2014年2月13日木曜日

高田郁『八朔の雪 みをつくし料理帖』

 すこぶる寒い。明日は、また雪の予報も出ている。考えてみれば、戦前の日本の方向を大きく変えた2.26事件の時も大雪だったのだから、当然と言えば当然かもしれない。時折、ソチオリンピックの放映を見ているが、「メダル、メダル」と騒ぐのは社会が未成熟の証しかもしれないとも思ったりする。マスコミ、特に民放の放映の仕方に成熟が見られないのは残念な気がする。

 未成熟と言えば、『永遠の0』を書いた百田尚樹氏の最近の言動を見ていると、作品は素晴らしかったが人間性を疑うようなところがあるなあ、と思ったりもする。ある都知事候補の応援をされていたが、わたしは個人的には政治的人間は嫌いである。

 それはさておき、前から少し気になっていたのだが、どこか、ひとりの女性が苦労しながら成功していく成功譚のような気がして読むのに躊躇していた作品があった。しかし、熊本のSさんがいい作品ですよ、と言われていたこともあって、高田郁(たかだ かおる)『八朔の雪 みをつくし料理帖』(2009年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を読んでみた。

 読んでみて、最初の印象は、作品全体の方向性などは、山本一力の『梅咲きぬ』(2004年 潮出版)や『だいこん』(2005年 光文社)、『菜種晴れ』(2008年 中央公論社)などのひとりの女性が苦労しながらも成功していくようなものと同じではあるが、女流作家ならではの細やかさと情話に満ちた作品で、文学性は別にしても、何度も感涙させられるいい作品だということであった。

主人公の「澪」が、決して美人とは言えないような、丸顔の下がり眉、目は鈴のようであるが小さな鼻は上向きで、緊張感のない顔つきをしているが、その心根がとびっきりいい娘であるというのもいい。時折「澪」に大事なことを教える「小松原」という謎めいた武士で、「澪」が秘かに恋心を抱いている人物から、「よお、下がり眉」と言われたりする。この「小松原」という武士は、このシリーズの中で大きな役割を果たしていく人物である。

 「澪」は、漆塗職人の娘として大阪生まれの大阪育ちだが、八歳の時に淀川の水害で、目の前で両親が流されていくのを見たのである。そして、両親をいっぺんに亡くし、天涯孤独の身となって市中をさまよい、空腹でたまらずに屋台の食べ物に手を出してしまい、ひどく折檻されているところを、居合わせた女性に助けられる。彼女を助けた女性は、大阪一の料理屋として名高い「天満一兆庵」の女将の「芳」で、女将としての器量も情の深さもある「芳」によって、そのまま「天満一兆庵」の奉公人として働くことになる。

 小さな子どもが運命に翻弄されて苦労し、心ある人によって助けられていく姿を描写するこの辺りのところで、わたしは何度も本を閉じて天を仰ぐことを繰り返さざるを得なかった。分かっていても感涙する。

 「澪」は奉公人として女衆(客を案内したり料理を運んだりする仕事)の仕事をしていたが、ある時に、天性の味覚を「天満一兆庵」の主人の嘉兵衛に見込まれ、板場に入って料理人としての修行を始める。女が板場に入ることは嫌われ、料理人とは認められない世界で、「澪」は嘉兵衛によって仕込まれていく。だが、禍福はあざなえる縄の如しで、その「天満一兆庵」が火事で焼けてしまうのである。

 そこで、嘉兵衛の息子の佐兵衛が江戸で支店を出していることを頼って、嘉兵衛と芳、そして天涯孤独である「澪」は江戸に出てきたのである。ところが、その佐兵衛は身を持ち崩して行くへ不明で、江戸店はなく、やむを得ずに神田御台所町の裏店で細々と暮らすことになったのである。「天満一兆庵」の再建を夢見ていた嘉兵衛は、その心労が重なって、その夢を「澪」に託して死んでしまい、今は、18歳になる「澪」と48歳の芳の二人暮らしである。芳もまた心労が重なって病気がちであり、「澪」は、その芳を助けて、煮売り酒場の洗い場などで働いて、細々とした暮らしが続いていた。

