2010年9月3日金曜日

宮部みゆき『孤宿の人(上・下)』(1)

 出先で本屋を覗き、前から読みたいと思っていた宮部みゆき『孤宿の人(上・下)』(2005年 新人物往来社)の文庫版(2009年 新潮社)があったので、購入し、その紡がれている天才的とも言えるような物語の展開と、類い稀な描写で描き出される情景、生き生きと動いていく登場人物たちの姿に深く感動し、心を揺さぶられながら読み終えた。この作品は、この夏に出会った書物の中でも最高傑作の一つに数えても良いとさえ思っている。

 物語は、「阿呆(あほう)」の「ほう」と名づけられた小さないたいけな少女が、下女として働いている四国の丸海藩の「匙(さじ)と呼ばれる医家(匙加減をするところからだろう)の井上家の井戸で顔を洗うところから始まる。文庫版で上下巻合わせて1002ページにも及ぶ長編の書き出しが、こういう何でもないような日常の描写から始まるのも絶妙で、その後で、この「ほう」がなぜ下女働きをしているのかが語り出されていく。

 「ほう」は、江戸の建具商の若旦那が女中に手をつけて、じめじめした女中部屋で生まれた子である。その建具商が「ほう」を若旦那の子として認めるはずもなく、初めから育たずに死んでしまうことを望まれた子だった。「ほう」の母親が、「ほう」が生まれて間もなく死んでしまったので、なおさら余計者であり、「阿呆」の「ほう」と名づけられた後に、八つになるまで縁戚の家に預けられてそこで育った。

 「ほう」を預かった金貸しの老夫婦は、ほとんど「ほう」の世話をすることもなく、食事も気まぐれにしか与えないし、躾らしい躾もせず、放っておいても育つと考えたのか、犬の子のように扱い、大きくなれば「びしびし鍛えて顎で使えばいい」と思っていたようである。そのため、「ほう」は「ひっきりなしに病にかかったし、ひょろひょろに痩せて、三つぐらいになるまで一人で立つこともできず、言葉もろくにしゃべれなかった」(文庫版上巻 10ページ)それでも「ほう」は生き延びたのである。

 「ほう」が九歳になった時、建具商が次々と禍に襲われ、その厄払いということで江戸から遙かに遠い四国の金比羅参りに出されることになり、連れの女中から悪意のある意地悪をされながらも、ようやく四国の丸海の宿に着いた。しかし、連れの女中は旅銀をもって逃げ、幼い「ほう」は置き去りにされ、しばらくは「お救い小屋」のようなお寺ですごしたのである。

 死んだ方がよいと望まれ、余計者として扱われ、虐げられて野良犬のように育った「ほう」は、読み書きもできず、数も数えられず、言葉もうまくしゃべれない孤児として、生まれながらに世間の荒波にもまれ続けたのである。ただ、大人の思惑と運命に翻弄されながらも、幼い「ほう」の心はまっすぐで、健気で、泣き言も言わずに忍耐強い。まことにその姿は胸を打つ。

 そして、この丸海の地で、藩医である「匙」の家の一つである井上家に奉公人として養ってもらうことになったのである。ちなみに、この「丸海藩」というのは、作者自身が「あとがき」で触れているように四国の讃岐丸亀藩からとられたものではあるが、その藩の様子や光景なども含めて、作者の卓越した想像力が生み出したものにほかならない。

 「ほう」は、この井上家で生まれて初めて人間らしい扱いを受ける。特に井上家の娘琴江は、心優しく暖かく、「ほう」にとっては、いろいろなことを教えてくれる先生であるばかりか、僅か九歳に過ぎないのに、たった一人で見知らぬ土地に取り残され、これまでさんざん苦労をしなければならなかった「ほう」を優しく包み込むような人であった。

 「ほう、見てごらんなさい。風はこんなに静かなのに、海には白い小さな波が、たくさん立ち騒いでいるでしょう。ああいうとき、この土地の者は“うさぎが飛んでいる”というのよ。うさぎが飛ぶと、今はお天気がどんなに晴れていても、半日と経たないうちに大風が吹いて雨がくるものなの。・・・遠目で見ると、小さくて白くてきれいなうさぎだけれど、それは、海と空が荒れる前触れなのですよ」(文庫版上巻8ページ)と語りかける言葉には、慈愛が満ちている。

