昨日はよく晴れていたのだが、今日は、時おり陽が差すくらいで薄く雲が覆っている。気温が低くなってきていて初冬の感がある。
二日ほどかけて諸田怜子『美女いくさ』(2008年 中央公論社)を味わい深く読んだ。諸田怜子の作品をなんだか久しぶりに手に取ったような気がしたが、この作品もなかなかの傑作だった。これは織田信長の妹で絶世の美人と謳われた「お市の方」の娘で、後に二代将軍徳川秀忠の妻となり、三代将軍家光の母ともなった「お江(小督-おごう-、江与-えよ-とも呼ばれるが、本作では小督、後に崇源院-そうげんいんーと呼ばれる)の生涯を記した歴史小説で、2007年4月から2008年2月まで読売新聞夕刊に連載されたものをまとめたものでさる。
「お江」については、独自の解釈をした永井路子『乱紋』(1974年 文藝春秋社)が先に出されており、最近では、「お江」の姉の「初」を主人公にした畑裕子『花々の系譜 浅井三姉妹物語』(2009年 サンライズ出版)が出されたり、来年のNHK大河ドラマで田淵久美子原作・脚本で『江~姫たちの戦国~』が放映される予定があったりするが、諸田怜子『美女いくさ』は一読に値する作品だと思っている。
戦国時代随一の美女といわれた「お江(小督)」の母「お市の方」自身が、まことに戦乱に翻弄された生涯を生きており、織田信長の妹として、浅井長政に嫁がされ、そこで、茶々(淀)、初、江の三姉妹を儲けるが、姉川の闘い(1570年)で兄の信長から夫の浅井長政が殺され(自害)、三姉妹と共に兄の織田信包(のぶかね)に庇護された。しかし、やがて、信長亡き後、秀吉によって柴田勝家に嫁がされ、その柴田勝家も秀吉と争い敗れて、「お市の方」は勝家と共に自害している。享年37歳だったといわれている。
浅井家三姉妹といわれる「お市」の娘たちは、いずれも母の美貌を受け継いだ美女であったが、戦乱に翻弄され続け、長女の「茶々」は、豊臣秀吉の側室となり、秀頼を生むが、「お江」の義父となった徳川家康によって大阪の役(1615年)で大阪城落城の際に秀頼と共に自害している。次女の「初」は秀吉のはからいで近江の京極高次と結婚し、やがて「お江」と秀忠の四女「初姫」などを養女として育てている。
三姉妹の末妹「お江(小督)」は、最初、豊臣秀吉の命によって伊勢の佐治一成(母は信長の妹「お犬」と結婚させられ(従って、夫の佐治一成は従兄)るが、秀吉の命によって離婚させられ、豊臣秀勝と結婚させられる。しかし、豊臣秀勝が秀吉の大陸制覇の野望の最中に病死したため、次に徳川家との関係を深めようとした秀吉によって徳川秀忠と結婚させられた。
「お江(小督)」は、叔父であった織田信長の剛胆さや母の「お市」の誇り高い性格を引き継ぎ、大胆であるが、物事に動ぜずに出来事を平然と受け止めていくようなところがあったと言われているが、この数奇な運命を生き抜いて、徳川将軍の母となっていく姿を、『美女いくさ』は、女性の心情を織り交ぜながら見事に描き出している。
浅井三姉妹は、昨日の味方が今日の敵となる戦国の非情な世界を生きなければならなかっただけに仲の良い姉妹だったと言われるが、両親を殺され、殺した相手に嫁がされ、姉妹同士が敵味方に分かれなければならない状態の中を生きなければならなかった。本書は、その運命の変転の中を女として生きる喜びや悲しみ、その細やかな心情とそれぞれに誇りをもって生きる姿が描き出される優れた作品だと思う。文章も展開も作者の円熟味を感じさせてくれる。秀吉や家康をはじめとするそれぞれの人物の描き方もいい。
人はただ、己に置かれた状況の中を、それを受け止めながら生きる以外に術がない。何らかの作為をもつ者は、その作為によってまた滅びていく。作為に人の幸せはない。「お江(小督)」の生涯を思うと、そんな思いが彷彿してくる。本書の終わりに「煩悩こそ女子の戦」という言葉が出てくるが(443ページ)、まさに煩悩こそ人の命に違いない。天から才を与えられた者は苦もまた与えられるから、煩悩も強くなる。だが煩悩こそ命だと、わたしは思う。
しかし、この時代の人間関係は、政略結婚や養子縁組などがあって、本当に複雑であるが、表面は滅びていっても信長から徳川家光に至る血筋が「江(小督)」によって面々と受け継がれていたことを思うと、なんだか不思議な気がしないでもない。
このところ朝鮮半島が焦臭くなって、なんだかマルクスの予言が当たってきたかも知れないと思ったりするが、世界構造のいびつさが露呈する中で、その影響を受けていながらも、大所高所から世界や社会を論じても意味のないことで、「今夜は寒いからお鍋にしよう」という日々の暮らしを自分なりに過ごしていくことを改めて心がけようと思ったりもする。それにしてもナショナリズムほどつまらないものはない。
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