今日も抜けるような青空が広がっている。立冬を過ぎているので、季節的には初冬なのだろうが、小春日和と言うのがふさわしい天気である。だが、やはり冬の足音が聞こえないわけではない。朝晩はコートが欲しいくらいに冷え込んでくる。お鍋もおでんも美味しい季節になってきた。
昨日、宇江佐真理『神田堀八つ下がり 河岸の夕映え』(2003年 徳間書店)を感動しながら読んだ。 これは再読なのだが、改めて、作者が描き出す世界はなんと温かなのだろうと思った。その温かさは、強いてたとえて言えば「梅一輪の温かさ」であり、凍てつく冬の中の小春日和の温かさであり、暗い夜道で生き暮れている時に遠くにぽつんと見える明かりの温かさである。それは決して甘っちょろい温かさではなく、生きることのつらさや悲しさや切なさがにじみ出るような温かさなのである。
本書は、「どやの嬶(かか)-御厩河岸」、「浮かれ節-竈(へっつい)河岸」、「身は姫じゃ-佐久間河岸」、「百舌-本所・一ツ目河岸」、「愛想づかし-行徳河岸」、「神田堀八つ下がり-浜町河岸」の六編の短編が収められている短編集である。
江戸時代、江戸は、大川と呼ばれた隅田川やその支流の小名木川などのいくつもの川が流れ、また運搬用などに堀もたくさん作られて、世界有数の水上都市でもあった。そして、それぞれの川や堀には橋が架けられたり、舟の渡しがあったりして、それぞれ河岸と呼ばれて名前がつけられていた。河岸は、人と人との出会いの場であり、また別れの場でもあった。ここに収められている六編は、そのそれぞれの河岸に住む人々の姿をとおして、家族、親子、夫婦、男女や兄弟のそれぞれの愛情の姿が描かれたものである。
「どやの嬶(かか)」は、火事で父親が死に、焼け出されて浅草の御厩河岸で小さな水菓子屋(くだもの屋)を営むことになった家の娘が、自分の恋愛をとおして、「どやの嬶(かか)」と呼ばれていた大柄で男勝りで人情家である船宿の女将の姿に接しながら、家族や男女の愛情の大切さやその機敏を知っていく話で、「どやの嬶(かか)」と呼ばれた女将は、何人もの捨て子を自分の子どもとして育て、開けっぴろげで、自分の情愛に素直で、娘はその姿に圧倒されながらも、やがては自分の母とその母を慕って親身になって生活を助けてくれた番頭との間も認めていくようになっていくのである。
「浮かれ節」は、日本橋住吉町の南側の堀の「竈(へっつい・・かまど)河岸」と呼ばれる河岸の近くに住む無役の小普請組(本来は江戸城の修復や土木作業のための役人だが、役職に就くことはなかなか難しく、小普請組といえば貧乏武家をさえ意味した)の御家人である三土路保胤(みどろやすたね)が、唯一の趣味であり特技でもある端唄(江戸の町人たちが好んだ歌謡)と、流行し始めていた都々逸との歌合戦をとおして、妻や娘との絆の中で生きていく姿を描いたものである。
ここには、貧乏御家人である夫を支える妻や父親の思いを大切にする利発な娘、その娘の父を慕う愛情、なんとかお役につこうと頑張るが適わないふがいない自分への思い、都々逸を大成させた都々逸扇歌(1804-1852年)との歌合戦に敗れても、その粋な計らいを知っていく主人公の姿など、実に多くの要素が巧みに盛り込まれている。
「身は姫じゃ」は、両親を失い、唯一の身寄りである江戸城大奥の叔母(「常磐」)を頼ってきたが、途中の道中で強盗にあったり、おつきの女中が死んだりして、佐久間河岸と呼ばれる神田の和泉橋の下で浮浪者のような生活をしていた七、八歳の少女を見つけた岡っ引きの家族とその少女の姿を描いたもので、僅かのことを手がかりにして少女の身元を探っていく岡っ引きや親身になって世話をする岡っ引きの家族の姿が描き出されている。
痩せて汚く臭い少女が、実は高貴な身分の者であったという話でもあるから、物語の骨格には夢問語りのような甘さはあるのだが、少女の身元がわかって引き取られていく場面で、それまであまり自分には馴染んでくれていないのではないかと思っていた少女が、「わらわは、いついつまでも忘れぬ」と言う最後の別れの言葉が光っている(147ページ)。 「いついつまでも」という表現に、その思いがこめられて言葉が光っているのである。
