2013年4月8日月曜日

宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(1)


 土・日曜日と春の嵐が荒れ狂ったが、今日は一転して穏やかな春の陽射しがさし、暖かく過ごしやすい日になっている。朝から窓を開け放ち、寝具を干して変えたり、掃除や洗濯をしたりしていた。現代社会は日常を保つだけでもかなりの能力と根気がいる、などと大げさなことを考えて、ふとおかしくなったりした。古いパソコンに保存しているファイルが、早く整理してくれと言っているような気もする。

それはともかく、週末にかけて、宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(2010年 文藝春秋社)を、やはりこの人の作品はいいと、つくづく思いながら読んだ。『髪結い伊三次捕物余話』は長いシリーズになっていて、これは、その九作品目で、ますます、作者が醸し出す温かさや柔らかさが全体を包むようになって、円熟味が増しているように思う。

 このシリーズは、廻り髪結いをしながら奉行所同心の手先として働く伊三次と、気が強くてきっぷのよいしゃきしゃきの深川芸者であるお文の恋から始まり、障がいを乗り越えながら夫婦となり、今度はその子どもたちの成長物語となっていくが、彼を使う奉行所同心である不破友之進の家族や子どもたちの成長物語も描きつつ、青年期から家族を持つようになり、やがて世代がその子どもたちに移っていく姿も描く一大叙事詩ともなっている。そして、一話一話も味わい深い。

 本書の巻末に、これまでのこのシリーズの短い紹介があり、書名だけでも抜き出してみると、伊三次が奉行所同心の手先となる過程やお文との出会いとその恋を描いた第一作となる『幻の声』から始まり、美貌のお文に囲い者にならないかと申し出る商人の出現で人生と恋の狭間で悩むお文と伊三次のすれ違いを描いた『紫紺のつばめ』、お文に執着する商人が嫉妬に狂ってお文の家に火をつけるという顛末になる『さらば深川』、伊三次と夫婦になり仕事を辞めるが、伊三次の髪結いの弟子ができたり、近所との折り合いがわるくなったりしていく『さんだらぼっち』、二人の間にやっと子どもができるが、廻り髪結いだけの生活が苦しくて再び芸者としての働きに出るが、お腹の子が逆子とわかって心配する『黒く塗れ』、奉行所同心の不破友之進の息子の龍之進が元服して同心見習いとして出仕し始め、仲間たちとの交流を深めていくが難題を抱え続ける『君を乗せる舟』、幾分気弱な人間に育った伊三次とお文の息子の伊与太を親として案じる姿や伊与太の成長、見習い同心としての不破龍之進たちの活躍、龍之進の妹の茜のきかん気ぶりを描く『雨を見たか』、見習い同心から晴れて番方若同心になり、一人前になっていく不破龍之進の人間的な成長を描いた『我、言擧げず』となっている。それぞれが、それぞれの事件に絡めて展開されているのだが、何よりも作者の人間を見る目が温かいのがいい。

 そして、本書では、不破龍之進は父親と同じ定町廻り同心になっており、不破友之進は臨時廻り同心となり、伊三次の弟子も一人前である。伊三次の息子の伊与太は絵師に弟子入りしているし、娘の「お吉」も成長して九歳となり、賢い少女となっている。龍之進の妹の茜は、その性格通りに剣術の修行に明け暮れくれるはっきりと物を言う女性となり、兄の不破龍之進は二十七歳で、本書はその彼の嫁取りの話である。奉行所の仲間内で、なぜか彼だけがまだ妻帯していなかった。本人の焦りと周囲の思惑、そんなものが交差していくのである。

 第一話「今日を刻む時計」は、伊三次とお文の娘で、賢い少女になっている「お吉」の話から始まる。「お吉」は、父親や母親の状況をよくわかる子だが、母親のお文が芸者をしているために少し寂しい思いをしている。「お吉」の家にはお文が気に入っている女中の「おふさ」が台所仕事をしており、「お吉」は、その「おふさ」からもいろいろなことを学びながら育っている。

