2010年9月18日土曜日

出久根達郎『安政大変』

 薄く白い雲が空を覆っている。最高気温が30℃を下回る日々が続いているので、秋の気配を感じ始めているが、「眼にはさやかに」である。夏の疲れが出てきたのか、疲れがとれない気がしている。日用品の買い出しも必要なので、夕方に散策もかねて薬局を覗いたりしながら出かけようかと思っている。

 昨夕、出久根達郎『安政大変』(2003年 文藝春秋社)を読んだ。これは、1855年11月11日(元歴では安政2年10月2日)に起きた大地震に遭遇した人々を描いた短編集で、「赤鯰」、「銀百足」、「東湖」、「円空」、「おみや」、「子宝」、「玉手箱」の7編を収めたものである。

 文学作品として短編を読む場合、文章作法でいうならば体言止めのような切れと余韻を期待する。この中では特に、この地震で死んだ水戸藩の重鎮でり、後の世にも大きな影響を与えた藤田東湖の姿を描いた「東湖」や、円空作の仏像をもつ死病を患っている吉原の女郎の姿を描いた「円空」などに、その短編の切れと余韻が感じられるし、どの作品も登場人物たちがユーモラスに描かれているので、その点では優れた短編になっている。

 安政の大地震という避けがたい天変地異に遭遇した人々の姿を描くことによって、江戸末期の人々の姿が浮き彫りにされ、歴史的にはこうしたことで江戸幕府の崩壊に拍車がかかっていくのだが、人々の暮らし難さが「おみや」や「子宝」、「玉手箱」によく描き出されている。「おみや」は井戸掘り人足と夜鷹の話であり、「子宝」は成長の遅い娘をもつ老夫婦、「玉手箱」は災難にあい続ける商家の奉公人の話である。

 今日では災害は地域に限定されたものとなってきているが、天変地異の災害は社会を一変させる。もちろんそれに遭遇した人間の人生観も変える。価値観の大逆転が起こる。だが、人々の暮らし向きは変わらない。人間はしたたかにその中を生き延びていく。そうした人間のしたたかさに目を向けることは結構大事なことだろう、と思いつつ本書を読んだ。わたし自身にはそのしたたかさがないので、余計にそう思う。

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