2010年12月29日水曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手裁き 蓑虫』

 気温は低いがよく晴れた冬の碧空が広がっている。年の瀬で人の流れ無車の流れもどこか気ぜわしいところがあるが、とりわけてお正月の準備をするわけでもないので、通常どおりの日々が過ぎていく。

 月曜日に、カフカ論である『彷徨える実存-F.カフカ-』を掲載した機関誌の執筆仲間と来年度の計画などを話し合う集まりをして、池袋の居酒屋のようなところで食事をし、冗談を交わしながら「来年は対馬に行こう」とか「じゃ、また来年」とか、鬼が笑うようなことを言って深夜に帰宅した。相変わらず、遅い電車は人々の疲れも乗せて超満員で圧死が心配されるほどだった。もっとも、いつ、どこで、どのように終わってもいいと思っているが。

 火曜の夜に、坂岡真『うぽっぽ同心十手裁き 蓑虫(みのむし)』(2009年 徳間文庫)を面白く読んだ。これは前に読んだ『うぽっぽ同心十手綴り』のシリーズの続編のようなもので(巻末の広告によるとこのシリーズは全7巻で終わりだが、「綴り」ではなく「裁き」として書き続けられようとしているものだろう)、前シリーズは第三作目の『女殺し坂』しか読んでいないが、中心となる登場人物は同じで、「暢気な顔で飄々と町中を歩きまわる風情から」(10ページ)「うぽっぽ」と綽名されている五十六歳の南町奉行所臨時廻り同心である長尾勘兵衛の思いやり溢れる人情に満ちた姿とその活躍を描いたものである。名奉行といわれた根岸肥前守(時代小説ではおなじみの名奉行)も長尾勘兵衛の深い理解者として登場する。

 ただ、物語の時は流れて、勘兵衛のひとり娘「綾乃」は、彼女に思いを寄せていた若い同心の末吉鯉四郎と結婚し、お腹に子どもができており、行くへ不明になっていた妻の「靜」が記憶のないままで帰ってきている。また、長尾勘兵衛が思いを寄せていた料理屋の女将「おふう」は死んでいる。勘兵衛の深い理解者であり、そっと慰めるような女性であった「おふう」の死は「悲劇」とあるので、何か大きな事件があったのだろう。このあたりの顛末は、シリーズの4作目以降で展開されていると思う。

 本書は、ひどい強盗団に両親をはじめ一家皆殺しにあい、唯一生き残った女が、料理屋を営みながら家族を殺した強盗団を探し出し、その仇を討っていく第一話「降りみ、降らずみ」と、将軍献上の高価な熊の肝(「れんげ肝」と呼ばれる)を横流しして巨利を貪り、藩内の争いに乗じて藩の重臣となった秋田藩の重臣の悪を暴いていく第二話「れんげ肝」、そして、奉行所与力も荷担した抜け荷(密貿易)で巨利を得ていた商人を執念で暴き出していく第三話「蓑虫」から成っている。

 いずれも、人の悲哀から物語が展開され、第一話では家族を殺された女性、第二話では、地方から出てきた百姓のために労していた公事宿の主殺人と、よこしまな計略の中で浪人となって真相を探ろうとしている侍とその家族、第三話では、抜け荷事件を探っていた長尾勘兵衛の親しい同僚であった同心が、発覚を恐れた上からの圧力と悪徳商人の手によって娘を手籠めにされ、失意のうちに、じっと籠もっている姿から「蓑虫」と呼ばれるようになり、癌を患っていたが、娘を犯した犯人とおぼしき者の死体が見つかったことから、最後の力を振り絞って、それと対峙していく姿、そういう姿が丹念に描き出されている。それらがよく考えられて丁寧に構成されている。

 物語の展開の仕方が決して雑ではなく、行き場のない者をなんとかして助けようとするし、やむを得ない悲しみにはじっと耐え、それに寄り添い、欲の絡んだ悪には立ち向かおうとするといったひとつひとつのことに関わる主人公の長尾勘兵衛の切なる思いが伝わってくるので、同心物や捕物帖物の枠を越えて味のあるものになっている。思いやりと慈愛の響きあい、それがこの作品の中で描き出されている。奉行所の管轄外の事件を取り扱う際に、根岸肥前守を「薊(あざみ)のご隠居」として登場させるのもいいし、主人公の慈愛と響かせるようにして彼の名裁きが記されているのもいい。

 このところ年末年始という雰囲気もあって、あまり仕事をする気もなくなっているのだが、そうも言っておられないところもあって、年が明けるまでには少し片づけておこうと思っている。パソコンのフォルダも新年用に新しく作り直さなければ、新年早々の仕事もできないだろう。

2010年12月27日月曜日

米村圭伍『退屈姫君伝』

 晴れてはいるが書斎に座っていると寒さがしんしんと忍び寄ってくる。いささかの疲れを覚えながら土・日曜日を過ごし、暮らしていくだけがなかなか大変だと思いつつ、朝から掃除、洗濯、と家事にいそしんでいた。少しさっぱりしたところで、昨夜読んだ米村圭吾『退屈姫君伝』(2000年 新潮社)について記しておくことにした。

 前にこの作者の『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)を読んで、奇想天外・荒唐無稽の話ではあるが、ひと味もふた味もあるなあ、と思っていたので、その続編と言うか、『風流冷飯伝』がら生まれてきたと言うか、同じ四国の風見藩にまつわる話である本書を続けて読むことにした次第である。

 今回の作品は、同じ風見藩でも江戸屋敷の方の話で、しかも風見藩主の時羽直重の妻となった陸奥磐内藩の姫「めだか」の天真爛漫な活躍を、これもまた面白おかしく語りながら、藩の取りつぶしを画策する田沼意次との対決の中で描き出したものである。

 もちろん、田沼意次以外の人名も藩名も作者の創作によるものだし、人物も戯画化され、物語そのものも荒唐無稽の物語とはいえ、背景となる歴史的検証がかなりしっかりしているので、どこにも違和感はない。『風流冷飯伝』で活躍した幇間の格好をした幕府お庭番の手先であった「一八」の妹「お仙」が、少女ながらも女手先として主人公の「めだか姫」と共に活躍するし、どこか間の抜けたお庭番である倉知政之助も登場するが、何と言っても主人公の「めだか姫」の天真爛漫な個性的な姿が光るし、それでいてほんわかとしたムードの中で名推察と知恵を働かせて難局を乗り切っていく面白さがある。

 陸奥磐内藩五十万石の藩主の末娘として天真爛漫に育った「めだか姫」は、弱小藩である風見藩の時羽直重の元に嫁ぐことになったが、嫁いでしばらくした後、藩主が参勤交代で国元に帰ったために、毎日退屈して過ごさなければならなくなる。退屈をもてあました「めだか姫」は、風見藩江戸屋敷に「六不思議」なるものがあることを知り、その「風見藩六不思議」の謎を解いていこうとするのである。そして、嫁いだ風見藩と親元の陸奥磐内藩との間に交わされた密約があることを知っていく。

 一方、弱小藩である風見藩を取り潰して私腹を肥やすことを企む田沼意次は、幕府お庭番の密偵を放って風見藩の内情を探ろうと倉知政之助を使い、倉知政之助は四国の風見藩に行ったまま所在が分からなくなった手先の「一八」に代わって妹の「お仙」を手先として使うのである。だが、「お仙」も倉知政之助も、「めだか姫」と出会って、その天真爛漫ぶりと素直さに惹かれて、ついには田沼意次の画策が頓挫するように「めだか姫」に協力していくことになる。

 風見藩と陸奥磐内藩の間に交わされていた密約とは、「風見藩六不思議」の一つにも挙げられている下屋敷に関係するもので、財政が苦しい風見藩が苦肉の策として取っていたもので、些細なことではあるが幕府の拝領屋敷に関することなので発覚すれば藩の取り潰しにもなりかねないことであった。田沼意次はそれを知って密約の発覚を企むのである。しかし、「めだか姫」の機転の利いた対抗策で、田沼意次はの画策は見事に頓挫していく。

 大筋はそうだが、たとえば「風見藩六不思議」の六番目は「ろくは有れどもしちは無し」というもので、これが、貧乏藩である風見藩が倹約に倹約を重ねて商人から借金をせずに藩の財政を運営し、藩士は他藩よりもずっと少ない俸禄をもらっていて、涙ぐましい節約ぶりはあるが、そのことを少しも苦労とは感じておらずに、借金(質)がないことを誇り、それを自ら「六不思議」に数えて笑い飛ばしながら生活しているということを意味しているという。そしてそれが、実は物語の全体を流れるものとして物語の最後で記されている。

 戯作ふうの作風の中で、「貧しさに負けず、心豊かにのんびりゆったり暮らしている風見藩江戸藩邸の人々」(307ページ)の姿、そういう大らかな雰囲気が全編を覆っていて、荒唐無稽の話の展開の中で、人の暮らしのあり方をしみじみと、そしてじんわりと考えさせるものになっている。細かいことにこだわったり執着したりせずに、その日の暮らしを大らかに楽しみつつ過ごすことを「よし」とする作者の姿勢がよく、それが直接的な言葉ではなく物語の中でゆっくり示されるのがとてもいい。

 深刻に考えられがちなことを深刻に受け止めないことは人間の器量に繋がっていくことであるが、井上ひさしが語った「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」を彷彿させる。

2010年12月24日金曜日

千野隆司『逃亡者』

 ニューヨークやシカゴでよく使われた「クリスマス寒波」という言葉が日本の天気予報で使われるようになって、日本海側と北陸、北海道では大雪の荒れた天気に見舞われるとニュースで伝えられたが、こちらは晴れた碧空が高く広がっている。ただ、気温は低く、忍び寄ってくる空気は冷たい。今夜は寒いクリスマス・イブになるだろう。

 生来の「ものぐさ太郎」のようなわたしにとって今の時季は特別に睡眠不足になってしまうのだが、昨夜、遅くまで千野隆司『逃亡者』(1998年 講談社 2001年 講談社文庫)を作者の力量を感じながら読み続けた。

 これは、いわば、人生の負を背負って生きなければならない人間の物語である。主人公を初めとする登場するほとんどの人物が何らかの負を背負い、その負に押し潰されそうになりながら生きていく姿が描き出されていく。

 打物屋(包丁や鉈などを売る店)の優秀な番頭として妻とひとり娘に恵まれて暮らしていた主人公の燐之助は、自分の妻を犯して弄んだ破落戸(ごろつき)の錠吉を殺して出奔し、各地を流浪して六年ぶりに江戸に戻り、残してきた妻と娘を案じながら生きている人間である。

 彼が妻と娘の様子をそっと見に行った夜に、ひとりの男が二人の男に襲われている現場に出くわし、その男を助けたことから知り合って身を寄せることになった遊女屋「春屋」の主人庄八は、かつては強盗団の一員であり、わけありの妻「お絹」と遊女屋を営んでいる。彼は、かつての強盗団の首領を殺して強盗団を抜けたことから、その昔の仲間から執拗に命を狙われているのである。

 彼の妻「お絹」は、かつては武家の妻であったが、子どもを産んだ後に病を得て家人から冷たく扱われ、その頃に強盗団を抜けようとして彼女の家の奉公人であった庄八の命を救おうとして強盗団に捕まり、首領から犯され、その時に首領を殺して救い出した庄八と共に逃げた過去を背負っている。庄八と夫婦になって、元の武家に戻る気はないが、自分が生んだ子のいく末を陰からそっと見守っている。

 その遊女屋で働く女たちも、当然、暗い過去を引きずりながら生きている。自分の悲運を決心して引き受けようとする新米女郎、ひどい母親に売られ続けて身を落としていく女、周囲から「意地悪女」と言われながらも惚れた男の病のために身体を売り続けていく女、そういう女たちの姿が主人公の日常の姿の中で絡まっていく。

 燐之助に殺された破落戸の錠吉の兄の辰次郎は、地回りと結託する質の悪い岡っ引きであったが、復讐に燃えて燐之助をつけ狙う。しかし、彼もまた、悪であったころに弟の錠吉に助けられ、そのために錠吉が足を引きずって歩かなければならなくなったという負い目をおっている。そのために、錠吉を殺した燐之助をつけ狙い、燐之助の妻と娘を追い回すのである。そして、ついに燐之助の妻と娘を捕らえ、人質として燐之助をおびき出そうとする。

 破落戸に犯されて汚されてしまったが、一途に燐之助を思い続け、つけ狙う辰次郎の手を逃れながら生きていく妻の「お澄」と父親を慕う娘、そして、遊女屋「春屋」で庄八・お絹夫婦の姿や女たちの姿を見ながら自分の思いを徐々に整理していき、妻と娘を辰次郎の手から救い出そうとする燐之助、そうした心の綾が克明に描かれる。

 これらの人生の負を背負わなければならなかった人たちが、それぞれに自分の悲運を受け止め、その悲運の中で、それと対峙し、そこでもがきながらも生きていく姿が、丁寧に、克明に展開されている。そして、登場人物の視点で同時間的に物語が進行していくので、それぞれの人物のリアリティーと重さが伝わってくる。たとえば、ほんの些細な描写なのだが、

 「朝の日が、障子紙を通して差し込んでいる。やかましく、小鳥のさえずる声が聞こえた。
 春屋の夜が終わった。まんじりともせず、夜を明かした女が二人いる。過ぎ去った日々に執着を持ちつつ、今の動かし難い暮らしがあるお絹。そしてどういう境遇になろうとも、忘れたいこれまでの日々を引きずり、それに縛られて生きるお島。
 蝉の鳴き声が、すぐ近くから聞こえる。今日も暑くなりそうだ」(文庫版 180ページ)

 という描写があるが、ここで描き出される情景は、過去を背負いながらそこから逃れることができないで日々を過ごさなければならない二人の女の心であり、妻を犯した破落戸とは言え、その男を殺した燐之助の過去の重さと、犯された妻をなおも思い続ける心である。

 こうした同時間的な、あるいは同視点的な描写で物語が綴られているので、作中人物が、まるでそこで生きているような展開がされていく。こういうリアリティーのある文章手法は、他の作品でも取り入れられて、それだけ描写が克明となり、作者が確立した真骨頂のような気がする。そして、人間に対する洞察の深さを伺わせる。

 人はだれでも、その大小の差はあっても、負を引きずりながら生きている。人間の生は業が深く、生きることは負を背負うことでもある。その負をどう背負って、どう対峙していくのかが、その人の価値ともなり人格ともなる。作者の作品には、そうした視点が、作者なりの温かさをもって語られる。そこにこの作者の作品の良さのひとつがあることは疑いえないだろう。藤沢周平や池波正太郎の作風も思い起こさせるものもあって、今まで読んだこの作者の作品に「はずれ」はなかった。

 今日はクリスマス・イブで、毎年、この夜は静かに過ごすことにしているが、今年も変わりない。更けていく夜をしみじみと感じながら、「さやかに星はきらめき」という讃美歌を聴きながら過ごす。そういういい夜にしたいと思っているが、どうだろうか。

2010年12月21日火曜日

平岩弓枝『へんこつ』

 このところ日毎に天気も変わり寒暖の差も激しい。もともと寒いのが苦手なのに、身体が外界の変化についていかない気がしている。毎日曜日に、幼稚園の園長もしている知り合いのプロテスタント教会の牧師がニュースレターをメールで送ってくれているが、そのエネルギッシュな活動ぶりにほとほと敬服する。彼から見れば、生来のエネルギー量が少ないわたしのような生活はぬるま湯につかったようなものかもしれない。

 週末から昨夜にかけて、ようやく平岩弓枝『へんこつ(上・下)』(1975年 文藝春秋社 1986年 文春文庫)を読み終えた。1932年生まれの作者が43歳の時の作品で、作者の作家としての力業が滴るような見事な長編小説だと思った。1971年から「週刊文春」に掲載され、1976年から1977年にかけて刊行された松本清張の全5巻に及ぶ『西海道談綺』(文藝春秋社)を彷彿させるような冒険譚も盛り込まれ、女流作家とは思われないような大胆な発想と表現に目を見張るものがあった。

 「へんこつ」とは、作者が文庫版上巻の巻末に「『へんこつ』について」という文章を書かれていることによれば、頑固で偏屈、また反骨精神に富んだような人間を指す中国地方の呼称だそうだが、わたしが生まれ育った福岡や長崎、熊本などの九州北部地方でも「頑固な変わり者」を指す言葉としてよく使われる言葉である。平岩弓枝は、この言葉をこの作品の中で重要な役割を果たしている江戸時代の戯作者滝沢馬琴(曲亭馬琴)を示す言葉として使われ、なるほど滝沢馬琴という人を一言で表すのに最も適切な言葉だと思う。

 滝沢馬琴(曲亭馬琴・1767-1848年)は著名な『南総里見八犬伝』を1814年から1842年までの28年間を費やして書き、著述業だけで生計を立てた日本で最初の作家だといわれるが、武家の出ということもあって人づきあいも苦手で、どこか武骨で、頑固さの点では、恩師であり競争相手でもあった同時代の山東京伝(1761-1816年)や、歌麿や写楽の浮世絵を出した蔦屋重三郎(1750-1797年)も手を焼くところがあったようだ。

 さすがに平岩弓枝はこの馬琴のことを丹念に調べ、その生活ぶりや家族の事情などをうまく盛り込みながら、60-62歳にかけての馬琴をある種の探偵役として登場させ、江戸城大奥に端を発する権力欲と金欲、色欲にまみれた一大事件を展開していくのである。特に、精力的で「おっとせい将軍」と渾名された徳川家斉の愛妾「お美代」の養父として権力をほしいままにした中野清茂(碩翁)が札差と結託して米の価格操作を行い、また、権力掌握のために行った大奥の女たちを虜にした淫靡な行状から派生した事件を描き出していく。

 そして、男と女の情念も、近親相姦や、今でいう性同一性障がいをもつ人物を作品の重要な人物として登場させたりしながら、そのどろどろした姿と苦悩や悲しみを色濃く描き出し、その中で作品の主人公とでもいうべき奉行所同心で馬琴と親しく交わっている青年を登場させ、彼の一途な愛情の姿も描き出す。

 この青年が事件の核心をつかむために長崎に行き、不帰島(富貴島)と呼ばれる秘境(島の一族を守るために自由に性交渉が行われる島)に行ったり、福岡の冷水峠での山崩れで難を逃れたりする冒険譚もあり、物語が長崎と江戸を結ぶ壮大な展開となっている。

 物語の発端は、馬琴の『南総里見八犬伝』に描かれる八房という犬と伏姫の姿のように、大きな犬を連れた不思議な女性の登場を馬琴が目撃するところから始まり、蔭間(男娼)殺しに出くわすところから始まる。そして、六本木の方で大きな犬と不思議な女を目撃したという百姓が殺され、何かに関係していたと目される奉行所与力の変死体が見つかり、馬琴と親しい青年同心の犬塚新吾の探索が始まっていくのである。そして、これらがやがて大奥の女たちの淫靡な習癖や金欲にまみれた権勢者の米価格操作による権謀術策へと繋がっていく。この主人公の名前も『八犬伝』と関係している。米価格操作のために蓄えた米倉を発見するのは馬琴である。実在の馬琴をうまく取り込んだこうした展開と設定は、見事としかいいようがない。

 それにしても、徳川家斉とそれに続く家慶の時代は、江戸時代の中でも最も腐れ斬った時代の一つであり、その大奥で展開されたことや閨房によって権力者となっていった人間やそれにおもねる人間の姿、あるいはそれに端を発する疑獄事件を見ると、人間とは、かくも愚かしいと感じたりするが、それは今もあまり変わらないだろう。とかく性欲と権力欲が絡まると人間はおぞましくなる。

 この作品は『御宿かわせみ』のような作品とは異なった作者の力業の作品だとつくづく思う。力業といっても、作品の中に無理があるというのでは決してない。近親相姦や性同一性障がい者というものが作品の中の重要な鍵となっているだけに、そこに馬琴を絡ませることに作者の力を感じたのである。

2010年12月17日金曜日

山本一力『梅咲きぬ』

 昨日は九州でも雪が降ったらしい。今日も晴れた冬空だが、冷気が忍び込んでくるような寒さがある。昔はこうした寒気の襲来を「冬将軍の到来」と呼んでいたような気がする。わたしは、その「冬将軍」を「ジェネラル・サビンコフ」と名づけていた。周囲の人たちから「?」と言われたりしたが、「さび~」という言葉がよく使われていて、寒気団はロシアから来るので、ロシア風の名前にしたのである。昨日と今日の寒さは、そのことを思い出させた。

 昨夜は、昨年買ったテーブル式のコタツに入って、山本一力『梅咲きぬ』(2004年 潮出版)を一気に読んだ。ことさら優れて文学的な表現があるわけではないが、文章のテンポが良くて、物語の展開の仕方に絶妙な速度感があるので、「読み進ませる」のである。だからといって、これまで読んできた彼の作品と比べ、作品の深みがことさらあるというわけではなく、むしろ、手慣れた内容であるだろうと思った。おそらく、『だいこん』や『菜種晴れ』などに並ぶ花などの植物の名を使った頑張って成功していく女性の姿を描いた一連のものの一つとして位置づけられるだろうと思う。

 『梅咲きぬ』は、『だいこん』(2005年)や『菜種晴れ』(2008年)よりも前に書かれており、2000年の『損料屋喜八郎始末控え』や2001年の『あかね空』の中でも重要な役割を果たす女性として登場してきた深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の姿を描き出したものである。ちなみに、秀弥という器量の大きな老舗料理屋の女将は、彼の他の作品でも度々登場している。

 深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将は、代々「秀弥」という名前を襲名している(こういう設定で山本一力の作品に登場する「秀弥」に齟齬が起きないように工夫されているのである)が、『梅咲きぬ』で描かれるのは、その四代目秀弥のずば抜けた見識と器量を持つ成長の姿と、それを通して母である三代目秀弥の姿である。

 時代は寛延(1748-1750年)から宝暦(1751-1763年)、明和(1764-1771年)、安永(1772-1780年)、天明(1781-1788年)、そして寛政(1789-1800)とめまぐるしく元号が変わっていった時代で、江戸幕府は世情の不安を押さえるために、縁起を担いで改元していったから、そこからもこの年代がいかに世情不安定の中に置かれていたかが分かる。幕府の政策もめまぐるしく変わった。

 そういう時代に、深川の老舗料理屋「江戸屋」のひとり娘として生まれた玉枝は、いつも背筋をしゃんとのばし、思いやりのある細かな配慮をしながらもだれもが認めるような大きな器と物事を見極めていく力で大胆な決断と英断をしていく母の三代目秀弥から、老舗料理屋の女将としての厳しい、しかし愛情ある躾をされて成長していく。玉枝の父親は玉枝が一歳の時に病気でなくなっていたが、玉枝は、その母に応えるだけの資質を持っていたし、その母を敬慕していた。

 玉枝が六歳になった時から上方から出てきた踊りの師匠のもとでの踊りの稽古が始まり、この踊りの師匠がまた彼女に厳しい躾を施していくのである。踊りの師匠とその夫も、人格的で思いやりのある才人で、躾は厳しかったが、玉枝の資質を見抜き、それ以後生涯に渡って玉枝を支えていくようになっていく。

 いくつかのエピソードが描かれていくが、周囲を思いやる心と気配り、そして礼儀、物事や人間を見抜いていく力、事柄を受け入れていく器量と決断力を母親から受け継ぎ、その資質を開花しながら玉枝は成長し、子どもながらに江戸屋の危機を救う知恵を発揮し、十五歳で、若年ながら老舗料理屋の若女将になっていく。

 描かれるエピソードはそれぞれに山場があるし、展開も丁寧なので、玉枝の成長ぶりがよくわかる。そして、その年に敬慕してやまなかった三代目秀弥である母親が病で急逝し、彼女は第四代秀弥となるのである。そして、若年ながら彼女の店の切り回しは群を抜いて、誰からも老舗料理屋の女将として認められるようになっていく。こういう女性の姿は、後に書かれた『菜種晴れ』でも描かれているが、ここでは料理屋としての才覚が細かく描写されている。

 この玉枝の恋も描き出される。相手は、彼女がまだ子どもであった時に、彼女の振る舞いの立派さに心を打たれたある藩の武士であった。彼もまた、物事の道理をわきまえ、心の大きな男であった。だが、料理屋の女将と藩士が結ばれることはない。二人は、契ることは決してなかったが、お互いの思いを寄せつつ、双方共に結婚話にも見向きもしなかった。しかし、藩士が国元に帰らなければならなくなり分かれてしまう。玉枝の恋はそういう忍びやかな悲恋であった。ずば抜けた器量の大きさをもつ才覚のある女性には、そうした悲恋が似合う、と作者は思っているのだろうし、またそれは男女を問わずそうかもしれない。しかし、それは理想的すぎる気がしないでもない。

 この物語でも、深川の富岡八幡宮の祭りが重要な背景として取り扱われ、書き出しもその祭りのことであり終わりも祭りのことで終わっているし、互いに助けあう深川の人情気質というのが理想的に描かれている。老舗料理屋の「江戸屋」の女将が代々にわたって富岡八幡宮の氏子総代であるという設定であるから、その祭りの関わり方で人間の器量の大きさを示すために描き出されるのだが、この祭りの描写は作者の他の作品でも度々登場し、時代や状況の設定も寛政の改革で打ち出された武家の借金棒引き策である「棄損令」を挟んだものであるのはおなじみのもので、いくつかの作品を読んでいると少し興ざめしないでもない。

 物語としては大変面白い。一気に読ませるものもある。ただ、人間を「器量」というもので計ろうとする傾向があることが、この作者の作品についていつも気になることの一つとしてある。それは、わたしが「器量なし」だからかも知れないが、人間をいたずらに美化してしまうことになるような気がするのである。作品の中の多くの登場人物が美化されている。いや、美化され過ぎすぎていると思えてしまう。人とは、五体に欲を内蔵し、もっと利にさといし、弱く脆いものではないだろうかと、ここでも思う。

2010年12月15日水曜日

米村圭伍『風流冷飯伝』

 よく晴れていたが気温が低く、黄昏時から雲が広がって冷え冷えとしてきた。明日からはまた寒さが一段と厳しくなるという予報が出ている。葉の落ちた木々の梢も震えている。

 だが、米村圭伍『風流冷飯伝』(1999年 新潮社)を、その軽妙で奇想天外な着想を楽しみつつ読んだ。本のカバーの裏に記された作者の略歴によれば、作者は1956年横須賀生まれで、1997年に『安政の遠足異聞』で菊池寛ドラマ賞佳作に入選され、1999年に本書で小説新潮長編新人賞を受賞して、本格的な作家活動を始められたようで、「圭伍」という作家名は佳作ばかり五回入選されたことによるらしい。

 この作者のことについては全く無知であったが、わたしがこの本を手に取ったのは、その題名の面白さに惹かれたからで、「冷飯伝」とあるから居場所のない武家の次男か三男の「冷や飯喰い」の境遇にあった誰かの生涯を描いたものかと思ったら、そうではなく、作者が創作したと思える四国の風見藩という小藩を舞台にした少し風変わりな「冷や飯喰いたち」を中心にした小説で、語り口も軽妙なら物語の展開も軽妙で、しかしながら時代や社会に対する風刺も洒落ている、いわゆる「気楽に楽しめる小説」だった。

 物語の中心になるのは、目立つ桜色の羽織を着込んだ吉原の幇間(たいこもち-宴の座を楽しく取り持つ者-)「一八」と、彼が風見藩で知り合った武家の次男の飛旗数馬で、幇間である一八と物事に拘泥せずにのんびりとして心優しい純粋な数馬の絶妙な掛け合いの中で物語が進んで行く。幇間が主人公なのだから、その語り口は洒落に富んでいるのだが、歴史的な知識や文学的な知識も洒落の中にきちんと収められている。

 ともあれ、一八は、幇間ではあるが、老中田沼意次から風見藩を探索するように命じられた隠密の手先として風見藩にやってきて、そこで「見る」ことが趣味だという風変わりでのんびりしている飛旗数馬と知り合うのである。そして、この数馬を通して、他の「冷や飯喰い(武家の次男や三男)」と知り合っていく。数馬の無欲ぶりも群を抜いているし、数馬の双子の兄や兄嫁も特色があるが、そこで知り合った「冷や飯喰い」たちは、皆、一風変わっている。

 お互いがもっている手製の将棋盤と駒を持ち寄って数馬の家で将棋を指している男たち、真っ黒になって毎日魚釣りばかりしている男、身体が大きいので身の置き所がないと思って、自分の物を整理し、ついには自分自身まで整理しようと考えている男、そういう武家の次男や三男が数馬の友人として日々を暇つぶしの穀潰しとして過ごしているのである。

 その風見藩自体に風変わりな慣習や規則がある。まず、城そのものが二層半という中途半端な天守閣をもち、開けた湊(港)の方ではなく南の山側を向いており、武家町も南にあって、通常なら武家が出入りする大手門はその武家町の方にあるのだが、風見藩では大手門は町人町の方に、搦手門(裏門)が武家町の方にあるという門が逆になった造りになっている。そして、男は城を左回りに、女は右回りに廻るように定められているという。つまり、武士はもし右隣に行こうと思うなら城を左回りに一周しなければならないのである。

 さらに、武家の長男は囲碁将棋が禁じられ、武士が対面を隠すために頬かむりなどをして顔を隠してはならない、などの武家の規則が設けられているのである。それらは風見藩の先々代の藩主が定めたものだという。

