが分かり、事件は結末を迎えていくのである。

 物語の構成に島根地方に残る羽衣伝説が取り入れられ、小泉八雲の足跡がたどられ、それに男と女の愛情が重ねられて行くと同時に、たいていの事件がそうであるように人間の欲と保身が生み出した事件が展開され、その中を爽やかで正直に生きる浅見光彦の姿などが織り成されて、この作品も面白い作品だった。作者は、どうも美女が好きなようで、どの作品にも美女が登場するが、その美女と浅見光彦の恋が成就しそうでしないように展開されるのも気楽でいいと思っている。

2013年10月24日木曜日

風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 七十七の傷』

 昨日から仙台に出かけ、帰宅してこれを書いるが、台風が日本近海で足踏みしている状態で、仙台もここも一段と寒く感じている。今夜はこれからまた市ケ谷で会議で、いささかうんざりもする。

 このところの天気の変化が激しくて、こういう変化は体調だけでなく思考の持続にも影響するのか、断片的なことだけしか考えられなくなっている気がする。年齢のせいもあるだろうが、ひとつのことをするのにとても時間がかかるようになってしまった。しかし、まあ、それも天来の時かもしれない。

 少し軽いものをと思って、風野真知雄『爺いとひよこの捕物帳 七十七の傷』(2008年 幻冬舎文庫)を気楽に読んだ。

 江戸時代の初期に起こった明暦の大火(1657年)で細工師をしていた父親が行くへ不明となった喬太は、弱気になっている母親を助けながら叔父の岡っ引きのもとで手先(下働き)をしている。不器用で父親のような細工師にもなれず、かといって聞き込みもできないし、血を見れば気持ちが悪くなり、争いごとも嫌いで、幼い頃からいじめにも合うし、腕っ節も弱く、岡っ引きの手先としては自分でもどうかなと思うくらいだが、観察力と推理力が優れているなかなかの好少年である。その彼が、霊岸島の渡し舟の中で起こった斬りつけ騒ぎの探索の途中で全身傷だらけの風変わりな老人と出会う。

 その老人は、奇妙な四角の家に住み、飄々として、語ることも含蓄があれば暴漢を退治するほどの腕も立つ。老人は和五助と名乗るが、実は彼は豊臣秀吉の朝鮮の役から関ヶ原の合戦、大坂の陣まで忍び働きをしていた凄腕の忍者で、仲間の貫作が訪ねてきたり、孫娘が訪ねてきたりして、今は気楽に暮らしているのである。和五助の友人の貫作は、薬研掘りで中島徳右衛門と名乗って七味唐辛子で成功している。

 和五助は、なぜか手先として働いている喬太が気に入り、喬太もまたいろいろなことを知っている和五助を次第に頼っていくようになり、ひ弱な自分が体を鍛えていくことを教わったりするし、もちろん、起こった事件のヒントを与えられたりしていく。

 叔父の岡っ引きをしている万二郎も奉行所同心の根本進八も次第に喬太の鋭い推理力に気がつき初めて、彼を温かく見守っていくが、和五助もまた喬太に様々なことを教えていくのである。その教え方が、喬太が自分で経験して納得していくような教え方であるのもいい。

 こうして霊岸島の渡しで起こった斬りつけ騒ぎが、旗本奴による商家の娘の拐かしにつながることが分かっていったり、鬼の面をかぶった押し込み強盗の事件が解決したりしていく。後者の事件では、大阪夏の陣で真田幸村と並んで豊臣方の名将でありキリシタンであった明石全登(景盛)の息子が登場し、彼が再起を期した計画で押し込み強盗を働いたという筋書きである。明石全登については大阪城から脱出して生き延びたとも言われるし、その後の消息は不明で、伊達政宗によって保護された後に津軽へと向かい、その子孫は秋田に定住したとも言われる。全登の息子が再起を期したというのは、もちろん作者の創作であるが、明暦の頃はまだ戦国の気風が強く残っていたので、娯楽物語としては、まあ、いいかなと思う。また、紙問屋の主人が不思議な死に方をしているのに気づいた喬太が、和五助の知恵で、それが鍼によるものであることが分かり、朝鮮通信使が売った品物の贋物取引をしようとした事件であることがわかっていたりする。

