2010年11月15日月曜日

高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』

 朝方は晴れ間も見えていたが、午後から曇り始め、雨が落ちてきそうな気配になっている。昨日、あまり気乗りのしない会議で小田原まで出かけ、途中の渋滞で少々疲れを覚えていたのだが、帰宅してテレビで世界女子バレーを見て、32年ぶりで日本のチームがメダルを取るという試合で、長い試合日程の中でもうほとんどジャンプする力も残っていないのに、気力だけで試合をしているような選手の姿に感動した。勝負の勝敗ではなく、そういう姿が好きで、全試合を観ていた。

 それから夕食を作り、食べながら、行儀が悪いと思いつつも独りの気楽さで、高橋克彦『完四郎広目手控 文明怪化』(2007年 集英社)を読んだ。

 これは『完四郎広目手控』(1998年 集英社)から始まるシリーズ物の4作目であるが、前に読んだ『おこう紅絵暦』と同様、前作を読まないと登場人物の相関図がわかりにくいのが難点で、このシリーズの前3作は読んでいないので、突然、ある人物が登場してきたときには、これは誰でどういう関係なのだろうと思ったりもする。だが、巻末にある出版社の広告で、これが幕末の安政年間から続く物語で、頭脳明晰で剣の腕もたつ香冶完四郎(こうや かんしろう)という旗本の次男坊が、持ち前の明晰な頭脳で居候している広目屋(広告代理店)を手伝いながら、戯作者の仮名垣魯文(かながきろぶん)らと共に難事件を解決していくという、時代探偵小説とでもいうべき作品であることがわかる。もちろん、幕末から明治維新にかけての激動した時代の推移や、幕末から明治維新にかけて活躍した実在の人物も登場し、ある種の文明批評もきちんと盛り込まれているだろうことは想像がつく。

 シリーズの4作目である本書は、維新前にアメリカに渡った主人公の香冶完四郎が明治になった日本に帰国してくるところから始まっているし、戯作者の仮名垣魯文は著名な作家となり、創刊されたばかりの東京日々新聞にも深く関わっており、本書は、その東京日々新聞の新聞錦絵(事件を絵にしたもの)に描かれた事件の謎を解いていくという趣向で物語が進められている。

 ちなみに、東京日々新聞は、現在の毎日新聞の前身で、1872年(明治5年)に戯作者であった山々亭有人こと粂野伝平(1832-1902年)と貸本屋の番頭であった西田伝助(1839-1910年)、浮世絵師であった歌川芳幾(1833-1904年)が創立したもので、この頃、鉄道が開通したり、東京-大阪間の電信や全国に郵便施設が開設されたりして、通信手段が発展し、現在の読売新聞とスポーツ報知などの前身である郵便報知新聞も同年に創刊されている。本書でも、歌川芳幾と人気を二分した芳年(月岡芳年・・1832-1892年)が郵便報知に挿絵を描く人物として登場する。

 ただ、物語よりも最初に驚いたことであるが、本書で取り扱われている歌川芳幾と芳年の新聞錦絵が著者所蔵となっており、作者に収集癖があるのか、それとも金に飽かせて買い集めたのかはわからないが、これだけの明治初期の新聞錦絵を個人で所蔵し、おそらくはそれをじっくり見ながら本書の主人公よろしく推理を組み立てただろうと思われるその想像力の巧みさに恐れ入った。

 物語は、その新聞錦絵で取り扱われている怪談や幽霊話、残酷な事件などの記事と描かれている絵から想像されることとの違いから、主人公がそれぞれの事件の裏に隠されている真相を明晰な頭脳で暴いていくというもので、それが肉の検査制度の発足や迷信の払拭などといった明治の政策と絡めて展開されている。その着想や発想はとてもおもしろい。罪人を作らないのもいい。

 ただ、主人公の頭脳明晰さを強調するためだろうが、それぞれの事件が主人公によってあっさり謎解かれ、解決されるのに物足りなさがあるような気がするし、以前横浜にいて主人公と知り合い、再び主人公を慕って米国からやってきたジェシカという娘の恋心があまり伝わらない。主人公の朴念仁ぶりが語られているが、恋をする娘の姿はあまり感じられない。彼女の恋心は、アメリカから追ってきたにしては、あまりにあっさりしている気がするのである。

 作者自身が主人公の口を借りて新聞について、「アメリカやイギリスでは、・・・・こんな事件があったというのではなく、なぜこんな事件が生まれたかに主眼を置いている。日本人は目の前のことにしか関心を持たない。せっかち過ぎる。新聞の記事もそうだ。事実はそうに違いないが、それだけ並べて終わりという書き方だ。・・・・」(235ページ)と語っているが、その「なぜ、そんな事件が起こったのか」の掘り下げが、少し物足りない気がするのである。人間の怨恨は深く、またそれを巡る思いを関係も複雑で、金と欲では簡単に片づかないだろうと思うからである。

 たとえば、実際に絵師の芳年は神経症で苦しんだが、本書では、それが前妻の幽霊を見るということで表されたりしている。しかし、実際の神経症はそう単純ではないし、芳年の絵にはどこか狂気のようなものが感じられるので、物語の筋とはあまり関係ないにしても、そのあたりが掘り下げられても良かったのではないかと思ったりもする。

 とは言え、通常の捕物帳のようなものではなく、ある種の探偵小説というようなものであり、新聞錦絵からの奇抜な発想は、間違いなく読んでいて面白い。あまり物事にこだわらずに自由な発想をする主人公の姿もいい。いずれにしろ前3作を読んでいないので、何とも言えないことではあるが。

 今日は嬉しいメールが一通届いたし、夕方からの予定はあるものの気分的には比較的ゆっくりしている。いくつかの仕事を夕方までに片づけて、夜はまた違う本を読むつもりである。

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