2010年9月30日木曜日

海音寺潮五郎『列藩騒動禄』(2)

 秋の長雨というが、このところ一週間ほどぐずついた天気が続き、今日も雨が降って寒さを感じる。この秋は紅葉を見にどこかに出かけたいと思うのだが、ふらりと、というわけにもいかないのでどうだろうかと思っている。

 最近はとみに静かに暮らしたいと思っている気持ちが強いのか、胆力が衰えたのか、あるところで、「もういい加減に何事かを為したり、自己の権利を主張したりすることで、自分の存在を確立しようという発想を捨てたらどうか」と書いたが、自省すれば、人間は作為の動物なので「生成」が宿命としてあり、それはこちらの気力が衰えた愚痴かも知れないと思ったりもする。

 それはともかくとして、海音寺潮五郎『列藩騒動禄』の上巻を作者の歴史観や人物観を顧みながら読み終えた。江戸時代のお家騒動の渦中にあった人物の評価は様々だが、いろいろなところで悪者とされてきた人物や、反対に喝采を浴びてきた人物が、本当はそうではないのではないかという視点が随所にあって、世間一般の学者や世評に惑わされないようにする姿勢を貫くという意味で、これは手元に置いておきたい書物の一冊であろうと思う。

 上巻で取り上げられている「黒田騒動」は、わたし自身が福岡の出であることから同じ福岡市でも福岡と博多の気質が異なったものであることをよく知っており、最近は都市化の影響だろうが、元来の福岡の剛と博多の柔の気質が薄くなっていることを感じているとはいえ、外から藩主として着任した黒田家の武家はずいぶん苦労しただろうと思いながら読んでいた。

 それでも豊臣秀吉の智将と誉れの高い黒田孝高(如水)とその子の長政までは、才能も気質も抜群で、藩政も落ち着いていたのだが、黒田家の三代目(福岡藩黒田家は関ヶ原の効によって家康が長政に与えたものであるから、正式には藩主としては二代目だろう)である忠之の代になって、家臣団の対立が起こって「黒田騒動」といわれる事件が勃発し、へたをすればお家の取り潰しになるという危機に見舞われたのである。その少し前に、熊本の加藤家が取り潰されている。

 具体的には、黒田騒動は如水以来の黒田家の石柱である家柄家老の二代目である栗山大膳を嫌った藩主の忠之が、自分の意のままになる人物を仕置家老として取り立て、これを偏重したことから、また取り立てられた仕置家老も、自分の権勢欲から栗山大膳のあることないことを言い立ててこれをなきものにしようとしたために、栗山大膳が藩主の忠之を幕府に謀反の意ありと訴え、藩を二分する騒ぎとなったものである。

 栗山大膳も権勢を誇る傲慢なところがあったのだが、忠之も我が儘であり、黒田騒動は煎じ詰めれば藩政を巡る勢力争いに過ぎない。面白いのは、栗山大膳が淫奔な美しいお部屋様(忠之の妻)と密通をしたといったような風評が流され、世間もそういう眼で黒田騒動を見るとことがあったのだが、事実は全く異なっているなどということである。風評というのはそんなものだろう。海音寺潮五郎は、栗山大膳には傲慢でずるいところもあるが、熊本の加藤家の取り潰しを知って、先見の明をもって福岡藩がそのような目にあわないように策略を立てたのではないかと語っている。

 しかし、たとえそうだとしても、このような策略を立て騒動を引き起こし、多くの犠牲者を出す人物は、いずれにしても大した人間ではない。策略に翻弄された人間こそ哀れである。

 次に取り上げられている「加賀騒動」は、金沢の加賀藩前田家六代目の藩主吉徳が、美貌で利発であった大槻伝蔵を、伝蔵が少年の頃にはおそらく男色の相手として、長じては藩政を牛耳るほどに引き上げて寵愛し、それを嫉んだ人々が策略を施して大槻伝蔵が藩主の吉徳を毒殺しようとしたということを訴え出たことを言う。

 大槻伝蔵という人は、なかなか機略に富んだところがあり、逼迫した藩の財政の立て直しをしたり、金沢城下を整えたりしたのだが、彼が取った財政政策は緊縮財政であったために不評を買い、また名門の前田家の女性を妻女として娶ろうとしたりしたことが悪評を生んだ人だった。

 大槻伝蔵の処刑理由の一つに、彼が吉徳の妻真如院と密通をし、その子を世子としようとしたとあるのだが、海音寺潮五郎は、それには疑問を持っている。要は武家の嫉妬が生んだ事件で、その権謀術作は恐ろしいほどである。武家の嫉妬というものは、陰湿でいやらしいところがあるのである。

 「秋田騒動」は秋田の佐竹家の中で、凶作が続いて財政の逼迫を受けて、あまり深い考慮もなく商人に踊らされて出した藩札を巡る争いに絡んで、固定化されてしまった藩の政治をひっくり返そうと策を巡らした小賢しい人間たちが引き起こした事件である。金と力が絡んでいるだけに事件の概要は複雑だが、これもまた権力闘争の一つではある。

 福井の「越前騒動」と新潟の「越後騒動」の両方に絡んでいるのは、越前藩主となった徳川家康の次男秀康の子の忠直で、この忠直という人は稀代の暴君で、殺戮を好み、手当たり次第に人を様々な方法で殺すことを楽しんだ狂気じみた人物で、「越後騒動」も、その子である光長が越後の藩主の時で、光長というひとは、ほとんど無能の人である。

 いずれも優秀な人物が他の家臣の妬みの権謀術作によって裁かれ処刑されている。ただ、裁かれた方も、才気走ったところがあったり、驕慢なところがあったりしている。「愚鈍な人間に悪人はいない」というが、「才がある」ということは哀しいことでもある。しかし、「小才」は手に負えないのは事実で、世の中は小賢しい人ばかりいるような気がする。小賢しい人は真の「才」を理解しないし、しようがないのである。 現代は万人小賢しいのである。

 それにしても、身分や階級の固定化は、それがあまりに度が過ぎると騒動を生んでいく。現代社会も徐々に身分の固定化が進んでいるので、金と力を巡っての争いが絶えなくなるような気もする。

 『列藩騒動禄』の下巻の方は、いつかまた読んでみよう。この類の本は、続けて読む必要はないので、「いつか」ということにしておきたい。列藩の騒動について厳密に史実を探る必要性も、今のところはないし、史伝として読んでいるに過ぎないのだから。

2010年9月27日月曜日

海音寺潮五郎『列藩騒動記』(1)

 彼岸の中日から天候が激変し、むしろ肌寒さを感じる日々となり、雨が降り続いている。今日も薄灰色の厚い雲に覆われて雨がしどけなく降っている。

 先日来、海音寺潮五郎『列藩騒動禄』(1965-1966年 新潮社 新装版 講談社文庫)の上巻を読み進めているが、自治区とも言うべき江戸時代の大名家に起こったお家騒動の顛末には、史伝として記述されておるだけに、政治や社会のみならず自己の正義と欲のために策略を巡らす人間のあり方を考える上でも相当なものがあり、そう簡単には読み進まない。

 元々の新潮社版は、海音寺潮五郎が64-65歳の時に2年間かけて書かれた3巻ものであるが、講談社文庫の新装版は上下2巻で、上巻には、「島津騒動」、「伊達騒動」、「黒田騒動」、「加賀騒動」、「秋田騒動」、「越前騒動」、「越後騒動」の7つの藩での事件が取り上げられ、下巻では「仙石騒動」、「生駒騒動」、「楡山騒動」、「宇都宮騒動」、「阿波騒動」の5つのお家騒動が取り上げられている。このうちの上巻で取り上げれれているお家騒動は、他でも多くの文学作品になっており、比較的著名であるが、「島津騒動」が最初に取り上げられているのは、海音寺潮五郎が鹿児島(薩摩藩)の出身であり、西郷隆盛を生涯のテーマとしていたことによるだろうし、「伊達騒動」は、山本周五郎の『樅の木は残った』がNHKでテレビドラマ化されて放映され、伊達騒動の中での一つの役割を果たした原田甲斐をめぐっての史実上の問題を感じたからだろう。

 この書物を読み出したのには特別の動機があるわけではないが、人間や事件に対する評価というものが、相対的な社会や時代の中で判断されるだけであり、普遍的な意味をもたないものに過ぎないと思っているので、海音寺潮五郎が善悪の判断をつけずに史実を辿っていく姿について、もう一度具体的な藩の政治を巡る事件を読んで考えたいと思っていたことと、それぞれの「騒動」について少し正確な知識を得ようと思ったからである。特に、領土問題を巡っての日中関係の悪化が重く心にあるので、一つの事柄をそれぞれの立場でどのように判断し、どのような行動に出るのかを人間の側から見てみようとも思うからである。

