2010年12月17日金曜日

山本一力『梅咲きぬ』

 昨日は九州でも雪が降ったらしい。今日も晴れた冬空だが、冷気が忍び込んでくるような寒さがある。昔はこうした寒気の襲来を「冬将軍の到来」と呼んでいたような気がする。わたしは、その「冬将軍」を「ジェネラル・サビンコフ」と名づけていた。周囲の人たちから「?」と言われたりしたが、「さび~」という言葉がよく使われていて、寒気団はロシアから来るので、ロシア風の名前にしたのである。昨日と今日の寒さは、そのことを思い出させた。

 昨夜は、昨年買ったテーブル式のコタツに入って、山本一力『梅咲きぬ』(2004年 潮出版)を一気に読んだ。ことさら優れて文学的な表現があるわけではないが、文章のテンポが良くて、物語の展開の仕方に絶妙な速度感があるので、「読み進ませる」のである。だからといって、これまで読んできた彼の作品と比べ、作品の深みがことさらあるというわけではなく、むしろ、手慣れた内容であるだろうと思った。おそらく、『だいこん』や『菜種晴れ』などに並ぶ花などの植物の名を使った頑張って成功していく女性の姿を描いた一連のものの一つとして位置づけられるだろうと思う。

 『梅咲きぬ』は、『だいこん』(2005年)や『菜種晴れ』(2008年)よりも前に書かれており、2000年の『損料屋喜八郎始末控え』や2001年の『あかね空』の中でも重要な役割を果たす女性として登場してきた深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将「秀弥」の姿を描き出したものである。ちなみに、秀弥という器量の大きな老舗料理屋の女将は、彼の他の作品でも度々登場している。

 深川の老舗料理屋「江戸屋」の女将は、代々「秀弥」という名前を襲名している(こういう設定で山本一力の作品に登場する「秀弥」に齟齬が起きないように工夫されているのである)が、『梅咲きぬ』で描かれるのは、その四代目秀弥のずば抜けた見識と器量を持つ成長の姿と、それを通して母である三代目秀弥の姿である。

 時代は寛延(1748-1750年)から宝暦(1751-1763年)、明和(1764-1771年)、安永(1772-1780年)、天明(1781-1788年)、そして寛政(1789-1800)とめまぐるしく元号が変わっていった時代で、江戸幕府は世情の不安を押さえるために、縁起を担いで改元していったから、そこからもこの年代がいかに世情不安定の中に置かれていたかが分かる。幕府の政策もめまぐるしく変わった。

 そういう時代に、深川の老舗料理屋「江戸屋」のひとり娘として生まれた玉枝は、いつも背筋をしゃんとのばし、思いやりのある細かな配慮をしながらもだれもが認めるような大きな器と物事を見極めていく力で大胆な決断と英断をしていく母の三代目秀弥から、老舗料理屋の女将としての厳しい、しかし愛情ある躾をされて成長していく。玉枝の父親は玉枝が一歳の時に病気でなくなっていたが、玉枝は、その母に応えるだけの資質を持っていたし、その母を敬慕していた。

 玉枝が六歳になった時から上方から出てきた踊りの師匠のもとでの踊りの稽古が始まり、この踊りの師匠がまた彼女に厳しい躾を施していくのである。踊りの師匠とその夫も、人格的で思いやりのある才人で、躾は厳しかったが、玉枝の資質を見抜き、それ以後生涯に渡って玉枝を支えていくようになっていく。

 いくつかのエピソードが描かれていくが、周囲を思いやる心と気配り、そして礼儀、物事や人間を見抜いていく力、事柄を受け入れていく器量と決断力を母親から受け継ぎ、その資質を開花しながら玉枝は成長し、子どもながらに江戸屋の危機を救う知恵を発揮し、十五歳で、若年ながら老舗料理屋の若女将になっていく。

 描かれるエピソードはそれぞれに山場があるし、展開も丁寧なので、玉枝の成長ぶりがよくわかる。そして、その年に敬慕してやまなかった三代目秀弥である母親が病で急逝し、彼女は第四代秀弥となるのである。そして、若年ながら彼女の店の切り回しは群を抜いて、誰からも老舗料理屋の女将として認められるようになっていく。こういう女性の姿は、後に書かれた『菜種晴れ』でも描かれているが、ここでは料理屋としての才覚が細かく描写されている。

 この玉枝の恋も描き出される。相手は、彼女がまだ子どもであった時に、彼女の振る舞いの立派さに心を打たれたある藩の武士であった。彼もまた、物事の道理をわきまえ、心の大きな男であった。だが、料理屋の女将と藩士が結ばれることはない。二人は、契ることは決してなかったが、お互いの思いを寄せつつ、双方共に結婚話にも見向きもしなかった。しかし、藩士が国元に帰らなければならなくなり分かれてしまう。玉枝の恋はそういう忍びやかな悲恋であった。ずば抜けた器量の大きさをもつ才覚のある女性には、そうした悲恋が似合う、と作者は思っているのだろうし、またそれは男女を問わずそうかもしれない。しかし、それは理想的すぎる気がしないでもない。

 この物語でも、深川の富岡八幡宮の祭りが重要な背景として取り扱われ、書き出しもその祭りのことであり終わりも祭りのことで終わっているし、互いに助けあう深川の人情気質というのが理想的に描かれている。老舗料理屋の「江戸屋」の女将が代々にわたって富岡八幡宮の氏子総代であるという設定であるから、その祭りの関わり方で人間の器量の大きさを示すために描き出されるのだが、この祭りの描写は作者の他の作品でも度々登場し、時代や状況の設定も寛政の改革で打ち出された武家の借金棒引き策である「棄損令」を挟んだものであるのはおなじみのもので、いくつかの作品を読んでいると少し興ざめしないでもない。

 物語としては大変面白い。一気に読ませるものもある。ただ、人間を「器量」というもので計ろうとする傾向があることが、この作者の作品についていつも気になることの一つとしてある。それは、わたしが「器量なし」だからかも知れないが、人間をいたずらに美化してしまうことになるような気がするのである。作品の中の多くの登場人物が美化されている。いや、美化され過ぎすぎていると思えてしまう。人とは、五体に欲を内蔵し、もっと利にさといし、弱く脆いものではないだろうかと、ここでも思う。

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