 その風変わりな風見藩で吉原の幇間を装いながら隠密の手先として一八が探索するのは、藩で一番将棋の強い者とその腕前の程度という、真に人をくった内容だが、それが実は、老中田沼意次が企む藩の取り潰し計画と関係しているという大事へと繋がっていく。

 藩主が帰国して、突然、藩の将棋所を作ると言い出す。将棋はそれまで禁じられていたので藩をあげての大騒動となる。その騒動で一八は、二年前に江戸で流行った流行歌に謎があることに気づき、城の改築を賭けた将軍家治との将棋の勝負が行われることを突きとめていく。田沼意次は、その勝負に勝っても負けても藩を取り潰す腹らしい。

 物語の後半では、展開が一気に進んで行くように構成されている。藩では、将軍との将棋の試合をする人物を選抜する試合が行われ、将棋道を極めようとした人物が慢心から敗れ、将棋とは縁のないと思われていた美貌の青年が勝利する。彼は藩内の武家の娘たちから道を歩くたびに黄色い声をかけられていた青年である。彼の家には難解な詰め将棋の問題である『将棋無双』があり、将棋の才能があった姉が青年に教えていたのである。青年は江戸に出て藩の代表として将軍家治との試合に出る。勝っても負けても藩が窮地に陥ると一八と数馬から知らされた青年は、勝ちも負けもしない「千手詰め」で試合に臨む。そして、事情を察した将軍家治が、「封じ手」をして試合を無期の延期とし、田沼意次の企みは頓挫する。

 一件が落着して、一八は江戸に帰ろうとするが、数馬から藩には秘密の文書があると聞かされ、その文書の探索を命じられて再び風見藩に戻っていくところで終わる。

 こうした物語の発想そのものが奇想天外で滑稽極まりないが、風見藩の姿について、「どうにかやりくりをしてゆくために皆がほんの少しずつ我慢する。それでこの藩はうまくのんびりゆったり成り立っているのでしょう。いえ、もしかしたら・・・ただ我慢しているだけではなく、遊び心で我慢を楽しんでいるのかも知れません」(253ページ)と記すあたり、なかなかどうして、無理難題を押しつける権力に対する庶民の抵抗の姿を描き出すものである。

 この作品は、面白いの一言に尽きるが、そこには人間味が溢れる面白さがある。読後の爽快感と期待感もある。こうした洒落た滑稽本は最近では珍しいと思う。

 今夕、中学生のSちゃんが来たので、数学の絶対値というものの考え方を話したりした。絶対値という考え方は、極めて西欧的な感覚から生まれてきた考え方だから、「絶対」なるものを想定してこなかった日本人の日常的な感覚で理解することが難しいだろうとは思う。中学生も、今は、本当に大変だ。Sちゃんはヴァイオリンの演奏もし、今度、発表会でモーツアルトのヴァイオリンソナタ5番を弾くといって、その練習もしている。いつか聴く機会もあるだろう。

2010年12月13日月曜日

宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』

 冷たい凍るような絹雨が降る月曜日になった。山沿いは雪かも知れない。
 土曜日の夜と日曜日の午後にかけて宮部みゆき『本所深川ふしぎ草紙』(1991年 新人物往来社 1995年 新潮文庫)をしみじみと読んだ。

 これは、1992年の吉川英治文学新人賞の受賞作品で、連作の形を取った短編集でもあるが、彼女の感性の豊かさとそれを表現する表現力の絶妙さ、物語を構成する構成力と展開の巧みさがよく現れている作品だと思った。

 かつて、1999年に彼女が『理由』で直木賞を受賞した際に、井上ひさしが「驚くべき力業に何度でも最敬礼する」と讃辞を寄せたことがあるが、『本所深川ふしぎ草紙』は、「力業」というよりも作家としての情感溢れる資質の豊かさが開花している作品だと思う。

 江戸の深川に「本所七不思議」と呼ばれるような現象があった。両国橋の北の小さな堀留に生える芦(葦)の葉が、どうしたことか片側だけにしかないこと(片葉の芦)、夜道を独り歩きしていると、提灯が浮くようにして後をついてくること(送り提灯)、夕暮れ過ぎに本所の錦糸堀あたりを魚を抱えた釣り人が通りかかると、どこからともなく「置いてけ」と声が呼びかけられ、家に戻ると魚を入れていた魚籠が空っぽになっていること(置いてけ堀)、松浦豊後守の上屋敷の椎の木が、秋の落ち葉の季節になっても一枚の葉も落とさないこと(落ち葉なしの椎)、夜中にふと目を覚ますと、どこからともなくお囃子が聞こえてきて、翌朝調べてみてもどこにもそんなお囃子をしている所などないこと(馬鹿囃子)、ある屋敷で人が眠っていると、突然天上から大きな足が降りてきて、「洗え、洗え」と命令し、それをきれいに洗ってあげれば福が来るし、いい加減に洗うと災いが起こること(足洗い屋敷)、そして最後が、ある蕎麦屋の掛け行灯の火が、油も足さないのにいつも同じように燃えていて、消えたところを誰も見たことがないこと(消えずの行灯)の七つである。

 作者はこの「本所七不思議」の絵を錦糸町駅前の人形焼き屋の包み紙で見て着想したそうであるが、それを、「本当に深い意味で人を助けること」を行っていた父親とそれが理解できないでいた娘、その娘の気まぐれで食事を恵まれ、その娘に思いを寄せることで忍耐してきた男、自立できるように助けられた兄妹の思い、それらを「片葉」として描き出したり(「第一話 片葉の芦」)、自分のことを心底心配してくれた男の思いを誤解していた娘の心情として描き出したり(「第二話 送り提灯」)、一つのことを罪の意識で受け取る者と、それを自分への励ましとして受け取る者の姿として描き出したりする(「第三話 置いてけ堀」)。

 あるいはまた、第四話「落ち葉なしの椎」では、「七不思議」は、罪を犯して島送りになり帰ってきた父親と、幸せをつかもうとする娘の関係として心情豊かに描き出され、第五話「馬鹿囃子」では、「あんたのまずい顔が嫌いだ」と言われ女に捨てられて「顔切り魔」になった男と、婚約が整っていたのに相手の男が他の女を好きになり、「きれいとは思えない」と言われて捨てられ気を狂わせてしまった女の姿として描き出されている。

 貧しい家に生まれ、宿場で人の足を洗って成長してきた女が、汚い足を洗い続ける夢を見るたびに、貧乏が恐ろしくなり、金が欲しくなって、その美貌と色艶で商家の主を殺して財を奪う女になっていったという第六話「足洗い屋敷」、結婚するなら真面目で優しい働き者の男だと決めていた娘が、子を失って狂った妻のために「偽の子」になることを依頼されていく中で、夫婦の微妙な関係を知っていく第七話「消えずの行灯」も、どこかやるせなくて切ない人の心のひだとして描かれているのである。

 人間に対する視点や物語の展開も絶妙なものがあるが、本書でも、その表現の豊かさには脱帽するところが多々ある。

 まず、第一話「片葉の芦」の書き出しは、「近江屋藤兵衛が死んだ」というものであるが、何の情景描写もないこの独自の書き出しは、それによってここで描き出される物語に急激に引きづり込まれる力を持っている。A.カミユの『異邦人』の書き出しも「昨日、ママンが死んだ」という衝撃的な書き出しだが、それを彷彿させる。そして、最後は、
「『片葉の芦』
 お園がぽつりとつぶやいた。
 『不思議ねぇ。どうしてかしら』
 二人のうちの一人の心にしか残されていなかった思い出を表すように、片側だけに葉をつける-
 『わからねぇからいいのかもしれねぇよ』
 彦次はそう言いながら、ひょいと手を伸ばし、芦の葉を一本、ぽつりと折った」(文庫版 46ページ)
で終わる。折られた芦の葉のように余韻が残る終わり方であり、「片葉の思い」を持ち続けた男女二人の行く末を想像させて終わるのである。

  第二話「送り提灯」では、その初めの部分で、八歳で煙草問屋に奉公に出なければならなかった「おりん」が、飯炊きをする場面が描かれ、「おりんは毎朝、小さな胸が破れそうなほどに火吹き竹をふかなくてはならない」(文庫版 49ページ)と記されて、この少女が懸命に働き続けたことがこの一文だけで伝わってくる。この「おりん」が、煙草問屋のお嬢さんの言いつけで夜中に回向院まで行かなければならなくなり、暗闇の中を歩き出す姿が、「勝手口を出ると、木枯らしが吹きつけてきた。夜の木枯らしには歯があった。おりんは身体を縮めた。左手に下げた提灯の火の色も縮まった。・・・町並みを包んでいる闇は、手を触れれば重く感じられそうなほどに濃い。味わえば、きっと苦いに違いない」と描き出される。こういう感性と言葉の使い方には舌を巻く。

 こうした豊かな表現が至るところにあって、それが主人公の心情や状況を見事に反映しているから、物語が豊かになっている。

 宮部みゆきは卓越したストーリーテラーとして高い評価を得ているが、表現力も卓越していると思う。なお、この短編集には物語の引き回し役として「回向院の親分」と呼ばれる岡っ引きの「茂七」がどの話にも共通して登場しているが、茂七の事件の裁き方も思いやりの深いものとなっている。この人情溢れる「茂七」を中心にした『初ものがたり』も先に読んでいたとおりである。

2010年12月10日金曜日

千野隆司『霊岸島捕物控 新川河岸迷い酒』

 気温は高くないが、抜けるような冬の蒼空が広がっている。葉の落ちた銀杏の細枝が天を指している。このところ季節の忙しさと合わせて、春から夏にかけて書いた『彷徨える実存-F.カフカ』を掲載する雑誌の校正などに時間を取られていた。これは印刷物として出すのだが、この論文はPDFにしてご希望の方に配信することにした。

 その間、夜に千野隆司『霊岸島捕物控 新川河岸迷い酒』(2003年 学習研究社)を面白く読んだ。これは、多分、先の『大川端ふたり舟』に続くシリーズの2作目だろう。変わらずに濃密で繊細な推理の組み立てがされて、多くのどんでん返しが用意されている。先の『大川端ふたり舟』が、隅田川河口にある霊岸島の岡っ引きの娘「お妙」を中心にして描かれたのに比し、本作はその父親である岡っ引きの五郎蔵の姿を中心に、霊岸島に多くあった酒問屋の乗っ取り事件に関連した話が展開されている。

 物語は五郎蔵の縄張り内で酒臭い小便をかけられて男が殺される事件が連続して起こるところから始められている。その犯人の探索と同時に、五郎蔵は酒問屋同士の仕入れ量にまつわる約定破りの探索を始めていた。江戸幕府は当時の経済の基盤であった米を使う酒造りとその流通には厳密な統制を強いていたが、米価の下落を防ぐために、宝暦4年(1754年)と文化3年(1806年)に「勝手造り令」を出して、酒製造の統制をゆるめた。作品は文化3年の大火の後の「勝手造り令」のことである。

 この「勝手造り令」によって江戸酒問屋の酒の仕入れ量は自由化されたが、酒問屋の株仲間では酒の価格を維持するために厳密な仕入れ量に関する取り決めをしていた。しかし、その約定を破って大量の酒を仕入れて売りさばき莫大な利益を得ることをもくろむ者が出ると五郎蔵は考えていた。そういう問屋を探し出して、脅しをかけて多額の口止め料をいただこうと考えていたのである。

 江戸の岡っ引きの生計については、佐藤雅美の『半次捕物控』のシリーズでも詳細に検証されているが、「引合を抜く」(軽犯罪の罪を見逃すことで、犯罪にかかる費用を軽減するための手数料を得ていくこと)ことや、商家からの袖の下(事件が起こった時にもみ消してもらう)をもらうことが大きな収入源であったのだから、五郎蔵が酒問屋から口止め料を取ろうとしたのは岡っ引きとしては当然のことであり、市中の治安維持と社会生活の円滑化の役割も果たしたことであった。もちろん、よこしまで強欲な「悪の塊」のような岡っ引きも多数存在したが、武家社会の支配の中で町人が生き抜く弁法としてそうした行為が行われていたのである。

 五郎蔵は、その意味では「まともな」岡っ引きであり、正義感も義侠心も強い。娘の「お妙」も正義感も強く人情家であり、他の点では父親の五郎蔵と反目しているが、その点では父親を認めている。だが、殺して酒臭い小便をかける犯人の探索も、約定破りの酒問屋の探索もなかなか進まない。

 五郎蔵が廻る酒問屋のひとつに、彼の幼なじみの「お喜和」がきりもりする「丹波屋」という酒問屋があった。「お喜和」は小さな甘味屋の娘であったが母親がひどい女で、男を作り逃げて、地回り(やくざ)と結託して、借金の形に甘味屋を脅し取ろうと画策したりする女であった。当時、五郎蔵は塩問屋の手代をしていたが、甘味屋に脅しをかける地回りを追い払った。そしてそのことを恨みに思った地回りから狙われ、五郎蔵は地回りを打ちのめした。しかし、そのことで五郎蔵は塩問屋を首になり、その五郎蔵を土地の親分として親しまれていた岡っ引きが手先として使ってくれたのである。

 「お喜和」は五郎蔵に思いを寄せていた。五郎蔵も妹のようにして接していた。五郎蔵と「お喜和」の縁談話がないわけではなかった。だが、五郎蔵は好きな女があり、その女との間に子もでき(その子が「お妙」)、所帯を持った。そして、「お喜和」は、このままいけば落ちるところまで落ちるだろうと言われるほど荒れた。見かねた五郎蔵が意見をしに行った時、「お喜和」は自分の長年の思いを伝え、「一度だけ抱いて。そしたら、まっとうな暮らしに戻るから」(77ページ)と言って、一度だけ関係を持った。五郎蔵と「お喜和」の間には、そういう関係があったのである。

 その後「お喜和」は約束どおりまっとうな暮らしをはじめ、父親の葬儀の際に酒問屋の「丹波屋」から見初められ、後妻となり、主亡き後、弟と丹波屋を盛り上げてきていたのだった。「お喜和」は三十八歳になるが、美貌のきりりとしたいい女であり、色香もある。いろいろな噂もあるが、毅然として酒問屋の女主として見事に店をきりもりしている。知恵も度胸もある。

 だが、この「お喜和」が、初春新酒番船で賑わう河岸から誰かに突き落とされる事件が起こる。いつも誰かにつけ狙われている気配もある。酒の仕入れ量の約束破り問屋を探索していた五郎蔵もそれを案じ、いつしかふたりの間に微妙な関係が生じてくる。「お喜和」は再び酒樽をころがされて狙われる事件が起こり、五郎蔵を頼りにするようになる。五郎蔵は、小料理屋を営む「お紋」という女性を生涯共にする女性と決めているが、「お喜和」との間の微妙な関係でも揺れていく。「お紋」は、五郎蔵の子を宿している。

 その「お喜和」の事件の背後には、酒問屋のまとめ役であった「大垣屋」の巧妙に仕組んだ乗っ取りがあったのである。酒の積み出し量から荷揚げ量まで粘り強く丹念に調べていた五郎蔵は、まとめ役でありながら自らの利のために約定破りを企み、巧妙な乗っ取り計画を企む「大垣屋」の正体を暴いていく。「大垣屋」は幕府の勘定吟味役も取り込み、大がかりな仕掛けをしていたのである。

 だが、実はそのこと自体も店を守ろうとする「お喜和」の計算であったことが判明していく。殺した遺体に酒臭い小便をかけていた男もつかまる。先の火事で女房と子どもを失い、酒に逃れていた小心者の職人だった。だが、「丹波屋」の番頭を殺したのは自分ではないと言う。そして、殺した者に酒臭い小便をかけていた酒乱の事件を利用して、裏切った番頭を殺したのが、「お喜和」と共に店を守ろうとしていた弟であったことがわかっていく。

 事件の顛末はだいたい以上のようなことではあるが、展開は丁寧で微細なところにもしっかりとした仕掛けが施されている。きめの細かい丁寧な物語の推移の中で、ひとりの女性が、思う男とは添い遂げられなかったが、それでも結婚した相手との生活を慈しみ、亭主が亡くなった後の店を立派にきりもりし、それを守ろうと懸命になり、様々な噂や風聞の中でも毅然とし、言い寄ってくる様々な男の色欲をうまくかわしながら、生き抜いていく姿がいろいろな場面の中で描き出される。計算もする。画策もする。だが愛する男への思いを胸の底に秘めながら、きっぱりと江戸ところ払いとなって五郎蔵の前を去っていく。その生き方には、どこかすごみすらある。

 こういう女性と、その間で揺れる五郎蔵の姿を、本作は見事に描き出している。この作品の優れたところは、欲や保身をする人間も登場するが、根っからの悪意をもった人間がいないところだろう。犯罪は起こる。事件も起こる。だが、それぞれに犯人には事件を起こしてしまう弱さがあり、それぞれの弱さが描き出されるところである。人はそれぞれの事情の中で罪を犯す。その事情は自分勝手なものに過ぎないが、その自分勝手になってしまう「弱さ」が丹念に描かれるところが、本作を読み応えのあるものにしている。それは、事件を探索する岡っ引きの五郎蔵の姿にも明瞭に描かれるものである。五郎蔵は愛する「お紋」との関係、娘の「お妙」との関係に心底悩んでいく人間である。人間のリアリティーということから言えば、そこにこそリアリティーがあるのだから、その意味で内容が豊かな作品だとおもう。優れたミステリー仕立ての「捕物帳」物であると同時に、人間が描かれるところがいい。

2010年12月6日月曜日

山本一力『菜種晴れ』

 昨夜が遅かったので、今朝はゆっくり起き出して、時間をかけてコーヒーを飲みながら新聞に目を通し、ぼんやりと過ごしてしまった。それからおもむろにベートーベンの交響曲第7番とバッハのピアノ協奏曲第1番をかけながら掃除機をかけ、雑巾で拭き掃除をし、シャワーを浴びて、いくつかのたまった書類や連絡事項をかたづけていた。これで小さな庭か畑でもあればゆっくりした日になるだろうが、車の騒音と家々に囲まれて予定に追われることの多いこの地では望外のことだろう。

 山本一力『菜種晴れ』(2008年 中央公論社)を、ある種の感動とある種の作者の思惑を感じながら読み終えた。感動というのは、房州(千葉県南部)勝山の菜種農家に生まれた主人公の「二三(ふみ)」が五歳の時に愛する家族のもとを離れ、江戸深川の油問屋に養女にやられるくだりが、家族や兄姉の切々とした思いで満たされ、また、愛する家族のもとを離れなければならない「二三」の健気さが、一面に広がる黄緑色の菜種畑の風景の中で克明に描かれ、その姿が深く胸を打つからである。

 物語の半分近くが、その五歳の少女が経験する別離の悲しみで満ちている。菜種農家の次女として生まれ、両親にも兄や姉にも愛され、母親にもきちんとしつけられて無邪気で利発な少女として育った主人公が、大人の思惑で、別離の悲しみと不安で小さな胸をいっぱいにし、それまでとは全く異なる江戸深川の油問屋に養女として旅立ち、その運命の中を健気に生きていこうとする。

 江戸について九日目の朝、油問屋の養父母は「二三」を我が子のように可愛がり、大事にし、高価な雛人形までも用意してくれ、「二三」はその養父母の優しさと愛情を十分に感じるが、ひとり、故郷の勝山にあった大田橋と同じような深川の黒船橋にでかけ、その欄干から小さな小石を落として波紋をじっと見つめる。

 「五歳の二三にも、みふく(養母)のやさしさが伝わってくる。それゆえに、悲しい顔を見せることはできないと思い、嬉しそうな顔をつくった。
 笑っていながら、胸の内には悲しさを募らせた。が、だれにも泣き顔は見せられないのだ。大田橋そっくりの黒船橋でしか、二三は泣くことができなかった。
 三個目の石を川に落とした。
 涙も一緒に落ちた」(120-121ページ)

 五歳のいたいけな少女が橋の上でうずくまり、背中を振るわせながら涙をぽろぽろこぼす。その光景を思い浮かべるだけで、もう胸が張り裂けそうになって涙があとからあとから流れてしまう。

 妹が養女に出されることを知った兄が、ひとり、菜の花畑の物見やぐらの上でそぼ降る雨に打たれながら立っている光景、七歳の姉が「お守り」だといって菜の花を手折って差し出す光景、船に乗った「二三」をいつまでも見送り続ける家族、夏に会いに来るといった父が暴風雨のために足を悪くして来られなくなったということを知って手習いの墨を握りしめながらすり続ける五歳の二三の姿、大事にされて幸せに暮らしているように見えても、思わず「おかあちゃん」と胸の中で呟いて涙を流す「二三」、そうした光景が展開され、泣けて泣けてしかたがなかった。

 小さな子どもが、その子なりに自分の運命を健気に生きていく姿に、わたしは感涙を禁じ得ない。宮部みゆき『孤宿の人』を読んだ時もそうだったが、小さな子どもは、いつでもだれでも一所懸命だ。自分の運命や環境に適合しようと懸命に生きている。成長していろいろなことを覚えていくにつれてそれを失っていってしまうが、素直で素朴で健気な子どもは、賢しらな知恵で策略を練ったり画策したり、世の中をうまく泳ぎ渡ろうとしたりする人間とは比べものにならないくらい尊い存在であるに違いない。主人公の「二三」は、そんな五歳の少女である。

 とはいえ、主人公の「二三」は、油問屋の養父母から可愛がられ、周囲の人からも大切にされ、彼女の才能や器量を認める大人たちに囲まれ、また大人たちの心を動かすほどのものをもっている。郷里の母親の教えも周囲の人たちの教えも素直に受け取り、それをしっかり身につけて成長していく。素直で素朴であることは大きな成長のための重要な要素だが、彼女はそれをもっているのである。

 一流の料理人や芸事の師匠、祭りの采配を握る香具師の親分などからも彼女の資質は認められ、養父母もまた人格者として彼女を愛情で包む。「二三」は、愛する家族との別離の悲しみを胸に抱えているとは言え、守られて幸せに暮らしていく。だが、十五歳になった時、江戸深川一帯の大火事で養父母を失い、彼女の油問屋が大火事被害の拡大を招いたということで油問屋の店も取り潰される。そして、若干十五歳ではあるが、彼女は店の蓄えの一切を使って奉公人と火事で焼け出された人たちの救済をし、自らは小さな木賃宿で暮らし始める。

 そうしている内に、彼女のきっぷに惚れた香具師の親分の配慮などで、故郷の母親を呼んで深川で天ぷら屋を始める。母親も喜び、天ぷら屋も軌道に乗り始め、許嫁もできた。しかし、再び不運が彼女を襲う。彼女が許嫁との結婚話で故郷の兄の家に行っている間に、大地震(安政の大地震-1855年)で母親も許嫁も天ぷら屋も失ってしまうのである。そして、地震後に母親と許嫁の安否を尋ねる際に知り合った老婆のところに身を寄せ、そこで菜の花を植えて、菜の花畑を作っていくのである。不運の中を生き抜くそういう姿が、物語の後半で展開されているのである。

 最初に作者の思惑を感じると書いたのは、まず書き出しの「序章」が、最後に三十歳を過ぎて菜の花畑を作っている彼女が一面に咲く黄色い菜の花の花畑の中でこれまでを回想するという設定になっており、それはそれで美しい光景だが、どこか映像化を意識したような書き出しになってしまっているところで、私見を言わせてもらえば、序章はない方がよい気がしたことがひとつである。もう一つは、作者は器量が大きくて優れた人間がどうも好きなようで、主人公が資質豊かで決断力もあり、しかも深い思いやりをもつ人間であると同時に、それを見抜く人間が周囲にたくさんいすぎる気がすることである。

 「人を見抜く」というのは、昔から優れた人間の能力としてひとつの理想像のようにして語られてはいるし、人には確かに器の大きさ小ささがあるが、『バカの壁』を持ち出すまでもなく、人間にはそういう認識能力はほとんどなく、「見抜いている」と思っているのは幻想のようなもので、人の器量というものはそういうところにはない。人の器量の大きさは受容の大きさに他ならない。

 作者の思惑として感じたもう一つのことは、どうも「成功」の基準が、人から立派に思われたり、良いと思われたり、あるいは商売がうまくいったりといった社会的評価にあるようで、そのことを促すような意図が見えるような気がすることである。本作での主人公の「二三」は、火事や地震などで愛する者や財産を失っていくが、最後に行き着いたところは、三千坪もの菜種畑での菜の花の栽培であり、決して失意の内に終わるのではない。

 「序章」に、その菜の花について、三日間続いた暴風雨に耐えた菜の花について「緑色の茎は、土にしっかりと根を張っていた。葉は一枚もちぎれておらず、元気に朝日を浴びている」(4ページ)という描写があり、本作そのものが、その菜の花のように生きたひとりの女性の半生を綴るもので、絶望せずに、悲しみにうちひしがれずに、まっすぐ健気に生きる姿を描いたものに他ならない。それは決して世に言う成功者の姿ではないが、作者のひとつの理想の姿のような気がする。そして、そこにどこか、人から立派に思われることを重点にしているような気がしないでもないので、そのあたりに「作者の思惑」のようなものを感じてしまうのである。

 こうした感想には、作者が極めて現実的な政治や経済に関わっているというわたしの先入観があるのかも知れない。それらの私見はともかく、根をしっかり張って暴風雨に耐えていく菜の花のような女性の姿を描く本作は、一息に読ませるものがあり、大きな感動のある作品であることには間違いない。

2010年12月4日土曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 女殺し坂』

 金曜日の朝、かなり激しい集中豪雨があり、強い雨風に打たれて街路樹の銀杏の葉がほとんど落ちてしまった。今日、気温は高くないがよく晴れ渡っている。今夜アイリッシュハープの演奏によるコンサートを聴くことにして準備を進めていたところ、熊本のSさんから心のこもった便りをいただき、「有り難き思い」をしみじみ感じた。

 昨夜、あまりよく眠れないままに、坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 女殺し坂』(2006年 徳間文庫)を一気に読み終えた。巻末の「著作リスト」によれば、この作品はこのシリーズの3作目で、前にこの作者の『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』(2008年 双葉文庫)というのを1冊だけ読んで、話の展開がどこか簡明すぎる気がしていたのだが、『うぽっぽ同心十手綴り 女殺し坂』は、改行の多い文体はともかく、なかなかどうしてじっくりと展開された内容をもつ作品だった。

 中年を過ぎた南町奉行所の臨時廻り同心である長尾勘兵衛は、「うぽっぽ」と渾名されるほどのんびりした性格であまり役に立ちそうもないし、他の同心のように商家や諸大名からの付け届けもきっぱり断るので奉行所では浮いた存在であるが、人情家で、罪を犯した人間には情けをかける男である。しかし、優れた明察力をもち、剣の腕もたつ。そして、大悪には決然と挑んでいくような男である。この作品の中では「うぽっぽ」という渾名についての説明はないが、「暢気者(のんきもの)」とか「いいかげん」とかいう意味だろう。

 彼のそういう姿を知っているのは、同じように中年過ぎの岡っ引きの銀次と南町奉行である根岸肥前守だけであり、それに長尾勘兵衛のひとり娘「綾乃」に思いを寄せている若い同心の末吉鯉四郎と、勘兵衛の屋敷内で間借りをして金瘡医(外科医)をしている井上仁徳が加わる。岡っ引きの銀次は女房のおしまに湯屋をさせており、勘兵衛はその湯屋を贔屓にしており、末吉鯉四郎は中気を患っている祖母と近所の同心長屋に暮らす好青年で、小野派一刀流の練達者である。医者の仁徳はおおらかにすべてを呑み込んでいく人格者である。そして、この作品の中でも根岸肥前守は、名奉行として長尾勘兵衛の大きな理解者として登場する。

 勘兵衛の妻「靜」は、娘の綾乃が一歳の時に、理由も分からずに失踪しており、その「靜」の行くへが第三話「月のみさき」で事件の重要な鍵を握るものとして展開されている。勘兵衛は未だに靜の面影を引きづり、料理屋の女将「おふう」に思いを寄せたりするが、そのあたりの兼ね合いが微妙で、それが巧みに描き出されたりしている。

 本作の第一話「女殺し坂」は、勘兵衛と親しかった昔の同僚が、勾配が急で牛鳴坂とも女殺し坂とも呼ばれる坂で斬り殺されるという事件に端を発する幕府の奥医師や奉行所年番方与力(筆頭与力)、目薬屋の大店の絡む事件の顛末を記したものである。牛鳴坂(女殺し坂)は麻布にあった。そこで、勘兵の元同僚をはじめ4人の人間が殺された。最初に殺されたのは勘定所組頭をしていた侍で、彼は目薬屋の大店が利権のために奉行所年番方与力を賄賂で取り込み、幕府奥医師のお墨付きをもらうために冥加金(みょうがきん-税金)をごまかしていた事件を探っていて、奥医師が雇っていた腕の立つ武士に殺されたのである。

 侍の妻は、夫の死の真相を探るために目薬屋の大店の下女になったりして、勘兵衛の元同僚に相談しているうち、双方親しくなるが、相手が巨悪のためにどうしようもなくなっていく。そうしている内に、その元同僚が事件の隠蔽のために殺され、彼女も死んでしまう。彼女から掏摸取ったもので目薬屋の大店と元同僚の妻を強請っていた掏摸も殺される。勘兵衛自身も筆頭与力から圧力を開けられたり、命を狙われて武士から斬られ、生命の危機の淵に陥ったりする。