 それにしても、最初の「島津騒動」についての「江戸時代の大名の家は、早晩貧乏に陥らなければならない仕組みになっていた。・・・太平がつづけば、人間の生活が向上し、ぜい沢になるのは自然の勢いだ。大名の家は収入のふやしようがなく、あるいはふやしてもそう大はばにふやすことは出来ないから、貧乏になるよりほかはない」(新装版 文庫上巻 9ページ)という書き出しからして、名文の域に達していると思う。

 「島津騒動」は、直接的には幕末のころの名君として名高い島津斉彬(なりあきら)の家督相続と、斉彬の父斉興(なりおき)の側室であったお由羅を中心とした由羅の子久光(ひさみつ)の家督相続を巡っての争いをさすが、なかなか家督を譲らずに院政を敷いた斉興の父重豪(しげひで)と、同じように家督をゆずらなかった斉興の両方の執着、由羅の執着などが生み出したものである。

 作者は斉彬が毒殺されたとの説を採るが、わたしもそう思っている。先年、鹿児島を訪れて斉彬の業績をつぶさに見たが、その事業のひとつひとつは真に剛胆で、彼に師事した西郷隆盛らの思いを肌で感じたことがある。もし、斉彬が志の途中で死ななければ、明治維新は起きなかったかも知れないし、起きたとしてももっと根本的に異なっていたものになっていたことは疑いえない。しかし、歴史とは皮肉なもので、斉彬が毒殺されたと信じ、西郷隆盛らが藩主の久光とそりがあわなかったということが、明治維新を推進した力になっていたのである。

 西郷隆盛という人は、おそらく西南戦争のころの晩年は、もう国家や政治といったものにほとんど関心がなかったのではないかと思うし、彼の「優しさ」だけが西南戦争へと繋がっていったようにわたしは思っている。

 こういうことを書き始めるときりがないが、七十七万石という薩摩の大藩での人間模様と現状の打開策を巡っての争いには、どちらが正義ということができないものがあって、人間の器や宿命のようなものを感じるのである。

 「伊達騒動」の国家老原田甲斐については、作者は、ただの家柄家老であり、「大変なやり手だったように言う人が昔からあるが、実は大した人物ではない」(同書 134ページ)という。しかし、史実は別にして原田甲斐を主人公にした山本周五郎の『樅の木は残った』は感動的な作品である。山本周五郎は、原田甲斐に救われたひとりの少女の姿の視点で、人間の愛情を切々と歌い上げている。

 伊達騒動は、仙台伊達家の三代目藩主伊達綱宗(つなむね)が吉原通いの遊興を時の老中酒井雅楽頭(うたのかみ)から咎められて無理矢理に2歳の亀千代(伊達綱村)に譲らさせられ、その後見として伊達正宗の十男で綱宗の叔父であった伊達兵部宗勝(むねかつ)が立てられ、独裁的な政治を強いたことから他の伊達家の者たちや家臣らの反乱にあった事件である。

 作者は伊達騒動をまとめて、「要するに、この騒動は伊達家の老臣らに人物がいず、目付ごときに引きまわされて家中を和熟して統制することが出来ず、藩中の不平不満を押さえつけようとして無闇に権力と刑罰を使ったというケースだ。言ってみれば、当時の伊達家中は、配色濃くなった頃からの東条内閣下の日本のようなものだったのだ」(同書 164-165ページ)と言う。

 これは、ことによると日中関係が緊迫している状態の現在の日本の政治状況となるかも知れないと思ったりもする一文ではある。

 今日はここまでとしておこう。それにしても肌寒い。この急激な気温の低下はいったい何だろうと思う。暖房が恋しく感じないでもない。

2010年9月23日木曜日

鳥羽亮『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』

 昨日は季節外れとも思える真夏日だったが、今朝方から急に気温が下がり、予報通り雨が滝つせと降り始めた。台風の接近も予報されているので、これから2~3日はぐずついた天気になるだろう。だが、昨夜はよく晴れた中秋の名月で、久しぶりにきれいな満月を見たような気もする。満月の明かりは、やはり、どことなく神秘を感じる。

 昨夜は鳥羽亮『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』(2006年 徳間文庫)を読んだ。鳥羽亮の作品の中で、このシリーズは4冊が出され、これは2作目である。彼の文庫本作品は、以前に読んだ『はぐれ長屋の用心棒』もそうであるが、書き下ろし作品が多く、書き下ろしが多くなると、主人公や設定が異なっていても、どうしても物語の展開が類似したものになりがちで、市井に生きる剣客が悪徳商人や地回り、あるいは画策を練る強欲な旗本や武家と、彼らに雇われている凄腕の剣客との対決という図式がどこでも展開されるように感じてしまう。

 『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』では、主人公の長岡安兵衛は三百石の旗本長岡重左衛門と料理屋の女中との間に生まれた長岡家の三男で、母親が病死したために長岡家に引き取られて育てられ、長男が家を継ぎ、次男が婿養子として出て、牢人暮らしをしている人物である。

 彼は父親の勧めもあって斉藤弥九郎の練兵館で神道無念流を修め、俊英と謳われるようになったが、酒好きで、「飲ん兵衛安兵衛」と揶揄されるようになり、飲み屋で無頼牢人を斬り殺して道場を破門され、長岡家からも追い出されて、浅草の「笹川」という料理屋の居候として牢人暮らしをしているのである。料理屋「笹川」の女将とはわりない仲となっており、「笹川」の用心棒を兼ねながらも女将の連れ子の父親のような存在にもなっている。

 酒が好きで、酒で身を持ち崩したが、本人はいたって平気で、「極楽とんぼの安兵衛」とも言われたりする気質をもつ人物である。飲んだくれで気ままな生活をしているのである。

 物語は、安兵衛が寝起きしている「笹川」のある浅草で凄腕の武士が関わっていると思われる辻斬りが横行するところから始まる。辻斬りは、浅草の料理屋から帰る大店の主人などを狙って、彼らを見事な腕で斬り殺して金品を奪っているのである。人々は辻斬りに恐れをなし、浅草から遠ざかり、「笹川」にも客足が途絶えるようになる。

 安兵衛は、客足が途絶えた「笹川」の行く末を案じ、また、剣客としての関心からも、辻斬りの正体を暴いて退治するために、一刀流の遣い手であり八卦見を生業としている博奕好きの笑月斎(野間八九郎)や、元は腕利きの岡っ引きだったが追っていた盗人を殺したことから岡っ引きを止め、子ども相手に蝶々売りをしている玄次、魚のぼて振り(行商)をして探索好きの叉八らと共に、辻斬りの正体や背後にいる人間を突きとめていくのである。そして、凄腕の辻斬りと対決していく。

 『はぐれ長屋の用心棒』も四人組であるが、ここでも同じような組み合わせの四人組であるし、剣客としての戦い方の展開も似ているが、設定や展開に無理がないし、牢人としての日常も周囲の人々との関係もこなれた描写がしてあるので、これはこれで面白く読める。もっとも、『はぐれ長屋の用心棒』の方は主人公の大半が老人であり、『極楽安兵衛剣酔記』は、いわば中年である。そして、主人公の極楽とんぼぶりが随所で描かれている。

 こういう主人公の姿は、ある意味では中年期の男の理想かも知れない。力を持っているがそれをあまり表に出さずに、あまり物事に頓着せずに日々の暮らしを営んでいく。必死になって自分の将来を開拓しようとするのとは縁遠く、だからといって決して不真面目でもなく、自分流の生き方を通していく。そして、周囲の人々を大切にし、思いやりも情も持ち合わせていく。そういう姿を、作者は様々な作品の中で描こうとしているのではないかと思う。

 個人的な好みから言えば、丁々発止と剣で闘うような剣客物や戦略を重ねるような野心家を描く戦記物の時代小説はあまり好きではないが、どこか間の抜けたような主人公が市井で生きる姿を描いたものには、つい手が出て読んでしまう。この類の小説はどれも似たようなものだが、それも時代小説の一つの楽しみ方ではあるだろう。現代という時代の中で、どういう姿が理想として考えられているのかを知る上でも、なるほど、と思うところはある。

 今日はお彼岸の中日で、異常気象が続いているが、「暑さ寒さも彼岸まで」ではあるだろう。もちろん、彼岸の月が旧暦と新暦で異なってはいるが。

2010年9月21日火曜日

松井今朝子『銀座開花事件帖』

 気温はまだ少し高めだが初秋の蒼空が広がっている。このところ夕食後にすぐ眠気に襲われて眠ってしまい、あまりにも早く目が覚めて難儀をしている。身体のためにはもう少し寝た方がよいと思うのだが、起き出してコーヒーを入れ、本などを読んでいると目がさえてしまう。その分、どこか疲れを覚えるのだろう。

