まだ九州に滞在しているのだが、激しく雨が降り続く日になっている。昨日は阿蘇まで足をのばし、雨に煙る阿蘇の山並みと柔らかい曲線を描いている草原を眺めたりした。
さて、山本周五郎『山本周五郎中短編秀作選集3 想う』の続きだが、終戦の年(1945年)の10月に大日本雄弁会講談社から『菊屋敷』の書名で出された中に収録されていた「菅笠」は、ほんの仲間内の見えから出陣中の武家の嫁になるといってしまった女性が、男の家と母を守り働くようになり、やがて出陣していた男の戦死の報が伝えられ、そこで初めて、男が丹精込めて作っていた菅笠をかぶって働くようになっていく女性の話である。
これも、夫を戦争で亡くして苦労した多数の婦人たちの姿が背景にあり、夫亡き後の家を守り、愛情を育んでいく女性への建徳的意味合いの強い作品である。執筆がまだ戦中であった1944年12月だから、それまでのほかの作品と同様に建徳的であるのはやむを得ないことかもしれない。だが、そうした時代的背景は別にしても、愛する者のために懸命に生きていこうとするけなげな女性の姿は、深く胸を打つものがある。
第七編目の「墨丸」は、同じ1945年の『婦人倶楽部』8・9月合併号に初出されたもので、執筆が1945年2月だそうだが、この物語にはそうした時代の影は直接的には感じず、むしろ、人を愛することの美しさと切なさが前面に出た作品のように思われた。
「お石」は、五歳のときに父親の異変で岡崎藩の鈴木平之丞の家に預けられて育てられることになった。彼女の素姓は「お石」を引き取った平之丞の父親以外には誰も知らなかった。色の黒い子で、平之丞たちから「墨丸」と渾名されたりしていたが、立ち居振る舞いもきちんとして、臆せず、「爽やかなほど明るいまっすぐな性質に恵まれていた」(108ページ)。長ずるに及んで琴の名手としての才能も発揮していくようになり、平之丞への想いも募らせていくようになる。
だが、「お石」の父親は、藩主の相続に絡んだ問題で、藩主に直接意見をしたことが藩主の逆鱗に触れ、生涯蟄居の罪を受け、不敬をわびるために切腹していたのである。そのことを知っていた「お石」は、平之丞を慕っているが、自分の素姓が発覚すれば鈴木家に迷惑が及ぶことを恐れ、平之丞との結婚話がもちあがったときに、琴を習うという名目で鈴木家を出てしまうのである。
やがて月日が流れ、平之丞は27歳でほかの女性と結婚し、岡崎藩主水野忠春の侍臣となり、国家老となって50の歳を数えるようになった。そして、ある時、公務での京都からの帰りに、ふと「八橋の古蹟」という名所を訪れ、疲れを覚えて休みを求めた小さな家にいた「お石」と出会うのである。
そこで、「お石」は、自分の想いと真相を静かに語り、ただ一筋に、むかし平之丞からもらった文鎮を生涯の守りとしてもていることを告げるのである。「お石はずいぶん辛かったのだな」という平之丞に「はい、ずいぶん苦しゅうございました」と素直に語る(124ページ)。その言葉は、自分が生涯抱き続けた想いをきちんと整理できた人間の静かな着地の言葉だろう。
こういう素直で正直で、一筋に自分の思いを抱き続ける女性に作者は限りなく優しい。その優しさが、最後の「縁側の障子も窓のほうも、すでに蒼茫と黄昏の色が濃くなって、庭の老松にはしきりに風がわたっていた」(124ページ)の情景描写によくあらわれているように思われる。
1945年の冬に初出された「風鈴」は、周囲の華美さや表面の豊かさに惑わされないで、自分の生きる道を見出していく女性の話である。「弥生」は、15歳のときに父を亡くし、その数年前には母親もなくしていたために、わずか十石ほどの貧しい家計をやりくりしながら、二人の妹を育ててきた。幸い、妹たちはそれぞれに裕福な藩の上席の家に嫁ぐことができた。だが、妹たちは実家の貧しさを恥じ、それぞれの夫に頼んで姉の弥生の主人に出世話を持ち込んできたり、贅沢な湯治旅に誘ったりする。
弥生も、妹たちの生活ぶりなどから、自分はいったい何のために苦労しているのかと思ったりする。だが、彼女の夫は、たとえ出世して碌(給料)が増えたところで、その仕事に生きがいを見出すことはできないし、自分には合わないからという理由で、出世話を断り、「大切なのは身分の高下や貧富の差ではない。人間として生まれてきて、生きたことが、自分にとってむだでなかった、世の中のためにも少しは役立ち、意義があった、そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います」(139ページ)と上役に語る夫の言葉を聞いて、自分は煩瑣な家事しかすることができないが、女として、妻として、母として、一家の中でかけがえのない人間として惜しまれることが大切だと自覚していくのである。
