2010年11月17日水曜日

山本一力『損料屋喜八郎始末控え』

 昨夕から降り続いた雨も、今は何とか治まっているが、今にも泣き出しそうな重い雲に覆われ、気温も低く、どこかわびしい冬を感じさせる世界が広がっている。

 だが、山本一力『損料屋喜八郎始末控え』(2000年 文藝春秋社 2003年文春文庫)を、掛け値なしに味わい深い作品だと思いつつ読み終えて、日常の煩雑さがどこかに吹き飛んでいくような思いがした。

 以前、この続編である『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』の方を先に読んで、どことなく物足りなさを感じたのだが、この第一作は、作者の単行本第一作目の作品ということもあって、完成度の高い優れた作品だと思った。

 主人公の喜八郎は極貧の浪人の子であったが、剣道場で一緒であった北町奉行所蔵米方上席与力の秋山久蔵にその人柄と才能を見込まれて一代限りの同心として勤めていた。蔵米方というのは、米の石高で俸給をもらっていた旗本や御家人などの武士の俸給米の仲買人であった札差しを監督する役人であった。武家は少ない俸給でやりくりしなければならないから、いきおい不足分を1~2年先の俸給を担保にして札差しから高利で金を借りたために、札差しの多くは金融業が主となり、莫大な金額を扱い、江戸経済の中心となっていった。だから、蔵米方は、いわば江戸経済を取り締まるものでもあったのである。

 札差しは、1723年(享保8年)に109名が株仲間を願い出て株(営業権)組織を結成し、1764-1788年のいわゆる田沼時代と呼ばれるころには全盛で、贅を尽くした遊びをしたりして力を誇り、株(営業権)は売買されて千両にもなったといわれている。この物語の時代である寛政年間には、株仲間は少し減少して96組で、棄損令などで大打撃を被むり、株も500両前後に下がったが、江戸の大金持ちであったことは間違いない。もちろん札差しの全員というわけではないが。寛政の改革(1787-1793年)のひとつとして旗本・御家人の生活救済のために1789年に出された棄損令は、札差しからの借財を帳消しにするものであったが、江戸の経済を一気に冷やすものとなったといわれ、貸し渋った札差しのために旗本・御家人の生活はいっそう窮乏するものになったと言われている。本書では、そうした棄損令にまつわる出来事が背景となっている。

 本書の主人公である喜八郎は上役の秋山久蔵の信頼を得ていたが、米相場に手を出した上司の詰め腹を切らされる形で奉行所を辞めざるを得なかった。しかし、札差しのひとりであった初代の米屋政八が彼の人柄を見込み、頼りにならない二代目を影から支えるために、表向きは損料屋(今のレンタルショップ)を開かせ、いわば後見人として用いることにしたのである。喜八郎は、何事にも動じない胆力と明晰な頭脳をもって、札差し業界の影で行われる巨利を貪るための画策を見抜いて、初代亡き後の米屋を窮地から救い、初代の米屋政八から依頼されたことを果たしていくのである。

 物語は、深川の富岡八幡宮の祭りの前日に、傲慢で、湯水のように金を使うひとりの札差しである笠倉屋の遊びの場面から始まり、ここで、やがて喜八郎の恋人となる料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の毅然とした気っぷの良い姿や喜八郎とので出会が語られていく。この笠倉屋は、やがて自ら身を滅ぼしていくことになるが、その没落過程が一本の筋ともなっている。その構成も見事である。

 そして、二代目米屋政八が、自らの才覚のなさと器量のなさから、店をたたむと言い始め、そこから喜八郎の活躍が始まり、米屋を買い叩こうとした強欲な札差しである伊勢屋との知力を尽くした駆け引きが始まっていくのである。喜八郎は、自分を信頼してくれていた上司であった秋山久蔵や深川の仲間たちの助力を得て、米屋の窮地を救っていく。若い喜八郎が、強欲なやり手の札差しである伊勢屋と胆力に満ちた毅然とした姿で渡り合う光景は爽快さがある。

 この伊勢屋が、いわば宿敵のような存在で、米屋を買い叩きそびれた意趣返しもこめて、米屋を詐欺に嵌めて窮地に追いやろうとしたり、伊勢屋の手代が自分の使い込みを隠そうとして「秀弥」が経営する料理屋の板前を罠に嵌めたり、棄損令によって窮地に追いやられた笠倉屋が贋金作りを画策し、それで渡世人に嵌められていったりして自滅していく出来事が本書の大まかな筋書きである。

 それらが、棄損令という大きな混乱を招いた社会的出来事を背景にして、実に丁寧に展開されている。そして、それらを乗り切っていく喜八郎という存在も味わい深いものになっていくし、喜八郎と秀弥の恋の進展も緩やかだがしっかり心情をつかみながら展開されている。

 また、ひとつひとつの場面も実に細やかに描かれ、たとえば、第三話「いわし祝言」で、罠に嵌められた江戸屋の板前の窮地を救った後で、板前と料理屋の奥女中との船着場での祝言の様子が描かれるが、板前の郷里の兄弟たちがたくさんの魚を持ち込み、長屋の女房連中が料理し、いわしの丸焼きの煙の中で、ひと組の夫婦を祝う思いが満ちている光景は、その前後の顛末と合わせて見事に美しく盛り上がるものとなっている。また、第四話「吹かずとも」で、棄損令を発案してかえって経済的窮地を招いてしまった責任を取ろうとする秋山久蔵が町奉行に辞任の願いを出すことを察知した町奉行が、駕籠脇で「一切、聞く耳は持たぬぞ」と言って、多くの人々の非難の眼を承知しながらも、彼を支える場面があったり、祭り御輿に全力を注ぐ人間の姿があったり、それらが言外の思いやりに満ちた行為として描かれるのは、懸命に生きる人間を描く姿として見事というほかない。

 ひとつひとつの場面が詳細に至まで丁寧で、しっかり展開され、それでいて物語としての醍醐味もあって、読ませる作品のひとつと言えるだろう。山本一力の作品をまだ多くは読んでいないが、これまで読んだものの中では、『だいこん』とこの作品が最も気に入った作品である。

 それにしても、江戸時代の改革を顧みながら、現在の日本政府の政策を見て、行き当たりばったりの政策は、いずれは窮乏を生むと思ったりもする。

 今日は雨が降ったり止んだりして冷えている。こんな日は鍋が美味しいのだろうが、昨日鳥鍋にしたので、別のものを作ろう。冷蔵庫にお肉の買い置きがあったかも知れない。明日、天気が回復してくれればいいが。

1 件のコメント:

  1. 江戸版の企業乗っ取りの攻防が面白く、一気に読みました。江戸時代の経済・金融制度の発達もすごいと思いました。

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