2011年6月1日水曜日

米村圭伍『山彦ハヤテ』

 梅雨の重苦しい空が垂れ込めて、肌寒い。厚めのポロシャツやカーディガンなどを引っ張り出し、ズボンも少し厚めのものを着用しているが、ひやりとした寒さがある。やはりどこかおかしな具合だとつくづく思ったりする。終わりのない仕事に明け暮れている。
 
そういう中で、米村圭伍『山彦ハヤテ』(2008年 講談社)を面白く読んでいたので、ここに記しておくことにした。

 米村圭伍の作品は、最初の『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)を初めとして、これまでいくつか読んできて、歴史的な考証を踏まえながらも奇想天外な発想によって、軽妙な語り口で物語が戯作として展開される面白さを感じてきたが、この『山彦ハヤテ』は、歴史的な事柄についての考証が影をひそめながらも、心優しく山中や市井を放浪する小藩の藩主の姿を、事情があって山中で暮らす「ハヤテ」という少年の姿と共に描き出して、その小藩のお家騒動の顛末を作者独自の風合いで展開したものである。

 父の後を継いで奥羽の小藩の藩主となった三代川正春は、最初のお国入り(領地に行くこと)の時、藩の実権争いをする家老たちの争いのために、信頼していた家臣から裏切られて山中で命を狙われることになる。偶然が幸いした形でそれをなんとか切り抜けたが、意識を失って倒れてしまう。その山は御留め山(出入り禁止の山)で、彼の命は風前の灯火となってしまうのである。

 だが、その時、彼は、その山中でひそかに暮らしていた「ハヤテ」という少年に助けられる。「ハヤテ」は、新田開墾に携わった水呑百姓の子であったが、台風で母親を亡くし、博打と酒に溺れてしまってついには強盗となった父親から捨てられ、追われて逃げ出し、人の出入りが禁止されている御留め山に逃れて、ひとりで何とか生きのびていた少年だった。過酷な体験が彼に生きのびる知恵を与えていた。

 その「ハヤテ」に助けられた三代川正春は、「ハヤテ」との山中での暮らしの中で、初めて自分の身を心底心配してくれる人間に出会ったことを感じたし、孤独に生きてきた「ハヤテ」も、自分を受け入れてくれる人間に出会い、二人の信頼は深まっていく。また、物怖じしない三代川正春が、ある時、骨をのどに詰まらせて死を迎えるばかりになっていた狼を助け、その狼との信頼も深めていくのである。

 だが、異母弟を藩主に据えて藩の実権を握ろうとする家老と我が子を藩主にしたいと切望する義母が放った追っ手が迫り、またそれに対向することで藩の実権を握ろうとする国家老の探索が進んで、三代川正春は「ハヤテ」と分かれて城中に戻らなければならなくなる。

 正春が無事に城中に戻ったことで、彼を殺そうとした家老一派の陰謀は頓挫するが、今度は自己の保身のために美貌の女性を使って正春を自家薬籠中のものにしようとする国家老によって、性の懊悩の中に突き落とされたりするし、義母は変わらずに彼の命を狙い続ける。心優しい彼は、異母弟を大事にし、義母を処罰することを躊躇していたが、義母は、我が子を藩主にすることに執念を燃やし続けていたのである。

 国家老の企みに気づいていたので、美貌の女性にかしずかれて性の懊悩に悩んだ正春は城から逃げ出し、そこを義母が放った刺客に狙われるのである。その時、寂しさに耐えきれなくなって正春に会いに来た「ハヤテ」と正春が助けた狼、そして、城の下肥を引き取っていた百姓の娘に助けられていく。そして、「ハヤテ」は、偶然知り合った鎧作りの老人から弟子になることを勧められ、弟子入りするのである。だが、弟子としての学びがつらく、彼は逃げ出して再び山中に帰ったりするし、三代川正春は、国家老の企みを知りつつも美貌の女性の魅力に負けて彼女を側室にしてしまったりするのである。

 こうして時が巡り、三代川正春が再び参勤交代で江戸表に帰ることになり、「ハヤテ」を弟子にしたいと願った鎧作りの師匠も、再び「ハヤテ」を弟子にする機会を与えるために、自分の作品を江戸に届けて欲しいと依頼し、参勤交代の荷物持ちということで「ハヤテ」も江戸に出ることになる。だが、その途中でも、義母が放った刺客が彼の命を狙い、大勢の命を巻き込むような策に出てしまう。

 しかし、いくつかの偶然が重なったり、「ハヤテ」や彼についてきた狼の助けがあったりして義母の陰謀はすべて頓挫し、義母は自分の望みが立たれたことを知って自死する。「ハヤテ」もまた師匠から依頼された物を盗まれ、それを巡っての一騒動に巻き込まれたりする。そして、そこで、騒動の基となった男が自分を捨てた父親であることを知ったりする。

 こうした騒動の中で、正春の異母弟は、慕っていた異母兄を殺そうとしたとはいえ、その母親の心情を思い、また兄のことを思い、出家の道を選び、「ハヤテ」もまた再び手に職をつけた立派な大人になるために再び鎧職人の弟子としての道を歩み始めることになるのである。

 この作品は、こうしたいくつもの話が軽妙に、しかも、あまり無理がなく、いいテンポで進められるが、登場する人物の多くが、ある場合には自己の保身に走ったり、出世や権力を握ろうとしたり、現実を生きのびるために画策したりするにしても、主人公を殺そうとする義母を含めて、「心優しい」人間たちである。そして、人の心の「さびしさ」ということが物語の全体を流れていき、人の寂しさが人によってしか癒されないことが語られていくのである。

 米村圭伍という作家は、人が孤独であり、その孤独の寂しさのゆえに人の温もりを求める姿を軽妙な語り口の中で記す作家である。わたしは彼のそういうところをひどく買っている。その意味で、この『山彦ハヤテ』は、なかなか味のある作品だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