2010年11月6日土曜日

澤田ふじ子『世間の辻 公事宿事件書留帳』

 気温は決して高くはないが、晴れた秋空が広がっている。紅葉が進み、銀杏の街路樹も色づき始めている。銀杏の葉がひらりはらりと舞い落ちる様は何とも風情がある。銀杏の葉には脂分が多いので、掃除は大変なのだが、それもまた一興だろう。

 昨日、都内での会議のための往復路で、読みさしていた澤田ふじ子『世間の辻 公事宿事件書留帳』(2007年 幻冬舎)を面白く読み終えた。作者の作品は京都を舞台にした作品が多く、もちろん歴史的考証や社会的考察もしっかりしているし、どちらかといえばこの類の作品は、テレビ時代劇の『水戸黄門』に代表されるような勧善懲悪が根本にあるのだが、権勢や権力を笠にして悪を両断していくのではなく、市井に生きる人間の側での納得のいく形で描き出されるので、比較的安心感がある。

 この書物を手に取ったのは、「世間の辻」という書名がなかなか味のある書名だと思ったからで、シリーズの最初から読んでいるわけではない。しかし、さすがに前後を知らなくてもきちんと読めるように構成されている。ちなみに、このシリーズは、2002年に『はんなり菊太郎~京・公事宿事件帳』、2004年に『はんなり菊太郎2~京・公事宿事件帳』、2007年に『新はんなり菊太郎~京・公事宿事件帳』としてNHKでテレビドラマ化され放映されている。ただ、わたしは残念ながら見たことはない。

 ドラマの原作となった『公事宿事件書留帳』のシリーズは、現在まで15冊という長いシリーズになっており、本書はその14番目の作品で、「ほとけの顔」、「世間の辻」、「親子絆騙世噺(おやこのきずなだましのよばなし)」、「因果な井戸」、「町式目九条」、「師走の客」の6話が収められている。

 江戸幕府は京都の二条城(二条城は江戸幕府統治の象徴でもあった)近くに東西奉行所を置いて京の治安を管理していたが、その近辺には奉行所での訴訟のための「公事宿(訴訟のために遠方から来た者を留める宿だが、訴訟手続きや補助、仲介、交渉など弁護士事務所のような働きもした)」が多くあり、本書は、二条城近くの姉小路大宮通りにある「鯉屋」という公事宿で、東町奉行所同心組頭の長男でありながら、妾腹のために家督を弟に譲って浪人となり、居候兼相談役、また用心棒のようなことまでする田村菊太郎という、あまり物事にこだわらないで飄々と生きている人物を主人公にして、公事宿に持ち込まれる事件の顛末を記したものである。

 公事宿「鯉屋」の主人である鯉屋源十郎は、菊太郎を良い相談相手として居候させ、信頼し、「鯉屋」の奉公人たちも菊太郎を尊敬し、菊太郎から俳句を習ったりして、その関係は温かい。菊太郎には「お信」という恋人があって、「お信」は、夫に蒸発され、料理屋で仲居をしていたが、団子屋を開き、ひとり娘の「お清」を育てている。菊太郎とお信の恋の顛末については、おそらく、シリーズの前の方で記されているのだろうと思う。

 江戸でもそうだったが、京都でも奉行所の訴訟事件の大半は金や権利を巡っての民事で、公事宿が取り扱うのも民事事件が大半であるが、時にはそれが刑事事件になっていく場合があり、また、菊太郎が家督を譲っている弟の銕蔵(てつぞう)が東町奉行所同心組頭をしていることもあって、菊太郎は強盗や殺人に絡む刑事事件にも関わっていく。

 第一話「ほとけの顔」は、生糸問屋の大店の主が気の強い女房に嫌気がさして失踪し、六波羅の近くで陶工として働いていたが、死んでしまい、大店の女主は、遺体を引き取ることも葬儀を出すことも気にいらず、意にも沿わないが、見栄と世間体から主の遺体を引き取って葬儀をしたいという依頼を公事宿に持ち込んでくる話である。

 京都は何度も足を運んで好きな町のひとつだが、見栄や世間体が幅を効かせる所でもあり、特に大店の女主ともなればそれだけで生きている人もあって、なるほど、と実感を持ちながら読んだ。菊太郎と鯉屋源十郎が実際に当たってみると、六波羅で人々に慕われながら生きた大店の主の姿が浮かび上がるだけであり、葬儀はこともなく生糸問屋で行われることになっていくのである。

 表題作ともなっている第二話「世間の辻」は、惚け(認知症)が進んだ老いた母親を抱える貧しい石工が、働くことも出来ずに貧にあえぎ、とうとう無住の荒れ寺で母親を殺し、ふらふらと出てきたところに行き会わせた鯉屋の下代(番頭)と奉公人が助け、その母親を殺さなければならなかった顛末が述べられたもので、おそらく、作者の中には現代の介護の問題が意識されていただろうと思われる。

 第三話「親子絆騙世噺(おやこのきずなだましのよばなし)」は、大店の焼き物問屋の跡取り娘が死んで、その跡継ぎ問題が起こったとき、実は、死んだ娘には双子の妹があり、当時の風潮から(双子は畜生腹として嫌われた)生まれてすぐに他家に出されていて、大店の夫婦が、その妹を捜し出して跡継ぎにしたいと鯉屋に相談に来たことの顛末を物語ったものである。

