2010年9月2日木曜日

鳥羽亮『剣客春秋 青蛙の剣』 

 今日も暑い日差しが降り注いでいる。熱気が肌にまとわりついて、じっとしていても汗が滴る。出先で読んだ3冊目は、鳥羽亮『剣客春秋 青蛙の剣』(2008年 幻冬舎)で、できるだけ気楽に読めるものをと思って持っていった小説のひとつである。

 これも、昨日の『はぐれ長屋の用心棒』シリーズと同じように、このシリーズの8作目の作品で、神田豊島町に一刀流の町道場を開いている千坂藤兵衛とその娘夫婦である里美と彦四郎を中心にして、市井の剣客として老いを覚えつつ生きる姿を描いたものである。千坂藤兵衛には、孫娘が生まれ、藤兵衛は好々爺ぶりを発揮していく。

 本作では、道筋でいじめを受けていた少年を助けたことから、その少年が千坂藤兵衛の道場に入門し、彼をいじめていた近くの道場との全面対決となり、それが大身の旗本家内での勢力争いと絡まって、旗本の御前での試合をすることとなり、藤兵衛は少年を鍛え、勇気を持って困難に立ち向かっていく術を教えようとする展開となっている。

 千坂藤兵衛の道場と対決する近くの道場は、あの手この手を使って、自分の道場を拡張していくことを画策し、少年のいじめをそそのかしたり、凄腕の牢人を雇って彦四郎を襲わせたりする。凄腕の牢人には欲はないが、一人の剣客としての矜持から、藤兵衛との対決を望んでいくのである。

 いじめを受けていた気弱な少年は、藤兵衛の指導の下で、勇気を持って立ち向かうことを学び、試合に勝つ。そして、藤兵衛に敵対していた道場は、さまざまな画策をしても、まっすぐな藤兵衛や彦四郎、そして少年の姿勢の前に破れていくのである。理不尽な「いじめ」に対して、まっすぐに相手を見ることは一つの有効な対応である。

 凄腕の牢人は、自分の剣客としての矜持で藤兵衛と対決し、破れ、江戸を離れることになる。

 こうした物語の展開も、剣客シリーズではおなじみのものであるが、作者の剣道の心得が生きて、目を見て対峙し、一瞬の動きを逃さないようにして立ち向かう姿が、いじめられていた少年にしろ、彦四郎にしろ、そして藤兵衛にしろ、件の対決の場面でよく描き出されている。そして、それと同時に、無欲なままで、孫をかわいがり、娘夫婦を心配し、手伝いのおくまに気を使いながら生きている姿が描かれていく。

 鳥羽亮のこうした作品には、市井に生きる姿と剣客として生きる姿の二重の姿が描き出され,それが身近なものを大切にする姿や「無欲」な姿として描き出されるものが多いような気がする。生活人であることと専門家であることの二つの側面がそこで無理なく一致しているところに、彼が描く人物の魅力があるのだろう。だから、対峙する悪はたいていが強欲である。

 人間の強欲は、現実にはあからさまな形では現れないが、人の心の奥底に常に潜んでいて、ある時には正義の仮面をかぶって画策をしたりする。そして、その姿は、鳥瞰的に見れば、どんなに姿形が立派で美しい装いをしていようと、やはり醜いものである。それを見破ることができるのは、ただ、素直で素朴な心だけだろう。素直で素朴な心は、常に生き難さの中に置かれてしまい、強欲でひねり潰されてしまうことが多いのは確かであるが。

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