 こうして、事件の解決を見ていくが、大火で行くへ不明になっている喬太の父親が、実は、和五助と同じような忍びの者であり、その行くへ不明には謎が残されていたり、和五助と貫作はどうやら十万両もの金をどこかに秘匿しているようで、その金を巡って襲われたりする。それもまだ謎として残されている。だが、純朴で真っ直ぐな性格をし、人に対しての優しさも深く持っている喬太が和五助によって成長を助けられている姿は、和五助の人徳もにじみ出て、いい味を出しているし、和五助と貫作の老人ふたりが抜群の活躍を何食わぬ顔をしてやっていく姿も面白い展開になっている。

 老人が活躍する作品というのは、やはり、なかなか味わい深いのである。もうずいぶん前のことで題名も忘れたが、アメリカ映画で似たような話があり、悪者の金を奪って大金を持つ老人ふたりが甥の青年の人生や恋を知恵や勇気で助けていくというのがあったし、確か、五木寛之も老人が大胆に活躍をする小説を書いていたように記憶している。

 こうした話に登場する老人たちは、みな能力を潜ませた爽やかな老人たちで、実際にはそうした人は少ないのだが、それでも、老人が大活躍する作品は人生哲学を込めやすくていい作品になる。本書もシリーズ化されているようで、飽きない物語になっている。

2013年10月21日月曜日

犬飼六岐『囲碁小町嫁入り七番勝負』

 昨日は雨が降りしきる中を小平霊園まで出かけ、戸外での催しだったので傘をさしてはいたがほぼずぶ濡れになってしまった。しかし、U先生というわたしの恩師ご夫妻に久しぶりにお会い出来てよかった。

 先日、図書館に行った折に犬飼六岐『囲碁小町嫁入り七番勝負』(2011年 講談社)という書物を見つけ、囲碁について少なからぬ関心もあるので、表題に惹かれて借りてきて読んだ。以前、六段の方と打って、どうしても勝つことができずに、密かに「囲碁将棋チャンネル」という衛星放送を見たりしていたし、江戸時代の最高峰と言われた本因坊秀策の棋譜を並べたりしていた。

 犬飼六岐(いぬかいろっき)という作家の作品も初めて読むのだが、本書の奥付では、1964年に大阪で生まれ、大阪教育大学を卒業して公務員をした後、2000年に『筋違い半介』(2006年 講談社)で小説現代新人賞を受賞されて作家デビューされたようだ。これまで剣豪物や時代小説ミステリーのような作品を書かれているようだが、本書は、「囲碁小町」と呼ばれる若い女性を主人公にして、その表題のとおり、自分の嫁入りを賭けて囲碁の七番勝負をするという少し毛色の違った作品である。

 薬種問屋の娘「おりつ」は、幼い頃に祖父が残した碁盤と碁石で弟とおはじきのようにして遊ぶくらいだったが、父親が祖父の知人を招いて囲碁を教えてもらうようになり、その囲碁の師の飄々としながらも温かみのある人格もあって、囲碁に魅了され、囲碁小町と呼ばれるほどになった。自分では実力は初段くらいと思っている。その彼女に、御典医で囲碁好きな筧瑞伯が、負ければ孫の嫁になれと言って七番勝負を挑むのである。「おりつ」は、初めはそれが自分の嫁入り先を決める勝負とは思わずに勝負を引き受けるのだが、筧瑞伯の孫は、長崎で蘭医を学んで帰ってきたとはいえ、どこか軽薄でチャラチャラした男に見え、「おりつ」は何が何でも勝負に勝って、この縁談をなしにしようと決心する。

