2014年1月27日月曜日

海老沢泰久『無用庵隠居修行』(2)

 昨夜はひどく冷え込んでいたし、今日も晴れてはいるが朝のうちはあまり気温が上がらない日になっている。だが、これから四寒三温か三寒四温くらいにはなっていくのだろう。だんだん春が待ち遠しくなってきた。

 さて、海老沢泰久『無用庵隠居修業』(2008年 文藝春秋社)の第二話以降であるが、第二話「女の櫛」は、隠居したはいいが無聊を囲いはじめた日向半兵衛が、かつて通った剣術道場にでも行ってみるかと思って行く途中で、箱根に湯治に行った時に知り合った岡井弥八郎と行き会うところから始まる。

 半月ほど前に用人の勝谷彦之助を連れて箱根に湯治に行った折り、その宿に旗本風を吹かせて傍若無人に振る舞う大津代官の田代孫三郎という者が同宿してきて、空き部屋がないからといって客を追い出し、部屋を空けさせようとする出来事が起こった。そして、昨日から病に倒れて宿泊していた但馬の出石藩の家臣の親子を、陪臣(徳川家直参ではない)とは同宿できないと追い出しにかかったのである。

 日向半兵衛は、馬鹿な旗本が馬鹿なことを言っていると、追い出されようとする出石藩の家臣の岡井弥八郎とその父親の所に行ってみると、弥八郎は、仕方がないから病で倒れている父親を連れて宿換えをするという。湯本から塔ノ沢まで父親を背負っていくというので、日向半兵衛と用人の勝谷彦之助も同道することにした。半兵衛曰く「ああいう馬鹿者どもと同宿していたら、必ず不愉快なことを目にして、おれは癇癪を起こす」(85ページ)。だから自分たちも同道し。宿を変えると言うのである。

 この出来事の後、江戸に帰った日向半兵衛が、その岡井弥八郎と出会ったのである。聞けば、弥八郎の父親は、あれから箱根で病没し、田代孫三郎が直接手を下したわけではないが、無理な宿換えで死んだことで、弥八郎は田代孫三郎を敵として討つ決心をしたという。日向半兵衛は、「旗本に差別されたことがそんなに口惜しいかね」と言い、「しかし、そういうことというのは、この世の中にはいくらでもあるぞ。おまえさんはそうやって上の方ばかりを見て不平を言うが、おまえさんも国に帰れば特権を有する出石藩の藩吏だ。その特権を使って、百姓や町人におまえさんと同じ不平を抱かせているかもしれないんだぜ。おまえさんが知らないだけのことでさ」(87ページ)と諭すのである。この日向半兵衛の言葉に、主人公の人柄や視野、生き方がよく表されており、こういう主人公だから物語が面白いのである。

 だが、岡井弥八郎は田代孫三郎を討ち、彼の家来から満身創痍の傷を受けて日向半兵衛の隠居所に転がり込んできた。生死の境目にいて、彼は、最後に許嫁の伊代という娘に一目会いたいと言う。しかし、田代家がこのことを公儀に届け出れば、目付から出石藩に連絡が行き、出石藩は岡井弥八郎を捜し出そうとするだろう。伊代は出石藩邸内におり、見張られている可能性があった。

 そこで、用人の勝谷彦之助が、日向半兵衛に見合いをさせた相手の奈津という女性が使いに立つのに適任だという案を出し、半兵衛は奈津を尋ねて、奈津に伊代を連れ出す役を頼むのである。奈津は、その依頼を喜んで引き受ける。そして、弥八郎の願いをかなえるのである。伊代は自分の黄楊の櫛を弥八郎に残していく。奈津は、生死の境をさまよう岡井弥八郎の世話を、用人の勝谷彦之助に代わってすると言い出し、それから無用庵に毎日通うことになる。そして、弥八郎は幸いにも一命を取り留める。だが、弥八郎は出石藩と町奉行所の両方から追われる身となった。

