このところ猫の目のように天気が日毎に変わる日々になっているが、少し寒さが緩み、有難く感じている。昨日は仙台だったが、仙台も少し暖かいようだった。仙台での役割も、もうこれで終わるからほっとしている。こうして少しずつ終わりに近づくのは、本意に戻れるようで、いいことだと思っている。
さて、少し長くなっているが、海老沢泰久『無用庵隠居修業』(2008年 文藝春秋社)の第四話「千両鶯」は、表題のとおり、鳴き声に千両の値がついた鶯を巡っての話で、大奥がらみで出世を企む人間のつまらなさが描かれる。江戸時代に、江戸では鶯の飼育が盛んで、特に天明期には、その鳴き声を競って高値で鶯が取引されたことがある。動植物、物、芸術品、そうしたことを競い合うこと事態、馬鹿馬鹿しいのだが、今の世の中でもプレミア価格というのがあったりする。みんなが求めるから物の値段が上がるというのは、一つの経済原理とは言え、人間のいやらしさが垣間見えるような商売の仕方ではあるだろう。
物語は、無用庵の近くに住む隠居した豪商がもつ鶯が、鳴き声の競合で千両の値がつき、風流を気取ろうとした日向半兵衛がその鶯の鳴き声を伊勢屋金右衛門と聞きに行くところから始まり、数日後に、その鶯の持ち主が何者かに殺され、鶯が持ち去られるという事件が起こるという展開になっていく。
日向半兵衛と知り合いになって喜んでいた豪商が殺されたことで、半兵衛はこの事件の探索をはじめるが、持ち去られた鶯の行くへは要として知れなかった。そして、それから間もなくして、殺された豪商の家の近くで垣間見た遊び人風の若い男の斬殺死体が上がった。おそらく、誰かに頼まれて豪商を殺して鶯を持ち去り、口封じで殺されたに違いないと半兵衛は推理し、裏街道に詳しいだろうと思われる聖天の藤兵衛にその男の背後を探るように依頼する。すると間もなくして、男は徳川家斉の小姓をしている旗本の五味小四郎の用人と繋がりがあったことが分かる。また、その鶯の鳴き声を大奥で聞いたという話が伝わる。
だが、相手は将軍家の小姓であり、大奥である。迂闊に手は出せないし、確かめる術もない。しかし、そこで諦めるような半兵衛ではない。用人の勝谷が「奈津さまがいらっしゃいますよ」と助言をし、半兵衛は奈津に頼んで、奈津の幼馴染で大奥勤めをしている女性に鶯のことを確かめるよう依頼するのである。奈津は、むろん、喜んで引き受ける。
こうして事柄が判明していく。将軍家の小姓である五味小四郎は、小姓頭に出世することを企んでいた。小姓頭から、やがては御側御用人となり、将軍の近辺にいることになるから、政治の中枢である老中、大名にまで出世の道が開かれる可能性が大きくなるのである。五味小四郎は大奥の年寄(奥向きの仕事の責任者)に取り入り、自分の出世を図ろうと、年寄に値千両の鶯を贈ったのである。そのための殺人であった。
そこで、日向半兵衛は、大奥にいる鶯の鳴合わせ(鳴き声を競わせる)の会を持つことを考案し、目付をしている弟の半次郎の伝手を頼って、老中松平定信の屋敷でそれを行うのである。松平定信は、以前の暗殺計画を未然に防いだ日向半兵衛に借りがあった。そして、鶯が間違いなく持ち去られた鶯であり、しかも鶯を入れていた漆塗りの鳥籠が動かぬ証拠となって、一件が決着していくのである。日向半兵衛は、事件が明白になるとさっさと松平家を辞して、定信とは会おうともしなかった。
この話で、弟の半次郎の娘で、叔父様大好きの姪で、闊達な「秀」という娘を登場させている。おそらく、作者はその後の作品で、この秀を活躍させようと思っていたのだろうと思う。
第五話「金貸し」は、半兵衛が久しぶりに亡妻の墓参りに行った時に、そこで若い姉弟の会話を聞いてしまう。父親が後妻をもらって、姉が女中のように取り扱われるようになったことを嘆く弟の話し声がした。そして、寺の門前の茶屋に立ち寄った時に、その弟と二人のどこか崩れたような武士が、どこかの金貸しの家に押し込み強盗をして金を奪い取る相談をしていたのを聞く。二人の武士は、金を強奪した後は、弟を殺す相談もしていた。日付と押し込む先も話に出て、25日の夜に赤坂の小畑三郎助という人物の家だと言う。その小畑三郎助は御家人で、しかも金貸しをしていて金を持っているというのである。25日というのは、金の返済日をその日にすると、延長した場合に二月分の利子が取れるという悪どい金の貸し方で、小畑三郎助はその悪どい金貸しをしていた。
墓で話していた姉弟のことが気になった半兵衛は、元岡っ引きの仁吉に身元を探らせるが、ふとしたことで、その姉弟が押し込みをされるという小畑三郎助の子息たちであることがわかる。悪どい金貸しをして後妻をもらい、姉を女中のように働かせている父親を嫌って、その父親に仕返しをするために、弟が自分の家への押し込み強盗を仕組んだことがわかっていく。だが、頼んだ二人の武士が父親も後妻となった妾も殺し、弟も殺そうとしていることは明白で、半兵衛はそのことを弟に告げて、目を覚まさせ、25日の夜の襲撃に備えさせるのである。
半兵衛は用人の勝谷彦之助と共に、小畑家に乗り込み、事が表沙汰になったら、不行跡ということで、家屋敷没収の上で重追放になることは間違いないと小畑三郎助に告げる。小畑三郎助は、子どもを顧みもせずに、妾と共に有り金を持って屋敷から逃げ出した。そして、襲撃してきた二人の武士を討ち果たす。
結局、この一件は、小畑三郎助は家屋敷没収の上重追放となり、息子は改心したと言うので罪を減じられて江戸十里四方追放となり、残された姉は弟の帰りを待つということに決着する。日向半兵衛は、その姉に、伊勢屋金右衛門に任せて運用している金の中から50両を姉にやって、姉の生活が立つようにしてやるのである。
この作品は、ここで終わるが、おそらく作者はこれをシリーズ化して面白いものに仕上げたいと思っていたのだろうと思う。事実、そういう要素がふんだんに盛り込まれているし、作品の出来は娯楽時代小説としてすごくいい。文章も構成もよく練りあげられている。だが、惜しむらくは、59歳で死去されている。残念に思う。