雨模様の寒い月曜日なった。昨日は、よほど疲れがたまっていたのか、風邪気味でもあって午後から夕方まで眠ってしまい、ほぼ何もしない日曜日になった。このところ本を読む気力もわかないほど疲れていたので、まさに「休日」となってしまった。こういう疲れも、なんだか久しぶりのような気がしている。
さて、野口卓『飛翔 軍鶏侍』(2012年 祥伝社文庫)の第三話「巣立ち」であるが、大村圭二郎の父は、公金横領の罪を着て腹を斬り、大村家は家禄を減らされて濠外の組屋敷に移されていた。自死したのは大目付の林甚五兵衛の屋敷の庭先だった。その父親の死について、当時、小目付として林甚五兵衛の下で働いていた綾部善之助が病を得た死の床で、圭二郎の兄に、父親は自死ではなく、林甚五兵衛によって斬り殺されたのであり、公金を横領していたのが林甚五兵衛であったという真相が告げられるのである。林甚五兵衛は、圭二郎の母の芙蓉に懸想して、横恋慕もしていたが、芙蓉がそれを受け入れるわけがなく、その逆恨みもあったと語る。だが、源太夫も絡んだ藩の政変が起こり、林甚五兵衛は隠居させられ、家禄も減らされた。しかし、林は今もなおかくしゃくとしており、剣の腕も相当に立った。
そこのことを知った圭二郎の兄の嘉一郎は、激情型の弟に真相を告げることを逡巡した。圭二郎の暴走を恐れたのである。嘉一郎には、貧しい家でも嫁に来てくれるといった「和」という婚約者がいたが、圭二郎が暴走するとその結婚も危ぶまれることになる。だが、母の芙蓉は既にその真相を察していたし、圭二郎にもそれが告げられた。そして、くれぐれも短慮にはやるのではなく、まず、林甚五兵衛に勝つだけの腕を磨くように圭二郎を諭す。そして、その日から圭二郎の様子が変わった。父の無念を晴らすことが圭二郎の目標になった。彼は、そして以前より稽古熱心だったが、さらに拍車をかけたように稽古に邁進しはじめたのである。
その変化を師である源太夫が見逃すはずがない。源太夫は兄の嘉一郎から事の真相を聞きだし、なんとか藩の仇討免状をとり、圭二郎に仇を討たせたいと思い始める。そして、友人で中老をしている芦原讃岐に相談するが、真相の証拠がないので難しいとの返事であった。源太夫は圭二郎を道場に住みこませて腕を磨かせることにし、圭二郎もそんな源太夫の気持ちをくみ取って、早朝の掃除なども含めてさらに稽古に励んでいく。
他方、源太夫自身は、「闘わずして勝つ」ことに向けて自分を向上させることへと向かっていたが、彼に闘いを挑む新たな人物が出現する。川萩伝三郎という浪人で、彼は、かつて旗本の秋山勢右衛門(二代目)から刺客として送り込まれた馬庭念流の使い手の霜八川刻斎を倒すことを目標にしていたが、その霜八川刻斎が源太夫にあっさり破れたことを知り、源太夫に勝負を挑んできたのである。彼は源太夫の秘剣「蹴殺し」と闘うことを願う。源太夫は川萩の申し出を受けて、彼と闘うことになる。そして、「蹴殺し」を使って源太夫は川萩を破る。それから次々に源太夫に挑戦してくる者が現れるが、源太夫はことごとくこれを退け、「蹴殺し」の多様な技を使う。それは、彼が秘剣を超えたところの技をすべて「蹴殺し」と呼ぶことを弟子たちに示すためであった。そして、彼は大村圭二郎に「蹴殺し」が生まれた経過を語って聞かせる。
そのころ、源太夫から相談を受けた中老の芦原讃岐も、圭二郎の父親の冤罪の証拠を探し出そうとしていたし、圭二郎の兄の嘉一郎の縁談話も進んでいた。嘉一郎は仇討のことがあるので自分の縁談話を逡巡していたが、母親の芙蓉は、「和」が嘉一郎と苦労を共にしたいと言っているのを聞いて、それで十分だと、その話を進めるように言う。そして、嘉一郎と和の婚儀が整うし、芦原讃岐の働きによって藩主から仇討免許状も出ることになる。和は「己を知る」よくできた嫁で、自分は字を知らないから教えてほしいと義母の芙蓉に頼んだりする素直で働き者であった。そして、圭二郎と嘉一郎は見事に父親の無念を晴らすのである。こうして大村家の家禄も元に戻されることになったばかりか、圭二郎に分家を立てることもゆるされるようになる。だが、大村圭二郎は出家すると言い出す。彼は彼なりに人生と人間を考え、そのような結論に達したのである。だから、源太夫は、圭二郎の剣の腕を惜しみつつも、彼を碁仲間の正願寺の恵海和尚に託すことにする。こうして圭二郎は僧としての修業を重ね、得度をして恵山という僧名を持つ者となるところで終わる。
父親の無念を晴らす仇討ということを通して、一人の若者が精神的に大きく成長していく姿を描いているのだが、それと同時に、師である主人公の源太夫も、そして、それを読む読者をも精神的に大きくしていくような展開が意図されている気がする。第四作目が楽しみではある。
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