気温の低い肌寒い日になった。書きかけている葉室麟『いのりなりけり』を書き終えようと慌ただしい時間の中でパソコンの前に坐っている。書けば書くほど様々なことが思い浮かんでくる。それだけ良質の作品だと言うことだろう。
その『いのちなりけり』の続きであるが、中院通茂のもとで働くことになった雨宮蔵人は、否応なく霊元天皇の後継者争いで起こった小倉事件に巻き込まれていくことになる。本書では小倉事件の詳細が述べられているのではないが、公然と天皇と幕府を罵倒した中院通茂を江戸幕府は快く思わず、老中柳沢保明がかつて蔵人を追いかけていた剣客の巴十太夫らの手の者を隠密として送り込んできたりして、雨宮蔵人は中院邸の警護を任じられたりするのである。そこには、公家どうしの勢力争いもあり、幕府と朝廷の微妙な関係が影を落としていくのである。また、徳川綱吉が母親の桂昌院(徳川家光の側室お玉)のために叙位を受けることを願い出て、それを朝廷側が渋ったこととも関係してくる。
他方、江戸では水戸光圀の側近藤井紋太夫が徳川綱吉の光圀嫌いを案じて隠居を勧め、その裁可が下りるように光圀と対立していた老中柳沢保明に会ったりして、光圀は、遂に隠居し、隠棲する。
また、柳沢保明は、水戸光圀を排除するために、光圀と親しい佐賀藩主鍋島光茂が幕府を批判した中院通茂から古今伝授を受けることに、それが朝廷と結びつき幕府に謀反することになるという言いがかりの噂を出したりする。さらに、柳沢保明は、小城藩で起こった家老の天源寺行部が暗殺された事件を表沙汰にして、これを幕府評議所にかけ、鍋島光茂の古今伝授とあわせて謀反の企みとして暴き、中院通茂と親交の深い水戸光圀がその手配をしているということで水戸光圀を糾弾する企みをもっていたのである。そして、将軍徳川綱吉の「生類憐れみの令」に対して辛らつな批判をした光圀の立場はますます悪くなり、藤井紋太夫は、それを押さえるために柳沢保明に賄賂を贈る。そして、水戸藩を救ったが光圀の意を損なったということで光圀が断罪するのである。
そのため、柳沢保明は、小城藩の不祥事の証人である雨宮蔵人を捕らえようとするし、柳沢保明の陰謀を砕くために、水戸光圀と鍋島元武は、証人となる雨宮蔵人をなきものにしようと巴十太夫を使うことにする。巴十太夫は、かつての剣術師範の地位を得るために、ある時は柳沢に、またあるときは水戸光圀の意を受けた鍋島元武に使われていくが、雨宮蔵人はすべてを敵に囲まれた四面楚歌の状態に置かれるのである。光圀は、自分の奥女中として仕える咲弥の想い人が雨宮蔵人であることを知って、彼女を使って雨宮蔵人を江戸におびき寄せようとする。
水戸光圀が咲弥を使って雨宮蔵人を江戸におびきよせようとしていることを知った光圀の家臣である佐々介三郎(宗淳-助さん)と安積覚兵衛(格さん)は、咲弥とも親しいし、光圀が鍋島藩の内情に関与してひとりの武士を抹殺したということになれば、大変な事態になると考え、相談して、水戸藩邸ではなく上野の寛永寺に来るように手配することにする。その書状を飛脚問屋の亀屋のお初に依頼する。
お初は、かつて摂津湊川で雨宮蔵人に助けられた娘で、あの事件以来、父親の小八兵衛とともに江戸に出てきて飛脚問屋を営んでいるのであった。このお初が、蔵人と咲弥のために一役買っていくが、雨宮蔵人を江戸で待ち受けているのは、ただ窮地の罠である。柳沢側からも水戸光圀や鍋島家からも狙われる。しかし、蔵人は、ただ、自分が愛する咲弥に会うためだけに、窮地に陥ることを十分に承知の上で江戸へと向かうのである。咲弥も光圀の意図を知っていた。しかし、武家には守らなければならないものがあるし、蔵人が江戸で死を迎えることになるなら自分も死ぬ覚悟でいた。
雨宮蔵人はひたすら咲弥に会うために江戸へ向かう。途中、何度も巴十太夫が放った刺客に襲われるが、窮地を脱して、ようやく江戸の飛脚問屋亀屋へたどり着く。亀屋の女主人のお初は、なんとかして咲弥と会わせようとするが、咲弥がいる水戸藩邸に出向いたときに人質として巴十太夫に捕らわれてしまい、蔵人と咲弥が会うことになっている前日の夜に蔵人は、両国橋に呼び出される。