 瑞伯が「おりつ」の囲碁の相手として選んだ人物たちは、それぞれに特徴があり、それが棋風にも現れていく。「おりつ」は、初めは2勝するが、自分の心の乱れもあって、やがて負けがこんでいく。「おりつ」の家族や天真爛漫な友人に支えられ、また囲碁の師匠である宇平衛のさりげない助言なども受けていく。こうして、「おりつ」は少し持ち直す。だが、敬慕していた宇平衛が流行の麻疹で亡くなってしまい、「おりつ」はその悲しみ見浸る。宇平衛は、実は囲碁家元四家のうちの安井家の分家である阪口家の息子で、事情があって幼い頃に大阪に預けられて阪口家を継ぐことができなかった人物であった。だが宇平衛には、この世の名声や栄達には全く関心がなく、ただいい碁を打つことが望みのような人で、飄々と生きていた人だった。

 「おりつ」は残された宇平衛の棋譜から囲碁の本当の楽しさを取り戻していき、勝負を3勝3敗の5分に戻すことができたのである。そして、最後の相手は最強の棋士と言われた本因坊秀策であった。「おりつ」は本因坊秀策に憧れていた。だが、その勝負の日には本因坊秀策はコレラに罹ってしまい、結局、最後の勝負は嫁取り七番勝負を持ち出した筧瑞伯とうち、「おりつ」は嫁取りの呪縛から逃れるのである。

 だが、「おりつ」は、流行の麻疹にかかった患者を見るうちに次第にしっかりとした人物に変わっていった瑞伯の孫を見直していたし、瑞伯の孫も「おりつ」に想いを寄せるようになっていく。

「おりつ」は、最後の勝負ができなかった本因坊秀策を見舞い、彼と障子越しに、諳んじて打つ(碁盤なしに、頭に描いた状態で打つ)のである。秀策は、約束通りに対局してくれたのである。だが、それは秀策の病のために二十手で打ち掛け(中止)となる。

 時は、ペリーの黒船が1853年に浦賀沖に現れて以来の騒然とし始めた時代であり、その時代の影も本書の中で丹念に描かれている。ちなみに、本因坊秀策が34歳の若さでコレラのために死去したのは、1862年であった。

 囲碁には棋風というものがあって、その人物の人格や人生観を表すものでもある。本書では、それぞれの人物に合わせた囲碁の勝負が記されて、囲碁を知る者には面白いし、囲碁を知らないものにも、その情景がわかるように記され、「おりつ」や彼女を囲む人々の温かさも伝わる。

 欲を言うなら、囲碁は勝負事であると同時に哲学でもある。碁盤を宇宙になぞらえることはよく知られているが、そうしたことが囲碁を打つ人々の姿勢として表されると物語に深みが出るような気もした。しかし、たいへん読みやすくて面白く読めた一冊だった。

2013年10月17日木曜日

上田秀人『竜門の衛』(2)

 ひどい雨風と被害をもたらした大型の台風が去り、自然はそれを修復するかのように穏やかな日々を取り戻す。自然災害がもたらす被害の痕跡はいつも痛々しいが、「その後の静けさ」は人の悲しみを吸い上げる気がする。街路樹の銀杏の葉が強風でだいぶ吹き飛ばされたが、これからまた残された葉が次第に秋の装いを見せてくれるだろう。

 さて、上田秀人『竜門の衛』(2001年 徳間文庫)の続きであるが、権力を掌握して安泰を図りたい老中松平乗邑らの画策によって南町奉行から寺社奉行にされ、表向きは出世という形をとられながらの左遷を受けた大岡越前守は、家臣とした主人公の三田村元八郎を将軍継嗣問題の鍵となる京都へ送る。そして東海道を京都へと上っていく三田村元八郎を松平乗邑が放つ刺客が襲う。そこに柳橋の芸者の「伽羅」が現れたりする。この柳橋芸者の「伽羅」の正体は最後まで明らかにはされないが、彼女が将軍吉宗のお庭番であることが推測できるような展開になっており、元八郎は刺客との死闘の中で「伽羅」に助けられたりしながら京都へたどり着くのである。このあたりの展開は、道中記の展開となっており、時代小説ではよくあるパターンではあるが、剣劇の緊迫感がみなぎっている。