 「おふさ」は、葛飾村の農家の出身で、十六の時に同じ農家に嫁いだが、亭主に女がいて、その女が子を産んだために婚家を追い出されて、実家で畑仕事などを手伝っていたところを八丁堀で女中奉公をしないかと誘われて、その奉公先がお文の家だったのである。「おふさ」もお文に似て、はっきりと物を言う女性で、「お吉」が悪さをしたら本気で叱ったりもする。お文は、そこのところも気に入っているのである。この「おふさ」の恋の物語が後に展開される。

 「お吉」の成長ぶりが語られたあと、物語は不破龍之進の現況へと展開する。不破龍之進は、芸者のお文ができりしている芸妓屋に入り浸って、幾分ふしだらな生活をするようになっていた。二十七歳になっても、持ち上がる縁談がことごとく断られ、いくぶん自棄になっていたのである。縁談が断られる理由が、母親がかつて吉原の遊女をしていたからだという。

 お文はそれを聞いて、龍之進の頬を張り倒して、「情けなくって涙が出ますよ」(23ページ)と言い放つ。そして父親の友之進が妻を迎えたときの顛末を次のように啖呵を切って言う。

 「不破の旦那は男でござんすよ。奥様をずっとお慕いしていて、奥様が吉原にいると聞くと矢も楯もたまらず駆けつけたそうだ。若旦那のお祖父様も偉かった。何も言わず奥様の身請け料を工面なすったんだ。奥様は旦那とお舅お姑さんの恩に報いるために、一生懸命、同心の妻になろうと努められた。これまで、若旦那は奥様に僅かでも吉原の匂いを嗅いだことがありましたか?奥様は武家の娘の気質を失っていなかったんだ。わっちはとても奥様の真似なんてできない。それなのに、若旦那は奥様のせいで縁談を断られたと恨んでいるご様子。若旦那がこれほど了見の狭い男だとは思いませんでしたよ」(24ページ)。

 ここでのお文と龍之進のやりとりを読んでいると、しゃきしゃきのきっぱりした女性として、まるでお文が生きてそこでしゃべっているようなリアリティがある。しかし、龍之進はなかなか煮え切らないのである。

 他方、龍之進の妹の十五歳になる茜は、家事も裁縫もだめで、下男の三保蔵を連れて剣術の修行に明け暮れている。

 三保蔵は十年前から不破家で奉公をしている男で、元は盗人である。三保蔵は人足寄場に送られてこともあり、そこから戻った時に、この先真人間になるなら自分が面倒見ようと言って不破友之進が引き取ったのである。その時、三保蔵は四十も半ばになり、若い頃の酒の飲み過ぎで身体を壊しており、身寄りもなかったからである。

 ところが、体調が回復すると、盗人根性が頭をもたげ、不破家から金を盗んで逃げようとしたのである。そこを不破友之進の妻の「いなみ」に見つかってしまう。三保蔵は開き直って、隠し持っていた匕首で「いなみ」を脅した。しかし、「いなみ」は小太刀の使い手だった。「いなみ」は三保蔵を本気で成敗するつもりであった。そこに中間の松助が帰ってきて、間一髪で三保蔵は助かったのである。

 不破友之進は、三保蔵をもう家には置けないといったが、意外にも「いなみ」が、自分は本気で三保蔵を成敗するつもりであったが、運良く助かった。それを神仏の加護と捉え、三保蔵は必ず改心すると、執り成したのである。三保蔵はその一件以来、不破家の下男として働く決心をして、不破家に奉公しているのである。

 その三保蔵を連れて、茜はせっせと剣術の稽古に励むが、自分の力量に限界も感じていた。茜は伊三次とお文の子である伊与太のことも気になるし、「お吉」も妹のようにして可愛がっていた。そして、兄の自堕落ぶりに腹を立てていた。

