東北と九州南部では大雨が予想されているが、昨日の雨が嘘のように晴れ上がった夏の日差しが注いでいる。頸椎の痛みはほとんど薄らいできたが、体力の低下はいかんともしがたく、何をするにも時間がかかるようになってきた。もっとも、一つのことをするのに時間がかかるということは、人生をもてあまさない身体的機能工夫の働きだろう。決して悪いことではないと思っている。
昨夜、鳥羽亮の『はぐれ長屋の用心棒』シリーズの第九作目『はぐれ長屋の用心棒 父子凧』(2007年 双葉文庫)を読んだ。
貧乏御家人だったが、家督を息子に譲って「はぐれ長屋」の住人となり、傘張りをしながら暮らしている華町源九郎と、居合いの大道芸で糊口を潤している菅井紋太夫、還暦を過ぎて岡っ引きを引退し、娘夫婦と暮らしている孫六、包丁研ぎをしている茂次、砂絵を描いて見物料を取ることで暮らしを立てている三太郎の五人が、今回も町方(奉行所)が手を焼くような事件に関わって、これを解決していく話である。中心人物の源九郎、紋太夫、孫六は、いずれも高齢で、「老いぼれ」と呼ばれ、あとの二人はしがないその日暮らしの住人である。
今回は、華町家の家督を継いだ息子が、幕府御納戸係(将軍家が必要とする物資を調達する係)の下役である御納戸同心となったが、その一つ上役の御納戸衆と共に将軍家御用達でもある呉服屋の老舗の供応を受けた帰りに、何者かに襲われ、上役の御納戸衆は殺され、彼は命からがら逃げるという事件が起こる。
華町源九郎は父親として息子の危機を救おうとする。また、息子の上司に当たる御納戸頭から、その事件の真相を探って欲しいとの依頼を受ける。
「はぐれ長屋」の五人が事件を探っていくと、どうもその事件の影には、老舗の呉服店の追い落としを企む新興の呉服店ともうひとりの御納戸頭との賄賂を絡む不正の匂いがする。新興の呉服店は金貸しのやくざ上がりの主人で、凄腕の牢人を雇い、老舗の呉服店の手代を殺し、源九郎の息子たちを襲ったのである。源九郎の息子家族は、その牢人たちの夜襲を受けたりして、再三に渡って命を狙われる。
源九郎は息子家族を破れ貧乏長屋である「はぐれ長屋」に匿い、事件の解決に奔走し、新興の呉服店が雇っている凄腕の牢人たちと対決していく。源九郎は自らも傷つきながらも息子を助け、また助けられながら必死に対決する。かくて、事件は無事解決する。その過程では、はじめは貧乏長屋になじめなかった息子の嫁も、長屋の思いやりのある明るい住人たちによって次第に打ち解けていく。そういう姿が、挿話として丁寧に描かれている。
この物語の展開は、このシリーズではなじみのものだが、なんといってもそれぞれの登場人物たちが個性的であり、ここでも華町源九郎が、「何よりも息子の命が大事」とする視点が貫かれて、貧しいその日暮らしの生活ではあるが何よりも身近なものを大切にしていこうとする姿が小気味いいし、「はぐれ長屋」の住民たちの信頼関係も、それぞれの思いやりを基にして成り立っているところが作品を盛り上げている。それが、思想の言葉ではなく、生活から滲み出る雰囲気として描かれるところが気に入っている。
今日は土曜日で、朝から千客万来の感があって、何とはなしに一日が終わりそうではあるが、少しゆっくり散策でもしよう。食料も買い出さなければならないし、夏物衣料も買う必要がある。掃除は月曜日にでも回すことにしよう。
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