2013年12月2日月曜日

浅黄斑『山峡の城 無茶の勘兵衛日月録』

 いよいよ師走になった。「いよいよ」という感がある。上空は冬の碧空が広がり、筋状にたなびいた雲がゆっくり流れていく。空気は凛と冷たい。

 昨日、浅黄斑(あさぎ まだら)『山峡の城 無茶の勘兵衛日月録』(2006年 二見時代小説文庫)をとても面白く読んだ。文庫本のカバーなどによれば、著者は、1946年に神戸で生まれ、関西學院大学を卒業後、技術者として会社勤めをされたあと、1992年に『雨中の客』で第14回推理小説新人賞を受賞されて作家デビューされ、推理小説の分野で活躍されたあと、時代小説を手がけられている方らしい。「浅黄斑(あさぎ まだら)」というのは、おそらくペンネームだろう。

 本書は、「無茶の勘兵衛」と渾名された一人の武士の少年時代からの成長を藩の動向に絡ませながら展開したもので、大変面白く、また味わい深い作品だと思う。舞台は、江戸時代初期の越前大野藩(現:福井県大野市)で、越前大野藩は、江戸初期の頃には藩主が次々と変わっていくが、関ヶ原の合戦以前は、織田信長の次男の織田信雄の子である織田秀雄が領主であった。しかし、その織田秀雄も関ヶ原の合戦で西軍に与したために領地を没収され、徳川家康の次男の結城秀康による越前福井藩の統治下に入る。秀康は父である家康に嫌われていたとも言われて、人質として豊臣秀吉の養子にやられたり、北関東の結城家に婿養子に出されたりしているが、武将としての器量は一流だったと言われる。

 作品の舞台と背景になっている越前大野藩は、その秀康の三男の松平直政が大野に五万石で入り、1624年(寛永元年)に立藩したものだが、直政は11年後の1635年(寛永12年)に信濃松本藩に転封され、代わりに秀康の五男の松平直基が藩主となった。しかし、9年後の1644年(正保元年)に直基も山形に移封され、秀康の六男の松平直良が藩主となっている。その直良が死去して、その子直明が家督を継いだが、1682年(天和2年)に播磨の明石に移封された。そして、その後は、幕府大老土井利勝の四男である土井利房が藩主となり、以後、明治まで土井家が藩主となっていくのである。

 つまり、初期の頃の大野藩は、結城秀康の子たちが藩主となっていくが、10年ほどで次々と変わり、ようやく松平直良のころになって、その子が家督を継いでいくという状態になったのである。本書はその直良の時代に、七十石の郡方勘定役を務める落合孫兵衛の長男として生まれた「無茶の勘兵衛」と呼ばれる落合勘兵衛を主人公にした物語で、初めの方で勘兵衛がなぜ「無茶の勘兵衛」と呼ばれるようになったのかが語られていく。

 まず、三歳の時に、屋根の雪下ろしをする父親について屋根に登った勘兵衛が、ふわりと積もった雪の上に飛び降りてみたいという衝動から飛び降りて、雪に埋もれて死にかけたことがあった。次に、五歳の時に、湧水池でミズスマシ獲りに夢中になりすぎて溺れかけ、七歳の時には楠に登って、ついには枝上で立ち往生状態になり大騒ぎとなった。そして、九歳の時には、梅雨で増水した川に飛ばしてしまった竹とんぼを取ろうとして飛び込み、流されて死にかけたのである。こうして、隔年に死にかけるような無茶をすることが評判になり、ついには「無茶の勘兵衛」と言われるようになったのである。

 物語は、その勘兵衛が11歳の時から始まり、学問に励み、剣の修行に明け暮れる日々を送っているが、親友で、藩主の若君の児小姓(遊び相手)を勤めている伊波利三から、その若君が官兵衛の無茶振りを聞いて会いたがっているという話が持ち込まれていく。藩主の若君である左門(後の直明)は、藩主直良の子でありながら微妙な立場に置かれていた。

 松平直良は家康の孫に当たり、その妻の奈和子は織田信長の孫で、大野藩主になった時には二人の息子と三人の娘がいたが、長女と次男は早世し、長男も12歳で亡くなり、後継がいなかったのである。そこで国家老の乙部勘左衛門は越前松平家から養子を取る策を進め、他方、側役であった松田吉勝は、江戸家老の小泉権太夫とともに直良の直径の子を設けるべく側室となる女性を探し出していた。

