2010年12月6日月曜日

山本一力『菜種晴れ』

 昨夜が遅かったので、今朝はゆっくり起き出して、時間をかけてコーヒーを飲みながら新聞に目を通し、ぼんやりと過ごしてしまった。それからおもむろにベートーベンの交響曲第7番とバッハのピアノ協奏曲第1番をかけながら掃除機をかけ、雑巾で拭き掃除をし、シャワーを浴びて、いくつかのたまった書類や連絡事項をかたづけていた。これで小さな庭か畑でもあればゆっくりした日になるだろうが、車の騒音と家々に囲まれて予定に追われることの多いこの地では望外のことだろう。

 山本一力『菜種晴れ』(2008年 中央公論社)を、ある種の感動とある種の作者の思惑を感じながら読み終えた。感動というのは、房州(千葉県南部)勝山の菜種農家に生まれた主人公の「二三(ふみ)」が五歳の時に愛する家族のもとを離れ、江戸深川の油問屋に養女にやられるくだりが、家族や兄姉の切々とした思いで満たされ、また、愛する家族のもとを離れなければならない「二三」の健気さが、一面に広がる黄緑色の菜種畑の風景の中で克明に描かれ、その姿が深く胸を打つからである。

 物語の半分近くが、その五歳の少女が経験する別離の悲しみで満ちている。菜種農家の次女として生まれ、両親にも兄や姉にも愛され、母親にもきちんとしつけられて無邪気で利発な少女として育った主人公が、大人の思惑で、別離の悲しみと不安で小さな胸をいっぱいにし、それまでとは全く異なる江戸深川の油問屋に養女として旅立ち、その運命の中を健気に生きていこうとする。

 江戸について九日目の朝、油問屋の養父母は「二三」を我が子のように可愛がり、大事にし、高価な雛人形までも用意してくれ、「二三」はその養父母の優しさと愛情を十分に感じるが、ひとり、故郷の勝山にあった大田橋と同じような深川の黒船橋にでかけ、その欄干から小さな小石を落として波紋をじっと見つめる。

 「五歳の二三にも、みふく(養母)のやさしさが伝わってくる。それゆえに、悲しい顔を見せることはできないと思い、嬉しそうな顔をつくった。
 笑っていながら、胸の内には悲しさを募らせた。が、だれにも泣き顔は見せられないのだ。大田橋そっくりの黒船橋でしか、二三は泣くことができなかった。
 三個目の石を川に落とした。
 涙も一緒に落ちた」(120-121ページ)

 五歳のいたいけな少女が橋の上でうずくまり、背中を振るわせながら涙をぽろぽろこぼす。その光景を思い浮かべるだけで、もう胸が張り裂けそうになって涙があとからあとから流れてしまう。

 妹が養女に出されることを知った兄が、ひとり、菜の花畑の物見やぐらの上でそぼ降る雨に打たれながら立っている光景、七歳の姉が「お守り」だといって菜の花を手折って差し出す光景、船に乗った「二三」をいつまでも見送り続ける家族、夏に会いに来るといった父が暴風雨のために足を悪くして来られなくなったということを知って手習いの墨を握りしめながらすり続ける五歳の二三の姿、大事にされて幸せに暮らしているように見えても、思わず「おかあちゃん」と胸の中で呟いて涙を流す「二三」、そうした光景が展開され、泣けて泣けてしかたがなかった。

 小さな子どもが、その子なりに自分の運命を健気に生きていく姿に、わたしは感涙を禁じ得ない。宮部みゆき『孤宿の人』を読んだ時もそうだったが、小さな子どもは、いつでもだれでも一所懸命だ。自分の運命や環境に適合しようと懸命に生きている。成長していろいろなことを覚えていくにつれてそれを失っていってしまうが、素直で素朴で健気な子どもは、賢しらな知恵で策略を練ったり画策したり、世の中をうまく泳ぎ渡ろうとしたりする人間とは比べものにならないくらい尊い存在であるに違いない。主人公の「二三」は、そんな五歳の少女である。