 京都では、将軍宣下を巡る争いが展開されることになり、公家による勢力争いが、例によって陰湿に展開されることになる。将軍後継者の問題を利用し、幕閣の老中首座松平乗邑と手を結んで勢力拡大を図る五摂家(鎌倉時代に藤原氏の嫡流として公家の家格の頂点に位置するものとして成立した近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家の五家)の筆頭である近衛家の内前(うちさき)、さらなる出世を熱望する武家伝奏(徳川幕府と朝廷との連絡をする公家)の柳原弾正尹光綱(だんじょういんみつつな)、などが陰謀を張り巡らし、情報を捻じ曲げたり制限したりして桜町天皇を操作しようとしていく。

 そして、松平乗邑や近衛内前が放つ刺客との死闘が三田村元八郎や「伽羅」との間で展開され、元八郎が傷を負ったり、「伽羅」が切られて死線をさまよったりする出来事が展開される。

 その中で、娘を徳川家重に嫁がせた伏見宮貞建(ふしみのみやさだたけ)が三田村元八郎を助ける人物として登場し、私欲なく天皇を守り、家重が言葉をきちんとしゃべることはできないが聡明で優しさや思いやりをもった将軍にふさわしい人物として立てて、事柄を収めていくさっそうとした人物として描かれていく。

 そして、松平乗邑や近衛内前、柳原弾正尹光綱の思惑はことごとく三田村元八郎と伏見宮貞建によって打ち破られていくのである。最後に、近衛内前の家臣であった示現流の達人との剣客としての死闘が展開されるし、実は、三田村元八郎の妹が徳川吉宗の孫であるというどんでん返しの仕掛けがなされている。そして、三田村元八郎と「伽羅」が結ばれて、公儀御庭番となったことが暗示されて終わる。

 こうした政争の展開の中で、死闘に次ぐ死闘が展開されて、物語が急流を下るように展開されるのだが、元八郎と「伽羅」の恋や市井に生きる人々の公家に対する皮肉なども挟んでいるので、「おもしろさ」が倍加するようになっている。

 時代小説の典型的なパターンやありきたりのところもあるのだが、文章の歯切れの良さがあって、剣劇時代小説の面白さが満載されていることは間違いない。改めて、上田秀人という作家はこういう小説を書いてデビューしていったのかと思った作品でもある。

2013年10月14日月曜日

上田秀人『竜門の衛』(1)

 穏やかな秋晴れになった。今日は一切の仕事をお休みしてゆっくりしようと思っていたが、明日の講義の準備などがあるなあと思うと、つい、朝からパソコンを開いていた。貧乏性というか、暇人というか、結局いつもと変わらない月曜日になった。

 週末にかけて、上田秀人『竜門の衛(りゅうもんのえい)』(2001年 徳間文庫)を読んだ。作者は、1997年に『身代わり吉右衛門』が第20回小説クラブ新人賞佳作に入選して作家デビューをし、本書が初の書き下ろし長編時代小説である。本書は一話完結で書かれているが、おそらく好評だったからであろうが、後に主人公の名前をつけて「三田村元八郎シリーズ」としてシリーズ化され、第二作以降は『狐狼剣』(2002年)、『無影剣』(2002年)、『波濤剣』(2003年)、『風雅剣』(2004年)、『蜻蛉剣』(2005年)といういささか無骨な表題がつけられている。

 ただ、この『竜門の衛』という表題は、なかなか含蓄のある表題で、「竜門」というのは「登竜門」というよく使われる言葉が示すように、元々は中国の黄河流域の山岳地帯にある場所で、山がせり出して険しく、魚もここを登れば竜になると言われるような「狭き門」を指しており、中国の天子(皇帝や王)が自らの権勢を好んで竜になぞらえたことから、「竜門」は天子の王城の門を意味するものでもあった。「衛」は「まもる」という意味であるから「竜門の衛」は「天子の王城を護る」ということを意味するのである。

 江戸時代の初期、徳川家康と二代将軍徳川秀忠は、慶長20年(1615年)に「琴中並公家諸法度」を制定して、天皇と公家の行動を厳しく制約した。江戸時代全期間を通じて、この法律は一度も改定されずに、天皇の権限を幕府の下に置いてきた。元々、将軍位というものは天皇から付与されるものであったが、これによって江戸幕府は公家の上部に位置するものとなったのである。歴代の天皇は、たとえば後水尾天皇などはこうした幕府の態度に強く反発したが、結局は幕府の統制下に置かれた。だが、公家の不満はくすぶり続け、幕府とのあいだの緊張関係が常にあったのである。

