2011年7月28日木曜日

牧南恭子『旗本四つ葉姉妹』

 このところ30度前後の曇り空が続いて、7月の初旬のようなかっと照るつけるような陽射しはないが、蒸し暑い日々になている。ただ、風があるので、少しはしのぎやすい。心配されていた電力不足もエアコンなしでも過ごせるような天気で、案ずるほどではないようだ。夏の風に揺られるサルスベリのピンクの花房を眺めるのは、何とも言えず風情がある。昨日、近くの公園を歩いている時に、初めて蝉の声を聞いた。

 昨夜は、串カツと野菜サラダをビールの摘みにしながら、牧南恭子『旗本四つ葉姉妹』(2009年 学研M文庫)を少しゆったりした気分で読んだ。

 この作者の作品は、以前、『ひぐらし同心捕物控 てのひらの春』(2009年 学研M文庫)を一作だけ読んでいて、文章の軟らかさがいいと思っていた。そして、本書も、予想どおり軟らかい文章で物語が綴られている作品だった。

 これは、江戸時代の末期、大番役(警備に当たる役職で、京都と鎌倉には大番役が置かれていたが、江戸にあったかどうかは、ざんねんながら知らない)から無役の小普請入りをした貧乏旗本の次女「双葉」の活躍と恋の顛末を描いたものである。

 それでなくても窮乏していた旗本の花岡家は、無役の小普請入りとなってますます窮乏し、ついには用人や使用人が辞めざるを得ないという事態に追い込まれた。この花岡家には四人の娘があり、長女の一枝はすでに嫁ぎ、十九歳の次女の双葉、十七歳の三女の三樹、十四歳の四女の花代が世間知らずで脳天気な両親と共に暮らしていた。家族全員、どこか一本ねじがはずれたようなところがあり、両親は家計のことなど全く無頓着で、三女の三樹はおしゃれと自分の美貌を保つことにしか関心がなく、四女の花代は学問や知識は人一倍あってもまだ幼い。ただひとり次女の双葉だけが窮乏した花岡家の実情を知り、孤軍奮闘しなければならないのである。

 双葉は好奇心旺盛で、以前から町娘に扮してこっそり江戸市中に出かけたりしていたが、そこで知りあった定町廻り同心の北方章三郎に思いを寄せていた。そして章三郎に会うために町の自身番に寄ったことから、十万坪(埋め立て地)で起こった殺人事件に関わっていくようになるのである。

 双葉は、ただ、思いを寄せている同心の北方章三郎と一緒にいたいためだけに彼が手がけていた殺人事件に関わるが、章三郎も彼女に思いを寄せるところがあったり、彼女の発想や着想の奇抜さもあったりして、その事件の探索の手助けを依頼していく。

 十万坪で殺されていたのは醤油屋の主人で、その事件の背後には、手代や使用人をこき使い、下の者に対しては乱暴狼藉を働いていた醤油屋の主人と、彼によってひどい目にあわされていた使用人の恨みがあったのである。

 事件の顛末そのものはミステリー仕立てで展開され、関係する人物にひとりひとりあたりながら真相が解明されていくようになっているが、その探索の過程で、旗本の娘として育ってきた双葉自身が、町方の暮らしや事件を起こした人物たちのやむにやまれない悲惨さを知っていくことになるのである。

 他方、窮乏した花岡家では、忠義を尽くしていた用人が辞めて、代わりの用人となったあくどい男に騙されて、三女の三樹が吉原に売られそうになったり、家財道具一式を奪い取られたりして、ますます窮乏を重ねる事態となり、ついに双葉が意を決して、手習い所を開いたり、賽銭目当てで屋敷内に稲荷神社を祀ったりしていくが、なかなか思うようにはいかない事態になっていく。

 そして、その手立てとして、二千四百石の旗本に双葉が輿入れする話が進む。双葉は北方章三郎に強い想いを抱いていたが、ついに花岡家を救うために自分の思いを封印して、その縁談話を承諾する。だが、その花婿となる旗本の晴れ舞台の席に招かれていく途中で、北方章三郎を見かけ、思いを捨てきれずに迎えの駕籠を降りて、彼の元に駆け寄るのである。

 北方章三郎の双葉に対する思いが楊巨源の『折楊柳』という七言絶句を用いて表され、章三郎が手折って渡した柳の一枝を双葉がもって彼のところに駆け寄っていくという設定は、なかなか心憎いところがある。

 窮乏した旗本家が、あまりにも世間離れしすぎているとはいえ、主人公の双葉の姿がよく描かれているので、ミステリーが絡んだ恋物語としては面白いものがある。ただ、個人的な好みではあるが、表題が『四つ葉姉妹』であるところからも、三女の三樹があまりにも現代娘過ぎるようなところや、四女の花代の学識や知恵、人柄など、なかなか味があり、もう少し彼女に活躍の場があって欲しいような気がしないでもない。

 しかし、双葉が様々な事情の中で、その事情をよく知りつつも、自分の思いを貫いていくという結末は、わたしは好きで、「自分の思いに正直であること」が一番大事だと思っている者にとって、爽やかな結末だと思っている。

2011年7月26日火曜日

喜安幸夫『御纏奉行闇始末 うごめく陰謀』

 昨日は朝から池袋まで出て、気のおけない人たちと昼食を共にしながら、今の社会状況などをだべって過ごし、その往復の電車の中で読みさしていた喜安幸夫『御纏奉行闇始末 うごめく陰謀』(2010年 学研M文庫)を読んだ。

 この作者の作品を読むのは、前回に続いての二作品目で、これはこのシリーズの二番目の作品ではあるが、登場人物たちや取り扱われる物語の背景はわかるようになっている。シリーズの第1弾は『果てしなき密命』と題される作品である。

 これは加賀前田家の「御纏奉行(おまといぶぎょう)」であった橘慎之介が藩主の密命を受けて江戸市井で浪人の身をやつしながら使命を果たしていく物語で、徳川家斉が将軍であった天保年間(1830-1843年)の不安に大きく揺れ動いた社会背景をもとに、特に閨房によって権力を得ていた中野清茂と日蓮宗の僧であった日啓の謀略に主人公の橘慎之介が立ち向かっていく姿を描いたものである。

 江戸は火事の多かった都市で、町火消しとは別に各藩の江戸屋敷でも火事に対する備えに神経を使ったので、火消しのための組織が置かれていた。加賀百万石の前田家にもそうした組織が置かれ、大名火消しとして有名であったが、その火消し組織を束ねるのが御纏奉行である。残念ながらそういう役職が実際にあったのかどうかの詳細な知識はわたしにはないが、あり得ることだろうと思う。その御纏奉行であり、臥煙(火消し)たちから信頼と尊敬を得ていた橘慎之介が藩主から密命を受けるのである。

 それは、藩主前田斉泰(まえだ なりやす)と溶姫との間に生まれた双子のひとりである松千代を影ながら守るというものである。溶姫は犬千代(後の前田慶寧)と松千代の双子を生んだが、双子は不吉で、将来のお家騒動のもとになるという理由で、松千代を捨てる。だが藩主と溶姫はその行く末を案じ、、捨てられた松千代の行く末を見守る役を密かに橘慎之介に命じるのである。

 前田斉泰の正室(妻)となった溶姫は、徳川家斉とお美代の方との間に生まれた第21女であり(家斉はオットセイ将軍と異名を取るほどの精力家で、記録に残されているだけでも16人の妻妾をもち、53人の子をなしたといわれる)、お美代の方は、日蓮宗の僧であった日啓の娘で、その美貌が見込まれて家斉の側用人であった中野清茂の閨房策として養女となり、家斉のお気に入りとなって、中野清茂、日啓とともに権力をほしいままにした女性である。家斉とその側近たちは、次々と生まれてくる子どもたちを各大名たちに押しつけたが、溶姫もそのひとりとして加賀前田家に嫁いだのである。

