2014年9月23日火曜日

梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』(3)


 一週間ほど秋晴れの日々が続いて、ようやく快適になったと思っていたら。その後、秋雨前線が停滞し、加えて台風の接近が報じられ、妙に蒸し暑い日々が続いている。今日は久方ぶりの休日で、朝から掃除や洗濯をし、新しく購入したTVの設置などをしていた。『道徳教育について』も、まだ展開が荒削りではあるが、一応は終了したので、来週や10月に依頼されている講演の原稿などを書いていた。そして、梶よう子『迷子石』について記しておこうと思ったら、まだ、『宝の山 商い同心お調べ帖』(2013年 実業之日本社)について書きかけであったことに気づき、その第五話「幾世餅」についてから始めることにした。

 梶よう子『宝の山 商い同心お調べ帖』の第五話「幾世餅」は、「お勢」の店であるももんじ屋の湊屋で商人風の老爺が毒死するという事件の顛末から始まる。居合わせた医者のような男が毒殺と断定したのである。

 「お勢」は自身番に留め置かれ、澤本神人に会いたがっているという伝言を北町奉行の鍋島直孝から聞いた神人は、事の真相を探ることにしたが、それと合わせて、神人の父親が死ぬまでかかわっていた贋金事件の話を奉行から聞かされ、湊屋で死んだ老爺が守り袋の中に入れていた贋金を見せられ、その探索も依頼される。奉行は諸色調掛のほうが何かと探索に都合がよかろうという。神人は奉行がそのために自分を諸色調掛にしたのではないかと奉行の慧眼を感じたりする。

 湊屋で死んだ老爺はトリカブトの毒で血を吐いたという。だが、それを聞いた小者の庄太は、トリカブトでは嘔吐することはあっても血を吐くことはないから不思議だと言う。「お勢」に会って話を聞いたところ、死んだ老爺は今わの際に「話が違う」と一言語ったという。どうも駆けつけた医者のような男やその男の連れが怪しいのではないかと思われた。だが、その日のうちに湊屋を誹謗中傷する読み売りが出回り、湊屋には石ころやゴミ、ネズミや猫の死骸まで投げつけられる事態になってしまった。湊屋は八年続いた店を閉じざるを得なくなってしまう。

 そのうち、死んだ老爺が宿無しであったことが判明し、湊屋の前にその場所で店を開いていた酒屋で両替もしている三嶋屋に恨みがあり、それを利用されたのではないかと思われた。湊屋は三嶋屋から酒を仕入れていた。幾世年月を重ねても消えないものがある。神人は「幾世餅」を食べながら、そう思う。神人は、女手一つで店を切り盛りしていた「お勢」のことを思う。そして、この事件の顛末は、次の第六話「富士見酒」で展開されていく。

 第六話「富士見酒」は、奉行所に話を聞いてもらうために通ってくる酒問屋の隠居老婆が登場する。老婆は北町奉行の鍋島直孝が幼いころからの馴染みで、十か月前に卒中で倒れてから回復し、妙に話好きとなり、鍋島直孝を訪ねてきたのが縁で、それ以来、「また話をしよう」と言った奉行の言葉をお墨付きとして三のつく日に尋ねてくるようになったのである。相手をするのは奉行所にいる諸色調掛で、神人がもっぱらその相手をさせられていた。

 先に湊屋で老爺を殺した犯人は、どうやらいち早く逃げたらしい。友人で定町廻りをしている和泉与四朗がそう伝えた。だが彼らがなぜ老爺を殺したのかはわからなかった。殺された老爺は、かつて信州から江戸に出てきて懸命に働いたが、岡場所の娼妓に入れあげて、人に騙され、すべてを失っていた。騙したのは、おそらく湊屋の前の持ち主である酒屋の三嶋屋だろう。老爺は湊屋が三嶋屋のものだと勝手に思い込んで、そこを利用されたものではないかと察せられた。だが三嶋屋に会って聞いてみると、老爺が三嶋屋を恨んでいたのは逆恨みのようであった。しかし、犯人と目される三人は逃げ、贋金の探索も進展がなかった。「お勢」もどこに身を寄せているのかわからなかった。

 澤本神人は閉めてある湊屋に足を向けてみた。湊屋は悲惨な状態で下肥まで蒔かれた有様だった。それに家主の三嶋屋が湊屋に立ち退きを迫っていた節があった。

 神人は、奉行所に話をしに来ていた酒問屋の隠居である老婆に同じ酒屋である三嶋屋のことを聞きに行く。そこで、老婆から殺された老爺が三嶋屋から金を借りていたことを聞く。三嶋屋はその老爺に贋金で金を貸し、その返済を迫る代わりに贋金を使っての金貸しを始めさせ、それが神人の父親から気づかれそうになり、贋金を使うことから手を引くと同時に老爺を追い出したのである。三嶋屋は贋金で儲けた金で酒問屋を買い、両替商も始めた。ところが、三嶋屋が頼んだ酒船が嵐にあい、積み荷のほとんどが潮をかぶり、それでもその酒を売ったために信用を無くし、金回りが悪くなって、再び、以前隠していた贋金を掘り出して使おうとした。その贋金を埋めていたのが湊屋だったのである。それで、それを掘り出そうと湊屋を追い出す作戦を立てたのである。

 こうして、老爺を毒殺した三人は三嶋屋の寮に隠れていたところを捕まり、三嶋屋も捕縛され、事件が決着を見るのである。そうしてひと段落した時に、神人のところに「お勢」が訪ねてくる。

