2010年8月31日火曜日

牧南恭子『ひぐらし同心捕物控 てのひらの春』

 空港上空に雷が発生し、雷雨が激しくて飛行機が飛ばずに、昨夜遅く帰宅した。家の中は、もちろんサウナのような状態で、しばらく空気を入れ換えて冷房したが、なかなか涼しいところまでは行かなかった。8月も終わりだが、暑さがとてつもなく厳しく、湿度も高いので、むっとした空気が肌にまとわりつく。今朝は早くに目を覚まして、植木に水をやり、パソコンを開いて、たまっている仕事を片付け始めた。

 外出先で、牧南恭子(まきなみ やすこ)『ひぐらし同心捕物控 てのひらの春』(2009年 学研M文庫)を読んだ。この著者の作品は初めて読むし、著者についての詳細もわからないが、文庫本のカバーによれば、1990年に『爪先』(講談社ノベルズ)で49歳の時に作家デビューされた方のようで、1941年生まれとあるので、安保世代と言えるかもしれない。そのためだろうと推測しているが、満州を舞台にした『帰らざる故国』という著作もあるらしい。ただ、それがどんな内容かはまだ知らない。

 『ひぐらし同心捕物控』はシリーズ化されており、本書の他に、『ひぐらし同心捕物控』、『ひぐらし同心捕物控 夫婦ごよみ』、『ひぐらし同心捕物控 夏越のわかれ』の3冊の書名が記されている。

 本書は、どこか鷹揚でのんびりとして「蜩(ひぐらし)」と呼ばれているが、頭脳明晰な定町廻り同心、倉田東之進(くらた はるのしん)の活躍を、同心の娘で少し気の強い妻の志満と少し知恵遅れ気味の志満の妹の美野、そして、同心の拝領屋敷に立てている蜩長屋と呼ばれている長屋の住人などの姿を織り交ぜて描き出したもので、取り扱われる事件そのものも、ダイイングメッセージの謎解きや交換殺人の謎解きなどミステリー仕立てとなっている。

 使われているミステリーそのものは、格別手の込んだものでも新しいものでもないが、時代小説の中で近代的な発想を要するそうしたミステリーの謎解きが使われるのは珍しい気もする。

 第一話「曽根の涙」は、蜩長屋に孫息子と住む口うるさい世話焼きのばあさん「曽根」のところに妹がやってきて、孫息子は実は妹の子であるし、妹の家の跡取りたちが亡くなったために返してほしいとの争いをはじめ、倉田東之進が気になって調べたところ、その孫息子も、真実は妹の子どもではなく、妹がどこからか拐ってきた子どもであることがわかり、曽根が苦労して育ててきたものであることから、妹に因果を含めて説得するという話で、主人公の思いやりや優しさがあふれる作品になっている。

 第二話「潮目の海」は、殺された回船問屋の主人が残した地図と針盤がダイイングメッセージであることから、その謎解きをして、殺された回船問屋の主人の妾の子が犯人であることを突き止めるもので、その間に、少し知恵遅れの美野の描く絵が認められて羽子板の絵になるという話や、江戸勤番になって国許から出てきている倉田東之進の兄がこっそり金の無心を妻の志満にしていることがわかり、10両もの大金が必要だといわれるといった主人公の身辺をめぐる展開がある。

 第三話「船宿ますや」は、船宿の主人の死体が上がり、非力な船宿の妻が大男である主人をどのようにして殺し、死体を運んだかの謎解きを行うというもので、その間に、兄のために10両の工面をしなければならないことで、東之進と妻の志満の間がギクシャクしたりもする。

 第四話「初春の落書」は、大名屋敷の蔵の壁に落書きをする犯人を、現場に残されていた鶏糞から突き止めていくというもので、その間に、兄の借金は自堕落になった次兄のためであることがわかり、正月の集まりをきっかけに次兄が東之進の家の居候として住むことになったり、美野に惚れた羽子板屋の若旦那が結婚を申し込みに来たりのてんやわんやが起こる。東之進は心を配り、気を配りながらも、変わらずに事件の探索に当たっていく。妻の志満は妹の結婚話には頑として反対している。妹の面倒は一生自分が見ると決めていたからである。

 第五話「木更津船」は、交換殺人のなぞを現場に残されていた螺鈿の小さな貝殻のかけらから解いていくもので、交換殺人にいたる人間模様が描き出されると同時に、厄介者になりつつあった次兄の節操のなさから長兄の怒りを買って出て行くことになったり、美野に結婚を申し込んだ羽子板屋の若旦那の真意が反対していた志満にもわかり、二人が結婚することになったりする話が語られる。蜩同心と蜩長屋は、こうして変わらずに続いていくのである。

 一般に、ミステリーというのはどこかに論理に破れがあって、その破れがほころんで事件の真相が明白になっていくものだが、その論理の破れには、たいてい、どこか無理がある。本書のミステリーも、そうした無理が感じられないでもないが、主人公たちとそれを取り巻く市井の人々の日常やミステリーの謎解きが合わさって、読本としては面白く読むことができた。文章も読みやすい。欲を言えば、もう少しミステリーに複雑な要素があって、情景の描写や行間に余韻があるといいだろうとは思う。よいと思っているのは、五話の作品をまとめる書名が「てのひらの春」とつけられていることで、この作者の作品への思いが、その書名によく表れているように思われたことである。表題の言葉の柔らかさが作品そのものをよく表している。

 もう一つ良いと思っているのは、少し知恵が遅れているが気持ちがまっすぐな美野という少女の姿と、それを取り巻く姉や東之進の心配しながらも暖かく包み込むような姿が描かれていることで全体が慰めに満ちているところである。障がいについての気負いがないぶん、あたりまえのようにさらりと描き出されるところがいい。

 持っていった書物も読了して、書店で何冊か購入もしたが、それについては明日以降にでも記すことにして、まず、今日は仕事を片付けよう。

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