2011年4月7日木曜日

宮部みゆき『淋しい狩人』

 今日も春めいた陽射しが降り注ぎ、現状の右往左往をよそに、自然はゆっくりと動いている。人が自然と同じようなスローなペースで生きていればいいのだが、人工的に造られた物は人工的に壊れ、その壊れ方がひどいので、しなくてもいい苦労が山のように襲ってくる。そういう現状の中で、統一地方選挙の選挙カーが候補者の声を連呼して五月蠅い。知事選の演説を聞くと、この国の政治思想はつくづく貧しいと思ったりもする。


 昨夜は遅くまで起きていて、宮部みゆき『淋しい狩人』(1993年 新潮社)を読んだ。宮部みゆきの時代小説の中では『孤宿の人』が最も感動的で最も味わい深い作品だと思っているが、これまで読んだ時代小説以外の作品になかなか行き当たらずに、こうした「現代物」を時折読んでいる。


 これは、六話からなる一話完結型の短編連作推理小説で、連作となっている探偵役の主人公は、現役を引退したが友人の死去によって引き受けた古本屋を営む六十歳代の「イワさん」と呼ばれる岩永幸吉という異色の人物である。人生の経験を重ね、明晰な頭脳を働かせて難事件を解決する老女を主人公にしたアガサ・クリスティーの『ミス・マープル』を思わせるような設定だが、こちらは、古本屋だけに本にまつわる事件が取り扱われ、「イワさん」の店を週末だけ手伝いに来る高校生の孫息子との掛け合いや、その孫息子が陥った恋愛なども絡んで、物語の余韻も残るようなすっきりした短編推理小説になている。


 話の内容も、小金を貯め込んでいる姉の財産を狙った妹夫婦の悪巧みや(「第一話 六月は名ばかりの月」)、平凡に生きざるを得ない息子が、平凡に生きていた父親の死によって知ることになったある事故の真相を「イワさん」の名推理で教えられていくことになったり(第二話「黙って逝った」)、改築されることになった古い家の跡地の地下にあった戦争中の防空壕から発見された遺骨を巡る悔恨を察していったり(第三話 「詫びない年月」)といった日常的に起こりうる出来事が取り上げられている。


 また、教師による子どもの虐待という極めて現代的な問題が取り上げられたり(第四話「うそつき喇叭」)、取り柄がなくて生き甲斐を見いだず、少しひねくれた若い女性がふとしたきっかけで知ることになった会社の金を横領して自死した男女の姿が描かれたり(第五話「歪んだ鏡」)、作家が描いた未完の推理小説を模倣する事件で、行くへ不明で死亡したと思われていたその作家が生きて証言し、その事件が単なる模倣犯に過ぎないことを明白にしたり(第六話「淋しい狩人」)、ある意味で現代社会が抱えている暗部を照らすような内容が展開されている。


 これらの作品のテーマのいくつかは、まだ読んではいないが、『模倣犯』とか『楽園』といった作品名がすぐ思い浮かぶので、さらに徹底した形で後に長編として展開されていると推測されるから、そういう意味で、ここで取り扱われたテーマは、作者の中でデッサンのようなものとなっているのではないだろうか。


 静かに人生の経験を重ねてきた主人公であるだけに、物語の展開に余韻があり、短編の良さも充分にある。しかし、宮部みゆきは優れたストーリーテラーとして長編がいいと思う。長編になると、文章も膨らんで独特の感性の豊かさが感じられたりするし、なによりも悲喜こもごもの人間の姿が丁寧に描かれているからである。宮部みゆきは優れた作家として数々の賞を受賞しているが、なるほどその作品は豊かだとつくづく思う。

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