 事件の真相を探り当てた長尾勘兵衛は、相手が幕府の奥医師や上司である奉行所の筆頭与力も絡んでいることもあり、公にしても握りつぶされるし、公にすると元同僚の不倫も明るみに出ることもあって、密かに意を決して、岡っ引きの銀次と共に巨悪の三人を討つ。若い同心の鯉四郎もそれに加わる。こうして事件が終わるのであるが、殺された女は、元同僚の妻が悋気で殺したことが分かる。しかし、勘兵衛はそのことを明るみにせずに、元同僚の妻がこれからも生きていくことを願う。

 この第一話は、やむを得ない罪はこれを許していくが、同心の身分では手が出せないような欲が絡んだりする巨悪には決然と対峙してこれを討っていく主人公の姿が描き出されるのだが、事件の内容に手が込んでいて、しかも、男女をはじめとする様々な人間模様が事件の経過にあわせて丁寧に描き出されているので面白い。死ぬより生きる方がつらいという視点も一貫して、しかもそれが静かに語られるのがいい。

 第二話「濡れぼとけ」は、加賀前田家の氷奉行(加賀前田家では毎年夏に将軍に氷を献上していた)が罠に嵌められて切腹させられ、その仇を討つために娘が罠を実行した中間を殺した事件をきっかけに、罠を仕組んだ現氷奉行の企みを暴いていく話で、物語の発端が、医者の井上仁徳が献上氷のお下がりをもらってくるという主人公の身内の話から始まるのがいい。仇を討つ娘に荷担したのは、美人局でしくじって失職した元同心で、その失職した元同心の離散した妻と娘が、探索の過程で加賀藩と関係のある大店の後妻となっていることが分かり再会させるところもいい。彼が氷で仏像を彫る姿も物語の妙となっている。

 仇を討つ娘の姿が、最初は色仕掛けで中間を惑わす女の姿であるが、後には十六歳の凛として(なまえも「りん」)仇に立ち向かう姿となり、それがあまりにも異なっている気もしないでもないが、事件の探索の展開は丁寧で、ここでも外様の大藩の氷奉行を相手にするのだから、奉行所の公務として事件を明るみに出すことができずに、単身乗り込んで罠に嵌めた現氷奉行を罰していく。そして、ここでも長尾勘兵衛は娘にも元同僚にも縄をかけることをしない。人が生きていくためには罪のゆるしが必要で、罪ゆされた者は、ゆるされたことの重荷を背負わなければならないのだから、そのことが結末で示されるこういう展開は、わたし好みの展開である。

 第三話「月のみさき」は、罪をゆるしていく人情家である長尾勘兵衛の甘さを逆に憎み、昔彼に助けられたことのある男が強盗となって江戸に戻ってきた話で、この男は勘兵衛の妻「靜」が記憶を失って放浪していたのを広島で助け、それと知りつつ、強盗の手引きとして使ってきており、江戸で彼女を囮にして悪徳商人と手を組んで強盗を画策するのである。記憶を失った「靜」の姿が克明に描かれていく。

 最後は、男の企みを見破った勘兵衛によって強盗は阻止され、罪なき者を殺した男は勘兵衛によって討たれるが、「靜」は帰ってこずに、遊女にひろわれて、その後の彼女の転落が暗示されているところで終わる。味のある終わり方だと思う。

 この作品は、作者によってよく考えられた作品だと思う。描かれる人物像も多彩で、事件の顛末も丁寧である。もちろん、作品としてのいくつかのことを残念に思ったりするところもあるが、シリーズ物としてはちょっと読んで見たいと思う作品だった。

 夕方になってずいぶんと冷え込んできた。外出にはコートが必要かも知れない。そろそろ冬支度の三種の神器であるコート、マフラー、手袋がいるだろう。

2010年12月2日木曜日

澤田ふじ子『はぐれの刺客』

 師走の風が吹くようになった。どんよりと曇った空から雨が落ちそうである。考えることがいくつかあって、昨夕は、久留米のSさんが送ってくださった田主丸の富有柿を食べながらぼんやりと時を過ごしていた。柿は、お腹が冷えるのが難点だが、ビタミンが豊富で、ビタミンが欠乏しがちな生活では重宝している。それから読みさしていた澤田ふじ子『はぐれの刺客』(1999年 徳間書店)を読み終えた。

 岐阜の大垣藩の藩士の次男として生まれた主人公の甘利新蔵は、剣の腕は藩随一であるが、どこか鬱屈したところがあるということで道場主から疎んじられ、かといって養子の口もない部屋住み(居候・冷や飯食い)の身をもてあまし、根は正直で、気さくで、人の良いところをもちながらも屈折した気もちで日々を過ごしていた。

 彼は友人の妹「五十鈴」に思いを寄せ、「五十鈴」も彼を慕っていたが、部屋住みの身のために結婚もできず、そのうち「五十鈴」の両親から彼の境遇故に疎んじられるようになり、やがて「五十鈴」は藩の普請奉行の息子で彼の友人でもあった中井三郎助と結婚するという。彼は二人を祝すが、どことない怒りを覚え続けた夜、城下で起こった強盗事件で強盗を怒りにまかせて斬り殺す。そして、強盗を殺してほめられるどころか、その殺し方があまりにも残忍ということで蟄居(幽閉)を命じられてしまう。忍耐の尾を切らしてしまった彼は、藩を出藩し、浪々の身となり、各地を放浪するようになる。

 他方、甘利新蔵に思いを寄せていたが周囲の圧力に負けて中井三郎助と結婚した「五十鈴」は、それなりに自らの幸せをつかもうとし、三郎助との間にひとり娘をもうけていたが、夫の三郎助が藩主に召されて江戸に行くことになる。そして、その間に、彼女に懸想した義父の中井九右衛門によって好色の餌食にされてしまう。中井九右衛門は、外では厳格な普請奉行であったが、「五十鈴」を手籠めにし、もてあそんだのである。「五十鈴」はそのことで自ら縊死してしまう。

 浪々の旅を続けていた甘利新蔵は、やがて自分が殺し、出藩の原因ともなった強盗団の一員に見つけられてしまう。強盗団は仕返しの機会をうかがうために彼を用心棒として雇って囲い込もうとする。甘利新蔵は、彼らの意図を見破るが、雇われているうちに、その強盗団が普通の強盗団とは異なり、実は藩の不正を暴こうとした強盗団の首領の父親を罠に嵌めた悪徳商人を懲らしめるための強盗団であったりしたことを知り、お互いに信頼を寄せ合うようになっていく。彼が大垣城下で殺した一味の娘も、はじめは新蔵を仇としていたが、やがて思いを寄せるようになっていく。

 そういう中で、甘利新蔵は、幸せに暮らしているとばかり思っていた「五十鈴」の不幸を知る。彼は周囲に迷惑が及ばないように配慮をしながら、時期を待って「五十鈴」を不幸に陥れた中井九右衛門の首をはねる。だれも、なぜ彼が中井九右衛門の首をはねたのかの真相は知らない。彼もまた「五十鈴」の夫であり友人でもあった三郎助のために口を閉ざす。

 だが、三郎助は仇討ちをしなければならない。そして、天明の京の大火の時、甘利新蔵は自ら仇を討たれるようにして死んでいくのである。

 恵まれた才をもちながら、否、才をもつが故に、出口のないままに不運を生きなければならない人間が、報われないままではあるが自らの思いを徹させていく姿が、ここに描き出されている。もちろん、その結末は不幸である。だが、それで良かったのだろうと読了後に思った。

 作者は「あとがき」の中で、「この『はぐれの刺客』は、武芸は達者だが、徹底して不幸にみまわれ、はぐれ者の烙印を押された一人の若い武士が、どう生きどう死んだかを追って描いた。今の社会でも同じだが、かつての社会は、いまよりもっと公平ではなかった。主人公に似た人物を探せば、以外とわたしたちの身の廻りにも、多くいることに気づかされる」(282-283ページ)と記されているが、襲い来る不運と不幸の中でも自分の思いを通すことができる主人公のような人は少ないだけに、小説としての味があるように思えるのである。藩からの召し抱えの話を断るところなど、なかなかどうして矜持に生きる武士の姿そのものである。

 物語の展開は細部に至るまでストーリーテラーとしての作者ならではの展開だと思う。細かなことが生きているので、気さくだが鬱屈している主人公の姿がよくわかる。わたしはこの作者の作品をあまり多く読んではいないが、紡ぎ出される展開は驚嘆に値すると思っている。

 ぼちぼち雨が降るかも知れない。その前に出かける用意をして出かけることにする。いつものことだが、いざ出かけるとなると、都内まで、なんとなく億劫な気がする。

2010年11月30日火曜日

出久根達郎『猫の似づら絵師』

 「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」と歌ったのは中原中也だったが、今日も黄色い銀杏の葉が舞い落ちてあたりを埋め尽くしている。昨夜遅く、市の清掃車が道路の落ち葉を舞いあげていた。ありのままが好きなわたしとしては、あまり落ち葉を掃除してほしくないと思いながら清掃車が行き過ぎるまで眺めていた。気分は中也の「悲しみ」とは縁遠いものだったが。

 その深夜、出久根達郎『猫の似づら絵師』(1998年 文藝春秋社)を江戸浮世噺を読むようにして読み終えた。これは先に読んだ『猫にマタタビの旅』の前作に当たるもので、面白おかしい洒落っ気のある軽妙な語り口の中にも何とも言えない味わいのある作品だった。

 貸本屋の写本作りをしていた銀太郎と丹三郎という青年(共に二十六歳)が、勤め先の貸本屋が主の博奕好きのために経営が悪化して首となり、途方に暮れているところに、南八丁堀の金時長屋という貧乏長屋に住む男に声をかけられ、彼の両隣の家に住むことになり、この三人があの手この手で世すぎをしていく姿が描かれていく。二人に声をかけた男は、「名前なんかどうでもいい」というので、風呂嫌いで垢にまみれているところから「垢餓鬼源蔵」という名を忠臣蔵の四十七士の赤垣源蔵の名をもじってつけたもので、源蔵はどうしたことかうどんに凝っており、四六時中うどんをこねて、試作品をふたりに食べさせるという変わり者である。

 しかし、この源蔵は知恵豊かで、元は武家のようでもあり、その実、東州斎写楽を匂わせるものだが、銀太郎には猫の似顔絵を書く商売を思いつき、丹三郎には貧乏神売りの商売を思いついて、二人はこの商売を始めることにしたのである。なかなかこの商売はうまくいかないが、それぞれの商売にまつわる事件に関わり、特に、猫に関連した事件に関わることになるのである。猫の似顔絵描きの最初の商売は、好色な鰹節問屋の若旦那に囲われていた猫好きの娘「きの」が、若旦那の足が遠のき、好色家であることを知って、何とかこれに仕返しをしようと「探し猫」の広目(広告)を依頼するものである。鰹節問屋だから猫が来ると困るが、市中から「探し猫」を見つけたといって猫を連れてくるものが後を絶たないという事態に陥る。そういう話が第一話で展開される。この「きの」が、どうしたことかその後、源蔵のところに転がり込んで、四人の暮らしとなっていくのである。

 その他、猫寺と呼ばれている寺の奇妙な猫の絵馬から、その寺の若い住職が阿片の密売をしていることがわかったり(第二話「猫にマタタビ初春に竹」)、猫の絵を餌にして男から儲けようと一攫千金を企んだ吉原の遊女が、結局、だまされる話(第三話「招き猫だが福にあらず」)や、江戸城米倉の鼠退治に使う猫を飼っている家の男と書院の鼠退治の青大将(蛇)の餌となる鼠を飼っている家の娘の恋のとりもちをしたりする話(第四話 窮鼠猫を好む))、盲目の娘が飼っている黒猫が行くへ不明となり、見つかったが、それは違う黒猫で、金貸しの座頭が飼っている猫であり、その金貸しを恨みに思っている薬種屋がその猫の爪にトリカブト(猛毒)を塗っていたことが分かっていく話(第五話「闇夜に鴉猫」)、猫を押しつけて餌を押し売りする地回り(やくざ)の話(第六話「虎の威を借る猫」)などが、人情味豊かに面白おかしく語られている。

 作者の「あとがき」によれば、猫の似づら絵師や貧乏神売りという商売は実際にあった商売らしく、物語はやがて銀太郎が猫の似づら絵で、丹三郎が貧乏神の絵で、そして源蔵がうどんで大きな権力と闘うことになり、幕府転覆に繋がっていくそうだが、これも洒落だろうと思うほど、洒落っ気に飛んだ物語である。しかし、軽妙さにリアリティーがあって、ただの軽妙ではなく、貧乏ではあるが洒落で粋な江戸市民の姿を通して時代を見据えようとする姿勢がある。

 主人公たちはすこぶるつきの善人で、大望などはとても描かないが、善人が善意で生きることができる世界がここにあって、何とも言えない味があるのである。「洒落で生きているのだ」というのも悪くないどころか素敵であるに違いないということを思わせる作品である。こういう作品を読むと、「人生ケセラセラ」という気がしないでもない。

2010年11月29日月曜日

杉本章子『その日 信太郎人情始末帖』

 昨日、シクラメンの小さな鉢植えを一鉢買った。紅色に白の筋が入った花びらの柔らかさもそうなのだが、何よりもその丸い葉の鶯色に和みがある。そして、今日は洗濯日和で、朝から寝具を干し、シーツを洗い、掃除をしていた。このところ少し予定が立て混ではいるのだが、ゆっくりとこなしていければと思っている。

 昨夕、杉本章子『その日 信太郎人情始末帖』(2007年 文藝春秋社)を読み始め、興が乗って結局最後まで読んでしまった。これは、このシリーズの6作目で、2002年に中山義秀文学賞の受賞作品となった第1作の『おすず 信太郎人情始末帖』以外は、シリーズの順番ごとに読んでいるので、呉服太物問屋の大店の総領息子が、許嫁がありつつも吉原の引手茶屋の女将「おぬい」と恋仲となり、勘当され、芝居小屋の大札(経理)の手伝いをしながら、様々なことがらに関わり、その中を自分の恋を貫き、やがて父親の死を迎えて勘当が解けるという物語の展開の次第を順に追っていることになる。

 このシリーズの作品には、いくつもの世界が無理なく組み込まれていて、大きくは主人公が芝居小屋と関係していることから江戸の芝居の世界、役者や戯作者、また芝居小屋の運営に携わる世界と、太物問屋の世界、つまり商人の世界の2つであるが、勘当された信太郎が裏店の貧乏長屋に住んでいることから描き出される江戸庶民の世界、芝居の笛方として働いていた御家人の次男坊との関わりから下級武士の世界、その恋人が芸者であることから芸者の世界、そして、信太郎が惚れている「おぬい」が吉原の引手茶屋の女将であることから吉原遊女の世界、また、信太郎の幼なじみが岡っ引きであることからの市中で起こる様々な事件、そうした世界が巧みに描かれているのである。もちろん、恋愛や親子、嫁姑の問題なども主たる大きな筋立てとなっている。それらが実に人情豊かに描き出されるのである。

 本作では、勘当を解かれ亡き父親の後を継いで太物問屋の後を継いだ信太郎が商人として生きていく姿を中心に、「おぬい」を嫁として迎えていくことにまつわる様々な誤解が氷解していく過程が描かれているが、芝居小屋の火事の際に大札(「おぬい」の叔父)を助け出そうとして失明してしまった信太郎の手足となるためにすべてを捨てて女中奉公となった「おぬい」と、彼女を受け入れない信太郎の母「おさだ」との関係、乗っ取りを企む商売上の裏切りと信頼の姿が描かれている。「おぬい」の決断によって丁稚奉公に出された連れ子の「千代太」の成長していく姿もひと味もふた味もある。

 この作品の最も優れていると思えるところは、人をその丸ごと受け入れていくことの難しさと大切さが丹念に描き出されているところで、社会的な身分の問題や人の欲、様々な思惑が渦巻く中を、周囲に細かい配慮をしながらもひたすらお互いの思いを大切にしてきた信太郎と「おぬい」の姿が頂点に達する婚礼の日の描写は、人を受け入れて生きていくことの素晴らしさに満ちている。情の細やかさは作者ならではのものだろうと思う。

 「その日」というのは、安政の大地震(1855年11月11日・・旧暦10月2日)が起こった日ということで、その日の登場人物たちの安否がひとりひとり、それぞれの人物に合わせて描き出されるのもいい。「おぬい」が営んでいた引手茶屋を預かる老夫婦が共に死んでいく姿も胸を打つ。安政の大地震はマグニチュード7ぐらいの大地震で、これで江戸市中はほとんど崩壊し、死者4000人以上を出したもので、各地で悲惨な状態が展開された。

 何と言っても、この作品で描かれる人物たちは、「生きて、そこで生活している」人たちとして作品の中で動いている。そのリアリティーがしっかりしているので、「情」も生きる。

 ひとつ欲を言えば、安政の大地震のころから世情の不安定さも増し、やがて安政の大獄(1858-1859年)なども起こっており、その10年後には徳川幕府も滅びたわけだし、そうした世情の不安定さは人間の生き方にも大きな変化をもたらし、経済状況も大きく変わったはずで、その影響を太物問屋の主として生きる主人公がどのように受けていたのかという歴史のリアリティーも織り込まれると良いと思ったりもする。しかし、それは小説としては望外の望みだろう。

 ともあれ、この作品は読んで嬉しくなる作品である。とかく注文をつけたがる社会の中で、「何も足さず、何も引かず」人を受容することができる人間の素晴らしさがここにはある。

2010年11月27日土曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 いじん幽霊』

 朝からよく晴れ渡った蒼空が広がっている。紅葉見物には絶好の日和だろうと思いつつも、仕事が少し立て込んでいるので、通常と変わらぬ土曜日になった。

 木曜日の夜から金曜日にかけて、高橋克彦『完四郎広目手控 いじん幽霊』(2003年 集英社)を作者の想像力の豊かさと物語作りの妙を感じながら読んだ。これは、このシリーズの3作目で、前に4作目の『文明怪化』を読んでいたので、物語の展開としては遡る形になったのだが、改めて、慧眼というか明察というか、名探偵ぶりを発揮する主人公の香冶完四郎と、主人公の卓越した推理を導く名脇役としての仮名垣魯文との兼ね合いが、幕末の激動する横浜を舞台に展開されるあたりが面白いと思った。

 仮名垣魯文は、もちろん実在の人物(1824-1894年)だが、少しひょうきんで現実主義的で、作家としての意地もあるという本書の人物像は作者の創作だろう。それにしても、挿入してある当時の写実絵(今回はマスプロ美術館所蔵)から全く新しい事件や物語を創作として展開させる作者の手法は驚嘆に値する。本書で取り扱われる時代が、新撰組による池田屋事件(1864年)や佐久間象山暗殺事件(同年)の年であり、1859年に開港されたばかりの横浜は、外国人居留地によって西洋化が進み始め、1862年の生麦事件(現鶴見区生麦・・イギリス人が薩摩藩士によって殺される)をはじめとして、攘夷思想を持つ武士たちの襲撃が繰り返され、特殊な状況下に置かれていた。

 この時に、広目屋(瓦版・新聞広告業)を手伝っていた香冶完四郎と仮名垣魯文が横浜に赴いて、そこで起こっている事件を大事に至らないように解決していく。香冶完四郎は新しい情報手段としての新聞を出すことを考えており、その関連でも、後に新聞記者ともなった岸田吟香(1833-1905年)や福地源一郎(1841-1906)も登場する。岸田吟香は、本書でも登場するジョゼフ・ヒコ(1837-1897年・・本名浜田彦蔵で、13歳の時江戸に向かう途中の船が難破し、漂流して米国商船に助けられ、米国に帰化し、帰国後通訳として活躍、その後横浜で貿易商館を開く)と共に、1864年に英字新聞を翻訳した日本で最初の新聞『海外新聞』を発行している。本書では、仮名垣魯文とどちらが優れた記事を書くか競争する物語として展開され、その記事の裏にある事件を香冶完四郎が見抜いていく物語が展開されてもいる(第十話 筆合戦)。

 こうした歴史的な背景が見事に織り込まれて、当時の横浜の居留地の人々の暮らしや状況を基に、牛肉と阿片の絡む事件(第一話 夜明け横浜)、攘夷派が画策した外国人相手の遊女屋での自殺事件(第二話 ふるあめりかに)、流行始めたヌード写真に関連した事件(第三話 夜の写真師)、幽霊屋敷と噂されることで人が近寄ることを避けた外国人性病患者の施療所の出来事(第四話 娘広目屋・・ここで完四郎に恋をするフランス娘のジェシカ・アルヌールが登場する)、イギリスが清国人(中国人)をつかって画策した阿片の密輸事件(第五話 いこくことば)、天狗党(1864年に水戸藩の尊王攘夷派が筑波山で挙兵した)の名を借りて横浜襲撃を企む事件(第六話 横浜天狗)、気球を使って火の雨を降らせ、人心を惑わしつつも気球を武器として売り込もうとする事件(第七話 火の雨)、フランスの将校が仕組んだ痴情事件(第八話 遠眼鏡)、両国に異人の幽霊が出ることを仕掛けて、生糸の貿易で利を得ようとした商人の事件(第九話 いじん幽霊)、先述した第十話、これまで香冶完四郎の名推理によって事件が公にならずに煮え湯を飲まされてきたイギリスが仕掛けた虎を使っての完四郎暗殺事件(第十一話 虎穴)、そして、横浜どんたく(祭り)を利用してフランス人との娘の結婚に反対する清国人商人が起こす事件(第十二話 横浜どんたく)といった物語が展開されている。

 例によって、複雑に政治や経済、国際情勢が入り組んだものであれ、人間の心情が入り組んだものであれ、事件はあまりにも簡単に解決していくのだが、それによって主人公の香冶完四郎の名推理がさえていくわけだし、状況についての分析も(もちろん、歴史的状況は明白なのだが、明察として展開されている)、何とか事件を国際紛争にまでしないようにすることや罰される者を作らないことも、本作で描かれる主人公の姿として浮かび上がって来るし、ずば抜けた才能を持ちながら、恋にも金儲けにも執着せず、「世に出るつもりはない。・・・こうして生きていられるだけでありがたい。・・・」(164-165ページ)と言い切って、「ただの広目屋」であろうとする人物像は、理想的すぎるとはいっても、味のあるものとなっている。

 本書の末尾で、主人公がアメリカ行きを考えることになっていて、次作が維新後にアメリカからの帰国後の物語になっているのも、なかなか面白い構成だと思う。個人的に、この頃から「新しい社会機構をもつ日本」という国が形作られてきて、多くのいびつな構造を生んでいくことを考えることがあって、どこがどういびつになってしまったのかを探ってきたので、こういう物語の展開は物語としてなかなかのものだと思っている。もちろんわたしの個人的な関心は作者の意図とは無関係であるが。

2010年11月25日木曜日

諸田玲子『美女いくさ』

 昨日はよく晴れていたのだが、今日は、時おり陽が差すくらいで薄く雲が覆っている。気温が低くなってきていて初冬の感がある。

 二日ほどかけて諸田怜子『美女いくさ』(2008年 中央公論社)を味わい深く読んだ。諸田怜子の作品をなんだか久しぶりに手に取ったような気がしたが、この作品もなかなかの傑作だった。これは織田信長の妹で絶世の美人と謳われた「お市の方」の娘で、後に二代将軍徳川秀忠の妻となり、三代将軍家光の母ともなった「お江(小督-おごう-、江与-えよ-とも呼ばれるが、本作では小督、後に崇源院-そうげんいんーと呼ばれる)の生涯を記した歴史小説で、2007年4月から2008年2月まで読売新聞夕刊に連載されたものをまとめたものでさる。

 「お江」については、独自の解釈をした永井路子『乱紋』(1974年 文藝春秋社)が先に出されており、最近では、「お江」の姉の「初」を主人公にした畑裕子『花々の系譜 浅井三姉妹物語』(2009年 サンライズ出版)が出されたり、来年のNHK大河ドラマで田淵久美子原作・脚本で『江~姫たちの戦国~』が放映される予定があったりするが、諸田怜子『美女いくさ』は一読に値する作品だと思っている。

 戦国時代随一の美女といわれた「お江(小督)」の母「お市の方」自身が、まことに戦乱に翻弄された生涯を生きており、織田信長の妹として、浅井長政に嫁がされ、そこで、茶々(淀)、初、江の三姉妹を儲けるが、姉川の闘い(1570年)で兄の信長から夫の浅井長政が殺され(自害)、三姉妹と共に兄の織田信包(のぶかね)に庇護された。しかし、やがて、信長亡き後、秀吉によって柴田勝家に嫁がされ、その柴田勝家も秀吉と争い敗れて、「お市の方」は勝家と共に自害している。享年37歳だったといわれている。

 浅井家三姉妹といわれる「お市」の娘たちは、いずれも母の美貌を受け継いだ美女であったが、戦乱に翻弄され続け、長女の「茶々」は、豊臣秀吉の側室となり、秀頼を生むが、「お江」の義父となった徳川家康によって大阪の役(1615年)で大阪城落城の際に秀頼と共に自害している。次女の「初」は秀吉のはからいで近江の京極高次と結婚し、やがて「お江」と秀忠の四女「初姫」などを養女として育てている。

 三姉妹の末妹「お江(小督)」は、最初、豊臣秀吉の命によって伊勢の佐治一成(母は信長の妹「お犬」と結婚させられ(従って、夫の佐治一成は従兄)るが、秀吉の命によって離婚させられ、豊臣秀勝と結婚させられる。しかし、豊臣秀勝が秀吉の大陸制覇の野望の最中に病死したため、次に徳川家との関係を深めようとした秀吉によって徳川秀忠と結婚させられた。

 「お江(小督)」は、叔父であった織田信長の剛胆さや母の「お市」の誇り高い性格を引き継ぎ、大胆であるが、物事に動ぜずに出来事を平然と受け止めていくようなところがあったと言われているが、この数奇な運命を生き抜いて、徳川将軍の母となっていく姿を、『美女いくさ』は、女性の心情を織り交ぜながら見事に描き出している。

 浅井三姉妹は、昨日の味方が今日の敵となる戦国の非情な世界を生きなければならなかっただけに仲の良い姉妹だったと言われるが、両親を殺され、殺した相手に嫁がされ、姉妹同士が敵味方に分かれなければならない状態の中を生きなければならなかった。本書は、その運命の変転の中を女として生きる喜びや悲しみ、その細やかな心情とそれぞれに誇りをもって生きる姿が描き出される優れた作品だと思う。文章も展開も作者の円熟味を感じさせてくれる。秀吉や家康をはじめとするそれぞれの人物の描き方もいい。

 人はただ、己に置かれた状況の中を、それを受け止めながら生きる以外に術がない。何らかの作為をもつ者は、その作為によってまた滅びていく。作為に人の幸せはない。「お江(小督)」の生涯を思うと、そんな思いが彷彿してくる。本書の終わりに「煩悩こそ女子の戦」という言葉が出てくるが(443ページ)、まさに煩悩こそ人の命に違いない。天から才を与えられた者は苦もまた与えられるから、煩悩も強くなる。だが煩悩こそ命だと、わたしは思う。

 しかし、この時代の人間関係は、政略結婚や養子縁組などがあって、本当に複雑であるが、表面は滅びていっても信長から徳川家光に至る血筋が「江(小督)」によって面々と受け継がれていたことを思うと、なんだか不思議な気がしないでもない。

 このところ朝鮮半島が焦臭くなって、なんだかマルクスの予言が当たってきたかも知れないと思ったりするが、世界構造のいびつさが露呈する中で、その影響を受けていながらも、大所高所から世界や社会を論じても意味のないことで、「今夜は寒いからお鍋にしよう」という日々の暮らしを自分なりに過ごしていくことを改めて心がけようと思ったりもする。それにしてもナショナリズムほどつまらないものはない。

2010年11月22日月曜日

芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 猫の匂いのする侍』

 このところ2~3日おきに天気が変わり、今日は雨模様の空が広がって寒くなっている。だんだん寒さが身に染むようになってきた。

 少し根を詰めなければならない仕事があって、これを書くことが出来なかったが、ようやく一段落ついて、先週の水曜日以来、芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 猫の匂いのする侍』(2009年 双葉文庫)を読んでいたので、記すことにした。

 この作家の作品は初めて読むのだが、文庫本カバーによれば、1953年東京生まれで、早稲田を出た後、出版社勤務を経て作家活動に入られたようで、本作はこのシリーズの2作目とのこと。このシリーズの他にも、いくつかのシリーズがあるようで、多くは書き下ろし作品のようである。

 書名の「おいらか」というのは、「おっとりした」という意味であることが本書の28頁にも述べられているが、本書は、あまり細かいことにこだわらないおっとりした性格を持つ侍が、浪人となり、貧乏長屋に住んで、自分が背負っている運命と闘いながら、明晰な頭脳と剣の腕を発揮して、自分と関係する者たちの間で起こる事件を解決していくというもので、大筋から言えば、この手の時代小説は、たとえば最近のもので言えば、佐伯泰英の『居眠り磐音 江戸双紙』のシリーズなど、実にたくさん出ている。

 浪人ものでいえば、藤沢周平の『用心棒日月妙』などの作品が展開も設定されている人物も、それこそ「妙」があって、もっとも味わいも深く、読み応えがあると思うが、最近のものには、その設定にひとつの類型のようなものがあるような気がする。

1)主人公は、理由があって浪人しており、裏店などの貧乏長屋に住んで、日々の生活にあくせくしなければならないが、あまり自分の境遇や生活にこだわらない鷹揚でおっとりした性格をしている。思いやりもあり、人情も深く、正義感もある。人に好かれ、慕われる。