 こういう柔らかな言葉を紡ぎ出せる作者の技量の豊かさには脱帽せざるを得ない。そして、実は、本書の書き出しの言葉が「夜明けの海に、うさぎが飛んでいる」というものであり、この琴江の言葉そのものが、これから起こる様々な事柄の全体を暗示させるものとなっており、本書の最後が「青く凪いだ丸海の海原は、鏡のように平らかに穏やかに、秋の日差しの下で憩っている。ほうの挨拶に応えて、おはよう、ほうと返すように、ちらり、ちらりと白いうさぎが飛んだ」(文庫版下巻 508ページ)となっている。つまり、物語は、海に白いうさぎが飛んだ時から始まり、その海が落ち着くまでの襲ってくる嵐のような波瀾に満ちた展開になるのである。

 こういう言葉で、物語の始まりと終わりを締めくくることができる構成力と豊かな情景の描写や言葉つがいをする表現力と技量は並外れているものだと思えてならない。

 白いうさぎが暗示した波瀾の幕開けは、「ほう」に初めて人間らしさを示した琴江が、同じ藩医の「匙」家の親しくしていた娘の梶原美祢という女性から、嫉妬のために毒殺されるという悲劇から始まる。琴江の死は「ほう」の運命を衝撃的に一変させていくのである。

 おりしも、江戸幕府の元勘定奉行で、理由も不明のままに妻子三人と部下を惨殺したという「加賀様」と呼ばれる船井加賀守守利の身柄を丸海藩が幕命で預かることになった。異常なほどに悪霊や祟りを畏れた時の将軍家斉が、切腹させて恨みを買うことを畏れて、江戸から遠い四国の丸海藩に生涯の幽閉を命じたのである。丸海藩は、漁業と金比羅参りの客と、紅貝を使った染め物で成り立っていたが、内情は決して豊かではなかった。罪人とはいえ、幕府の要職だった人間を預かることになったのだから、莫大な費用もかかるし気も使う。扱い方によっては藩が取りつぶされることにもなる。

 藩医を勤める「匙」家の娘美祢の嫉妬心によってもたらされた琴江の死は、藩内のごたごたが外に漏れることを恐れて、それがどんなに個人的なものであれ、決して表に出してはならない事件として処理され、隠蔽されていく。何事にも鷹揚で人々から慕われている琴江の父井上舷州も、琴江と同じように心優しく優秀な若い医者である兄の啓一郎も、涙をのんで、藩と家のために琴江の死を病死としなければならなかった。

 しかし、幼い「ほう」は、美祢が琴江を毒殺する現場を見ており、大好きな琴江様を殺した美祢につかみかかり捕らえられてしまうのである。藩を上げての隠蔽工作の中で、お前は阿呆の「ほう」だから幻を見たのだと無理矢理に言われ、従うよう命じられる。それに心の底では納得できない「ほう」をこのまま井上家においておくことができず、「ほう」は町方の引手(奉行所からの許可をもらって町方の諸事件などを探索する岡っ引きのようなもの)に渡される。

 「ほう」を引き取ったのは、娘ながらに引手見習いとして働いている宇佐という若い娘である。宇佐は琴江の兄の啓一郎に思いを寄せており、琴江の死の真相も探ろうとして苦労するが、琴江と同じように「ほう」には優しく、自ら申し出て「ほう」を引き取って一緒に暮らそうとするのである。宇佐は漁師町の出であるが、父も母もなくし、一人暮らしの身の上であった。

 琴江の死の謎や「加賀様」の幽閉問題で右往左往する藩内の事態に明瞭な判断で関わっていこうとすることによって物語が展開されていくので、この宇佐は本書のもうひとりの主人公でもある。

