2010年12月24日金曜日

千野隆司『逃亡者』

 ニューヨークやシカゴでよく使われた「クリスマス寒波」という言葉が日本の天気予報で使われるようになって、日本海側と北陸、北海道では大雪の荒れた天気に見舞われるとニュースで伝えられたが、こちらは晴れた碧空が高く広がっている。ただ、気温は低く、忍び寄ってくる空気は冷たい。今夜は寒いクリスマス・イブになるだろう。

 生来の「ものぐさ太郎」のようなわたしにとって今の時季は特別に睡眠不足になってしまうのだが、昨夜、遅くまで千野隆司『逃亡者』(1998年 講談社 2001年 講談社文庫)を作者の力量を感じながら読み続けた。

 これは、いわば、人生の負を背負って生きなければならない人間の物語である。主人公を初めとする登場するほとんどの人物が何らかの負を背負い、その負に押し潰されそうになりながら生きていく姿が描き出されていく。

 打物屋(包丁や鉈などを売る店)の優秀な番頭として妻とひとり娘に恵まれて暮らしていた主人公の燐之助は、自分の妻を犯して弄んだ破落戸(ごろつき)の錠吉を殺して出奔し、各地を流浪して六年ぶりに江戸に戻り、残してきた妻と娘を案じながら生きている人間である。

 彼が妻と娘の様子をそっと見に行った夜に、ひとりの男が二人の男に襲われている現場に出くわし、その男を助けたことから知り合って身を寄せることになった遊女屋「春屋」の主人庄八は、かつては強盗団の一員であり、わけありの妻「お絹」と遊女屋を営んでいる。彼は、かつての強盗団の首領を殺して強盗団を抜けたことから、その昔の仲間から執拗に命を狙われているのである。

 彼の妻「お絹」は、かつては武家の妻であったが、子どもを産んだ後に病を得て家人から冷たく扱われ、その頃に強盗団を抜けようとして彼女の家の奉公人であった庄八の命を救おうとして強盗団に捕まり、首領から犯され、その時に首領を殺して救い出した庄八と共に逃げた過去を背負っている。庄八と夫婦になって、元の武家に戻る気はないが、自分が生んだ子のいく末を陰からそっと見守っている。

 その遊女屋で働く女たちも、当然、暗い過去を引きずりながら生きている。自分の悲運を決心して引き受けようとする新米女郎、ひどい母親に売られ続けて身を落としていく女、周囲から「意地悪女」と言われながらも惚れた男の病のために身体を売り続けていく女、そういう女たちの姿が主人公の日常の姿の中で絡まっていく。

 燐之助に殺された破落戸の錠吉の兄の辰次郎は、地回りと結託する質の悪い岡っ引きであったが、復讐に燃えて燐之助をつけ狙う。しかし、彼もまた、悪であったころに弟の錠吉に助けられ、そのために錠吉が足を引きずって歩かなければならなくなったという負い目をおっている。そのために、錠吉を殺した燐之助をつけ狙い、燐之助の妻と娘を追い回すのである。そして、ついに燐之助の妻と娘を捕らえ、人質として燐之助をおびき出そうとする。

 破落戸に犯されて汚されてしまったが、一途に燐之助を思い続け、つけ狙う辰次郎の手を逃れながら生きていく妻の「お澄」と父親を慕う娘、そして、遊女屋「春屋」で庄八・お絹夫婦の姿や女たちの姿を見ながら自分の思いを徐々に整理していき、妻と娘を辰次郎の手から救い出そうとする燐之助、そうした心の綾が克明に描かれる。

 これらの人生の負を背負わなければならなかった人たちが、それぞれに自分の悲運を受け止め、その悲運の中で、それと対峙し、そこでもがきながらも生きていく姿が、丁寧に、克明に展開されている。そして、登場人物の視点で同時間的に物語が進行していくので、それぞれの人物のリアリティーと重さが伝わってくる。たとえば、ほんの些細な描写なのだが、

 「朝の日が、障子紙を通して差し込んでいる。やかましく、小鳥のさえずる声が聞こえた。
 春屋の夜が終わった。まんじりともせず、夜を明かした女が二人いる。過ぎ去った日々に執着を持ちつつ、今の動かし難い暮らしがあるお絹。そしてどういう境遇になろうとも、忘れたいこれまでの日々を引きずり、それに縛られて生きるお島。
 蝉の鳴き声が、すぐ近くから聞こえる。今日も暑くなりそうだ」(文庫版 180ページ)

 という描写があるが、ここで描き出される情景は、過去を背負いながらそこから逃れることができないで日々を過ごさなければならない二人の女の心であり、妻を犯した破落戸とは言え、その男を殺した燐之助の過去の重さと、犯された妻をなおも思い続ける心である。

 こうした同時間的な、あるいは同視点的な描写で物語が綴られているので、作中人物が、まるでそこで生きているような展開がされていく。こういうリアリティーのある文章手法は、他の作品でも取り入れられて、それだけ描写が克明となり、作者が確立した真骨頂のような気がする。そして、人間に対する洞察の深さを伺わせる。

 人はだれでも、その大小の差はあっても、負を引きずりながら生きている。人間の生は業が深く、生きることは負を背負うことでもある。その負をどう背負って、どう対峙していくのかが、その人の価値ともなり人格ともなる。作者の作品には、そうした視点が、作者なりの温かさをもって語られる。そこにこの作者の作品の良さのひとつがあることは疑いえないだろう。藤沢周平や池波正太郎の作風も思い起こさせるものもあって、今まで読んだこの作者の作品に「はずれ」はなかった。

 今日はクリスマス・イブで、毎年、この夜は静かに過ごすことにしているが、今年も変わりない。更けていく夜をしみじみと感じながら、「さやかに星はきらめき」という讃美歌を聴きながら過ごす。そういういい夜にしたいと思っているが、どうだろうか。

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