2)美男だが容貌や容姿にもこだわらず、頭脳も明晰で剣の腕がたったり才能が豊かだったりするし、武士としての矜持ももっているが、普段はそういうところを見せることもなく、町人や長屋に住む住人とも気さくな関係を持っている。

3)主人公を理解し、彼を助ける者がいる。それが同じ長屋に住む浪人であったり、町人であったり、また元の上司であったり、あるいは美しい女性であったりするが、いずれも主人公を「ひとかどの人物」として認めている。彼が住む貧乏長屋には、太めで世話好きの女性がいて、日常生活を助けたりする。

4)自分の運命を背負い、それが元の藩の藩政を巡る権力争いであったり、世継ぎ問題であったり、金を巡る争いであったりするが、彼が浪人とならなければならなかった理由がそこにあり、物語が展開していくにしたがって、その理由が明らかにされたり、自分の背負っている宿命がはっきりしたりしていく。

5)主人公を慕う美貌の女性がいる。主人公もその女性に思いを寄せるが、その関係を深めていくことがなかなか出来ない。しかし、最後には思いが通じていく。

6)辻斬りや誘拐、強盗といったいくつかの事件に関わりを持って、これを解決していくと共に、主人公が背負っている宿命を解明していくことが物語の大筋となっている。

 その他にも、いくつかの類型の特徴を挙げることが出来るが、そうした類型をもつ作品の出来不出来は、作家の表現力や時代や社会の理解力、あるいは人間に対する洞察力次第であろう。情景描写ひとつとってみても、その作家の力量が現れている。

 本書も、だいたいこうした類型の下で書かれており、「おいらか」と渾名されている滝沢俊作という主人公が、理由もわからないままに藩から追い出されて浪人となり、同じ長屋に住み用心棒などをして暮らしている浪人生活の長い荒垣助左衛門と共に、ふとしたことで関わった飾り職人の誘拐・監禁事件を解決したり(第一章「朝の光」)、辻斬り事件の犯人を捜して対決したり(第二章「隻眼の犬」)、子どもの誘拐事件(第三章「かどわかし」)、旗本のつまらない競争心から生まれた剣術試合(第四章「猫の匂いのする侍」)、そして、仇討ち事件(第五章「小侍の仇討ち」)などを解決しながら、理由もわからないままに元の藩から命を狙われ続けるという展開になっている。

 類型的にはそうであるが、しかし、本書は展開や描き方が比較的丁寧で、物語としての妙もあり、この類の作品としては面白く読める作品になっている。事柄に対する時には「おいらか」ぶりがあまり発揮されず、たとえば自分の命が狙われる時や剣での立ち会いでも、「まあ、斬られてもいいか」とはなかなか思えずに、真剣に立ち向かおうとするが、それはまあやむを得ないことだろう。「おいらか」といってもそんなときはそこまでいかないだろうから。

 娯楽時代小説としては、最近の流行を取り入れたものではあるとはいえ、面白いし、深淵な文学作品でもなければ、ましてや思想や信条を綴ったものでもないのだから、面白ければそれでいい。この作家の、このシリーズをはじめとして他の作品も読んでみたいと思っている。

2010年11月17日水曜日

山本一力『損料屋喜八郎始末控え』

 昨夕から降り続いた雨も、今は何とか治まっているが、今にも泣き出しそうな重い雲に覆われ、気温も低く、どこかわびしい冬を感じさせる世界が広がっている。

 だが、山本一力『損料屋喜八郎始末控え』(2000年 文藝春秋社 2003年文春文庫)を、掛け値なしに味わい深い作品だと思いつつ読み終えて、日常の煩雑さがどこかに吹き飛んでいくような思いがした。

 以前、この続編である『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』の方を先に読んで、どことなく物足りなさを感じたのだが、この第一作は、作者の単行本第一作目の作品ということもあって、完成度の高い優れた作品だと思った。

 主人公の喜八郎は極貧の浪人の子であったが、剣道場で一緒であった北町奉行所蔵米方上席与力の秋山久蔵にその人柄と才能を見込まれて一代限りの同心として勤めていた。蔵米方というのは、米の石高で俸給をもらっていた旗本や御家人などの武士の俸給米の仲買人であった札差しを監督する役人であった。武家は少ない俸給でやりくりしなければならないから、いきおい不足分を1~2年先の俸給を担保にして札差しから高利で金を借りたために、札差しの多くは金融業が主となり、莫大な金額を扱い、江戸経済の中心となっていった。だから、蔵米方は、いわば江戸経済を取り締まるものでもあったのである。

 札差しは、1723年(享保8年)に109名が株仲間を願い出て株(営業権)組織を結成し、1764-1788年のいわゆる田沼時代と呼ばれるころには全盛で、贅を尽くした遊びをしたりして力を誇り、株(営業権)は売買されて千両にもなったといわれている。この物語の時代である寛政年間には、株仲間は少し減少して96組で、棄損令などで大打撃を被むり、株も500両前後に下がったが、江戸の大金持ちであったことは間違いない。もちろん札差しの全員というわけではないが。寛政の改革(1787-1793年)のひとつとして旗本・御家人の生活救済のために1789年に出された棄損令は、札差しからの借財を帳消しにするものであったが、江戸の経済を一気に冷やすものとなったといわれ、貸し渋った札差しのために旗本・御家人の生活はいっそう窮乏するものになったと言われている。本書では、そうした棄損令にまつわる出来事が背景となっている。

 本書の主人公である喜八郎は上役の秋山久蔵の信頼を得ていたが、米相場に手を出した上司の詰め腹を切らされる形で奉行所を辞めざるを得なかった。しかし、札差しのひとりであった初代の米屋政八が彼の人柄を見込み、頼りにならない二代目を影から支えるために、表向きは損料屋(今のレンタルショップ)を開かせ、いわば後見人として用いることにしたのである。喜八郎は、何事にも動じない胆力と明晰な頭脳をもって、札差し業界の影で行われる巨利を貪るための画策を見抜いて、初代亡き後の米屋を窮地から救い、初代の米屋政八から依頼されたことを果たしていくのである。

 物語は、深川の富岡八幡宮の祭りの前日に、傲慢で、湯水のように金を使うひとりの札差しである笠倉屋の遊びの場面から始まり、ここで、やがて喜八郎の恋人となる料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の毅然とした気っぷの良い姿や喜八郎とので出会が語られていく。この笠倉屋は、やがて自ら身を滅ぼしていくことになるが、その没落過程が一本の筋ともなっている。その構成も見事である。

 そして、二代目米屋政八が、自らの才覚のなさと器量のなさから、店をたたむと言い始め、そこから喜八郎の活躍が始まり、米屋を買い叩こうとした強欲な札差しである伊勢屋との知力を尽くした駆け引きが始まっていくのである。喜八郎は、自分を信頼してくれていた上司であった秋山久蔵や深川の仲間たちの助力を得て、米屋の窮地を救っていく。若い喜八郎が、強欲なやり手の札差しである伊勢屋と胆力に満ちた毅然とした姿で渡り合う光景は爽快さがある。

 この伊勢屋が、いわば宿敵のような存在で、米屋を買い叩きそびれた意趣返しもこめて、米屋を詐欺に嵌めて窮地に追いやろうとしたり、伊勢屋の手代が自分の使い込みを隠そうとして「秀弥」が経営する料理屋の板前を罠に嵌めたり、棄損令によって窮地に追いやられた笠倉屋が贋金作りを画策し、それで渡世人に嵌められていったりして自滅していく出来事が本書の大まかな筋書きである。

 それらが、棄損令という大きな混乱を招いた社会的出来事を背景にして、実に丁寧に展開されている。そして、それらを乗り切っていく喜八郎という存在も味わい深いものになっていくし、喜八郎と秀弥の恋の進展も緩やかだがしっかり心情をつかみながら展開されている。

 また、ひとつひとつの場面も実に細やかに描かれ、たとえば、第三話「いわし祝言」で、罠に嵌められた江戸屋の板前の窮地を救った後で、板前と料理屋の奥女中との船着場での祝言の様子が描かれるが、板前の郷里の兄弟たちがたくさんの魚を持ち込み、長屋の女房連中が料理し、いわしの丸焼きの煙の中で、ひと組の夫婦を祝う思いが満ちている光景は、その前後の顛末と合わせて見事に美しく盛り上がるものとなっている。また、第四話「吹かずとも」で、棄損令を発案してかえって経済的窮地を招いてしまった責任を取ろうとする秋山久蔵が町奉行に辞任の願いを出すことを察知した町奉行が、駕籠脇で「一切、聞く耳は持たぬぞ」と言って、多くの人々の非難の眼を承知しながらも、彼を支える場面があったり、祭り御輿に全力を注ぐ人間の姿があったり、それらが言外の思いやりに満ちた行為として描かれるのは、懸命に生きる人間を描く姿として見事というほかない。

 ひとつひとつの場面が詳細に至まで丁寧で、しっかり展開され、それでいて物語としての醍醐味もあって、読ませる作品のひとつと言えるだろう。山本一力の作品をまだ多くは読んでいないが、これまで読んだものの中では、『だいこん』とこの作品が最も気に入った作品である。

 それにしても、江戸時代の改革を顧みながら、現在の日本政府の政策を見て、行き当たりばったりの政策は、いずれは窮乏を生むと思ったりもする。

 今日は雨が降ったり止んだりして冷えている。こんな日は鍋が美味しいのだろうが、昨日鳥鍋にしたので、別のものを作ろう。冷蔵庫にお肉の買い置きがあったかも知れない。明日、天気が回復してくれればいいが。

2010年11月15日月曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』

 朝方は晴れ間も見えていたが、午後から曇り始め、雨が落ちてきそうな気配になっている。昨日、あまり気乗りのしない会議で小田原まで出かけ、途中の渋滞で少々疲れを覚えていたのだが、帰宅してテレビで世界女子バレーを見て、32年ぶりで日本のチームがメダルを取るという試合で、長い試合日程の中でもうほとんどジャンプする力も残っていないのに、気力だけで試合をしているような選手の姿に感動した。勝負の勝敗ではなく、そういう姿が好きで、全試合を観ていた。

 それから夕食を作り、食べながら、行儀が悪いと思いつつも独りの気楽さで、高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』(2007年 集英社)を読んだ。

 これは『完四郎広目手控』(1998年 集英社)から始まるシリーズ物の4作目であるが、前に読んだ『おこう紅絵暦』と同様、前作を読まないと登場人物の相関図がわかりにくいのが難点で、このシリーズの前3作は読んでいないので、突然、ある人物が登場してきたときには、これは誰でどういう関係なのだろうと思ったりもする。だが、巻末にある出版社の広告で、これが幕末の安政年間から続く物語で、頭脳明晰で剣の腕もたつ香冶完四郎(こうや かんしろう)という旗本の次男坊が、持ち前の明晰な頭脳で居候している広目屋(広告代理店)を手伝いながら、戯作者の仮名垣魯文(かながきろぶん)らと共に難事件を解決していくという、時代探偵小説とでもいうべき作品であることがわかる。もちろん、幕末から明治維新にかけての激動した時代の推移や、幕末から明治維新にかけて活躍した実在の人物も登場し、ある種の文明批評もきちんと盛り込まれているだろうことは想像がつく。

 シリーズの4作目である本書は、維新前にアメリカに渡った主人公の香冶完四郎が明治になった日本に帰国してくるところから始まっているし、戯作者の仮名垣魯文は著名な作家となり、創刊されたばかりの東京日々新聞にも深く関わっており、本書は、その東京日々新聞の新聞錦絵(事件を絵にしたもの)に描かれた事件の謎を解いていくという趣向で物語が進められている。

 ちなみに、東京日々新聞は、現在の毎日新聞の前身で、1872年(明治5年)に戯作者であった山々亭有人こと粂野伝平(1832-1902年)と貸本屋の番頭であった西田伝助(1839-1910年)、浮世絵師であった歌川芳幾(1833-1904年)が創立したもので、この頃、鉄道が開通したり、東京-大阪間の電信や全国に郵便施設が開設されたりして、通信手段が発展し、現在の読売新聞とスポーツ報知などの前身である郵便報知新聞も同年に創刊されている。本書でも、歌川芳幾と人気を二分した芳年(月岡芳年・・1832-1892年)が郵便報知に挿絵を描く人物として登場する。

 ただ、物語よりも最初に驚いたことであるが、本書で取り扱われている歌川芳幾と芳年の新聞錦絵が著者所蔵となっており、作者に収集癖があるのか、それとも金に飽かせて買い集めたのかはわからないが、これだけの明治初期の新聞錦絵を個人で所蔵し、おそらくはそれをじっくり見ながら本書の主人公よろしく推理を組み立てただろうと思われるその想像力の巧みさに恐れ入った。

 物語は、その新聞錦絵で取り扱われている怪談や幽霊話、残酷な事件などの記事と描かれている絵から想像されることとの違いから、主人公がそれぞれの事件の裏に隠されている真相を明晰な頭脳で暴いていくというもので、それが肉の検査制度の発足や迷信の払拭などといった明治の政策と絡めて展開されている。その着想や発想はとてもおもしろい。罪人を作らないのもいい。

 ただ、主人公の頭脳明晰さを強調するためだろうが、それぞれの事件が主人公によってあっさり謎解かれ、解決されるのに物足りなさがあるような気がするし、以前横浜にいて主人公と知り合い、再び主人公を慕って米国からやってきたジェシカという娘の恋心があまり伝わらない。主人公の朴念仁ぶりが語られているが、恋をする娘の姿はあまり感じられない。彼女の恋心は、アメリカから追ってきたにしては、あまりにあっさりしている気がするのである。

 作者自身が主人公の口を借りて新聞について、「アメリカやイギリスでは、・・・・こんな事件があったというのではなく、なぜこんな事件が生まれたかに主眼を置いている。日本人は目の前のことにしか関心を持たない。せっかち過ぎる。新聞の記事もそうだ。事実はそうに違いないが、それだけ並べて終わりという書き方だ。・・・・」(235ページ)と語っているが、その「なぜ、そんな事件が起こったのか」の掘り下げが、少し物足りない気がするのである。人間の怨恨は深く、またそれを巡る思いを関係も複雑で、金と欲では簡単に片づかないだろうと思うからである。

 たとえば、実際に絵師の芳年は神経症で苦しんだが、本書では、それが前妻の幽霊を見るということで表されたりしている。しかし、実際の神経症はそう単純ではないし、芳年の絵にはどこか狂気のようなものが感じられるので、物語の筋とはあまり関係ないにしても、そのあたりが掘り下げられても良かったのではないかと思ったりもする。

 とは言え、通常の捕物帳のようなものではなく、ある種の探偵小説というようなものであり、新聞錦絵からの奇抜な発想は、間違いなく読んでいて面白い。あまり物事にこだわらずに自由な発想をする主人公の姿もいい。いずれにしろ前3作を読んでいないので、何とも言えないことではあるが。

 今日は嬉しいメールが一通届いたし、夕方からの予定はあるものの気分的には比較的ゆっくりしている。いくつかの仕事を夕方までに片づけて、夜はまた違う本を読むつもりである。

2010年11月13日土曜日

出久根達郎『猫にマタタビの旅』

 薄く曇った肌寒い日になった。黄色くなった銀杏が、時おり差す陽の光に輝いたりするが、全体的に灰色の世界が広がっている。

 木曜日の夜から読み始めていた出久根達郎『猫にマタタビの旅』(2001年 文藝春秋社)を読み終えた。書名からして「マタタビ」と「旅」がかけてあったり、扉に「東西、トーザイ」という口上書きが記してあったりして、気楽に読めるようになっているが、仕事が少し立て込んでいたので読み終えるのに少し時間がたってしまった。この作品には『猫の似づら絵師』という前作があるが、そちらはまだ読んでいない。

 ちなみに「東西、トーザイ」というのは芝居の前口上の呼びかけの言葉で、「ご来場のみなさん」というのを洒落て言ったもので、この前口上が記してあることからわかるように、本書は、全体が洒落とユーモアに満ちたものになっている。

 主な登場人物は、猫の飼い主などに猫の似顔絵を描いて売っている銀太郎と、縁起物として貧乏神の絵を売っている丹三郎というふたりの青年、そして、年齢も正体も不明だが、うどん好きで、始終うどんを打っていて、人生の機知をよく知り、時には窮地を脱する手段を発揮する源蔵の三人である。この源蔵は春画を描いて糊口をしのいでいるが、実は、実際にわずか10ヶ月ほどしか活躍しなかったにもかかわらず独特の役者絵を描いた東洲斎写楽ではないかとの暗示もあったりする。三人はいずれも貧しく、そしてお気楽者である。そして、「なんとかなるさ」という脳天気ぶりが発揮される。

 本書は七編からなる連作集だが、最初の三編、「猫にマタタビの旅」、「禍福は猫の目」、「ぐるっと回って猫屋敷」以外の四編は、三人がうどんの名産地でもあった上州の高崎(現:群馬県高崎市)にうどんを食べに行くという旅物語で、源蔵が描く春画を欲する者がいるというのが旅の目的でもあった。

 最初の三編は、貴重な金目銀目の猫(猫の目が金と銀で、両方が金の目の猫も招福猫として考えられていた)を買いたいという柳橋の芸者置屋の女将の依頼を受けて、銀太郎が甲州街道の多摩に出かけていく話で、宿で盗っ人にあったり、猫の売り主が猫の帰家癖を利用して企んでいた詐欺がばれたりしていく「猫にマタタビの旅」、行徳河岸(現:千葉県市川市南)まで春画を描きにいく源蔵に銀太郎と丹三郎が同行し、そこからさらに木更津まで行って、そこで高価な三毛猫の雄(航海安全、招福として尊重された)が逃げて弁償しなければいけないという少年に会い、同情して三毛猫の雄を探したりしているうちに、実は、その猫の失踪そのものが同情をかって金を儲けるために仕組まれたものであることがわかっていくという「禍福は猫の目」、老い猫を捨てることを依頼された銀太郎が佃島まで猫を捨てに行くことに絡んでの佃島の猫屋敷と老い猫の買い主である女性の離縁話が語られた「ぐるっと回って猫屋敷」である。

 ちなみの、この話の第一話で、銀太郎は、猫を呼び寄せるために持って行ったマタタビを飲んで、発情してしまい、同行した男のような芸者置屋の奉公人「みん」と寝てしまうが、この「みん」が最後の第七話「人も猫も猫かぶり」で銀太郎に夫婦約束を迫る話も出てくる。マタタビは催淫剤でもある。

 第四話からは高崎への旅物語だが、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』よろしく、あちらこちらでてんやわんやの騒動が巻き起こり、三人はそれに巻き込まれていくのである。

 第四話の「鼠の猫じゃらし」は、高崎へ向かう途中の岩鼻(現:群馬県群馬郡岩鼻)で、蚕のネズミよけに貼る猫の絵を描く地主に出会ったり、密かに訳ありの子供を産ませることをしていた神官が生まれた子どもを使って遊女屋を営み、こっそり生んだ母親を脅したりしていた事件に遭遇していく話である。この事件で使い走りをさせられていた庄太郎という若者も三人に同行することになる。

 第五話の「猫なで声でうどん」は、四人が高崎に着いて見ると、源蔵に春画を依頼した者が伊香保温泉に保養に出かけたというので、金儲けの当てがはずれた四人が伊香保までいく話である。ここで千社札を貼ることを生業としている甚六という男と同行することになり、一行は、伊香保の手前の水沢観世音に美味しいうどんを食べさせる店があるというので、そこに出かける。ところが、彼らが入ったうどん屋は、いわばぶったくりのうどん屋で、酒も女も出すという怪しげな鼻つまみのうどん屋だった。

 彼らはすぐにその店を出ることにしたが、料金のことでもめているときに、水沢観世音の住職が通りかかり、彼らは窮地に一生を得る。そして、その店で嫌々働かされていた小冬という女性(小冬は弥山の源氏名で、実名はお春)も彼らと同行することになるのである。

 第六話「猫のひたいで盆踊り」は、源蔵の金主となる春画を欲しがる旦那が伊香保から草津に行ってしまい、全く金がなくなった一行六人が安宿の布団部屋で金策に走る中、宿に併設されている湯治客用の風呂で、貸本屋の金蔵と会い、彼の貸本を写本して金稼ぎを考えた銀太郎と丹三郎であったが、その貸本(春本)の絵に、風呂で見た背中に弁財天の刺青のある女性の姿を描いたところ、その女性の男の子分たちから脅しをかけられていく話である。彼らは女性の気っぷの良さと粋な計らいで窮地を脱していく。

 第七話「人も猫も猫かぶり」は、草津まで行って春画で金を稼いできた源蔵が戻り、伊香保で最上級の旅館に泊まることになった六人が、その旅館で起こる騒動に巻き込まれる話で、第五話で同行することになったお春の素性が明かされ、自分には子種がないから友人と寝て子どもを作ってくれというようなふがいない分かれた亭主が、たまたま一念発起して彼女を探しに来ていたのに出会ったり、逃げていた殺人者(実は怪我させただけで、殺人というのは噂に過ぎなかった)と出会ったり、てんやわんやの騒動の末に一件落着といき、銀太郎は江戸に帰って、第一話の「みん」と祝言をあげることになり、写楽のような役者絵を描いたらいいと勧められるところで落ちがつく。

 読んでいくと、味のある江戸浮世噺のような作品だと、つくづく思う。主人公の三人はすこぶるつきの善人であり、人が良すぎる人間であるが、つまらない妙な正義感が振り回されたりもしないし、てらいも構えもない人々が、そのまま面白く描き出され、人が良すぎていろいろな事件に巻き込まれていくが、それを何とも思わないのもいい。健康的なエロ話がユーモアたっぷりに描かれるのもいい。ただ、真面目な女性が読んで面白いとは思わないかも知れないが。

2010年11月11日木曜日

宇江佐真理『神田堀八つ下がり 河岸の夕映え』

 今日も抜けるような青空が広がっている。立冬を過ぎているので、季節的には初冬なのだろうが、小春日和と言うのがふさわしい天気である。だが、やはり冬の足音が聞こえないわけではない。朝晩はコートが欲しいくらいに冷え込んでくる。お鍋もおでんも美味しい季節になってきた。

 昨日、宇江佐真理『神田堀八つ下がり 河岸の夕映え』(2003年 徳間書店)を感動しながら読んだ。 これは再読なのだが、改めて、作者が描き出す世界はなんと温かなのだろうと思った。その温かさは、強いてたとえて言えば「梅一輪の温かさ」であり、凍てつく冬の中の小春日和の温かさであり、暗い夜道で生き暮れている時に遠くにぽつんと見える明かりの温かさである。それは決して甘っちょろい温かさではなく、生きることのつらさや悲しさや切なさがにじみ出るような温かさなのである。

 本書は、「どやの嬶(かか)-御厩河岸」、「浮かれ節-竈(へっつい)河岸」、「身は姫じゃ-佐久間河岸」、「百舌-本所・一ツ目河岸」、「愛想づかし-行徳河岸」、「神田堀八つ下がり-浜町河岸」の六編の短編が収められている短編集である。

 江戸時代、江戸は、大川と呼ばれた隅田川やその支流の小名木川などのいくつもの川が流れ、また運搬用などに堀もたくさん作られて、世界有数の水上都市でもあった。そして、それぞれの川や堀には橋が架けられたり、舟の渡しがあったりして、それぞれ河岸と呼ばれて名前がつけられていた。河岸は、人と人との出会いの場であり、また別れの場でもあった。ここに収められている六編は、そのそれぞれの河岸に住む人々の姿をとおして、家族、親子、夫婦、男女や兄弟のそれぞれの愛情の姿が描かれたものである。

 「どやの嬶(かか)」は、火事で父親が死に、焼け出されて浅草の御厩河岸で小さな水菓子屋(くだもの屋)を営むことになった家の娘が、自分の恋愛をとおして、「どやの嬶(かか)」と呼ばれていた大柄で男勝りで人情家である船宿の女将の姿に接しながら、家族や男女の愛情の大切さやその機敏を知っていく話で、「どやの嬶(かか)」と呼ばれた女将は、何人もの捨て子を自分の子どもとして育て、開けっぴろげで、自分の情愛に素直で、娘はその姿に圧倒されながらも、やがては自分の母とその母を慕って親身になって生活を助けてくれた番頭との間も認めていくようになっていくのである。

 「浮かれ節」は、日本橋住吉町の南側の堀の「竈(へっつい・・かまど)河岸」と呼ばれる河岸の近くに住む無役の小普請組(本来は江戸城の修復や土木作業のための役人だが、役職に就くことはなかなか難しく、小普請組といえば貧乏武家をさえ意味した)の御家人である三土路保胤(みどろやすたね)が、唯一の趣味であり特技でもある端唄(江戸の町人たちが好んだ歌謡)と、流行し始めていた都々逸との歌合戦をとおして、妻や娘との絆の中で生きていく姿を描いたものである。

 ここには、貧乏御家人である夫を支える妻や父親の思いを大切にする利発な娘、その娘の父を慕う愛情、なんとかお役につこうと頑張るが適わないふがいない自分への思い、都々逸を大成させた都々逸扇歌(1804-1852年)との歌合戦に敗れても、その粋な計らいを知っていく主人公の姿など、実に多くの要素が巧みに盛り込まれている。

 「身は姫じゃ」は、両親を失い、唯一の身寄りである江戸城大奥の叔母(「常磐」)を頼ってきたが、途中の道中で強盗にあったり、おつきの女中が死んだりして、佐久間河岸と呼ばれる神田の和泉橋の下で浮浪者のような生活をしていた七、八歳の少女を見つけた岡っ引きの家族とその少女の姿を描いたもので、僅かのことを手がかりにして少女の身元を探っていく岡っ引きや親身になって世話をする岡っ引きの家族の姿が描き出されている。

 痩せて汚く臭い少女が、実は高貴な身分の者であったという話でもあるから、物語の骨格には夢問語りのような甘さはあるのだが、少女の身元がわかって引き取られていく場面で、それまであまり自分には馴染んでくれていないのではないかと思っていた少女が、「わらわは、いついつまでも忘れぬ」と言う最後の別れの言葉が光っている(147ページ)。 「いついつまでも」という表現に、その思いがこめられて言葉が光っているのである。

 本当に苦しいときやつらいときに受けた恩は決して忘れない。そういう人間の姿を描くところは、作者らしいと思っている。

 「百舌」は、青森弘前藩の藩校であった稽古館の教官を務め、政争で敗れてわび住まいをしている横川柳平という人間の姿を描いたもので、横川柳平は農家の出身であり、彼が学問の道を行くのに姉の犠牲があった。彼に学問をさせるために自分の恋愛を諦め、借金相手の家に嫁ぐが、たくましく生きている姉、江戸で放浪したあげくに兄を頼ってきた弟、その弟の娘の危機、そういうものが入り交じって、失意のうちながらも兄弟に支えられて生きていく姿が描かれている。

 書名は失念してしまったが、農家の出身で学問を志し、学者となりながらも失墜して無為のうちに老年期を過ごした実在の人物を題材にした長編があったように思うが、作者の目は、そうした人間の生き方よりも温かい兄弟愛に向かっている。人は、特に知識人と呼ばれるような人は、多くの犠牲の上にしか生きることが出来ない。そして、そのことを自ら知っている知識人を「優れた知識人」という。この作品では、おそらくそういうことを主眼に置いているのだろうと思う。

 「愛想づかし」は、男女の別れの姿を描いたものである。苦労ばかりしながら幸せになれない小料理屋で働く女と、家を捨てた廻船問屋の息子、その息子の家の事情が変わって別れ話が進む前後の男女の悲しい綾、別れの修羅場、そういうものが織りなされていく。ここには何とも言えない重い疲労感が漂う。ただ、この話には、男女のお互いの思いがあまり伝わらずに終わっている。作者自身が、この手の男や女はあまり好きになれないのではないかと思ったりもする。

 「神田堀八つ下がり」は、自分のことはあまりかまわず友人や仲間、弟子のことを優先させて爽やかに生きている青年武士のために奔走する薬種屋と町医者の姿をとおして、矜持をもって生きる姿を描いたもので、大店の料理屋を飛びだした料理人が場末の小さな店でも料理人としての矜持をもって生きる姿が重ねられて描き出されている。ただ少し物語で語られる登場人物たちの心がきれいすぎる気がしないでもないし、青年武士が、次男坊とはいえ千五百石の旗本で、千五百石といえば大身の旗本であり、たとえば江戸町奉行所の同心の筆頭クラスでも百石ぐらいであったことからすれば、いくら経費がかかったといっても、作品で描かれるような貧しい暮らしでは決してなかっただろう。

 わたしはこの作者の作品が本当に好きで、しみじみと、時にはなみだをぽろぽろこぼしながら読むことが多いし、作品全体に流れている雰囲気や柔らかさ、温かみがつくづくいいと思っている。ただ、この作品で欲を言えば、描き出される人間の苦労やつらさ、喜びなどがもう少し深く描かれればと思ったりする。短編の限界もあるが、人間も、その人間が抱えている状況も、もう少し複雑で、簡単明快に生きているわけではないのだから。ここで描かれる物語の顛末はうまくまとまりすぎて、きれいな落ちがついているという気がしないでもない。

 さらに欲を言えば、人間は時代と社会の中で、その中を翻弄されるようにして生きているのだから、そうした時代と社会の陰が及ぼす人間への影が、もう少し描き出されたらと思う。いつの時代でも変わらない人間の姿を描くにしても。