 妹の行くへを探すために、姉妹を生んだ時の産婆を捜し出すが、産婆の息子がぐれた息子で、大金の謝礼を要求してくる。菊太郎と源十郎は、産婆の息子の要求をはねつけ、産婆を説得して、妹のもらわれ先を探し出す。妹は、魚屋の養父母に大切に育てられ、幸せに暮らしており、生みの親の身勝手な要求を断固として断る。菊太郎は,焼き物問屋の夫婦に、道理をわきまえて、やがては行き来が生じて、その妹が産んだ子を跡取りとする方法もあるだろうとさとしていく。

 第四話「因果な井戸」は、博奕と酒好きのために親から譲り受けた昆布屋を廃業させた男が、店の土地を売るためと、隣で豆腐屋を営む繁盛している弟を嫉んで、弟が使っている井戸に死体を投げ込むことを地回りと結託して画策し、偶然、殺されることになっている男と殺そうとする男たちと居酒屋でいあわせた菊太郎が、その計略を暴いていく話である。

 第五話「町式目九条」は、学問所などを私財をはたいて作っていた筆屋の主が亡くなり、情のない養子夫婦の中でひとり残った老女が、養子家族たちだけが紅葉見物に出かけて留守居をさせられていた時に入ってきた泥棒と親しくなり、失踪してしまうという事件の顛末を語ったもので、鯉屋の奉公人たちが泥棒に背負われている老女と偶然出会ったことから、老女の失踪先を案じることになるが、やがて老女の行き先がわかり、養子夫婦の実態が明らかになって、養子夫婦によって閉鎖されていた学問所が「町式目九条」に従って町預かりとなり、再開されることになるというものである。

 町式目というのは、独自の形態をもっている京の町がそれぞれに定めた法律のことで、主にその町の住民が安心して暮らしていくために定められたものであるが、時には京の町々ごとの閉鎖性ともなったりした。しかし、たいていは相互扶助として機能していた。

 第六話「師走の客」は、公事宿である鯉屋の客となった滋賀の彦根で金物屋を営む男の話である。行きずりの奉公人の少女の下駄の緒をすげかえてあげている彼を鯉屋の主源十郎が見て、声をかけ、公事宿を探しているというので連れてきたのである。

 男は、今は金物屋として成功しているが、昔、喧嘩で遠島の刑を受け、その際に言い交わした女性の行くへを探しているという。女性は火事で死んだと聞いているので、その墓に参りたいと願っていたのである。菊太郎と源十郎は、弟で同心組頭の銕蔵(てつぞう)の助けを借りて、彼女が埋葬されている墓を探そうとする。そして、女性と金物屋の間に子どもが出来ていたことを知り、その子どもが今は駄菓子屋の女将として立派にやっていることを知る。

 菊太郎と源十郎は親子の名乗りを上げて子どもの心をかき乱すのではなく、物陰からそっと見守っていくことを勧め、金物屋と一緒に彦根へのお土産を買うという名目で、その駄菓子屋に行き、密かな親子の対面を果たす。しかし、金物屋は昔の喧嘩仲間から恨まれて刺されてしまう。だが命には別状はないというところで終わる。

 これらの六話の物語は、それぞれが色彩の異なった別の事件で、それぞれが当時の京都の商人や市井の人々の姿を浮き彫りにして、味わい深いものになっている。主人公の田村菊太郎の鷹揚で何事にもこだわらない、しかし、明敏なところも魅力がある。菊太郎も鯉屋源十郎も悪人を作らない。鯉屋の奉公人たちも気持ちがいい。ただ、それだけに事件の結末があまりにもきれいすぎる気がしないでもない。作者は多作で、問題意識もあって人間と社会のそれぞれの面を取り上げているが、作品の結末は、たいてい、きれいに終わっている。そう思うのは、わたし自身が少しひねくれているからかも知れないと思ったりもする。

 今日はいい天気で、夕方、ぶらぶらと散策にでも出てみようと思っている。

2 件のコメント:

  1. 京都のお土居の内で生まれ育ち、現在も京都に住んでいる私にとって、澤田ふじ子さんの作品は「ああ、ああ、あそこ、誰々さんの住んでいたところ」と、ストーリーと関係なく感慨深いものがあります。ただ、澤田ふじ子さんの作品は教科書を読んでいるようなところも多く、「色々勉強したはることを読者に伝えようとしてはるんやなあ」と思ったりします。主人公の恋愛の進展がないのも、物足りない気もします。
    このシリーズも14巻まできましたか。8巻まで読んだ記憶がありますが、また読んでみます。

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  2. コメント、ありがとうございます。
    京都は本当によく行きました。知恩院で一日ぼーっと紅葉を見て過ごしたこともありますし、清水寺から八坂神社に至る狭い坂道も好きで行くと必ず寄ることにしています。TVのCMではありませんが、「そうだ、京都へ行こう」と思うのです。
    親しくしていた知人が修学院に住んでいます。彼とは老後の話を良くします。

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