2014年6月30日月曜日

梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(1)

 寒冷前線が伸びて梅雨の真っただ中という感じがしている。昨日、東京の一部では洪水のような大雨になったと報道された。今のところこちらでは雨の被害は出ていないが、熊本の梅雨は湿度が高く、肉体的な疲労感が増す気がする。もっとも、生来ののんびり屋で怠け者である者が分単位でスケジュールに追われる生活をしているのだから、どこかに精神と肉体の齟齬を感じるのは当然のことではあるだろう。

 それでも先日、本屋を覗いていたら梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(2013年 実業之日本社)を見つけ、この作者の作品は本当にいいと思っているので、買ってきて読んだ。本作も力みのない自然体で、文章も展開も無理がなく、しかも歴史的実証もしっかり踏まえられ、描かれる登場人物たちも味わいのある作品が多く、作品の完成度が増した作品だった。

 主人公は、水野忠邦が行った天保の改革(1838ごろ-1843年)のころに北町奉行所の同心として働く澤本神人(さわもと じんにん)という少し風変わりな人物で、彼は当時の北町奉行遠山左衛門尉景元の下で定町廻りをし、次いで隠密廻りをして、遠山景元と同じように名奉行と謳われた矢部謙定を失脚させて南町奉行となった鳥居耀蔵の下にいないことを喜んでいたが、二代後の北町奉行として就任した鍋島内匠頭直孝の時、その初対面で、お前は顔が濃いいいから変装が必要な隠密廻りには向かないと断定され、諸色取調掛(物の値段や物価の動静を調べる役)に回された変り種である。

 時は、その天保の改革が失敗し、水野忠邦が蟄居を命じられて鳥居耀蔵が四国の丸亀藩に預けられ、世間が一息入れはじめたころである。澤本神人は、多代という七歳になる妹の娘と飯炊きのおふくとの三人で暮らしていた。多代の母は、子ができないということで離縁されたが、その時には多代を身ごもっており、多代を産み落とすと死んでしまった。今わの際に「この子をお頼み申します、兄上」と言われ、それ以来男手ひとつで多代を育て、自らはついに婚期を逃してしまっていた。多代は、少女ながらにしっかり者として育っていた。彼には、いつも腹をすかし、腹をすかすと不機嫌になる庄太という小者がつけられていた。庄太は、見た目のぼんやりさとは裏腹に算術が得意で、諸色調べにはもってこいの小者で、町名主が雇ってかれにつけたものである。この庄太が、また、一味もふた味も出して物語の雰囲気を丸く醸す出す役を果たしている。

 澤本神人の思いは常に「物事はなるようになる」というもので、自然体で生きるというのが彼の信条だった。だから、すべてを円満に受け入れる人生を送っていた。

 その彼が、町名主の丸屋勘兵衛に料理屋に招かれての帰りに、両国橋の袂の稲荷鮓の屋台に立ち寄るところから物語が始まっていく。その稲荷鮓屋は、何故か狐の面をかぶり、聞くと顔にやけどの跡があるために、狐と稲荷をかけて、その面をかぶっているのだという。これが第一話「雪花菜」の伏線となっていく。

 その頃、澤本神人のところに味噌醤油問屋の主から隠居している父親が廻りの小間物屋から法外な値段で物を売りつけられたらしいから調べてほしいとの依頼がなされる。調べてみると偽の鼈甲の櫛を十両もの値段で買わされ、当人は十両出しては悪いかと開き直っているらしい。廻りの小間物屋とは十七歳になる娘で、隠居はその娘に入れあげていると息子は言う。そこで隠宅に出かけてみると、その隠居は死んでいた。澤本神人は殺人ではないかと疑うが、牧という定町廻りの小者の辰吉というのが横柄にも、その隠居の死は事故死であると断定する。諸色調掛の澤本神人には、その隠居の死についてとやかく言うことはできないが、隠居が承知の上で十七歳の娘に十両を出したことは別にしても、偽の鼈甲が売られていたことについては調べてみることにする。

 隠宅の女中の話から、偽の鼈甲を売りつけた小間物屋の十七歳になる娘はすぐにわかった。「おもと」という娘で、定町廻り同心の小者の辰吉がその娘に言い寄っていたこともわかる。「おもと」は、器量よしで気立てのいい真面目な娘だった。澤本神人が隠宅で殺人の証拠を見つけていたとき、隠居が死んだことを知らない「おもと」がいつものようにやってきた。それで、澤本神人は、偽の鼈甲の櫛のことを「おもと」に尋ねる。

 「おもと」は、その鼈甲の櫛が母親の形見だったと言う。「おもと」の父親は腕のいい豆腐屋だったが、人に騙されて借金を抱え、荒んで暴力も振るうようになり、大きな仕事が舞い込んだと言ってふっといなくなったと語る。それでも、「おもと」の母親は夫の帰りを待ち、幸せだったころに初めて買ってもらった偽の鼈甲の櫛を大事にし、それを髪にさして風邪をこじらせて死んでいった。そして、「おもと」は、母親がしていた廻りの駒物売りをして生計を立て、味噌醤油問屋の隠居と出会ったという。

 偽の鼈甲の櫛については、「おもと」はそれが偽物であると知っていたし、それを買った隠居も十分に承知していたが、隠居はそれでもそれが本物だと言い張って十両で買ったのだという。

 「おもと」の父親に関しては、もう一つ、両国広小路の芝居小屋が崩れた時に、その縄を切ったのが荒んでいた「おもと」の父親であると役人に決めつけられて、しつこいくらいに「おもと」と母親が住む長屋に押しかけ、それで「おもと」と母親は引越しを余儀なくされたのだと言う。

 そして、自分が隠居を殺していないという証を立てるものとして、隠居が亡くなった時刻に、両国橋袂の狐の稲荷鮓屋に稲荷鮓を買ったという。その鮓屋が売る稲荷鮓は、中がご飯ではなくおからで、以前の飢饉の時に豆腐屋であった「おもと」の家ではおからばかり食べていたが、おからは「雪花菜」とも書いて「きらず」と読み、家族の縁は「切らず」だと言っていたころの家の味が、あのおからの稲荷鮓にすると「おもと」は泣きながら言うのである。

 そのことでぴんときた澤本神人は、狐の稲荷鮓屋に行き、彼が「おもと」の父親であることを暴き、「ここの稲荷鮓屋のおからは一番、幸せだった頃の味がする」と「おもと」が言っていたと告げて、彼に反省を促す。そして、両国広小路の芝居小屋の綱を切ったのが「おもと」の父親でなく、鳥居耀蔵の意を受けて手柄を上げようとした南町の定町廻り同心と手先の辰吉であったことが判明する。また、「おもと」を自分のものにしようとした辰吉が味噌醤油問屋の隠居から意見されてかっとなった辰吉が隠居を殺したことが判明する。

 こうして、一件が落着して、狐の稲荷鮓屋には狐の面をかぶった娘が手伝うようになり、両国広小路の名物になっていくという幸いで第一話が終わる。

 この物語には、人の回復や親子の絆、人の情というのが柔らかく埋め込まれていて、それが「なるようになる」という主人公の口癖によって展開されていく。人間というのは、ある意味で極めて単純な生き物ではあるが、その単純さが折り重ねられて彩られて、「情話」を造る。これはそのような「情話」である。第二話以降は、また次回に記す。


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