2013年11月4日月曜日

出久根達郎『土龍』

 霜月の声を聞くようになった。今日は雨だが、少々忙しい一日が始まりそうである。このところだんだんと秋が短くなってきているので、季節の移ろいを早く感じるようになって、晩秋というよりも初冬の感がある気がする。今年の冬は寒いという予報も出ている。地球の温暖化は、日本では冬の寒さを厳しくする。

 先日、図書館の文庫本コーナーをぼんやり眺めていて、出久根達郎『土龍(もぐら)』(2000年 講談社 2003年 講談社文庫)があったので、借りてきて読んだ。この作者の作品を読むのは、なんだか久しぶりの気がする。今も古書店を経営されているのだろうか。

 本書は、ペリーが浦賀にやってきて(1853年)、幕府が防衛のために急遽品川沖に砲台を築き始めたころから安政の大地震(1855年)までを背景として、品川沖に建設された台場(砲台)の建設工事に絡めた物語を展開するもので、穴掘り人足たちを主人公にすえつつ、老中水野忠邦や台場に管理にあたった川越藩、そして当時の幕府内での勢力争いなどを描き出したものである。全体の仕掛けは、江戸城の秘密の抜け穴を探っていくというミステリー調の冒険譚ともなっている。

 ちなみに、品川の台場(現:港区台場 通称「お台場」)は、伊豆韮山代官の江川英龍の考案によるもので、当初は十一基の建設の予定であったが、最初に第一から第三までの台場が築かれ、その後に第五と第六が築かれて、第七は未完成、それ以後は未着手に終わっている。工事は急ピッチで進められ、第一台場が川越藩、第二台場が会津藩、第三台場が忍藩という徳川親藩によって管理された。予算は百万石という膨大なものだった。だが、台場の砲台は一度も使われることなく、これらの台場は、昭和の半ばには、やがて次々と埋立地によって解消されている。

 常陸国(現:茨城県)潮来の旅館の三男であった国太郎は、父親が無理をして江戸町奉行所同心の中橋家と縁組をして、養子に出され奉行所見習い同心であったが、洞察力が優れた国太郎に悪事を暴かれることを恐れた岡っ引きらの奸計によって「不心得者」として、養子縁組を解消されて、養家を追い出され、人足仕事を求めて口入れ屋を尋ねる。そこで同じように仕事を求めていた武州川越で百姓をしていた百蔵と知り合い、品川沖の台場建設工事につくのである。

 工事現場の環境は劣悪だったが、彼らは台場管理をする役人たちのための井戸掘りの仕事に従事させられる。ところが、これまでいくつかの井戸が掘られては崩れて、工事人足が何人も死ぬという事件が続いており、それがただの井戸掘りでないということに気づいていく。掘った井戸がわざと埋められ死人が出ているのである。また、完成した台場を視察に来るという第13代将軍徳川家定の暗殺計画も練られていた。

 こうしたことを知った国太郎と百蔵は命を狙われるが、鼠の大量発生と地震などによって九死に一生を得て台場の工事現場を逃れ、ふとしたことで知り合った穴蔵屋の輝三と共に働くことになる。

 穴蔵屋というのは、火事の多い江戸で商家が家の地下に穴蔵を掘って、火事の時などに商品などを入れて守るための地下蔵を掘る仕事をしている者たちで、国太郎らはこの仕事の途中で抜け穴のような穴を発見するのである。それは、江戸城に掘られた抜け穴だと言う。そこには、実は陰謀が張り巡らされていたのである。

 品川台場の井戸を埋めていたのは川越藩で、それは、先の老中であった水野忠邦が三方領地替え(庄内藩を長岡に、長岡藩を川越に、川越藩を庄内に変えようとするもので、第11代将軍徳川家斉の実子を藩主にする川越藩の財政難を救うために画策したもの)を仕掛けたときに、水野忠邦と川越藩が交わしていった密書を秘匿するために台場の井戸の中にそれを埋めようとしたもので、その時に江戸城の抜け穴の絵図を一緒に埋めようとしたが、それを見つけた者たちが、その抜け穴を利用して将軍の暗殺などを図ろうとしたのである。

 だが、それは江戸城の抜け穴ではなく、敵を誘う誘い穴であり、あちらこちらに仕掛けがしてあり、穴掘り人足たち(土龍と呼ばれる)を使ってその仕掛けを暴こうとした幕閣の企みであったのである。

 国太郎たちは、その罠にはまり、穴の中で生き埋めにされるところであったが、いち早くそれを察知して逃れていくのである。

 その後、どうなったのかは記されずに、ただ、安政の大地震が起こり、やがて将軍家定の死去が伝えられて物語が終わる。家定は、一説ではコレラで死去したとも言われる。死去は1858年で、次の将軍になったのは徳川家茂であり、まだ13歳であった。そのため、政治は老中の思い通りとなったのである。

 この物語は、人を人とも思わずに利用して捨て去る政治家の画策の中で、捨て去られる側の穴掘り人足(土龍)の意地が光る物語である。モグラは地表に出て光に当たると死ぬと言われているが、どっこいしぶとく生きていくのである。物語の視点も意味があるが、結末部分に、裁きでの被告人の供述のようなものだけが記されて真相が明らかにされるという手法も文学的に面白い手法だと思う。

 作者は、時代小説でもいくつかの傾向を持った作品を種々に書いているが、これは少し肉厚な作品になっていると思う。

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