2010年12月2日木曜日

澤田ふじ子『はぐれの刺客』

 師走の風が吹くようになった。どんよりと曇った空から雨が落ちそうである。考えることがいくつかあって、昨夕は、久留米のSさんが送ってくださった田主丸の富有柿を食べながらぼんやりと時を過ごしていた。柿は、お腹が冷えるのが難点だが、ビタミンが豊富で、ビタミンが欠乏しがちな生活では重宝している。それから読みさしていた澤田ふじ子『はぐれの刺客』(1999年 徳間書店)を読み終えた。

 岐阜の大垣藩の藩士の次男として生まれた主人公の甘利新蔵は、剣の腕は藩随一であるが、どこか鬱屈したところがあるということで道場主から疎んじられ、かといって養子の口もない部屋住み(居候・冷や飯食い)の身をもてあまし、根は正直で、気さくで、人の良いところをもちながらも屈折した気もちで日々を過ごしていた。

 彼は友人の妹「五十鈴」に思いを寄せ、「五十鈴」も彼を慕っていたが、部屋住みの身のために結婚もできず、そのうち「五十鈴」の両親から彼の境遇故に疎んじられるようになり、やがて「五十鈴」は藩の普請奉行の息子で彼の友人でもあった中井三郎助と結婚するという。彼は二人を祝すが、どことない怒りを覚え続けた夜、城下で起こった強盗事件で強盗を怒りにまかせて斬り殺す。そして、強盗を殺してほめられるどころか、その殺し方があまりにも残忍ということで蟄居(幽閉)を命じられてしまう。忍耐の尾を切らしてしまった彼は、藩を出藩し、浪々の身となり、各地を放浪するようになる。

 他方、甘利新蔵に思いを寄せていたが周囲の圧力に負けて中井三郎助と結婚した「五十鈴」は、それなりに自らの幸せをつかもうとし、三郎助との間にひとり娘をもうけていたが、夫の三郎助が藩主に召されて江戸に行くことになる。そして、その間に、彼女に懸想した義父の中井九右衛門によって好色の餌食にされてしまう。中井九右衛門は、外では厳格な普請奉行であったが、「五十鈴」を手籠めにし、もてあそんだのである。「五十鈴」はそのことで自ら縊死してしまう。

 浪々の旅を続けていた甘利新蔵は、やがて自分が殺し、出藩の原因ともなった強盗団の一員に見つけられてしまう。強盗団は仕返しの機会をうかがうために彼を用心棒として雇って囲い込もうとする。甘利新蔵は、彼らの意図を見破るが、雇われているうちに、その強盗団が普通の強盗団とは異なり、実は藩の不正を暴こうとした強盗団の首領の父親を罠に嵌めた悪徳商人を懲らしめるための強盗団であったりしたことを知り、お互いに信頼を寄せ合うようになっていく。彼が大垣城下で殺した一味の娘も、はじめは新蔵を仇としていたが、やがて思いを寄せるようになっていく。

 そういう中で、甘利新蔵は、幸せに暮らしているとばかり思っていた「五十鈴」の不幸を知る。彼は周囲に迷惑が及ばないように配慮をしながら、時期を待って「五十鈴」を不幸に陥れた中井九右衛門の首をはねる。だれも、なぜ彼が中井九右衛門の首をはねたのかの真相は知らない。彼もまた「五十鈴」の夫であり友人でもあった三郎助のために口を閉ざす。

 だが、三郎助は仇討ちをしなければならない。そして、天明の京の大火の時、甘利新蔵は自ら仇を討たれるようにして死んでいくのである。

 恵まれた才をもちながら、否、才をもつが故に、出口のないままに不運を生きなければならない人間が、報われないままではあるが自らの思いを徹させていく姿が、ここに描き出されている。もちろん、その結末は不幸である。だが、それで良かったのだろうと読了後に思った。

 作者は「あとがき」の中で、「この『はぐれの刺客』は、武芸は達者だが、徹底して不幸にみまわれ、はぐれ者の烙印を押された一人の若い武士が、どう生きどう死んだかを追って描いた。今の社会でも同じだが、かつての社会は、いまよりもっと公平ではなかった。主人公に似た人物を探せば、以外とわたしたちの身の廻りにも、多くいることに気づかされる」(282-283ページ)と記されているが、襲い来る不運と不幸の中でも自分の思いを通すことができる主人公のような人は少ないだけに、小説としての味があるように思えるのである。藩からの召し抱えの話を断るところなど、なかなかどうして矜持に生きる武士の姿そのものである。

 物語の展開は細部に至るまでストーリーテラーとしての作者ならではの展開だと思う。細かなことが生きているので、気さくだが鬱屈している主人公の姿がよくわかる。わたしはこの作者の作品をあまり多く読んではいないが、紡ぎ出される展開は驚嘆に値すると思っている。

 ぼちぼち雨が降るかも知れない。その前に出かける用意をして出かけることにする。いつものことだが、いざ出かけるとなると、都内まで、なんとなく億劫な気がする。

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