 『竜門の衛』という本書の表題は、こうした江戸幕府と天皇や公家たちとの緊張関係を示しているのである。もっとも、本書では「竜門」というのが、「天子の王城」だけでなく徳川幕府の将軍位も指し、江戸南町奉行所同心に過ぎない主人公の三田村元八郎が、その両方を護っていくという設定になり、元八郎の家族の秘密や彼の恋が絡んで面白い展開になっている。また、また、三田村元八郎は、同僚の同心仲間たちからは少し浮いた存在であるが、宝蔵院一刀流という一子相伝の秘剣を伝授されたものとして、権力を掌中に握ろうとする者たちが放つ刺客たちとの死闘を繰り返していく。だから、政治抗争あり、剣劇ありの硬派のエンターテイメント性が満載の作品になっている。もちろん、恋もあるし、物語のどんでん返しもある。

 物語は、第8代将軍徳川吉宗の治世の後期、南町奉行所定町廻り同心の三田村元八郎が、すれ違った「伽羅(から)」という柳橋芸者から父親の家が危険にさらされているということを告げられるところから始まる。それを告げた「伽羅」に不可思議なものを感じるが、彼が急いで一親の隠居所に駆けつけてみると、その言葉通り、賊が父親を囲んで斬り合っているところだった。元八郎の父親の順斎は、元南町奉行所隠密廻り同心で、家督を息子に譲って隠居していたのである。この父親の家がなぜ賊に襲われたのかの謎は、物語のずっと後の結末部分で明らかになるというミステリー仕立ての構成になっている。

 それはともかく、一応は賊の襲撃は撃退し、三田村元八郎は、彼の片腕として働く岡っ引きの貞五郎らと凶悪な押し込み強盗などを捕縛したりしていく。貞五郎は相撲取り上がりの巨漢で、元八郎から生きる道を与えられて、彼のためには命さえ惜しまないほど元八郎に惚れ込んでいるし、元八郎も貞五郎やその妻への配慮も欠かさない。元八郎はそういう人物なのである。

 その元八郎の上司は、大岡越前守忠相である。奉行所内では孤立しがちな元八郎を大岡越前守忠相は目をかけていく。そうしているうちに風呂屋(蒸し風呂)で元八郎は芸者の「伽羅」と会い、「伽羅」から彼に賄賂を贈ろうとしている出入りの「出雲屋」という店の主が、元八郎の父親の襲撃に絡んでいるという話を聞く。そこで「出雲屋」を探ってみると、疑わしいところが山ほど出てくるのである。「出雲屋」の手代は行くへ不明であり、昔から勤めていた者たちは全て辞めさせられ、商売もしていないのに金があるようなのである。その探索の途中で、元八郎は、示現流の達人の菊池主馬之助と名乗る侍に襲われ、かろうじて難を逃れたりもする。

 元八郎の父親の順斎は、襲撃されたことの裏には、将軍吉宗の落胤をめぐって起こった「天一坊事件」(1729年)に関係があるかもしれないと語る。彼は大岡越前守忠相から密かに密命を受けて、吉宗のご落胤を探し出したというのである。そして、捕縛されて死罪となった天一坊改行は、実は、騙り(偽物)で、本物のご落胤である改行は密かに殺されていたと告げる。そのことを知っているのは大岡越前守忠相と順斎だけだから、その事件に関連して自分が狙われたのではないかと言うのである。

 この辺りの作者の仕掛けは実に巧妙で、歴史的には大岡越前守忠相は「天一坊事件」には一切関係がなく、後の講談や歌舞伎の中で『大岡政談』として取り入れられたに過ぎないとされているが、大岡忠相が南町奉行になったのは1717年で、以後1736年まで町奉行職にあり、「天一坊事件」は彼の任期中の出来事である。だから、大岡越前守忠相が密かに隠密を派遣したという設定は無理がなさそうにも見えるのである。もっとも、奉行所同心が江戸の町から出ることはなく、奉行の命を直接受けて働く隠密廻り同心であっても、順斎が紀州にまで出向いて真相を探るというのはありえないかもしれない。だが、そうした歴史的な齟齬を弾き飛ばすほど物語は面白く進んでいき、このことがパズルの一片のように働く仕掛けになっているのである。