 この溶姫が生んだ子は幼名を犬千代といい、後に前田慶寧となるが、彼に双子の兄弟がいたというのは作者の創作だろう。犬千代は、後に、溶姫の母であるお美代の方によって幕府内の権力保持のために将軍継嗣にされそうになるが、その企ては家斉の正室であった広台院(寧姫・篤姫・・・ちなみに後の天璋院が「篤姫」を名乗ったのは、彼女にあやかったもの)と水野忠邦らの幕府側によって阻止された。

 このあたりをかんがみながら、本書では、双子の兄弟である松千代を日啓と中野清茂が狙って、将来の前田家の乗っ取りとあわよくば将軍職の乗っ取りを企むという筋立てになっている。犬千代も松千代も日啓の孫に当たるが、日啓は権力掌握のために、双子であることを利用して松千代をわがものにしようと企んでいるというのである。このあたりの筋立てにちょっと無理がないわけでもないが、中野清茂と日啓の欲と権力願望のすさまじさはそうとうのものがあったので、こうした設定もありだろう。

 さて、物語の中で、捨てられた松千代は、板橋の寺が引き取り、寺僧の佳竜(よしたつ)に預けられて仏門で育てられることになるが、彼を守る橘慎之介の存在を邪魔に感じた日啓と中野清茂は刺客を放ってくる。そのあたりの顛末は第一作の『果てなき密命』で記されているのだろうと思う。そして、危険を感じた佳竜と松千代(次郎丸と命名)は板橋から芝の増上寺に移り、それと同時に橘慎之介も、臥煙であった手下の仁七とともに増上寺門前の長屋へと移ってくる。本書はそこでの顛末を描いたもので、そこでも日啓の手の者が襲撃してきたり(「白昼の襲撃」)、日啓が増上寺近くに自分の拠点を築くために画策したりするのを繰り返すのである。

 日啓は、増上寺近くの浜松町の旅館にまつわる怨念話を利用して、息子の日尚に怨霊退散の祈祷をさせて成功し、拠点を築きそうになるが、橘慎之介の計らいと佳竜によって失敗していく(「二代目祈祷師」、「描かれた女」)。日啓と日尚は、いわば佳竜との祈祷合戦に敗れるのである。そして、橘慎之介は祈祷合戦の場となった浜松町の旅館にまつわる怨霊話のもとである十年前の事件を探り出し、その怨念を晴らすために真犯人を捜し出していくのである(「許されぬ陰謀」)。ここで、木戸番の杢之助という不思議な人物が合力することになるが、おそらくこの木戸番・杢之助というのは作者の他の作品に出てくる人物だろう。

 こういう顛末が述べられていき、最後に、板橋で松千代を守って殺された加賀藩邸からの奥女中であり、日啓が差し向けた浪人に斬殺された沙代の妹と名乗る沙那という美貌の女性が登場するところで終わる。おそらく続く物語で、沙那は大きな役割を果たしていくのだろう。

 娯楽時代小説としては、歴史的考証の上で物語が自由に展開されているので面白いが、日蓮宗の祈祷師日啓と浄土宗の僧である佳竜の法力合戦というところや怨念話にまつわる事件は、まあ、相手が日啓なのだからいいとしても、本筋とはあまり関係のない幽霊の話を前提にしてその恨みを晴らすという筋立ては、こういう権力がらみの話ではどうだろうか、と思わないでもない。そこで作者の別の作品の人物が大きな役割を果たしていくというのも、その人物についての前提が他にある気配が漂って、わずかではあるが作者の商魂のようなものを感じたりもする。しかし、面白い作品であることに変わりはない。

 ともあれ、私観ではあるが、江戸幕府の崩壊は、どうも家斉あたりが根源のような気がしているので、このあたりの作品を読むことは別の意味で興味がある。上から下まで人間のよこしまな欲が渦巻いた時代であるような気がしている。いずれにしても権力に限らず、力を欲するとすべては醜い。

2011年7月21日木曜日

喜安幸夫『隠れ浪人事件控 隣の悪党』

 台風が去って、これまでとはうって変わったような夏とは思えない肌寒さを覚える日となった。今週は比較的静かに日々が推移しているが、たぶん、自分の日常的な個人的なこと以外のことを考えないようにしているからだろう。こういう時代の中での平穏さというのはそういうものだろう。

 このところテレビもほとんどつけることもなく、昨夜は、喜安幸夫『隠れ浪人事件控 隣の悪党』(2008年 学研M文庫)を読んでいた。作者の喜安幸夫という人は、1944年生まれで、1969~72年にかけて台湾大学政治研究所に留学されていたからか台湾関係の書籍も多く、1990年に『台湾の歴史』で第7回日本文芸家クラブ大賞ノンフィクション賞を受賞されているらしい。小説は時代小説が主で、多くの作品名があがっているが、わたしはこの作者の作品はこれが初めてである。

 『隠れ浪人事件控 隣の悪党』は、ある意味で、昨今の時代小説の中では定位置を得ている「浪人もの」で、「浪人もの」はいくつかのパターンがあるが、そのひとつは、ある藩の藩士であったものが何らかの事情で藩を出て、江戸で浪人暮らしをはじめ、裏店での生活になじみながら、剣の凄腕を発揮していくつかの事件や問題に関わりながら、自らが浪人となった出来事の顛末を迎えていくというものである。

 そして、たいていが、その浪人に思いを寄せる娘や世話を焼く女性が登場したり、浪人の生き方や志に意気を感じる町人や岡っ引き、町の顔役などが登場し、それらの人々と共に事件を解決したり、生活を織りなしていったりするというものである。

 本書も、主人公の秋葉誠之介は、播州姫路藩の勘定方(計理)であり、宝蔵院流槍術の免許皆伝の腕前をもっていたが、藩の財政窮乏を歯牙にもかけずに吉原の太夫(花魁)を身請けしたりして浪費を繰り返した藩主への義憤から、藩が姫路から越後高田に転封される(藩替え)時に、藩主の幇間であり私腹を肥やしていた男を殺して出奔し、江戸に出て、裏店で浪人暮らしをはじめたばかりの侍である。彼は、藩を出奔したために藩主による上意討ちがかかるかもしれないと思いながらも、江戸の町暮らしに馴染んでいくのである。

 物語の始まりは、主人公と同じ裏店に住む遊び人の弥市が旗本屋敷から遊び心で盗み出した家宝を追って、旗本の家臣たちが主人公のあとをつけているところから始まる。秋葉誠之介は、はじめそれを元の藩からの追っ手かと思っていたが、事情を知り、弥市にも手が伸びないように配慮しながら、疑いをかけられて監禁されていた中間や腰元の「お勢」などを救い出して、しかも傲慢な旗本をこらしめるようにして盗まれた家宝を返していくという手段をとっていくのである。

 この誠之介に救い出された「お勢」が、やがて、主人公が通う煮売り酒屋で働くようになり、彼に思いを寄せながら、彼の世話をしていく女性となる。また、その事件で、町の顔役のような働きをしている口入れ屋(職業斡旋業)の「弥勒の左兵衛」と知り合うこととなり左兵衛の人柄から、正義感一筋だった主人公が、人に配慮しながら生きていく大らかさを学んでいくようになるのである。そして、左兵衛の世話で、手習い処(寺子屋)を開くことになって、手習い処の師匠としての生活をはじめことになるのである。

 そして、次第に町の人々から慕われ頼りにされていくようになる中で、辻斬り事件が起こる。主人公の身辺には藩の探索方の武士がうろついていたことから、岡っ引きの仁助が訪ねてくることになり、自分の廻りをうろつく武士の素性を探り出し、それと同時に辻斬り事件を起こした武家の次男・三男を捕らえていくようになるのである。捕らえられた武家の子弟は町方の手を離れてしまうが、体面と家の存続を重んじた武家自身によって切腹となる。町方と武家の反目や、町民のやるせなさが残ったままとなるのである。