 昨日、松井今朝子『銀座開花事件帖』(2005年 新潮社)を面白く読んだ。明治7年(1874年)のいわゆる「文明開化」が進んで行く初期の銀座を舞台にして、旧旗本家の次男を主人公にして、そこで起こった殺人事件や馬車による轢き殺し事件に関わりつつ、その事件の真相を暴いていく「事件帖」仕立てであると同時に、古い時代と新しい時代が拮抗する中で、その様々な人間模様とその中で自分の生き方を模索していく人間の姿を描いたものである。

 この小説には、明治期の偉大な実業家のひとりとして数えても良いと思われ、横浜の発展に大きな寄与をした高島嘉右衛門(1832-1914年)、大垣藩主戸田家の四男として生まれ、明治4年(1871年)に岩倉具視らの外交使節団に同行して渡米し、帰国後、洗礼を受けてクリスチャンとなり、銀座に原胤昭と共に銀座にキリスト教書店「十時屋」を設立したり、東京第一長老教会の設立にも尽力を尽くしたり、独立長老教会を設立したりした実業家で民権運動家であり、日本最初の政治小説である『民権講義情海波瀾』を書いた戸田欽堂(1850-1890年)、元南町奉行所与力で、維新後クリスチャンとなって戸田欽堂と共に銀座に「十時屋書店」を開き、民権運動に関わったりして、後に(明治16年)新聞条例違反で投獄された経験から日本初の教誨師となった原胤昭(1853-1942)などが、実に巧みに、それも物語の中心を為す人物として描かれている。

 ちなみに、高島嘉右衛門は、高島易判断でも著名だし、横浜の高島町は彼の名にちなんだ町名である。また原胤昭が設立した原女学校は現在の女子学院の基礎になっている。作品の中では、こうした人々がまさに船出せんとする機運が満ちている。

 そういう中で、主人公の久保田宗八郎は、上野戦争で薩摩藩士の残虐極まりない仕打ちを見かねてこの藩士と争い、難を避けて蝦夷(北海道)に逃れたが、帰ってきて、旗本家を継いだ兄が見事に転身して高島嘉右衛門の元で働いていることから、高島嘉右衛門が設立しようとしていたガス灯の工事を見守るという名目で、銀座の戸田欽堂(欽堂は後の名で、三郎四郎)の元に行くことから物語が始まっていくのである。銀座で、主人公は新しい時代の波をかぶることになる。

 主人公の中には、旧武家の侍としての矜持が色濃く残っていると同時に、文明開化に浮かれている時代と状況の本質を見極めようとする姿の両方がある。主人公の年齢が30歳と設定されているのも、そうしたことを裏付けるものとなっていて、銀座で新風を身につけた戸田三郎四郎(欽堂)や原胤昭との交流を深めるところも、少し身を引いた姿となっている。彼は彼であろうとする姿が物語に意味を沿えている。

 事件は、銀座十時屋の裏手の井戸に、十時屋の隣にあった土佐の自由民権運動の拠点となった「幸福安全社」に出入りする男の死体が浮かんでいたことから始まる。その男は、実は政治的な事柄からではなく、「幸福安全社」の金を使い込んで、博奕の借金で地回りから殺されたのだが、彼を殺した地回りが、政府の高官と繋がっており、その高官が馬車での轢き殺しも、自死に見せかけた女性の殺人も犯していたことがわかっていくのである。久保田宗八郎の隣に住んで交友を結ぶ薩摩出の好漢の巡査は、相手が同じ薩摩出の高官であることから手が出せない。馬車で轢き殺されたのは、久保田宗八郎の叔父でもあった。さて、どうするか。仇討ち禁止令がだされたばかりである。

 物語は、常に新しいものと古いものの姿の拮抗の中で展開されていく。登場人物の中にも、主人公が一緒に生活していた古い江戸の気っぷの良さをもつ比呂という女性と新進の風を受けてクリスチャンとなって颯爽と生きる鵜殿綾という利発な娘が、共に主人公に思いを寄せる女性として登場する。両方とも魅力的な女性である。孫を守るために命をかけ馬車に轢き殺された叔父と、その死を立派な侍の死として物語ろうとする孫、律儀な侍としての矜持をもっていたために、手を染めた兎売買に失敗し、娘を残忍に殺された親、何とか時代に乗り切ろうとして立身を夢見てあくせくする車引きとその妻、そうした悲喜こもごもの新しいものと古いものとの混在した姿が人間の姿として描き出されるのである。

 明治維新後、維新を推進した人々ではなく、その後の権力を獲得していった人々が、まるで自分が支配者になったかのように錯覚し、横行し、よいものを破壊していった。江戸時代が決して良かったとは思わないが、そこから日本の社会は歪んできたという思いはある。上から下まで権力闘争が激しく勃発してきた。だから、横暴な権力に悩みながらも立ち向かっていく主人公たちの姿に喝采を送りたい。

 作品は、明治初期の混乱した状況を見事に描き出したもので、この頃の人々の対応の仕方には学ぶところが多いと思っているから、余計に面白く読めた。

 今日はどうも千客万来の日のようで、午前中はフィンランドから来て、日本で2年間働くことになった人が来たり、午後からは近くの改革派の人が来ることになっている。その間に、以前メールマガジンとして出していたS.キルケゴールについて書いたものを整理しようと思っている。よく晴れているので散策にも出たい。

2010年9月19日日曜日

山本一力『深川黄表紙掛取り帖』

 初秋の青空が広がるようになって、雲が高くなってきた。日曜日の静かな朝というわけではないが、早朝に目が覚めて、コーヒーを飲み、新聞を読んでシャワーを浴び、友人から送られてきたメールのニュースレターに返事を書いたりしていた。

 昨夜、うつらうつらする中ではあったが、山本一力『深川黄表紙掛取り帖』(2002年 講談社)を痛快な思いで読んだ。これは深川に住む四人の若者たちが、知恵と情熱と結束の中で、商いに絡む問題を思いもよらぬ方法で解決していく物語である。

 四人のリーダー的存在は、木材の目利きから切り出しまでを手配する山師の父雄之助と三味線の師匠をしている母おひでの間にできた息子で、夏ばての薬を売り歩く「定斎売り」をしている蔵秀(ぞうしゅう)、他に、印形屋の次男で文章と計算にたけて絵草子本の作者を目指している辰次郎、酒好きだが明晰な頭脳と図抜けたアイディアを出す飾り提灯の職人である宗佑(そうすけ)、そして、小間物問屋のひとり娘で、勘所が鋭く、見事な絵やデザインを書く雅乃(まさの)の四人である。いずれも20~30代の知恵ある青年である。

 この四人がそれぞれの持ち味を発揮して痛快な活躍をしていくのだが、最初に持ち込まれた問題は、毎年五十俵しか仕入れない大豆を間違いで(後に悪計に嵌められたものとわかる)五百俵もの仕入れを抱えることになった雑穀問屋が、仕入れた大豆の始末を蔵秀に持ちかけるところから始まる。

 蔵秀たちは知恵を働かせ、この大豆を小分けにし、「招福大豆」として500に一つの割合で中に小さな金銀の大黒像をいれて売り出すことを計画し、前宣伝に工夫を凝らして見事に捌ききるのである。世情をよく観察し、人々の流れと心情を分析し、息のあった仕事ぶりで、度胸と明確な方針で土地の顔役に渡りをつけ、事を運んでいく次第が描かれていく。

 ところが、売り出した「招福大豆」が粗悪品であることがわかり、四人はまた知恵を働かせ、すべてに益が出るように工夫を凝らした「招福枡に入れた豆腐」を作って配布し、雑穀問屋の信用を損なうことなく、再びそこでも喝采を浴びていくのである。

 やがて、雑穀問屋の仕入れにも画策し、深川一帯を支配したいと思っている強欲な油問屋が、その足がかりとして雅乃と見合いをして店を乗っ取ろうとしたり、小豆問屋の乗っ取りを企んだりすることが起こり、蔵秀らは、彼らを懲らしめようと、永代橋が2~3年後に架かるという情報を元に、油問屋に渡し船をしている船宿の権利を買うように仕向けていく。

 そうしているうちに、江戸幕府とも強い繋がりをもつ紀伊国屋文左衛門が材木を売り出す仕事にも関わり、それを紀伊国屋文左衛門の鼻をあかす形で見事にやってのけ、蔵秀は紀伊国屋文左衛門が幕府の貨幣改鋳で儲けるために小判を集めていたことを察する。

 紀伊国屋文左衛門は時の老中柳沢吉保と強い繋がりをもち、柳沢吉保は、彼を通して蔵秀らの働きを知りこととなり、彼らの知恵と志の高さに感じ入って、彼らと会うことになる。

 こうして、知恵と情熱、度胸と粋で、彼らは江戸の商人の中を大きな信頼を得て生きていくようになるのである。物語の中で、蔵秀と雅乃は互いに思いをもっているが、辰次郎もまた雅乃に思いを寄せているという恋物語も織り込まれている。文体が力強く小気味いいので、彼らのきっぷがよく伝わるし、彼ら自身に「欲」がないので、事件の顛末も痛快である。四人組というのもいい。まさに、読んでスカッとする痛快娯楽小説といえるだろう。