 そして、ある時、その長屋の近くにある祟りがあるから「おばけ稲荷」と呼ばれる稲荷が草ぼうぼうの荒れ果てたものとなっているのを、「澪」は、誰に言われたわけではないが、独りで黙々ときれいにしていくのである。その姿を見ていた種市という老人が「澪」を自分が営む蕎麦屋で働かないかと勧める。

 種市は、17歳で亡くなった「つる」という自分の娘を「澪」の姿に重ねて、「澪」に温かく接していく。「澪」は種市の「つる屋」で「澪」に料理を作らせたりする。だが、「澪」の作る料理は上方風の味つけで、客に喜ばれなかったりする。しかし、種市は「澪」が料理のために使う材料が無駄になっても、「澪」を温かく見守っているし、その店に時折やってくる「小松原」という侍も「澪」の料理を「面白い」といって励ましたりする。そして、種市が腰を痛めて動けなくなってしまい、店を任されていくようになる。

 こうして「澪」は、料理で苦労しながらも蕎麦の出汁で使った鰹節を使った「ぴりから鰹田麩」というのを作り、それが評判になっていくし、テングサから直接作る「ひんやり心太」や「とろとろ茶碗蒸し」というのを考案したりして評判をとっていくが、江戸料理番付の大関といわれる一流料理屋の「登龍楼」の妬みを買っていく。

 「登龍楼」は、「澪」が作る料理で評判になった「つる屋」を潰すために、嫌がらせをしたり、あげくには付火をして焼失させたりする。「つる屋」が焼失して、失意のどん底から、芳や同じ長屋の夫婦である大工の伊佐三と妻のおりょうなどからの励ましを受けて、焼け跡で「ほっこり酒粕汁」というのを作って売り出したりして、再起を図っていく。

 本作には、その他に、芳が倒れたときに助けた御典医の息子の永田源斉という好青年医師が登場し、「澪」に食が医であることを教えたり、「澪」を影から応援したりするし、五歳の時に火事で両親を亡くし、大工の伊佐三とおりょうの夫婦に引き取られて育てられるが、火事のショックで言葉を話せなくなっている太一という子どもが登場したり、おりょうが太一の心底可愛がっている姿が描かれたりする。

 また、吉原一の美貌をもつと謳われる花魁で、「幻の花魁」と言われる「あさひ太夫」のことが記される。「あさひ太夫」に会うことがなかなかできず、「あさひ太夫」と枕をかわせば大成功すると信じられているのである。そして、この「あさひ太夫」が、実は、「澪」の幼友だちの「野江」で、「野江」は舶来品を扱う淡路屋の末娘で、子どもの頃から美貌の持ち主であると同時に、利発ではっきりと物言いをし、「澪」のことを案じる大の仲良しだったのである。子どもの頃に天下取りの相である「旭日昇天」の相があると占い師に言われたりした。だが、あの淀川の水害で、彼女の運命も変わってしまったのである。

 そして、自分であることを告げずに、「つる屋」が付け火で焼失し、失意のどん底にあった「澪」に、黙って100両もの大金を出し、「澪」が再び料理への情熱を取り戻すきっかけを与えるのである。その時に、「澪」は、「あさひ太夫」が「野江」であることに気づく。

 そのうちに種市も正気を取り戻して、店の再建をしようとするところで本作は終わる。巻末には本作で出てくる料理のレシピが付録として付けられている。

 これは、心根がまっすぐな人たちの物語である。それだけに、真実に生きようとすればするほど苦労をする。だが、それを温かみで包む物語であると言っていい。わたしは、どちらかと言えば単純な成功譚はあまり好きではないが、この作品は良い作品だと思っている。

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