2011年7月11日月曜日

芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 惜別の剣』

 梅雨明け早々の昨日は、驚くほど強い夏の陽射しが照りつけ、地面も何もかもが、「うだる」と言うよりは沸騰するような気さえした。熱謝がなかなか治まらずに、夕方少し出かけようかと思っていたが、止めて、本を読んだり、アメリカのテレビドラマのDVDを見たりしていた。

 今日も暑い日差しが差し、朝起きると部屋は蒸し風呂状態で、節電と思いつつもエアコンのスイッチを入れざるを得ない。車の騒音がよけいに空気を暑くする。

 昨日、芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り 惜別の剣』(2009年 双葉文庫)を一息で読んだ。この作者の作品も初めてで、別に優れた新しい作家や作品を探そうという気はないのだが、最近は同じような傾向の時代小説がたくさん出版されているし、「永訣」とか「惜別」という言葉には特別の思いもあって、手に取った次第である。

 文庫本カバーの裏に記載されている著者紹介によれば、作者は1953年生まれで、早稲田を卒業されて出版社に勤務され、ジュニア小説でデビューされて、いくつかの時代小説のシリーズ物を手がけておられるらしい。他の作品はまだ読んでいないので何とも言えないが、ジュニア小説を書かれていたらしくて、文章にも作品の構成や展開にも無駄がなくてすっきりしている。ただ、主人公の設定や物語の展開は、オリジナリティということから言えば弱い気がしないでもない。今売れている書き下ろし文庫時代小説の傾向と対策のようなものがあって、出版社の意図も強くあるだろうと思ったりもする。

 作家は自分の思想と感性に基づいて登場人物と物語の展開を構成するが、オリジナルということから言えば、それは至難の業でもある。たいていが考えつかれたものや自分が感動した既存のものに近くなる。ましてや時代小説となれば、たいていが自分の想像とそれに基づく創造になるわけだから、どこかで似通ったものになってくるのは避けがたいものがある。

 まして、職業作家ともなれば、売れない物を出すわけにも行かず、出版社も作者も売れることを期待するわけだから、いきおい、売れている無難なところで落ち着いたりする。出版に携わる編集者も、名の売れた大家は別にして、売れ筋を分析して、それを作家に要求するので、主人公の設定にしても描かれる状況にしても独特のオリジナルなものは敬遠したりするから、自然と似通った作品群になってしまうのはやむを得ないところがあるだろう。

 だからといって、芦川淳一『おいらか俊作江戸綴り』が面白くないわけではなく、これはこれで面白く読めた作品であることは間違いない。

 このシリーズの主人公の「おいらか俊作」と呼ばれる滝沢俊作は、信州猪田藩の若殿の近習であったが、藩の内紛に絡んでお役御免となり、江戸の裏店で浪人として暮らすようになった21歳の若侍で、中肉中背ですっきりした顔立ちをし、のんびりしているという意味で「おいらか」と卓名される心優しい性格だが、剣の腕は相当に達って、同じ裏店長屋に住む浪人や剣術道場をしていて隠居している老人から持ち込まれる用心棒などの仕事をしながら自分のいく末を探しているという設定になり、彼が関わる様々な事件の顛末や彼自身のことにまつわる出来事が展開されているというものである。

 こうした主人公の設定や展開は、どこか佐伯泰英が描く『居眠り磐音江戸双紙』の主人公や物語の展開とよく似ている。どうも、最近はこうしたどこかのんびりした物事にあまり拘らないがまっすぐな性格で、しっかりと出来事や事件を解決していくという主人公が好まれるらしい。時代がそういう人物を求めているのかもしれない。

 それはともかく、本書は、浪人して間もない滝沢俊作が、十歳になるある商家の娘の用心棒として雇われるというところから始まり、主人公自身がなぜ藩を追われる身となったのかの顛末が描かれている。

 物語は、主人公の隣に住む武骨でむさ苦しい浪人である荒垣助左衛門から自分の代わりに商家の娘の用心棒をやって欲しいと依頼されるところから始まる。荒垣助左衛門は示現流の達人であるが、自分のむさ苦しさが商家の娘と母親に嫌われたので、すっきりとした顔立ちの滝沢俊介だったら大丈夫だというのである。商家に娘の拐かしのための脅迫文が届けられたというのである。

 その娘の用心棒をしている時に主人公は自分が属していた藩からの刺客に狙われ、彼自身の身の危険も迫ってくる。商家を脅していた男は、一応捕らえることができ、それが娘の実の父親で、娘が可愛がられているかどうかを知るためにそういう脅しをしたことがわかって、その件は落着するが、彼を襲ったのが藩の隠密忍者集団である「山神衆」と呼ばれる集団であることがわかっていく。

 やがて、彼の長屋住まいの身請人(保証人)であり、用心棒の仕事などを廻してくれる馬庭念流の達人で、道場主だったが隠居している桑原茂兵衛が巻き込まれた町道場主の殺人や、滝沢俊作が傘張り浪人になろうとして弟子入りした傘張り職人が殺されるという事件に関わったりしながら、彼の命を狙っていた「山神衆」の正体を知っていくことになるのである。

 彼がまだ江戸屋敷詰めであったときに思いを寄せいていた奥女中の「世津」は、彼の命を狙う計略に荷担したかと思うと彼の命を救っていくという動きをしていたが、実は「山神衆」の女忍者であり、命を受けて一度は彼の命を狙う計略の片棒を担がなければならなかったが、自分の恋心で彼の命を助けることで「山神衆」を裏切り、裏切り者としての責を負うために、故郷で自決する覚悟をする。

 そのことを知った滝沢俊作は、彼女を止めようとして彼女と同行して故郷まで行く。そして、自分が藩を追い出されたのが、藩の内紛に絡んで近習として仕えていた若殿を亡き者にする計略の一端だったことを知っていくのである。「世津」は、彼の命を守るために自ら命を落としてしまうが、内紛を起こした家老の企みも発覚させ、内紛を終わらせるのである。主人公は藩主から藩に戻ることを進められるが、浪人としての道を歩むことにするのである。

 こういう展開は、描かれる現象は異なっていても、佐伯泰英の「いねむり磐音」と似通っているし、主人公の将来を暗示する美貌の娘の存在の登場も似通っている。「いねむり磐音」の場合は、江戸で一二を争う両替商の奥女中であったが、この物語の場合は医者の娘になっている。ただ、「居眠り磐音」の場合は、主人公は剣の道に進んで行くが、この場合は「寺子屋の師匠」を目指すというところが、なんともほほえましくある。

 お定まりの剣、恋、長屋もの、用心棒ものといったパターンが織り込まれて、書き下ろし文庫時代小説の要素が満載だが、文章と展開、そしてユーモアを交えた会話などがすっきりしていて読みやすい作品になっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