 日向半兵衛は幕府の目付をしている実弟の松平半次郎を訪ね、事件のいきさつを話し、「上の者が仁を示して、初めて孝悌忠信にも実が入るものになる」と言って、関係者に厳罰が降りないようにと頼む。弟の半次郎は、それを了解するが、無用庵に女が出入りするのは外聞が悪いからおやめください」と釘を一本刺す。弟は弟として兄の身を案じ、兄は兄として弟の身の安泰を願う兄弟の会話がそこで描かれる。

 日向半兵衛は、蝋燭問屋の伊勢屋金右衛門に頼んで、弥八郎を船で江戸から逃がす手はずを整えるが、弥八郎は無用庵を抜け出して、伊代の所に会いに行き、出石藩士たちに捕らわれ、その日のうちに詰め腹を切らされて、この一件が落着する。最後は、奈津と半兵衛の恋愛談義がユーモラスに記される。

 第三話「尾ける子」は、半兵衛が懇意にしていた医師の村田道庵が誰かにつけられているようだと半兵衛に話すところから始まる。道庵をつけていたのは十二、三歳くらいの機転の利くしかりした男の子だった。だが、その男の子が何者かに殺されてしまうという事件が起こる。彼に尾行を命じた者の正体が分からず、おそらく、尾行していることが露見したことで、尾行を命じた者が男の子を殺した者だと思われた。

 村田道庵が、変わったことをしたと言えば、日本橋の料亭に病気の平癒祝いに招かれたことぐらいだと言ったので、半兵衛は伊勢屋金右衛門に頼んで、その料亭「初花」に行ってみる。「初花」は高級料亭で、一介の旗本くらいではとうてい行けない料亭だったからである。ところが、行ってみて、その「初花」の女将が、昔なじみの深川芸者の「お咲」だったのである。「お咲」は、半兵衛に惚れていた。

 そうなると話は早く、どうやら村田道庵は、招かれたときに部屋を間違えて、朝鮮人参問屋の世話人をしている高麗屋と将軍のお側衆を勤めている柴田美濃守行定がいる席を覗いたたらしいことが分かってくる。見た本人は何の意識もなかったが、見られた側は、密謀を見られたと思い、戦々恐々としたのである。

 時に、老中松平定信が寛政の改革を断行し、人参座を廃止したために、高麗屋とお側衆の柴田行定が結託して、松平定信を暗殺して、人参座を復活させようと企んでいたのである。高麗屋は元御家人であった。半兵衛は高麗屋が女と同衾しているところに乗り込んでみるが、高麗屋は白を切ってびくともしなかった。

 だが、その餌に高麗屋は食いつき、半兵衛は高麗屋が襲撃してくると踏んで、無用庵を弟の家臣も借りて防備する。そして、襲撃者を撃退して、高麗屋を捕縛する。そのことで、朝鮮人参問屋仲間の八人が町奉行所に捕縛されて、柴田美濃守行定は、老中暗殺計画が発覚したかどで評定所にかかり、大名家の屋敷に預けられることになって、一件が落着する。老中松平定信は、暗殺計画を未然に防いだ日向半兵衛にお礼を言いたいと言ってくるが、半兵衛はそれをあっさり断る。用人の勝谷彦之助が、松平定信の改革がもう無理なことだと断言し、定信がその五年後に失脚することがきちんと記されている。。

 この第三話で、料亭初花の女将「お咲」も無用庵に出入りするようになり、半兵衛は54歳の老年期ながら二人の美貌の女の鞘当てをくらうことになる。これが作品に大いに味つけをするものになっている。

 第四話「聖天の藤兵衛」は、キリシタン類属と呼ばれて、ひどい差別を受けた人々に絡んだ出来事が記され、寺社の宗門改めの問題と絡み、また「聖天の藤兵衛」という謎の人物が登場して、味わい深い話になっている。