 それでもやはり、この作品を含め、宇江佐真理の世界は、なんと柔らかく温かなのだろうとつくづく思う。人の情けが身にしみるとき、あるいはひとりぼっちの孤独を噛みしめなければならないとき、彼女の作品を読むと、つい泣いてしまう。涙もろい人間だとは思うが。なにしろ、世界女子バレーをテレビで見ていても、ひとりの選手がサーブで狙われ続ける中で頑張っている姿を見ただけで泣けて仕方がないくらいだから。

2010年11月9日火曜日

千野隆司『霊岸島捕物控 大川端ふたり舟』

 昨夕、親しい友人たちと行っている研究会で、『車輪の下』などでなじみのある20世紀初頭のH.ヘッセの研究発表があるというので池袋まで出かけ、終了後に談笑しながら食事をした。発表されたのは千葉経済大学短期大学部で比較文学を講じられていたI先生で、もう現役を引退されて久しいのだが、50年前に大学ノートに書かれた論文を拝見などした。食事は気の置けない中年過ぎの男5人なので、今後の研究会のテーマや世間話などを織り交ぜて話ながら、なかなか楽しいものであった。東京女子大学に勤めるE氏は、最近、いろいろなことを面倒に思うようになったと言う。わたしも同じような心境の中にあると、つくづく思う。

 その往復路で、読みさしていた千野隆司『霊岸島捕物控 大川端ふたり舟』(2002年 学習研究社 2006年 学研M文庫)を味わい深く読み終えた。以前、作者の作品について触れたときに、この作者が好きだという方からのコメントを頂いていたこともあって手に取ったのだが、この作品も、物語の顛末が丁寧だし、推理性も抜群で、推理時代小説(捕物帳)として完成度の高い満足できる作品だった。

 物語は、隅田川河口の埋め立て地であった霊岸島(浄土宗の寺であった霊岸寺が建てられたことから名称が取られた)の岡っ引きの娘である十七歳の「お妙」を主人公にして、離別した母親の殺人事件を骨格に、江戸三代火事の一つといわれる文化3年(1806年)の大火を背景として、一緒に暮らす離婚した岡っ引きの父や火事に被災した人々、好きになった男などの間を揺れ動きながら成長していく娘の姿と、思いもかけない犯人像が浮かび上がって来る母親殺しの犯人の探索の過程を通して、夫婦、親子、男女の絆などが描き出されていく。

 この作品の文章も優れていて、前章「夜が響く」で、離婚して材木屋の奥女中として働く「お妙」の母親「おくに」が押し入った盗賊に殺される場面が描かれるのだが、
 「三十半ばをとうに過ぎて、おくにはこれまで幾多のことを諦めてきた。物だけではない。親しい人との絆、そしてそれにまつわる多くの思い。その最後の諦めとなったのが、自らの命だった」(文庫版 10ページ)
という短い文章で、この女性がこれまでどんな人生を歩んできたかがにじみ出ている。

 あるいはまた、第四章「河岸蛍」の書き出しは、
 「前日までの雨が、嘘のように晴れ渡った。空の青が濃く見える。雀の子が、囀(さえず)りながら親雀を追って飛んで行く。近寄っては離れ、じゃれ合っていた。
 子鳥は時おり飛び方を間違えるのか、つっと落ちそうになる。親鳥はそれを見ると、緩やかに旋回した」(文庫版 223ページ)
 という情景描写なのだが、これが単なる情景描写で終わっているのではなく、離婚して外に愛人を囲っている父親とあまりなじめないままに暮らしている主人公が、初めて父親が愛している女性と会ったり、火事で被災した子どもの母親を訪ねたりしながら人生の経験を重ね、母親殺しの犯人の探索の中で母との離婚の真相や父親の真実の姿を知っていき、また父親の自分への愛情を知っていったりしていくという、この章全体で表されている主人公の姿に重ねられているのである。

 母親殺しの真犯人は最後までわからない。怪しいと思われた人物が火盗改めの同心であったり、犯人と思われる者が彼女を助けたり、火事で被災した人々を助け、頼もしいと思われ、主人公が危機に瀕したときも身を挺して助けてくれた者が真犯人であたりするどんでん返しがあり、そしてそこにも、養子として育てられた先が強盗団の首領であるというどうにもならない人間の悲哀がある。

 物語の細部に至るまで「人間」が描かれるのがいいし、霊岸島周辺で生きて動く人の視点で情景が描かれるのもいい。構成も細部までよく考え抜かれた構成になっている。これが出された2002年の時点で作者は中年の男性なのだから、十七歳の少女の心情の細かな揺れを描き出すことが難しいだろうとは思うが、物語の細かな設定と主人公を取り巻く人間模様の巧みさで、人を愛することの切なさと悲しみが生き生きと描かれている。作者の思考と感性の緻密さを感じる。

 今日、気温はそんなに高くないのだが、秋の蒼空が広がっている。日本海側と北海道は天気が荒れると予報が出ていたが、どうなのだろう。横浜はAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の開催があって、会場近くの「みなとみらい駅」では、テロを警戒して自動販売機もゴミ箱も使えない。交通も制限がある。「会議ばかりで何一つ有効な手段が実行されない」のが、小は小さなグループから大は国家組織に至までの現代の組織形態の実体なので、あまり会議の結果などに期待もしていないが、貧しい者でも生きていけるようになるためには、社会全体の価値観が変わる必要があるなあ、と思ったりする。貧しい者ほどお金に価値があると思わざるを得ないような社会は、やはり生き難い社会なのだから。日本の政府が、まずお金ありき、で政策を進めるのは、政治思想の貧困状態だろう。

2010年11月6日土曜日

澤田ふじ子『世間の辻 公事宿事件書留帳』

 気温は決して高くはないが、晴れた秋空が広がっている。紅葉が進み、銀杏の街路樹も色づき始めている。銀杏の葉がひらりはらりと舞い落ちる様は何とも風情がある。銀杏の葉には脂分が多いので、掃除は大変なのだが、それもまた一興だろう。

 昨日、都内での会議のための往復路で、読みさしていた澤田ふじ子『世間の辻 公事宿事件書留帳』(2007年 幻冬舎)を面白く読み終えた。作者の作品は京都を舞台にした作品が多く、もちろん歴史的考証や社会的考察もしっかりしているし、どちらかといえばこの類の作品は、テレビ時代劇の『水戸黄門』に代表されるような勧善懲悪が根本にあるのだが、権勢や権力を笠にして悪を両断していくのではなく、市井に生きる人間の側での納得のいく形で描き出されるので、比較的安心感がある。

 この書物を手に取ったのは、「世間の辻」という書名がなかなか味のある書名だと思ったからで、シリーズの最初から読んでいるわけではない。しかし、さすがに前後を知らなくてもきちんと読めるように構成されている。ちなみに、このシリーズは、2002年に『はんなり菊太郎~京・公事宿事件帳』、2004年に『はんなり菊太郎2~京・公事宿事件帳』、2007年に『新はんなり菊太郎~京・公事宿事件帳』としてNHKでテレビドラマ化され放映されている。ただ、わたしは残念ながら見たことはない。

 ドラマの原作となった『公事宿事件書留帳』のシリーズは、現在まで15冊という長いシリーズになっており、本書はその14番目の作品で、「ほとけの顔」、「世間の辻」、「親子絆騙世噺(おやこのきずなだましのよばなし)」、「因果な井戸」、「町式目九条」、「師走の客」の6話が収められている。

 江戸幕府は京都の二条城(二条城は江戸幕府統治の象徴でもあった)近くに東西奉行所を置いて京の治安を管理していたが、その近辺には奉行所での訴訟のための「公事宿(訴訟のために遠方から来た者を留める宿だが、訴訟手続きや補助、仲介、交渉など弁護士事務所のような働きもした)」が多くあり、本書は、二条城近くの姉小路大宮通りにある「鯉屋」という公事宿で、東町奉行所同心組頭の長男でありながら、妾腹のために家督を弟に譲って浪人となり、居候兼相談役、また用心棒のようなことまでする田村菊太郎という、あまり物事にこだわらないで飄々と生きている人物を主人公にして、公事宿に持ち込まれる事件の顛末を記したものである。

 公事宿「鯉屋」の主人である鯉屋源十郎は、菊太郎を良い相談相手として居候させ、信頼し、「鯉屋」の奉公人たちも菊太郎を尊敬し、菊太郎から俳句を習ったりして、その関係は温かい。菊太郎には「お信」という恋人があって、「お信」は、夫に蒸発され、料理屋で仲居をしていたが、団子屋を開き、ひとり娘の「お清」を育てている。菊太郎とお信の恋の顛末については、おそらく、シリーズの前の方で記されているのだろうと思う。

 江戸でもそうだったが、京都でも奉行所の訴訟事件の大半は金や権利を巡っての民事で、公事宿が取り扱うのも民事事件が大半であるが、時にはそれが刑事事件になっていく場合があり、また、菊太郎が家督を譲っている弟の銕蔵(てつぞう)が東町奉行所同心組頭をしていることもあって、菊太郎は強盗や殺人に絡む刑事事件にも関わっていく。

 第一話「ほとけの顔」は、生糸問屋の大店の主が気の強い女房に嫌気がさして失踪し、六波羅の近くで陶工として働いていたが、死んでしまい、大店の女主は、遺体を引き取ることも葬儀を出すことも気にいらず、意にも沿わないが、見栄と世間体から主の遺体を引き取って葬儀をしたいという依頼を公事宿に持ち込んでくる話である。

 京都は何度も足を運んで好きな町のひとつだが、見栄や世間体が幅を効かせる所でもあり、特に大店の女主ともなればそれだけで生きている人もあって、なるほど、と実感を持ちながら読んだ。菊太郎と鯉屋源十郎が実際に当たってみると、六波羅で人々に慕われながら生きた大店の主の姿が浮かび上がるだけであり、葬儀はこともなく生糸問屋で行われることになっていくのである。

 表題作ともなっている第二話「世間の辻」は、惚け(認知症)が進んだ老いた母親を抱える貧しい石工が、働くことも出来ずに貧にあえぎ、とうとう無住の荒れ寺で母親を殺し、ふらふらと出てきたところに行き会わせた鯉屋の下代(番頭)と奉公人が助け、その母親を殺さなければならなかった顛末が述べられたもので、おそらく、作者の中には現代の介護の問題が意識されていただろうと思われる。

 第三話「親子絆騙世噺(おやこのきずなだましのよばなし)」は、大店の焼き物問屋の跡取り娘が死んで、その跡継ぎ問題が起こったとき、実は、死んだ娘には双子の妹があり、当時の風潮から(双子は畜生腹として嫌われた)生まれてすぐに他家に出されていて、大店の夫婦が、その妹を捜し出して跡継ぎにしたいと鯉屋に相談に来たことの顛末を物語ったものである。

 妹の行くへを探すために、姉妹を生んだ時の産婆を捜し出すが、産婆の息子がぐれた息子で、大金の謝礼を要求してくる。菊太郎と源十郎は、産婆の息子の要求をはねつけ、産婆を説得して、妹のもらわれ先を探し出す。妹は、魚屋の養父母に大切に育てられ、幸せに暮らしており、生みの親の身勝手な要求を断固として断る。菊太郎は,焼き物問屋の夫婦に、道理をわきまえて、やがては行き来が生じて、その妹が産んだ子を跡取りとする方法もあるだろうとさとしていく。

 第四話「因果な井戸」は、博奕と酒好きのために親から譲り受けた昆布屋を廃業させた男が、店の土地を売るためと、隣で豆腐屋を営む繁盛している弟を嫉んで、弟が使っている井戸に死体を投げ込むことを地回りと結託して画策し、偶然、殺されることになっている男と殺そうとする男たちと居酒屋でいあわせた菊太郎が、その計略を暴いていく話である。

 第五話「町式目九条」は、学問所などを私財をはたいて作っていた筆屋の主が亡くなり、情のない養子夫婦の中でひとり残った老女が、養子家族たちだけが紅葉見物に出かけて留守居をさせられていた時に入ってきた泥棒と親しくなり、失踪してしまうという事件の顛末を語ったもので、鯉屋の奉公人たちが泥棒に背負われている老女と偶然出会ったことから、老女の失踪先を案じることになるが、やがて老女の行き先がわかり、養子夫婦の実態が明らかになって、養子夫婦によって閉鎖されていた学問所が「町式目九条」に従って町預かりとなり、再開されることになるというものである。

 町式目というのは、独自の形態をもっている京の町がそれぞれに定めた法律のことで、主にその町の住民が安心して暮らしていくために定められたものであるが、時には京の町々ごとの閉鎖性ともなったりした。しかし、たいていは相互扶助として機能していた。

 第六話「師走の客」は、公事宿である鯉屋の客となった滋賀の彦根で金物屋を営む男の話である。行きずりの奉公人の少女の下駄の緒をすげかえてあげている彼を鯉屋の主源十郎が見て、声をかけ、公事宿を探しているというので連れてきたのである。

 男は、今は金物屋として成功しているが、昔、喧嘩で遠島の刑を受け、その際に言い交わした女性の行くへを探しているという。女性は火事で死んだと聞いているので、その墓に参りたいと願っていたのである。菊太郎と源十郎は、弟で同心組頭の銕蔵(てつぞう)の助けを借りて、彼女が埋葬されている墓を探そうとする。そして、女性と金物屋の間に子どもが出来ていたことを知り、その子どもが今は駄菓子屋の女将として立派にやっていることを知る。

 菊太郎と源十郎は親子の名乗りを上げて子どもの心をかき乱すのではなく、物陰からそっと見守っていくことを勧め、金物屋と一緒に彦根へのお土産を買うという名目で、その駄菓子屋に行き、密かな親子の対面を果たす。しかし、金物屋は昔の喧嘩仲間から恨まれて刺されてしまう。だが命には別状はないというところで終わる。

 これらの六話の物語は、それぞれが色彩の異なった別の事件で、それぞれが当時の京都の商人や市井の人々の姿を浮き彫りにして、味わい深いものになっている。主人公の田村菊太郎の鷹揚で何事にもこだわらない、しかし、明敏なところも魅力がある。菊太郎も鯉屋源十郎も悪人を作らない。鯉屋の奉公人たちも気持ちがいい。ただ、それだけに事件の結末があまりにもきれいすぎる気がしないでもない。作者は多作で、問題意識もあって人間と社会のそれぞれの面を取り上げているが、作品の結末は、たいてい、きれいに終わっている。そう思うのは、わたし自身が少しひねくれているからかも知れないと思ったりもする。

 今日はいい天気で、夕方、ぶらぶらと散策にでも出てみようと思っている。

2010年11月4日木曜日

出久根達郎『御留山騒乱』

 天気図を見ると高気圧に覆われて晴れそうだったので、朝から洗濯をし、寝具を干しておこうと思っていたのに、朝のうちは雲が重く垂れ込めていた。でも、西の空に蒼空が見え始めているで大丈夫だろう。

 このブログに、仕事や睡眠時間を案じてくださるコメントが読者の方から寄せられていて嬉しい限りで、もともと乱読の忘備禄のようなものとして書いているものが書物選びの参考になっているというのも望外のことだと感謝している。睡眠時間は確かに短いかも知れないが、無理をしているという思いはなく、ブログは可能な限り続けたい。

 働かないで生活ができるほどの余裕もなく、貧乏暇なしのような暮らしぶりで糊口をしのいでいるわけなのだし、仕事はできることをできるだけするようにしているが、お金には元々縁が薄く、子どものころに母親から「武士は食わねど高楊枝」で、痩我慢をして生きて行くことを教えられたことが染みついているのか、働けば何とかなるという楽天主義なのか、あれば嬉しく、なければ耐えるだけのことと思って暮らしている。

 仕事には評価や成果というものがつきもので、目に見えるほどの成果は上げていないだろうとは思う。成果や評価が高いことにこしたことはないが、ただ、成果にはいろいろな要因があり、良くても悪くても自分ができることをする以外にはなく、批判も甘んじて受ける覚悟があって、他者の評価というものも、それが良くても悪くても、それでどうということはない。自分の人生を成果や評価で計るつもりもさらさらないし、人の生は、いつも未完で終わるし、終わってもいいと思っている。

 それはともかく、昨日は爽やかに晴れた祭日で、忙しいのは結構忙しかったのだが、夕方から夜にかけて時間が空いて、出久根達郎『御留山騒乱』(2009年 実業之日本社)を面白く読んだ。物語は、この作者らしくユーモアに満ちている。

 これは、天保元年(1830年)に伊勢神宮に参詣する「お蔭参り」が流行した年、信濃(長野県)の上田から小諸を経て追分に至る山中の「御留山」で起こった藩の内紛に絡む騒動に巻き込まれた青年僧を引き回し役にして騒動の顛末を物語ったもので、「御留山」というのは、狩猟や立ち入りが禁じられた山のことをいう。

 このあたりは、鎌倉時代から戦国時代にかけて浦野氏という地方豪族が支配していたらしいし、越後(新潟)の上杉家と甲斐(甲府)の武田家の戦場であり、上田は真田幸村でおなじみのところだが、江戸時代には幕府の直轄地や旗本の支配地などが複雑に入り組んで、天保のころに誰の支配地になっていたのかは失念した。しかし、将軍献上のための山茗荷(ヤマミョウガ・・食用のミョウガとは少し異なって、夏の終わりに黒い実をつけ、精力剤としても用いられたらしいが、よく知らない)や松茸、夏の氷などの産地で、特に、冬に作った氷を氷室(ひむろ)に保存し、それを夏に出すことでよく知られていた。

 物語でも、将軍献上用の氷を作り、それを氷室に保存するための山が「御留山」とされ、献上によって上がる権勢と莫大な利益で私腹を肥やすことに絡んでの騒動が記されている。

 物語は、寺の息子で仏門修行に出された秀全という青年僧が、修業先の寺の住職の衆道(男色)癖と寺での生活に嫌気が差し、「お蔭参り」を利用して京に行こうと、修行寺から逃げ出し、浦野(現在は上田市浦野)の宿に着くところから始まる。秀全は読心術を身につけていたが、浦野の宿で、賭場でいかさまを見破った平助という男の仲間として土地の地回りに捕らわれ、監禁されてしまう。平助は、不思議な男で、薬草などにも詳しく度胸も知恵もあるが、実は、藩の将軍献上品を巡る不正を隠密裡に調べる役人であり、土地の地回りが不正に一役買っているのを調べていたのであった。

 監禁された秀全と平助は、地回りの養女となっていた「おまつ」という娘に助けられる。「おまつ」は地回りの養女であったが、山中で暮らしており、嵐と名乗る男といい仲になり、その嵐が行方不明になっていたために、山中を逃げる平助らと同行することにしたのである。嵐という男は、実は平助の同僚で、不正の探索を命じられたが、行くへ不明となり、平助はその嵐を探すために来ていたのであった。

 探し出した嵐は山中で「宝」を発見したと言う。その宝とは、強壮薬である五石散の材料となる黒水石であった。ちなみに、「水石」とは、もともと自然に出来た文様や形で鑑賞に堪える石のことで、黒色がもっともよいとされているが、五石散の材料となるものは、鍾乳石や硫黄、白石英、紫石英、赤石脂(黄土)であり、五石散は、麻薬のような幻覚や興奮を起こすもので、ここで語られている「黒水石」が何なのかはわからない。物語の展開とはあまり関係のないことではあるが。

 その黒水石は立ち入りが禁じられている「御留山」の近くにあるという。その近くの山中で、彼らは山中で人知れず暮らしている「山あがりの衆」という人々と出会う。仲間が御留山の氷室を守る役人に捕まったという。嵐は宝である黒水石を掘り出すためにも彼らの助けを必要としたので、彼らの仲間救出に手助けすることにして、御留山に向かう。

 御留山では、将軍献上のための氷が作られ、氷室が据えられていた。氷の中に入れて氷柱花とする花も栽培され、折り紙も作られていた。ところが、彼らがこの御留山に来たとき、大地震が起こり、氷を作るための湧き水が涸れ、紙細工の娘も氷室を守る役人に捕らえられて行くへがわからなくなるのである。監禁されているという「山あがりの衆」の仲間や行くへ不明の娘の居場所を突きとめるために右往左往する。彼らは氷室の中に捕まったりするが、何とかそこを脱出したりするのである。そして、氷を作る池のそこに大金が隠されていることを知ったりして、献上氷を利用して不正を働いていた氷室の役人の不正が暴かれていく。

 監禁されているという「山あがり衆」の仲間は、実は、嫉妬に駆られて裏切りを働いたのであり、平助や嵐に不正探索を命じた家老自身が、不正の張本人であったりするどんでん返しがある。権勢を巡っての陰謀が隠されていたのである。

 こうした騒動の末に、秀全は、この不正を暴くのに功績があって正式に認められた「山あがり衆」が建立するという寺の住職になっていく。

 物語は、大変面白いし、強壮剤という人間の欲を最もよく表している材料が使われてユーモラスに描かれている。ただ、後半の展開が急ピッチで進められ、その分、登場人物たちが雑多になっているので、ちょっと残念な気がしないでもない。藩の内紛ということや氷室の役人の姿、山あがり衆といったものは、もう少しじっくり人間というものを描く上で掘り下げられ、広げられても良かったのではないかと思ったりもする。

 明日は会議で都内まで出かけなければならない。往復の電車の中で読みさしの本が読み終えられたらいいが、と思っている。

2010年11月2日火曜日

鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 黒衣の刺客』

 久しぶりに朝から晴れ、朝焼けが、葛飾北斎が描いた「東海道五十三次の日本橋」に描かれているような茜色の一筋の線になっているのがまだ開けきれない早朝の東の空に見えた。

 昨夜、鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒 黒衣の刺客』(2006年 双葉社 双葉文庫)を読んだ。これはこのシリーズの7作目だが、読み進めていくうちに、これは前に読んだことがあるのではないかと思って読書歴を調べてみたが、まだ読んでいない作品だった。つまり、このシリーズの作品の大まかな構成がほとんど変わらず、世のはぐれ者が住むことから「はぐれ長屋」と呼ばれている貧乏長屋の住人の五人が、老年期に差しかかった華町源九郎という貧乏傘張り牢人だが剣の遣い手を中心に、諸悪と闘い、その相手の中にも相当の剣の遣い手がいて、これと死闘を演じ、事件を解決していくという物語の展開の骨子がどの作品でも展開されていて、錯覚を起こしたというわけである。シリーズ物だから、それでもいいと思っている。

 この作品では、「はぐれ長屋」の住人で、半人前の手間賃稼ぎをしている大工の房吉が何者かに殺され、住人たちがその犯人を探索していく過程で、江戸市中を騒がせている盗賊一味が背景にあって、房吉がその盗賊の一人の顔を見てしまったことから口封じのために殺されたことがわかってくる。

 他方、第2作『袖返し』で華町源九郎と男女の関係になり、お互いに思いを寄せ合っている親子ほども歳の離れた浜乃屋という小料理屋の「お吟」に、大きな料理屋をもたせてやると言い寄ってくる男が現れた。お吟は元掏摸で、父親が殺され、自分の身も狙われているときに華町源九郎に匿われ、助けられて源九郎といい仲になったのであるが、大きな料理屋をもつというのは魅力的な話であった。お吟とその男は浜乃屋で親密な様子を見せる。お吟もまんざらではなさそうである。

 華町源九郎は、歳も離れているし、自分のような貧乏浪人ではお吟を幸せにはできないので、ひとり淋しく、悋気を感じながらも、その判断をお吟に委ねようとするが、お吟に言い寄ってきた古手屋(古着などを扱う店)の主人がどうもおかしいと思い、密かに調べていくうちに、その男が江戸市中を騒がせている盗賊の頭であることを知っていく。大工の房吉もその強盗団のひとりに殺されていたのだった。

 こうして、強盗団との対決を決意するが、強盗団に雇われている剣の遣い手が一筋縄ではいかない。だが、はぐれ長屋の住人たちは、計画を練って、奉行所の捕り方も使って強盗団を捕らえ、房吉の仇も討ち、剣の遣い手とも紙一重の差で勝負に勝って一件は落着する。華町源九郎とお吟との仲も深まる。

 この作品の中では、老年期を迎えた華町源九郎が、若いお吟のことを案じて、ひとり淋しく孤独をかこおうとする場面が光っているように思えた。彼は夜陰をとぼとぼと歩く。老年期の男の悲哀がにじみ出る。この光景が何とも言えない。

 物語の展開そのものも剣劇の場面も、一つのパターン化されたようなものがあるのだが、こうしたちょっとしたことがこの作品の魅力になっていると思う。

2010年11月1日月曜日

高橋克彦『おこう紅絵暦』

 土曜日に台風が太平洋沿岸をかすめていったが、台風一過とはいかずに、ぐずついた天気が続いている。今日もようやく西の空に蒼空が見え始めているが、朝は幾重にも重なった灰色の雲が重く垂れ込めていた。急速に秋が深まって、もはや初冬の感さえある。

 昨夕、なんだか少し疲れを覚え眠ってしまい、目覚めたときには、見ようと思っていた世界バレーの中継が終わっていた。それから夕食を作り、ビールを飲みながら高橋克彦『おこう紅絵暦』(2003年 文藝春秋社)を読んだ。

 1947年生まれの高橋克彦は、歴史・時代小説の他にも推理小説やホラー小説、SF・伝奇小説などでも多作であり、浮世絵などにも造詣の深い作家であるが、作風に何となくなじめないものがあって手を伸ばしかねていたものがあったのだが、読みたいと思っていた本が図書館で見つけることができずに、今回読んで見ることにした次第である。

 『おこう紅絵暦』には前作『だましゑ歌麿』(1999年文藝春秋社)があって、前作では、風紀を厳しく取り締まり、あらゆる事柄に贅沢を禁止した禁令を断行した寛政の改革(1787-1793年)を行った松平定信が老中、火附盗賊改の長が有名な長谷川平蔵であった時代に、南町奉行の同心で30代半ばの仙波一之進という気骨のある同心を主人公にして、人気絵師であった喜多川歌麿の妻が惨殺された事件を調べ、権力による圧力を受けながらも、知恵を働かせて真相を明らかにしていくというものであった。

 『おこう紅絵暦』は、前作の最後で主人公の仙波一之進に惚れていた柳橋の美貌の芸者「おこう」が晴れて妻となっていたが、その「おこう」の活躍を中心とする短編連作である。

 文学手法の一つに、ある日常をスパッと切って、作者による背景や登場人物の説明などあまりせず、あたかもその日常が続いているようにして物語を展開し、徐々に背景や人物像がわかっていくようにしていく手法があり、それが誰によって試みられたのかはわからないが、現代文学の一つの技法として定着している。『おこう紅絵暦』もそうした手法を用いて書かれているのかと最初は思ったが、どうも違うようで、これは前作の『だましゑ歌麿』を読まないと本作の主人公である「おこう」の背景や人間関係などの前後関係がわからない。わかるのは、頭脳明晰で明察力の鋭い「おこう」が南町奉行所筆頭吟味与力(奉行所では奉行に続く最高位の職務で、奉行に代わって最終的な取り調べをし、時には判決も出す)の妻で、元は柳橋の芸者だが、少女時代は「ばくれん」(少女愚連隊のようなもの)でもあったというくらいである。いくら続編のようなものとはいえ、その点では少し手抜きのような気がしないでもない。

 この作品では、「おこう」が、舅で足腰を痛めて隠居している元同心の仙波左門と相談しながら、持ち込まれる事件や関わりのある事件に鋭い洞察力で名推理を働かせて、巧妙に隠されている真相を明らかにしていくという12編の話が収められており、第一話「願い鈴」は、柳橋で芸者や酔客相手に手摘みの花に占いをつけて売りながら自分を捨てた母親を捜していた薄幸の少女である「お鈴」が殺人の疑いをかけられていることを知った「おこう」が、その事件の真相を解いていくというもので、真相解明後に夫の仙波一之進が薄幸の「お鈴」を仙波家の下働きとして引き取るという話である。

 第二話「神懸かり」は、「おこう」の元先輩の芸者が病で死にかけているところに、行くへの知れなかった息子が帰ってきて親孝行をするが、その息子の背後に押込強盗を企む一味がいて、そのことを見破った「おこう」の名推理力で、強盗一味を捕らえることができ、孝行息子も軽罪ですむことになったという話である。第三話「猫清」は、仙波家に出入りする絵師で、時には探索の手助けもする春朗の知人で彫師をしていた男が自死をする。時に、人気の出てきた役者の中村滝太郎の養父が殺され、滝太郎が養父殺しで嫌疑をかけられる。自死した彫師がかわいがっていた猫のことから、「おこう」は、滝太郎の養父殺しが、役者として人気がでてきて当代一の役者であった松本幸四郎の一族の一員となるように養子話が進んでいた滝太郎に強請をかけていた札付きの養父を、滝太郎のために実の父親であった彫師が殺して自死したことをつきとめていくのである。

 第四話「ばくれん」は、「おこう」の昔の「ばくれん(少女愚連隊のようなもの)」仲間で煙草問屋のおかみさんになっている女に義理の母殺しの嫌疑がかけられていることを知った「おこう」が、その事件の背後に、昔の「ばくれん」どうしの喧嘩を装いながら、悪徳子堕ろしの医者が強請の種にしていた「子堕ろしの証文」を盗み出して、強請の手から仲間を守ろうとしていたことがあることをつきとめるという話である。