本当に苦しいときやつらいときに受けた恩は決して忘れない。そういう人間の姿を描くところは、作者らしいと思っている。
「百舌」は、青森弘前藩の藩校であった稽古館の教官を務め、政争で敗れてわび住まいをしている横川柳平という人間の姿を描いたもので、横川柳平は農家の出身であり、彼が学問の道を行くのに姉の犠牲があった。彼に学問をさせるために自分の恋愛を諦め、借金相手の家に嫁ぐが、たくましく生きている姉、江戸で放浪したあげくに兄を頼ってきた弟、その弟の娘の危機、そういうものが入り交じって、失意のうちながらも兄弟に支えられて生きていく姿が描かれている。
書名は失念してしまったが、農家の出身で学問を志し、学者となりながらも失墜して無為のうちに老年期を過ごした実在の人物を題材にした長編があったように思うが、作者の目は、そうした人間の生き方よりも温かい兄弟愛に向かっている。人は、特に知識人と呼ばれるような人は、多くの犠牲の上にしか生きることが出来ない。そして、そのことを自ら知っている知識人を「優れた知識人」という。この作品では、おそらくそういうことを主眼に置いているのだろうと思う。
「愛想づかし」は、男女の別れの姿を描いたものである。苦労ばかりしながら幸せになれない小料理屋で働く女と、家を捨てた廻船問屋の息子、その息子の家の事情が変わって別れ話が進む前後の男女の悲しい綾、別れの修羅場、そういうものが織りなされていく。ここには何とも言えない重い疲労感が漂う。ただ、この話には、男女のお互いの思いがあまり伝わらずに終わっている。作者自身が、この手の男や女はあまり好きになれないのではないかと思ったりもする。
「神田堀八つ下がり」は、自分のことはあまりかまわず友人や仲間、弟子のことを優先させて爽やかに生きている青年武士のために奔走する薬種屋と町医者の姿をとおして、矜持をもって生きる姿を描いたもので、大店の料理屋を飛びだした料理人が場末の小さな店でも料理人としての矜持をもって生きる姿が重ねられて描き出されている。ただ少し物語で語られる登場人物たちの心がきれいすぎる気がしないでもないし、青年武士が、次男坊とはいえ千五百石の旗本で、千五百石といえば大身の旗本であり、たとえば江戸町奉行所の同心の筆頭クラスでも百石ぐらいであったことからすれば、いくら経費がかかったといっても、作品で描かれるような貧しい暮らしでは決してなかっただろう。
わたしはこの作者の作品が本当に好きで、しみじみと、時にはなみだをぽろぽろこぼしながら読むことが多いし、作品全体に流れている雰囲気や柔らかさ、温かみがつくづくいいと思っている。ただ、この作品で欲を言えば、描き出される人間の苦労やつらさ、喜びなどがもう少し深く描かれればと思ったりする。短編の限界もあるが、人間も、その人間が抱えている状況も、もう少し複雑で、簡単明快に生きているわけではないのだから。ここで描かれる物語の顛末はうまくまとまりすぎて、きれいな落ちがついているという気がしないでもない。
さらに欲を言えば、人間は時代と社会の中で、その中を翻弄されるようにして生きているのだから、そうした時代と社会の陰が及ぼす人間への影が、もう少し描き出されたらと思う。いつの時代でも変わらない人間の姿を描くにしても。
それでもやはり、この作品を含め、宇江佐真理の世界は、なんと柔らかく温かなのだろうとつくづく思う。人の情けが身にしみるとき、あるいはひとりぼっちの孤独を噛みしめなければならないとき、彼女の作品を読むと、つい泣いてしまう。涙もろい人間だとは思うが。なにしろ、世界女子バレーをテレビで見ていても、ひとりの選手がサーブで狙われ続ける中で頑張っている姿を見ただけで泣けて仕方がないくらいだから。
ひさびさに心安らぐ小説を読んだ。池波正太郎の本をと思って
返信削除古本屋に出向き、この本を入手。最初あまり気が乗らなかったが、途中から熱中した。時代小説としては最高の部類かも・・
コメント、ありがとうございます。
返信削除「心安らぐ小説」、本当にその通りだとわたしも思います。