 伊三次と友之進のそれぞれの子どもたち、伊与太、お吉、龍之進、茜といった構成や展開は、どこか平岩弓枝『御宿かわせみ』を思わせるものがあるのだが、本書の中で、伊三次とお文が住んでいる家の持ち主でもある箸屋の隠居である翁屋八兵衛がもつ櫓時計の話が出てくる。洋式の時計である櫓時計は高価なものだったが、このころ大名や商人たちも持つようになっていた。その時計が暮れ六つの時を刻んだとき、八兵衛が「これのお蔭で時刻をわすれることはなくなったが、・・・何だか寿命が残り少ないよと言われているような気がする」(38ページ)と伊三次に言うのである。つまり、未来を持つ若い者たちと老いていく者たち、そういう組み合わせで物語が進んでいくのである。こういうところが、この作品の温かみを醸し出していくように思われ、そこにこの作品の良さもあるような気がするのである。

 ともあれ、芸者の置屋で自堕落な生活をしていた不破龍之進だったが、日頃の鬱憤が溜まっていた料理屋の板前見習いが、その鬱憤を爆発させて日本橋で無差別に人を刺し、人質を取る事件が勃発し、他の役人たちが手を出せないでいたところに駆けつけてきて、あっという間にその板前見習いを取り押さえて人質を助けるという出来事が起こる。それで奉行所に出所し、芸者の置屋から自宅に帰るきっかけをもつことができて自宅に帰るようになる。

 龍之進はその犯人の取り調べに立ち合い、そこで犯人が、自分があのようなことをしでかしたのは「おっかさんのせいだ」というのを聞く。板前の修行が辛いから、辞めさせてくれといっても聞かず、邪険にされ、店では兄貴分から責められ、切羽詰って凶行に及んだというのである。龍之進は、自分の不幸を母親のせいにし、世の中のせいにする犯人を見るのである。犯人は自分が犯した犯罪を悔いてもいなかった。そして、その姿は、まるで自分と同じだと気づいていくのである。

 その夕、龍之進は、芸者の置屋で自堕落な生活をしていた時に、ねんごろになった「小勘」という女に妻にしろと迫られ、脅される。「小勘」は、「若旦那のおっかさんは吉原の小見世にいた人じゃないですか。立場上もへったくれもありませんよ。どうして吉原の女郎がよくて芸者が駄目なのかしらね。おかしな話じゃないの」と言われてしまう。「女郎を女郎と言って、何が悪いのよ」とまで「小勘」は悪態をつく。龍之進は、「母上を貶めたお前は許せん」と「小勘」の申し出を断る。「小勘」は龍之進を奉行所に訴えるとまで言い出す。

 そこに、伊三次の妻で「小勘」の姐さんでもあるお文が行きあわせてその話を聞き、「小勘」をいさめて、龍之進に「おなごを甘く見ると火傷をしますよ。小勘のことはいい薬になったと思って、これからは気持ちを入れ換えてお勤めに精進してくださいましな」と言い、自分や伊三次が人生を誤ったことがあることを話して、「人はね、変わるんですよ。手前ぇが間違ったことをしたと思ったら、二度としないと肝に銘じ、以後、まっとうに生きて行けば、昔のことなんてチャラになりますよ。また、そう思わなければ生きては行けない」と言う(71ページ)。

 その話を聞いて、龍之進は事件を早急に解決したことで奉行所からもらった祝儀を母親の「いなみ」の手に渡し、「これは母上に差し上げます。お好きなものをお買いなさい」と言い、「いなみ」はその祝儀袋を両手で受けて、その上にぽろぽろ涙をこぼすのである。龍之進は、「お許し下さい。わたしは悪い息子でした」と謝りたかったが、面と向かって言えないので「母上、腹が減りました」と言うのである(7374ページ)。

 伊与太は絵師になる修行をしている。だが、雑用ばかりの毎日だった。早く一人前になって父親の伊三次に楽をさせてやりたいと思っているが、なかなかそうはいかない。伊与太は、明日も明後日も父親は仕事をする。そしてそれは息のやむまで続くのだ、と思って、初めて父親に哀れなものを感じていくのである。

 人は、成長し、老いていく。時計はその時を刻んでいく。第一話「今日を刻む時計」は、過ちや後悔や失敗や喜怒哀楽を刻んで進んでいく時の中での人の姿を描いたものであり、伊三次と友之進の子どもたちが乗り越えなければならない課題をなんとか乗り越えていく姿を醸し出すのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