如月の月となり、冬と春を分ける節分を迎えた。明日からまたひどく寒くなるという予報が出ているが、今日は春を感じる日になっている。今週は成績評価の締切日が近くなり、答案用紙を読んで「うむ」と考える日々になっている。
さて、先日、続編を読みたいと思っていた浅黄斑『火蛾(かが)の舞 無茶の勘兵衛日月録2』(2006年 二見文庫)が図書館の書架に並んでいたので、借りてきて読んだ。
本書は、江戸時代初期の越前大野藩五万石の下級武士の子であり、小さい頃から無茶をするというので「無茶の勘兵衛」と渾名された落合勘兵衛が、藩内の様々な出来事に巻き込まれながら成長していく姿を描いたもので、第一作では11歳の頃からのことと、藩主の跡目相続をめぐる争いや藩政の勢力争いなどが記されていたが、本作は18歳の時に、藩命によって江戸詰めとなり、江戸に向かうところから始まる。
勘兵衛の江戸詰めの名目は、藩主の後継者である松平直明も18歳となり、近習を増やすことになり、勘兵衛に白羽の矢が立ったというもので、直明の小姓として既に勘兵衛の友人の伊波利三の推挙によるものだろうと、勘兵衛は思っていた。
1673年の秋(この年に寛文から延宝に改元)、越前大野を出立した勘兵衛は、途中、富士の堂々とした姿に深く感動したりしながら無事に江戸に着き、初めて見る海にも感動したりする。この辺りのくだりは何でもないように思えるが、青年らしい気概を持った勘兵衛の姿が生き生きと描かれているのである。
越前大野藩の藩邸は愛宕下にあった。江戸に着いた勘兵衛は、すぐにでも主となる直明に謁見できるものと思っていたが、江戸留守居役の松田与左衞門の役宅に留め置かれ、実は、役柄が変わって別命があると告げられる。その別命とは、先の銅山不正の証拠を隠滅させるために働き、行くへが分からなくなっている山路亥之助に上意討ち(藩主の命令によって討ち果たすこと)の命令が出たが、亥之助が縁者である旗本の江原九郎右衛門の家に逃げ込んでどうにもならなくなった。家臣にいつまでも上意討ちの命令を出したままでは家臣が可愛そうだからといって、これを解き、直明の特命として勘兵衛に亥之助を討ち果たす命令が下ったのである。しかも、山路亥之助は旗本の江原九郎右衛門の所から大和郡山藩の本多出雲守政利の所に逃げ込んだという。
大和郡山藩は、藩主の跡目争いで分割され、旧藩主の所領を簒奪した形になった六万石の藩主本多出雲守政利は水戸光圀の妹を妻にし、下馬将軍と呼ばれて権勢を誇っていた老中の酒井忠清と繋がりがあったのである。それがわかって江戸留守居役の松田与左衞門は上意討ちを取り止めることにしたが、気性が激しい直明は聞かず、勘兵衛に山路亥之助を討つ密命を出したのである。勘兵衛の立場は微妙なものとなった。
そこで、松田与左衞門が用意した町宿(大名の家臣が藩邸ではなく町の家を借りて住むこと)の浅草瓦町にある菓子屋の高砂屋藤兵衛の家に剣術修行者の名目で居候することになって、勘兵衛の江戸での暮らしが始まる。そこは亥之助が逃げ込んだ本多出雲守政利の屋敷を見張るのに絶好の場所だったし、主の藤兵衛も一切を承知していた。勘兵衛は亥之助が本多家にいることの確証を掴まなければならなかった。高砂屋の近所の札差の伊勢屋というのが彼と松田与左衞門の連絡をしてくれる場所であった。
勘兵衛が見張っている本多出雲守政利は、分割された大和郡山藩の六万石を所領として支配していたが、それでは飽きたらずに、もう一方の九万石の本多政長の所領も自分のものにしようと画策しており、政長の方も対抗手段をとったりして、大和郡山藩の内紛がまだ続いている状態で、分割されて家臣団も入り乱れていた。そして、本多出雲守政利の家臣となった別所小十郎というのと知り合いになるために勘兵衛は小十郎が通っている剣術道場に通うことにした。その道場の高山八郎兵衛がなかなかの人物であったのである。
その勘兵衛のところに本多政長の家老の都筑惣左衞門の用人である日高信義が近づき、別所小十郎が元は本多政長の家臣であったことなどから、日高信義の馴染みの「和田平」という料理屋で会うことにしたのである。こうして、勘兵衛の江戸での知り合いが増えていく。「和田平」は当時では珍しい料理屋だったが、女将の「小夜」もなかなかの人物で、勘兵衛、日高、別所の三人はここで定期的に情報の交換をすることにした。
勘兵衛は別所小十郎から山路亥之助が熊鷲三太夫と名前を変えて出雲守の屋敷にいたが、今はどこにいるのか不明だとの情報を得る。山路亥之助は、どうやら本多出雲守政利の江戸家老の深津内蔵助から新規に召し抱えられたようだという。日高信義は、勘兵衛が探している亥之助の探索に協力する代わりに、大和郡山藩で起きていることを告げて、本多出雲守政利の家老の深津内蔵助が熊鷲三太夫を名乗る山路亥之助を使って本多政長を暗殺しようとしているので、これを阻止して欲しいと依頼するのである。深津内蔵助は政長の毒殺を試みようと医師の片岡道因と子の片岡太郎兵衛をも送り込んでいるという。政長の近習にも密偵がいるという。日高信義はその動向を探ってくれないかと頼むのである。
勘兵衛は図らずも、山路亥之助の行くへを探る中で大和郡山藩の内紛に巻き込まれていくようになるのである。
ひとつひとつの場面が丁寧に描かれ、江戸での勘兵衛の交流の輪が広がり、それぞれの人物たちがそれぞれに味を持つものとして描かれていくので、実に面白いので、ここで詳細に描写することに意味もあるとは思うが、長くなるので、続きは次回に記すことにする。
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