2011年6月25日土曜日

坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 濁り鮒』

 かっと暑い日差しが照りつけたかと思うと、にわかに雲が広がって空一面を被う。梅雨の晴れ間とはこんなものだろうが、三日間ほどうだるような猛暑日が続いた。ただ、九州の南西を通過している台風5号の影響か、風があって、時折ごうごうと空が鳴り渡ったりする。

 昨日は専門誌の原稿の準備にかなり集中したためか、一日、使われている古典ギリシャ語が頭のなかを巡っていたので、夜は「にこにこ動画」というサイトで「スタートレック」というアメリカSFドラマを見たりした。ドラマそのものは、民族や人種、文化を越えていくといういかにもアメリカ的なのだが、アメリカのCG技術は感心するくらいうまく、映像が美しい。

 そのドラマを見ながら、坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 濁り鮒』(2007年 双葉文庫)を面白く読んで、なかなか心楽しい夜だった。

 これは、このシリーズの八作目の作品で、通称「照れ降れ長屋」と呼ばれる裏店で、十分の一屋(仲人業)をしている「おまつ」に食べさせてもらっている中年のうらぶれた浪人の浅間三左衛門が主人公で、この八作目は、その浅間三左衛門と「おまつ」の間に初めての子が生まれることになり、三左衛門が心配のあまりおろおろするところから始まる。三左衛門は、ここでも近所から「腑抜け侍」とか「子守り侍」とか陰口をたたかれるが、相変わらず、妻煩悩、子煩悩である。

 第一話「濁り鮒」は、「おまつ」の子を取り上げることになっている産婆の「おとら」の孫娘の嫁ぎ先である薬種問屋の若旦那が悪党に脅され、あげくには誘拐・監禁される事件を扱ったもので、「おとら」の孫娘と薬種問屋の若旦那の仲を取り持ったのは「おまつ」である。

 「おとら」の孫娘の母親は、娘を生んですぐに若い男と失踪し、身を持ち崩して宿場女郎になったりしていたが、娘はそのことを知らずに祖父母の手で育てられたのである。そして、母親が病死する前に自分の娘のことをもらし、それを聞いた悪党たちが、大店の薬種問屋の若女将の母親がそういう女であることをネタにして薬種問屋の若旦那を強請り、監禁してさらに金を脅し取ろうとしていたのである。

 臨月を迎えていた「おまつ」は、「おとら」の孫娘の様子が気になり、三左衛門に事情を探るように依頼し、大雨で川が溢れそうになる中で真相を探り出していく。そして、薬種問屋の若旦那が愛する妻のために奔走し、監禁されたことを知り、川が決壊して洪水となっていく中で彼を救い出していくのである。

 一方、子どもが生まれそうになった「おまつ」は、産婆の「おとら」の所に行こうとするが、川が溢れ、屋根に取り残されることになる。三左衛門は必死で「おまつ」を探し、屋根に取り残された「おまつ」を見つけるが、川が溢れてどうにもならない。そこに、彼が助けた薬種問屋の若旦那が屋根船を仕立てて助けに来てくれ、こうして「おまつ」は屋根船の中で無事に出産をすることができ、危機一髪の連続が続くが、生まれた子は「おきち」と名づけられ、三左衛門の子煩悩ぶりが発揮されていくのである。

 第二話「痩せ犬」は、子どもが生まれて、なんとか金を稼ごうとして口入れ屋(職業斡旋)に行った先で、意に染まないながらも用心棒を引き受けることにしたが、そこには、刀を売りつけて金儲けをしようとする座頭とその刀の切れ味を試すために用心棒として雇った浪人たちを殺していく旗本の歪んだ欲望が渦巻いていたのである。小太刀の遣い手である浅間三左衛門は、その二人に歪んだ欲望を粉砕していく。ここには、貧しく落ちぶれたがゆえに手放した子どもを引き取るために無理に金を稼ごうとして試し斬りのための用心棒に雇われる浪人とその子どもの親子の姿も描かれる。

 第三話「酔芙蓉」は、このシリーズの中のもう一組の男女の姿を描いたもので、味わい深い作品になっている。

 浅間三左衛門の句会仲間で気のおけない友人である八尾半兵衛は、元町奉行所の風烈見廻り同心で、愛妻を亡くし、後継ぎもなかったために御家人株を売って隠居し、好事家が垂涎するような鉢物を作る鉢物名人といわれる自適の隠居暮らしをしている。