 第五話「迷い道」は、老いて気力をなくしかけた舅の左門を気遣って昔の仲間がいる八王子まで遊びに出した時、槍の名手とまで言われた左門の友人が、同心株を返上して物乞いをしている姿を見るところから始まる。左門の友人は、仇討ちの立ち会いをしてくれと左門に頼む。友人はあえて討たれて死ぬ。だが、そこには、武士として最後まで矜持を持ち続けた姿があった。左門はその姿を見て、自分が老いてもなお生きることを考え直していくのである。

 第六話「人喰い」は、仙波家の元の女中の住む長屋で「人喰い」と呼ばれるような陰惨な事件が起こり、元の女中の心労を案じた「おこう」が春朗と共に訪ね、血しぶきの中で焼け焦げた首と片腕だけが残った事件の背後に、盗賊による身代わり殺人があることを突きとめていく話である。

 第七話「退屈連」では、寛政の改革によって風紀を厳しく取り締まられた金持ち連中が「退屈連」と称して狂歌の酒席を設け、そこに絵師として招かれた春朗が、ある大きな料理屋が霊力のある怪しげな山伏を招いて家に社を建立するという話を聞き込んで来る。それが芝居による強盗ではないかと推測して奉行所が捕り方を出そうとする。しかし、「おこう」は、それが「退屈連」の者たちが、町方が出てくるかどうかの賭をした二重の芝居であることを見抜き、さらにその奥に、町方を一緒の集めて手薄になったところを強盗に入るさらに強盗たちによる計画であることを見抜き、無事に強盗を未然に防ぐというものである。

 第八話「熊娘」は、「熊娘」として見せ物小屋で見せ物にされていた「おこう」の幼なじみて、故郷の名主の横暴を訴えようとしていた両親を殺され逃げていた少女を助け出していく話で、助け出された娘の「お由利」は、「おこう」の妹分として仙波家に引き取られることになる。この「お由利」は磨けば美貌で、背丈の高い娘であり、やがて、第五話で生きる意欲をなくしていた舅の左門から槍の手ほどきを受けるようになり、左門の生き甲斐の一つともなっていく。

 第九話「片腕」は、両国橋の橋下に投げ捨てられていた顔が潰され片腕のない死体が発見され、見せ物小屋にいた「お由利」の証言から、それが、奉行所が追っていた二人組の強盗のひとりではないかと考えられ始めていた。しかし、そこに仲間同士の諍いによる巧妙なすり替え殺人があることを「おこう」が見抜いていくのである。この話で、左門から武術を習い始めた「お由利」が見事に強盗たちをうち伏せる場面が付け加えられている。

 第十話「耳打ち」は、人気の出てきた役者の中村滝太郎が、芝居の立役(主役)を演じることになり、忠臣蔵の七段目が演じることになったが、その芝居の一風変わった演出をした作者が殺される事件を扱ったものである。その演出は評判を呼んだが、途中で変えられてしまった。そして、その作者は贔屓があって、見習い作者から、二枚目作者(芝居小屋では、いわば副作者に相当する)になり、さらに上方で立作者(作者の第一人者、映画で言えば監督)になるという。ところが、その作者が上方に向かう途中で殺される。

 芝居の筋が途中で代わったことから「おこう」は、そこに脅迫事件と脅迫された者による殺人を見抜いていくのである.作者が芝居で脅した相手は、顔立ちのいいことや役者との繋がりがあることを餌に若い娘などを引っかけ、盲目で十三歳の娘を引っかけ、殺していたが、それを作者に推測されて芝居の中で殺人の手口を暗示し、脅されていたのである。

 第十一話「一人心中」は、第一話で出てきた「お鈴」の母親が見つかるが、強盗の一味から足抜けしようとして殺されてしまうのである。「お鈴」の母親が残した手紙から、強盗の存在をかぎ取った「おこう」の推理によって、強盗たちが企んでいた押し込み強盗が防がれていく。「おこう」は「お鈴」に「あの人は親ではなかった」と言う。

 第十二話「古傷」は、「おこう」の「ばくれん」時代の最初の男であった秋太郎という男が、巧妙に仕組んだ押し込み強盗の言い逃れを、昔の古傷を思いながら「おこう」が明らかにしていくものである。舅の左門はそのおこうを見て、一之進に「お前には過ぎた女房」という。

 これらの話は、人が気づかないようなほんの些細な手がかりから明晰な「おこう」が謎を解いていく話で、推理小説としては、たとえば、アガサ・クリスティーのミス・マーブルやチェスタトンのブラウン神父のようなものを思わせる。しかし、人間や現象というものへの洞察力ということからすれば、どうだろうか。

 文章も読みやすいし、展開にも無理はない。しかし、物語全体を貫く思想が、どこか平易なヒューマニズムで終わっているような感がないわけではない。薄幸の少女や「熊娘」として見せ物小屋で働かされていた少女が簡単に仙波家で引き取られて安泰な生活を行うことができるようになったり、舅の左門ができすぎた男で「おこう」をいつも「過ぎた嫁」として認めていたり、夫の仙波一之進が大きく「おこう」を包みこむような愛情を見せたり、思いやりを見せたり、それはそれで幸いなことだろうが、人間とその人間が生きる姿へのもう一つ深い掘り下げが物足りないように感じるのである。安価なヒューマニズムというものは、現実には結構やっかいなものである。安直なヒューマニズムというものはどこか安っぽいが、この作品には、そうした薄さのようなものを感じてしまった。

 今日は夕方に用事があるので、日のあるうちに少し外に出ようと思っていたが、あれこれと仕事をしているうちに差し始めた陽が陰ってきた。ちょっと中断して、急いで外出しよう。明日はまた一日、ふう、という感じになるだろうから。

2010年10月30日土曜日

千野隆司『雪しぐれ 南町同心早瀬惣十郎捕物控』

 台風が接近してきて、雨が降り続けている。今夕から夜にかけてこちらに最も接近し、上陸するかも知れないとの予報が出ているが、今のところあまり強い風はない。

 昨日の千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』に引き続き、シリーズの第4作目である『雪しぐれ 南町同心早瀬惣十郎捕物控』(2007年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を読んだ。これも前作と同様、バザーか何かで購入していたものだが、発行年を見ると、前作から2年後にこの作品が出ているので、書き下ろしとはいえ、時間をかけて書かれたものに違いない。

 この作品では、巧妙に仕組まれた強盗籠城事件が取り扱われている。善右衛門という主人が一代で築き上げた京橋の薬種屋「蓬莱屋(ほうらいや)」が夕暮れ時に押し込んできた強盗に襲われた。犯人たちは、店の奉公人や客たちを縛り上げ、人質にして立てこもった。周囲を捕り方が囲み、南町奉行所同心の早瀬惣十郎も駆り出される。雪が降りしきる寒い夜だった。膠着状態が続く。犯人たちの意図がよくわからない。寒さに震えながらも早瀬惣十郎は事件の背景を探ろうとする。

 早瀬惣十郎と琴江夫婦が養子にしようと思っている乱暴者でどうしようもない八歳の末三郎も、子ども同士の喧嘩で「蓬莱屋」に逃げ込んで、事件に巻き込まれ人質となっていることがわかる。琴江も案じて事件の現場に駆けつけてくる。

 みぞれ交じりの雪が降る寒い中で、膠着状態は長く続く。捕り方たちも疲れてくるし、奉行所のだらしなさを責める市中の非難の声も上がってくる。惣十郎は人質の救出を第一に考え、犯人と交渉し、病気の者と子どもの解放を要求する。そこで、ようやく犯人たちは末三郎を解放する。解放された末三郎は案じていた琴江にしがみつき、惣十郎は琴江と末三郎の繋がりが深まったことを知ったりもする。

 そして、解放された末三郎は、意外にもしっかりと冷静に中の様子を伝え、そのことから惣十郎は、さらに事件の背景や犯人たちの狙いの探索を進めていく。強盗籠城が単なる金目当てではないと次第に確信していくのである。

 やがて、外面をおもんばかり、業を煮やした町奉行は強行突入を指示し、強行突入をして、それが功を奏して人質が助け出される。だが、犯人たちはひとりもいない。誰が犯人かわからないように巧妙に人質にまぎれているのである。吟味(取り調べ)が続くが、犯人が誰かは全くわからない。

 金も取られておらず、人質も殺されたり傷つけられたりした者はひとりもいない。事件後は落ち着いていく。「蓬莱屋」の主人の善右衛門と奉行が図って事件は一件落着したものとなる。だが、早瀬惣十郎はどこかにひっかかりを感じて、探索をひとつひとつ進めていく。そして意外な犯人の像が浮かび上がって来る。

 事件の29年前、「蓬莱屋」が店を始めたころ、深川中島町の両替商が強盗に襲われ、大金を奪われて主人が殺され、主人一家が離散した事件があった。事件の犯人は捕まっていない。その後、母親と幼い男の子ふたりはさんざん苦労し、母親が病で亡くなった後は、子どもたちは家々をたらい回しにされて苦労していく。その子どもたちが成長し、自分たちの家を襲って苦労の元を作った強盗殺人犯人を突きとめ、これに復讐しようとしたのである。

 その犯人が、実は、善人の仮面をかぶった「蓬莱屋」の主人、善右衛門だったのであり、「蓬莱屋」に押し込んだ強盗は、その証拠の品を探し出そうとしたのである。彼らは証拠の品を手に入れ、善右衛門と密かに交渉を始める。だが、昔の悪事がばれることを恐れた善右衛門は彼らを殺そうとする。しかし、事件の真相を知った早瀬惣十郎が駆けつけ、すべてを明らかにする。

 巧妙に仕組まれた人質籠城事件の犯人たちの知恵、奉行所という組織の一員として働かなければならないやるせなさを抱えながらも、その事件の背景にひとつひとつ丁寧に薄皮をはぐようにして肉薄し、やがて真相を明らかにしていく惣十郎の歩み、犯人たちの積み重ねられた恨み、善人の仮面をかぶる人間、親子の情、そうした事柄が見事に展開されていく。どうしようもないと思っていた末三郎も、「子どもは育て方次第です」といって愛情を注ぐ琴江の姿とこの事件をきっかけにして変わり、成長していく。惣十郎と琴江の夫婦の絆も次第に深まっていく。

 序章として、29年前の強盗殺人事件の顛末が記されているのも、心憎い演出で、作品としてよく構成されていると感じさせるものがあるし、早瀬惣十郎と琴江、末三郎の家族がこの後どうなっていくのかもシリーズの骨として魅力的である。人質籠城事件を起こした犯人たちの苦労も、安っぽいお涙ちょうだい式でないのがいい。作者の力量は相当なもので、読んでいて飽きが来ない。面白いシリーズだと思う。

2010年10月29日金曜日

千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』

 今日もどんよりと曇って、肌寒い。台風が九州沖に接近し、もしかしたら関東地方を直撃するかも知れないと予報が出ている。先の雨で被害を受けた奄美の人たちは、また台風の接近で踏んだり蹴ったりでたまらないだろうと思う。九州南部もそうだが、自然災害が毎年のように続くので経済的に豊かになる時がない。ただ、その分、自然の恵みも大きいが、貨幣経済社会では生活が苦しくなる。

 千野隆司『鬼心 南町同心早瀬惣十郎捕物控』(2005年 角川春樹事務所 ハルキ文庫)を大変面白く読んだ。以前、この作者の作品で『札差市三郎の女房』というのを優れた作品だと思って読んでいたし、書棚を見るとこの作品をバザーか何かで購入していたのに気づき、さっそく読んで見たのである。

 これはシリーズ化されていて、本作品は第3作目だそうだが、書き下ろしとは思えないくらい丁寧に物語が展開されていて、奇をてらうこともない平易な文章で、物語も人物もじっくりとにじむように綴られている。最近多く出されている書き下ろしの時代小説の中では完成度の高い作品だと思った。

 主人公の早瀬惣十郎は、南町奉行所の同心で、この作品では妻の琴江と結婚して9年目になるが、子どもはいない。元々、妻の琴江は既に他の者との結婚が決まっていたのを、惣十郎が惚れて奪うようにして結婚したのだから夫婦仲は決して悪くはないし、生涯連れ添う女は他にはいないと思ってはいるが、忙しさにかまけているうちに、いつの間にか夫婦の間に溝のようなものができてしまっている。

 そして、それを打開するためにも、また子どもができないためにも、養子をもらうことを決めるが、琴江が養子として選んだのは、惣十郎の又従兄弟の三男の末三郎で、八歳になるが貧相で、顔は猿のようだし、少しも落ち着きがなく、食い意地が張って、意地悪で、弱い者いじめも平気でし、強く出ると泣き叫んで我を通すような、どうしようもない子どもだった。琴江は「子どもは育て方次第です」と言い張るが、惣十郎は手を焼いている。

 こうした主人公の家庭を背景としながら、市中に起こった事件の探索を、ひとつひとつ積み重ねるようにして物語が展開されるのだが、『鬼心』は、巧妙な誘拐事件を取り扱ったものである。

 日本橋に本店のある小間物屋に長く勤めていた市之助という男が、本店の娘と結婚し、暖簾分けされて深川に小間物屋を開いていた。だが、あまり才のない市之助は、焦って商売に穴を開け、借金をこしらえていた。妻となった娘のお光は、派手好きで、性悪で、市之助と結婚する前も遊びくれて、誰の子かわからぬ子を妊娠し、市之助はいわば外聞をつくろうためにていよく押しつけられた結婚だった。そして、結婚してもその行状は変わらず、親元から金をもらいながら派手に遊んでいた。市之助は相変わらず奉公人としてしか見られていなかった。

 そこで、借金の穴埋めのために、市之助は、市中の剣の腕のたつ冷徹な浪人、鑿(のみ)を使って人を殺す破落戸(ごろつき)、本店の小間物屋に恨みを抱く男に依頼し、妻の誘拐事件を企んで、自分を馬鹿にする本店から金を脅し取ろうと計画する。

 雪の降る夜、誘拐は決行される。だが、その現場を岡っ引きに見られ、腕の立つ浪人はこれを一刀のもとに斬り殺す。その現場をまた見たお光の顔見知りの身重の「おあき」に見られる。「おあき」は身重であったが、お光が拐かされることを知り、後をつけて助け出そうとする。だが、「おあき」も発見され、監禁される。

 早瀬惣十郎は岡っ引き殺しの犯人を追おうとするが、手がかりが何もない。いろいろと調べてみても何も浮かんでこない。そうしているうちに、身重の妻が帰ってこないと心配する亭主が現れる。事件に繋がりがないように見えるが、惣十郎はかすかな繋がりの匂いをかぐ。

 そして、誘拐の金の受け渡しのさい、最初の計画とは違って、自分で何でもできると傲慢に思っていたお光の父親が剣の使い手である剣道場主をつれて受け渡しの現場に行く。道場主も相当な剣の遣い手であったが、犯人の冷徹な浪人に斬り殺される。だが、その時、犯人が印籠を落としてしまう。

 惣十郎は、その印籠から手探りのようにして持ち主を捜し出すが、事件全体の姿はまだ見えてこない。そして、あれこれと探索の結果、ようやく、小間物屋の娘が誘拐されたのではないかと推察する。小間物屋の本店の主でお光の父親も、二度目の金の受け渡しの時に殺されてしまう。その殺しの現場に残る足跡を辿り、誘拐されたお光と「おあき」が監禁されている武家屋敷跡に行き、犯人と対決するのである。

 事件の粗筋はそんなものだが、ここには周囲に馬鹿にされ認めてもらえないが自意識だけは強い小心者の市之助と、親元から離れられずに我が儘な限りを尽くし、自分のことしか考えられないお光と言う夫婦、身重で出産を控え(監禁された場所で出産する)、亭主をどこまでも信じようとする「おあき」と「おあき」の身をひたすら案じる亭主、そして惣十郎と琴江という三組の夫婦の姿が描かれている。また、娘の我が儘を何とも思わない傲慢な父親とそれを当たり前のように思う娘、手を焼く養子の末三郎を暖かく包もうとする琴江の親子関係、金を巡って仲間割れを起こす犯人たち、そういう人間模様が織りなされている。

 巻末の、
 「『あいつが望むなら、もうしばらく末三郎との三人で過ごしてみるか』
  惣十郎は胸の中で呟いてみた。
  おあきは、自分が助けに行くことを必ず待っている。仁助はそう信じていた。惣十郎も、琴江を信じてみようと思ったのである」(248ページ)
 という言葉が、この物語の核をよく示している。

 事柄の顛末が、無理なく丁寧に展開され、それぞれの人間模様が真っ直ぐ描き出されている所がいいし、あれこれと枝葉がなくて、一つの事件が一冊で取り扱われるのもいい。中編の優れたところも持ち合わせている時代小説で、読ませるものがある。

 今日は、これから少し出かけなければならない。雨模様で寒いので、早めに帰りたいとは思っている。昨日めいっぱい仕事をしたので、少し時間的に余裕があるから、図書館にも行きたい。夕食にお肉でも買ってきて焼こうかと思っている。

2010年10月28日木曜日

宇江佐真理『雨を見たか 髪結い伊三次捕物余話』

 今の時季にしてはとてつもなく寒い日々になっている。仙台に行っていたが、雪が降るかと思える寒さで、朝の気温は真冬並みの5度以下だった。留守中、横浜も寒かったらしい。今日も、冷たい雨模様で、気温は低い。少し厚手のカーディガンを引っ張り出してきた。

 火曜日の夜、宇江佐真理『雨を見たか 髪結い伊三次捕物余話』(2006年 文藝春秋社)を、機会があって再読してみた。改めて、この作者の文章の軟らかさと人を見る目の温かさをつくづく感じた。

 これは、このシリーズの7作目で、主人公の伊三次と辰巳芸者のお文との間に生まれた伊与太は言葉を覚え始める二歳になり、伊三次が手下として仕える北町奉行所の同心の不破友之進の長子の龍之進は見習い同心として奉行所に出所しており、その後に生まれた龍之進の妹の茜は伊与太よりも少し年上の三~四歳で、きかん気で強情な「つわもの」ぶりを発揮していく。

 その茜が拐かされる(誘拐)事件を扱った第一話「薄氷」は、博打打ちの父親と酒飲みの母親から岡場所(遊郭)に売られることになった十二~三歳の少女が、その両親の悪事に荷担して子どもをさらう話である。拐かされた子どもたちは船で日向まで送られ、そこで売り飛ばされるのである。

 茜が拐かされたことを知り、急を知った伊三次と不破友之進、龍之進は、船着き場に駆けつけて、寸前のところで茜や子どもたちを助ける。そのひとつひとつの場面に、情が溢れている。一方で親に岡場所に売られようとする少女、他方で命をかけて我が子を守ろうとする親、そして、薄幸な少女に対する伊三次の情け、それらが実に見事に描き出されている。その少女は拐かしをする前に通りかかった伊三次に、どうせ岡場所に売られるからわたしを買ってくれと言ってきた少女で、その身の上を知っており、事件後どうなるかもわかっているが、祈るような思いでその少女の行く末を案じるのである。

 この第7作『雨を見たか』は、全体に十五歳の見習い同心不破龍之進を中心にして、見習い同心たちが結束して本所無頼派と名乗る乱暴狼藉を働く若者たちを探索していきなながら成長していく話が展開されており、見習い同心たちは、それぞれに個性豊かな人物たちで、それぞれに個性を発揮していく。

 見習い同心のリーダー格とでもいうべき緑川鉈五郎は、腕も度胸もあるが現実主義的で、どこか割り切った冷めた部分を持ち合わせているし、西尾左内は気弱な所のある学者肌で、例繰方(過去の事件の判例を調べる)の書庫に出入りして、事件を綿密に調べ、事実から推理力を発揮する。古川喜六は、元は商家につとめていたが、人才が見込まれて同心の養子となり、見習いとして出所しているのである。人柄も謙遜で数字にも明るいが、元は無頼派の一員であり、また侍の作法に戸惑ったりする。橋口譲之進は仲間思いの情のある人物で、正義感もある。

 見習い同心としての彼らの日常が描き出されながら、力を合わせて無頼派を追い詰めていくのだが、一方でひたむきに生きる彼らと、他方で無頼派として日常の鬱憤を晴らそうとする青年たちの姿が描かれ、人の生きる姿を考えさせるものとなっている。

 第二話「惜春鳥」では、その本所無頼派がついに押し込み強盗までやってしまい、巧妙に仕組まれたアリバイ工作をどう解き明かすのかが鍵となっていく序章ともなっているが、芸者をしているお文の客となった呉服屋の少し悲哀のある物語も描き出されている。

 呉服屋の佐野屋は、呉服問屋の集まりでお文の客となったが、お文は愚痴や嫌みばかり言う佐野屋に嫌気が差してしまう。佐野屋は三十年も呉服屋の大店に奉公して、ようやく暖簾分け(支店を出す)で独立したが、商売があまりうまくいってなかったのである。だが、親店である呉服屋の大店から仕事を回してもらい、ようやく一息つけるようになり、家族と奉公人のために宴をもつという。お文はその宴に芸者として出かけ、子どもたちが争うようにして卵焼きを食べ、分け合う姿を見、佐野屋の内儀の素朴な姿に胸を熱くするのである。

 宇江佐真理は、苦労して生きなければならない人間を温かく包みこむようにして描く。ほんの些細な日常が気持ちの良い温かさで包まれている。佐野屋の話もそういう話である。

 第三話「おれの話を聞け」は、龍之進の同僚である西尾左内の姉が労咳(肺病)をやみ、婚家から戻って戻ってきていることを知り、龍之進が見舞いに行くと、左内の姉の夫が来て、「おれの話を聞け」と怒鳴りあう夫婦の諍いが始まってしまうのをきっかけにして、それぞれの夫婦の姿が描き出されていく話である。左内の姉にはまだ小さい三人の子どもがいた。そして労咳を病んでいるために夫の両親は、その子たちの世話のためにも、病に倒れた嫁と離縁して、新しい嫁を迎える算段をしているのである。だが、夫は離縁する気はない。左内の姉は、自分はもう無理だから離縁してくれと言う。それで、「おれの話を聞け」と叫んだのである。

 その場に居合わせた龍之進は家に帰り、父親の友之進に「もし母上が病に倒れ、回復の見込みがないとしたら、どうしますか」と尋ねる。友之進は「いなみ(妻)には身を寄せる実家はねぇ。・・・おれが最後まで面倒を見るさ」(126ページ)と当たり前のようにして答える。次に、龍之進は伊三次に「お文さんに、おれの話を聞けと、切羽詰まった声を上げたことがありますか」と尋ねる。すると伊三次は、「わたしは甲斐性なしの男ですから、そんな台詞をほざいたことはありやせんが、うちの奴が・・・わっちはお前の何なんだ、と詰め寄ってきたことがありやす。正直、ぐうの音も出やせんでした」(144ページ)と答える。

 夫婦の姿は様々だ。様々であっていい。ただ、かけがえのない相手だと確信できればいいし、またその確信が欲しい。「おれの話を聞け」、「あっちはお前の何なんだ」という台詞は、そのかけがえのなさを確信しようとする言葉である。相手がかけがえのないものであることを覚えること、それが愛の本質であるに違いない。第三話は、そういうことをそれとなく語るものである。

 第四話「のうぜんかずらの花咲けば」は、見習い同心としての訓練が進んで行く中で、奉行所の岡場所などの私娼窟の手入れで捕縛された娘の話が展開されている。娘は、質の良くない一膳飯屋の女中として十両で父親に売られた。やがては客を取らされることになるだろうと思われる十四、五歳の娘で、龍之進は、手入れの前に娘が稲荷神社の前で何かを一心に祈っている姿を目撃していた。娘は、自分は客を取っていたと言い張る。もしそうなら罰として吉原送りになる。龍之進には娘が客を取っていたとは思われない。なぜ、自ら吉原送りを望むのだろうか。

 牢内で、引退前の老同心が娘にいたずらを仕掛けようとする。例繰方として権威もある同心だった。だが、寸前で宿直をしていた龍之進が気づき、これを阻止する。そして、娘は龍之進に、夜中まで働かされ、朝は暗いうちに起こされて、眠る時間も与えられない、吉原に行ったらもう少し眠れるだろう、そして、吉原にはいとこの姉さんがいて、どうせ売られるならそこに行きたい。姉さんの見世の庭に、「のうぜんかずら」が咲いていて、そりゃあきれいだそうだ、と言う。

 娘は吉原の引き手茶屋の女中奉公として出ることになる。そこが遊女屋でなかったことだけが救いである。龍之進は吉原へも見回りに行くが娘に会うことはなかった。ただ、娘がつとめている引き手茶屋の横手に「のうぜんかずら」が咲いていたと同僚の古川喜六に教えてもらい、その花の名の意味が「高くつるを伸ばし、空いっぱいに咲き誇る」という意味であることを知る。「のうぜんかずら」は猛暑をしのぎ、秋まで咲き続けるたくましさもあるという(189ページ)。娘にぴったりの花だと龍之進は思う。

 第五話「本日の生き方」は、腰を痛めたお文が治療のために骨接ぎ(実は、この骨接ぎの弟子が本所無頼派のひとりであるが、お文は知らない)に行く途中で、亭主が盗っ人の嫌疑をかけられて引っ張られていくのに出会う。お文は、岡っ引きにすがりつく女房をなだめ、ご飯の支度をして亭主を待つようにと声をかける。この世でたったひとりの男と思っている女房の姿に、お文は自分の姿を重ね合わせる。亭主の無罪が証されて大番屋(牢)から解き放たれる場面にも遭遇するが、自身番の前で心配そうに亭主を待つ女房の姿に、かつて自分の亭主である伊三次が殺人の疑いで大番屋に引っ張られたとき、同じように伊三次を待っていた姿を思い起こす。

 それとは別に、辻斬り騒ぎが起こる。見習い同心たちは、どうもその辻斬りが本所無頼派の仕業ではないかと推測をつけ、無頼派の首領格が養子に入った旗本(幕府老中)の家を密かに見張ることにする。案の定、その夜、旗本家から出てきた男が辻斬りを働こうとする。見張りに立っていた不破龍之進と緑川鉈五郎は、その辻斬りを阻止するが、男は仲間(骨接ぎの弟子)を自ら刺して逃げる。町奉行所は旗本には手は出せない。刺された男は死ぬ。だが、事件は明白となる。

 見習い同心たちはお手柄だったが、無断でそのようなことをしたと叱られ反省文を書かせられる。龍之進の反省文の一節、「本日の小生の生き方、上々にあらず、下々にあらず。さりとて平凡にあらず。世の無常を強く感じるのみにて御座候」(235ページ)が表題になっている。

 龍之進は、まだ十五、六の少年だが、普段の彼の言動からして、この一文はなるほどと思う。彼は自分の生き方をとことん探している素朴で素直な、そしてひたむきな少年なのである。

 第六話「雨を見たか」は、「しくじり(失敗)」の話である。逃げた旗本を初めとする無頼派への探索が進んで行く。押し込み強盗も彼らの仕業に違いないが、アリバイが崩せないし、証拠がない。船を使ったようだが、その船の船頭がわからない。そういう中で伊三次が、客を川に突き落としたかどで捕まっている船頭が、押し込み強盗事件の後で急に金遣いが荒くなったのを聞き込んできて、日本橋から深川まで舟に乗ったときに、その舟の船頭から、それとなく押し込み強盗の犯人は伊三次が考えている船頭ではないかという話が持ち込まれる。巧妙に仕組まれたでっち上げ話なのだが、伊三次はそれとしてその話を奉行所にあげる。捕り方が向かうが、しかし、空振りに終わる。

 客を川に突き落とした船頭は押し込み強盗とは無関係で、伊三次は勇み足の「しくじり(失敗)」をした。同心の友之進も、昔、無実の男をひっぱったのではないかという後悔をもっている。

 それとは別に、無頼派の旗本が養子縁組を解消され、実家からも勘当されるという知らせを奉行がもたらす。勘当されれば身分を失い牢人となるから町奉行所で逮捕できる。見習い同心たちは準備を整え、無頼派の旗本が家から出てくるのを待ち、ついにこれを捕縛する。これで一件落着かと思いきや、勘当されたとはいえ相手は旗本家で、家名に傷がつかないように奉行との間で内々の取引があった。彼らが罰されることはない。龍之進も、そのどうにもならなさの中に置かれるのである。

 朝、伊三次と弟子の九兵衛が龍之進と出会ったとき、伝馬船の船頭たちが「こっちは雨を見たか」と会話しているのを聞く。龍之進が「雨は見ましたよ.心の中で・・・」とつぶやく。それから伊三次も「わたしも雨を見ましたよ」と続ける。

 人は多くの失敗を重ねていく。「雨を見る」ことはいくらでもある。時には土砂降りさえある。そうやって人が生きていく姿を「雨は見たか」は、かすかに、しかし、しかりとした音色で響かせているのである。

 宇江佐真理の作品について書いておこうとすると、どうしても長くなる。作品が多くのことを、決して饒舌ではなく静かに語っているからだろう。そして、描かれる人間の温かさがふんわりと包む。個人的に、このシリーズが平岩弓枝の『御宿かわせみ』のように、二世代に渡るものとなって、龍之進や茜、伊三次の子どもの伊与太の世代にまで続く物語になって欲しいと思っているがどうだろうか。茜という親が手を焼くようなきかん気でやんちゃな子どもは、心底いいなぁと思ったりもする。その茜を周囲の人が手を焼きながらもそのまま大事にしている姿もいい。