蔵人は両国橋に赴き、お初を助け、巴十太夫と死闘を繰り広げる。そして、背中を槍で刺され、大川(隅田川)に転落してしまう。約束の刻限が来ても、蔵人の姿は上野の寛永寺には現れない。寛永寺の門前には蔵人を討つ命を受けた水戸藩士が見張っている。もはや、蔵人が寛永寺に来ることは不可能に思える。だが、咲弥は待ち続ける。そして、ようやく、独りの武士が足を引きづりながら現れる。
ここが、本書の一番の山場であるから、抜き出しておこう。
「蔵人の姿はひどくみすぼらしかった。水に濡れ、よく乾かぬままの着物には返り血らしいものがとんでいた。さらに着物や袴のあちこちが避けている。
しかも蔵人は頭に血が滲んだ白い布を巻いていた。着物の下にも傷口を押さえるためにか布を巻いているようだった。腰には脇差しを差しているだけだった。蔵人が激しい戦いを行ってきたことは誰の目にも明らかだった。
蔵人の顔は出血のために青ざめていた。ゆっくり一歩ずつ歩いてくるが、待ち構えていた水戸家の武士たちも、気を飲まれたように動くことができなかった。
蔵人にはそんな武士たちの姿が目に入らぬようである。
門に立つ咲弥の姿を見て微笑した。
・・・・・・・・・
蔵人にもはや戦う力が残っていないことは明らかだった。それでも蔵人の歩みは止まらないのだ。
・・・・・・・・・
蔵人は男達の前をゆっくりと咲弥に向かって歩いていった。咲弥の前に立った蔵人は苦しげだったが頭を下げて、
「遅くなりました、申し訳ござらぬ」
「本当に、十七年は待たせすぎです」
咲弥の目には光るものがあった。
「されど、咲弥殿との約束は果たせましたぞ」
蔵人は嬉しげに笑った。
「さよう-」
咲弥はうなずいて口にした。
春ごとに花のさかりはありなめど
蔵人が手紙に書いてきた和歌の上の句である。
・・・・・・蔵人はあえぎながらも咲弥に続いて詠じた。
あひ見むことはいのちなりけり
蔵人は崩れ落ちるように倒れた。
「蔵人殿―」
咲弥が蔵人を抱えた。咲弥の胸に抱かれた蔵人は穏やかな微笑を浮かべていた。
寛永寺の桜はこの日、真っ盛りである。上野の山を春霞と見紛う桜が覆っていた」(文庫版277-279ページ)。
まさに圧巻という他はない。作者はこの場面が描きたくて、長い物語を書いたのではないかと思われるほど、この場面は感動的である。ふと、五味川純平の『人間の条件』のラストシーンを思い起こした。『人間の条件』の主人公は、敗戦後の凍てつく荒涼とした満州の原野の中を、飢えと疲労と寒さで死にかけつつも、もはや凍りついてしまった一握りの饅頭を、「みちこ、みちこ」と愛する者の名を呼びながら、「お土産だ」と握りしめて、ただひたすらに愛する者に向かって歩みを続けていくのである。そして、原野の中で倒れ、その上を白い雪が覆っていく。
『いのちなりけり』の雨宮蔵人も、彼を討ち取ろうとする武士たちの中を傷つきよれよれになりながら、ただひとり愛する者にむかって歩んでいく。そして、穏やかに微笑して倒れるのである。それは、まさに「いのちなりけり」以外の何ものでもない。
この後、少し事後譚が記され、京都の中院通茂から寛永寺の輪王寺宮に元へ蔵人の庇護を願う手紙をもった佐々介三郎の計らいで、蔵人と咲弥は寛永寺で庇護され、その後、蔵人と咲弥は京都へ向かい、柳沢保明の命を受けて動いていた黒滝五郎兵衛が京へ向かう途中の雨宮蔵人を待ち受けて、蔵人と対決し、蔵人は五郎兵衛の命を受け取ると語って五郎兵衛を倒すのである。島原の乱以来佐賀藩に恨みを抱いていた五郎兵衛は雨宮蔵人のような人間に討たれて死を迎えたことに満足するのである。
この物語は、どちらが正義とはいえないような醜い権力争いに否応なく巻き込まれて人生を変転させながらも、矜持をもってただひたすらに愛する者への愛を貫いた人間の物語である。歴史上の人物と事件に中に主人公を置いて、その中を翻弄されながらも、ひたむきに生きる人間の姿を描いた物語であり、貫くものが愛する者への深い愛情であるだけに、まことに尊い生き方を示した物語になっていて、深い感動をもって読み終わった。葉室麟の代表的作品になるだろうと思う。
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