2011年7月21日木曜日

喜安幸夫『隠れ浪人事件控 隣の悪党』

 台風が去って、これまでとはうって変わったような夏とは思えない肌寒さを覚える日となった。今週は比較的静かに日々が推移しているが、たぶん、自分の日常的な個人的なこと以外のことを考えないようにしているからだろう。こういう時代の中での平穏さというのはそういうものだろう。

 このところテレビもほとんどつけることもなく、昨夜は、喜安幸夫『隠れ浪人事件控 隣の悪党』(2008年 学研M文庫)を読んでいた。作者の喜安幸夫という人は、1944年生まれで、1969~72年にかけて台湾大学政治研究所に留学されていたからか台湾関係の書籍も多く、1990年に『台湾の歴史』で第7回日本文芸家クラブ大賞ノンフィクション賞を受賞されているらしい。小説は時代小説が主で、多くの作品名があがっているが、わたしはこの作者の作品はこれが初めてである。

 『隠れ浪人事件控 隣の悪党』は、ある意味で、昨今の時代小説の中では定位置を得ている「浪人もの」で、「浪人もの」はいくつかのパターンがあるが、そのひとつは、ある藩の藩士であったものが何らかの事情で藩を出て、江戸で浪人暮らしをはじめ、裏店での生活になじみながら、剣の凄腕を発揮していくつかの事件や問題に関わりながら、自らが浪人となった出来事の顛末を迎えていくというものである。

 そして、たいていが、その浪人に思いを寄せる娘や世話を焼く女性が登場したり、浪人の生き方や志に意気を感じる町人や岡っ引き、町の顔役などが登場し、それらの人々と共に事件を解決したり、生活を織りなしていったりするというものである。

 本書も、主人公の秋葉誠之介は、播州姫路藩の勘定方(計理)であり、宝蔵院流槍術の免許皆伝の腕前をもっていたが、藩の財政窮乏を歯牙にもかけずに吉原の太夫(花魁)を身請けしたりして浪費を繰り返した藩主への義憤から、藩が姫路から越後高田に転封される(藩替え)時に、藩主の幇間であり私腹を肥やしていた男を殺して出奔し、江戸に出て、裏店で浪人暮らしをはじめたばかりの侍である。彼は、藩を出奔したために藩主による上意討ちがかかるかもしれないと思いながらも、江戸の町暮らしに馴染んでいくのである。

 物語の始まりは、主人公と同じ裏店に住む遊び人の弥市が旗本屋敷から遊び心で盗み出した家宝を追って、旗本の家臣たちが主人公のあとをつけているところから始まる。秋葉誠之介は、はじめそれを元の藩からの追っ手かと思っていたが、事情を知り、弥市にも手が伸びないように配慮しながら、疑いをかけられて監禁されていた中間や腰元の「お勢」などを救い出して、しかも傲慢な旗本をこらしめるようにして盗まれた家宝を返していくという手段をとっていくのである。

 この誠之介に救い出された「お勢」が、やがて、主人公が通う煮売り酒屋で働くようになり、彼に思いを寄せながら、彼の世話をしていく女性となる。また、その事件で、町の顔役のような働きをしている口入れ屋(職業斡旋業)の「弥勒の左兵衛」と知り合うこととなり左兵衛の人柄から、正義感一筋だった主人公が、人に配慮しながら生きていく大らかさを学んでいくようになるのである。そして、左兵衛の世話で、手習い処(寺子屋)を開くことになって、手習い処の師匠としての生活をはじめことになるのである。

 そして、次第に町の人々から慕われ頼りにされていくようになる中で、辻斬り事件が起こる。主人公の身辺には藩の探索方の武士がうろついていたことから、岡っ引きの仁助が訪ねてくることになり、自分の廻りをうろつく武士の素性を探り出し、それと同時に辻斬り事件を起こした武家の次男・三男を捕らえていくようになるのである。捕らえられた武家の子弟は町方の手を離れてしまうが、体面と家の存続を重んじた武家自身によって切腹となる。町方と武家の反目や、町民のやるせなさが残ったままとなるのである。

 第四話の「御家人稼業」は、秋葉誠之介の手習い処で学んでいた幕府御家人で高貴な人の乗り物を担ぐ陸尺の子が浮かないかを押していることに気づき、そのわけを探ってみれば、質の悪い公家の例幣使に金目当ての罠を仕掛けられ、父親の御家人たちがその責を負わされているという。例幣使を利用した公家の悪巧みと知りつつも、下級御家人はおろか浪人にもどうしようもないことである。どうなることかと案じていると、結局、陸尺御家人の組頭が金を工面して落ち着いていく。秋葉誠之介は義憤を感じるが、「弥勒の左兵衛」が示したような周囲への配慮から、衝動的な行動を控え、いっそう町屋で暮らしていく覚悟を固めていくのである。

 こうした展開が史実と絡めて語られており、文章はいささか武骨でさえあるが、物語のテンポがあって、これはこれで面白い作品になっている。

 主人公は、藩士から浪人暮らしへという境遇の変化を周囲の助けで乗りきっていくのだが、こういう作品を読みながら、ふと、このような主人公とは反対に、剣の腕もからっきしで学問もなく、女に惚れられることはもとより周囲から認められることもなく、細々と浪人暮らしをするような主人公の作品はないのだろうかと思ったりする。どうも剣の腕が立ち頭も切れるというのが、作品を面白くはするが、ありきたりの気がしないでもない。

1 件のコメント:

  1. 私は時代小説をよく読みます。
    喜安さんと あと6~7人がお気に入りです。

    ブログ主さんの書かれていますところの
     「剣の腕もからっきし・・・」
    を いつも感じます。
    そのような作品を望んでいます。

     書いていただいて ありがとうございます。

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