2010年7月19日月曜日

杉本章子『きずな 信太郎人情始末帖』

 積乱雲がもくもくと立ち上がり、昨日から猛暑日が続いている。じっとしていても汗が滴る。昨夕はそれでも涼風が吹いていたのだが、今日は、木々の梢も微動だにしない。

 土曜日(17日)から昨日にかけて、杉本章子『きずな 信太郎人情始末帖』(2004年 文藝春秋社)を読んだ。これは、先に読んだこのシリーズの『狐釣り』に続く四作目で、呉服太物店の跡取りで許嫁がありながらも、吉原の引手茶屋の女将で子持ちの女性に惚れて勘当された美濃屋の信太郎を主人公にした話で、『狐釣り』では、信太郎と彼が惚れた女将の「おぬい」との間に子どもができ、いよいよ自分の身の振り方をはっきりさせなければならない状況が描かれていた。

 本作には、「昔の男」、「深川節」、「ねずみ花火」、「鳴かぬ蛍」、「きずな」の5編が収められているが、読み終わって嬉しくなったことの一つに、信太郎とおぬいの身辺状況を描いた「昔の男」と「きずな」が最初と最後に置かれていて、ちょうどサンドイッチのようにして、その間に信太郎の友人でもあり御家人の次男で芝居の囃子方で笛吹きをしていた磯貝貞五郎の兄が殺されるという事件の顛末が挟まれている構成になっていることである。

 「サンドイッチ方式」とでも呼ばれるような構成なのだが、そこに少しも無理がない。まず、全体をうまく包む第一話「昔の男」と第五話「きずな」であるが、「昔の男」ではおぬいが昔つきあったことがある侍のことで、それを知る旗本がおぬいに脅しをかける。おぬいはそれをきっぱりとはねつけようとするが、手口が巧妙である。だが、そこに信太郎の父親がきて、脅す旗本を逆に追い返し、おぬいと信太郎の父親の初顔合わせの場面ができ、信太郎の父親は脅しに屈しないおぬいのことを気に入っていくのである。

 男女のことの中で、きっぱりとした対応ができるためには、自分の愛情に自信が必要である.自分がとことん惚れていることを知っていれば、愛情の問題はほとんど解決していく。おぬいにはそれがあるのであり、また、第五話「きずな」でそのことを知った信太郎が少し悋気(嫉妬)を起こしかけるが、それもふたりの間を裂くに至らない。「悋気は寝屋で」というのがいい。

 信太郎の父親は、おぬいとこうして顔合わせをし、なんとか勘当している信太郎と自分の美濃屋との関係を修復させようと、おぬいの連れ子である千代太を自分の店に引き取ろうとするが、周囲は猛反対をし、特に気の強い信太郎の姉がいきり立つ中、持病の心臓の発作が起こり、他界してしまう。

 知らせを受けて駆けつけたおぬいは、はじめは逡巡するが、千代太と信太郎との間にできた娘に、「祖父(じいさま)」ときっぱりと言わせるのである。

 勘当したとはいえ、理解をもて接しようとした信太郎の父親が亡くなって、さて、信太郎とおぬいはどうするか、それが今後の興味をそそる筋立てとなっている。

 その間に挟まれた2-4話では、自分の兄を殺された磯貝貞五郎が、信太郎の協力を得て真相を突き止めていく話であるが、ここでも身分違いの恋の行くへが問題となる。貞五郎は芝居の囃子方として粋で売り物の柳橋芸者の売れっ子と夫婦同然の暮らしをしていたが、兄の死によって武家の家督を継がなければならなくなり、売れっ子芸者は身分違いと諦めようとする。

 しかし、貞五郎は彼女を嫁にしたいと申し出る。貞五郎の兄嫁と母親が乗り込んできて、身分違いを言い立てる。貞五郎は元々兄嫁が結婚する前からの幼なじみであり、兄嫁と結婚させるというのである。自分でも武家の妻などにはなれないと思うところもある。しかし、女の意地もあったのかもしれないが、売れっ子芸者は貞五郎の申し出を受け入れていく。

 事件の探索と恋模様の二筋が絡み合って、磯貝貞五郎の顛末が語られているのである。そして、様々な状況やのっぴきならない関係があったとしても、結局は自分の決断と思いの強さが事柄を決していくことが全体を貫いているのである。

 「人間は精神である」と言い切ったのはS.キルケゴールであるが、「精神は決断」であり、その決断に従って生きているのだから、どのような決断をするかがその人の人格と人生を決めていく。『信太郎人情始末帖』では、主人公たちはそれぞれ「自分の愛」に誠実に決断していく姿が描かれている。作家の精神はそう単純なものではないが、このシリーズを読む限りにおいては、作者にもどこか一本気な所があるのかも知れないと思ったりもする。

 今年のお正月に見た映画の『のだめカンタービレ 最終章(前編)』がDVDになっていたので借りてきた。何度もこれを見ているのだが、改めてDVDで見ても、これは本当に面白いし、使われている音楽がとてもいい。この作品の中では主演の上野樹里の顔つきがとても柔らかである。作られる時のスタッフも雰囲気も良かったのだろう。5月に公開された後編も早くDVDになればと思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