今年は9月になっても暑さが和らぐことはなかったが、それでも最近は少しずつ気温が下がりはじめ、昨夜は虫の声が聞こえたりして、秋の始まりを感じるようになった。
このところいくつかの仕事や何やかにやで小説の読書もあまり進まず、これを記す時間もとれなかったし、読み始めた宮部みゆき『理由』(2002年 朝日新聞社 文庫版)も、文庫版で619ページの長編だし、ひとつひとつの展開に凝ったものがあって、読了するのに思ったよりも時間がかかってしまった。
宮部みゆき『理由』は歴史時代小説ではないが、彼女が1999年に直木賞を受賞したこの作品を読んでみようと思って読み始めた次第である。
『理由』は、荒川の高級高層マンションで起こった一家四人の殺人事件の顛末を核にして、その事件に関わる人々の姿を丹念に描いたものである。その高級高層マンションの一室は、実は、持ち主がローンを払えずに競売に出されたもので、殺された四人は、当初は家族と見なされていたが、実は、競売に出された物件に巧妙に住み着くことによって、高額の立ち退き料や買い主からそれを安く買いたたくために不動産屋がしくんだ「占有屋」と呼ばれる疑似家族に過ぎなかった。
ローンを払えずに購入したマンションを手放さなければならなかった家族、競売によってそれを買い取り、「占有屋」に悩まされて、事件に関係してしまい、犯人と目されて逃亡した買い主とその家族、殺された四人のそれぞれの人生や背景、その家族やそれぞれに関わった人々、事件の目撃者や事件の鍵を握る逃亡している買い主に警察への出頭を促した労働者宿の家族など、そして事件の真相、一つの事件に実に多くの背景があり、それがひとつひとつ丹念に取り上げられていく。
作中で、殺された四人のうちの一人をマンションから突き落としてしまった姉を持つ聡明な少年が次のように語っていることが、本書の全体の姿勢をよく表しているように思われる。
「人を人として存在させているのは『過去』なのだと、康隆は気づいた。この『過去』は経験や生活歴なんて表層的なものじゃない。『血』の流れだ。あなたはどこで生まれ誰に育てられたのか。誰と一緒に育ったのか。それが過去であり、それが人間を二次元から三次元にする。そこで初めて『存在』するのだ」(文庫版 520-521ページ)
だから、宮部みゆきは作品の中でそれぞれの人物の「三次元」を描き、それによって、描き出されるすべての人間が、その過去や背景を背負った人間として生きて動いていく。それゆえにまた、この作品が、疑似家族や家族の危機や崩壊、そして再構成を描き出す物語ともなっている。『理由』は、その家族の崩壊を経験しなければならなかった犯人が引き起こした事件を描いた、いわば「家族」の物語なのである。夫婦、親子、兄弟、そして世間の姿が浮き彫りにされていく。
家族は、人間にとっては必然的な共同体であるが、面倒でやりきれない部分ももつ。それを自由になるために捨ててしまう人間と、家族を形成しようとする人間、それがここで「マンションの一室-家」という共同の場を巡って、それぞれの関係性の中で描かれているのである。
物語は、事件に関係した人々を第三者がインタビューするという形式で進められているが、それだけに事件の核心から同心円的に広がった関係者のそれぞれの姿が、より鮮明に浮かび上がるように構成されている。
この作品を読了してはじめに感じたことは、これが、人間のアイデンティティーの喪失とも繋がる現代の家族の問題を正面から丹念に取り上げた作品であることと、宮部みゆきという優れた作家が人間を「三次元的」に理解するが故に、また、そこに立脚するが故に、彼女の作品で描かれる人間が生きているのだということ、そして、物語を展開する構想力の豊かさである。
彼女は本質的に長編作家であるだろう。しかも、切れの良い長編作家である。それゆえにまた、現代社会が抱える問題を大上段に振りかぶることなく人間の物語として描くことができるのだろう。これまで読んだ彼女の作品の中で、個人的には『孤宿の人』が一番良いと思っているが、『理由』も直木賞を受賞しただけの作品であることは間違いない。
今日はこれから一泊の予定で御殿場まで出かけ、友人が出した『神の仮面-ルターと現代』(2009年 有限会社リトン)について著者を交えて話し合うことになっている。手前味噌かも知れないが、これはM.ルターの神学の優れた分析である。
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