2010年9月18日土曜日

出久根達郎『安政大変』

 薄く白い雲が空を覆っている。最高気温が30℃を下回る日々が続いているので、秋の気配を感じ始めているが、「眼にはさやかに」である。夏の疲れが出てきたのか、疲れがとれない気がしている。日用品の買い出しも必要なので、夕方に散策もかねて薬局を覗いたりしながら出かけようかと思っている。

 昨夕、出久根達郎『安政大変』(2003年 文藝春秋社)を読んだ。これは、1855年11月11日(元歴では安政2年10月2日)に起きた大地震に遭遇した人々を描いた短編集で、「赤鯰」、「銀百足」、「東湖」、「円空」、「おみや」、「子宝」、「玉手箱」の7編を収めたものである。

 文学作品として短編を読む場合、文章作法でいうならば体言止めのような切れと余韻を期待する。この中では特に、この地震で死んだ水戸藩の重鎮でり、後の世にも大きな影響を与えた藤田東湖の姿を描いた「東湖」や、円空作の仏像をもつ死病を患っている吉原の女郎の姿を描いた「円空」などに、その短編の切れと余韻が感じられるし、どの作品も登場人物たちがユーモラスに描かれているので、その点では優れた短編になっている。

 安政の大地震という避けがたい天変地異に遭遇した人々の姿を描くことによって、江戸末期の人々の姿が浮き彫りにされ、歴史的にはこうしたことで江戸幕府の崩壊に拍車がかかっていくのだが、人々の暮らし難さが「おみや」や「子宝」、「玉手箱」によく描き出されている。「おみや」は井戸掘り人足と夜鷹の話であり、「子宝」は成長の遅い娘をもつ老夫婦、「玉手箱」は災難にあい続ける商家の奉公人の話である。

 今日では災害は地域に限定されたものとなってきているが、天変地異の災害は社会を一変させる。もちろんそれに遭遇した人間の人生観も変える。価値観の大逆転が起こる。だが、人々の暮らし向きは変わらない。人間はしたたかにその中を生き延びていく。そうした人間のしたたかさに目を向けることは結構大事なことだろう、と思いつつ本書を読んだ。わたし自身にはそのしたたかさがないので、余計にそう思う。

2010年9月16日木曜日

宇江佐真理『ひとつ灯せ』

 高気圧の狭間に低気圧が発生し、北からの寒気の流れ込みもあって、昨日から秋風が吹き、富士山の裾野の御殿場高原は肌寒いほどだったし、ここでも、朝から雨が降って先日までの暑さが嘘のように去って、今日は白い秋の始まりを明瞭に感じる日になった。

 御殿場では、ポスト・モダンの諸現象について思いを寄せていたりした。友人はポスト・モダンの時代に入っているといい、わたしは、その傾向のいくつかは見られるが、まだポストではなく、モダンの終わり近くにいると考え、あまり時代区分に意味はないにしても、時代と状況の把握の仕方が面白いと思っていた。

 それはともかく、ずいぶん以前に読んだものではあるが、御殿場にもっていた書物の一冊である宇江佐真理『ひとつ灯せ 大江戸怪奇譚』(2006年 徳間書店)を再読した。読み始めて、ああ、これは以前に読んだと気がついたが、再読してもそれなりに楽しめるものであったし、以前に読んだ時には、これを記していなかったので、改めて記すことにしたのである。

 宇江佐真理の書物をもっていったのは、彼女の『雷桜』が映画化されて、近々公開されるとのニュースを聞いたからで、『雷桜』は、野性的な自然環境の中で育った少女と武家社会でがんじがらめになった武士との恋物語ではあるが、「自分は自分以外の何ものでもない」という近代的自我と実存意識が置かれている閉塞的な環境から人間を救い出していく物語でもある。

 実存的自己意識は救済の論理でもある。そして、愛はいつでも実存的であり、実存的であることによって、はじめて人間の自己を回復させていくのだから、江戸時代の初期頃にこうした実存的自我意識を人間が持つことができたのかどうかはともかくとして、それを悲恋物語の中で描きだした『雷桜』は感動的な物語である。宇江佐真理の作品は、そうした自己自身であることを自覚していく人間の物語が多い。

 再び、それはともかくとして、『ひとつ灯せ』は、老いと死を意識し始めた料理屋の隠居「平野屋伊兵衛」が、死の病から回復した後に、友人の勧めでこの世の不思議を語り合う会に出るようになり、その会に集う人々やその会での話しを元にした出来事に出会ながら、死んでいくことの恐ろしさや意味、それを克服していく姿を描いたものである。

 巻末の参考文献に木原浩勝・中山市朗『新耳袋-現代百物語-第六夜』と三田村鳶魚『江戸雑録』が挙げられているので、そうしたところから取られた怪奇譚をもとにして、「死」を巡る人の思いが、柔らかな展開で、しかも、無理なく死を悟っていく姿として描き出されていく。

 ただ、宇江佐真理の作品にしては、登場人物たちの個性が薄いような気がするし、江戸時代の人々が狐憑きや悪霊などを想像以上に信じる信心深い感性を持っていたとはいえ、もう少し咀嚼されても良かったのではないかと思ったりもした。しかし、彼女の文体は、わたしは本当に好きで、さらりとした文章ににこめられている情感の深さに、いつもながら感服する。

 外壁補修工事のために窓も何もかもが覆われているためかも知れないし、この1~2週間は出かけることが多かったので、今日は、いささか疲労感を感じている。傘をさして図書館にでも出かけよう。

2010年9月14日火曜日

宮部みゆき『理由』

 今年は9月になっても暑さが和らぐことはなかったが、それでも最近は少しずつ気温が下がりはじめ、昨夜は虫の声が聞こえたりして、秋の始まりを感じるようになった。

 このところいくつかの仕事や何やかにやで小説の読書もあまり進まず、これを記す時間もとれなかったし、読み始めた宮部みゆき『理由』(2002年 朝日新聞社 文庫版)も、文庫版で619ページの長編だし、ひとつひとつの展開に凝ったものがあって、読了するのに思ったよりも時間がかかってしまった。

 宮部みゆき『理由』は歴史時代小説ではないが、彼女が1999年に直木賞を受賞したこの作品を読んでみようと思って読み始めた次第である。

 『理由』は、荒川の高級高層マンションで起こった一家四人の殺人事件の顛末を核にして、その事件に関わる人々の姿を丹念に描いたものである。その高級高層マンションの一室は、実は、持ち主がローンを払えずに競売に出されたもので、殺された四人は、当初は家族と見なされていたが、実は、競売に出された物件に巧妙に住み着くことによって、高額の立ち退き料や買い主からそれを安く買いたたくために不動産屋がしくんだ「占有屋」と呼ばれる疑似家族に過ぎなかった。

 ローンを払えずに購入したマンションを手放さなければならなかった家族、競売によってそれを買い取り、「占有屋」に悩まされて、事件に関係してしまい、犯人と目されて逃亡した買い主とその家族、殺された四人のそれぞれの人生や背景、その家族やそれぞれに関わった人々、事件の目撃者や事件の鍵を握る逃亡している買い主に警察への出頭を促した労働者宿の家族など、そして事件の真相、一つの事件に実に多くの背景があり、それがひとつひとつ丹念に取り上げられていく。

 作中で、殺された四人のうちの一人をマンションから突き落としてしまった姉を持つ聡明な少年が次のように語っていることが、本書の全体の姿勢をよく表しているように思われる。

 「人を人として存在させているのは『過去』なのだと、康隆は気づいた。この『過去』は経験や生活歴なんて表層的なものじゃない。『血』の流れだ。あなたはどこで生まれ誰に育てられたのか。誰と一緒に育ったのか。それが過去であり、それが人間を二次元から三次元にする。そこで初めて『存在』するのだ」(文庫版 520-521ページ)

 だから、宮部みゆきは作品の中でそれぞれの人物の「三次元」を描き、それによって、描き出されるすべての人間が、その過去や背景を背負った人間として生きて動いていく。それゆえにまた、この作品が、疑似家族や家族の危機や崩壊、そして再構成を描き出す物語ともなっている。『理由』は、その家族の崩壊を経験しなければならなかった犯人が引き起こした事件を描いた、いわば「家族」の物語なのである。夫婦、親子、兄弟、そして世間の姿が浮き彫りにされていく。

 家族は、人間にとっては必然的な共同体であるが、面倒でやりきれない部分ももつ。それを自由になるために捨ててしまう人間と、家族を形成しようとする人間、それがここで「マンションの一室-家」という共同の場を巡って、それぞれの関係性の中で描かれているのである。

 物語は、事件に関係した人々を第三者がインタビューするという形式で進められているが、それだけに事件の核心から同心円的に広がった関係者のそれぞれの姿が、より鮮明に浮かび上がるように構成されている。