 第四話の「御家人稼業」は、秋葉誠之介の手習い処で学んでいた幕府御家人で高貴な人の乗り物を担ぐ陸尺の子が浮かないかを押していることに気づき、そのわけを探ってみれば、質の悪い公家の例幣使に金目当ての罠を仕掛けられ、父親の御家人たちがその責を負わされているという。例幣使を利用した公家の悪巧みと知りつつも、下級御家人はおろか浪人にもどうしようもないことである。どうなることかと案じていると、結局、陸尺御家人の組頭が金を工面して落ち着いていく。秋葉誠之介は義憤を感じるが、「弥勒の左兵衛」が示したような周囲への配慮から、衝動的な行動を控え、いっそう町屋で暮らしていく覚悟を固めていくのである。

 こうした展開が史実と絡めて語られており、文章はいささか武骨でさえあるが、物語のテンポがあって、これはこれで面白い作品になっている。

 主人公は、藩士から浪人暮らしへという境遇の変化を周囲の助けで乗りきっていくのだが、こういう作品を読みながら、ふと、このような主人公とは反対に、剣の腕もからっきしで学問もなく、女に惚れられることはもとより周囲から認められることもなく、細々と浪人暮らしをするような主人公の作品はないのだろうかと思ったりする。どうも剣の腕が立ち頭も切れるというのが、作品を面白くはするが、ありきたりの気がしないでもない。

2011年7月19日火曜日

南原幹雄『箱崎別れ船』

 台風が太平洋沿岸部に沿って北上してきているので、雨が降ったり止んだりする日になった。高温で湿度が高いために、むあーとした空気に包まれている。

 昨日は半日ほどかけて掃除や洗濯などの家事をこなした後、南原幹雄『箱崎別れ船』(1983年 青樹社 1990年 徳間文庫)を読んだ。読んでいてなんとなく一時代前の男女関係の姿を描いた時代小説を読んでいるような気もしないではなかったが、本書は、川の流れに浮かぶ船になぞらえて十一人の江戸の庶民の生活の中で息づいていた女性たちの点描を十一の短編でまとめた短編集である。

 ここで描かれているのは、作者の初版本のあとがきの言葉を借りて言えば、「いずれも高い身分や格式をもつ者ではなく、茶屋の女、仲居、女中、妾、酌取女、遊女・・・たちである」

 それぞれに男が絡んで、その男との関係の中で人生が決まっていくような人生を歩んでいくのだが、結末も様々で、好きな男とうまくいく場合もあれば、いっそうひどい状態に陥る場合もあるし、性に溺れ、破局したり、罪を犯したりする場合もある。ただ、いずれの場合も、その時々であるとはいえ、また、生活の問題が色濃く関係しているとはいえ、たとえ性的に奔放であったとしても、どろどろとした関係に陥ったとしても、その時々の男に対しての思いは純粋なものがあるものとして描かれている。作者には、相手が好きであったり惚れたりしている時に性的な幸福感も増すという考えがあるように見受けられる。

 だが、そういうことは男の幻想かもしれないという気がしないでもない。そうでも思わないとやってられないというところがあるような気がしないでもないのである。人間は、他の動植物と同じような生物であり、すべてはホルモンの働きであったりもするが、それと同時に精神性ももつから、そこに意味を見出さないと人間性を失ってしまうので、男と女という基本的には生物学的関係にも何らかの意味を見出したいと願う。そしてそれゆえに、男女それぞれがそこで幻想を抱くし、その幻想で悩みもする。 

 とは言え、誰かを好きになるというのは純粋で崇高な精神の働きであることは間違いない。そして、特に男女の場合は、その思いは具体的に生殖行動へと繋がるから、その意味では、生殖行動は純粋な精神の働きと言えないわけではない。そのあたりが人間の不可思議さでもある。

 そういうことはこの作品とは無関係なことなのだが、これだけ男女間における女性の姿が点描されると、わたしのような人間にはなんとなく人間に対する不信感が起こるのを禁じ得ない。「騙し騙されるのが男と女」というところには留まりたくないと思っているので、駆け引きの中で生きている人間の姿に、どこかいやらしさを感じるのだろう。

 作品そのものに対する評価は別にして、作者が言うほどこの作品で描かれる女性の姿に、「人間らしい、女らしい人生」を感じることはできなかった。もちろん、それはわたしの経験不足なのかもしれないが。今のわたしは、男女の話よりも、もっと違う話を読みたいと思っている。

2011年7月16日土曜日

諸田玲子『楠の実が熟すまで』

 昨日は満月で、東の空に浮かんだ月が柔らかな光を投げかけていたが、夜になっても熱気が治まらず、今日もうだるような暑さの中にある。久しぶりで二子玉川まで出かけて食事をとったが、水量を誇る多摩川もすっかり干上がっているような感じだった。昔はあのあたりでも鮎が捕れたらしいが、その面影はなく、現代建築技術の結晶のようなデパートとマンションが建ち並んでいる。

 木曜の夜から昨日にかけて、諸田玲子『楠の実が熟すまで』(2009年 角川書店)を読んだ。これは、安永2年(1773年)10月から安永3年9月までの一年間、京の公家と武家との対立の狭間に置かれたひとりの女性の姿を描いたもので、女心の妙が素朴に描かれている作品である。

 一般に、京の公家は独特の世界を繰り広げて、わたしなどには支配階級にあぐらをかいたとんでもない価値観をもつ種族のようにしか思えないが、江戸時代に幕府の支配下に置かれた公家たちは困窮の極みまで墜ち、格式と体面だけを重んじるがゆえに、内実の窮乏はひどく、文字通り「貧すれば鈍す」の状態であったことは間違いないであろう。彼らの生活は幕府の裁定にかかっており、勢い、必要経費をごまかして水増し請求をするということがまかり通っていた。

 本書は、京の公家たちのそうした不正を暴く目的で、京町奉行の意を受けて探索に当たっていた者たちの手先が次々と殺され、万策尽きた町奉行が、公家の奥深くに侵入して内偵をはたらく隠密として、ひとりの女性に白羽の矢を立て、彼女が不正の鍵を握ると思われる公家の嫁となり、嫁いだ公家の家の事情や夫の優しさ、抱えもっている苦悩などに触れ、隠密目的とは別に、心底、その夫に惚れていく姿を描いたものである。

 そして、不正を働いていた張本人が、婚家の縁者で、嫁いでから自分に親切にしてくれた人物であることが土壇場でわかっていくのである。

 物語の構成や展開、女性の母性本能と言われるもののとらえ方などにいくつか若干引っかかるところがあるのだが、物語としてすっきりまとまっているので面白く読めるし、作者らしい描写の仕方があって、密偵でありながらも夫に惚れていくという狭間に生きる心情が良く描かれている。

 人は、多かれ少なかれ二律背反的な面をもっており、その狭間で揺れ動いたりするが、その二律背反的なところを描くところに小説の面白さがあるとしたら、これは、主人公の立場そのものが公家と武家という二律背反に置かれるという設定だから、その設定の着想はうなずけるものがある。

 そう言えば、諸田玲子はそういう立場に置かれた人間をずっと描いてきたような気がしないでもない。このところまた精力的に仕事をされているようだから、作者が全体でどこに向かっているのかを見ていくのも面白い気がしている。

 エアコンが壊れたということで、屋上に置いてある室外機を見るために、久方ぶりで屋上に上がった。ここは丘の上で、屋上に上がると展望がきき、ひしめく家屋と点在する緑をぼんやり眺めたりした。それにしても陽射しが強い。

2011年7月13日水曜日

宇江佐真理『彼岸花』

 今日も朝から暑い陽射しがかっと照りつけている。空気中に熱気が渦巻いているようで、日傘を差して行き交う人が陽炎のように見える。

 昨日、必要があって昔書いたある組織についての論文をパソコンのフォルダ内で探していたら、その論文を展開した第二部が書きかけのままに放置されていたことに気がついた。第一部で組織の基礎となる事柄や思想についての考察をした後で、社会学的な分析をし、「希望の形態」として提示する第一部は終えて発表していたのだが、それを現実的な形態の中で展開したいと思っていた第二部が書きかけのままだった。それから、西洋思想史を基にした小説も100ページあまりを書いて書きかけで終わっていたし、他にもいくつか構想だけで書きかけの論文が見つかった。

