2011年7月9日土曜日

山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集1 待つ』(2)

 昨日に続いて、記憶のあるうちに山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集1 待つ』(2005年 小学館)について記しておくことにした。今日も空はすっかり夏の空である。

 「柳橋物語」の次に収録されているのは、愛する妻が他の男のために生きていることを知った夫が懊悩していく姿を描いた「つばくろ(燕)」である。紀平高雄の愛する妻は、子どもを産んでからますます美しくなっていったが、度々他の男と会っているところを目撃され、夫の知るところとなった。心優しい高雄はそれを問いただそうと懊悩するが、切り出すことができないでいた。しかし、ある夜、祝い事からの帰りに闇討ちをかけられ、それが妻が会っていた男であることを知って、ついに妻に問いただす。

 相手は、妻がまだ少女の頃から知っていた家の三男で、妾腹の子であったために下男と同じ長屋に孤独に住まわせられて、その淋しさと悲しさをおもんばかって、彼を慰めようとこぜにをためて饅頭を買ってもっていってやったりした男であるという。そして、妻が結婚した後で、厄介払いとして江戸行きを命じられたが、江戸に行かずに、妻への思慕を膨らませて妻に会いに来たのであった。

 逢瀬を重ねる度に彼の思いは募り、妻は彼の思いを突き放せなくなったと言う。夫はそれを聞いて苦悩し、誰も傷つけないために、妻を湯治場にやり、相手の男もその湯治場に行くようにして、もしそのまま二人が出奔するようなら、病死の届け出を出して自由にさせようとする。彼は妻を心底愛していたが、愛しているがゆえにひとりで忍耐しようとするのである。

 こうして月日が流れるが、彼はひとり、もっと愛情があればこんなことにはならなかったに違いないと自責を繰り返す。他の縁談話も持ち込まれるようになる。そして、息子が病気になった時、妻と一緒に湯治場につけてやった下男が湯治場からやって来て、二人の間は決して男女の関係ではなく、男の思いは母や姉を慕うようなもので、自分は病をえてもうすぐ死ぬから、夫の元に戻るようにしてくれと男から言われたことを伝える。

 それを聞いて、夫は妻が戻ることをゆるしていこうとするのである。表題の「つばくろ」は、燕が毎年同じ巣に戻ってくるように、出ていった妻が戻ってくることをかけたものだろう。

 だがどうなのだろう、と少々ひねくれたわたしは思ってしまう。男女の関係がなかったとしても精神的不貞であるに変わりなく、彼女が夫と子どもを捨てたという事実に変わりはない。選択の責は負わなければならないだろう。妻の思いは何も語られず、こういう形で一度切れた男女の関係の修復は可能なのだろうか。真の意味での「反復」は、人には不可能なのだから、修復が可能であるとすれば、違う形で男女の絆を深めていくしかない。だが、修復や反復が可能であればと願う気持ちはわからないでもない。そして、男はいつでも未練たらしいものである。

 「追いついた夢」は、苦労して辛抱し、長年かけて周到な準備を重ねて、ようやく気に入った若い娘との優雅な暮らしが適うことを目前に、卒中で倒れて海辺の小屋で誰しれず死んでいった男の話である。男はいつも哀れで愚かである。だが、極貧の生活をして男に身売りした娘にとって、これ以上の果報はないだろう。男の掴むことのできなかった夢は、貧しい娘の果報となったのだから、それでいい。夢があっただけ、まだましかもしれないと思ったりもする。

 「ぼろと釵(かんざし)」は、自分が思い描いたことと現実がはるかに違っていることを知る男の話である。貧しい長屋暮らしで出会った少女と恋をし、やがて嫁に迎えるつもりでいたが、女に縁談話が起こって駆け落ちするところまでいった。だが、女の幸せを願って、女を捨て、江戸を出て、名古屋や大阪に行き、独り立ちして、思いでのかんざしをもって、再び女を探しに来た、とある居酒屋に座って男は言う。

 だが、事実は異なって、女はそうとうのあばずれで、手当たり次第に男を食い物にして、落ちぶれ果て、その居酒屋で男に媚びを売りながら生活していたのである。その事実を知りながら、男は酔いつぶれた女を駕籠に乗せていくのである。

 これは、短編として非常に優れた短編だと思う。場面は、ただ居酒屋だけで、そこにいる様々な人間の姿も合わせて描かれながら、それぞれの人生が言葉の端々で描かれ、しかも、現実がどうであれ自分の思いを大切にする男の姿が描かれている。こういう短編が一番作者らしいような気もする。

 「女は同じ物語」は、強い母親と幼い頃に女性にいじめられた記憶から、許嫁がいながらも女嫌いでなかなか結婚に踏み切れない男が、自分につけられた小間使いの女性に次第に惹かれるようになって、彼女との結婚を願うようになる恋愛物語である。幼い頃に自分をいじめたのが今の許嫁で、彼の小間使いへの思慕は募っていく。だが、母親が反対し、小間使いは姿を消し、許嫁との結婚が近づいてくる。そして祝言の日を迎え、そこに現れた許嫁が、実は母親の計らいで小間使いとなっていた女性であるという、ハッピーエンドのお話しである。

 「こんち午(うま)の日」も優れた短編で、豆腐屋の入り婿となったが、結婚して三日後に妻に逃げられ、その妻の寝たっきりの親にすがられて、そのまま残って豆腐屋の商売に励む。彼は世話になった豆腐屋に恩義を感じ、豆腐に工夫を凝らしたりしながら商売を盛り立てていく。だが、月日が経った後で、その妻と人殺しも厭わないやくざな男が舞い戻ってきて、豆腐屋を乗っ取ろうとする。彼は、豆腐屋のために顕然と立ち向かうのである。

 「ひとでなし」は、小料理屋を営む女性は、長いあいだ彼女に思いを寄せてきた大店の主と結婚することになり、店をたたむことにする。だが、女性は、最後の夜にこれまでのことを語り、自分は大店の妻にふさわしくないと告げる。そこに、死んだと思っていた性悪の元亭主が島抜け(牢破り)して帰って来て、彼女を狙い、押し入ってこようとする。しかし、二人の会話を盗み聞いた元亭主の相棒が、元亭主のあまりのひどさに、元亭主のことは自分が処理するから、彼女を嫁に迎えて欲しいと大店の主に語っていくのである。

 これらの中短編を改めて読んで見ると、「待つ」というテーマの下で執筆年代順に収められているから、作者の執筆の背景が浮かび上がってくるような気がするし、人間に対する視点や作品の深みが増してくるのがわかるような気がする。その意味では、この選集はなかなか優れた編集者の手によるものだと実感する。全5巻になっているので、残りの巻も読み進めたい。

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