 この宇佐が引手の親分に預けられてやせ細っている「ほう」の姿を見て、「ほう」に語りかける場面が次のように描かれている。

 「宇佐は手をのばし、ほうの手を握ってやった。小さな手は冷たかった。もともと痩せて骨張っていたが、たかだか一日か二日のあいだに、さらに細ったように感じた。
 『あんた、ご飯食べてる?』
 嘉介親分とおかみさんが、この子を飢えさせるわかがないのだが。
 『食べたくないの?食べられないの?』
 ちょっとのあいだ、本当に困ったように顔を歪めてから、ほうは謝るように言った。
 『おまんま、いただけないんです』
 『何でさ』
 『あたしーー何も働いていないし。あたしのような余計者は、働かなかったら、おまんまいただいちゃいけないんです』
 井上家でそんなことを教え込むわけがない。これはおおかた、江戸でほうが暮らしていた金貸しの家や、萬屋で仕込まれたことだろう。」(文庫版上巻 162-163ぺーじ)

 そして、宇佐は「ほう」を自分の家に連れて帰る。その場面では、
 「ほうは一人になった。部屋を見回す。
 けっこうな埃だ。お布団も長いこと干してない。いろいろやることがありそうだ。
 心の奥で、何かがほっこりと緩んだ。さあ、働かなくては、ここなら働ける。
 だから、その前に、おまんまにしよう。ほうは懐から、出がけに嘉介親分のおかみさんが包んで持たせてくれたおむすびを取り出した。(文庫版上巻 166ページ)

 小さな九歳の女の子が、「わたしのような余計者は、働かなかったら、おまんまいただいちゃいけないんです」と思って、もらったおむすびを懐に忍ばせている。そして、働くところを見つけてほっこりとする。「ほう」は、そのように律儀で健気で、一所懸命生きている。その姿を思うと涙が棒打となって溢れてしまう。そして、「ほう」が宇佐の家で「ほっこり」と感じたように、宇佐を「おあんさん(お姉さん)と呼んで、しばらくのあいだ、針仕事や炊事などをして過ごすことができたのである。

 宇佐が「ほう」を丸海の守り神として敬われている日高山神社に連れて行った場面では、宇佐の「ほう」への思いが次のように記されている。

 「高見から見おろせば、宇佐の生まれ育った港の漁師町から西番小屋(引手の番小屋)へのあいだなど、ほんのひとまたぎのように見える。指で差しても、一寸ほどなの長さでしかない。それでも、漁師町を出て引手の仲間に加わることで、宇佐の暮らしはずいぶん変わった。
 ましてや、ほうははるばる江戸から流れてきたのだ。あの海の彼方、まず大阪の港があって、そこからずうっと東海道を下り、何十日も旅をして、やっとたどりつくような遙か遠くから、ほうはこの小さな足でやって来たのだ。
 急に切なくなって、宇佐はまばたきをし、すぐ隣で小さな手を額にかざし、楽しそうに景色をながめているほうに目をやった。
 本当に、遠いところからよく来たもんだね、ほう。縁あってこの地に来たあんたを、丸海の山と海とお日様が、こうして温かく迎え取ってくれている。
 ほうはこれから丸海に根をおろし、一人前の女になってゆくのだ。そうだよ宇佐、だからもうこまごまと気に病むことはないと、この美しく穏和な景色が、心に語りかけてくるのを感じた。」(文庫版上巻252ページ)

 だが、この平穏も長くは続かない。奇病や祟りがあると恐れられていたいわく付きの丸海藩の家老の浅木家の涸滝の療養屋敷に幽閉された「加賀様」の女中が頓死したことから、「ほう」の運命はまた一変するのである。「加賀様」自体が、江戸での所行で、怨念を抱えた恐ろしい鬼のような者と言われ、そこに近づくことさえ厭われており、様々な風評が流れ、新しい下働きの女中として、身寄りのないよそ者の孤児である「ほう」に白羽の矢が立てられたからである。「ほう」は阿呆だから、その屋敷の様子が外に漏れることもないと思われたからである。そして、それはまた人々の思惑や藩政のうねりの中で幼い「ほう」が生き延びる道でもあった。

 「ほう」は、もちろん、人々の思惑や藩政のうねりなど知らない。右に行けと言われれば右に行かなければならないし、左に行けと言われれば行かなければならない身の上であり、その中を「ほう」はひたすら健気に生きていくだけである。

 ここまで書いて、少々長くなりすぎたようなので、続きはまた明日にでも書くことにしよう。優れた作品というものは、そこからいろいろなことが考えられるし、また言えるものだが、この作品から、実に多くのことが湧き出してくるような気がする。これは、自分の中で整理が着かないままに書いているが、とにかく読後感には最高のものがあった。

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