 三年前、亡き妻の回向のための日光詣での帰りに立ち寄った千住の旅籠で飯盛女をしていた「おつや」と出会い、「おつや」は、半兵衛の底知れない孤独を感じて、一晩中、彼の疲れた身体を揉みほぐしたことが縁で、半兵衛は大金をはたいて彼女を身請けし、一緒に暮らすことになったのである。

 泥水をすすり、苦界に身を沈め、死ぬばかりになっていた「おつや」は、思いもかけなかった半兵衛の心に触れ、人として生きる道を与えられ、半兵衛のためならこの身を犠牲にしてもよいと思いながら暮らしている。だから、二人の思いは純粋で深い。

 だが、その半兵衛が時折家を空けるようになった。案じた「おつや」は半兵衛の行き先を突きとめ、彼が若い女性の家に出入りしていることを知る。「おつや」は、半兵衛のために身を引こうとするが、その女の家の近所で出会ったやくざ風の男のことが気になる。そして、そのやくざ風の男が半兵衛に届けた書状を、いけないことだと思いつつも開けてみて、その女が拐かされて半兵衛が脅されていることを知り、悩んでいるうちに、彼女もやくざ風の男に捕らえられてしまう。

 そして監禁された中で、半兵衛が出入りしていた若い女性が、実は半兵衛の姪で、父親の博打の借金のために拐かされ、加えて、拐かした者たちは、昔、半兵衛に捕らえかけられた強盗で、その逆恨みを晴らすために半兵衛を誘き出そうとしていることを知る。

 だが、「おつや」が残した一文で監禁先を突きとめた半兵衛、甥で町奉行所同心をしている八尾半四郎、浅間三左衛門が駆けつけ、二人を救い出していく。

 「おつや」は、こうして助け出されるが、半兵衛を信じることができずに自分勝手なことをした自分を恥じ、自分は飯盛女に過ぎず、半兵衛にふさわしくない女だと感じ、着の身着のままで失踪し、路銀もなくたどり着いた品川の宿場外れの安宿の下働きを始める。そして半月が過ぎる。

 だが、「おつや」の行き先を必死で探し回った半兵衛が、ようやくその安宿を探し出し、半兵衛は繰り言ひとついわずに、ただ酔芙蓉がはじける音を聞き、ススキは買っておいたが、団子はまだだから、月見の支度をしなければならない、さあ、一緒に帰るぞ、と言うのである。

 こういうくだりで二人の男女の思いが描かれ、それぞれの思いとそれをわかっていく情愛の深さがしみじみと伝わる。老いた半兵衛の人格と「おつや」の思いは、こうしてますます深まっていくものとなるだろう。

 第四話「怪盗朧」は、夜釣りに出た浅間三左衛門が、旗本や大名屋敷に強盗に入り盗んだ金を貧乏裏店に撒く「おぼろ小僧」という義賊に出会い、三左衛門の妻である「おまつ」が仲人として世話をすることになっていた醤油問屋を巡る土浦藩江戸留守居役と新興の醤油問屋の陰謀を、その「おぼろ小僧」と粉砕していく話である。

 人徳者で知られていた醤油問屋「常陸屋」の大旦那が殺される事件があった。「おまつ」は、その大旦那から孫娘の縁談の世話を依頼されていた。「常陸屋」も取り潰されそうになり、孫娘の縁談も破談になりかけた。三左衛門は、その裏に何かがあるとにらんで、「おまつ」の願いのために事情を探ろうとする。そして、孫娘の縁談相手が「おぼろ小僧」の疑いで捕縛された。その疑いを晴らすために、三左衛門は「おぼろ小僧」を突きとめる。そして、「おぼろ小僧」もまた醤油問屋の大旦那に義理があることを知り、彼によって土浦藩江戸留守居役と新興の醤油問屋がしくんだ陰謀を知るのである。そして、三左衛門は「おぼろ小僧」と一緒に、その二人の陰謀を粉砕していくのである。

 これらの作品には、第三話「酔芙蓉」で示されたような純粋で深い男女の思いが描かれ、また、主人公と「おまつ」の愛情の深さ、素直にそれを大切にする人間のあり方が至るところで示されているが、作者の遊び心も満載で、第四話「怪盗朧」では、「悔い悩みても是非無きことは(悔やんでも仕方がない)」をめぐる句作があったりして、なかなか粋なところがある。こういう遊び心には喝采を贈りたい。

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