 この作品を読了してはじめに感じたことは、これが、人間のアイデンティティーの喪失とも繋がる現代の家族の問題を正面から丹念に取り上げた作品であることと、宮部みゆきという優れた作家が人間を「三次元的」に理解するが故に、また、そこに立脚するが故に、彼女の作品で描かれる人間が生きているのだということ、そして、物語を展開する構想力の豊かさである。

 彼女は本質的に長編作家であるだろう。しかも、切れの良い長編作家である。それゆえにまた、現代社会が抱える問題を大上段に振りかぶることなく人間の物語として描くことができるのだろう。これまで読んだ彼女の作品の中で、個人的には『孤宿の人』が一番良いと思っているが、『理由』も直木賞を受賞しただけの作品であることは間違いない。

 今日はこれから一泊の予定で御殿場まで出かけ、友人が出した『神の仮面-ルターと現代』(2009年 有限会社リトン)について著者を交えて話し合うことになっている。手前味噌かも知れないが、これはM.ルターの神学の優れた分析である。

2010年9月9日木曜日

山本一力『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』

 昨日襲来した台風の影響で、暑さが一掃され、今日は曇った涼しい日となっている。6日(月)から8日(水)まで、研修で沖縄に行き、米軍の基地問題で揺れる辺野古や普天間、平和祈念公園などを訪ねてきた。「美ら海水族館」で偶然に友人と会うこともあり、気の合う仲間同士だったので、日差しの強さと暑さにまいりながらも、なかなかの小旅行となった。沖縄の歴史と平和・基地問題はまだ未整理で、これから購入してきた沖縄戦の証言集などを読んで検討しようと思っている。

 沖縄に出かける前に、山本一力『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』(2005年 文藝春秋社)を読んだ。これは、巻末の広告に『損料屋喜八郎始末控え』(2000年 文藝春秋社)というのがあるので、その続編であり、この類の書物には珍しく前作を読まないと登場人物の詳細がよくわからないが、主人公の喜八郎というのは、元同心で、上司の不始末の責任を取って同心を辞め、「損料屋」という、今で言えばレンタルショップのようなものを経営しながら、札差などの江戸の金融業らの裏を張ってコンサルタントとしての金融に絡む事件の探索などをしていく顛末を描いたものである。

 江戸の金融業に絡む裏も表も、それぞれの札差の人物像を中心にして、簡明な淡々とした文章で描き出されていくが、事件の顛末が淡々と述べられる分、それぞれの人物像が、前回読んだ『だいこん』のようには掘り下げられていかないような気がした。最初に出された『損料屋喜八郎始末控え』を先に読むと、また違った印象をもつのかもしれないが。

 事件は、1789年(寛政元年)に出された棄損令(旗本や御家人などの借金を放棄させる令)によってもたらされた江戸経済の混乱と、それによる札差たちの没落、庶民の暮らしの圧迫などを背景として語られるもので、いかに思いつきで無策な政治が、末端にいくほど人々を苦しめたかが喜八郎というきっぷも腕も立つ主人公の活躍によって描き出されている。

 江戸時代の経済状況については佐藤雅美が詳しく文献に当たっているが、山本一力は、彼らしく若干人情がらみで本書を展開している。どこか「男気」と言われるようなものの展開も、喜八郎の恋も描き出されている。しかし、何となく型どおりという気もしないではない。もちろん、多様な作品世界を生み出していると言えるだろうが。

 ただ、その前に読んだ宮部みゆきの『孤宿の人』があまりにも感銘深かったので、わたし自身の内的状況が「ものたりなさ」を感じただけかも知れない。この作品だけでは何とも言えないので、彼の作品では直木賞を受賞している『あかね空』を読んで、彼がどういう視点で人間を描いているのかをもう少し見て見たい気がする。

 三日も留守をすると、仕事もしなければならないことも、何から手をつけるべきかと考えるほど溜まる。あちらこちらへの連絡事項も処理する必要があるが、とりあえずは、洗濯と買い物いう日常生活のことからだろう。

2010年9月4日土曜日

宮部みゆき『孤宿の人(上・下)』(2)

 今日もうだるような暑さが続いている。汗を流すのは嫌いではないが、早朝から熱い日差しが注ぐので、こうも長く続くとうんざりしてしまう。あまり意欲もわかないのだが、今朝は立て続けにコーヒーを2杯飲んで、目を覚まし、たまっている仕事を片付け始めた。

 さて、宮部みゆき『孤宿の人』の続きであるが、あまり余計なことは書かずに、「ほう」の運命を辿ることにしよう。

 「ほう」は、鬼だ、悪霊だと恐れられている「加賀様」のところに下働きの下女として行くことになったが、その時の様子の一つが次のように書かれている。

 「金居さま(井上家の用人)は、ただほうをこざっぱりと着替えさせるためだけに待っておられたのだった。ついでに、ほうの手荷物を検めて、着古したものをすべて捨て、新しいのを包んでくださった。・・・
 新しい着物は嬉しいものだけれど、捨てられてしまった古着は、琴江さまがくださったものだから、惜しかった。拾って持って行きたかったけれど、どこに捨てられたのかも知らないし、そんなことが言い出せる様子でもなかった」(文庫版上巻 338ページ)

 着古して捨てられてしまうようなものだが、自分を優しく包んでくれた琴江さまがくださったものだから、それを惜しむ。そういう細かな表現で「ほう」というこのいたいけで運命に翻弄されながらも律儀で健気に一所懸命生きている少女の姿が浮かび上がって来る。

 「涸滝へ行くのは嫌だった。
  それでも、おあんさん(宇佐)は追い払われてしまったし、泣いていたし、しずさん(井上家の女中)は怒っていたし、舷州先生はほうが奉公をすることを望んでおられるのだし、これは断りようがないことだとおあんさんが言っていたし、だからほうは行くのだ。」(文庫版上巻 349ページ)

 「ほう」の行く末を案じる宇佐や周囲の人々の思いを感じつつ、「ほう」はひたすら自分の運命の中を歩んでいく。恐れられていた涸滝の牢屋敷で、小さな小屋をあてがわれて、「ほう」は懸命に下女として働く。牢屋敷は厳しい監視の下に置かれている。だが、その中でも「ほう」に親切にしてくれる唯一の若い牢役人の「石野さま」に接し、その石野さまが人目を盗んで「ほう」に饅頭を食べさせる場面がある。

 「ほうは石野さまから離れすぎず、近づきすぎないところを選んで、膝をそろえて地べたに座った。紙包みを膝に乗せ、両手で饅頭を持って口に運んだ。久しぶりに食べる甘いものは、とろけるほどに美味しい。」(文庫版上巻364ページ)

 地べたに膝をそろえて座り、両手で饅頭をもって口にして、久しぶりに食べる甘いものを美味しいと思う。有難いと思う。こういうところに、この少女が身につけてきたもののすべてがよく表されている。こういう場面でも、その姿を思い浮かべるだけで「ほう」という一人の少女が歩んできた姿があって、感涙を禁じ得ない。

 そして、涸滝の牢屋敷の小さな小屋で「ほう」は下女として日々を過ごしていく。

 「その夜は夢を見た。夢の中のほうは井上家にいて、琴江さまもいらした。啓一郎先生も舷州先生も出てきた。どうしてかわからないけれどおあんさんも井上のお家にいて、ほうと一緒に働いている。
 二人はお揃いの着物を着ていた。
 ―――おあんさん、もうどこにも行かないでいいですか。ずっと一緒におあんさんと暮らせますか。
 ―――うん、ずっと一緒だよ。
 ああよかった、嬉しい。そこで目が覚めた。
 月のない夜だった。星明かりがうっすらと、小屋の羽目板の隙間から忍び込む」(文庫版下巻 58-59ページ)。

 生まれて初めて自分を優しく愛おしんでくれた琴江さまが亡くなり、しばらくの間だったが、おあんさん(宇佐)と暮らした日々が、「ほう」にとって唯一の拠り所であり救いだった。「おあんさん、もうどこにも行かなくていいですか。ずっと一緒におあんさんと暮らせますか」その「ほう」のささやかな心底の願いは、しかし、決してかなうことがなかった。「ほう」はひとりぼっちで、小屋の板目から差し込む星明かりを見る。

 そして、その夜、屋根の上にうごめく「加賀様」に送られてきた刺客を見、怖くなって床下に逃げ込んで、行ってはならないといわれていた奥座敷の「加賀さま」の部屋に出てしまう。そのため、こうしたごたごたを隠蔽しようとする藩の要職によって亡き者として殺されようとする。藩の中枢に関係していた井上家の舷州先生が必死に、「この先、ほうが何の障りになるとおっしゃる?あれは夢だ、もう忘れろ、二度と口にするなと言い聞かせれば、この子はそれに従いましょう」と言って、「ほう」をかばおうとするが、「あてにはできぬ。この女中の頭のなかには、藁屑が詰まっておるようなものではないか。いつ誰に、どんな不用意なことを漏らすかわかったものではない」と涸滝の屋敷の責任を負う牢番頭は言う。「ほう」の命は風前の灯火としてさらされてしまうのである。