 それから周りを見回すと、文字も習字をきちんと習わなかったので、自分が書いた文字が均整のとれない不格好な字で、油絵も「ピエタ像」が描きかけで、フルートも音程の移行がスムーズに進まないまま終わっているし、仕事も納得がいかないままで進めてきたきらいがあったりして、何もかもが中途半端なままで終わっていることに愕然とさせられた。

 決して完全主義者ではないし、人が未完のままに自分の人生を終了しなければならないことは十分に承知しているが、なんだか中途半端なままで終わるような気がして、スピノザがレンズを磨き続けたような姿からはあまりにも遠いことを内省してしまった。

 昨日はそんな気分で一日を過ごしていたのだが、夕方から宇江佐真理『彼岸花』(2008年 光文社)を読み始め、この人のもつ独特の柔らかさと楽天性に大いに慰めを覚えた。宇江佐真理は、現実の苦労を背負いながらも人情の機微をもって生きている人の姿を柔らかく描き出すし、無理もてらいもなく、素朴で、作品としてのまとまりもすっきりしているので、何とも言えない読後感を味わうことができる作家のひとりである。

 『彼岸花』は、「つうさんの家」、「おいらのツケ」、「あんがと」、「彼岸花」、「野紺菊」、「振り向かないで」の6編の短編が収録された短編集である。いずれも、奥付によれば、2007年から2008年にかけて「小説宝石」(光文社)で発表されたものである。

 「つうさんの家」は、深川で材木屋を営む店の商売がうまくいかなくなり、店をたたむことになって、本店のある大阪に行く両親と離れて、奥多摩の山の中にある「つうさん」という老婆に引き取られることになった十五歳の「おたえ」という少女が、それまでの暮らしぶりとは全く異なった山の中の質素な生活の中で、自分を引き取ってくれた「つうさん」との暮らしに馴染んでいく姿を描いたもので、最後に、「つうさん」が亡くなった後で、つうさんの生涯と自分が「つうさん」の本当の孫であったことが知らされるというものである。

 この作品の中で、「つうさん」との素朴で質素な生活を通して、自分が人生の中で何を大切にしなければならないかを「おたえ」が学んでいく姿が、その日常生活を通して記されていくのだが、筆運びが細やかで柔らかいので、「つうさん」の愛情がしみじみと伝わる作品になっている。

 「おいらのツケ」は、深川の貧乏長屋で、隣家の夫婦に自分の子どものようにして育てられて大工の見習いとなった三吉が、嫁をもらって一人前になっていく姿を描いたもので、三吉は幼い頃から父親が病で倒れたために隣家に預けられて育った。隣家の梅次・おかつの夫婦は自分たちの息子が板前の修業で大阪に行っていることもあって、三吉を自分の子どものように可愛がり、三吉も「爺、婆」と呼んで、母親が働き先の居酒屋で知り合った男を家に引っ張り込むようになったことからも、ますます梅次・おかつの家で暮らすようになった。梅次は人としての道を丁寧に三吉に教え込んだりした。

 十五歳の時、木場の大工の棟梁の徒弟となり、三吉は棟梁の所に梅次の家から通うようになって、そこで大工の修行を重ねていく。その棟梁の家の近くの一膳飯屋に、小太りで決して美人とは言えないが愛嬌のある「おかよ」という娘がいて、三吉に思いを寄せている。三吉は棟梁の美貌の娘に思いを寄せていたために鼻も引っかけないでいたが、兄弟子たちへの義理で飯を奢って金がなくなり、それをツケにしてもらったこともあって、「おかよ」を連れて深川八幡いったりする。「おかよ」の両親も三吉のことが気に入っている。

 そして、母親がいよいよ通ってきていた子持ちの男と所帯を持つと言いだし、彼を可愛がって育ててくれた梅次も病をえて死んでしまう。梅次の息子は、結婚して残された「おかつ」の面倒を見たいから三吉に梅次の家から出るようにと頼む。新しい男と所帯を持った母親も、彼を家に入れようともしない。三吉はどこにもいく場所がなくなってしまったのである。

 思いあまって「おかよ」の家を訪ねるが、「おかよ」の父親から「おかよの亭主は店を継ぐ者にしたい」と言われる。だが、「おかよ」の母親が「三ちゃんがここから親方の所に通ったっていいじゃないか」と言って、話がまとまり、三吉は「おかよ」と夫婦になる。三吉はその一膳飯屋から大工の仕事に出て、仕事が休みの時や店が忙しい時には店を手伝い、「おかよ」もいい女房になっていく。

 そうしてある時、懐かしい思いでもと住んでいた貧乏長屋を訪ねてみると、梅次の息子には子どもができ、「おかつ」も嬉しそうな笑い声を立てていたために、ついに梅次の家を訪ねることができなかった。三吉は寂しい思いをするが、「おいらにはおいらのツケがある。そのツケを返すために、これからもあくせく稼ぐのだ」と思い返して帰っていくのである。

 人には、自分の居場所がどこにもないという寂しさがつきまとう。その寂しさをこういう単純だがすっきりした形で作品にして、一つの人生と生活の光景として描き出した作品である。

 「あんがと」は、本所の東側の貧乏尼寺で、代々捨てられた子どもを育てている尼僧たちの姿を描いたもので、結婚に失敗して尼僧となった安念は、寺に捨てられた子どもをやむを得ずに引き取って育て、その子が育って恵真と名づけられ、寺の後を継ぎ、恵真も、両親が強盗に殺された娘であった妙円と両親を病で失った牢人の娘であった浄空を引き取り、貧乏尼寺でかつかつの生活をしながらも育ててきた。

 そこにまた、言葉もうまくしゃべれないようにして育てられてきた女の子が捨てられた。女の子は妙円になつき、彼女たちに守られて元気になってきたが、親戚が見つかって引き取られることになった。それからしばらくして、引き取られた先で可愛がられている姿で彼女たちの尼寺を訪ね、その帰り際に、たどたどしい口調で「あんがと(ありがとう)」と言うのである。

 「あんがと」は、互いに思いやりと情けをもって静かに暮らしている美しい話である。描かれる女性たちの姿や状況は甘くて理想的過ぎるかもしれないが、こういう話を読むのは、決して悪くはないし、むしろ、いいものである。

 表題作となっている「彼岸花」は、気の強い母親の世話をしながら小梅村で農家の切り盛りをしている「おえい」の家族に対する思いを描いたものである。「おえい」は、気が強くて吝嗇気味の母親「おとく」と婿養子にきた夫の三保蔵、そして、十七歳の嘉助と十五歳の清助という二人の息子との五人暮らしをしている農家の主婦である。家は、かつては庄屋を務めるほどだったが、今はそれほど裕福ではなく、夫の三保蔵は農閑期には瓦職人として働いている。「おえい」は、自分が気に入らないことは一切受けつけない実母の「おとく」とそりが合わないで、若い頃思いを寄せていた儒学者の息子とも仲を裂かれたりした。

 この「おえい」に「おたか」という妹がいる。「おたか」はある旗本の家臣の家に嫁に行ったが、彼女の夫の偏屈さから夫が職を失って以来、頻繁に「おとく」に金を借りにきたり、農家で撮れる野菜を山ほど抱えてもらって帰ったりするようになった。武家に嫁いだ「おたか」は自尊心ばかりが強くなって、娘を武家の娘として育てるために、もらって帰って野菜などを路上に並べて売ったりして暮らしを立てているのだった。「おたか」の夫は殴る蹴るの暴行を働き、家の中では罵り声が絶えないという。「おたか」は、ただただ自尊心だけで生きている女になっていた。

 だが、その「おたか」が下血して死んでしまった。「おたか」の亭主は下血で家が汚れたことだけを言い、喪主は仏の側に座っているだけだと言って弔いも出そうともしないし、「おたか」が無理して習い事をさせていた娘は「これから御膳の仕度は誰がするの?お洗濯は?」と言うだけだった。「おえい」はやり切れなさを感じていく。