 とはいえ、主人公の「二三」は、油問屋の養父母から可愛がられ、周囲の人からも大切にされ、彼女の才能や器量を認める大人たちに囲まれ、また大人たちの心を動かすほどのものをもっている。郷里の母親の教えも周囲の人たちの教えも素直に受け取り、それをしっかり身につけて成長していく。素直で素朴であることは大きな成長のための重要な要素だが、彼女はそれをもっているのである。

 一流の料理人や芸事の師匠、祭りの采配を握る香具師の親分などからも彼女の資質は認められ、養父母もまた人格者として彼女を愛情で包む。「二三」は、愛する家族との別離の悲しみを胸に抱えているとは言え、守られて幸せに暮らしていく。だが、十五歳になった時、江戸深川一帯の大火事で養父母を失い、彼女の油問屋が大火事被害の拡大を招いたということで油問屋の店も取り潰される。そして、若干十五歳ではあるが、彼女は店の蓄えの一切を使って奉公人と火事で焼け出された人たちの救済をし、自らは小さな木賃宿で暮らし始める。

 そうしている内に、彼女のきっぷに惚れた香具師の親分の配慮などで、故郷の母親を呼んで深川で天ぷら屋を始める。母親も喜び、天ぷら屋も軌道に乗り始め、許嫁もできた。しかし、再び不運が彼女を襲う。彼女が許嫁との結婚話で故郷の兄の家に行っている間に、大地震(安政の大地震-1855年)で母親も許嫁も天ぷら屋も失ってしまうのである。そして、地震後に母親と許嫁の安否を尋ねる際に知り合った老婆のところに身を寄せ、そこで菜の花を植えて、菜の花畑を作っていくのである。不運の中を生き抜くそういう姿が、物語の後半で展開されているのである。

 最初に作者の思惑を感じると書いたのは、まず書き出しの「序章」が、最後に三十歳を過ぎて菜の花畑を作っている彼女が一面に咲く黄色い菜の花の花畑の中でこれまでを回想するという設定になっており、それはそれで美しい光景だが、どこか映像化を意識したような書き出しになってしまっているところで、私見を言わせてもらえば、序章はない方がよい気がしたことがひとつである。もう一つは、作者は器量が大きくて優れた人間がどうも好きなようで、主人公が資質豊かで決断力もあり、しかも深い思いやりをもつ人間であると同時に、それを見抜く人間が周囲にたくさんいすぎる気がすることである。

 「人を見抜く」というのは、昔から優れた人間の能力としてひとつの理想像のようにして語られてはいるし、人には確かに器の大きさ小ささがあるが、『バカの壁』を持ち出すまでもなく、人間にはそういう認識能力はほとんどなく、「見抜いている」と思っているのは幻想のようなもので、人の器量というものはそういうところにはない。人の器量の大きさは受容の大きさに他ならない。

 作者の思惑として感じたもう一つのことは、どうも「成功」の基準が、人から立派に思われたり、良いと思われたり、あるいは商売がうまくいったりといった社会的評価にあるようで、そのことを促すような意図が見えるような気がすることである。本作での主人公の「二三」は、火事や地震などで愛する者や財産を失っていくが、最後に行き着いたところは、三千坪もの菜種畑での菜の花の栽培であり、決して失意の内に終わるのではない。

 「序章」に、その菜の花について、三日間続いた暴風雨に耐えた菜の花について「緑色の茎は、土にしっかりと根を張っていた。葉は一枚もちぎれておらず、元気に朝日を浴びている」(4ページ)という描写があり、本作そのものが、その菜の花のように生きたひとりの女性の半生を綴るもので、絶望せずに、悲しみにうちひしがれずに、まっすぐ健気に生きる姿を描いたものに他ならない。それは決して世に言う成功者の姿ではないが、作者のひとつの理想の姿のような気がする。そして、そこにどこか、人から立派に思われることを重点にしているような気がしないでもないので、そのあたりに「作者の思惑」のようなものを感じてしまうのである。

 こうした感想には、作者が極めて現実的な政治や経済に関わっているというわたしの先入観があるのかも知れない。それらの私見はともかく、根をしっかり張って暴風雨に耐えていく菜の花のような女性の姿を描く本作は、一息に読ませるものがあり、大きな感動のある作品であることには間違いない。

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