この2~3日、久しぶりに晴れ渡った青空が広がっているが、気温が低いために寒い。暦の上では春で、先日、熊本のSさんから「熊本では桜の開花宣言が出されました」というメールをいただき、こちらでもそろそろ咲き始めるころだろうが、今年の冬は頑固に頑張っている感じがする。被災した東北では雪が舞って、身も心も凍るような日々もある。
原子力発電所から流失している放射能の被害もかなり広範囲となり、決死の覚悟で事態の収拾に臨まれている作業員も被曝されたという報道が伝わり、痛み、嘆き、悲しみの中で人々の不安も増大し、未曾有の困惑だけが一面を包んでいる。復興に向けての歩みも始められているが、悲嘆は覆う術がなく、人はいつも痛みと悲しみを抱えながら生きていかなければならない。ただ、人はどんな状態の中でも生きていけるし、生きていく知恵もある。いたずらに薄っぺらな希望を振り回すよりも、黙々と歩むこと、そのことを改めて覚えたりしている。日本の社会の中で、とくに東北の人たちは、歴史的にも多くの辛苦をなめ、その中を忍耐強く、粘り強く生きてきた資質を宿されているのだから、その資質に深く頭が下がるのを今回も覚える。24日(木)に、こちらで「炊き出し支援」をしている人と少し話をしたりした。
個人的には、風邪の症状の中で咳だけが残って、まだ風邪薬のお世話になっているのだが、辛さからはずいぶんと解放されてきた。体質になってしまっているのか、一度風邪を引くと回復に時間が掛かるようになってしまった。ただ、様々なことを受け入れ、受け入れして生きていくしかないと思っているので、精神的にまいることはなく、平常と変わりない。
発熱で寝込んでいる中で読んだ小説のひとつに、佐伯泰英『密命 弦月三十二人斬り<巻之二>』(2007年 祥伝社文庫)があるので、ここで記しておくことにする。 これは、2010年末で24巻を数える長大なシリーズとなっている剣豪小説で、江戸幕府の将軍家争いを演じて八代将軍徳川吉宗に敗れ、吉宗を激しく憎む尾張徳川家の陰謀と、その陰謀を阻止したために尾張徳川家から次々と送り出される刺客に立ち向かわざるを得なくなった直心影流の達人である剣客金杉惣三郎と、剣の道を究めようとするその息子清之助の活躍を描いたもので、その家族である長女の「みわ」、後妻の「しの」とその間にできた次女の「結衣」などの家族愛が盛り込まれ、穏和で質素、質実剛健の金杉惣三郎の人柄などが描き出されて、テレビドラマにもなる長大なシリーズとなっている。
「巻之一」の『見参!寒月霞斬り』で、豊後相良藩(架空)の藩主を巡るお家騒動から藩主の密命を帯びて江戸で浪人生活をすることになった主人公の金杉惣三郎は、直心影流の秘剣「寒月霞斬り」を使って陰謀を粉砕し、この「巻之二」で『弦月三十二人斬り』で、豊後相良藩江戸留守居役として復命し、手腕を発揮して、藩主の厚い信頼の中で、倹約を励行する一方で藩の物産品の販路を広げるなどして藩の財政を立て直し、借財の返済を行い、藩政の立て直しに向けての日々を過ごすことになるのである。
時はちょうど僅か四歳で七代将軍となった徳川家継が七歳未満で死去し、将軍家の跡目を巡って、徳川御三家である紀州徳川家と尾張徳川家(水戸徳川家には継嗣となる資格者がいなかった)が壮絶な争いをし、紀州の徳川吉宗が第八代将軍となることが決定した頃だった。
しかし、吉宗の出生には、吉宗の生母が紀州和歌山城大奥の湯殿番という身分の低いこともあって(吉宗の生母は「御由利-おゆり-の方」と呼ばれる)、早くから疑義がもたれ、また、吉宗が紀州藩主となるにあたっては、継嗣であった長兄や次兄、父親までもが次々と死去したこともあり、御三家筆頭であった尾張徳川家の当主も若くして相次いで死去したことなどから、吉宗の将軍職就任にはいくつかの陰謀説が起こったりしていたのである。