 苦労して、夫にも娘にも、その心さえ報われなかった「おたか」の家族の姿は誇張されてはいるが、しかし、それが現実だろう。人生はやりきれないことに満ちていて、特に心優しい人は、そのやり切れなさを深く感じざるを得ない。ほんの少しの温もりさえあれば、人は生きていけるが、そのほんの少しの温もりさえない時がある。彼岸花に託された人のやり切れなさが、この作品の妙味であろう。

 「野紺菊」は、夫が亡くなり、残された老いて惚け(認知症)が進んだ母親と養子として取っていた息子を抱え、その母親の介護で明け暮れるひとりの女性の姿を描いたもので、義姉とふたりで母親の面倒を見ているが、日々の暮らしの中で疲れも覚える。徘徊するために一日さがし歩いたりもする。だが、惚けた義母の不安を和らげるためにお漏らしをし始めた義母と一緒寝たりして、義母の面倒を見ていくのである。

 そして、義母が亡くなり、彼女は寂しさを感じていく。ふと、庭の片隅に野紺菊が花をつけていた。義母が俳諧の途中で見つけてきたものを植えたのが花を咲かせていたのである。その野紺菊を見ながら、彼女は「この花が好き・・・」とつぶやく。

 「振り向かないで」は、仲のよかった友人の亭主を寝取った女性が、自分の行いを悔いて、生活を改めていく話で、「そして胸の中で『もう、振り向かないで』と、自分で自分に言い聞かせていた.雨はなかなか止まなかった」(248ページ)という締めくくりの一文が光る作品だった。

 読み終えて、他の作品でもそうだが、宇江佐真理の作品はどうしてこう柔らかく染みわたるような作品になっているのだろうと思い続けた。作者の人柄というものがこれほど文章ににじみ出るような作家も少ないだろう。歴史考証や言葉遣いの曖昧さも全く気にならないほど、人が生き生きと描かれているので、一つの境地と言えば境地に違いない。観察力と感性が優れた作家だとつくづく思う。

2011年7月11日月曜日

芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 惜別の剣』

 梅雨明け早々の昨日は、驚くほど強い夏の陽射しが照りつけ、地面も何もかもが、「うだる」と言うよりは沸騰するような気さえした。熱謝がなかなか治まらずに、夕方少し出かけようかと思っていたが、止めて、本を読んだり、アメリカのテレビドラマのDVDを見たりしていた。

 今日も暑い日差しが差し、朝起きると部屋は蒸し風呂状態で、節電と思いつつもエアコンのスイッチを入れざるを得ない。車の騒音がよけいに空気を暑くする。

 昨日、芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 惜別の剣』(2009年 双葉文庫)を一息で読んだ。この作者の作品も初めてで、別に優れた新しい作家や作品を探そうという気はないのだが、最近は同じような傾向の時代小説がたくさん出版されているし、「永訣」とか「惜別」という言葉には特別の思いもあって、手に取った次第である。

 文庫本カバーの裏に記載されている著者紹介によれば、作者は1953年生まれで、早稲田を卒業されて出版社に勤務され、ジュニア小説でデビューされて、いくつかの時代小説のシリーズ物を手がけておられるらしい。他の作品はまだ読んでいないので何とも言えないが、ジュニア小説を書かれていたらしくて、文章にも作品の構成や展開にも無駄がなくてすっきりしている。ただ、主人公の設定や物語の展開は、オリジナリティということから言えば弱い気がしないでもない。今売れている書き下ろし文庫時代小説の傾向と対策のようなものがあって、出版社の意図も強くあるだろうと思ったりもする。

 作家は自分の思想と感性に基づいて登場人物と物語の展開を構成するが、オリジナルということから言えば、それは至難の業でもある。たいていが考えつかれたものや自分が感動した既存のものに近くなる。ましてや時代小説となれば、たいていが自分の想像とそれに基づく創造になるわけだから、どこかで似通ったものになってくるのは避けがたいものがある。

 まして、職業作家ともなれば、売れない物を出すわけにも行かず、出版社も作者も売れることを期待するわけだから、いきおい、売れている無難なところで落ち着いたりする。出版に携わる編集者も、名の売れた大家は別にして、売れ筋を分析して、それを作家に要求するので、主人公の設定にしても描かれる状況にしても独特のオリジナルなものは敬遠したりするから、自然と似通った作品群になってしまうのはやむを得ないところがあるだろう。

 だからといって、芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り』が面白くないわけではなく、これはこれで面白く読めた作品であることは間違いない。

 このシリーズの主人公の「おいらか俊作」と呼ばれる滝沢俊作は、信州猪田藩の若殿の近習であったが、藩の内紛に絡んでお役御免となり、江戸の裏店で浪人として暮らすようになった21歳の若侍で、中肉中背ですっきりした顔立ちをし、のんびりしているという意味で「おいらか」と卓名される心優しい性格だが、剣の腕は相当に達って、同じ裏店長屋に住む浪人や剣術道場をしていて隠居している老人から持ち込まれる用心棒などの仕事をしながら自分のいく末を探しているという設定になり、彼が関わる様々な事件の顛末や彼自身のことにまつわる出来事が展開されているというものである。

 こうした主人公の設定や展開は、どこか佐伯泰英が描く『居眠り磐音江戸双紙』の主人公や物語の展開とよく似ている。どうも、最近はこうしたどこかのんびりした物事にあまり拘らないがまっすぐな性格で、しっかりと出来事や事件を解決していくという主人公が好まれるらしい。時代がそういう人物を求めているのかもしれない。

 それはともかく、本書は、浪人して間もない滝沢俊作が、十歳になるある商家の娘の用心棒として雇われるというところから始まり、主人公自身がなぜ藩を追われる身となったのかの顛末が描かれている。

 物語は、主人公の隣に住む武骨でむさ苦しい浪人である荒垣助左衛門から自分の代わりに商家の娘の用心棒をやって欲しいと依頼されるところから始まる。荒垣助左衛門は示現流の達人であるが、自分のむさ苦しさが商家の娘と母親に嫌われたので、すっきりとした顔立ちの滝沢俊介だったら大丈夫だというのである。商家に娘の拐かしのための脅迫文が届けられたというのである。

 その娘の用心棒をしている時に主人公は自分が属していた藩からの刺客に狙われ、彼自身の身の危険も迫ってくる。商家を脅していた男は、一応捕らえることができ、それが娘の実の父親で、娘が可愛がられているかどうかを知るためにそういう脅しをしたことがわかって、その件は落着するが、彼を襲ったのが藩の隠密忍者集団である「山神衆」と呼ばれる集団であることがわかっていく。

 やがて、彼の長屋住まいの身請人(保証人)であり、用心棒の仕事などを廻してくれる馬庭念流の達人で、道場主だったが隠居している桑原茂兵衛が巻き込まれた町道場主の殺人や、滝沢俊作が傘張り浪人になろうとして弟子入りした傘張り職人が殺されるという事件に関わったりしながら、彼の命を狙っていた「山神衆」の正体を知っていくことになるのである。

 彼がまだ江戸屋敷詰めであったときに思いを寄せいていた奥女中の「世津」は、彼の命を狙う計略に荷担したかと思うと彼の命を救っていくという動きをしていたが、実は「山神衆」の女忍者であり、命を受けて一度は彼の命を狙う計略の片棒を担がなければならなかったが、自分の恋心で彼の命を助けることで「山神衆」を裏切り、裏切り者としての責を負うために、故郷で自決する覚悟をする。

 そのことを知った滝沢俊作は、彼女を止めようとして彼女と同行して故郷まで行く。そして、自分が藩を追い出されたのが、藩の内紛に絡んで近習として仕えていた若殿を亡き者にする計略の一端だったことを知っていくのである。「世津」は、彼の命を守るために自ら命を落としてしまうが、内紛を起こした家老の企みも発覚させ、内紛を終わらせるのである。主人公は藩主から藩に戻ることを進められるが、浪人としての道を歩むことにするのである。

