2013年11月25日月曜日

田牧大和『泣き菩薩』

 先日、アメリカの古いTVコメディドラマを見ていて、周囲がうんざりするようなひどい音楽の演奏の後で一人だけ、これも風変わりな思考をする女性が、その演奏を誉める場面があり、その時のセリフに「すごくよかったけど、評価されないのは生きている時代が違うのよね」というのがあり、なかなか洒落たセリフだと思った。それをさらりと言ってのけるのがウィットに富んでいる。何かに齟齬を感じる時に、「まあ、生きている時代が違うからなあ」と爽やかに言い放つくらいがちょうどいいような気がする。

 閑話休題。田牧大和『泣き菩薩』(2008年 講談社 2011年 講談社文庫)を清涼な読後感とともに面白く読んだ。これは、江戸後期の天才絵師で、東海道五十三次などで著名であると同時に、ゴッホやモネなどの印象派にも大きな影響を与えて世界的に知られている歌川広重の若い頃の姿を中心にして、彼が江戸定火消しの家督を継いで、火消し役人として生きている姿を軸に、江戸市中で起こった付け火(放火)事件を気の合う友人たちと解決していくという筋立てになっている。

 歌川広重(17971858年)は、数え年13歳で江戸定火消しの家督を継ぎ、その年に母に続いて父親を亡くし、歌川豊広に絵を学びながらも、文政6年(1823年)、数え年27歳で家督を祖父方の嫡子として迎えた仲次郎に譲るまで、14年間ほど江戸定火消しを勤めているし、その後も仲次郎の後見を勤め、職を正式に辞したのは36歳の時である。有名な東海道五十三次が発表されたのは、その翌年の天保4年(1833年)からである。広重は天才だと、彼の絵を見てつくづく思う。

 歌川広重の本名は安藤重右衛門、後に安藤鉄蔵と名乗るが、本作で登場するのは19歳の若き安藤重右衛門で、暇があればのんびりと写生をする「絵かき侍」で、見たものを詳細に記憶し、それを絵で表すことができる才能の持ち主として描かれる。

 この安藤重左衛門の気の合う定火消し仲間として、幼馴染の二人の人物が設定されており、いずれも極めてユニークな人物設定になっている。

 その一人は「鞭を思わせるしなやかな体つき」で、「八代洲河岸(現:八重洲、丸の内)の孔明」と渾名されるほどの明晰な頭脳と判断力を持つ西村信之介で、彼は「三度の飯よりも推理と探索」が好きという人物である。もう一人は、「がっちりとした大男」で、剛力の持ち主であると同時に情に厚く、火消し働きをする臥煙(火消し人足)たちから慕われている猪瀬五郎太である。重右衛門(広重)の広い視野と信之介の的確な判断、そしてそれを実行する五郎太のこの三人によって、「八代洲河岸定火消しが出没した火事は、燃える家も壊される家も少なくて済む」と評判をとっているほどである。彼らは、いわば、知恵と感性、そして体力であり、この物語の爽やかなところは、この三人がそれぞれの特徴を認めあって協力し、お互いを思いやる強い心で結ばれているところである。

 彼らは才能豊かな若い定火消し同心であるが、彼らの上役に当たる与力として登場する小此木啓祐(おこのぎけいすけ)も、直心影流の使い手で、声を荒げるわけでも力を誇示するわけでもないが、身体から発する気迫で周囲を圧倒する人物であり、物事を見通す眼力をもち、三人の若い同心の才能を信頼する人物である。彼は、どこか池波正太郎が描いた長谷川平蔵を思わせるし、彼が愛用する愛馬「東風」は、前田慶次郎の「松風」を彷彿させる。そのほか、飄々としているようではあるが見るとことは見て、清濁あわせ飲むような宮沢という町奉行所同心も登場するし、事件の中では寺の利発な小僧が登場したりしていく。それらが、すべて、互いに相手を信頼するということで廻って行くので、物語全体が温かい。

 事件は、八丁堀の玉円寺の火災から始まる。そして、牛込光照寺の勢至菩薩像の小火騒ぎへと繋がる。光照寺の小僧が仲間の小僧にかけられた失火の濡れ衣を晴らしてくれと五郎太に頼みに来るのである。甘いものに目がない五郎太が、その小僧から美味しい団子屋を教えてもらったという恩義を感じ、そこから三人が乗り出していくのだが、重右衛門(広重)の慧眼によって、その小火騒ぎには裏があることがわかっていくのである。

 半分ほど焼けた勢至菩薩像の小火には、それを彫った彫師の師弟間の問題も絡んでいくが、その裏には更に、金で頼まれて火付けをする「頼まれ火付」の一味が絡んでいたのである。信之介の名刹と重右衛門の観察眼、五郎太の剛力で真相を暴き出し、「頼まれ火付」の一味との対決が起こる。そして、小此木啓祐の剣技が光っていく。そこにも、やむを得ずに罪を犯した人間に対する温情があったりする。

 物語の導入部分の安藤重右衛門(広重)を子どもたちが取り囲んでいる姿は、微笑ましくはあるが、甘い作為が感じられるが、その後の展開は、本当に面白くて一気に読み進んでいくものになっており、しかも、爽快感がある。この作者の作品は、前に読んだ『散り残る』(2011年 講談社)もそうであったが、趣がある。主人公が三人という設定は、ほかの作品でも多く見られ、それが作品に奥行きをもたらしていると思っている。三位一体というのはいいものである。

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