2010年9月19日日曜日

山本一力『深川黄表紙掛取り帖』

 初秋の青空が広がるようになって、雲が高くなってきた。日曜日の静かな朝というわけではないが、早朝に目が覚めて、コーヒーを飲み、新聞を読んでシャワーを浴び、友人から送られてきたメールのニュースレターに返事を書いたりしていた。

 昨夜、うつらうつらする中ではあったが、山本一力『深川黄表紙掛取り帖』(2002年 講談社)を痛快な思いで読んだ。これは深川に住む四人の若者たちが、知恵と情熱と結束の中で、商いに絡む問題を思いもよらぬ方法で解決していく物語である。

 四人のリーダー的存在は、木材の目利きから切り出しまでを手配する山師の父雄之助と三味線の師匠をしている母おひでの間にできた息子で、夏ばての薬を売り歩く「定斎売り」をしている蔵秀(ぞうしゅう)、他に、印形屋の次男で文章と計算にたけて絵草子本の作者を目指している辰次郎、酒好きだが明晰な頭脳と図抜けたアイディアを出す飾り提灯の職人である宗佑(そうすけ)、そして、小間物問屋のひとり娘で、勘所が鋭く、見事な絵やデザインを書く雅乃(まさの)の四人である。いずれも20~30代の知恵ある青年である。

 この四人がそれぞれの持ち味を発揮して痛快な活躍をしていくのだが、最初に持ち込まれた問題は、毎年五十俵しか仕入れない大豆を間違いで(後に悪計に嵌められたものとわかる)五百俵もの仕入れを抱えることになった雑穀問屋が、仕入れた大豆の始末を蔵秀に持ちかけるところから始まる。

 蔵秀たちは知恵を働かせ、この大豆を小分けにし、「招福大豆」として500に一つの割合で中に小さな金銀の大黒像をいれて売り出すことを計画し、前宣伝に工夫を凝らして見事に捌ききるのである。世情をよく観察し、人々の流れと心情を分析し、息のあった仕事ぶりで、度胸と明確な方針で土地の顔役に渡りをつけ、事を運んでいく次第が描かれていく。

 ところが、売り出した「招福大豆」が粗悪品であることがわかり、四人はまた知恵を働かせ、すべてに益が出るように工夫を凝らした「招福枡に入れた豆腐」を作って配布し、雑穀問屋の信用を損なうことなく、再びそこでも喝采を浴びていくのである。

 やがて、雑穀問屋の仕入れにも画策し、深川一帯を支配したいと思っている強欲な油問屋が、その足がかりとして雅乃と見合いをして店を乗っ取ろうとしたり、小豆問屋の乗っ取りを企んだりすることが起こり、蔵秀らは、彼らを懲らしめようと、永代橋が2~3年後に架かるという情報を元に、油問屋に渡し船をしている船宿の権利を買うように仕向けていく。

 そうしているうちに、江戸幕府とも強い繋がりをもつ紀伊国屋文左衛門が材木を売り出す仕事にも関わり、それを紀伊国屋文左衛門の鼻をあかす形で見事にやってのけ、蔵秀は紀伊国屋文左衛門が幕府の貨幣改鋳で儲けるために小判を集めていたことを察する。

 紀伊国屋文左衛門は時の老中柳沢吉保と強い繋がりをもち、柳沢吉保は、彼を通して蔵秀らの働きを知りこととなり、彼らの知恵と志の高さに感じ入って、彼らと会うことになる。

 こうして、知恵と情熱、度胸と粋で、彼らは江戸の商人の中を大きな信頼を得て生きていくようになるのである。物語の中で、蔵秀と雅乃は互いに思いをもっているが、辰次郎もまた雅乃に思いを寄せているという恋物語も織り込まれている。文体が力強く小気味いいので、彼らのきっぷがよく伝わるし、彼ら自身に「欲」がないので、事件の顛末も痛快である。四人組というのもいい。まさに、読んでスカッとする痛快娯楽小説といえるだろう。

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