 こういう展開は、描かれる現象は異なっていても、佐伯泰英の「いねむり磐音」と似通っているし、主人公の将来を暗示する美貌の娘の存在の登場も似通っている。「いねむり磐音」の場合は、江戸で一二を争う両替商の奥女中であったが、この物語の場合は医者の娘になっている。ただ、「居眠り磐音」の場合は、主人公は剣の道に進んで行くが、この場合は「寺子屋の師匠」を目指すというところが、なんともほほえましくある。

 お定まりの剣、恋、長屋もの、用心棒ものといったパターンが織り込まれて、書き下ろし文庫時代小説の要素が満載だが、文章と展開、そしてユーモアを交えた会話などがすっきりしていて読みやすい作品になっている。

2011年7月9日土曜日

山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集1 待つ』(2)

 昨日に続いて、記憶のあるうちに山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集1 待つ』(2005年 小学館)について記しておくことにした。今日も空はすっかり夏の空である。

 「柳橋物語」の次に収録されているのは、愛する妻が他の男のために生きていることを知った夫が懊悩していく姿を描いた「つばくろ(燕)」である。紀平高雄の愛する妻は、子どもを産んでからますます美しくなっていったが、度々他の男と会っているところを目撃され、夫の知るところとなった。心優しい高雄はそれを問いただそうと懊悩するが、切り出すことができないでいた。しかし、ある夜、祝い事からの帰りに闇討ちをかけられ、それが妻が会っていた男であることを知って、ついに妻に問いただす。

 相手は、妻がまだ少女の頃から知っていた家の三男で、妾腹の子であったために下男と同じ長屋に孤独に住まわせられて、その淋しさと悲しさをおもんばかって、彼を慰めようとこぜにをためて饅頭を買ってもっていってやったりした男であるという。そして、妻が結婚した後で、厄介払いとして江戸行きを命じられたが、江戸に行かずに、妻への思慕を膨らませて妻に会いに来たのであった。

 逢瀬を重ねる度に彼の思いは募り、妻は彼の思いを突き放せなくなったと言う。夫はそれを聞いて苦悩し、誰も傷つけないために、妻を湯治場にやり、相手の男もその湯治場に行くようにして、もしそのまま二人が出奔するようなら、病死の届け出を出して自由にさせようとする。彼は妻を心底愛していたが、愛しているがゆえにひとりで忍耐しようとするのである。

 こうして月日が流れるが、彼はひとり、もっと愛情があればこんなことにはならなかったに違いないと自責を繰り返す。他の縁談話も持ち込まれるようになる。そして、息子が病気になった時、妻と一緒に湯治場につけてやった下男が湯治場からやって来て、二人の間は決して男女の関係ではなく、男の思いは母や姉を慕うようなもので、自分は病をえてもうすぐ死ぬから、夫の元に戻るようにしてくれと男から言われたことを伝える。

 それを聞いて、夫は妻が戻ることをゆるしていこうとするのである。表題の「つばくろ」は、燕が毎年同じ巣に戻ってくるように、出ていった妻が戻ってくることをかけたものだろう。

 だがどうなのだろう、と少々ひねくれたわたしは思ってしまう。男女の関係がなかったとしても精神的不貞であるに変わりなく、彼女が夫と子どもを捨てたという事実に変わりはない。選択の責は負わなければならないだろう。妻の思いは何も語られず、こういう形で一度切れた男女の関係の修復は可能なのだろうか。真の意味での「反復」は、人には不可能なのだから、修復が可能であるとすれば、違う形で男女の絆を深めていくしかない。だが、修復や反復が可能であればと願う気持ちはわからないでもない。そして、男はいつでも未練たらしいものである。

 「追いついた夢」は、苦労して辛抱し、長年かけて周到な準備を重ねて、ようやく気に入った若い娘との優雅な暮らしが適うことを目前に、卒中で倒れて海辺の小屋で誰しれず死んでいった男の話である。男はいつも哀れで愚かである。だが、極貧の生活をして男に身売りした娘にとって、これ以上の果報はないだろう。男の掴むことのできなかった夢は、貧しい娘の果報となったのだから、それでいい。夢があっただけ、まだましかもしれないと思ったりもする。

 「ぼろと釵(かんざし)」は、自分が思い描いたことと現実がはるかに違っていることを知る男の話である。貧しい長屋暮らしで出会った少女と恋をし、やがて嫁に迎えるつもりでいたが、女に縁談話が起こって駆け落ちするところまでいった。だが、女の幸せを願って、女を捨て、江戸を出て、名古屋や大阪に行き、独り立ちして、思いでのかんざしをもって、再び女を探しに来た、とある居酒屋に座って男は言う。

 だが、事実は異なって、女はそうとうのあばずれで、手当たり次第に男を食い物にして、落ちぶれ果て、その居酒屋で男に媚びを売りながら生活していたのである。その事実を知りながら、男は酔いつぶれた女を駕籠に乗せていくのである。

 これは、短編として非常に優れた短編だと思う。場面は、ただ居酒屋だけで、そこにいる様々な人間の姿も合わせて描かれながら、それぞれの人生が言葉の端々で描かれ、しかも、現実がどうであれ自分の思いを大切にする男の姿が描かれている。こういう短編が一番作者らしいような気もする。

 「女は同じ物語」は、強い母親と幼い頃に女性にいじめられた記憶から、許嫁がいながらも女嫌いでなかなか結婚に踏み切れない男が、自分につけられた小間使いの女性に次第に惹かれるようになって、彼女との結婚を願うようになる恋愛物語である。幼い頃に自分をいじめたのが今の許嫁で、彼の小間使いへの思慕は募っていく。だが、母親が反対し、小間使いは姿を消し、許嫁との結婚が近づいてくる。そして祝言の日を迎え、そこに現れた許嫁が、実は母親の計らいで小間使いとなっていた女性であるという、ハッピーエンドのお話しである。

 「こんち午(うま)の日」も優れた短編で、豆腐屋の入り婿となったが、結婚して三日後に妻に逃げられ、その妻の寝たっきりの親にすがられて、そのまま残って豆腐屋の商売に励む。彼は世話になった豆腐屋に恩義を感じ、豆腐に工夫を凝らしたりしながら商売を盛り立てていく。だが、月日が経った後で、その妻と人殺しも厭わないやくざな男が舞い戻ってきて、豆腐屋を乗っ取ろうとする。彼は、豆腐屋のために顕然と立ち向かうのである。

 「ひとでなし」は、小料理屋を営む女性は、長いあいだ彼女に思いを寄せてきた大店の主と結婚することになり、店をたたむことにする。だが、女性は、最後の夜にこれまでのことを語り、自分は大店の妻にふさわしくないと告げる。そこに、死んだと思っていた性悪の元亭主が島抜け(牢破り)して帰って来て、彼女を狙い、押し入ってこようとする。しかし、二人の会話を盗み聞いた元亭主の相棒が、元亭主のあまりのひどさに、元亭主のことは自分が処理するから、彼女を嫁に迎えて欲しいと大店の主に語っていくのである。

 これらの中短編を改めて読んで見ると、「待つ」というテーマの下で執筆年代順に収められているから、作者の執筆の背景が浮かび上がってくるような気がするし、人間に対する視点や作品の深みが増してくるのがわかるような気がする。その意味では、この選集はなかなか優れた編集者の手によるものだと実感する。全5巻になっているので、残りの巻も読み進めたい。

2011年7月8日金曜日

山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集1 待つ』(1)

 曇り空の蒸し暑い日になって、なんとなくすっきりしない感覚がつきまとっている。雨になるかもしれない。

 この2~3日、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集1 待つ』(2005年 小学館)を読んでいた。少し前にこの選集の2『惑う』を読んでいたし、まっすぐで素直で、正直な思いを貫こうとする人間の姿を描いた作品に触れ直したいという思いがあって、この中に収められているいくつかの作品は再読なのだが、新しい気持ちで読み直したのである。