 だが、刺客騒動の中で直接「ほう」に出会った「加賀様」がもう一度「ほうに会いたい」と言い出されたことで救われていく。無知ではあるが、かけがえのない「ほう」の無心さが、そのひたむきな健気さが「ほう」を救いへと導き、「ほう」は再び下女として奉公するかたわら、今度は「加賀様」から手習いや算盤を習うようになっていくのである。

 やがて、丸海の人々から鬼だ、悪霊だと恐れられた「加賀様」は「ほう」との触れ合いをしていく中で、「ほう」に、お前の名は「方」だ、と教えられる。それは屋敷で「ほう」に親切にしてくれた石野さまが屋敷で起こった不祥事の責任を取って詰め腹を切らされたことを知り、「ほう」が涙をぽろぽろ流して悲しみに沈んだ時のことだった。「加賀様」は「ほう」に「泣くな。泣くくらいなら。朝晩、石野に親切にしてもらったことを思い出し、感謝することだ」と言って、「今日は、お前の名を教える」と切り出されてのことだった。

 この「加賀様」の言葉も、後に、自分に優しく接してくれた大切な人のすべてを失った「ほう」の生き方にとって重要なものとなってくる。「ほう」は恩を深く感謝する律儀な女の子なのである。その「ほう」に「加賀様」は一つの文字を教える。

 「この字は“ほう”と読む。方向、方角を意味する文字だ。おまえは阿呆のほうではなく、今日からは方角のほうだ」
 「どうしてで、ございますか」
「これまでのおまえは、己が何処にいるのか、何処へ行こうとしているのか、何処へ行くべきなのか、まったく知らぬ者であった。なるほどそれは阿呆のほうだ。が、今のおまえは、己が何処にいるか、何処へ行くのか知っている。だから、この“方”の字を当てる」(文庫版下巻 303ページ)

 この名前の意味はやがてわかる。こうして、「ほう」は、人々から悪鬼のようにして恐れられる「加賀様」から、人としての教育を受けていく。「ほう」は、どこまでも素直でまっすぐで、他の人がどんなに言おうとも、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分で触れたことを心にとめ、「加賀様」からまっすぐに教えを受けていく。

 だが、藩内の町の方はそうはいかない。山手の涸滝に悪鬼とも悪霊とも着かぬ存在があり、不吉な噂が横行しているかのように祟りとも思える夏の流行病が蔓延し、雷による大被害が起こり、不穏な空気に満ちて、例年にない雷のために漁に出られずすさんだ漁師たちと町方のあいだに収拾の着かないような暴動が起こり、火事が起こり、それらが全部「加賀様」のせいだという風評に満ちていくのである。藩は、やっかい払いも含めて、その悪の根源である「加賀様」と、もう一つの悪である雷害をもたらした雷獣とが闘い、「加賀様」が自らの身を挺して雷獣をやっつけ、それによって「加賀様」が神になったのだということで幕府への言い訳も立つことになるように画策する。

 「加賀様」は、それらを全部承知の上で、自ら死地に立つが、事が起こったときには「ほう」に逃げるように命じるのである。そして、人々に禍をもたらした雷の最後ともいうべき夏の終わりを告げる大雷が屋敷に落ち、屋敷は火に包まれる。藩の画策で雷が落ちるように仕掛けられていたのである。

 「ほう」は、「加賀様」が言われたように屋敷を逃げる。大好きなおあんさんの元へ。だが、「ほう」が逃げのびたとき、事柄の真相を知っていった宇佐は、暴動と火事の後で、人助けに森に出かけた時に起こった雷で倒れた木の下敷きになって死んでしまう。

 「ほう」は死を迎えている宇佐の枕辺に座って、宇佐の手を握り、しきりに「帰ってきました、おあんさん」と繰り返す。「おあんさん、ほうは加賀様に字を教わりました。・・・ほうがわからないことを、加賀様は何でも教えてくださいました。あなんさん、加賀様はお優しい方でした。おあんさんと同じくらい、ほうに優しくしてくださいました。涸滝は怖いところではありませんでした。加賀様は怖い鬼ではありませんでした。ほうは、加賀様とお別れするのが淋しかった。でもこうしておあんさんのところに帰ってこられたから、もう淋しいなんて申しません。おあんさん、またいっしょに暮らせます」(文庫版下巻 499-500ページ)と語りかけるのである。

 宇佐はその「ほう」の語りかけの中で息を引き取る。そして、自分には優しかった加賀様も死んだと聞いて、「ほう」は廊下の片隅で、手を顔に当て、一人で泣くのである。「ほう」の廻りで、本当に心優しく親切にしてくれた人のすべてを「ほう」は失う。

 行き場のない「ほう」は、舷州先生や啓一郎先生の配慮で、井上家で元のように奉公を始める。そしてしばらくして、加賀様が亡くなる前に、「ほう」の名前としてしたためられたお手本の一枚の紙をもらう。そこには「宝」という字が書かれていた。

 「何という字かわからぬか。これはなーーー」
たからという字だよ。
 「たからーーー」
 「そうだ。この世の大切なもの、尊いものを表す言葉だ。この字ひとつのなかに、そのすべてが込められている」
 ほうはお手本をそっと手に取り、顔を近づけてしっかりと見つめた。
 「そしてこの字は、ほうとも読む」
 「ほう」
 「そうだ。だからおまえの名だ。加賀殿に賜った、おまえの名前だ」
この世の大切なもの。尊いもの。
 「それは、おまえの命が宝だということだ。おまえはよくお仕えした。よく奉公をした。加賀殿はおまえにその名をくださり、おまえを褒めてくださったのだ」
 今日からおまえは、宝のほうだ。(文庫版下巻 506ページ)

 運命に翻弄されながらも、健気に生きてきた「ほう」は、「阿呆」の「呆」から「方角」の「方」となり、そして「宝」となったのである。「ほう」は大好きだったおあんさんが眠る墓を訪れ、加賀様が祀られている杜に、「おはようございます」と挨拶をし、四国の丸海で尊い「宝」のように生きていく。丸海の海は穏やかに憩っている。

 もちろん、これだけの長編には当然のことながら、「ほう」に「おあんさん」と慕われるもうひとりの主人公である宇佐の姿は言うまでもなく、藩の中枢を知る井上舷州と啓一郎の姿、宇佐と共に事件の探索をして死を迎える同心や、屋敷不備の責任を取って切腹させられる「ほう」に親切な牢番士の「石野さま」、宇佐の親代わりのようにして面倒を見てきた引手の親分など実に多くの登場人物たちの姿が丹念に描かれ、まるで、丸海藩という藩にいて、それらの人々が生き生きと動いているように描き出されている。

 宮部みゆきというひとりの作家の優れた構想力と文章を含めた才能がいかんなく発揮された傑作で、本当に深い感動を呼び起こしてくれる作品であった。読むことができたことをとても嬉しく思わせられた書物で、この暑さの続く夏の一番の収穫だった。いまでも「ほう」の姿を思い浮かべると涙がこぼれてくる。そして、あれこれと五月蠅い注文をつけたがる人々の中で、独り、この作品の主人公「ほう」の姿を思い浮かべている。

2010年9月3日金曜日

宮部みゆき『孤宿の人(上・下)』(1)

 出先で本屋を覗き、前から読みたいと思っていた宮部みゆき『孤宿の人(上・下)』(2005年 新人物往来社)の文庫版(2009年 新潮社)があったので、購入し、その紡がれている天才的とも言えるような物語の展開と、類い稀な描写で描き出される情景、生き生きと動いていく登場人物たちの姿に深く感動し、心を揺さぶられながら読み終えた。この作品は、この夏に出会った書物の中でも最高傑作の一つに数えても良いとさえ思っている。

 物語は、「阿呆(あほう)」の「ほう」と名づけられた小さないたいけな少女が、下女として働いている四国の丸海藩の「匙(さじ)と呼ばれる医家(匙加減をするところからだろう)の井上家の井戸で顔を洗うところから始まる。文庫版で上下巻合わせて1002ページにも及ぶ長編の書き出しが、こういう何でもないような日常の描写から始まるのも絶妙で、その後で、この「ほう」がなぜ下女働きをしているのかが語り出されていく。

 「ほう」は、江戸の建具商の若旦那が女中に手をつけて、じめじめした女中部屋で生まれた子である。その建具商が「ほう」を若旦那の子として認めるはずもなく、初めから育たずに死んでしまうことを望まれた子だった。「ほう」の母親が、「ほう」が生まれて間もなく死んでしまったので、なおさら余計者であり、「阿呆」の「ほう」と名づけられた後に、八つになるまで縁戚の家に預けられてそこで育った。

