2013年11月21日木曜日

犬飼六岐『叛旗は胸にありて』

 このところこちらでは小春日和の日々が続いて、どことなく嬉しくなる。研修会の疲れもあるが、ようやく日常が戻った気がしてほっとしている。来年の3月に転居することに決め、なんとか一週間ほど転居の準備をする日程を開けたいと、まだぼんやり思ったりする。

 先日、犬飼六岐『叛旗は胸にありて』(2009年 新潮社)を面白く読んだ。この作者の作品は、前に『囲碁小町嫁入り七番勝負』(2011年 講談社)を読んで、物語の展開の面白さもあるが、その背景にある歴史的事象も丹念に調べられており、なかなかの作品だと思っていたので、本書を読んだのだが、これも主人公の設定と視点がすこぶるいい作品で、次第に物語に引き込まれていく展開になっている。

 物語は、元治元年(1864年)、尊王攘夷の機運が高まり、江戸幕府がいよいよ崩壊の兆しを見せ始めたころ、但州(但馬 兵庫県北部)の湯村というところにある宿の息子が、宿泊客を迎えに正福寺に向かい、そこで客人と共に正福寺の住職から、およそ200年ほど前の慶安4年(1651年)に起こった「慶安の変(由井正雪の乱)」の顛末を昔語りに聞くという構成になっている。

 この作品の良さと面白さは、その「慶安の変」の顛末が、色の浅黒い小柄で風采が上がらない、らっきょうを逆さにしたような顔をしている貧乏傘張り浪人の熊谷三郎兵衛という人物を中心にして展開されていくところである。

正福寺の住職の昔語りは、その小心者でもある熊谷三郎兵衛が住んでいる貧乏長屋に、彼とは対象的に覇気があって彫りの深い顔がきりりと引き締まった兵法者のような金井半兵衛という人物が越してきて、彼に押し切られるようにして「張孔堂」と名づけられた軍学塾に連れて行かれるところから始まる。

熊谷三郎兵衛は、傘張りをして糊口を凌いでいる浪人暮らしの惨めさを感じつつも、金井半兵衛の強引さに押し切られるようにして「張孔堂」の仲間に加わっていく。金井半兵衛が彼を「張孔堂」に誘ったのは、その健脚ぶりを見込んでのことであった。「張孔堂」では、藩の取潰しなどで浪人となり、やむなく窮乏生活をさせられている者たちの救済策と幕府政治の改革案が練られていた。その「張孔堂」の主要なメンバーは、師範代の吉田初右衛門、僧籍の廓然、豪放磊落な丸橋忠弥、そして、理論派で弁舌の立つ岡村久之助らであった。だが、そこには当然いるべきはずの師範である由井正雪の姿はなかった。

「張孔堂」では、諸大名、特に紀州藩との交渉においては押し出しの良い吉田初右衛門が、武術の試合などでは金井半兵衛が、そして説得を必要とすることにおいては岡村久之助が由井正雪を名乗り、由井正雪の実態がない。熊谷三郎兵衛は困惑の中に置かれるが、やがて、由井正雪という人物は、「張孔堂」を設立した人間たちによる架空の理想像として置かれている存在に過ぎないという秘密を知ることになるのである。

この辺りの作者の創作は、もちろん、由井正雪が、不明な点が多いが、慶長10年(1605年)から慶安4年(1651年)まで実在のした人物であることを知っていても、なかなか面白い。人は、現状に不満があればあるほど、何らかの理想的な人間像や指導者像を描きたがるし、結局それによって破滅へと向かうことになるという集団心理を突くものとなっているからである。

熊谷三郎兵衛は、そのことを知り愕然とするが、浪人の窮乏は目に余るものがあり、その浪人を救済する政道の改革を求めていくということで、「張孔堂」の計画に加担していくようになる。もちろん、気の弱い熊谷三郎兵衛は、周囲に引きずられるようにして行動していくのであるが。

この「張孔堂」の主張に一枚噛んでいき、資金の援助や手助けを影でしていくのが、三代将軍徳川家光亡き後の将軍位継承を狙う紀州藩の徳川頼宣であり、「張孔堂」のメンバーたちは、一気に幕府転覆計画を加速させて、江戸、京都、大阪で叛旗をあげ、江戸を火の海にするという計画の実行へと進んでいく。

「慶安の変(由井正雪の乱)」に紀州藩が絡んでいたかどうかの問題は諸説があり、奥村八左衛門の密告によって計画が露見して駿府で捕縛された由井正雪が残した遺品の中から徳川頼宣の書状が見つかったことが諸説の大きな根拠ではあるが、この書状が偽造だということで、幕閣で曖昧なままにされて、徳川頼宣は何の処罰もされなかった。だが、本作では、紀州藩の画策が裏であると同時に、計画の失敗を恐れた紀州藩による裏切りがあったと展開されている。

そして、密告が起こったことに対して、作者は「張孔堂」内部における武闘派と穏健派の対立で、穏健派で江戸を火の海にして庶民を困らせるようなことがあってはならないとする穏健派による計画の頓挫を狙ったものとされていく。穏健派の人物は、岡村久之助、丸橋忠弥、熊谷三郎兵衛などであり、豪放磊落で屈託がない素朴な丸橋忠弥は、いわば自らを捨てて、武闘派が起こそうとした反乱を頓挫させた者として描かれる。そして、熊谷三郎兵衛は、徹底した庶民感覚と人への優しさをもつ人物として描かれ、長屋の隣人たちを困窮に合わせるわけにはいかないと考える人物として展開されていく。この視点で、「慶安の変」が語られていくのが、本書の真髄だろうと思う。

「慶安の変」によって、結局、徳川頼宣が失脚させられ、戦国時代から引きずっていた武力政治から文治政治へと明瞭に移行していくことになるが、それを権力者の政争としてではなく、「人間の愚かさと弱さ」という観点で描かれているところがいい。

最後に、正福寺の住職からこの話を聞いた客人が、長州の桂小五郎であるとし、「正義というのは、いくつもあるのではないですか。いましがた和尚のされた話のように」(300ページ)という言葉が記されている。この言葉が、本書の主眼であろう。

最後に、桂小五郎が坂本龍馬の言葉を引いて、「上の者が下の者の給金の心配をする」と語る場面が小さく記されているが、そういう人間で成り立つ社会をわたしも夢想する。「人をいかに安く効率よく働かせるか」と考える人間とその人間の下で編み出されるシステムを是とする社会は、本当につまらない社会である。人はそこで、結局は、自分で自分の首を絞めることになる。

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