2010年12月21日火曜日

平岩弓枝『へんこつ』

 このところ日毎に天気も変わり寒暖の差も激しい。もともと寒いのが苦手なのに、身体が外界の変化についていかない気がしている。毎日曜日に、幼稚園の園長もしている知り合いのプロテスタント教会の牧師がニュースレターをメールで送ってくれているが、そのエネルギッシュな活動ぶりにほとほと敬服する。彼から見れば、生来のエネルギー量が少ないわたしのような生活はぬるま湯につかったようなものかもしれない。

 週末から昨夜にかけて、ようやく平岩弓枝『へんこつ(上・下)』(1975年 文藝春秋社 1986年 文春文庫)を読み終えた。1932年生まれの作者が43歳の時の作品で、作者の作家としての力業が滴るような見事な長編小説だと思った。1971年から「週刊文春」に掲載され、1976年から1977年にかけて刊行された松本清張の全5巻に及ぶ『西海道談綺』(文藝春秋社)を彷彿させるような冒険譚も盛り込まれ、女流作家とは思われないような大胆な発想と表現に目を見張るものがあった。

 「へんこつ」とは、作者が文庫版上巻の巻末に「『へんこつ』について」という文章を書かれていることによれば、頑固で偏屈、また反骨精神に富んだような人間を指す中国地方の呼称だそうだが、わたしが生まれ育った福岡や長崎、熊本などの九州北部地方でも「頑固な変わり者」を指す言葉としてよく使われる言葉である。平岩弓枝は、この言葉をこの作品の中で重要な役割を果たしている江戸時代の戯作者滝沢馬琴(曲亭馬琴)を示す言葉として使われ、なるほど滝沢馬琴という人を一言で表すのに最も適切な言葉だと思う。

 滝沢馬琴(曲亭馬琴・1767-1848年)は著名な『南総里見八犬伝』を1814年から1842年までの28年間を費やして書き、著述業だけで生計を立てた日本で最初の作家だといわれるが、武家の出ということもあって人づきあいも苦手で、どこか武骨で、頑固さの点では、恩師であり競争相手でもあった同時代の山東京伝(1761-1816年)や、歌麿や写楽の浮世絵を出した蔦屋重三郎(1750-1797年)も手を焼くところがあったようだ。

 さすがに平岩弓枝はこの馬琴のことを丹念に調べ、その生活ぶりや家族の事情などをうまく盛り込みながら、60-62歳にかけての馬琴をある種の探偵役として登場させ、江戸城大奥に端を発する権力欲と金欲、色欲にまみれた一大事件を展開していくのである。特に、精力的で「おっとせい将軍」と渾名された徳川家斉の愛妾「お美代」の養父として権力をほしいままにした中野清茂(碩翁)が札差と結託して米の価格操作を行い、また、権力掌握のために行った大奥の女たちを虜にした淫靡な行状から派生した事件を描き出していく。

 そして、男と女の情念も、近親相姦や、今でいう性同一性障がいをもつ人物を作品の重要な人物として登場させたりしながら、そのどろどろした姿と苦悩や悲しみを色濃く描き出し、その中で作品の主人公とでもいうべき奉行所同心で馬琴と親しく交わっている青年を登場させ、彼の一途な愛情の姿も描き出す。

 この青年が事件の核心をつかむために長崎に行き、不帰島(富貴島)と呼ばれる秘境(島の一族を守るために自由に性交渉が行われる島)に行ったり、福岡の冷水峠での山崩れで難を逃れたりする冒険譚もあり、物語が長崎と江戸を結ぶ壮大な展開となっている。

 物語の発端は、馬琴の『南総里見八犬伝』に描かれる八房という犬と伏姫の姿のように、大きな犬を連れた不思議な女性の登場を馬琴が目撃するところから始まり、蔭間(男娼)殺しに出くわすところから始まる。そして、六本木の方で大きな犬と不思議な女を目撃したという百姓が殺され、何かに関係していたと目される奉行所与力の変死体が見つかり、馬琴と親しい青年同心の犬塚新吾の探索が始まっていくのである。そして、これらがやがて大奥の女たちの淫靡な習癖や金欲にまみれた権勢者の米価格操作による権謀術策へと繋がっていく。この主人公の名前も『八犬伝』と関係している。米価格操作のために蓄えた米倉を発見するのは馬琴である。実在の馬琴をうまく取り込んだこうした展開と設定は、見事としかいいようがない。

 それにしても、徳川家斉とそれに続く家慶の時代は、江戸時代の中でも最も腐れ斬った時代の一つであり、その大奥で展開されたことや閨房によって権力者となっていった人間やそれにおもねる人間の姿、あるいはそれに端を発する疑獄事件を見ると、人間とは、かくも愚かしいと感じたりするが、それは今もあまり変わらないだろう。とかく性欲と権力欲が絡まると人間はおぞましくなる。

 この作品は『御宿かわせみ』のような作品とは異なった作者の力業の作品だとつくづく思う。力業といっても、作品の中に無理があるというのでは決してない。近親相姦や性同一性障がい者というものが作品の中の重要な鍵となっているだけに、そこに馬琴を絡ませることに作者の力を感じたのである。

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