 「キリシタン類属」というのは、幕府のキリシタン政策が強まり、貞享4年(1687年)には、キリシタンはたとえ改宗してもこれをゆるさなくなったばかりでなく、死んでも、五代後の子孫に至るまで、これをキリシタン類属として監視し、一般の戸籍である宗門人別帳には記載せずに、別戸籍とし、一般の百姓町人とは区別した者たちのことを言う。江戸幕府は非人という最下級の人々を作る差別政策をとったが、キリシタン類属は、その非人よりもさらに下級の者とされた。この法令が出された時点で、キリシタン類属は52000人ほどだったことが本書には明確に記されている。

 寺院による宗門改めは毎年行われ、人別帳に記載されていることは、キリシタンではないことの証明で、その寺請証文が絶大な力を発揮した。

 むろん、主人公の日向半兵衛は、こうしたことが馬鹿馬鹿しいことと考えていたので、無用庵の肥汲み取りをさせて欲しいと言ってきたキリシタン類属の少年の申し出をあっさり快諾していく。下肥は百姓にとっては欠かせない肥料で、村の有力名主や下肥屋が高額で買い取っていたために、類属である少年には手に入らなかったのである。

 そして、その話を聞いた「聖天の藤兵衛」と名乗る不思議な人物が、お礼に無用庵を訪ねて来て酒樽を置いていく。

 それからしばらくして、無聊を囲った半兵衛が勝谷用人を連れて隅田川に釣りに行った時、母子心中をしようとした女性を助ける。事情を聞けば、女性は隅田村の百姓の女房で、「おせき」といい、夫の吉蔵は、水害に見舞われた田畑の修復のためにした借金の返済のために深川の大工の下働きに出稼ぎしているという。吉蔵に金を貸したのは村の宗福寺で、その寺の住職は浄源という名であった。

 吉蔵が出稼ぎで留守の間、住職の浄源は、最初は「おせき」を励ますようなことをしていたが、やがて「おせき」の身体を求めるようになってきた。「おせき」は拒んだが、朱門改めの時期が近づいたとき、自分が寺請証文を出さなかったら、お前はキリシタンということになって、子孫の代まで類属となると、脅しをかけたのである。「おせき」はその脅しに屈せざるを得なかった。浄源は毎晩のように「おせき」のところにやって来ては、「おせき」を慰みものにしていた。だが、そろそろ亭主の吉蔵が帰る日が近づいた。しかし、浄源は「おせき」を離さない。それで、思いあまって、「おせき」は娘を連れて自死しようとしたのである。

 この話を聞いて、日向半兵衛は憤りを覚え、相手が寺だということで、自分を訪ねてきた不思議な人物である「聖天の藤兵衛」の力を借りることにする。

 聖天の藤兵衛は、立派な武士の風体に身を変えて、宗福寺を訪ね、母親の祥月命日が迫っているので、宗福寺で法要をすることができないだろうかと百両の金子を差し出す。浄源は喜んでそれを引き受ける。そして、祥月命日の法要をするといった日の夜、日向半兵衛は山伏の衣装に天狗の面をかぶり、宗福寺の裏門に待機する。聖天の藤兵衛とその仲間たちが、宗福寺の中で大暴れして、浄源を裏口に蹴り飛ばす。半兵衛は、浄源に「おせき」が遺言状を残して死んだから、この遺言状を届け出る。だからお前は早々にここを立ち去るがよい、と言って、浄源を追い出すのである。

 この話の末尾には、料亭「初花」の女将の「お咲」が半兵衛を湯治に誘い、半兵衛が煮え切らない態度を取っていくという軽妙な会話が記されて締めくくられている。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」と語った井上ひさしの言葉を思い起こしたりした。とにかく文章と展開がなめらかである。

 本書には、さらに第五話「千両鶯」と第六話「金貸し」が収められているが、長くなるので、それらはまた次回に記すことにする。

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