 「ほう」を預かった金貸しの老夫婦は、ほとんど「ほう」の世話をすることもなく、食事も気まぐれにしか与えないし、躾らしい躾もせず、放っておいても育つと考えたのか、犬の子のように扱い、大きくなれば「びしびし鍛えて顎で使えばいい」と思っていたようである。そのため、「ほう」は「ひっきりなしに病にかかったし、ひょろひょろに痩せて、三つぐらいになるまで一人で立つこともできず、言葉もろくにしゃべれなかった」(文庫版上巻 10ページ)それでも「ほう」は生き延びたのである。

 「ほう」が九歳になった時、建具商が次々と禍に襲われ、その厄払いということで江戸から遙かに遠い四国の金比羅参りに出されることになり、連れの女中から悪意のある意地悪をされながらも、ようやく四国の丸海の宿に着いた。しかし、連れの女中は旅銀をもって逃げ、幼い「ほう」は置き去りにされ、しばらくは「お救い小屋」のようなお寺ですごしたのである。

 死んだ方がよいと望まれ、余計者として扱われ、虐げられて野良犬のように育った「ほう」は、読み書きもできず、数も数えられず、言葉もうまくしゃべれない孤児として、生まれながらに世間の荒波にもまれ続けたのである。ただ、大人の思惑と運命に翻弄されながらも、幼い「ほう」の心はまっすぐで、健気で、泣き言も言わずに忍耐強い。まことにその姿は胸を打つ。

 そして、この丸海の地で、藩医である「匙」の家の一つである井上家に奉公人として養ってもらうことになったのである。ちなみに、この「丸海藩」というのは、作者自身が「あとがき」で触れているように四国の讃岐丸亀藩からとられたものではあるが、その藩の様子や光景なども含めて、作者の卓越した想像力が生み出したものにほかならない。

 「ほう」は、この井上家で生まれて初めて人間らしい扱いを受ける。特に井上家の娘琴江は、心優しく暖かく、「ほう」にとっては、いろいろなことを教えてくれる先生であるばかりか、僅か九歳に過ぎないのに、たった一人で見知らぬ土地に取り残され、これまでさんざん苦労をしなければならなかった「ほう」を優しく包み込むような人であった。

 「ほう、見てごらんなさい。風はこんなに静かなのに、海には白い小さな波が、たくさん立ち騒いでいるでしょう。ああいうとき、この土地の者は“うさぎが飛んでいる”というのよ。うさぎが飛ぶと、今はお天気がどんなに晴れていても、半日と経たないうちに大風が吹いて雨がくるものなの。・・・遠目で見ると、小さくて白くてきれいなうさぎだけれど、それは、海と空が荒れる前触れなのですよ」(文庫版上巻8ページ)と語りかける言葉には、慈愛が満ちている。

 こういう柔らかな言葉を紡ぎ出せる作者の技量の豊かさには脱帽せざるを得ない。そして、実は、本書の書き出しの言葉が「夜明けの海に、うさぎが飛んでいる」というものであり、この琴江の言葉そのものが、これから起こる様々な事柄の全体を暗示させるものとなっており、本書の最後が「青く凪いだ丸海の海原は、鏡のように平らかに穏やかに、秋の日差しの下で憩っている。ほうの挨拶に応えて、おはよう、ほうと返すように、ちらり、ちらりと白いうさぎが飛んだ」(文庫版下巻 508ページ)となっている。つまり、物語は、海に白いうさぎが飛んだ時から始まり、その海が落ち着くまでの襲ってくる嵐のような波瀾に満ちた展開になるのである。

 こういう言葉で、物語の始まりと終わりを締めくくることができる構成力と豊かな情景の描写や言葉つがいをする表現力と技量は並外れているものだと思えてならない。

 白いうさぎが暗示した波瀾の幕開けは、「ほう」に初めて人間らしさを示した琴江が、同じ藩医の「匙」家の親しくしていた娘の梶原美祢という女性から、嫉妬のために毒殺されるという悲劇から始まる。琴江の死は「ほう」の運命を衝撃的に一変させていくのである。

 おりしも、江戸幕府の元勘定奉行で、理由も不明のままに妻子三人と部下を惨殺したという「加賀様」と呼ばれる船井加賀守守利の身柄を丸海藩が幕命で預かることになった。異常なほどに悪霊や祟りを畏れた時の将軍家斉が、切腹させて恨みを買うことを畏れて、江戸から遠い四国の丸海藩に生涯の幽閉を命じたのである。丸海藩は、漁業と金比羅参りの客と、紅貝を使った染め物で成り立っていたが、内情は決して豊かではなかった。罪人とはいえ、幕府の要職だった人間を預かることになったのだから、莫大な費用もかかるし気も使う。扱い方によっては藩が取りつぶされることにもなる。

 藩医を勤める「匙」家の娘美祢の嫉妬心によってもたらされた琴江の死は、藩内のごたごたが外に漏れることを恐れて、それがどんなに個人的なものであれ、決して表に出してはならない事件として処理され、隠蔽されていく。何事にも鷹揚で人々から慕われている琴江の父井上舷州も、琴江と同じように心優しく優秀な若い医者である兄の啓一郎も、涙をのんで、藩と家のために琴江の死を病死としなければならなかった。

 しかし、幼い「ほう」は、美祢が琴江を毒殺する現場を見ており、大好きな琴江様を殺した美祢につかみかかり捕らえられてしまうのである。藩を上げての隠蔽工作の中で、お前は阿呆の「ほう」だから幻を見たのだと無理矢理に言われ、従うよう命じられる。それに心の底では納得できない「ほう」をこのまま井上家においておくことができず、「ほう」は町方の引手(奉行所からの許可をもらって町方の諸事件などを探索する岡っ引きのようなもの)に渡される。

 「ほう」を引き取ったのは、娘ながらに引手見習いとして働いている宇佐という若い娘である。宇佐は琴江の兄の啓一郎に思いを寄せており、琴江の死の真相も探ろうとして苦労するが、琴江と同じように「ほう」には優しく、自ら申し出て「ほう」を引き取って一緒に暮らそうとするのである。宇佐は漁師町の出であるが、父も母もなくし、一人暮らしの身の上であった。

 琴江の死の謎や「加賀様」の幽閉問題で右往左往する藩内の事態に明瞭な判断で関わっていこうとすることによって物語が展開されていくので、この宇佐は本書のもうひとりの主人公でもある。

 この宇佐が引手の親分に預けられてやせ細っている「ほう」の姿を見て、「ほう」に語りかける場面が次のように描かれている。

 「宇佐は手をのばし、ほうの手を握ってやった。小さな手は冷たかった。もともと痩せて骨張っていたが、たかだか一日か二日のあいだに、さらに細ったように感じた。
 『あんた、ご飯食べてる?』
 嘉介親分とおかみさんが、この子を飢えさせるわかがないのだが。
 『食べたくないの?食べられないの?』
 ちょっとのあいだ、本当に困ったように顔を歪めてから、ほうは謝るように言った。
 『おまんま、いただけないんです』
 『何でさ』
 『あたしーー何も働いていないし。あたしのような余計者は、働かなかったら、おまんまいただいちゃいけないんです』
 井上家でそんなことを教え込むわけがない。これはおおかた、江戸でほうが暮らしていた金貸しの家や、萬屋で仕込まれたことだろう。」(文庫版上巻 162-163ぺーじ)

 そして、宇佐は「ほう」を自分の家に連れて帰る。その場面では、
 「ほうは一人になった。部屋を見回す。
 けっこうな埃だ。お布団も長いこと干してない。いろいろやることがありそうだ。
 心の奥で、何かがほっこりと緩んだ。さあ、働かなくては、ここなら働ける。
 だから、その前に、おまんまにしよう。ほうは懐から、出がけに嘉介親分のおかみさんが包んで持たせてくれたおむすびを取り出した。(文庫版上巻 166ページ)

 小さな九歳の女の子が、「わたしのような余計者は、働かなかったら、おまんまいただいちゃいけないんです」と思って、もらったおむすびを懐に忍ばせている。そして、働くところを見つけてほっこりとする。「ほう」は、そのように律儀で健気で、一所懸命生きている。その姿を思うと涙が棒打となって溢れてしまう。そして、「ほう」が宇佐の家で「ほっこり」と感じたように、宇佐を「おあんさん(お姉さん)と呼んで、しばらくのあいだ、針仕事や炊事などをして過ごすことができたのである。