2010年10月26日火曜日

出久根達郎『抜け参り薬草旅』

 昨夜、雨が音もなく降ったようだ。昨日洗濯物を取り込むのを忘れていたら、ぐっしょり濡れて洗濯のやり直しという、いつもの「ぼけ」をやってしまった。仕事の関係で午後から仙台まで行かなければならないし、片づけなければならない仕事もあるので、まだ暗い早朝から起き出していた。

 昨夕から夜にかけて出久根達郎『抜け参り薬草旅』(2008年 河出書房新社)を面白いと思いながら一気に読んだ。

 「抜け参り」とは、元々は「生かされている」ことを伊勢神宮に感謝する「おかげ参り」とか「お伊勢参り」と呼ばれ、だいたいにおいて江戸時代に60年周期で起こった伊勢神宮への集団参拝のことで、江戸時代には庶民の移動には厳しい規制があったが、伊勢神宮参詣や大山詣のようなことに関してはほとんどが許される風潮があり、特に伊勢神宮の天照大神が商売繁盛の神とされたことから商家では、子どもや奉公人が「お伊勢参り」をしたいと言い出すと、親や主人はこれを止めてはならないと言われていた。また、無断で出かけていっても、伊勢神宮を参詣したという証拠のお札やお守りを持ち帰れば、お咎めなしの無罪放免とされていた。「抜け参り」は、その無断で伊勢神宮へ参詣することを言う。

 だいたいにおいて、初期には、「講(お金を出し合い、くじで当選者を決めて、当選した者が集まったお金を使うことができる)」を作ったりして本格的に行われ、参詣者は「白衣」を着ていたそうだが、中期になると仕事場から着の身着のままで行ったりして「おかげでさ、するりとさ、抜けたとさ」と囃子ながら歩いたと言われる。無一文で出かけても沿道の人々が助けるべきという風潮があった。無一文で出かけた子どもが大金をもらって帰ってきたという話もある。

 後期の文政から天保にかけての「おかげ参り」では、なぜかひしゃくを持って行き、それを伊勢神宮の外宮北門に置いていくということが流行り、こうしたことが幕末の「ええじゃないか」につながっていく。文政から天保にかけての「おかげ参り」で参詣した者は400万人を越えるというから、これがいかに江戸庶民の間で流行っていたかがわかる。

 伊勢神宮の性質が変わったのは明治になってからで、明治天皇が伊勢神宮に行幸したことから庶民の「お伊勢参り」熱がさめ、伊勢神宮は格式の高い神社になってしまった。

 ちなみに、わたしが住んでいる所は、「お伊勢参り」と同様に江戸時代に江戸の庶民で流行した「大山詣」に使われた「大山街道」の側で、現在の国道246号線が側を走っている。近くの「荏田(えだ)」という所は大山詣のための宿があった所である。

 『抜け参り薬草旅』は、江戸の瀬戸物問屋につとめていた十六歳の少年「洋吉」がその「抜け参り」の旅に出て、箱根近郊で薬草採りをする庄兵衛という人物と出会い、その庄兵衛と一緒に旅をしていくというもので、薬草に詳しく、人知にも経験にも富んだ庄兵衛と共に、特に精力剤や催淫剤(惚れ薬)などを求める人々や事件などに出くわしながら、最後には「おかげ参り」の群衆を利用して幕府転覆を企む由井正雪の子孫である由比家の騒動に巻き込まれながら成長していく話である。

 薬草が生えている所は秘中の秘であるから、特に精力剤ともなる薬草などを巡って、薬草採りの上前をはねようとする人物も出てくるし、ないはずの黄色い朝顔の種を欲する強欲者も出てくる。刺青を覚えた絵師が若い女性の肌を狙って「抜け参り」の女性たちを誘拐する事件も起こる。薬と毒は表裏一体だから、その毒を欲する者もある。「抜け参り」を利用して駆け落ちする者や羽目を外す少女もいる。そういう様々な人間の欲の模様が「薬草旅」の色をなしていき、洋吉は庄兵衛の下で人生経験を重ねていくのである。

 途中で「抜け参り」の旅を同行することになった「とし」という少女との洋吉の淡い恋もある。そして、最後に、静岡清水の府中で、由比の由比家の子孫が企む「おかげ参り」の群衆を利用した暴動に巻き込まれ、旅絵師に身をやつした幕府お庭番(隠密)や庄兵衛の活躍で助け出されていき、洋吉と「とし」は抜け参りの熱を冷まして、落ち着いていくのである。

 物語の展開が細部にわたって無理がないし、庄兵衛の人間観察眼もなかなかのもので、大げさに構えないところがいい。なんといってもこの作品にはユーモアが満ちている。人間の業(ごう)や性(さが)をそのまま受け止めていくユーモアがある。時代小説としては完成度の高い作品だと思う。

 作品とは関係ないが、薬草については、いつかもっときちんと学べたらと思ったりする。何といってもそれは人間の知恵の産物であり、歴史である。以前、中国に行ったときに関係文書がないかと思って探したが、こういうのは実際の植物を見て、手にし、乾燥させたりすり潰したりして自分の手で作らないと身につかないと思っている。子どものころヨモギの葉を血止めに使ったことがあるのを思い出した。しかし「生兵法は怪我の元」であるに違いない。

2010年10月25日月曜日

坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』

 晴れたのは土曜日だけで、昨日は朝から曇り空が垂れ込め、夜は雨になり、少し肌寒い日となり、今日も午後は少し陽が差したりもしたが、朝から雲が垂れ込めていた。雨のひとしずくごとに秋が深まっていくのだろう、街路樹の銀杏も色づき始めている。日曜日のの新聞には紅葉した日光の中禅寺湖の写真が掲載されていた。「日光に行くまではけっこうと言うなかれ」と言われている日光にはいつか行ってみたいと思っている。

 土曜日の夜、早く休みすぎて夜中に目が覚め、坂岡真『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』(2008年 双葉文庫)を読んだ。坂岡真という作家の作品は初めて読むが、文庫本のカバーの表紙裏によれば、1961年生まれで、大学卒業後に会社勤務をされ、その後作家活動に入られたようで、このシリーズの他に『うっぽぽ同心十手綴り』や『夜鷹人情剣』、『鬼役矢背蔵人介』といったシリーズを書き下ろして書かれているらしい。本作は、このシリーズの11作目とあるので、シリーズ物として息の長い作品の一つだと言えるだろう。

 『照れ降れ長屋風聞帖』は、江戸切り絵図で見れば、江戸の江戸橋北から親爺橋に向かう堀江町3丁目と四丁目の間の道に履物屋と傘屋が並び、通称「照降丁」と呼ばれる横町があり、そこの裏店の長屋で浪人暮らしをしている中年の浅間三左衛門を中心にした物語で、彼と交わりをもち、元会津藩士で剣の修行をしながら浪人となっている若い天童虎之介、正義感の強い八丁堀同心の八尾半四郎といった、いずれも剣の相当な遣い手たちが諸悪と闘っていく物語である。近年、こうした類の作品は、本当にたくさん出されていて、特に、優れた能力を持ちながら貧乏暮らしをしなければならず、普段はそういう能力があることすら見せないが、いざとなったときに力を発揮していくという構造を、いずれもがもっている。

 こういう主人公の姿が、なぜ今の日本の多くのサラリーマンに読まれるのかという社会考察も多く目にすることができるほど、こうした作品が出されているのである。奉行所同心が主人公になった作品もたくさんあり、その多くが、出世と言うところとは無縁のところに置かれていた奉行所の同心の地位が、閉鎖的な色合いを濃くしてきている今の日本社会の反映と言えるかも知れない。

 それはともかく、『照れ降れ長屋風聞帖』の主人公である浅間三左衛門は、小太刀の遣い手であり、知恵も機転も利き、洞察力もあるが、「おまつ」という十分の一屋(結婚仲介業)を営む女性の亭主として養われ、普段は「ぼさぼさの頭髪に無精髭、よれよれの着流しを纏い、暢気そうな顔つき」(27ページ)の痩せ浪人である。彼は家事もこなせば子守もし、およそ侍らしからぬ子持ちの中年男なのである。くたびれた中年の代表選手と言っても良いかも知れず、その意味では、この類の時代小説の一つの類型化された主人公のひとりである。

 『照れ降れ長屋風聞帖 盗賊かもめ』は、表題作の他に「ぼたもち」、「枯露柿」の三話からなる連作短編集だが、物語そのものは、それぞれ中心となって活躍する人物も事件の内容も異なったものとなっている。

 第一話の「盗賊かもめ」は、主人公の浅間三左衛門を師と仰いでいる元会津藩士の青年剣士である天童虎之介が、思いを寄せる裏長屋の隣の娘「おそで」を連れて千駄木の菊人形を見に出かけたときに、子どもの拐かし(誘拐)現場に出くわし、それを未然に防いだことから、子どもの父親である仏具屋の主にいたく感謝され、歓待されるところから始まる。

 仏具屋の主は、町の世話をする町役人もつとめ、将軍が見ることから「天下祭」とも呼ばれていた「神田祭」の世話もしており、天童虎之介一行を観覧席に誘ったりするが、実は、盗っ人の上前をはねる「盗賊かもめ」と呼ばれる人物であり、その蓄えた金を狙って盗賊たちが子どもの誘拐や夜襲などを企んでいたのである。

 仏具屋の主の金を狙っていたのは、籐八と呼ばれる盗っ人を頭とする一味で、彼らは神田祭を利用して、将軍上欄で右往左往する江戸城の御金蔵から大胆不敵にも金を盗むことを計画していたのである。そして、そのことを知った天童虎之介や浅間三左衛門、奉行所同心の八尾半四郎らがその企てを粉砕していくというものである。

 第二話の「ぼたもち」は、野菜売りで「変な顔のぼたもち」と呼ばれて馬鹿にされていた娘が商家の主殺しの罪で大番屋(牢)に入れられるところに出くわした同心の八尾半四郎が、その事件の真相をさぐり、権力を持つ目付(武士を取り締まる役人)が多額の借金を商家からしており、その借金を消すために商家の主を謀殺したことを明白にしていく話である。目付は奉行所内与力(奉行の家臣)とも結託し、権力による圧力をかけるが、半四郎は物ともせずに、彼が密かに思いを寄せている隠密の雪乃の助けで真相を明らかにしていく。

 第三話の「枯露柿」は、ふとした誤解で夜鷹(娼婦)の亭主から嫉妬を被り、腹を刺された浅野三左衛門であったが、その夜鷹が何者かに殺されたことを知り、その事件の裏に、将軍お目見えの格をもつ強欲で好色な検校(盲人の高官位者で、金貸し業が公認されていた)がいることを探り出し、その検校と対決していく話である。彼は検校の策略にはまり水井戸に閉じ込められるが、かろうじて脱出し、天童虎之介、八尾半四郎らの助けで検校一味を一網打尽にしていくのである。

 こうした事件の顛末が物語られているのだが、主人公の設定はともかく、わたしには事件の顛末や解決がどうも安易すぎるし、理に適わないところが多すぎる気がしてならなかった。たとえば、第一話「盗賊かもめ」では、江戸城の御金蔵破りが取り扱われるが、描かれている籐八という小悪党では、そのような大きな事件を起こすことは不可能ではないかと思ってしまうのである。また、事件の真相を浅間三左衛門が解いていくのだが、御金蔵破りという巧妙に仕組まれたはずの事件の真相が、そんなに簡単にわかっていいのだろうか、「盗賊かもめ」と呼ばれる仏具屋の主が誘拐されかけた子どもの実父ではなく、ただ演じていただけで、実母が金遣いの荒い派手な女房であるのも、どこかちぐはぐな気がした。

 確かに、歴史上、江戸城の御金蔵は何度か破られているし、神田祭にかこつけてそれが行われたという話も、正確には覚えていないが池波正太郎か誰かの小説にあったように思うが、そこには相当の資金力と人力がいるのであり、御金蔵の鍵番が一味の女の色香で御金蔵の鍵を開けていたというのも安直なような気がした。

 また、第三話の「枯露柿」で主人公の浅間三左衛門が検校の屋敷の水牢に落とされるが、畳の部屋の真下に水牢を作り、これを引き上げるのに滑車を使ったというのは、物理的に考えて荒唐無稽のような気がしたし、助けに来た八尾半四郎が担ぎ込まれた鐘の中に身を隠しているのだが、ひとりの人間を隠すことができるような大きな鐘が半鐘のような高い音を出すことができるとも思われない。また、正義漢が策略にはまって暗い水牢に落とされるという話も、どこかで読んだような気がする。

 読み進むに従い、どこか安価に作られた話のような気がしてしまったのである。文章表現も、江戸切り絵図をなぞっていくようなところがあって、どこかごつごつした感じさえした。言葉が事柄の羅列であれば、言外の言がなくなる。書き下ろしという執筆手段では、推敲はじゅぶんではないだろう。ただ、主人公が仲人仲介業(十分の一屋)を営む女房に養われ、子煩悩で、人がいいという設定は魅力的ではある。

 もちろん、この作品一つでこのシリーズの全部を語ることはできないし、作者についても語ることはできないだろう。
 
 今日、メールを書こうと思っていた熊本のSさんからメールが届いた。嬉しい限りである。

2010年10月23日土曜日

鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒』

 奄美大島の水害のニュースが伝わるが、ここでは、昨日まで垂れ込めていた雲が嘘のように晴れて、気持ちの良い秋空が広がっている。気温はそんなに高くはないが、過ごしやすい.少し苦しめられた咳もだいぶ治まって、それも今日の気分の一つだろう。今朝は比較的ゆっくり起き出して、いつものようにコーヒーを飲み、新聞を読み、シャワーを浴びて、仕事に取りかかった。

 熊本のSさんや久留米のJさんなどに「元気でいますか」とメールを書こうと思っていたのだが、何やかにやで書きそびれてしまった。またの気分の時に、と思っている。

 昨夜、宇宙の果ての小さな惑星でサバイバルをしなければならなくなり、大きな建造物の上まで梯子を恐怖にかられながら昇り降りしているという奇妙な夢を見た。2000年から2001年にかけて書いた『逍遙の人-S.キルケゴール』という小さな文をまとめる作業が昨日終わったので、寝る前に、S.キルケゴールが使った「梯子」を意味する仮名について考えていたからかも知れない。

 その前に、昨夕は鳥羽亮『はぐれ長屋の用心棒』(2003年 双葉文庫)を読んだ。このシリーズは2作目からランダムに読んでいたし、だいたいにおいてシリーズ物の1作目はシリーズの中で最も充実しているものだから、その1作目を読んで見たのだが、改めて1作目を読んで見て、作品の質がほとんど変わらず維持されていることに、まず敬意を表したいと思った。

 これは、世のはぐれ者ばかりが住んでいるので通称「はぐれ長屋」と呼ばれる本所相生町の棟割り長屋に住む中年の傘張牢人である華町源九郎を中心に、居合抜きの大道芸で暮らしを立てている菅井紋太夫、元岡っ引きで還暦を過ぎて隠居し娘夫婦の世話になっている孫六、一流の研ぎ師のもとに弟子入りしたがうまくいかずに出て、包丁やはさみを研いで糊口をしのいでいる茂次、そして第1作では出てこないが砂絵を描いて見せることで日々の暮らしを何とかやりくりしている三太郎の五人が団結して諸悪と闘う物語である(1作目には、まだ三太郎は登場せずに、四人の活躍となっている)。

 今回は、源九郎と紋太夫が無聊をかこって将棋を指しているときに、土左衛門(溺死体)があがったというニュースを茂次が伝えるところから物語が始まる。好奇心旺盛な源九郎たちはその死体を見に行くが、どうやら手ひどく痛めつけられて殺され、川に流されたようである。

 その事件は彼らには無関係の事件であったが、次の日、華町源九郎がその川の側を通ると、ひとりの五~六歳の男の子がそこに佇んでいた。気になって声をかけると、どうやら殺された男と関係があるらしく、しかも「家はない」という。源九郎は仕方なしにその子を自分の長屋に連れてきて面倒を見て、その子の家を探そうとする。だが、探そうとすると二人の武士から襲われることがあった。そこにひとりの女が訪ねてきて、20両の金と共にその子を守って欲しいという手紙を置いて帰る。

 源九郎たち四人は、その子と土左衛門の事件には複雑な事件があることを察して、その子が旗本の妾腹の子で、旗本家のお家騒動に絡んで追ってから見を隠していたことを知る。旗本のお家乗っ取りを企んでいたのは、病弱な主の弟で、好色で強欲な男であった。主の弟は主の妻とも関係し、妾腹の子をなきものにして、五千石の家を乗っ取ろうとしていたのである。

 神道無念流の凄腕の剣客である深尾という侍も、旗本の弟から剣術道場開設の資金を出してもらうということで源九郎たちに敵対してくる。

 華町源九郎たちは知恵を使い、何とか旗本の弟一味をやっつけ、子どもを守ることができたが、華町源九郎は剣客として凄腕の剣客との対決をしなければならなくなる。老いを感じ始めた源九郎には難敵である。だが、彼に対峙した剣客は、愛する妻を病でなくし死に急ぎ、源九郎はようやくその勝負に勝つ。

 このシリーズは、概ねこうした物語の展開がその後開示されていくのである。事件の内容はそれぞれ異なっているが、まず、手ひどい悪があって、その悪行にはぐれ長屋の住人たちが巻き込まれたり、関わったりする。あるいはそういう悪から守って欲しいとの依頼を受ける。だがそこには難敵が登場し、中年の剣客である華町源九郎が剣客としての矜持を発揮していくのである。

 こうした類型があるのだが、長屋に住む庶民の日常がいきいきと描かれ、無理のない流れるような文章で情景と状況が描かれるので、物語として読みやすい。最近は、こういうパターンで描かれる「長屋物」がいろいろな作家の作品で出されているが、酸いも甘いもかみ分けたような中年から老年期の男が中心となって物語が展開される娯楽小説としては面白い。

 鳥羽亮の他の作品でもそうだが、剣の試合を描く際に、彼は「斬気」というものを頂点にして闘いを描く。「斬気」というのは、気が最も高くなった瞬間で、剣道でも他の柔術でも、多くの場合、特に真剣の場合はその気の高まりで勝敗が決まるから、主人公が「斬気」を見極めていく姿は納得できる。

 ただ、勝ち負けというのがあまり好きではないわたしとしては、個人的に、華町源九郎のような主人公には、たとえそれが悪との対決であったとしても、「斬気」も何もなく、のんべんだらりと、あるいはのらりくらりとやってもらうといいように思ったりもする。物語の展開や構成上はそうもいかないだろうが、もうすこし「だらしない」方がいいと思うのである。わたし自身、もう少しだらしなく生きたいと思っているからだろう。

 今日は土曜日で、相変わらず仕事は山積みしているが、天気もいいことだし、のんべんだらりと過ごそうと思っている。

2010年10月20日水曜日

多田容子『やみとり屋』

 今にも泣き出しそうな雲が覆って、少し肌寒さを感じる。風邪が完全に抜けきらず、体力も気力も衰えたような気がするし、この衰えた状態でこのまま生きていくような気弱な思いがふと横切ったりもするが、多分、一時的な感覚だろう。ある論文の関係で、今朝、ふと、大きな網で世界をすくい取ったようなヘーゲルの歴史と状況の卓越した概念把握のことを考えていたら、「こういうふうに物事を考えながら生きていかなければならない人間の不幸とつまらなさ」という言葉が浮かんできて、いったい自分が何をしたいと望んでいるのか、それがわからないところにわたしの不幸があるなぁ、と思ったりもした。

 というのは、ヘーゲルの哲学とは全く無関係なのだが、昨夜、椎名軽穂という人の少女漫画を原作にした『君に届け』というアニメ・テレビドラマを涙をポロポロこぼしながら感動して見て、そこに描かれているひたむきで素直で真っ直ぐな高校生の姿が目に焼きついて、今の歳になっていたく反省させられ、「自分で納得すれば、自己完結も悪くない」と思ったりしたからである。この作品は、最近、実写映画で上映されているらしいが、このような物語に感動を覚えることができるような人たちがたくさんいるということは、素敵なことに違いない。

 アニメ・ドラマは、先にとても好きになった『のだめカンタービレ』と、この『君に届け』の2作しかしらないが、このDVDもぜひ手に入れたいと思っている。

 それはともかく、月曜日の夜から火曜日にかけて、多田容子『やみとり屋』(2001年 講談社)を読んだ。作者について本のカバーの裏に「1971年、香川県生まれの尼崎市育ち、京都大学経済学部在学中から時代小説を書き始め、・・・2000年3月には『柳影』を刊行、若き剣豪小説作家の誕生と注目される」とあり、武術、それもとりわけ柳生新陰流に詳しく、2009年には『新陰流 サムライ仕事術』(マガジンハウス)という異色の実用書を出されているようである。

 そういう作者の著作傾向からすれば、『やみとり屋』は作者の作品群の中でも異色の作品だろう。愚将軍としても名高い五代将軍徳川綱吉の時代の「生類憐れみの令」が施行された時代に、向島の森でひそかに鳥料理を食べさせる「やみとり屋」を営む潮春之介と吉本万七郎という二人の男を中心に、その店に集う様々な人々の姿を描いたもので、巻末にわざわざ吉本の芸人であるダウンタウンのトークや作品を参考にしたと断られているように、時代小説では珍しく会話、それも大阪弁の会話が中心となり、しかも、主人公の一人称の形式で物語が進められている。

 主人公の「俺」である潮春之助は、複雑な出生で、上方の醤油商の潮屋で育てられ、成長し、百両の金を盗んで家を出て江戸に出てきて、「言部流」という話術を極めた男であり、もうひとりの春之助の相方としての万七郎は、かなりの武術の腕をもつ元侍で、義兄を殺し、敵持ちとして江戸に出てきて春之助と出会い、一緒に「やみとり屋」を始めることになったのである。

 禁令の鳥を食そうとして集まってくるのだから、ここに集まってくるのはいろいろな思惑を抱いている人間たちであり、やがて「やみとり屋」は幕府転覆を企む集まりとして探りを入れられるようになり、そのうち、万七郎を敵とする武士も現れたり、虎の衣を切る目付に出世の道具としてつけ狙われ、これと対決しなければならなくなったり、幕府隠密が登場したりして、てんやわんやの騒動となる。

 そういう騒動を春之介と万七郎の「しゃべり」で切り抜けようとするのである。もちろん、春之助、万七郎のそれぞれの恋も絡んでいる。

 ただ、題材や物語の展開からすれば、あまり意味のない「しゃべり」が先行して、どこかまとまりがないような構成が気にならないことはない。あえて作者がそれを意図しているのかも知れないが、あまりにも盛りだくさんな具蕎麦を煮込みすぎた醤油味で食べさせられているような気がしてしまった。物語そのものは後半に行くに従って引き込まれていく展開をもっているだけに、「しゃべり」ということに重点が置かれ過ぎているような気がするし、「しゃべり」に意味をもたせようとするところに無理があるのかも知れないと思ったりもする。「しゃべり」は「しゃべくり」で、本来、何の意味もないような、他愛もないもので、軽く受け流されることを目的としたものに過ぎない。一つの小説作品として見れば、作者の思い入れが強すぎるような気がするのである。

 もちろん、これだけで作者云々と言えるわけではない。他の作品では違った面もあるだろう。ただ、わたし自身、武術をしないわけではないが、今のわたしにとってはどうも「勝負」を描く剣豪小説というのは触手が動きにくい。この作品の中で描かれる「立ち会い」は本物だとは思っているが。

2010年10月18日月曜日

宮部みゆき『初ものがたり』

 薄雲が秋の陽光を遮っているような、陽がさしかけては曇る日だったが、気温が高からず低からずで、気持ちの良い月曜日となった。風邪は治りかけているのだが、まだ少し咳が残り、テッシュもたくさん使うし、身体的には爽快とは行かない。それでも、まあ、日常は変わりなく流れていく。

 土曜の夜から日曜日の夜にかけて、宮部みゆき『初ものがたり』(1995年 PHP研究所)を絶妙な文章表現に感心しながら読んだ。まず、松下幸之助氏が設立したPHP研究所がこうした文芸書を出版していたことをあまり知らなかったので、出版元を見て、へぇ、と思ったりしたが、ハードカバー二段組み228ページの本の体裁は、持ち運びには便利でよかった。

 本書は、本所深川一帯を縄張りとする五十五歳になる中年の岡っ引き「茂七」のミステリー仕立ての捕物帳もので、取り扱われる事件も、巧妙に仕組まれたアリバイ崩し(「お勢殺し」)や浮浪の子どもたちが毒殺される事件(「白魚の目」)の狂気、武家や商人に「畜生腹」と嫌われた双子にまつわる事件(「鰹千両」)、兄弟殺しにまつわる人間の哀れな嫉妬心(太郎柿次郎柿))、お店の婿となった小心な手代の元の恋人の失踪事件(「凍った月」)、大地主が訪ねてきた妾腹の子を「恥」として監禁する事件など、人間の心情の綾が生み出す悲しさを伝えるもので、ミステリーとしてもなかなか凝ったものがある。

 また、全編に流れる「茂七」の思いやりの心情と彼の手下たちの個性、そして屋台の稲荷寿司屋を出す謎の人物や、後半に登場する「霊感少年」への対応など、連作の繋がりがしっかり構成されている。

 物語の内容も面白いが、それ以上に、個人的に、宮部みゆきらしい優れて豊かな表現が随所にあって、それが本当に気に入っている。

 たとえば、狂気のような残虐性をもつ美貌の大店の娘によって引き起こされた浮浪の子どもたちの毒殺事件を取り扱った「白魚の目」では、「二月の末、江戸の町に春の大雪が降った。冬のあいだ、ことのほか雪の多い年のことだったので、誰もそれほど驚かず、また珍しがりもしなかったが、そこここで咲く梅の花にとっては迷惑なことだった」(47ページ)という書き出しがあり、「春の大雪が梅の花にとっては迷惑なことだ」という表現は普通ではできない表現だと感じ入った。

 そして、「手の甲を空に向けて雪片を受け止め、茂七はひょいと思った。降り始めの雪は、雪の子供なのかもしれねぇ。子供ってのは、どこへ行くにも黙って行くってことがねぇから。やーいとか、わーいとか騒ぎながら降り落ちてくる。そうして、あとからゆっくりと大人の雪が追いついてくるーー」と続いて、その豊かな感性のままに、本所深川に増えてきた浮浪の子どもたちの問題へと続いていく。

 やがて、五人の浮浪の子どもが、小さなお稲荷さんの中で、石見銀山(毒)が仕込まれた稲荷寿司を食べて死ぬ。茂七が駆けつけてきたときに、ひとりの子どもにまだ息があった場面が描かれる。

 「『坊ずがんばれ、今お医者の先生がくるからな』
 抱き支えてそう話しかけてやる。子供はそれが聞こえたのか聞こえないのか、口を開いて何か言おうとする。耳をくっつけると、息を吸ったり吐いたりする音にまぎれて、ほんのかすかな声を聞き取ることができた。
 『・・・ごめんしてね、ごめんしてね』
 そう言っていた。
 おそらく、食い物を盗んでつかまりそうになったり、ここにたむろしているところを大人に叱り飛ばされたりするたびに、この子はそう言ってきたのだろう。向かってくる大人を見るたびに、そう言ってきたのだろう。
 目の奥が熱くなりそうなのをこらえて、茂七は静かにその子をゆすってやった。
 『心配するな、誰も怒りゃしねえ。今先生が診てくださるからな』
 子供の目が閉じた。もうゆすぶっても返事をしてくれなかった。口元に耳をつけてみる。息が絶えていた」(56-57ページ)

 「この子らは、きっと仲よく助けあって暮らしていたのだろう。もしも、先に帰ってきた者が、あるいは力の強い者が、よりたくさんの稲荷寿司を食べるというようなことだったら、食べ損ねた子供は命を拾ったはずだ。だが、彼らはそうではなかった。いくつだったか定かではないが、皿の大きさからしてそうたくさんはなかったであろう稲荷寿司を、仲よくわけあって、みんなで揃って食べたのだ。だから、ひとりも残らなかった」(58-59ページ)

 こういう情景が描き出せる作者に、わたしは深く敬服する。作者の情景描写の豊かさは、まだ他にも多くある。

 「凍る月」の書き出しの部分では、「回向院の茂七は、長火鉢の前に腰を据え、ぼんやりと煙草をふかしながら、屋根の上や窓の外で風が鳴る音を聞いていた。こうしていても、凍るように冷たい外気のなかを、風神が大きな竹箒に乗って飛び来り、葉が落ちきって丸裸になった木立の枝をざあざあと鳴らしたり、道行く人たちの頭の上をかすめて首を縮めさせたりしては、また勢いよく空へと駆け昇っていくのが目に見えるような気がしてくる」(147ページ)というのも、木枯らしが吹き荒れている様を見事に表現したものだと思う。「凍る月」は、その木枯らしのような冷たい損得勘定で生きる人間の姿を描いたものである。

 この物語の事件の推理そのものにも凝ったものがあるのだが、こうした情景の描写や表現に作品の豊かさを感じさせてくれるのが、宮部みゆきの作品ではないかと思う。そして、こういう豊かさがやがて『孤宿の人』という名作につながっていったのだと思う。

2010年10月15日金曜日

千野隆司『札差市三郎の女房』

 午前中覆っていた雲が薄れ、少し陽が差したりするようになってきた。そんなに重い風邪ではないのだが、なかなか治らずに、昨夜買い物に出たときに雲の上を歩いているような頼りない感じがしたり、今朝もあまりすっきりしない気分を感じ続けたりしていた。寝ているわけにもいかず、次第にたまってきている仕事を少しでも片付けようと思って、朝からパソコンの前に座り続けている。

