2010年9月23日木曜日

鳥羽亮『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』

 昨日は季節外れとも思える真夏日だったが、今朝方から急に気温が下がり、予報通り雨が滝つせと降り始めた。台風の接近も予報されているので、これから2~3日はぐずついた天気になるだろう。だが、昨夜はよく晴れた中秋の名月で、久しぶりにきれいな満月を見たような気もする。満月の明かりは、やはり、どことなく神秘を感じる。

 昨夜は鳥羽亮『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』(2006年 徳間文庫)を読んだ。鳥羽亮の作品の中で、このシリーズは4冊が出され、これは2作目である。彼の文庫本作品は、以前に読んだ『はぐれ長屋の用心棒』もそうであるが、書き下ろし作品が多く、書き下ろしが多くなると、主人公や設定が異なっていても、どうしても物語の展開が類似したものになりがちで、市井に生きる剣客が悪徳商人や地回り、あるいは画策を練る強欲な旗本や武家と、彼らに雇われている凄腕の剣客との対決という図式がどこでも展開されるように感じてしまう。

 『極楽安兵衛剣酔記 とんぼ剣法』では、主人公の長岡安兵衛は三百石の旗本長岡重左衛門と料理屋の女中との間に生まれた長岡家の三男で、母親が病死したために長岡家に引き取られて育てられ、長男が家を継ぎ、次男が婿養子として出て、牢人暮らしをしている人物である。

 彼は父親の勧めもあって斉藤弥九郎の練兵館で神道無念流を修め、俊英と謳われるようになったが、酒好きで、「飲ん兵衛安兵衛」と揶揄されるようになり、飲み屋で無頼牢人を斬り殺して道場を破門され、長岡家からも追い出されて、浅草の「笹川」という料理屋の居候として牢人暮らしをしているのである。料理屋「笹川」の女将とはわりない仲となっており、「笹川」の用心棒を兼ねながらも女将の連れ子の父親のような存在にもなっている。

 酒が好きで、酒で身を持ち崩したが、本人はいたって平気で、「極楽とんぼの安兵衛」とも言われたりする気質をもつ人物である。飲んだくれで気ままな生活をしているのである。

 物語は、安兵衛が寝起きしている「笹川」のある浅草で凄腕の武士が関わっていると思われる辻斬りが横行するところから始まる。辻斬りは、浅草の料理屋から帰る大店の主人などを狙って、彼らを見事な腕で斬り殺して金品を奪っているのである。人々は辻斬りに恐れをなし、浅草から遠ざかり、「笹川」にも客足が途絶えるようになる。

 安兵衛は、客足が途絶えた「笹川」の行く末を案じ、また、剣客としての関心からも、辻斬りの正体を暴いて退治するために、一刀流の遣い手であり八卦見を生業としている博奕好きの笑月斎(野間八九郎)や、元は腕利きの岡っ引きだったが追っていた盗人を殺したことから岡っ引きを止め、子ども相手に蝶々売りをしている玄次、魚のぼて振り(行商)をして探索好きの叉八らと共に、辻斬りの正体や背後にいる人間を突きとめていくのである。そして、凄腕の辻斬りと対決していく。

 『はぐれ長屋の用心棒』も四人組であるが、ここでも同じような組み合わせの四人組であるし、剣客としての戦い方の展開も似ているが、設定や展開に無理がないし、牢人としての日常も周囲の人々との関係もこなれた描写がしてあるので、これはこれで面白く読める。もっとも、『はぐれ長屋の用心棒』の方は主人公の大半が老人であり、『極楽安兵衛剣酔記』は、いわば中年である。そして、主人公の極楽とんぼぶりが随所で描かれている。

 こういう主人公の姿は、ある意味では中年期の男の理想かも知れない。力を持っているがそれをあまり表に出さずに、あまり物事に頓着せずに日々の暮らしを営んでいく。必死になって自分の将来を開拓しようとするのとは縁遠く、だからといって決して不真面目でもなく、自分流の生き方を通していく。そして、周囲の人々を大切にし、思いやりも情も持ち合わせていく。そういう姿を、作者は様々な作品の中で描こうとしているのではないかと思う。

 個人的な好みから言えば、丁々発止と剣で闘うような剣客物や戦略を重ねるような野心家を描く戦記物の時代小説はあまり好きではないが、どこか間の抜けたような主人公が市井で生きる姿を描いたものには、つい手が出て読んでしまう。この類の小説はどれも似たようなものだが、それも時代小説の一つの楽しみ方ではあるだろう。現代という時代の中で、どういう姿が理想として考えられているのかを知る上でも、なるほど、と思うところはある。

 今日はお彼岸の中日で、異常気象が続いているが、「暑さ寒さも彼岸まで」ではあるだろう。もちろん、彼岸の月が旧暦と新暦で異なってはいるが。

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