雪の予報も出ていたが、穏やかに晴れてきた。気温も、決して高くはないが、雪が降るほどの低さではない。昨日、北朝鮮が核兵器の地下実験を行ったことが報じられた。自分の力を保持して誇示するために兵器をもつという貧しい発想が、まだ世界には根強く残っているのを改めて感じる。国にしろ個人にしろ、地位や立場などというつまらないものは捨て去ったほうが遥かに生きやすいだろうに、と思ったりする。
そんなことを思っていたが、その中で、坂岡真『あっぱれ毬谷慎十郎』(2010年 角川文庫)を気楽に面白く読んだ。この書き出しが、振るっている。
「天保九年如月。
腹あ減った。
もう一歩も動けぬ」
というもので、こういう書き出しで描かれる主人公の「あっけんからんとした」姿が彷彿させられるものである。
物語は、播州龍野藩(現:兵庫県南西部)から江戸に出てきた田舎剣士毬谷慎十郎の活躍を描いたもので、彼が播磨の小京都と呼ばれるほどの美しい龍野から埃が舞い上がる江戸に出て、とうとう路銀も尽きて空腹で道端にひっくり返るところから始まる。
毬谷慎十郎は、龍野で剣術道場を営む親から勘当同然のようにして江戸に出奔してきて、浪人となったのだが、本人はそのことを意にも返さず、剣豪ひしめく江戸で名を挙げ、いつかは故郷に錦を飾りたいと思っていた。六尺を越える偉丈夫の体をもち、自由奔放で型破りながらも、素朴で真正直な彼の江戸での生活は、空腹で倒れるとことから始まり、江戸市中を騒がせていた「黒天狗」という強奪や殺戮を繰り返す一味との決着へと向かうことになる。
まず、往来でブッ倒れた彼に飯粒を与える願人坊主が現れ(この願人坊主は実は龍野藩の隠密)、次に同じような浪人によって飯を恵んでもらう。この浪人は恩田信長と名乗り、最初は毬谷慎十郎がもっていた刀を狙っていたのだが、それが失敗して、なぜか彼が気にいって世話をしていくのである。毬谷慎十郎は、その磊落さで人を惹きつけるものをもっていた。
それから彼の道場破りの日々が始まっていく。毬谷慎十郎は、単純に江戸の剣豪との手合わせを望み、恩田信長は、彼が打ち破った道場からいくばくかの金をもらうという互の利害が一致しての日々である。毬谷慎十郎は強かった。彼は、藩の剣術指南役であった円明流の達人である父から剣術を学び、毬谷三兄弟の末子として剣名をあげ、その兄弟の中でも最も優れた資質をもつと言われていたし、さらに鳥取藩の深尾角馬が生み出した雖井蛙流(せいありゅう)を会得しようとして、父の勘気を買って破門させられたのである。雖井蛙流はあらゆる攻撃に対しての対応の技で、雖井蛙(せいあ)とは「井の中の蛙」という意味で、毬谷慎十郎は、田舎ではなく江戸で大海を泳ぎたいと思っていたのである。当時の江戸で剣名を覇せていたのは、剣聖とまで言われた北辰一刀流の千葉周作、直心影流の男谷精一郎、神道無念流の斎藤弥九郎などで、慎十郎は、いつかはこれらの人たちと手合わせをすることを望み、次々と道場破りをし、また勝っていくのである。
彼の江戸での生活は、そうした破天荒の日々で、道場破りで勝ったときに相手が渡す「袴の損料代」という、いわば口止め料を彼についていた恩田信長がせしめることで成り立っていたが、彼は金銭には一切無頓着で、恩田信長はそれで吉原に遊びに行ったりもする。
しかし、その彼が、斎藤弥九郎の練兵館に出稽古に来ていた咲という美貌の女剣士に見事に負けてしまう。咲は、子どもの頃に丹波道場という剣術道場をしていた父親が何者かに殺され、祖父のもとで育てられて剣を学んだ女性だった。毬谷慎十郎は、自分を負かせた咲のいる丹波道場に居候として転がり込むのである。咲の祖父丹波一徹は、千葉周作の兄弟子で、丹石流の達人だったが、笹部右京之介という男に後ろから背中を斬られ、弟子を取るのをやめて咲と二人で暮らしていたのである。
この笹部右京之介が、いわば毬谷慎十郎の宿敵となる。笹部右京之介は、大身の旗本の次男で、千葉道場で剣の修行を積み、天才と称されるほどの腕を持ち、官学の昌平坂学問所では神童と言われた逸材だったが、いつか捻じ曲がって狂気を帯び、千葉道場を破門されて冷徹な人殺しに変わっていった人物である。彼は、咲の祖父の丹波一徹がもつ秘剣を教えてもらいに行ったが、一徹から断られ、背を向けた一徹の背中を斬ったのである。
毬谷慎十郎が江戸に出てきたころ、江戸では大阪で乱を起こした大塩平八郎の残党を名乗る者たちが、徒党を組んで商家を襲い、強奪して、家人を皆殺しにするという事件馬頻発していたが、その背後に「黒天狗」と名乗る武士の一団があり、笹部右京之介は、その首魁だった。天保の大飢饉で逃散してきた百姓や浪人者を集め、彼らを煽って暴徒と化して襲わせていたのである。