 宇佐が「ほう」を丸海の守り神として敬われている日高山神社に連れて行った場面では、宇佐の「ほう」への思いが次のように記されている。

 「高見から見おろせば、宇佐の生まれ育った港の漁師町から西番小屋(引手の番小屋)へのあいだなど、ほんのひとまたぎのように見える。指で差しても、一寸ほどなの長さでしかない。それでも、漁師町を出て引手の仲間に加わることで、宇佐の暮らしはずいぶん変わった。
 ましてや、ほうははるばる江戸から流れてきたのだ。あの海の彼方、まず大阪の港があって、そこからずうっと東海道を下り、何十日も旅をして、やっとたどりつくような遙か遠くから、ほうはこの小さな足でやって来たのだ。
 急に切なくなって、宇佐はまばたきをし、すぐ隣で小さな手を額にかざし、楽しそうに景色をながめているほうに目をやった。
 本当に、遠いところからよく来たもんだね、ほう。縁あってこの地に来たあんたを、丸海の山と海とお日様が、こうして温かく迎え取ってくれている。
 ほうはこれから丸海に根をおろし、一人前の女になってゆくのだ。そうだよ宇佐、だからもうこまごまと気に病むことはないと、この美しく穏和な景色が、心に語りかけてくるのを感じた。」(文庫版上巻252ページ)

 だが、この平穏も長くは続かない。奇病や祟りがあると恐れられていたいわく付きの丸海藩の家老の浅木家の涸滝の療養屋敷に幽閉された「加賀様」の女中が頓死したことから、「ほう」の運命はまた一変するのである。「加賀様」自体が、江戸での所行で、怨念を抱えた恐ろしい鬼のような者と言われ、そこに近づくことさえ厭われており、様々な風評が流れ、新しい下働きの女中として、身寄りのないよそ者の孤児である「ほう」に白羽の矢が立てられたからである。「ほう」は阿呆だから、その屋敷の様子が外に漏れることもないと思われたからである。そして、それはまた人々の思惑や藩政のうねりの中で幼い「ほう」が生き延びる道でもあった。

 「ほう」は、もちろん、人々の思惑や藩政のうねりなど知らない。右に行けと言われれば右に行かなければならないし、左に行けと言われれば行かなければならない身の上であり、その中を「ほう」はひたすら健気に生きていくだけである。

 ここまで書いて、少々長くなりすぎたようなので、続きはまた明日にでも書くことにしよう。優れた作品というものは、そこからいろいろなことが考えられるし、また言えるものだが、この作品から、実に多くのことが湧き出してくるような気がする。これは、自分の中で整理が着かないままに書いているが、とにかく読後感には最高のものがあった。

2010年9月2日木曜日

鳥羽亮『剣客春秋 青蛙の剣』 

 今日も暑い日差しが降り注いでいる。熱気が肌にまとわりついて、じっとしていても汗が滴る。出先で読んだ3冊目は、鳥羽亮『剣客春秋 青蛙の剣』(2008年 幻冬舎)で、できるだけ気楽に読めるものをと思って持っていった小説のひとつである。

 これも、昨日の『はぐれ長屋の用心棒』シリーズと同じように、このシリーズの8作目の作品で、神田豊島町に一刀流の町道場を開いている千坂藤兵衛とその娘夫婦である里美と彦四郎を中心にして、市井の剣客として老いを覚えつつ生きる姿を描いたものである。千坂藤兵衛には、孫娘が生まれ、藤兵衛は好々爺ぶりを発揮していく。

 本作では、道筋でいじめを受けていた少年を助けたことから、その少年が千坂藤兵衛の道場に入門し、彼をいじめていた近くの道場との全面対決となり、それが大身の旗本家内での勢力争いと絡まって、旗本の御前での試合をすることとなり、藤兵衛は少年を鍛え、勇気を持って困難に立ち向かっていく術を教えようとする展開となっている。

 千坂藤兵衛の道場と対決する近くの道場は、あの手この手を使って、自分の道場を拡張していくことを画策し、少年のいじめをそそのかしたり、凄腕の牢人を雇って彦四郎を襲わせたりする。凄腕の牢人には欲はないが、一人の剣客としての矜持から、藤兵衛との対決を望んでいくのである。

 いじめを受けていた気弱な少年は、藤兵衛の指導の下で、勇気を持って立ち向かうことを学び、試合に勝つ。そして、藤兵衛に敵対していた道場は、さまざまな画策をしても、まっすぐな藤兵衛や彦四郎、そして少年の姿勢の前に破れていくのである。理不尽な「いじめ」に対して、まっすぐに相手を見ることは一つの有効な対応である。

 凄腕の牢人は、自分の剣客としての矜持で藤兵衛と対決し、破れ、江戸を離れることになる。

 こうした物語の展開も、剣客シリーズではおなじみのものであるが、作者の剣道の心得が生きて、目を見て対峙し、一瞬の動きを逃さないようにして立ち向かう姿が、いじめられていた少年にしろ、彦四郎にしろ、そして藤兵衛にしろ、件の対決の場面でよく描き出されている。そして、それと同時に、無欲なままで、孫をかわいがり、娘夫婦を心配し、手伝いのおくまに気を使いながら生きている姿が描かれていく。

 鳥羽亮のこうした作品には、市井に生きる姿と剣客として生きる姿の二重の姿が描き出され,それが身近なものを大切にする姿や「無欲」な姿として描き出されるものが多いような気がする。生活人であることと専門家であることの二つの側面がそこで無理なく一致しているところに、彼が描く人物の魅力があるのだろう。だから、対峙する悪はたいていが強欲である。

 人間の強欲は、現実にはあからさまな形では現れないが、人の心の奥底に常に潜んでいて、ある時には正義の仮面をかぶって画策をしたりする。そして、その姿は、鳥瞰的に見れば、どんなに姿形が立派で美しい装いをしていようと、やはり醜いものである。それを見破ることができるのは、ただ、素直で素朴な心だけだろう。素直で素朴な心は、常に生き難さの中に置かれてしまい、強欲でひねり潰されてしまうことが多いのは確かであるが。

2010年9月1日水曜日

鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 瓜ふたつ』 

 相変わらずうんざりするような暑さが続いている。今日から外壁の補修工事をするので、昨日は近隣の方々への挨拶などをし、朝から工事関係者の方々の出入りもあり、少々気も使うし、面倒くささも覚えている。しかし、この暑さの中で工事の人たちには、本当にご苦労を強いていると案じもする。

 暑さの中で脳も機能を低下させているのか、あれもこれもと仕事もなかなか片付かないが、今日は切れかけているコーヒーを買いにあざみ野まで出かけ、ついでに山内図書館にも本の返却と借り出しに行こうかと思っている。

 先日、幼稚園のM先生から連絡があり、久しぶりで会って話をした。M先生はとてもすてきな先生で、デパートのイタリア料理の店で食事をしながら話を聞いた。幼児教育は大きな曲がり角に来ており、経済効率を優先させる風潮と、この国の政策自体がどうも幼児教育を軽んじるような方向に向かっているように思えてならない。社会全体のとげとげしい雰囲気が幼児教育の従事者や保護者の中に蔓延し、そこで良心的な先生方が苦労することになる。

 出先で、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 瓜ふたつ』(2008年 双葉文庫)も読んだ。これはこのシリーズの12作目の作品で、隠居して傘張牢人としてはぐれ長屋に住む主人公の華町源九郎の孫娘は2歳となり、好々爺ぶりが剣客としての姿とともに描かれていく。

 本作では、源九郎の昔の剣術道場の同門で、源九郎とよく似た向田武左衛門が訪ねて来て、やがて一人の若侍を連れてはぐれ長屋に住むことになる。事情を探れば、向田武左衛門が仕える旗本のお家騒動に絡んで、主家の次男が長男夫婦を毒殺して家督を奪い、長男の子である若侍を狙っていることがわかる。

 源九郎をはじめとするはぐれ長屋の住人たちは、向田武左衛門の頼みを受けて、旗本家のお家騒動の問題にかかわり、次男と悪徳医者に雇われた牢人たちと対決しながら、これを解決していくのである。

 物語の展開そのものは、雇われた牢人たちは凄腕であり、悪徳医者も家督を奪った次男も、力で自分の欲を満たそうとする姿も、このシリーズではおなじみのもので、それに対峙するはぐれ長屋の住人たちの市井に生きる姿が対照的であるのもひとつのパターン化されたものとして、いつもと同じようなものだが、それぞれに牢人や貧乏町人として生きつつも、人々の「用心棒」として生きる姿が巧みに描き出されるので、変わらずに面白く読める。

 シリーズ化されたものはどうしてもパターンができて定着したものになってしまうきらいがあるが、物語の格子がしっかりしていれば、それだけに気楽に読めるようになる。鳥羽亮のシリーズ化された作品には、そうした作品が多いように感じられる。

 今日から九月で、今月は日常の仕事の他に、沖縄に行ったり、箱根で友人が出した本の講演会でのリアクターをしたりと、何かと気ぜわしい気がする。外壁の補修工事も今月いっぱいかかる。それにしても、早くこの異常な夏の暑さが引いてくれないかと、つくづく思う。熱帯夜が延々と続いている。