2011年8月13日土曜日
上田秀人『錯綜の系譜 目付鷹垣隼人正裏録(二)』
炎天とか猛々しい暑さとかいった言葉がぴたりするほど暑い。夜になっても空気が少しも冷えないので、うだってしまう気がしたりする。芥川龍之介は「うさぎも片耳たれる暑さかな」と暑中見舞いに書いたそうだが、両耳どころか首から上が垂れてしまうような暑さに包まれている。蝉の声がやけにジリジリと響く。ただ、夏休みで帰省されている人が多いのか、それとも炎天下で出歩く人が少ないのか、ほんの少し街は静かである。
さて、上田秀人『神君の遺産 目付鷹垣隼人正裏録(一)』に続いて、その続編である『錯綜の系譜 目付鷹垣隼人正裏録(二)』(2010年 光文社文庫)を読んで見た。前作で、徳川家康が残した徳川将軍家に関わる謎を追うことになった目付の高垣暁(隼人正)は、家康が最初に葬られた久能山の家康廟を訪ね、老中が放った伊賀者との箱根での死闘の後に江戸へ戻り、三代将軍徳川家光の出生に関わる謎を追って、さらに日光の東照宮へと向かうことになる。
江戸に帰った鷹垣暁は、さっそく、林羅山が集めて残した家康の遺物文書や徳川家の文書を調べるために林家の書庫にこもる日々が続いていくが、その間、徳川綱吉と側室のお伝、そしてお伝の方が使う黒鍬者たち、老中御用部屋首座の大久保加賀守忠朝の思惑とその意を受けて働く伊賀者たち、家光の孫で将軍位を狙う甲府藩主徳川綱豊とその手先の甲斐忍者、徳川家の秘密を守り続けようとする上野寛永寺慈眼衆の僧兵たち、あるいは目付部屋の同僚や使われる徒目付といった鷹垣暁の探索を巡る者たちの、それぞれの思惑が錯綜していく。
作者の上田秀人は、これらの人物をそれぞれに描く際に、それぞれが置かれた立場を丹念に描き、それぞれが自分の立場を守るために、あるいは上昇してよりよい立場を得ようとするために体制の中で苦闘する者として描き出している。体制の中で生きるための必然が彼らを駆り立て、また死地へと赴かせていくのである。そこに、使う者と使われる者の悲哀がにじんでいく。
その中で、主人公の高垣暁は何度も襲われ、その度に親友の五百旗平太郎(いおき へいたろう)によって助けられながら、事態と古文書に隠された謎を分析していく明晰さで、徳川家の謎を追い続けるのである。彼自身も徳川綱吉に使われる者であることを意識して、事実を明白にすることだけが自分の身を守る方法であることを深く知っていく。
そして、日光の東照宮にすべての争いが集結し、徳川家の秘密を守ろうとする上野寛永寺慈眼衆に襲われる中で、自分の推測が正しいことを確信する。それは、家康の顧問として実権を握っていた天海大僧正が、実は、織田信長の命で切腹をさせられた家康の長男の徳川信康であり、その信康と春日局の間にできた子どもが徳川家光であるというものである。もちろん、これは作者の奇抜な着想にほかならない。この着想が、物語の後半で急展開して述べられ、結末が急ぐようにして語られるのは、少しもったいない気もするが、切腹させられた信康を思う家康の父親としての心情が、天海大僧正という存在に繋がるという着想はなかなかのものだと思う。
歴史的にも天海大僧正に関しては謎が多く、家光の乳母であった春日局が大奥を作り徳川家存続のために何故あれほどの実権を持ったのか、またなぜ初期の頃は卓越した政治手腕を発揮した徳川綱吉があれほど世継ぎに執着して「生類憐れみの令」といった悪法を敷いたのかは解釈が分かれるところであるから、こういう歴史上の着想が全く荒唐無稽のものではないので、それを親子や夫婦の「情」として語るところに、この作品の面白さがあると思う。
この作品は、登場人物たちの描写と把握がしっかりして、どの人物も「生きた人間」として描かれ、しかも制度や体制の中で何とか息をつこうと必死になっている姿で描かれるので、物語に息がある。また、主人公の鷹垣暁やその妻、友人の五百旗平太郎などがお互いの会話でしっかり描かれ、生死観や社会観、家族観や夫婦観などが生きた言葉として語られ、作者の力量が相当なものであることがわかる。
人はそれぞれに苦悩と哀しみを負いながら生きている。この作品を読みながらそういうことを改めて感じた。これはそういう作品だった。
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