この事件の背後に、天保6-7年(1835-36年)に起こった但馬(兵庫県)の出石藩仙石家で起こった「仙石騒動」があった。「仙石騒動」については、先に触れた海音寺潮五郎『列藩騒動録』の通りだが、幕閣の水野忠邦の意を受けてこれを裁いたのは当時寺社奉行であった脇坂安薫(わきさか やすただ)であるが、彼は本書の主人公の毬谷慎十郎が属していた龍野藩の藩主である。
脇坂安薫は、この「仙石騒動」の裁きで、やがて老中にまでなっていくが、寺社奉行の時、大奥の女中と谷中の延命院の僧の日潤、日道が淫行にふけっていた「延命院事件」を摘発して裁いたことで有名で、長槍の穂先を貂の皮で包んでいたことから、「貂の皮の名奉行」と言われていた。彼は長年寺社奉行を勤め、一度退いてから、再び幕閣として再登用されたのである。そこに幕閣内の政争があったことは間違いないが、剛毅さと反骨精神に富んだ人物であった。「仙石騒動」の裁きは、彼が再登用されてからの出来事である。
「仙石騒動」の裁きで、仙石家に肩入れしていた老中松平康任が解任され、その康任に仕えていた笹部修理も無役となった。旗本の笹部修理は康任の口利きで勘定奉行にまでなったが、相談役のような役割を果たしていた出入り旗本としての仙石家への出入りも禁じられた。笹部修理は、自分に対してこのような仕置を招いた脇坂安薫を逆恨みして、龍野藩の出入りの商人の家を次男の右京之介を使って襲わせたち、強欲な札差と結託してコメ相場を煽ったりしていたのである。もちろん、このあたりは創作である。
龍野藩脇坂家の家老の赤松豪右衛門は、これを察知して、「黒天狗」を名乗る旗本の息子たちへの対応を、剣の腕があって浪人となった毬谷慎十郎にさせようとするのである。赤松豪右衛門と毬谷慎十郎は少なからぬ因縁があった。それは、豪右衛門の一人娘の静乃が龍野で花摘みに出かけた時に山賊に襲われ、そのとき16歳の若侍が山賊を蹴散らして静乃を助けたのである。その若侍が毬谷慎十郎で、娘を助けられた豪右衛門が、何でも好きなものを所望せよと言ったところ、「姫をくれ」と言ったので追い返したということがあったのである。しかし、それ以来、娘の静乃は慎十郎に想いを寄せて縁談を断り続けていた。慎十郎が律儀に城勤めをするような人間ではない自由人であることを彼は見抜いてもいた。もし、慎十郎が藩のために命を落としたということにでもなれば、静乃も納得するのではないかと考えていたのである。藩の家老としても、また静乃の父としても一石二鳥を狙ったのである。願人坊主の源信は、彼の密命を帯びて毬谷慎十郎を見張っていたのである。
だが、「黒天狗党」の首魁が笹部右京之介であることの証拠を探ろうとして、源信は右京之介に殺されてしまう。毬谷慎十郎の日常生活を見ていた恩田信長も殺されてしまう。吉原で、拐かされて売られようとした茶屋の娘を助けるために吉原に行った毬谷慎十郎は、偶然いあわせた笹部右京之介と出会い、一度立ち会うが、適わないことを知り、丹波道場を出て市中をさすらうようになる。そして、ふとしたことで札差にやり込められている貧乏御家人を助けたことから、その札差の用心棒となる。
ところが、その札差が、実は笹部修理と組んで、右京之介を使って市内の米問屋を襲撃させ、米の値段を釣り上げているような人物であった。毬谷慎十郎は、そういうことのからくりを見抜いて、札差と修理を川に叩き込み、右京之介と対峙して、これを討つのである。
こうした物語が本書で展開されているのだが、自由奔放で磊落ながらまっすぐに突き進み、義理堅い主人公の姿の描写の中で、人助けがあったり、吉原でのいざこざがあったり、暴徒と化す群衆が出てきたり、それを操る人間や米相場や強欲な札差、私怨に走りつつも欲の皮が突っ張ったような旗本、剣劇や殺人剣の使い手のねじ曲がった性格、老剣士の教えや恋、そういういわば時代小説の面白さを構成するものが盛り沢山で、しかもテンポのいい文章で、面白く読めるようになっている。
隠密であり願人坊主の源信や食いつめ百姓から侍の格好をしている憎めない恩田信長といった人物は、途中で殺さずに、ずっと物語に中で生かしたほうが良いようにも思ったが、きちんとした歴史を踏まえつつもこれだけ盛り沢山な作品であるから、真に気楽に面白く読める作品だった。
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