 そうしているうちに、越前松平家の兄に当たる松江藩主の次男の松平近栄(ちかよし)との養子縁組が決まり、近栄が跡目を次ぐことになった時に、側室となった女性が男の子を出産した。それが左門である。松田吉勝は江戸家老の小泉権太夫に相談し、側室の懐妊を極秘として、秘かに自分の屋敷内で預かっていたのである。やがて、藩内は近栄派と左門派に別れた暗躍が横行するようになっていたのである。そうした状態が長く続いたあと、松江藩主が病を得て、近栄の養子縁組解消が起こったのである。それによって、それまで藩の実権を握ってきていた近栄派の乙部勘左衛門が失脚していき、江戸家老の小泉権太夫と松田吉勝が実権を握っていくようになる。

 「無茶の勘兵衛」がその左門(後の直明)から呼びざされたころは、そうした政治的な背景が渦巻いていたのである。勘兵衛の父の落合孫兵衛は、一切の政治的動向から身を遠ざけて、七十石(実質年収40両ほど)の貧しい生活を支える内職したり畑仕事をしたりして家族を守って暮らしていた。落合家は、勘兵衛の姉と弟の五人暮らしで、家族がよく協力して日々の生活をしていた。しかし、孫兵衛が政治的動向から身を遠ざけていただけに、上司で乙部家老派である郡奉行の山路帯刀から陰湿な嫌がらせを受けたりしていた。勘兵衛が藩主直良の直系である左門に会うことで、ますます山路の嫌がらせが強くなることが危惧されたのである。山路帯刀の息子も勘兵衛に対して陰湿な行為を行ったりする。

 こうして、無邪気に、そして無鉄砲に育ってきた勘兵衛も、その父も、勘兵衛の成長に合わせるかのようにして、次第に藩政のいびつな勢力争いに次第に巻き込まれていくようになっていくのである。平穏な日々は破られていく。親友の伊波利三も左門の側役として江戸勤番となり、大野を離れることになる。

 そして、勘兵衛の友人の中村文左の父で、藩士の不倫事件をきっかけに郡代山役の配置替えとなった中村小八が何者かに惨殺されるという事件が起こる。そして、中村小八と官兵衛の父の落合孫兵衛が秘かに合っていたということで、孫兵衛が詮議を受け、禄高を半減され、役を罷免されて無役となる処分がくだされる。貧しい暮らしがますます貧しくなるが、勘兵衛は、それに耐えながら剣術の修行を続けつつ、事柄の真相を知ろうとしていく。そして、父の落合孫兵衛と殺された中村小八が、実は、銅鉱山の産出量を誤魔化すことで私腹を肥やしていた家老の小泉権太夫の不正を調べていたことが分かっていくのである。勘兵衛の剣術の腕は年ごとに上がっていくが、相手が家老ではどうにもならないし、それなりの覚悟もいる。

 だが、江戸から藩主直属の隠密の手助けなどもあり、やがて家老の不正の真相が暴かれていく。このあたりの展開は、ミステリーを手がけられていただけに、勘兵衛が一歩一歩推理を積み重ねていく展開になっていて、読ませるものになっている。

 結局、様々なことが慮れて、不正を働いた家老の処断は重いものではなかったが、勘兵衛の家の半減された家禄は元に戻されたばかりでなく、加増され、中村文左も父の功績が認められて加増される。官兵衛の親友で、官兵衛を助けてきていた塩川七之丞は学問への道を見出して江戸へ行くと言う。官兵衛は、この七之丞の妹の園枝にほのかに想いを寄せていたし、園枝もまた勘兵衛に想いがあるような素振りをしていた。落合勘兵衛、伊波利三、塩川七之丞、中村文左も、もう青年武士なのである。

 物語は、ここで終わるが、この作品はシリーズ化されて、やがて勘兵衛が江戸に出る話などが展開されていく。勘兵衛たちの会話の中に、習っている漢文が無理なく引用されたり、少年期から青年期にかけての成長、淡い恋心、そのしたものがふんだんに盛り込まれると同時に、「食うために働くのではない。働くために食うのだ」と教える落合孫兵衛の言葉を胸に刻んでいく勘兵衛の爽やかな姿などが滲むように描かれていて、味わい深い作品になっている。最初、表題だけで「どうかな」と思っていたが、真に面白い作品だった。

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