 三田村元八郎は、不審に思った「出雲屋」を見張り、「出雲屋」が旗本の松平竹之丞と繋がり、松平竹之丞が老中の松平乗邑(のりさと 16861746年)に繋がっていることがわかっていく。

 松平乗邑は、後に吉宗の後の将軍位後継問題で、幼少の頃に病を得て言葉が不自由になった継子の徳川家重ではなく、聡明と謳われた次男の宗武(田安家として別家を建てられた)を将軍に擁立しようとして失敗し、1945年に家重が第9代将軍に就任するときに老中を解任されて隠居を命じられている。彼は大岡越前守忠相と反目し、老中職にあるときはことさら忠相を無視して、今で言う「いじめ」を行っている。

 だから、彼の名前が出てくれば、物語が将軍の後継問題をめぐる政争に発展することが予測され、本書では、継子である家重が吉宗の名代として増上寺に参詣する際に、家重を害する計画を、彼の意を受けて「出雲屋」が実行しようとするという展開になっていく。そして、そのことを察した三田村元八郎が「出雲屋」の計略を阻止していく展開となる。

 そして、元八郎の働きで「出雲屋」の計略が発覚し、家重の参詣は滞りなく行わわれるが、「出雲屋」はいち早く霧散してしまうのである。

 計略が失敗した松平乗邑は、大岡越前守を江戸町奉行から罷免させようとする。だが、こうした裏の事情を知った徳川吉宗は、大岡越前守を町奉行から寺社奉行へと移し、将軍位継承問題に絡んで起こってくる京都の天皇家との確執問題に当たらせるのである。

 このとき、なるほどと思ったのは、寺社奉行となった大岡越前守は松平乗邑をはじめとする幕閣から「いじめ」を受けるが、大岡越前守がその「いじめ」の中を平然と、坦々として過ごしていく姿が描かれている点である。こうしたところが本作の心憎いところでもある。

 そして、大岡越前守は、孤立してはいるが優れた働きをする三田村元八郎を町奉行所から引き抜いて、自分の部下とし、彼を将軍継承問題の裏で行われている天皇と公家を巻き込んだ工作の真相究明のために京都へ派遣するのである。将軍宣下をするのは天皇であり、松平乗邑は、吉宗の次男の宗武に将軍宣下がなされるように画策していたのである。

 こうして物語は、東海道から京都へと移っていく。その後の展開については、次回に記すことにする。最近は、なかなか一回でまとめることができずにいるが、これを記す時間があまりなくて、それもやむを得ないと思っている。

2013年10月10日木曜日

林真理子『本朝金瓶梅』(2)

 1010日という日は、「晴れの特異日」(晴れになる可能性が非常に高い)で、1964年の東京オリンピックでは、この日をオリンピックの開催日にするという細やかな配慮がなされた日である。7年後の2020年東京オリンピックは真夏に開催されるという。酷暑の中で競技をすることになるのだが、開催日について、1964年のような細やかな配慮はなされなかったのだろう。「お・も・て・な・し」の精神はどこにもない気がする。人間の都合で物事が進められると、手痛いしっぺ返しを自然から受けることになるかもしれない。だが、それにしても今日は異例の夏日になっている。

 それはともかく、林真理子『本朝金瓶梅』(2006年 文藝春秋社 2009年 文春文庫)は、「さて、いつの世にも、色ごとが好きな者はいくらでもおります。その好きさ加減というものは尋常ではない。まわりの人間を巻き込み、殴り倒し、好きな相手を手に入れるためには、もう気がおかしくなったかと思うほどの執着ぶり」(文庫版 9ページ)という軽妙な噺の語り口で始まる。