 その前に、神人は亡き妹の子である多代と親子になることを決めていた。上方から揺られてくる酒が富士を見ながらゆっくりと甘口の酒に代わっていくように、親子関係もゆっくりと築かれればいいと思っていた。周囲は、神人が父親になるなら母親が必要だと言っていたが、そこに「お勢」が登場するのである。

 第七話「煙に巻く」は、評判の煙草屋の双子の兄弟の話で、店を継ぐことと恋することの板挟みに悩む二人が事件に巻き込まれながら自分の生きる道を見出していく話である。双子であることを隠して育てられたが、その二人を取り上げた産婆の遺体が仙台堀にあがった。疑いは双子の兄弟の父親や兄弟に向けられるが、真犯人は別にいたのである。

 他方、多代が疱瘡にかかり、「お勢」が多代の世話をするために神人の家に看病に訪れるようになる。「お勢」は、かつての自分の店の奉公人たちの行先を決めてから町名主の仕事の手伝いをし始めていた。神人は、このまま「お勢」が家にいてくれるようになったらいいと思うのである。

 第七話は簡略して記したが、「さりげなさ」というのが本書で記されている物語の特徴だろう。さりげなく、しかし、そこはかとなく温かく人を認め受け入れていく、そういう人間の姿が主人公を通して描かれているのである。

 これまで呼んだ作者の作品の中では『柿のへた』が、最もまとまりがあり味わいの深い作品だと思っているが、本書のようにあっさりとした展開の中にみられる人の温情のようなものの描き方も悪くない。これはたぶん続編が書かれるのだろう。それも期待したい。

2014年9月15日月曜日

この夏のこと


 7月にこれを少し書いて以来、2ヶ月余が経ってしまい、ずいぶんとご無沙汰してしまった。この間、雨の多い異常なくらいの蒸し暑さに閉口しつつも、甲子園への出場をかけた県予選の応援に炎天下の野球場に行ったり、いくつかの研修や講演などがあったりして、えらく日常の出来事に追われる日々を過ごしていた。加えて、集団的自衛権についての意見表明を求められていたので、その一文を書いたり、現在の文部科学省が進めようとしている道徳教育の教科化を契機として道徳教育と宗教教育の問題に取り組んだりしていた。道徳の根幹が「愛」であるというのは、考えてみれば思想史上まだ新しい感覚ではあるなあと思ったりする。こちらはまだ道半ばで、ようやく後半と結論の部分に入ったところである。

 それともう一つ、この夏取り組んでいたのは、ずいぶん以前に『思想の世界』というメールマガジンの形で書いていたS・キルケゴールの生涯と思想を取り扱った「逍遥の人」を電子書籍の形で配布することだった。これはメールマガジンの時にもたくさんの方々に読んでいただいたし、千葉に在住だったシステムエンジニアをされていたT・Tさんがご自分のサイトにしてインターネットでも読めるようにしてくださっていたのだが、そのサイトが閉鎖されてしばらくたつし、今も、キルケゴールの研究者や学生の方々からの質問が時折届いたりしていたので、改めて少してを入れて電子書籍でも読めるようにしたいと思っていたから、この夏、思い切ってAmazonKindleで出すことにしたのである。

 ただ、電子書籍で読めるようにするためには、ファイルをePubという形式に変換したりしなければならず、体裁を整えたりするのにえらく時間がかかってしまった。しかし、八月末に完成して、『永遠の単独者 S・キルケゴールの生涯と思想』というタイトルで出すことができた。無料を望んだが、最低価格をつけなければならず、3ドルという有料になってしまったが。

 また時間ができたら、次の思想・哲学史を取り扱った『西洋思想の散歩道』も電子書籍で出したいと思っている。

 この間、時代小説もいくつか読んでいたので、記憶に残っている署名だけでも、ここに記しておきたい。

 一つは、吉川英治全集(講談社版)の第4巻『万花地獄』、『隠密七生記』、第5巻『江戸三国志』、第11巻『松のや露八』、『恋山彦』、『遊戯菩薩』で、吉川英治のテンポのある痛快冒険時代小説の醍醐味や、作品の背後にある著者の思いなどがひしひしと伝わる作品を読んだ。もう一つは、勧善懲悪がすっきりとした形で読み物としては抜群に面白く、現在の時代小説の源流とも言えるような山手樹一郎全集(講談社版)の内の主に「浪人もの」である第13巻『のざらし姫』、『浪人横町』、第33巻『浪人八景』、第3637巻『浪人市場』などである。その他にも軽い文庫本を読んだりしていた。

 ただ、利用していた市立図書館が改築のために来年の2月末まで閉館となり、全集はなかなか手に入らないので、吉川英治と山手樹一郎の全集はしばらくお預けとなってしまった。

 そして、先日、本屋で梶よう子『迷子石』(2010年 講談社 2013年 講談社文庫)を見つけ、買ってきて読んだので、次回はこれについて記すことにして、今日はご無沙汰の言い訳を書くことで終わることにする。甥が脳腫瘍を患い、34歳で天に召されたこともあって、この夏はひどく疲れた夏ではあった。

 それにしても、熊本の夏は想像以上で、夏はやはりどこかに逃げ出すに限ると思ったりする。ようやく少し秋の気配がして、曼珠沙華とも言われる彼岸花が咲き始めている。