秋の長雨というが、このところ一週間ほどぐずついた天気が続き、今日も雨が降って寒さを感じる。この秋は紅葉を見にどこかに出かけたいと思うのだが、ふらりと、というわけにもいかないのでどうだろうかと思っている。
最近はとみに静かに暮らしたいと思っている気持ちが強いのか、胆力が衰えたのか、あるところで、「もういい加減に何事かを為したり、自己の権利を主張したりすることで、自分の存在を確立しようという発想を捨てたらどうか」と書いたが、自省すれば、人間は作為の動物なので「生成」が宿命としてあり、それはこちらの気力が衰えた愚痴かも知れないと思ったりもする。
それはともかくとして、海音寺潮五郎『列藩騒動禄』の上巻を作者の歴史観や人物観を顧みながら読み終えた。江戸時代のお家騒動の渦中にあった人物の評価は様々だが、いろいろなところで悪者とされてきた人物や、反対に喝采を浴びてきた人物が、本当はそうではないのではないかという視点が随所にあって、世間一般の学者や世評に惑わされないようにする姿勢を貫くという意味で、これは手元に置いておきたい書物の一冊であろうと思う。
上巻で取り上げられている「黒田騒動」は、わたし自身が福岡の出であることから同じ福岡市でも福岡と博多の気質が異なったものであることをよく知っており、最近は都市化の影響だろうが、元来の福岡の剛と博多の柔の気質が薄くなっていることを感じているとはいえ、外から藩主として着任した黒田家の武家はずいぶん苦労しただろうと思いながら読んでいた。
それでも豊臣秀吉の智将と誉れの高い黒田孝高(如水)とその子の長政までは、才能も気質も抜群で、藩政も落ち着いていたのだが、黒田家の三代目(福岡藩黒田家は関ヶ原の効によって家康が長政に与えたものであるから、正式には藩主としては二代目だろう)である忠之の代になって、家臣団の対立が起こって「黒田騒動」といわれる事件が勃発し、へたをすればお家の取り潰しになるという危機に見舞われたのである。その少し前に、熊本の加藤家が取り潰されている。
具体的には、黒田騒動は如水以来の黒田家の石柱である家柄家老の二代目である栗山大膳を嫌った藩主の忠之が、自分の意のままになる人物を仕置家老として取り立て、これを偏重したことから、また取り立てられた仕置家老も、自分の権勢欲から栗山大膳のあることないことを言い立ててこれをなきものにしようとしたために、栗山大膳が藩主の忠之を幕府に謀反の意ありと訴え、藩を二分する騒ぎとなったものである。
栗山大膳も権勢を誇る傲慢なところがあったのだが、忠之も我が儘であり、黒田騒動は煎じ詰めれば藩政を巡る勢力争いに過ぎない。面白いのは、栗山大膳が淫奔な美しいお部屋様(忠之の妻)と密通をしたといったような風評が流され、世間もそういう眼で黒田騒動を見るとことがあったのだが、事実は全く異なっているなどということである。風評というのはそんなものだろう。海音寺潮五郎は、栗山大膳には傲慢でずるいところもあるが、熊本の加藤家の取り潰しを知って、先見の明をもって福岡藩がそのような目にあわないように策略を立てたのではないかと語っている。
しかし、たとえそうだとしても、このような策略を立て騒動を引き起こし、多くの犠牲者を出す人物は、いずれにしても大した人間ではない。策略に翻弄された人間こそ哀れである。
次に取り上げられている「加賀騒動」は、金沢の加賀藩前田家六代目の藩主吉徳が、美貌で利発であった大槻伝蔵を、伝蔵が少年の頃にはおそらく男色の相手として、長じては藩政を牛耳るほどに引き上げて寵愛し、それを嫉んだ人々が策略を施して大槻伝蔵が藩主の吉徳を毒殺しようとしたということを訴え出たことを言う。
大槻伝蔵という人は、なかなか機略に富んだところがあり、逼迫した藩の財政の立て直しをしたり、金沢城下を整えたりしたのだが、彼が取った財政政策は緊縮財政であったために不評を買い、また名門の前田家の女性を妻女として娶ろうとしたりしたことが悪評を生んだ人だった。
大槻伝蔵の処刑理由の一つに、彼が吉徳の妻真如院と密通をし、その子を世子としようとしたとあるのだが、海音寺潮五郎は、それには疑問を持っている。要は武家の嫉妬が生んだ事件で、その権謀術作は恐ろしいほどである。武家の嫉妬というものは、陰湿でいやらしいところがあるのである。
「秋田騒動」は秋田の佐竹家の中で、凶作が続いて財政の逼迫を受けて、あまり深い考慮もなく商人に踊らされて出した藩札を巡る争いに絡んで、固定化されてしまった藩の政治をひっくり返そうと策を巡らした小賢しい人間たちが引き起こした事件である。金と力が絡んでいるだけに事件の概要は複雑だが、これもまた権力闘争の一つではある。
福井の「越前騒動」と新潟の「越後騒動」の両方に絡んでいるのは、越前藩主となった徳川家康の次男秀康の子の忠直で、この忠直という人は稀代の暴君で、殺戮を好み、手当たり次第に人を様々な方法で殺すことを楽しんだ狂気じみた人物で、「越後騒動」も、その子である光長が越後の藩主の時で、光長というひとは、ほとんど無能の人である。
いずれも優秀な人物が他の家臣の妬みの権謀術作によって裁かれ処刑されている。ただ、裁かれた方も、才気走ったところがあったり、驕慢なところがあったりしている。「愚鈍な人間に悪人はいない」というが、「才がある」ということは哀しいことでもある。しかし、「小才」は手に負えないのは事実で、世の中は小賢しい人ばかりいるような気がする。小賢しい人は真の「才」を理解しないし、しようがないのである。 現代は万人小賢しいのである。
それにしても、身分や階級の固定化は、それがあまりに度が過ぎると騒動を生んでいく。現代社会も徐々に身分の固定化が進んでいるので、金と力を巡っての争いが絶えなくなるような気もする。
『列藩騒動禄』の下巻の方は、いつかまた読んでみよう。この類の本は、続けて読む必要はないので、「いつか」ということにしておきたい。列藩の騒動について厳密に史実を探る必要性も、今のところはないし、史伝として読んでいるに過ぎないのだから。
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