2013年2月15日金曜日

諸田玲子『幽霊の涙 お鳥見女房』

 今日は曇って寒い。天気が崩れて雨か雪との予報も出ている。このところ日替わりで天気が変わるが、これも冬から春への脱皮の特徴だろう。まだまだ寒い日が続く。

 先日、あざみ野の山内図書館に行った時に、諸田玲子『幽霊の涙 お鳥見女房』(2011年 新潮社)があり、このシリーズも久しぶりな気がして、借りてきて読んだ。本作はこのシリーズの6作品目である。

 江戸幕府のお鳥見役とは、将軍が鷹狩りを行う御鷹場を管理し、鷹狩りの準備をする役務で、御鷹場における密猟の防止や獲物となる鳥の餌づけ、また、鷹狩りの際の周辺農民の動員の管理などを行った。こうしたことは長年の経験が必要とされ、技能職として世襲されたようである。役料は80俵5人扶持の下級御家人であるが、鳥の生息状況を見るために大名屋敷にも入ることが許され、そのことから情報収集のための隠密として用いられることもあったと言われている。

 本シリーズは、代々そのお鳥見役である矢島家の主婦である「珠代」を主人公にしたもので、ころころとよく笑い、笑窪ができて、人情家で、明るく真っ直ぐな性格の珠代を中心にした矢島家が幾度もの危機を乗り越えながら生きていく姿を描いたものである。珠代には全くの赤の他人を、事情を聞かないで居候として受け入れていく度量の広さもある。登場人物たちは、それぞれに重荷を抱えて生きているが、珠代はそれらの重荷を包みながらほっこりした温かさを醸し出していくのである。下級御家人の懸命な姿がそれに重なっていく。

 お鳥見役には危険がつきまとう。珠代の祖父も、隠密として出かけた先で殺され、父の久右衛門と夫の伴之助もそれぞれに隠密として出かけた先で一時行くへ不明になるという出来事があった。父の久右衛門は、役務のために親しくなった女性を捨てて来ていたし、伴之助は人を殺したことで一時精神を病んだことがあった。二人とも、それぞれを重荷として背負うほどの良心の持ち主であり、その中で珠代はそれぞれを受け入れながら闊達に生活を送っていくのである。

 本作では、伴之助と珠代の子どもたちもそれぞれに成長し、長男の久太郎もお鳥見役として出所するようになり、次男の久之助も大番組与力の家に養子となり、長女の君江も次女の幸江もそれぞれに嫁いでいる。一時期、矢島家に居候していた石塚源太夫も、彼を敵としていた美貌の女剣士の多津と珠代の人柄に触れて結ばれ、源太夫の子どもたちもそれぞれに成長している。

 そして、珠代の父の久右衛門が亡くなって一年後の初盆の時に、それぞれが寂しい思いをしている中で、久右衛門の幽霊が出るという話から始まり、それが久右衛門と喧嘩別れをした幼馴染の友人だとわかり、みんなで久右衛門を偲ぶところから始まり、やがて長男の久太郎が祖父や父と同じように密偵として相模に出かけていくという話へと展開されていく。

 時は、老中水野忠邦が失脚したとあるから弘化2年(1845年)ごろのことで、弘化の前の天保の時に、大阪で大塩平八郎の乱が起こったり、アメリカの商船「モリソン号」が江戸湾にやってきたりして(いずれも天宝8年 1837年)騒然としており、江戸幕府は海防を急務のこととして諸藩にその任を命じたが、お鳥見役の矢島久太郎に隠密として下された任務は、その海防の様子と海防にあたる諸藩を探ることであった。

 しかし、諸藩には諸藩のそれぞれの事情があり、幕府の隠密などに探られたくないのだから、矢島久太郎も相模で案内役として雇った親切な男から崖から突き落とされて殺されそうになるのである。最も親切な顔をして近づいてくる者が最も手酷い裏切りをするのは世の常である。イスカリオテのユダではないが、裏切りは接吻と共にやってくる。

 矢島家では久太郎の行くへが案じられる。だが、久太郎は一命を取り留め、漁師の祖父と娘に助けられていた。彼は、一時は記憶を失っていたが、体調が回復するまでの半年余りをそこで過ごすのである。彼は自分の身分を隠さなければならなかった。漁師の祖父と娘は久太郎を気に入り、娘は恋心を抱くようなるが、久太郎は、不義理はできないと思いつつも一切を秘したまま体力の回復を待つ。

 そうしているうちに、石塚源太夫の次男の源次郎が、久太郎の行くへを案じている珠代や久太郎の妻の恵以のことを考えて、少年ながら単身で相模に久太郎を探しに来るのである。源次郎は、まず、久太郎が案内役として使っていた男のところに行く。ところがその男こそ久太郎を殺そうとした人物で、そのことを知った久太郎は、世話になった漁師の祖父や娘にきちんとしたことを話さずに、源太郎のところに駆けつける。

 源太郎は案内役の男の人質となっていた。彼は金で雇われた男だが、源次郎を人質として久太郎ともども殺そうとする。その急場を漁師の娘が救う。それによって久太郎は江戸に帰ることができた。しかし、彼は自分の命を助けてくれた漁師の祖父への恩義と、その娘の恋心を知りつつも無視してきたことを悩む。

 娘は、久太郎を諦めることができないのか、久太郎を殺そうとした事件の背後を探り、江戸まで出てきたりする。久太郎の妻恵以はそのことで悩んだりするが、珠代は、その娘と会って、久太郎のことを話し、その事件の背後にはいろいろな複雑な事情があるから娘に深入りしないように語る。だが、不幸にも、娘は、事故か殺人かは判然としないが、崖から落ちて死ぬ。

 やがて、珠代は、ひとり残された漁師の祖父のことを案じて相模まで出かけていき、祖父は珠代の行いにすべてを悟って、またその姿の温かさに触れて、じっと穏やかに耐えていく姿を見せる。

 物語はそこで終わるが、そのあいだに石塚源太夫の娘の恋や居候となっている珠代の従姉の姿などが盛り込まれたり、子どもができないことで悩んだりする姿が描かれたりしながら、軽輩の御家人ではあるが、明るく、温かくしっかりと生きている家族の物語が展開されていくのである。

 あっさりとした文章で物語が展開されていくが、最後の場面で、孫娘を失い孤独に耐える漁師とその傍らで娘の墓に手を合わせる珠代が海を眺める姿は、なんとも味わい深い光景である。不幸に寄り添いながらも前を向いて生きる。この作品の主人公の珠代は、そんな女性である。

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