この作品が未曽有の混乱した戦後の社会状況の中で生き方を失った多くの人々が生きるための戦いを右往左往しながら繰り広げていた中でことや、戦後の日本の社会世相が他者との比較の中で織りなされていったことを考えれば、格別に味わい深い作品のように思われる。こういうところが文学者としての山本周五郎の鋭いところかもしれない。すぐれた文学者はどこか預言者的なところがあるものである。
第九編目の「彩虹(にじ)」は、男の隠された友情を描いた作品である。鳥羽藩の国家老交代に伴い、国家老の息子で幼いころがら卓越した才能をもっていた脇田宗之助が江戸での勉学を終えて、国家老に就任するために帰国してきた。帰国早々、宗之助は次々と藩の改革を打ち出していく。宗之助の友人で藩の老職(重役)で筆頭年寄であった樫村伊兵衛は、最も親しい友人であった宗之助のやり方に危惧を感じていた。そして、宗之助は、伊兵衛がひそかに思いを抱いていた料亭の娘の「さえ」を嫁にほしいと言い出す。伊兵衛と「さえ」は、幼いころから親しく、お互いに想いを抱くようになっていたが、伊兵衛はなかなか煮え切れないでいたのである。
そして、旧友の宗之助の結婚話から、自分の想いを「さえ」に伝えるようになり、「さえ」も自分の想いを伊兵衛に伝えるようになる。旧友の宗之助は、煮え切れない伊兵衛のことを思い、荒治療をし手二人を結びつけるのである。
こういう友情の姿というのは、たぶん、もう廃れてしまっているだろうが、前の「藪の蔭」と同様、隠され続ける深い愛情というのがあって、人の行為の表面しか見えない人間には決して見えないもので、実際には、人は素直に素朴に自分の思いは伝えたほうがよいとも思ったりする。「善意の敵役」という存在の一つの典型を美しく描いたものではあるだろう。
「七日七夜」は、旗本の四男という冷や飯食いの境遇に置かれた男が、家人のあまりの仕打ちに逆上し、兄嫁から金を奪って出奔し、放蕩の限りをして金を使い果たし、市井の小さな居酒屋に転がり込み、そこで居酒屋の娘や主、客たちの人情に触れ、彼を助けてくれた居酒屋の娘と結婚して、居酒屋を繁盛させていくという話である。人を変えることができるのは、情と愛以外にはないのだから、それをストレートに描いた作品がハッピーエンドで終わるのは、読んでいて嬉しいものである。
それとは反対に、どうしようもない境遇の中で「情」をもって助けてくれる人があって、救いが見いだせても、結局はひとりぽっちになってしまう女性の姿を描いたのが、次の「ほたる放生」である。
場末の岡場所(娼婦宿)に身を落とした「お秋」は、役者に似た顔をもつ「村次」という男に惚れている。だが、「村次」は女を食い物にする男で、「お秋」をさらに売り飛ばして金を得ようとしていた。「村次」は、新しく岡場所に売られてきた若い娘に目をつけ、「お秋」から若い娘に鞍替えしようとしていたのである。ささやかな幸せを望んでいたのに、そのささやかな幸せは「お秋」には訪れない。「お秋」は村次が若い娘に手をつけたことを知って、ついに村次を殺そうと思うようになっていく。
他方、「お秋」に心底ほれ込んで結婚を申し込んでいた藤吉という男がいて、「お秋」は村次に惚れていたために藤吉の話を断っていた。藤吉は「お秋」の身を案じ、村次のひどい仕打ちを知って、ダニのように「お秋」に食いついていた村次をついに殺して、「お秋」を自由の身にしてやるのである。そして、藤吉は自首をしていき、「お秋」は、結局またひとりぽっちになっていく。
第十二編目の「ちいさこべ」は、これまでの作風とはことなり、大工の若棟梁としての矜持をもって火事による両親の死から店を立ち直し、火事で孤児となった子どもたちを引き取っていく一本気な男の話である。ここには、仕事にしろ恋愛にしろ、筋を通して生きていこうとする人間の強さが描き出されている。こういう作品にも、人を温かく見るという作者の姿勢が溢れていて、主人公が自分の結婚相手として、誰もがふさわしいと考えるような相手ではなく、下働きとして懸命に生きながらも孤児たちの面倒を見ようとする娘を選んでいくなど、作者ならではの展開がなされている。
十三篇目以降については、また、次のときに書くことにする。月末は福島の原発近くに行くことにしているので、出来る限り読んだ書物について書き留めたいと思っているが、なかなか根気が続かなくなっている。
それにしても雨が降り続いている。大雨洪水警報さえ出された。気になる人や気になることがいくつかあるが、今日も徒手空虚で終わりそうな気がしている。
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