 昨夜、うつらうつらしながらや夜中に目が覚めたときなどに、千野隆司『札差市三郎の女房』(2000年 角川春樹事務所 2004年 時代小説文庫)を、これはなかなかの傑作だと思いながら読んだ。

 百二十俵蔵前取りで無役の小普請組の貧乏御家人の娘として生まれた主人公の綾乃は、借金のために五千石の旗本板東志摩守の側室となるが、ある雪の夜に、残虐な虐待趣味をもつ板東のもとを逃れ、板東家の者から追われ、斬られる。しかし、偶然通りかかった札差の市三郎と手代によって助けられ、市三郎の家に匿われて傷の手当てを受けるところから物語が始まる。

 綾乃の父は貧しくても清廉潔白な武士で、中西一刀流の剣士でもあり、娘に剣の手ほどきを教えたりしていたが、亡くなってしまい、母も、借金までして看病したがいけなくなり、家を継いだ弟も、ある旗本の息子との喧嘩で惨殺され、家は取り潰されて、綾乃は天涯孤独の身であった。

 札差の市三郎によって助けられた綾乃は、行く当てもなく、彼の好意でしばらく市三郎の家で暮らすことにする。だが、粘着質でしつこい板東志摩守は、どこまでも綾乃を追いかけ、ついに彼女が札差の家にいることに気づいてしまう。そこから、大身で権力を持つ旗本と市井の金融業者である札差の市三郎との闘いが始まる。

 綾乃は自分自身の境遇が札差からの借金によるものであることから、札差という仕事になじめないが、次第にきちんとした商いをする市三郎の姿を知っていくようになる。市三郎もまた綾乃に亡くなった妻の面影を見いだしていく。市三郎は、貧しい少女を影ながら助けたりする心優しい男で、商売においては毅然と筋を通していく誠実な男である。だが、板東家の執拗な嫌がらせが始まり、板東家がしくんだ強盗によって市三郎の家の者が手傷を負ったりして、次第に市三郎は窮地に追いやられていく。そのため綾乃は市三郎の家を出るが、板東の嫌がらせは続いていく。それを知った綾乃は、その板東と闘うために再び札差の家に戻り、二人で不屈の闘いをするのである。こうして、綾乃は市三郎の女房となるのである。

 寛政の改革によって出された「棄損令」によって多大な被害を被っていった江戸の金融業である札差と貧乏御家人として生きなければならなかった下級武士の姿が交差し、権勢を笠に着る人間やそれになびく人間、策略に走る人間、そして、非力ながらもそれに立ち向かう人間、傲慢で弱い者や小さな者を虐げる人間と心優しい人間、武士と町人、そうした姿がひとりひとりの生きた人物像として託されて描き出されているので、小さな、たとえば飲んだくれの父親を持ち脚気の祖母の面倒を見ながら小銭稼ぎをしなければならない十歳の少女「おさき」の姿など涙を誘う。

 そして、闘いの渦中にあるとはいえ、ただ自分の道を誠実に歩み続けようとする市三郎の周囲は、いつも平穏な空気が漂っている。彼は、信頼し、落ち着いて、穏やかなのである。そういう姿がにじみ出るように描かれるので、おそらく作者の理想的な人間像のひとつではあろうが無理がない。

 札差の姿を描いた作品は多くあるし、傲慢で強欲は人間との闘いを描いた作品も山のようにあるが、ひとりの女性、それも狭間で揺れる女性の姿をとおして金融業である札差を見、人間としての闘いを見た時代小説の作品の完成度から言えば、完成度の高い作品であることは間違いない。

 この作者の作品を読むのはこれが初めてだが、なかなかの作品だと思い、文庫本のカバーを見たら、現役の中学校の教員をしながら作品を書かれ、1990年の第12回小説推理新人賞を『夜の道行』で受賞し、第二の藤沢周平と賞賛されたそうで、なるほど、と思った。作品数が少ないが、少し探して読んでみようと思っている。

2010年10月14日木曜日

山本一力『あかね空』

 どんよりとした曇り空が垂れ込めている。月曜日に引いた風邪が本格化し、2日ばかり伏せていた。伏せていたといっても、仕事もあるし、会議もあるので養生というのではなく、気怠さを覚える身体で過ごしていたというだけではある。

 山本一力の『だいこん』を読んだあたりで、この作家の2002年度直木賞受賞作である『あかね空』(2001年 文藝春秋社)をじっくり読んでみようと思って読み始めたら、以前に読んでいたことを思い出し、再読の形になった。

 『あかね空』は、貧農の家で生まれ、「穀潰し」として京都の豆腐屋に奉公に出された「永吉」という男が、給金を貯めて江戸に出てきて、深川で豆腐屋をはじめて苦労を重ね、それが軌道に乗っていくまでの親子二代にわたる豆腐屋の成功物語である。しかし、ここには夫婦の問題、父と子、母と娘などの親子の問題、兄弟の問題、周囲の温かい助けが起こってくる状況などが、それぞれの人間の姿で描き出されるので、単なる成功物語ではない。

 「永吉」が作る京風の豆腐は、江戸では受け入れられない。しかし、永吉は心をこめて自分の豆腐を作り続ける。そういう永吉に、やがて彼の妻となる同じ長屋の「おふみ」が手助けをし、本来は商売敵である豆腐のぼて振り(行商)や、同じ豆腐屋をしている老夫妻が影から手助けをし、永代寺に豆腐を収める道が開かれていく。豆腐屋の老夫妻は、若いころに4歳のになる自分の子どもを誘拐され、永吉に我が子の姿を見る思いがしていたのである。その誘拐された子どもも、成長して地回りの親分となり、後で重要な役割を果たしていく筋書きが組まれている。

 だが、彼のことを妬み、彼の店を潰そうとする人間も出てくる。同業の平田屋庄六という豆腐屋があの手この手を使って永吉が営む「京や」を潰そうとし、乗っ取りを企む。
 やがて永吉とおふみとの間に子どもが生まれるが、ふとしたことでその子を傷つけやけどを負わせてしまう。母親のおふみは必死になって看病し、その子栄太郎を大事にすることを願かけて誓う。だが、店も忙しいし、次の子が生まれ、栄太郎にかまってやれなくなった時に、彼女の父親が事故で死んでしまう。その次の娘が生まれた時には彼女の母親が大八車に轢かれて死んでしまうという不幸に見舞われ、彼女は、三人の子どものうち栄太郎一人だけを特別に可愛がる意固地な母親になっていく。

 父親の永吉は、そんな女房を見て、反対に次男と娘を可愛がる。こうして家族がばらばらになっていく。やがて成長した栄太郎は、永吉の「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六の企みで、女と博奕で身を持ち崩していき、「京や」を守る次男と娘との間で確執が耐えなくなる。

 やがて永吉も呆気なく死に、おふみも死ぬ。そのおふみの葬儀のことでも、兄弟妹がもめ、わだかまりができる。そして、葬儀が終わった夜に、「京や」の乗っ取りを企む平田屋庄六が、むかし栄太郎がした借金の証文を手に乗り込んでくる。だが、そこで地回りの親分となっているかつての老夫婦の子どもが、見事に平田屋庄六の上をいく方法で、この一家を助けていくのである。

 地回りの親分となっている傳蔵が最後に言う。「うちらを相手に、銭やら知恵やら力比べをするのは、よした方がいいぜ。堅気衆がおれたちに勝てるたったひとつの道は、身内が固まることよ。崩れるときは、かならず内側から崩れるもんだ。身内のなかが脆けりゃあ、ひとたまりもないぜ」(363ぺーじ)

 こうして一件が落着して、「京や」を継いだ次男の悟郎と彼の妻の「すみ」が八幡宮にお参りしたとき、「八幡様にお参りしたとき、同じことをお願いできる夫婦でいような」と語りかける場面で、物語の幕が閉じられる。

 話の中で、これは成功物語であるから、できすぎと思われるところが多々あるが、人の機敏に触れていく展開がなされて、そういう意味では、こういう「助け」が起こると本当にいいだろうな、と思わせるものになっている。もちろん、現実には、こういう「助け」はほとんど起こらない。

 考えてみるまでもなく、山本一力という作家の作品には、『だいこん』を初めてとしてのこういう成功物語を骨子に据えた物語の展開が多いような気がする。もちろん、それらはただの成功物語ではないが、小説が夢やロマンを表すものでもあるとすれば、こういう一代記のようなものも悪くはない。それが小料理屋であったり豆腐屋であったりするというのもいい。人はそれぞれの場所でそれぞれの仕方で自分の居場所を作らなければならないのだから。

 今日も少し微熱が続いているような気がする。このところ毎年風邪に悩まされるようになってしまった。体力、気力共に衰え始めているのだろう。ただ、微熱のままで一日を過ごすというのも、不快ではあるが悪いことではない。

 このブログを立ち上げてから一年の歳月が過ぎたことに、ふと気づいた。

2010年10月11日月曜日

松井今朝子『家、家にあらず』

 日中は汗ばむくらいの好天に恵まれた秋の一日となった。朝、おそらく近くの学校か幼稚園の運動会の開始を知らせるのだろう花火の音が響いた。土曜日が雨だったので、今日に順延されたのだろうと思う。すべての窓を開け放ち、寝具を干して、掃除をし、ついでに外壁の補修工事で汚れてしまっていた車を洗ったりした。昨日から少しのどの痛みを感じて、その汗でどうやら本格的になったような気もするが、気持ちの良い日だった。

 土曜日の夜から読み始めた松井今朝子『家、家にあらず』(2005年 集英社)を今日の午後、読み終えた。扉に、世阿弥が記した能の演劇論とも言うべき『風姿花伝』の「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす」の言葉が記され、書名がそこから取られていることがわかるし、本文中、とくに物語の佳境に入るところで、物語の展開に沿った形で、能で描かれる物語が字体を変えて挿入され、しかもそれが物語の秘密を解く鍵ともなっている。もちろん、それが能で描かれる物語だろうというのは、能についての知識のないわたしの推測で、作者の創作ではあるだろう。

 物語は、主人公である同心の娘がある大名家の奥勤めの奉公にあがるところから始まる。母が亡くなり、叔母様といわれる人の口利きで、叔母様が勤める大名家に奉公にあがるのである。彼女の叔母様は、その大名家の奥御用の一切を取り仕切る奥御殿御年寄(総責任者)であるが、彼女は「三之間」と呼ばれる下級女中として勤め始めるのである。女ばかりの世界での互いの確執や妬みが渦巻く。

 そうしているうちに、大名家の下屋敷の女中と芝居役者との心中事件が起こったり、殿様の側女(妾)の自死事件が起こったり、奥御殿でお茶を教える女中が殺されるという事件が起こる。先代藩主の側女同士の確執や現藩主の生母の欲、そうしたことが藩主の跡目争いとの関連で起こっていくのである。主人公はそうした騒動の中でもまれ、成長していく。彼女の叔母様は、総責任者としてすべての事件の裏に藩主の生母の欲があることを見抜いて、これと対決していくが、彼女自身にも隠された秘密があった。

 それは、若いころに藩主の生母らと同じように役者遊びをして子をなしていたことである。そのことが暴かれ、藩主跡目争いの密命を帯びた信頼していた部下に殺されるのである。そして、実は、その奥御殿御年寄が役者との間にできた子どもが、同心の子どもとして育てられた主人公だったのである。

 こういう物語の展開によって、「女、三界に家なし」と言われ、育った家は嫁ぐことで自分の家ではなくなり、嫁いだとしても夫に仕え、舅姑にいびられ、老いては子に従うようにして生きていかなければならない女の幸せとはいったいどこにあるのかという重い問いかけが全体を貫いている。もちろん、それはことさら女ばかりではないだろう。男も三界に家(自分の居場所)がないのであり、人の幸せとはどこにあるのかということでもあるだろう。

 すべての事件が片づき、お家騒動も一段落した後で、主人公が宿下がりで父の元に帰った場面が最後に挿入されている。そこで父親(育ての親であることを知っている)から自分の出生のことや育ててくれた母のことを聞き、奥御殿で御年寄として出世してお家騒動で筋を通して死んだ生みの母のことを思いながら、育ててくれた母は幸せな人だったかも知れないと、主人公は思い返す。

 「死んだ母のように文字通り良人に出会えれば、それが一番幸せな一生なのかもしれなかった」(323ページ)
 「(父は)母の顔色がいいのを見て、陽の当たる場所へ出るよう誘った。縁側から母を地面にそっとおろし、肩を貸して庭の真ん中あたりまで歩かせて、ふたりはそこでしばらく静かに佇んでいた.・・・・・寝まき姿の小柄な母が、背の高い父に安心してもたれかかっていた様子がいまも目に浮かぶ。
母は父がいうように不憫なひとではけっしてない。むしろ母ほど幸せな人はいなかった。色とりどりの秋草が咲き乱れ、血のつながらない親子姉弟がひとつになって暮らしたこの家は、まぎれもなく母が作り上げた家だったのだ」(325ページ)

 奥御殿の女の確執やお家騒動のごたごたの最後に描き出されるこの静かな光景が、それまでの騒動が人をなきものにしたり、蹴落としたりする騒動だっただけに、よけいに、人の幸せとは何かを浮かび上がらせる。家(自分の居場所)は自分で作っていくものに他ならない。どういう居場所を作るのかはその人の責任である。そして、争いの中で作り上げていくものが、あまりに淋しすぎるものであることは間違いない。家は慈しみによってしか確かなものとはならないのである。しかし、そのことの哲学的なことはここでは触れないでおこう。これは哲学書ではなく、面白い小説なのだから。

 この作品には作者が得意とする役者の世界も、もちろん登場するし、役者が重要な役割も果たしていくが、やはり何といっても「人の幸せはどこにあるのか」ということをひとりの若い主人公の姿をとおして真正面から取り上げた意欲的な作品だろうと思う。

 なんだか日暮れがずいぶんと早くなったような気がする。こうして秋が深まっていくのだろう。「人、三界に家なし」だが、今夜は静かに眠りたい。

2010年10月8日金曜日

半村良『獄門首』

 よく晴れた爽やかな秋空が広がり、彼岸花の鮮やかな赤が目に映る。こういう秋空の日は、怠惰の虫が騒いで、何もかにも放り出してどこかに出かけたくなる。9月から始まった外壁の補修工事も今日で終わるとのことで、櫓に覆われた生活も終わって、窓からの視界が広がるのは何とも嬉しいことである。

 昨夜、半村良『獄門首』(2002年 光文社)を読んだ。これは1995年12月から1997年3月まで『小説宝石』(光文社)に掲載された作品を2002年3月に半村良が亡くなった後の9月に未完のままにまとめて出されたもので、いわば半村良の遺作とも言える作品であり、巻末に、これも先日亡くなった清水義範の「解説」が掲載されている。清水義範の企業小説というか組織悪を描いた小説は何冊か以前に面白く読んだことがある。

 わたしが半村良の時代小説を読むのは、これで二冊目に過ぎないが、その解説の中で、「『小説の話であって、文学の話じゃないぞ。文学なんてもんには関わる気はねえからな』半村さんはよくそんなことを言った」(371ページ)という半村良との交流の一こまが記されていて、半村良の気骨のようなものが感じられ、なんとなく嬉しくなった。

 『獄門首』は、八代将軍吉宗の時代に、街道筋で盗みを働く、いわゆる道中師の夫婦に生まれた余助という子どもが、幼い頃から両親の強盗殺人の手助けをするように育てられ、その両親が名古屋で起こった強盗殺人者の上前をはねるようなことをして殺され、孤児となり、寺で育てられるが坊主にはならずに、町道場で棒術の鍛錬をし、師範代も打ち負かすようになるが、やがてその町道場からも出て、幕府に恨みを抱く旧北条一氏の生き残りである小机衆の仲間となって、幕府転覆を企む強盗集団の指導的役割を果たしていくようになる物語である。

 物語は、吉宗が幕府の資金として秘蔵していた金銀を徳太郎と名を変えた余助が見事に盗み出し、火盗改めとして進喜太郎が登場して来るところで中断されている。火盗改めは、厚生施設としての寄せ場などを作った長谷川平蔵が池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』で有名だが、進喜太郎も実在の人物で、詳細はよく知らないが、彼が火盗改めの長官になったのは享保10年(1725年)で、時の南町奉行は大岡忠相である。もちろん、この小説でも大岡忠相が登場する。

 余助は、生まれながらに両親の盗みの手伝いを見事に果たす利発な子で、手先も器用であり、人々の受けも良く、どこにいっても、何をしても成功していくが、心底には恐ろしいほどのニヒリズムを内包している。まだ四歳(現代で言えば三歳前だろう)に過ぎないのに、両親の強盗殺人を平然と受け止めていく姿を描いた第一章の終わりに、「そういう育ち方をしたからには、末は親同然の盗っ人で、もしかすると大盗賊の名をうたわれる者になるかも知れないのだ。しかし、盗賊になって名をあげても、末は三尺高い木の上で錆び槍に貫かれ、獄門首を世間の目に曝すことにもなりかねない」(34ページ)とある。

 本書は、その余助が「獄門首」に向かって生きていく姿を描いたものだろうし、『獄門首』という書名からもそういう結末を想像させるものがある。しかし、わたしは個人的に、ニヒリズムを内包する余助が、幕府への恨みをもつ旧北条氏の流れをもつ小机衆をうまく使いながら極悪非道ぶりを発揮していくが、進喜太郎との知恵勝負にも勝って、うまく縛吏の手を逃れる姿を想像する。彼が、縛吏の手は逃れるが、獄門首にかけられるのと同じような無情を感じて朽ち果てるといった結末を思い浮かべる。

 余助は、状況によって自分の名前を変え、器用に役割を果たしていく。幼い頃は「余計者」の余助と盗み働きをして生きている両親に命名されるが、孤児となった寺では利発で手先の器用な正念、棒術の道場では傲慢な師範代を打ち負かす腕前の利八、そして小机衆の営む隠れ娼家では女主人に性戯を仕込まれ、女主人を負かすほどの性戯の達人ともいうべき巳之助、江戸の盗っ人仲間では徳太郎である。彼は何にでもなれる才能を持ち、どこでも生きていけるが、何にでもなれるということは、何者でもないということでもある。彼が内包するニヒリズムと同様、彼は自分というもののない人間である。だから、獄門首という名を残す人間よりも、何者でもない無の人間として朽ち果てるのがふさわしいような気がするのである。

 物語は変化の状況が一変していくにつれ、余助の名前が変わり、それぞれの状況で山場が作られて展開の妙が見事に感じられるようになっている。さあこれから、で終わる未完ではあるが、十分に読み応えがある。通常にいわれるような善人というものが、孤児となった余助を引き取って育てる寺の坊主以外にだれも出てこないのもいい。人間の「欲」の行き着く果ては、性と金だろうが、それを巧みに操っていく姿は、むしろ小気味よさを感じさせるものとして描き出されている。なるほどこれは「小説」であると思ったりもする。

2010年10月5日火曜日

火坂雅志『骨董屋征次郎手控』

 今日は薄く雲が覆ってはいるが、気持ちの良い秋の好日になった。朝からギリシャ語聖書の『使徒言行録』を読んでいて、そこに描かれる情景を思い浮かべたりしていた。昨夕、中学生のSちゃんが来てくれたので、すこしややこしい数学の図形の問題を一緒に考えながら、学問的な基本姿勢としての「観察」と「分析」について話をしたりした。「観察」し、「分析」し、それを「再統合」することは何にでも当てはまる。問題は「観察眼」を養うところから始まるだろう。

 「観察」と言えば、それは芸術の世界にも当てはまるが、書画骨董の世界はまさに観察眼の世界だろう。わたし自身は書画骨董の世界とは終生無縁であるだろうが、昨夜、火坂雅志『骨董屋征次郞手控』(2001年 実業之日本社)を面白く読んだ。

 火坂雅志という作家は、1956年生まれの現役の作家で、昨年(2009年)、上杉家の名将と言われた直江兼続を描いたNHKのテレビドラマで人気を博した『天地人』の原作者でもある。テレビドラマの方は、オープニングも映像もすばらしくきれいで、俳優も名演だったが、脚本の史実性には少し問題もあり、面白みを増すために現代風にアレンジしたものだった。直江兼続は、上杉家が越後から会津に減封されたり、子どもが次々と亡くなったりして、晩年は少し寂しかったのだが、卓越した人間であったと思っている。戦国武将はどうも、という気がするが、わたしは好きな人間のひとりである。

 『骨董屋征次郞手控』は、金沢の前田家に御買物役(主に藩主の衣服や、調度品、茶器、書画骨董などを売り買いし、管理する役目)を勤めていた父親が、宋代の名筆家として知られる圓悟克勤(えんごこくぐん)の掛け軸の贋作を巧妙な手口でつかまされて、責任を取って自死し、家が取り潰され、幕末の時代の嵐が吹く京都で「遊壺堂」という骨董屋を開いている征次郎の活躍を描いたものである。

 10編からなる連作集だが、いくつかのミステリー仕立てのような仕掛けが施されて、最後の山場を迎えるように組まれているので、一冊の長編としても読むことができる。

 書画骨董というものは、いずれも人間の欲の手垢にまみれた「いわく」つきのものである。作者自身も「あとがき」で「骨董はたんなるモノデハナク、ヒトとモノのあわいに存在しているのではないか」と書いているが、それが売買される時には、売買する人間の「いわく」が渦巻く。『骨董屋征次郎手控』は、その「いわく」を巡っての物語である。

 ある時、征次郎の遊壺堂に、豊臣秀吉に献上されたこともある茶入れの名器の「楢柴肩衝(ならしばかたつき)」が持ち込まれる。征次郎はしばらくそれを預かったが、持ち主の女性に返して欲しいと言われてもっていったところを牢人に襲われて奪われてしまう。そして、「楢柴肩衝」は京の骨董品売買の闇市に売りに出されるのである。征次郎は、その闇市のメンバーでもある。

 征次郎は、それがなぜ闇市に出たのかを探るうちに、自分を襲った牢人がそれを持ち込んだ女性の愛人であり、牢人はそれを古寺から盗んだが、池田屋騒動に会い、臆病風に吹かれて捨て鉢になっていたことがわかってくる。そして、「楢柴肩衝」は地回りの博徒に渡っていることを知った征次郎は、博徒と掛け合ってそれを取り戻す。それが最初の「楢柴」である。

 第二編「流れ圓悟」は、紀州の白浜に買い出しにでた征次郎が、偶然、父親に贋作をつかませて死に至らせた猪熊玉堂という男を見つけ、猪熊玉堂が白浜でも同じように贋作によって一儲け企んでいたことを阻止するという話で、この猪熊玉堂とは以後も因縁の対決となっていく。

 第三編「女肌」は、征次郎が先斗町の売れっ子芸者「小染」と知り合う話で、「小染」は、実は江戸で父親が「影青」と呼ばれる宋代の青白磁の瓜形水注(みずさし)の贋作を作って落ちぶれてしまったことから、京都の骨董屋にある父が作った贋作を盗んでいたのである。贋作とはいえ、なかなかの品物で、小染の父が精魂を傾けて作ったものだからと、小染の盗みを不問にしていく。こうして、小染は征次郎に惚れ、二人はいい仲になっていくのである。

 第四編「海揚がり」は、征次郎が骨董屋として長い間夢見ていた海からの古船の引き上げに着手して、見事に失敗する話で、征次郎はそのために大きな借金を作ることになる。ここには、骨董で見を持ち崩してしまった人間の姿も描かれ、金欲ではないが美欲に取り憑かれていく骨董の世界の恐ろしさも描かれている。骨董がそうした「欲」の狭間にあることが物語として見事に描かれている。

 第五編「屏風からくり」は、征次郎の幼友達の堀平内が金沢藩の御買物役として京都に来たのに偶然会い、彼の依頼で、岩佐又兵衛が描いた「豊国祭礼図屏風」の出物を調べていくうちに、征次郎の宿敵とも言うべき猪熊玉堂が同じように贋作による詐欺を企んでいることがわかり買い入れを阻止し、猪熊玉堂と対決しようとする。しかし、猪熊玉堂に金で雇われた新撰組の隊士が出てきて、これと争ううちに、習い覚えていた柔術で新撰組の隊士を殺してしまう。新撰組に追われる身となった征次郎は、京都の店をたたんで、かつての骨董屋で骨董の学びを共にした友人のいる長崎へ行くことになるのである。

 第六編「胡弓の女」は、その長崎で「らしゃめん」と呼ばれる西洋人の囲い妻である「お絹」という女から大量の古九谷の大皿の買い入れを依頼される。それは、陶工だったお絹の昔の恋人が古九谷の魅力に取り憑かれて各地から盗み集めた物だった。人生に疲れたお絹はその恋人の古九谷を売り払って自分の人生を終わりにしたいと思っていたのである。征次郎はお絹の自害を止めるが、ここから物語は一気に古九谷を巡っての話となる。

 古九谷は、江戸初期のころに僅かな間だけ作成されたもので、以前、金沢に行った時に皿を何枚も見たが、有田(伊万里)の「赤」と古九谷の「青緑」ぐらいしか知らない素人のわたしには古九谷と今の九谷焼との区別はなかなかつかなかった。どちらかと言えば、磁器よりも陶器のほうが好きだ。

 第七編「彦馬の写真」は、その古九谷を巡っての話のはじめで、長崎で偶然に幼友達の坪平内と会い、骨董の望遠鏡のレンズのことで知り合った上野彦馬(この人は、長崎で日本最初の写真館を作った人で、坂本龍馬や高杉晋作らの写真を撮った人として著名である)のところで一緒に写真を撮ったりするが、坪平内は薩摩藩士と交流を持ち不可思議な行動をとっており、やがて何ものかに斬り殺される。その坪平内の役宅から新しい古九谷の皿が出てきたのである。平内の死がこれと関係あるのではないかと察した征次郎は、平内の願いである彼の写真をもって金沢へと向かうのである。

 この中で、坪平内と薩摩藩士が交わす会話の中に「のくち」という言葉が出てくる。この言葉の意味は後に明らかにされるように仕掛けられているのである。

 第八編「翡翠峡」は、金沢で坪平内の妻とあった征次郎が、偶然にも叔父の岩下瀬兵衛と出会い、叔父の元で寄宿して坪平内の死の真相を探ろうとする話で、金沢藩士の次男として生まれた叔父が貧乏しながらも自由気ままに生き、金沢の山奥で釣りに行った時に翡翠を発見し、翡翠の見事な細工物をこしらえているが、翡翠の細工師として生きるのではなく、貧しくとも気ままな武士としての生き方をしている姿が描かれている。道楽は道楽だから面白い、と言い切る叔父には愛する者もいるが、なかなか踏ん切れないでいる。しかし、そういう叔父が征次郎の働きで、武士を止めて愛する者と暮らす道を選んでいくのである。

 第九編「黒壁山」は、征次郎が新しい古九谷の秘密を探ろうと坪平内の妻を再度訪ねたところ、妻が何者かに殺されていた現場に行き会わせるところから始まる。現場にいた征次郎は、自分が疑われることを恐れ、捕縛の手を逃れるが、そこで彼を捕縛の手から助けたのは、彼の宿敵とも言うべき猪熊玉堂であった。玉堂は、実は、幕府のスパイであったのである。その玉堂から秘密は「黒壁山の奥の院」にあると聞かされ、征次郎は秘境ともいうべき黒壁山に向かう。

 その黒壁山で、金沢藩が勤王倒幕の軍資金を作るために、薩摩藩と結託して密貿易のための古九谷を新しく密かに製造していたことがわかる。金沢藩と薩摩藩は、実は昔から薩摩の貿易する薬の売買で繋がりがあり、金沢藩は、若い勤王派の藩主がお家騒動の末に藩主の後を継いで、一気に藩全体が勤王倒幕に傾いた藩であった。長州などでは藩主はお飾りのようなものであったが、勤王派と佐幕派による藩政の争奪合戦は、幕末期ではどこの藩でも起こったことである。

 しかし、古九谷の密造の手段はひどく、秘密を守るために金沢藩は関係した絵師や陶工の皆殺しを計画していたのである。もちろん、この部分は作者の創作であるが、征次郎はその秘密を知り、捕縛されて山牢に閉じ込められる。ここで前に出た「のくち」が九谷焼を示す文字をばらした隠語であったことが明らかにされたりする。こういうのは心憎い演出である。

 第十編「隠れ窯」は、山牢に閉じ込められた征次郎が、叔父の機転で助け出され、友人の平内夫妻が金沢藩の政争で殺されたことなどもあって、九谷焼の密造に関係した絵師や陶工が皆殺しにされることを知って、叔父と協力して彼らを助け出す活劇で、猪熊玉堂のことも含めて、事件の真相がすべて明らかになるのである。

 それからしばらくして大政奉還が起こり、世の中がひっくり返る。もはや新撰組を恐れる必要もない征次郎は京都に戻り、金を工面して、以前のように「遊壺堂」を再会し、政治がどうなろうと世の中がどうなろうと、自分の生き方としての骨董屋を始めていき、小染との結婚なども迷いながら過ごしていくのである。

 以上がここで描かれる物語の概略だが、なかなか味のある作品で、これには続編も出されているから、そちらも読んでみようと思っている。ただ、語り口調が現代口調であるのは少し気になるのだが、文章はよく推敲されていて、うまいなぁ、と思う表現も多々ある。