 そして、西門慶ならぬ西門屋慶左衛門が無類の「色ごと好き」の人物であり、男盛りのいい男で、親の金を元手にした札差もうまくいく金持ちであることが述べられていく。彼は女をものにするのが生き甲斐のような男で、正妻の他に、吉原の花魁、浅草の芸者、妾もいるが、美人と聞けば、人妻であれ、何であれ、手を出したいと思うような男である。

 その彼が富岡八幡宮の参道のようじ屋に二十三~四の色っぽい美女がいると聞き及んで見に行くのである。その女が、藩金蓮ならぬ「おきん」で、彼女は、博打好きの父親から七十歳の爺さんの妾に売られ、その爺さんをたらしこんで金を巻き上げて捨ててから、その金でさんざん「役者買い」をしたあげく、与太者の女房となってようじ屋で働いていたのである。

 「おきん」もまた、西門屋慶左衛門を見て、その男っぷりと金の有りそうな身なりに目を留めていく。「おきん」の亭主の与太者は、「おきん」を使って美人局で「おきん」に言いよる男から金を巻き上げていたが、西門屋慶左衛門からも金を巻き上げることを考えて「おきん」に美人局を仕込むように言う。ところが、「おきん」も「色ごと好き」の女で、「おきん」と西門慶左衛門は亭主の目を盗んで色ごとを始めるのである。

 「おきん」は西門慶左衛門の床上手さにすっかりまいってしまい、西門慶左衛門も「おきん」の体にまいっていく。その色ごとの様子が最初に微細に、あるいは滑稽に描かれるのである。ここまでだけでは、これは単なるエロ小説と思ってしまうのだが、これから色欲と禁欲のためにあの手この手を、しかもあっけんからんと使っていく「おきん」という女性の姿が展開され、西門慶左衛門が次々と手を出していく女たちとの闘いや葛藤が展開されて、そういう中で何とか「自分が考える幸せ」を手に入れたいとあくせくする「おきん」の姿が描かれていくのである。

 「おきん」は美女であり、悪女である。彼女は自分の色ごとと金のある生活のためには、平然とほかの者を利用し、また策略を用いて蹴落としていく。だがそこに、自分の幸せを手に入れようと必死になる人間の哀しみもある。作者は、そういう女の哀しさというものを「おきん」に託して描いている。

 本元の『金瓶梅』ほどの社会批判の色彩はないが、設定されている時代はオットセイ将軍の異名を取った第11代将軍徳川家斉の時代であり、上から下まで色ごとに明け暮れるというのは、なかなか面白い作者の批判精神だと思う。語り口調が講談や漫談風で、内容に合わせた軽妙さを持っている。

 「人間は胃袋と性器でできている」と言ったのが誰だったのかは失念したが、本書は、まさにその「胃袋と性器」の話である。

2013年10月7日月曜日

林真理子『本朝金瓶梅』(1)

 ようやく風に揺れる秋桜が似合うような穏やかな秋という感じのする日になってきた。こんな日は、坦々と自分の勤めを静かに果たし、後は風に吹かれていたい。今日はわたしがこの世に存在し始めた日でもある。だから、人生に対する思いもいろいろあるなあ、と思ったりする。

 閑話休題。中国の明朝の時代(13681644年)に著された『四大奇書』と呼ばれる4つの長編小説がある。「奇書」というのは、「変わった書物」という意味ではなく、「世にも稀な卓越した書物」という意味で、『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』、『金瓶梅』である。これらの書物は日本でも本当に馴染みが深く、『西遊記』などは子どもでも知っている。

このうちの『金瓶梅』は、いわば『水滸伝』のスピンオフの作品とも言われ、『水滸伝』に梁山泊の第14位の好漢として登場する武松(ぶしょう)が兄を毒殺した兄嫁の潘金蓮(はん きんれん)と西門慶(せいもんけい)に仇討ちをするということになっているが、『金瓶梅』では、武松が仇討ちとして殺したのは、西門慶の計略による別人で、西門慶と潘金蓮は逃げ延びて、互いに欲望の限りを尽くして、やがて没落していくという設定になっているのである。『金瓶梅(きんぺいばい)』という表題は、西門慶が関係をもった潘金蓮、李瓶児(り へいじ)、龐春梅(ほう しゅんばい)という三人の女性の名前の一字をとったもので、それぞれ、金、酒、色事を指すとも言われている。