 ここには、「待つ」という主題のもとで、1940年に書かれた「内蔵允留守」から「柘榴」、「山茶花帖」、「柳橋物語」、「つばくろ(燕)」、「追いついた夢」、「ぼろと釵」、「女は同じ物語」、「裏の木戸はあいている」、「こんち午の日」、「ひとでなし」の十一作品が収められており、このうち「柳橋物語」は中編というよりも長編の趣のある作品である。

 「内蔵允留守(くらのすけるす)」は、剣豪として名をはせていた別所内蔵允のもとで剣の修行を積みたいと思って訪ねて来た岡田虎之介は、内蔵允が不在のために近くの農夫の家に身を寄せて待つ間に、毅然として生きている農夫の生き方に触れ、その人柄に惹かれていき、人として生きる姿勢というものを学んでいくという話である。

 最後に、その農夫こそが剣の達人である別所内蔵允であることに気づいていくという結末があって、後に山本周五郎が到達した地平からすれば、「青さ」が漂う作品ではあるが、世の中に惑わされずに毅然と生きるという姿が描き出されて、これが戦争の気配がする中で書かれたことを考え合わせれば、作者の姿勢のようなものを感じる作品だった。

 「柘榴」は、ひとりの女性がその生涯で真実の愛情の姿を見出していく物語で、厳格な躾のもとで育った真沙は、藩の平徒士である松村昌蔵に嫁ぐが、夫との仲がしっくりいかず、夫が示してくれる愛情表現も嫌悪するほどだった。だが、夫の愛情は一途で、ついに妻を喜ばせるために藩の公金に手を出し、発覚して出奔し、家は断絶となり、彼女は、親類縁者の配慮で国元から江戸屋敷に移される。

 そこで奥勤めに出て、藩主の生母などに仕えるうちに、中老となり、年寄り(奥勤めの最高位)となって平穏な生活を続ける。その間にいろいろな夫婦の姿に目がいくようになり、夫婦の愛情の表現にはそれぞれのものがあることを感じていくようになる。

 やがて、老いて帰郷し、田舎での隠居生活を始め、そこにひとりの男が下男として雇われることになる。下男は黙々と働き、真沙とも口をきくようになるが、切り倒した樫の木の下敷きになって死を迎える。下男は最後に「いい余生を送らせてもらいました」と言う。その下男は出奔した夫の昌蔵かもしれなかった。人の心の奥深くに秘められたものを理解するようになった真沙は、その下男が夫であったかどうかはわからないが、最後の言葉に胸を打たれていくのである。

 「山茶花帖」は、極貧の中で育ち、芸妓として生きる苦労を重ねていた女性が、山茶花の咲く寺で知り合った結城新一郎という侍と恋に落ち、彼の藩内での権力争いも絡んで、身分違いもあり、周囲から身を引くように言われ、彼のために身を引く決心をする。だが、新一郎は信じて待っていてくれ、と語る。そして、そのまま月日は流れるが、その言葉の通りに、新一郎がやがて彼女を妻にするために迎えに来るという話である。

 もちろん、こういう物語の展開は甘いし、極貧で育ち、芸妓という境遇にある女性には「白馬の騎士」が登場する夢物語ではあるが、人を愛する思いの一途さと誠実さを率直に展開した作品であるともいえるだろう。男女の絆というものは、互いの信頼と愛によってどのようにでも深くなるし、どのようにも強く確かなものともなりうるのだから、そうした姿を率直に、単純に描くのは、作品を読むものとしては嬉しいことでもある。

 「柳橋物語」は、先にも記したように中編というよりは長編の部類に入るだろう作品で、不運に見舞われた女性が、自分を真実に愛してくれるのが誰かを見出していく物語である。

 「おせん」は幼馴染みとして育った二人の男のうち、江戸を離れるという庄吉から、一人前になって稼いでくるから待っていてくれ、と思いを告げられる。庄吉は、同じように大工の見習いから入った幸太が棟梁に気に入られて養子になるので、もうその棟梁の下で働けないから上方に行くというのである。「おせん」はその言葉を聞き、自分を思ってくれる庄吉の思いに答えて、待つ、と言ってしまう。そして、その言葉の通りに庄吉を待ち続ける。幸太も「おせん」に一途に思いを寄せてくるが、「おせん」は受けつけようとはしない。

 そして、大火に見舞われる。幸太は自分が「おせん」から嫌われていることを知っているが、大火の中を「おせん」を助けに駆けつけ、自らの命を落としてしまう。「おせん」は幸太のおかげで生きのびることができたが、記憶をなくし、精神を病んでしまう。だが、大火の中で拾った赤ん坊と共々、気のいい夫婦に助けられて、徐々に記憶を取り戻していく。

 だが、再び、彼女と赤ん坊を助けてくれた夫婦を大水で失ってしまう。夫婦の叔父の世話で、夫婦の家にそのまま残ることができるようになり、赤ん坊を育てていく。そして、庄吉が帰ってくるが、庄吉は「おせん」が幸太といい仲になり、赤ん坊はその幸太との間にできた子どもだという噂を信じて、「おせん」を捨てる。「おせん」は自分のことを信じて欲しいと願うが、庄吉は、だったら子どもを捨てろと言う。だが、「おせん」は子どもを捨てることができない。庄吉は「おせん」のことが信じられないのである。そして、彼が大工として入った棟梁の娘と結婚する。庄吉を信じて待ち続けた「おせん」は愕然とするが、自分を本当に愛してくれたのは誰かに気づいていくのである。

 この物語を読みながら、人は、自分を真実に愛してくれる者が誰かがわからずに、一時の言葉や行動に騙されて、同じような間違いをしていくことが多いなぁ、と実感したりもする。この物語には、いくつかの人生があって、そのちょっとした間違いで人生が狂っていく姿が描かれると同時に、そこから立ち直っていく姿も描かれ、主人公がやがて子どもをしっかり育てながら八百屋を営んでいくようになるという作者の優しい希望が最後にあったりして、時代小説のひとつの見本のような作品になっている気がした。1949年の作品だから、戦後の焼け野原を生きぬかなければならなかった状況も反映されているだろうと思う。

2011年7月6日水曜日

沖田正午『天神坂下よろず屋始末記 子育て承り候』

 積乱雲がもくもくと湧き起こり、夏の暑い日差しが照りつけている。梅雨前線が南下して九州地方に局地的な大雨をもたらしているらしいので梅雨明けはまだなのだが、季節は確実に夏で、社会状況や現象の変化があっても、こうして時が過ぎていくのだろう。

 昨夜は沖田正午『天神坂下よろず屋始末記 子育て承り候』(2009年 双葉文庫)を、比較的面白く読んだ。

 この作者の作品は初めて読むが、表題に惹かれて読み始めた次第である。文庫本カバーの裏によれば、1949年埼玉県生まれで、2006年『丁半小僧弐吉伝 賽の目返し』で作家デビューとあったから、作家としてはかなり遅いデビューかもしれないが、かなり精力的に書き下ろしで時代小説を書かれているらしく、すでにいくつかのシリーズが紹介されていた。『子育て承り候』も、このシリーズの第一作目らしい。

 湯島天神の天神坂下の貧乏長屋で、強盗や殺人以外のなんでも引き受けるよろず屋を稼業とする萬屋承ノ助よろずやうけたまわりのすけ)を名乗る竹平歌之助を主人公とするシリーズで、『子育て承り候』は、第一作目らしく、これから主人公が同居することになる十歳の少女「お千」と六歳の「万吉」の姉弟との出会いと承ノ助自身の出生に関わる現在に至るまでの境遇に基づく顛末が描かれている。

 萬屋承ノ助こと竹平歌之助は、上野国の十五万石上館藩主竹平広房の七男として生まれたが、広房がお忍びで城下町に行った折りに、藩主とも知らずにさそわれた丁半博打で罠にはまったところを女博奕打ちに助けられて、手を出し、生ませた子どもで、生まれるとすぐに母親から引き離されて城で育ったが、母親が卑賤だということで兄弟たちから蔑まれていじめられて育ったのである。

