よく晴れた爽やかな秋空が広がり、彼岸花の鮮やかな赤が目に映る。こういう秋空の日は、怠惰の虫が騒いで、何もかにも放り出してどこかに出かけたくなる。9月から始まった外壁の補修工事も今日で終わるとのことで、櫓に覆われた生活も終わって、窓からの視界が広がるのは何とも嬉しいことである。
昨夜、半村良『獄門首』(2002年 光文社)を読んだ。これは1995年12月から1997年3月まで『小説宝石』(光文社)に掲載された作品を2002年3月に半村良が亡くなった後の9月に未完のままにまとめて出されたもので、いわば半村良の遺作とも言える作品であり、巻末に、これも先日亡くなった清水義範の「解説」が掲載されている。清水義範の企業小説というか組織悪を描いた小説は何冊か以前に面白く読んだことがある。
わたしが半村良の時代小説を読むのは、これで二冊目に過ぎないが、その解説の中で、「『小説の話であって、文学の話じゃないぞ。文学なんてもんには関わる気はねえからな』半村さんはよくそんなことを言った」(371ページ)という半村良との交流の一こまが記されていて、半村良の気骨のようなものが感じられ、なんとなく嬉しくなった。
『獄門首』は、八代将軍吉宗の時代に、街道筋で盗みを働く、いわゆる道中師の夫婦に生まれた余助という子どもが、幼い頃から両親の強盗殺人の手助けをするように育てられ、その両親が名古屋で起こった強盗殺人者の上前をはねるようなことをして殺され、孤児となり、寺で育てられるが坊主にはならずに、町道場で棒術の鍛錬をし、師範代も打ち負かすようになるが、やがてその町道場からも出て、幕府に恨みを抱く旧北条一氏の生き残りである小机衆の仲間となって、幕府転覆を企む強盗集団の指導的役割を果たしていくようになる物語である。
物語は、吉宗が幕府の資金として秘蔵していた金銀を徳太郎と名を変えた余助が見事に盗み出し、火盗改めとして進喜太郎が登場して来るところで中断されている。火盗改めは、厚生施設としての寄せ場などを作った長谷川平蔵が池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』で有名だが、進喜太郎も実在の人物で、詳細はよく知らないが、彼が火盗改めの長官になったのは享保10年(1725年)で、時の南町奉行は大岡忠相である。もちろん、この小説でも大岡忠相が登場する。
余助は、生まれながらに両親の盗みの手伝いを見事に果たす利発な子で、手先も器用であり、人々の受けも良く、どこにいっても、何をしても成功していくが、心底には恐ろしいほどのニヒリズムを内包している。まだ四歳(現代で言えば三歳前だろう)に過ぎないのに、両親の強盗殺人を平然と受け止めていく姿を描いた第一章の終わりに、「そういう育ち方をしたからには、末は親同然の盗っ人で、もしかすると大盗賊の名をうたわれる者になるかも知れないのだ。しかし、盗賊になって名をあげても、末は三尺高い木の上で錆び槍に貫かれ、獄門首を世間の目に曝すことにもなりかねない」(34ページ)とある。
本書は、その余助が「獄門首」に向かって生きていく姿を描いたものだろうし、『獄門首』という書名からもそういう結末を想像させるものがある。しかし、わたしは個人的に、ニヒリズムを内包する余助が、幕府への恨みをもつ旧北条氏の流れをもつ小机衆をうまく使いながら極悪非道ぶりを発揮していくが、進喜太郎との知恵勝負にも勝って、うまく縛吏の手を逃れる姿を想像する。彼が、縛吏の手は逃れるが、獄門首にかけられるのと同じような無情を感じて朽ち果てるといった結末を思い浮かべる。
余助は、状況によって自分の名前を変え、器用に役割を果たしていく。幼い頃は「余計者」の余助と盗み働きをして生きている両親に命名されるが、孤児となった寺では利発で手先の器用な正念、棒術の道場では傲慢な師範代を打ち負かす腕前の利八、そして小机衆の営む隠れ娼家では女主人に性戯を仕込まれ、女主人を負かすほどの性戯の達人ともいうべき巳之助、江戸の盗っ人仲間では徳太郎である。彼は何にでもなれる才能を持ち、どこでも生きていけるが、何にでもなれるということは、何者でもないということでもある。彼が内包するニヒリズムと同様、彼は自分というもののない人間である。だから、獄門首という名を残す人間よりも、何者でもない無の人間として朽ち果てるのがふさわしいような気がするのである。
物語は変化の状況が一変していくにつれ、余助の名前が変わり、それぞれの状況で山場が作られて展開の妙が見事に感じられるようになっている。さあこれから、で終わる未完ではあるが、十分に読み応えがある。通常にいわれるような善人というものが、孤児となった余助を引き取って育てる寺の坊主以外にだれも出てこないのもいい。人間の「欲」の行き着く果ては、性と金だろうが、それを巧みに操っていく姿は、むしろ小気味よさを感じさせるものとして描き出されている。なるほどこれは「小説」であると思ったりもする。
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