『金瓶梅』の作者は「笑笑生(しょうしょうせい)」という人であるが、詳細は一切不明で、一説では「酒を飲みながら笑って書いた」というくらいの洒落たペンネームではないかとも言われている。『金瓶梅』は主に男女の色事を赤裸々で詳細な性描写で描いた艶書風ではあるが、欲に絡んだ人間たちの当時の上流階級の腐敗ぶりを描いた痛烈な社会批判の書でもある。

物語は、河北省の大金持ちの薬屋で、しかも色男で女好き西門慶には正妻の呉月娘(ご げつじょう)の他に4人の妻がいるが、通りかかった家に美女がいるのを見つけ、恋仲となる。それが潘金蓮で、潘金蓮は武大という夫(これが『水滸伝』の武松の兄)がいるが、性欲と物欲が強く、夫の目を盗んで金持ちで美男の西門慶と逢瀬を重ねる。西門慶の性技の虜となり、西門慶も潘金蓮の性技に溺れていく。しかし、やがてそれが夫にばれてしまう。そこで、西門慶と図って夫を毒殺し、二人で愛欲まみれの日々を送っていくのである。

彼らは前夫の弟の武松の仇討ちから巧妙に逃れ、潘金蓮は西門慶の第5夫人となって、正妻の呉月娘にうまく取り入りながら、第4夫人や第2婦人たちを排斥していく。西門慶は、女中たちや使用人の妻、芸者、隣家の妻など、次々と手を出して情欲の限りを尽くしていく。李瓶児は隣家の妻であるが、西門慶と不倫関係になり、李瓶児の夫を没落させて死に追いやるし、龐春梅は潘金蓮の女中である。彼は役人と癒着して、町の権力者となり悪行を重ねていくが、運送業や呉服屋などでも成功を収めて、ますます金持ちになっていき、したい放題のことを繰り返すのである。

潘金蓮は美女ではあるが淫乱な悪女で、西門慶が使用人の妻に手を出し、潘金蓮と使用人の妻が対立するようになると、潘金蓮は彼女を無実の罪に陥れて縊死するように追い込んだりもする。また、第6夫人となった李瓶児が西門慶との間に男の子を生むと、その母子をいびり倒して、その男の子を猫に襲わせて死に至らしめ、ショックを受けた李瓶児も衰弱死するようにする。さらに、西門慶に媚薬を過剰摂取させて、彼を死に至らしめる。また、西門慶の死後は、女中の龐春梅を巻き込んで、西門慶の娘婿と乱行を繰り返したりする。

やがて、西門慶を失った西門家は没落していき、家業が破綻していき、潘金蓮も不祥事が露見して、ついに、戻ってきた武松に兄の仇として討たれるのである。龐春梅も使用人と関係している最中に急死する。

しかし、正妻の呉月娘と西門慶との間に、西門慶の死後に生まれた男の子が、実は西門慶の生まれ変わりであることをある僧侶から知らされた呉月娘は、西門慶の前世の罪から男の子を救うために彼を仏門の入れ、西門家の家業を信頼できる番頭に任せて、長生きをして人生を全うするのである。

『金瓶梅』は、当時の風習や生活、習慣などが微細にわたって記され、その振る舞いがリアルに描写されて、繰り返される性描写も、現代で言うリアリズムの描写がなされている。

この『金瓶梅』を日本の江戸時代に移して、登場人物も、西門慶を「西門屋慶左衛門」、潘金蓮を「おきん」、呉月娘を「お月」という名前にして、「おもしろうて、やがて悲しき」という具合に描きだしたのが、林真理子『本朝金瓶梅』(2006年 文藝春秋社 2009年 文春文庫)である。

「本朝」というのは「日本風」という意味であるが、この作品について書くつもりで書き出したら、先に本来の『金瓶梅』について記そうとして長くなりすぎたので、この作品そのものについては次回に記すことにする。