 そして、ある時、自分を手ひどくいじめる長兄を木剣で完膚無きまでに打ちのめし、そのことで城を追われ、父親の広房の計らいで老臣であった倉田忠衛門に育てられ、剣の才があるかもしれないということで神田の「玄武館」に通い、師範代になるほどの腕になったが、倉田忠衛門が不慮の事故で死に、道場に通う金銭もなくなって止めさせられ、天神坂下の貧乏長屋で糊口を得るために何でも引き受ける「よろず屋」を営んでいるのである。

 承ノ助の性格は温厚で、目上の人に対しては誰であろうと敬語を使い、町人とも侍ともつかない格好で、ぼさぼさの総髪を無造作に後ろで束ね、商売の宣伝をかねて「うけ玉わる」の白文字の入った派手な紅樺色の小袖を着て、一見しても剣の腕の立つ人間にはとうてい見えないが、父親が別れ際に渡した刀を一本差している。

 そういう承ノ助がチンチロリンという小博奕で儲けた小銭を懐に入れて歩いている時に、幼い姉弟の掏摸に出会い、その姉弟を捕まえて事情を聞いたところ、姉弟は、母親もいず、父親もどこに行ったのかわからないままに江戸で一二を争う極貧地帯に住んでいたことがわかり、仕方なしに預かっていくことになるのである。

 承ノ助は、気のいい岡っ引きの元治と共に子どもたちの父親を探そうとし、その両親が掏摸であることをつきとめ、母親は身売りし、父親が掏摸仲間といることがわかる。そして、父親を捕まえるために網を張って、父親が札差しの懐から仲間と共に掏摸を働いている現場を押さえるが、町方同心の知るところとなって、父親の自白のおかげで子どもを使って掏摸を働かせる掏摸一味を一網打尽にはするが、父親は遠島となり、子どもたちの行き場がなくなり、その子どもたちを預かるのである。

 子どもたちは、読み書きはおろか数を数えることさえ教えられずに育ったが、姉の「お千」は、汚れを落としてみると可愛い顔立ちをし、なんでも飲み込みが早く、器用で、弟の「万吉」も素直であり、長屋の近所の者たちも情が厚くて何かと世話をしてくれ、こうして三人の暮らしが始まっていくというものである。

 そして、父親に掏摸取られた札差しが、助けてくれた承ノ助の商売を知り、彼に人捜しの依頼をする。その依頼は、承ノ助自身である竹平歌之助を探すというもので、彼の父親である竹平広房が重い病をえて跡目を巡る争いがあって、歌之助の兄弟たちは、長兄を残して死んでしまったが、その長兄が藩主としてふさわしくない酷いかんしゃく持ちの自分勝手な人間で、竹平広房自身も跡目として認めることに躊躇するほどで、歌之助に白羽の矢が立ったのである。

 長兄も跡目を継ぐために歌之助を探して殺そうとして、四人の部下を差し向けている。承ノ助は、自分が歌之助であることを隠して、あくまで「よろず承り」としてその部下たちと対峙し、これを捕らえて、長兄の企みを明白にしていく。そして、承ノ助は名乗り出るかどうか迷うが、結局、名乗り出ずに、「お千」、「万吉」との「よろず屋」の暮らしをしていくというものである。

 書き下ろしの粗さがあって、上館藩竹平家の家督争いなどもそう簡単には済まないだろうと思えたり、極貧の生活を送らなければならなかった子どもたちの描写も通俗的であったり、主人公が本当は「若様」であるという設定なども使い古されたもののようにも思えるが、文章も軽妙で、それなりに面白いし、何も教えられなかったが才能を持つ「お千」という少女が、承ノ助との生活の中でこれからどのように育っていくのかという関心が湧いて、次作への期待も膨らむ作品である。

 一作では作者の傾向もわからないので、機会があれば、この作者の作品は読んでみようと思っている。それにしても、今日の日中の暑さが厳しい。ちょっと夕涼みにでも出たい気がする。

2011年7月4日月曜日

米村圭伍『影法師夢幻』

 このところ蒸し暑さがべっとりとまとわりついて体力を奪っていくような気がする日々になっている。こういう日々は熱中症の心配もあるが、思い切って汗をかいた方が爽快なのかもしれない。

 それはともかく、文章も軽やかだし、物語の展開も肩の凝るようなものではないが、読み終わって、なんとなく「ふう~」と思ってしまう作品があるのだが、今回読んだ米村圭伍『影法師夢幻』(2001年 集英社)がそんな感じの作品だった。

 もともと米村圭伍の作品は、これまで読んだ彼の作品での印象に過ぎないのだが、奇想天外の発想を俗説や流説などを盛り込みながら歴史の中に埋め込んで、それを講談や落語のような軽妙な語り口で述べていくというスタイルをもっているが、この『影法師夢幻』も、慶長20年(1615年)の大阪夏の陣で徳川軍に包囲された大阪城で自死した豊臣秀頼が、実は影法師を立てて逃げのび、鹿児島から四国の阿波、そして仙台伊達家へと逃れ、そこで伊達家の名武将と言われていた片倉小十郎(伊達家の家臣であった片倉家は、家臣とはいえ特別の家格で、初代の軍師であった片倉小十郎景綱 1557-1615年 以来、代々片倉小十郎の名を名乗っており、大阪夏の陣で武名をはせたのは二代目の片倉小十郎重長で、重長の妻は、大阪冬の陣、夏の陣で武名をとどろかせた真田幸村(信繁)の娘であった)に庇護され、真田幸村の子どもたちと共に隠し砦を作って、そこで代を重ねていったという発想のもとで物語が展開されている。

 真田幸村の長男であった真田大助は父と共に大阪夏の陣で死去しているが、次男の真田大八は片倉重長に庇護されて、真田守信と名乗って、1670年59歳で亡くなるまで仙台藩士として生きのび、伊達家も真田守信が幸村の次男であることを隠し通したのは史実であるが、この作品では、真田大助も秀頼と共に生きのびて、隠し砦を守り続けたものとして物語が展開されている。

 物語は、大阪夏の陣以後の真田大助、豊臣秀頼、真田十勇士と言われた猿飛佐助や霧隠才蔵(この物語では、霧隠才という女性になっている)らと共に、徳川家の目を欺きながら影武者を使って生きのびていく話と、それから170年後の、それぞれの七代目の話の二重の物語が、勇魚大五郎という秀頼に忠義を尽くそうとした軽輩とその七代目を名乗る人物を中心にして描き出されている。

 もちろん、これらの物語が、たとえば豊臣秀頼が勇魚大五郎から馬の糞を食べさせられて、そこから勇魚大五郎と秀頼の関係が生じたといったところや、武骨な七代目霧隠才が子種を欲して美女を装う忍術を使うといったところ、七代目秀頼と思っていたらそれが七代目勇魚大五郎で、錦絵に当代随一の美女として描かれた笠森お仙に錦絵を見て惚れて、仙台の隠し砦から江戸まで向かうといった展開、太閤遺金を巡る徳川家の画策など、おもしろおかしく展開されているのである。

 歴史を知る者にとっては、ちょっとばかばかしいような展開なのだが、史実が巧妙に入れ込まれているために、妙にリアリティーがあるところがあり、こういう創作の巧みさは作者お手の物という感じがする。

 ただ、書き下ろしのためか、物語が細かなところと急速に展開していくところがあって、小さな小山はあっても大きな山場が希薄になっている気がしないでもないし、遺金や隠し金を巡る争いも作者の他の作品の展開と似ているし、人物像も似たような感じになって、読んでいて、少し「飽きが来る」気がしないでもない。娯楽物と言うには、細かな歴史が踏まえられすぎて、それはそれで必要不可欠ではあろうが、どうせなら、もっと人物を飛躍させてもいいようにも思えるのである。

 もちろん、遊び心が満載で、歴史を遊ぶという姿勢は、わたしは好きだが、ドラマではなくバラエティ仕立てで、バラエティはどこまでも一時的産物と思っているためか、若干の物足りなさが残った作品だった。