本書では、この徳川吉宗の出生を巡っての、その秘密を秘匿しようとする紀州徳川家と、秘密を暴露して吉宗の将軍職就任を阻止しようとする尾張徳川家の争いに小藩である豊後相良藩が巻き込まれ、相良藩江戸留守居役の金杉惣三郎も藩を守るための決死の働きをしていくということになっている。
事の起こりは、相良藩主の夫人となった麻紀姫が相良藩下屋敷で月見の宴をしようとしていたところを何者かに襲撃され、麻紀姫の乳母であった「刀祢(とね)」が殺されたことに発する。江戸留守居役としての金杉惣三郎は、なぜ相良藩が襲われ、「刀祢」が殺されたのか、襲撃者がどのような背景をもっているのかなどを探るうちに、「刀祢」が、かつては将軍職に就こうとする徳川吉宗の乳母で、その出生の秘密を知っていたことを知り、また、襲撃者が紀州藩主に仕える忍びの集団であることを知っていく。そしてそこに吉宗の出生の秘密を暴露して将軍職就任を阻止しようとする尾張徳川家の暗躍が絡んでくる。 将軍職を巡っての尾張徳川家と紀州徳川家の争いに巻き込まれた小藩である豊後相良藩はひとたまりもなく潰されてしまう。江戸留守居役としての金杉惣三郎は、懸命に藩の存続のために働き、藩籍を離れ、再び一介の浪人となり、ことの収拾のために働くことにする。そして、「刀祢」が残した吉宗修正の秘密を記した証拠の書を巡って暗躍する紀州の忍び集団と尾張の暗殺集団に対峙していくのである。
この展開の中で興味深いのは、吉宗の生母が和歌山城大奥の湯殿番であった「御由利の方」ではなく、実は朝鮮通信使に随行させられてきたマカオ生まれの異国の娘でキリシタンでもあったという奇想天外の発想が、無理なく、あり得るかも知れないという形で、しかも物語展開の鍵として設定されていることである。「巻之一」でも相良藩の藩主を巡る争いの元になったのが、藩主が集めたキリシタン本にあるということで話が展開されているのだが、こうした設定は作者独自の世界感覚ではないかと思う。
興味深いことのもうひとつは、南町奉行になる前の大岡忠相(越前守)が、主人公を高く評価し、共に事態の収拾に向けて行動することで、それなりの人物として描かれていることである。大岡忠相については、既に江戸時代から数多くの講談や歌舞伎、そして近・現代の小説やドラマで名奉行として取り上げられ、人情溢れる庶民の味方、正義の士としてのイメージがほぼ定着しており、ここでもそうしたイメージで名判断を行う人物として登場している。 さらに、物語の流れの中で、金杉惣三郎自身や家族の姿が盛り込まれ、金杉惣三郎の長男である「清之助」がまだ自分の道が見いだせずに放蕩していく姿や長女の「みわ」の健気でそれでいてしっかりした姿、前妻亡き後に惣三郎と相愛になりながらも身を引いていた「しの」の姿と再会、その間に「結衣」という娘が生まれたことなどがあり、物語の主筋と剣豪としての活躍以上に、家族愛や周囲の人々への思いやりなどがあり、作品が単なる剣豪小説ではなく、家族愛を描いた作品にもなっていることが、作品が内包する豊かな妙味である。
ただ、シリーズはその後もまれに見る長大なものとなっており、それらを読んで見ると、その後、市井で剣術道場を開くことになる金杉惣三郎や剣の道に邁進していく清之助の姿が、剣豪としてあまりにも並外れた理想的なものとなり過ぎているような気がしないでもない。それぞれの子どもたちがそれぞれの成長していく姿が克明に描かれているので、それはそれで面白いものになってはいるが、個人的には、剣の闘いの場面が人並みを越えているところは、どうもしっくりこない感があるし、作者のもうひとつの長大なシリーズとなっている『居眠り磐音 江戸双紙』と重なるところが多いような気もする。
ともあれ、なぜこの作者の作品が極めて多くの人々に好んで読まれるのかは、分析に値するかもしれない。
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